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ややこしい・・・話だ。

来てくださった方のぺタが残ってる場合、なにか、感じるところがありますと、

訪問をします。

がああああああ。

基本的に「いかにも**」の人のところにはいきません。

そのまま、削除の場合も多いので、実に、いやなブロガーだとおもいますし、

うっかり、いってしまって、

「いかにも**」が、実際**であった場合は遠慮なく通報しています。


で、今回、カウンセラーの方の所にいってきました。


写真をみた感じが「いかにも・カウンセラー」で、なかったのが、気になったせいかとおもいます。

まあ、いってみて思ったところは、

なんとも、はや・・・。


憂生自体が、紙一重で、ならずにすんでる姿だったという言い方は失礼かもしれませんが、

友人・知人・などなどの

精神状況を考えて見ますと、ある意味、救い出せなくても仕方が無かった状況でした。

カウンセラーの方は、ご主人を亡くしていたわけですが、

憂生も、友人・知人が、亡くなってもしかたがないほどの状況にいました。


何故、この違いがでたのだろう。と、思うのです。

カウンセラーの方は「きがついてやれなかった」と、かいておりました。

憂生も直接的にはきがついてやれませんでした。

ところが、いざ、物事が動き出した時

カウンセラーの方がいう場合であれば、

「一緒に死んでくれ」と言われた時になりますか。

憂生は、それまでのいろんな経験が土台になっていたのです。

ネットにとびこんでまもなし、依存症というか、欝病というか・・人格分裂というか、

そんな人間に遭遇して、なんとか、救いだそうとした結果が、彼の自殺未遂だったり、

境界異常や、人格分裂の彼女たち、自傷をくりかえす彼・・・・・

逆に欝病の人間をささえていた女性、何度も目の前でリストカットをされ、支える側の神経がすりへっていく。

不思議なほど、いろいろな人間としりあい、これが、リアル、身近な人間の時に対処できる土台をつくりあげていたわけです。

なによりも、考え方もありました。

こちらの話をきいてもらうためには、相手の胸の中の「鬱憤」をとりさってしまわなければならない。

自分が経験して、できてることじゃなきゃ、通らない。

この二つの後者の部分がネットでしらずのうちにつくられ、

彼の自殺未遂により、精神的不安定な人間に、うっかり、意見などしちゃいけない。


そして、自傷癖の彼からは、

「抱きとめる」ということこそが、治癒につながると教わってきました。

それらが、いざというときに、役にたったわけです。

また、憂生の不思議な部分・体験も憂生を作ってきたと思います。

一緒に死んでくれといわれたら、よしよし、そうしようと、一緒に死に場所をさがしにいく。

そして、たとえば、

「死ぬ前にごちそうたべたいな」とか・・・/笑

死にたいという気持ちは「憑き物」のようなもので・・。

おさえつけても、どうにもならないもので

気持ちを昇華させなきゃ、憑き物ってのはおちないって思う。

これも憂生の経験談からなわけで、

気持ちがおちたら、自分できがついていくようになれる。

まあ、一言でいうと簡単なことなんだけど、

なかなかね・・・。


まあ、不思議な目の繰り合わせで、憂生は大切な人を亡くすはめにならずにすんでるわけだけど、


もうひとつ、気になることがある。

かくいう憂生もまあ、いっそ、死にたいって、いろいろ、あったわけだけど、

その経緯の中で、最後には、目の前で天気が変わるという顕示でとめられてしまって

あ、自分尊いんだ・・って・・。

自分、尊いってなってしまったら、どこかで、人に対して冷たくなったなって思う。

自分が尊くないから、死ぬのなら、死ねばいいじゃん。

って、ね。

どうでもいいって自分のために、憂生がなんで必死にならなきゃなんない?


まちがってほしくないのは、ここの部分。

カウンセリングってのをうけたこともない人間がえらそうにいっちゃあいけないとは思うけど、

死ぬのをとめるのが、カウンセリングじゃないってことだ。

「自分がいかに尊いか」

って、ことに気がつき、自覚してもらうようにするのが、カウンセリングなんだ。

だから、非常にもうしわけない言い方だけど、

自分の悔いをはらすために、カウンセリングをしている状況は

実は自分が自分で自分をカウンセリングしているのに他ならない。

本当につたえていくことは、

「あなたがいかに尊いか」だけである。

この考え方は、また、今回の被災の報道のことについても、語っている。

被災者のPDSTを考えた言葉をかけてくれ。

どういう言葉をかけるべきか。

「貴方が助かってよかった」

この言葉しかない。


と。


そして、皇后陛下がその通りの言葉をかけていらした。

「よく、たすかってくださいましたね」


ー「貴方がいかに尊いか」-



だからね。


憂生はそこを思う。

なにがあっても、生きていて良かった。

その自分をだいてやることだ。

自分尊い。


その思いがあってこそ、また、人を抱ける。

まず、自分を救いきらなければ、ならない。

だから、憂生は人を助けようとは思わないし

【ある意味、多くの人間を助けてきているが】

よってくるものは自分の因縁だと思っても居る。

他人の姿をしている自分であり、その人間にどう対処していくか。

それにより、自分が救われていく。

ゆめゆめ、人を助けてやってるなんて思って欲しくないとも思う。


カウンセラーや占い師や霊能力者や・・・エトセトラは

ついつい、自分が「人を助けてる」と思いがちであるが、

自分にそれだけの因縁がなければ、そんなことにかかわらない。

憂生自体も不思議なことでかなり人をたすけて?きたけど、

それらすべてが、自分に帰ってきたと思う。

死ぬなと思いをかけたことが、自分に帰ってくる。

そして、自分にそういう因縁がなければ、

逆に「死ぬな」という言葉をかけることにもならなかったと考えたとき、

けして、人をたすけるためにかけた言葉でなく、自分のためだったのかと今になって思う。

そして、本当に因縁が切り替わった時

そこと似たところのものにいつまでも関わっているというのが、おかしいとも思う。


救えなかった自分を救うためでなく、


救われている自分を自覚すること。



まあ、書きながら・・・・・自分への命題でもあると思う。

人を観て何を思うか。

それがすなわち、自分・・・なんだから・・。

あくまでも、人の姿を見ながら、自分をまたも自覚させられているのだろうと

おぼろげには判っている。

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