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高くかう

グンダリ明王のことをだしてきたけれど、

これを、信仰しろということではない。

例えば、神を扱うスピリチュアラーだったら、

これを欲にまみれている人間のところに

くっつけてやればよい。

だが、それは、偶像崇拝。

憂生は心の働きを言う。

自分の心にグンダリ明王の考えをいただけという。

自分の心を自分で自在に操れることが、

観自在大菩薩という動き・働きであるわけで、

自分に理性や正義をもち、克己心を育成する。

これを自分で自分をひっぱっていかず、

念仏や六根清浄ととなえていたって、

一種の「思い込み」

自分の欲をみないふりして

臭いものに蓋をしている。

綺麗になった自分の偶像をみて安心している。

だけど、隠しても隠してもあらわれるのが、

割れ鍋の中。

憂生自体も自分の奢り、慢心を綺麗にすることができないもんだから、

どうしても、書いてること書いてることに

この慢心や奢り・・

はしばしににじむ。

だから、できうれば、

あんなふうに欲にまみれると

自分の姿に気がつかないんだな。

と、いう反面教師で終わって欲しくないと思う。

そして、自分をゆるす

言い訳する言葉を出すなともおもう。

自分、まだまだですから・・。

(だから、こんなんで、しかたがない)

では、なく、

自分、もっと、がんばらなきゃいけない。

あるいは、自分できてます。

くらい言えばいい。

出来ていないところに目がいくから。

人がどう思おうがかまわない。

自分が出来てるとかいて、

人は出来てると思おうが、思うまいが問題じゃない。

出来てるということで、

出来てるにふさわしい自分かどうかを問い直す。

自分、まだまだですから・・と

やれば、ふさわしい自分がみえない。

らしい自分でなくてもかまわないという甘えがでる。

もうすこし、自分を高くかうべきだと憂生は思う。


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