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哲学チックにきめてみたくもあるが・・・到底無理と知る。

憂生、
私はね、つけこまれる優しさじぁない
強い優しさを持ち続けたい。」
コノ言葉を舌の先にのせては、
かんがえてみている。

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いつか、あきらが
傷について、語った気がする。


憂生は自分が傷ついたと
みとめたときこそが、
傷が傷になるとおもっているから、
憂生には・・・。
一切、傷などは無い。
まあ、じっさい、無いといって、いい気もする。


これに似た感覚で
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事象をストレスにとるのも、自分の受け止め方である。


バイク野朗の話が端的かもしれない。


奴はある日、胸部にしこりができたといった。
おい?
まさか・・・・癌?
普通なら?
此処で悲壮感に包まれる。
だが、奴はけろりとしていた。
医者に行ってみて、結果がわかってから考える。
と、こういうのだ。
それまで、うだうだ、悩んで、悲壮感に包まれても
実際、診断が出るまでわかりゃしない。
そのときに癌だったら
考える。
今考えても無駄。


なんか、あっけにとられた。


杞憂という言葉がある。
天が落ちてこないか心配で
いきた心地がしない。ってなことだとおもった。


これらの御託とは全くべつのことであるが、


つけこまれるような優しさは
本当の優しさとは言わない。
と、舌の先のログを
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優しさとは
人を憂う。
と、書く。


どんなときにその人を憂うだろうか?


コノ人このままでいいのか?
こんな考え方、
こんな生き方でいいのか?


例えば、そんなときだろう。


そんなときに相手にみせる優しさは
時に讒言だったり辛言だったり、苦言だったりする。
あるいは、とことん、相手を抱く。
向こうにとって
生きてゆくほどの糧、支えになる優しさに
つけこむものだろうか?


それは、優しさではなく甘さというものではないか?


いったい、誰のためのやさしさだろうか?


優しさとは人のためのものであろう?


つけこまれる・・。
つけこむ。
コレは人のためになっていない。
という証だろう。


人のためになっていないものをして優しさと呼び、
さらに
それがつけ込まれる?


受動部分と能動部分が
根本的にずれた感覚を味わいながら、


コノ言葉をそのままにうけとめきれない
自分にもがいてもいる。


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