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「まなざし」

憂生は親父の50歳ちかい時の子供だ。
そして、親父は板前だった。
そして、カメラの腕もよかった。

子供がひとりしかいないということと、共働きということもあったのだろう、カメラも常時3台くらいはもっていた。
ニコンとゼンザブロニカ。

そして、年齢の割には柔軟な好奇心と実行力をもっていて、ではじめのビデオなんかも使いこなしていた。
当時のビデオはバッテリーパックも大きく、ビデオ本体も大きい。
パックを担いで本体もとなれば、20kgはあったんじゃないだろうか?と、子供心に思った。

そんなトライアル精神に富んだ親父だったから、憂生が7~8歳の時にカメラを買い与えてくれていた。
当然、ばかちょんといわれる簡単なものであるが、それで、おかまいなしに写真を写す。そのフィルムを黙って現像所にもっていってくれて焼き増ししてくれたりしていたのは、親父也に伸びるものはまず、伸びるままに育てたいと思ったからかもしれない。

中学に入る頃にはまともなカメラにかいかえ、絞りやシャッタースピードなどなどのマニュアル部分をたのしんだものであるが・・・。

14,5歳の頃に何気なく撮った写真がカメラ屋にプッシュされて、全国コンテストで佳作にはいった。

今おもうと、これが、カメラ離れの原因だったと思う。

何気なく撮った。というところである。
確かに絞りやシャッタースピードや構図など自分なりにかんがえた。
だが、それは瞬間で、ぐずぐずとかまえてまっていられる対象ではなかった。

労せずして、カメラにとってもらったものが、入選(佳作)かい?

こういう思いがあったと思う。
自分がしたことは、構図きめと絞りとシャッタースピード。
あとは、カメラの仕事。

「自分」がどこにあるんだろう?

その頃に文学友人と交友がはじまり、小説もどきをかきはじめていた。

当初は・・・・。観るも無残な文章でしかなかった。

ところが、この頃に河原さんとであった。いくつも年上の車椅子の図書館司書。その彼が「小説をかいているという」がきんちょの言葉に思いいれたっぷりのエールをくれた。
掌篇「心に残る名言」に収めているので、省くが
これが、憂生の楔になっていた。

そして、文章のほうがおもしろくなっていった。
有るものをそのまま、移す。
写真より、
無いものをいかに、文字で構築していくか。
文章のもつ表現を自分があやつれる、うみだせる。というところにカメラとはちがう本物意識をかんじた。カメラにたいしての認識が「かりそめ・かりもの」になってくることになり、23才のころには、カメラから遠ざかっていたと思う。

そして、文章のほうも、20歳頃に断筆宣言にいたった。

カメラに対しての疑問。
は、もうひとつあった。

それは、今回書いてるチサトの恋のなかにもふくまれている。

「なにを映しこむか?」「カメラマンの視線」などというところをつきつめはじめていた。
その答えをはじきだしたのも文章のほうだった。

まだまだ、文字に映しこめる「自分」がいない。人生経験のない20歳そこそこの人間が感性だけで書いていることに疑問をかんじはじめていた。

いったん、人生をあゆんでみよう。
これが結論だった。

そして、人生をあゆんだのち、文章にもカメラにも「まなざし」がうつりこむだろうと信じた。

それから、友人の文章推敲がきっかけで再び筆をとるようになった。

壬生浪ふたり・蛙・蛙ー続編ー・パンパンとチョコレートなどは、15・16歳のころの焼き直し作品である。


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