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その後・・・

カメラを手放し、ネットの関係もあって、再びカメラをてにいれたとき、それは、デジタルカメラにかわっていた。

接写も簡単で、マニュアル操作のようにピントあわせやシャッタースピード調整も労しない。

そのうち、憂生の血筋だな。

被写体のほうをつくるようになった。

そう、板前の血筋をしっかりうけついでいる憂生である。

写真の腕前は、完璧におちていて、ピンボケが・・(ピントもオートだというのに?)と、いうものの、実はピントの中心をどこにもってくるかという微妙な部分がオートのほうがむつかしく、また、全体を綺麗にとりこもうとするものは、広角レンズにかえていたというのもある。

接写のピントあわせは、望遠のピントあわせなみである。
通常のサイズの写真をみてみたら、きがつかないものも、八つ切り四切りにプリントすると、ピントの甘さがわかり、カメラの技術はまだまだ、奥深いものがあると思う。

で、被写体の話。

在宅勤務になってから、しばらく、フレンチにはまり、

この近辺から、自宅で試作と単なる食事とと調理する機会がふえてきていたので、作ったものを写真におさめることにした。

そして、旨物日記などもぽちぽちかいていたわけで、料理を作りながら、「文章」ができあがるという「触発部分」があり、アートなどというのは、口がさけた以外ありえないぴんぼけ写真であるものの、「必要」というか、「実用」としてレシピもどきの案内役をつとめるようになり、憂生のカメラワークはここにおさまったところがある。

即ち、必要という価値が付随してきて、はじめて、写真が生きている(ぴんぼけでもだ~~~~)と、いえるようになったと思う。

風景写真や人物写真が、いけないというのではない。

憂生にとっては、自分の心象風景にすぎなくなってしまったとも、そこにこめる「思いいれ」「まなざし」がなくなったともいえる。

どこかで、必要というものは、また、他の人にとっても必要であると思う。

個人的に必要をこえた実用写真という方向は、また、憂生が文章をかくところにもある。

どこかで、問題意識をもつ。考え直す。という作用がある作品も多くかいているし、実際の場面で「生きていく支え」になる考え方も提示してきている。

そのあたりのことは、長くなるが
ひとつだけ、読書について、ショーペンハウエルからというようなタイトルの雑文がブログにあるので、そこが、もっとピンポイントに語っていると思う。

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