画像1 画像2 画像3 画像4

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

和み。

人間。
まあ、いろいろなことがあるもんだと、つくづく思う。

その中でも、
人と人との愛情。

これは、なによりも、大切なものだと思う。

愛情の一番最初は、
「人として、よりよく生きることを、
自分でつかみとっていく」
その術をおしえていくことが、
一番、最初の他へ渡す愛情であり、
まず、この思いに育まれて
大きくなってきたのが、
自分自身である。と、いうこと。

いわば、親からの愛情。

これが、人を愛していく最初の雛型。

今日はoozushiさんの日記を読んだ。
つくづく、
有り難いおとうさんであると思う。

人として、
よりよく生きる。

その術のことこまやかな細分。

親なればこそ、子供に思いをかける。
その思いがまことに的をえている。

女親はなにかというと、
物事個人嗜好で好き嫌いをいいやすい。
だが、男親というものは、
人生の教訓としての
「よりよく生きる」
ための、選択、選別として、
好き嫌いをいう。

憂生のペンネームは、
憂いて、生きる。
こういう意味であるけれど、
ある人間から
「優しさこそ、必要。
優しさとは、その人の身になって、物を思えること」
こういう、話を聞かされた事がある。
憂生はその時に
「優しさとは、人を憂うと書く。
人を憂うとは、相手の思いを思いやることばかりじゃない。
憂う。
「こいつ、この人。このままでいいのか?」
憂うものごと・・・
人として、惜しい。
この部分をなんとかしてやりたい。
こう思って、時に痛いこと、
辛いこと、忠告し、気がつかせることも必要。
だから、優しいってことは、
ぎゃくに時に辛らつできびしい。
あいての身になって物をおもいすぎたら、
言うにいえなくなる。
おしいまま。
憂うまま。
このままの状態でほったらかしするしかないような、
「優しさ」
こんなものは、無視というか、
表面的な優しさ。
憂うべき物事を忠告する厳しさ。
よき方向に導ける自分の力量不足を
言い訳する解釈にしか過ぎない。

優しいってのは、本当は自分が一番辛い。
こんなことでいいのか。
人をみて、憂う。
この思いこそ、一番辛い。
それなのに、
なにもせず、みているしかない。
こんな辛さを越えもせず、
自分にみちびくほどの力量をつけることを
たなのけにして、
人の本当の優しさなどわかるわけがない」

なれど・・・。
親なればこそ・・・。
こんなことでいいのか。
いけない。
わきめもふらず、子供をみちびく。
親なればこそ。

本当の優しさというものが、親にこそある。
机上論の憂生と友人でしかないのに、
親なればこそ、そんな理論をあっさり身にもって、
ごくごく自然に流れ出すような情愛。
人を憂う。

優しさというものは、
こういうものでしかない。

厳しく。
暖かく。
必死。


愛情の一番最初は、
「人として、よりよく生きることを、
自分でつかみとっていく」
その術をおしえていくことが、
一番、最初の他へ渡す愛情であり、
まず、この思いに育まれて
大きくなってきたのが、
自分自身である。と、いうこと。

oozushiさん。
自分を信じれなくなりかけてた憂生にとって、
あなたの姿は
一すじの光明。

ありがとうございました。


関連記事

コメント

非公開コメント
 INDEX    RSS    管理

猫・追加中

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

最近の記事

作品集(アルバム仕立て)

カテゴリー

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
5533位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
1964位
アクセスランキングを見る>>

ブログ村

訪問者様

ページランキング

ブログパーツ

IP検索

全記事表示リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。