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5命をかけて、ことにあたる

どうも、憂生という人間は

人のことになると必死になる状態で

命をかけてことに当たるという面はある意味

できた人間なんだと思う。

が、この命をかけるということが、

自分の命を粗末にしている(命をかける)ということだとは

きがついていなかった。

これを教えてくれたのも師なのであるが、

当時、こんな話をしてくれた。

目の前に餓えて死にそうになっていた人がいたら、

自分のもっているおにぎりを全部あげてはいけない。

半分は自分に。

半分は餓えている人に。

こう言う風にするものだ。

と。

まだ、判らない憂生にこうもたとえた。

おぼれている人が居たら

あわてて、とびこんではいけない。

その人が力尽きて沈んだ頃に助けに行きなさい。

相手を助けるために

自分が餓えてしまったらいけないんだ。

おぼれる人を助けるために

自分がまきこまれて沈んだらいけないんだ。

命を賭けるというと、

自分が死ぬことを覚悟してまでやるということに聞こえるかもしれないが、

そうではなく、二人ともが助かる活路

二人ともが助かるタイミングをみきわめて、いくということであり、

自分の命をかけるからこそ、

活路をみきわめることも

タイミングを見極める事が大事になってくる。

このあたりがわからず、憂生はおもいひとつで、

必死になってやってきたと思う。

今思えば、なんという無鉄砲とおもうのだが、

当時は、自分のことの心配など一切せず

それが、また、どれもうまくいってきたものだから、

師にいわれるまで、

自分の命を賭けてではなく

自分の命を度外視して、自分を護るという事をしていなかったと思う。

うまくいったからよかったようなもので、

憂生が逆に死んでいたら、

友人は一生、重荷をせおうだろう。

このこともかんがえつかず、

失敗するということさえかんがえつかなかった。

でも、この先々、

この無鉄砲だけでは、渡りきれない事だってありえるだろう。

命を賭けると、

双方、活路をえるために

どうしたらいいかがみえてくる。

生きるための活路を切り開く。

これは、命をかけてみてはじめて、開けるものなのかもしれない。


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