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「指導者の条件」を読んで・・1

「指導者は人。物、すべてあるがままにみとめなくてはならない」

松下幸之助の把握であるが、

そこに出てきていたのが聖徳太子だった。

ラッキー。

あおによしを放置したままなので、これにかかわる見聞はありがたい。

まあ、だったら、誰かの本を読めばよいということにもなるが、

これが、偏屈で

今指導者としての目線みたいなことをかんがえているから、

この目で捉えた「聖徳太子」の見聞はよい。

だが、どうか、わからない目線のものをよむと、

憂生の書き物に影響が出る。

いわゆる固定観念みたいなものがすりこまれ、

憂生独自のつかみたい聖徳太子像がぼやける。

こういうことを嫌い、物語をかくようになってから

ストーリー物はほとんど読んでいない。

さぞかし本をよんでいらっしゃるのでしょうと

言われることも都度あるが、ここ10年物語りは5冊もよんだかどうか・・。

最後に読んだのは白蛇抄15話めをほぼしあげたころ、

独自の陰陽師像をつくりだしたかったので、

映画もドラマも本もよまずにいたので、

夢枕獏の陰陽師を一冊よんだのが、最後であるのは覚えているが

その前によんだのは、はて?

で、太子への松下幸之助の考え。

「和を以って尊し」

に対してだが・・。

「派閥にとらわれず全体の調和を大事にしなさい」

まあ、この考え方は大事の前に小事にこだわらずにもつうじるところだし、

明治維新・坂本竜馬あたりが受け継いだかんがえかたでもあろう。

「派閥の存在を認めた上で活用、善用すべきだとおもう」

このあたりが、憂生が先んじて書いたことにつうじているが、

指導者たるものは、逆に活用・善用方法についても明るい。

ただし、憂生のいうような「好きになる」というのは、

感情論にされていたが、

憂生はそれくらいの包容力?度量がないと指導者にはなれまいと思う。

問題は悪いから嫌い

良いから好き

という尺度でなくて良くても悪くても「好きになれる」ということなので、

松下氏のいうところとは、意味合いが違う。

問題の悪いは悪いとみぬける。

良いは良いと見抜ける。

と、いう見識眼については、どう考えてるか、書いてあるだろうかと思いつつ、

「派閥の存在を認めた上で活用、善用すべきだとおもう」

の、言葉の中に

もうその答えがでているも同然だとも思う。

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