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さらに・・・。無題成る・・・

アスペクトに色々な自分の断片をいれながら・・・。

自分の年齢を考える時このまま、何もせずに死を迎えるに後何十年なんだろうと思うと、

どこかで自分と云うものを押し出してみたいと痛切におもわずにいられませんでした。

わずかの知己に訴える憂生の人生の一握は憂生の生きてきたしるしのようなものです。

「こんな事に対してこう思う」このお披露目は、だからどうなんだよ?とか、

そんな見解は憂生の勝手でしょ?と、いう類のごくつまらない物でしかないだろう。

山上達彦の「光る風」の中にも似たような1文がある。

過去、現在、未来。時の流れの中で人は巻き返し繰り返し同じ思いを歩む。

だが、同じ思いをもっただろう人間の事を知りもせず、同じ思いを踏んでゆく。

こんな意味合いのことだったろう。

風は時の流れをいうのだろう。

光るとはその「時」の流れの中での過去にも今にも未来にもある、人の思いをさすのだろう。

ふと、ふと、今の自分が時の流れの中にある光に思いを馳せることさえないけれど、依然として風は光る。

風を光らす人の思いは悠久の流れに飲まれてゆくだけである。憂生の思いもいつか時の流れにのまれてゆく。

悠久の中でちかりと光る事も在るかもしれないが何と言って光っているのかは誰の耳にも届かない。

少しばかり、耳を傾ける事が出来ないまでも、風の中で光る物があると言う事だけは覚えておきたい山上達彦もまた、

自分と云う物が悠久の中に解けてしまう限りある生を持つ人間である事を重に承知している。

自分の光が届かないものでしかないというならせめて過去にも今にも未来にも風を光らせる者が居る。

これだけは紛れもない事実として、真摯にうけとめておきたい。

山上達彦の狂人のような感性に憂生は恐れさえ覚える。

憂生はいつかこの世での存在をなくす。

愛したものも、不足だったものも、全て、おきざりにしてゆく。

置き去りにしてゆくものたちに憂生はいくばくかの光を移しこんでみたい。

未来を担う子供たちへ、資質もあろうが教えられる事、伝えられる事は渡してゆきたい。

そして、僅かの空間と云う文字の中に憂生と云う光のこもとをこめてみたい。

そして、いつか、憂生は風になる。

光ればいいな。山上達彦のようなひとがいればいいな。

何と光っているか判らなくていい。

風が光る事を知っている人が居ればいい。

そう、こんな事を昔誰かも考えていたし、今も誰かが考え、未来にも考える。

憂生のような思いを持った人はたくさん居ただろうし今も居て、先にも居る。

皆…きっと、そう。      



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