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憂生は無神論者であるといえる。  

と、いっても、

唯一神と言う意味でなくだ。

日本には八百万の神という観念があるが、それに近いと思う。

草や木、風や光。

時間。

こんなものすべて、ことごとく神が在らせるとかんがえるのであるが、

もっと、いえば、

神は自分の中にある。

正直者のこうべに神宿る。

とかいう。

己の中のものを神/有難き者/と、感じたとき、

対象に神を映してみる。

自分という人間のありがたさを知るとき

自然と言う神に

森羅万象という神に

導かれる己の価値にきがつく。

心まようことあれど、

ことごとく、

眼の前に起きてくる物事、

すべて、これ、神の計らい。

己がどう、さとってゆくか、

神はいつも手を差し伸べている。

その神こそ、また、己が

生み出したものである。

人間の表面に現れる認識などわずかなもの。

氷山の水面下の部分に未知なる

無意識名己が自然を動かし、森羅万象を差配し、

己を抱こうとしている。

みせつけをくれるのも、

厳しさをくれるのもひいては己自身である。

ゆえに己に負けるな。

この言葉の意味はここにある。

己の表面上の

感情だけの問題ではない。

が、しかし、

こけるときはここからこける。

己にこかされていてもつまらんから、

ホイと思いを切り替えてしまえと言う。

突き詰めて四の五の討議しても、駄目なときもある。

ほいと、切り替える。

「あきまへん。はらたってしゃ~ない。

こんなかんじょうしか、わきまへん。

さかい、かんがえんことにします」

これも一手。

自然と言う大きなものを動かす奴があいて。

もっと、広い視野に立たねばたちうちできんて!!


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