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「追い風に・草そうそうと・なびきけり」

管理できない心。

その心で失敗し、自分に気がつく。

これが、小さな失敗ならいいだろう。

だけど、たとえば、

怒りという心を管理できず、

殺傷事件を起こす。

失敗して、我にかえりました。

その失敗は必要でした。

こういうことになってほしくない。

と、思う。

自分を統治していくために、

例えば、怒りという心をなくせ。

と、いう。

こう願うことは、勝手か?

頭うつまで、しかたがないか?

痛い目にあうしか、しかたがないか?

黙ってみてるしかないか?

黙ってみているべきか?

ちょっとした言葉や愛で軌道修正などできない。

なぜ、怒りをおさえられないんだろう?

なぜ、欲望をおさえられないんだろう?

なぜ、怒りがでてくるんだろう?

なぜ、欲望に振られるんだろう?

根本に「なにかが、かけている」

かけているものが、

おさえる力をなくさせてしまう。

多くの事件をみていると、

だいたい、よくない家庭環境に育っている。

この家庭環境の悪さをばねにして、良くなる人もいるけど

逆にそれをばねにして、悪くなる人も居る。

この違いはなんだろう?

だいたい事件をおこす人間は

「へこみ」「ひがみ」「そねみ」をもっている。

俺がわるいんじゃない。相手が悪いんだ。

俺だけがなんでこんな目に遭う。

俺はだめだ。どうなってもいい。

なにか、自分を捨てた思いがうしろにある。

なぜ、そんな思いをもってしまうんだろう?

家庭環境の悪さというのは

そこだろう。

「自分なんか、どうでもいい」

と、思わされる環境をいう。

事件のうしろに環境がある。

「さみしくて、だれかれ、おかまいなしにすがる」

自分の凹みが重大問題になる。

結局、自分の気持ちをうめあわすことが先になる。

なぜ、そうなるんだろう?

親は子を思って、育てているだろうに・・。

自分のことより先に、子を思ってそだてているだろうに・・。

なぜ、自分の窪みの方が重大問題になる?

心の深淵というのは、

わかりにくい。

心は球体でなめらかなものだろう。

それが、ゆがんだり

われたり、ひびがはいったり・・。

実際、憂生自体・・。

孤独な人間だと思う。

その孤独をうめあわせることを

いっぱいしてきたとおもうけど、

どれもこれも、埋める事ができなかった。

あるとき、単純な言葉でさとされた。

「寂しいからって、そんなことしちゃいけないよ」

孤独は孤独でおいておくしかない。

なにかで、うめあわせようとするから、

えらいめにあう。

孤独のまま、そのままで、

耐えるでもなく、忍ぶでもなく

孤独を抱いていく。

孤独がふきよせてくる寂しい風に

じっと、ふかれているしかない。

なんとかしようとおもうから、

おかしくなる。

風にふかれても、地に生える草のように

ときに、風になびかされても

風がとおりすぎれば、元どおり。

弱い雑草でよいと思う。

柳に雪折れなしっていうけど、

そんなふうに、しなやかに、自分を

まげて見せても

雑草のように、ぴんと立つ。

「追い風に・草そうそうと・なびきけり」


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