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少し・・・

 スピリチュアルや異世界のことなど

最近は

あまり、きにならないという、いい方が妥当だろうか。

どこで、そうかわってきたか、わからないところがあるが

やはり、それは、非現実でしかないと感じる。



先日も、

知人のところに、幽霊?未確認生命体?などがあらわれているようで、

その余波か、

「ふむ・・・幽霊だな」

と、思うのだが、

誰かわからずにいた。



結局、先日、話していると、

どうも、知人のことのようであるが

知人もこれまた、

眼中にない。



見えるタイプと見えないタイプでは、

捉え方も違うが・・・

意見は同じである。



「むちゃくちゃ、くたびれるだろ?」

「ああ、エネルギー吸い取ってるって感じだな」

気が付いてないとでも思っているのだろうかね?

「ちょろちょろするなと、忠告しておけ」

と、いっておいたが、

知人なりに意見があるようである。



スピリチュアル系統のはなしになるか・・・

地球が次元上昇しはじめ

今まで、姿を現さなかったものが現れるとともに

粒子の荒い、粗雑な・・いわゆる次元の低い存在が

消滅を恐れ、憑依?ににた寄生をおこなうか、

それもわからないものは、

エネルギーを取り込むことに必死になる。



と、いうような、考え方であるが・・・



実際、そういうこともあるとおもうが

自分自身の感情から発生させるマイナスエネルギー

いわゆる、負の考え方を

統括することが先だろう。



それがなければ、

妙なものもよってこないというのが

憂生の持論であり

相変わらず、そういうエネルギー体に対しては、

その相手が悪魔であろうが

神であろうが

それらがよってくる窪みを持っているのは

自分でしかない。

と、考えている。



だから、気になる部分は

自分のどこが、

知人の異変?を察知させてしまう窪みなのだろうということでしかない。











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猫の守り神?オーブ?

そういえば・・。
今頃、確認したというのもおかしなことであるが、
それもしかたがない。
と、いうのも、我が家では、オーブがあたりまえのように、
わんさかと居る。
そのせいもあって、その一派だろうと、あまりきにならなかったのである。
が、居なくなってしまった、猫には、こういう守り神?のようなものがいるのかもしれないと少し安心しているのである。
o-bu
猫の左側に光が5つ見えると思う。
そして、細長い丸いペットボトルのような、残像?蜃気楼みたいなものがあり、そのペットボトル状の
上あたりに、写真の切抜きっぽい感じで、ぼんやりと、見ようによっては、髪の長い女の人がみえる。
で、よくよく、目を凝らしてみると、女の人の頭のあたりに三つの光が王冠?のようについてるようにも思える。
此処まで、見ると、光は6個ということになる。
もちろん、ペットボトルなぞおいていないし、わざわざラベルをむしるのも妙だし、第一底がみえない。

写真らしきものが見える後ろ側は水屋の扉があるだけで、そこに写真をはることもありえない。
この猫は、よく、なにもないところを見上げて、耳をななめうしろに下げた。

耳を後ろにさげるという行動は、
「こら、弱猫」
「かまれたろ。はげができてるよ」
などの、「嫌な事を言われる」ときに、よくみうけられた。

在る人は、猫は、魔を払う力があるという。
エジプトの猫信仰?じゃあるまいしとは、思ったものの、
ありえるかもしれないと思わされる。

一方、この猫は、目をみつめると、視線を避けた。
もっとも、成長してからだったとおもう。
今のノルウェイジャンは仔猫のせいか、まっすぐ見る。
拾ってきたときから、大人しい猫で、
何故、こんな良い猫をすててしまったんだろう?
(野良猫に見受けられる、人から逃げる、は、なかった。人に飼われていたと思えた)
飼い主が居ないときに親が隠したとかくらいしか、考えられず
飼い主はきにかけているだろう。
さがしていたんじゃなかろうか?と、おもったものである。

そう考えると、仔猫の横の写真?はあるいは、仔猫の中にある飼い主への思いや、イメージ像が
でているのかもしれないとも思える。

不思議な写真ではあるが、ネットの中では、犬についてまわるオーブとかの写真もみていたので、
単純にこの一派だと思っている。

メモかな?

さきほどの記事を挙げている間に誰かがきてくださっていたのでしょう。

正直、書きますか。

ーしんどいーでしたね。

アメーバーが好きじゃないのは、こういうパターンが多くあるせいだと思います。

パターン的に「何かに憑かれている人」「精神的にまいってる人」が多いです。

憂生のいろいろを読んでくださってない人のほうが多いと思いますし、

記事もメインブログにまとめたので、知らない人が多いのは当然ですが、

このーしんどいーは、本人といろいろはなしあってみると、原因がわかるのですが、

解決できないこともあります。

また、憑かれているという言葉ですが、憂生は自分以外のものという意味合いでつかっていますので、

例えば、亡くなったおじいさん?が現れた人なども、ーしんどいーがありました。

そして、憂生を介して伝えて貰いたい事がある場合、しんどいというのが、はっきりした幻惑感?しびれ?見たいな感じで多分、頭上チャクラにのってきます。

これは、ある友人と話していたときのことですが、頭上チャクラがしびれてきたかんじになって、

つたえてほしいことがある人がきているんだなと思ったので

思い浮かぶまま、友人にいろいろ話したところ

涙をながさんばかりになって、自分のこころもとない思いが救われた。ということをつげてくれたわけで、

このことから、チャクラを調べれば頭上チャクラ【クラウン】は、異世界のものとの交信場所でもあるのですね。

今、ひどく、そこが反応しています。

誰かわからないし、憂生自体が自覚できないので、なんともいえませんが、

ちょっと、きになったので、書いておきます。

なげ~~え話し

しかし、

日月神示というのは、すごい効力があります。


どこかに、かきましたが、


ひつき、「ひ」に火がつくというか。


どうも、心の部分が、


改心できなかったというかwww


こう、今まで、わかっていたつもりのことが

結局、頭で理解していただけでしかないというか。


料理的に濁った汁を澄ますのに、

もう一度火にかけて、

わかして、あくを表面にだせばいいというのですが、


この火にかけるという作用は、

「ひ」(御霊)をゆすぶらないとできないのですね。

ゆすぶるというのは、いわゆるアボガドロ運動ですから

熱をはっしてきます。



心という鍋にはいった汁をわかされるのですね。


友人も同じことをいっていました。


日月神示をよむと、

今の憂生みたいになったよ。と


もう、半分、きちがいみたいなものです。


自分の汚いところ、間違ってるところ

改心するまで、どうしても、すっきりしない。

いやな思いがわいてくれば、

考えを必死であらためてみたりしても、

結局、心自体があらたまっていないので、

一時、その考えに納得するものの

やはり、又、同じいやな思いがわいてくる。


これに徹底的にむきあわされるというか。


なにか、心がおかしくなってしまっていたのでしょうね。


それにきがつかず、硬化し、乾き、活きた状態でなくなっていて、


そこをゆすぶられたら、もう、おかしいくらいぽろぽろなけてきたり、


どう考えても納得できなかったことが、

ああ、それでいいんだ。と、おもえたり、

なんか、自分すごいとおもったとたん、

どかーーんとおちていったり、


この3ヶ月ほど、不思議なことがおきました。


昨夜からですね。なにかひどく眠くなるという状態になり

今日、

西に行きたい。

と、そういう声のようなものがして、

頭がぼーーーとして

いわゆる、憑依っぽい状態がつづいて、

なにか、ものをやるのにも、完璧じぶんじゃない。

コップひとつだしてくるのに、え~~ととかんがえたり

結局、自分って何一つできないんだ。

と、がっくりしてしまったりしてたわけです。

それが、どういう加減か

まあ、西にいきたいってのが、いわゆる、西方浄土ならば、

こりゃあ、誰かしにかけてるやつかって。

そうはいっても、その思いとおりにできるわけがないので、

そのとおりに西のほうにいってやるかと

地図上の西をおもったわけです。


それで、ふっと、元にもどったわけです。


よくわからないのですが・・・。


なにか、よく、霊能力者の方が

自分が思ってるつもりで、実は別のものが思ってるのを自分の思いだとおもっているということをいうわけですが

憂生の場合は、どうも、二手あるようです。


ちょっと、おぼろげなので、もうしわけないのですが

これは、声が響くという感じではいってくる思いについてです。


過去に思った自分の思い。

過去に誰かに思われた思い。


まあ、例能力といいましょうかwww


これらのことを何らかの思いかたで清算していっているといっていいか。


うけとめなおしているというか。


ようは、あらためてるということでしょう。


自分の過去と対峙しているというか。


あらいなおしているというか。


ちょっと、前にかいた

日本でいきる。

そのときには、御霊をみちずれにしてしまうけど。

そう思ったとき

ー一緒にしんでやるーー


この思いにぽろぽろなけてきたわけですが・・。

そのときに、あれ?きいたことあるっておもうわけです。


過去、人間にそういわれたことがあったわけですが

非常にすさんでいましたから、その言葉にあほらしいとおもったわけです。


その思いをうけとめていなかったんだなあと

その思いが真だったから、

ひょいとこっちにかえってきたというか、

御霊にきざみこまれていたというか。


どこかで、うけとるべきものを

きちんとうけとめるようにまわされてくるというか。


御霊の次元では時間がないから、

いつかかいたように、不思議なテレパシーで

ある人の自殺願望をとらえて、

生きろと念をおくったのが、

結局、自分にかえってきた。


そういうふうに、

だしたものはかえってくるし


うけとめていないものはうけとめるし

くもっているものはきれいにさせられるし


まあ、なにか、よくわからないし、実際、

じゃあ、西にいってみようかとおもっただけで

うけとめてしまったことになったのかもわからないことだけど、


急に妙に曇った頭がすっきりしてしまったり、

なにか、

アメーバーの広告の

「独り言いってる?」というぶんも、

たとえば、憑依されていたとして、

それにたいして、効き目のある言葉(言霊)を発するというか。


たとえば、猫がからみついて、きて、邪魔になるので

「こら、あっち、いきな」

なんて、単純な言葉を発するのが

霊からきいたら、え?居るのばれてるの?みたいになって

言霊になって、むこうにいってしまうとか。


あくまでも、極端な話しだけど、

そんなふうに、しらぬうちに、なにかおもって、

よくなったり、わるくなったり、と、いうこともありえるのだろうと思う。


そして、その中でも、重大な影響が出てくる、あるいはでてきてる

心のしこりみたいなのをときほぐしたり

あくをとったりするのが、


沸かされるということだろうと思う。


こういう意味合いで、

日月神示は、業や因縁の元になっているもの(思い)をみせつけてくるという

作用もあるとおもうし、

それによって、心の掃除もさせられる。


まさに、神が示す。



解して

心が申す

自分が元

方向や日が悪い。

そんなものは無いとかきました。

これは、ある場所に住んでいたときのことです。

かなりの心霊現象がおきたわけです。

で、同居人がかなりの力をもっていた人だったのですが、

この人をしても、

「お前では、浄化できない。このままそこに居たら憂生がやられる」

と、言われ、そこをひきはらったという経緯があります。

ここでの不思議な体験は大きくはもろに、身上にくる。

霊らしきものからの接触により、身体に傷がつく。

もうひとつは、近くの神社(それがあったことすらしらなかった)

そこのなにか?からのコンタクト

巫状態になる。(望まぬことです)

夜半

「最初に笛がなり・・次に太鼓が鳴る」

こうおもわされて、ものの、5分もたたないうちに

どこからか、笛の音・・そして太鼓・・。

まだまだ、ほかにもいっぱいあって、書き出したらきりが無いのでやめておきますが、

そこは、すぐ近くに墓がたくさんあって、ひとつには、こういうものも

はいりこんでくる。

土地柄も古い。

ちょっとやそっとじゃ、浄化しきれない状態なので、憂生によってくる。

で、これも随分前の話なわけですが・・。

で、この時の憂生の精神状態というのが、どん底だったわけです。

でなければ、普通にそこで、暮らしている人もいっぱいいたわけですから、

それこそ、みんなおかしいことがおきてこなきゃならないわけで・・。

そして、本来は浄化できるはずなんだろうけど、

憂生自体に窪みがある。

そう考えると

霊とかそんなものを浄化するより

よほど、人間のほうがしにくいわけです。

だから、先のスレッドでかいた

浄化できるくらいの人間にならないほうが悪いというのは、憂生のことです。

浄化しきれないほどのものをよせてしまう凹みを直す事が先なわけですが、

「ほいっ」ときりかえられるものではないし、

霊により、思いが増幅され、なおさら、凹む。

自分をたちなおらしている間に憂生がやられてしまう。

じっさい、ひどい状況になっていたわけで、

まず、にげてきました。

だけど、その考え方の基本は

やはり、そこが悪いってことじゃないわけです。

悪くしてしまう自分が居る。

こういうことを自分で体験した事が

元は自分ってところにつながっていったと思うわけです。

霊能力?

昨日はある?霊能力者のブログにいってきました。

元々は「宿命とは?」ってな、検索をかけたのですが・・・。

憂生自体は霊能力者ではなく、まあ、手相でもでてきはじめたソロモンの環

あるいは、直感線、もしくは、神秘十字、はたまた、奉仕十字あるいは、聖職紋という・・

こういう元々の自分の素材?と、

御霊が開いているということと、

多分ですが、前世に霊能力者のような方が居たのではないかと思います。

こういう部分で、自身は、見えるわけでも、霊能力のようななにかがはっきりわかるというものでもなく、「なんとなくわかることがある」という程度のものです。

で、その霊能力者のかたは、いろいろ、勉強、修行をされているわけですが、

そのつぶやき?を読んでいますと、

ああ、憂生の考え方でいいんだなと思う事が多々ありました。

例えば、憂生が、憑依され、神道家が察知して、はらってくれたわけですが・・。

この憑依した方が、後々考えると亡くなったAさんではないかと思えることが度重なったわけです。

そのときに、ふと、

「払われても、霊の思いは消滅せず、ある種の遺恨としてのこっているのではないか?」

と、思ったわけです。

大事なのは、「思いを救う/だいそれた言い方ですが」なわけで、これは、自著「白蛇抄」の中でも陰陽師、澄明の悟りのわけですが、ようは、そこではないのかな?

と、いうことで、

Aさんに対して「思ってくれてありがとう」という思いを送ったわけです。

そして、先の日記にもかきましたが、

「元がなければ、関わることはない」

「目の前におきることはすべて自分に元がある」

と、いう考えをあてはめていけば、いわゆる、霊障というものも、

「自分に元があるわけ」で、

ここをなおさず、霊だけを払っても、また別の霊がつく。

前にも書いた事があるかもしれませんが、地下道の階段にサンダルがぬぎすてられていて、

それがなんでだ?と、気になった人がいらっしゃったわけです、

その写真をみると、憂生には残像思念のようなものが、うかんできて、

「富士山にいきたい」

と、いうものでした。

気になったという本人にたずねてみると、簡単に言えば

「富士山にのぼりたい」と、思っていた(何度か登っているとか)というものがあったわけです。

つまり、その「本人」側の「元」と霊?の波長が合ったわけです。

これは、簡単なことですが、もし、本人側に

「腹が立つ」があり、霊側もおなじものを持っていた時、

波長が合えば、波が増幅され、場合によっては、暴れだすとか?

こう言う場合も考えられるわけです。

ですから、その霊を払うということをやっても、別の霊がよってくるわけで、

もっと、いえば、払われることがわかっていて?来るわけですから、

より強力な霊がくるかもしれません。

そんなことを考えると、沸いてでてくる霊をどうにかしようとするのでなく、

自分自身の「思いを救う」事をするのが先だという事になると思います。

こういう考え方をするのが、霊能力者だというのなら、憂生も霊能力者だといえるかもしれません。

まあ、こういうように考え方が合致しているところがたくさんあり、

妙に納得して帰ってきました。

彼女の魂・・・が  《日記》


色々と、不思議な体験が多いのだけど
一番、応えたのは、渦夜まで、
巻き込まれた事件だった。
憂生が
手紙をやりとりしていた少女は
霊現象に引きずられている少女だった。
その少女は
霊現象?によってか、リストカットを
しでかし・・・。
自分ではカットの記憶がないという。
白い
着物をまとった老人と侍の姿を見た・・・
と、思った後、意識が遠のき・・・・
気がついたら、あたり一面、血の海になっており、
何処からひきずりだしたか、

カッターが転がっていたと言う。

憂生は勘?のようなもので、
人/あるいは、魂?/が、きたことが判る。/ような気がする。

ところが、渦夜は。。。視角的に見えるようで・・・。

ある日。
その少女(の魂?)が憂生の膝にあがってきていると、感じた。

その二日後。
遊びに来ていた渦夜が
蒼い魂が裏庭に居る。
15、6歳の男の子だ。
と、言い出した。

憂生は
「ああ、それは、憂生のペンフレンドの女の子だ」
と、返事をした。
もちろん、渦夜には疑問が生じる。

「男の子だよ」
と。

憂生は、
「魂の性別が肉体の性別と一緒とは限らない」
と、答えたのであるが・・・。

後で
ペンフレンドから、
DNAは男なのだと、打ち明けられたのである。

まあ、それで、
魂の話は一件落着?するかのように思った。

ところが・・・・。

当時、まだ、学生だった渦夜。
その
学校
彼女の魂・・・が
現れるのである。

それだけなら、憂生も
人恋しい、寂しがりやの少女が
渦夜の感受性に引かれて
やってきたと、
思うだけで終っていたと思う。

この話し・・・長くなるので、いったん、此処で上げる。

****

渦夜の学校にまで、現れた彼女の魂は
今度は
黄色い色をしていた。

と、渦夜は話し出した。

色も、気になったのであるが
/何となく・・・/
それよりも、
渦夜がいうに・・・。

「周りにいっぱい・・・魂?をつれてきていて、
それは少し離れて彼女を見ている。
もう少し離れて、侍がいて・・・
見守っていると言うか
静観していた。
それはいいんだけど・・・・。
白い着物の老人が傍によってきて、
彼女に近寄るなと思念を送ってきていた」

渦夜には彼女のリストカットの話や
彼女がその (だけでなく、よく見たそうだが・・・)に見た
老人と武士の事は一言も話してなかった。

着物の柄から、帯の色まで、いいつのる渦夜の言葉を照合するために、
ペンフレンドに尋ねてみた。

結果。
渦夜の見た老人と
ペンフレンドが見た老人は一致した。

よくない思いをぶつけてくる老人を
渦夜は
老人は彼女の前世か何かで
深い縁が有ったようにおもう。
と、付け加えた。

そして・・・、
今度は憂生の所に着ていた渦夜に異変?がおきた。

憂生の部屋には一室、浄化された部屋がある。
まあ、簡単に言うと
例えば塩で清めをしたとか、こういう類いであるが・・・。

その部屋で渦が老人のことを話しだしていると
突然。
「あ、彼女がきた」
と、いいだし、
老人はその部屋に入りきれず
隣の部屋からコッチを覗いているという。

そして、
ペンフレンドは渦の
背中からだきついて・・・
首筋に腕を回したという。

だけど、
渦は
「おかしいな。ひだりて?かな。
力が無いというか・・・・。
なにか、手を隠そうとしているというか・・・」
そして彼女の体つきから髪型まで言い当てたのであるが・・・。

手・・・。
彼女はリストカットの後遺症で手首がだめになってしまっていたうえに、
コンナ・・障害・・・・。
皆・・・ひいちゃうよね。という、コンプレックスも持っていた。

もちろん、そのことも渦には話していない。

度々彼女が現れるのはいいとしても、
老人もついてくる。

それだけでなく
変な奴がこっちを探る気配が憂生に読み取れ出すと
まもなし、渦夜も
変な男?
探偵?みたいにこっちを見てる。
と、言い出す。

コレも憂生には判っていた。

霊現象に振られ出した彼女が
どこかの霊能力者か神主の所に行ったんだ。

そいつが、
こっちを探っている。
害?が無いのはわかっているが
老人の霊?より
こっちを探るような?
コッチの正体が気になるような霊能力者に頼るようじゃ、
彼女は憂生が与えたアドヴァイスを実行していないと思う。

信じるものは救われると言うけど、
まさにエクソシストばり?
悪霊退散?の護符を与えたとしても
ソレを信じなきゃ護りには成らない。

変な神主はうろつく、
老人はうろつく、
自分を振り返りもせず
親を逆恨みする言葉を吐くペンフレンド。

渦夜の名言として
「お父さんが命より大事・・・」
って、話を書いたことがあるけど・・・。

根本的な思いやスタンスが違うペンフレンドの
勝手気ままな甘え?で
渦までが巻き込まれて・・・
嫌な思いをさせる。

憂生は渦の生き方と姿勢を護るために
ペンフレンドと縁を切った。

それ以降・・・
老人もペンフレンドも現れなくなった。

だが・・・。
老人の裏にもう少し・・・
恐ろしい話があったのである。

偶然の一致かもしれないが・・・・。

次のスレッドに後日談として書く。

******

ペンフレンドに手紙を書き出した初めのころ
丁度、悪童丸などを描いていたと思う。

そのためもあって
地方の伝説などをちょっと、書き送ったのである。

その返事に
彼女が自分の地方の伝説を書き送ってきてくれていた。

その話を具体的に話すと
何処の地方の話かわかることなので、
多少躊躇するぶぶんではあるが・・・。

ようは
一族を殺された末裔が
お家再興と
滅ぼした側を呪詛し、
目の玉をくりだして、呪い?願?をかけたのであるが・・・。
その盲目の末裔に女がおり・・・。
その女は彼の目を治そう?取り戻そう?としたか、
あちこちの墓をあばき
目玉をくりぬいて集め始めたらしい。
1000個でも集めれば彼の目が元に戻るとでも
勝手な願をかけたか?
だが、そんなに死人が居るわけもなく、
女は
子供や老人などを襲い、目玉をくりぬくと言う
惨劇を行い始めた。
ところが末裔をかくまった村人は
女を責めるわけにも行かず?
頭を抱え込んだ状況になっていたところ
治水か干害か?
生贄が居ると成った時に
女を差し出せ/神託でもあったということにしたのか?/と、
末裔に詰め寄ったそうである。

女を差し出さねば、
末裔も身の置き所が無くなる、
自分を護るためにも
末裔は村人の申し出を受けるしかなくなったというところであろう。

まあ、コンナ話であったのであるが
憂生はふと・・・・、
その老人がその末裔で・・・・。
女の生まれ変わり?がペンフレンド?
あるいは老人の感違い?で、
ペンフレンドを女と思いこんだ?

だとすると、
渦に近寄るなと怒った理由や
リストカットに導いた
(少なくとも止めていなかった)
理由がわかる気がする。

自分のために死なす・・・。

自分のための女だから・・・
生贄だから・・・。

彼女を死のうとする思いに振る。

他の人間にすがる彼女を許せず
渦に近寄るなという・・・。

あの伝説は
彼女の因縁話?

こんなことを思い・・
渦にもう一度
老人の話を聞いてみた・・・。

思い出したくない話らしく・・・。
ぽつぽつ、喋り出した渦に
「どんな・・・顔をしていた?」
と、たずねた。

無論、この伝説の話も渦に喋ってない。

憂生がたずねた事に記憶を手繰り出した渦が
「え?」
っと、絶句した。

「顔・・・判らない・・・。
着物とか帯の柄まで鮮明だったのに・・・
あのね・・・、
顔・・・上半分が暗くて・・・
真っ黒で・・・
目の部分が特に暗くて・・・
穴が開いたよう・・・真っ黒・・・」

目玉が無いような感じか?

「ああ・・。そう・・・かも。
目玉がなくて、えぐられたような黒い深淵・・・
うん・・そんな・・感じの暗い黒い・・・穴」

*******
真偽・・・いずれにせよ。
こういうものを引き込むのは
彼女(ペンフレンド)の弱さ。
自分なんか・・・
こういう風に自分を投げ出したいろんな思い方。
深く暗い穴を持ったのは彼女のほう。
その彼女の思いに
同じものが寄り付いてくる。
類は友を呼ぶ?
ではないが・・・、
上昇する光り輝いた思いに暗いものは怖れを感じよりつきはしない。
何度かかいた。
「自分を虐めるものは人も虐めに来る」
まさしく、その典型と思う。

どの世界に置いても
簡単なエネルギーの法則。

ただ・・・、
自分の暗い、凹んだ思いが
不幸や障害を生み出しているとは
気がつかない。

伽羅と波陀羅にも言わせた。ー邪宗の双神にてー

「陽気でないと不幸がよってくる。」

人魂?

親父が死んで一月たった頃の冬のゆうがた。
トイレ の窓から、外をひょいとのぞいた。
すると、白いこうもりのような物が弧を描きながらとんでいった。
「はあ?こうもりか?」
と、そのときはきにしなかったが、
会社にいって同僚に話したら、
「今頃、こうもりがおるわけない」
と、無知をしてきされ、
「そりゃあ、人魂じゃ・・・」
と、いわれた。
そして、
「だれか、しんだんちゃうんか?」
すかさず
「親父」
と、こたえたら、
「あほ、これから、死ぬ人や。まあ、そのうちわかるわ」
と、いなされた。
そして、二日後ものごっつう世話になった人が
死んだっておふくろから連絡が入り
お袋もその人が来た夢をみたといっていた。
よく、わからないが、人魂というものだったのだろうかと、時折、かんがえることがある。

わけがわからぬかもしれぬが、前ふりである。


憂生はちょと、不思議。

思いをひろう。

こんな自分をここに披瀝し始めて、
いくらか、浸透してきたように思う。

これは憂生の場合。
あくまでも、
感のようなもので、
実態は見えない。

おまけを言えば、誰の思いをひろったか、定かではない。
後で事がおきて、
この人の思いを拾ったんだなとわかることが
往々である。

まあ、たとえば、マーケットにいって、何気なくイチゴをみていると、
「君はイチゴがすきなんだねえ」
と、思いが入る。

すると、
昼を過ぎてから、
近所のおっちゃんが、
イチゴをつんできたから、食え。
と、持ってきてくれる。

こんなことが度重なると、
やはり、
憂生は自分でも、
誰かの思いを拾ってたんだと思わざるを得ないのである。

具体的な事件のいくつかは、
過去の日記にもあげている。

かといって、見透かしてるわけではない。
この人、今、こう思ってる、なんてのはさっぱりわからない。

あと、もうひとつは
憂生ではないもの?に、
ささやかれるという感じもある。

これは男性っぽいかんじがする。
自分の思いと溶け込んで、自分が思っているような感じのときもあるので、
「思ってる」
と、言う感覚に近いときもある。

たとえば、従兄弟の死の3ヶ月前も、そうだった。
駅まで見送りに来た従兄弟を見ながら、
ふと、
「みおさめだな」
と、おもっているのであるが、
何も、気にしてなかった。

そう思ったことさえ、気がついてないといってもよい。
いや、きがついていた。
その言葉が妙で、遠く離れている土地のいとこだったので
単純に合う機会がもうないといういみだろうと考えたのを覚えている。

3ヶ月たって従兄弟が死んだ。
朝にゆめもみたのであるが・・・。
そうなって、はじめて、
「みおさめ」
と、いう言葉の事実にきがついたのである。

こんな調子なので、
予知にもならぬのだが、たとえば、
こんな風に相手からのおもい、あるいは
誰か?/なんでしょ?/の、思いが入り込むのである。

不思議な話なので・(体内で、金色に光るもの)

ここに書いてよいものかと思いつつ、感慨である。
ある友人、ふたりは透視?ができる。

一人は憂生の横に死んだ弟と水子がいて、憂生を守っているといった。
水子のことについての、詳しいいきさつは避けるが、ある能力者から「綺麗にしてあげたよ」と、いわれていたので、
憂生を守っているときいて、そういうことかと納得した部分があった。

ところが、もう一人の透視?によると、
「餓鬼」がふたり居る。
と、の返事。

これも先の話じゃないが
段階があるのかと思った。

霊的段階で物をみたら、守護している霊の思いがよみとれるが、
たとえば、神?的段階からみたら、
この世に生き残った霊?は「餓鬼」という段階に見えるのかもしれない。

そんな事を思いながら
彼女に憂生の中に入れるかたずねてみた。


むろん、ネットを介してのことで本人もできるかどうかわからないようだったが
「やってみる」との返事だった。
調べて欲しかったのは
憂生の中に「ある人」がいるかどうか・・・。

彼女が憂生の中に入ってくるのがわかった。
のどあたりから、豆粒のようなかたまりがゆっくりとおりていき、右の胸くらいまでおりてきていた。
ところが、彼女はそれ以上もぐりこむことを止めた。
「金色に光るものがあって、まぶしくて目を開けていられない。目が痛い」
との返事だった。

これも、憂生には分かる部分がある。
先の能力者によって、明かされていることであるが憂生の御霊は開いているそうである。
そして、能力者からの啓示などによって、通常の人よりも御霊が輝いている。

この二つが彼女の言動と一致するので、
彼女の能力も本物で、かなりのものと判断した。

ところが・・・彼女は・・。
「憂生の中に鬼と白蛇がいる」
と、いいだした。
その時はちょっと、迷った。
と、言うのも知ってのとおり、
鬼も白蛇も憂生の物語の主人公たちでしかない。
こっちの思考?を読み取ったのだろうかと疑問のまま・・何年たっただろうか・・・・。

そうこうするうち、現実において、いろいろなことがおきた。

ふと、鬼も白蛇も事実じゃないのかと思えてきた。
詳しいことは、白蛇抄との符号を知るさる友人なら、意味合いが分かると思う。

このあたりの詳細はまたも省くが
今の憂生の中に
まだ、白蛇と鬼がいるのか、
もう一度、みてもらいたいと思ったりする。

居ないとなれば、その理由は分かる。
居るとならば、
憂生は今一度、自分の人生?を思い直して見なければならない

思いを拾う。

則之のはなしだと、きがつかなかった。

例のごとく。
思念に囁かれた。
男の声は
「こうなったら、家をうるか・・・」
だった。

待てばこれが魑魅魍魎、あるいは低級な霊族のものか、わかる。
遠く、はなれている友人がきにはなったが、
あたまをふった。
わかるまで、まてばいい。
一月ほどたった
年の暮れに則之の女房さんから、電話がかかってきた。
「私を実家におくってくれたきり、姿をけしたの。家の中、探し回ったかんじがのこってるから、
しらべてみたら、家の権利書と実印がなくなっていた」

結局、則之は女房に内緒である事業に投資した。

借金もぶれになって、則之の実家もかなりの借金を肩代わりした。
男の意地か、なんかしらんが、憂生に相談したら、反対されるとおもったのか?
なにも、しらせず、どうにも、成らぬようになってから、わかっても、どうしてもやれない。

良人とも、共通の友人だ。
話をきいた良人は最初、なんのきもなく、いった。
「幾らぐらいの借金なんだ?」
良人の言いたい事はわかる。
人一人の人生。
金でなんとかなるものなら、
家なんかうっちまえばいい。

憂生は首をふるしかなかった。
「追いつく額ではないらしい・・・」
まして、出奔したきり、則之はもう、帰ってこなかった。
家を売って1から、やりなおすとしても、
夫婦の生活が基盤に無い。
肝心の則之がいない。

結局、家にかえらないまま、則之は
離婚にいたった。

家をうるしかないか。
あれが則之のおもいだとしたら、
それでも、この先の女房と
子供 の生活の為に
家だけはうっちゃいけないと、
出て行ったきりのままをえらんだのだろう。

女房さんが、則之を待ち続けていたある日。
彼女から憂生に電話が入った。
「どうも、私が留守の間にかえってきてるみたなの。
何もかわってないけど、家に入った途端、空気が違う。だから、よく、さがしてみたの」
女房と子供が映った
写真だけがなくなっていた。

今も、どんな思いで写真をみつめているんだろう。

だけど、こんな思いは拾いたくない

沸かす。

高校のときだった。
その頃から、まあ、いわば、相談所。

多少のことは相談に乗ったよ。

だけどさ。

まいった。

「霊に取り付かれてる」

こういうんだ。

おい。こっちは、霊能力者でも、
なんでもねえぞ。
そんなこと、できっかよ。

でもな。

なんとかしてやりてえ。

憂生は彼女が霊にとりつかれる原因を思った。

単に、弱さじゃねえかなってさ?

この、弱さをすりかえれれば、なんとかなるんじゃねえか?ってさ?

で、近所の神社にいったんだ。

けっか。

憂生はわかりもしねえ、霊に
「死ね」
って、恫喝さ。

ところが、彼女は、
「死んでください」
って、はじめから、弱い立ち居地で
お願いしてやがんの。

この、弱さを吹っ切るために憂生は
さらに言い募った。
「おまえは、無用なものだ。死になさい」

けっか。
見えないものが憂生のセにてをかけ、
引っ張る。

だけど、憂生ののどから、出てきた言葉は
「憂生は死なん」
だった。

いいかい?
どっかの霊能力者も言ってた。

人間ほど強いものは無いんだ。

そんな、妙なものにやられるわけは無い。
やられる隙を作ってるのは自分。

よく、かんがえてみないか?

自分なんか。

そうおもったことないか?

自分を捨てたんだ。

かわりのものがはいりこもうとするさ。

何度も言う。

尊いのは自分。

だから、人間のほうがもっと強い。

ただ、どこかで、その尊さを否定したんだ。

自分なんか・・・。

そうじゃない。

いいか。

自分こそ。

自分こそ。

つまんねえものに、座をゆずっていいか?

なあ。

いとしくて、たまらねえ、じぶんがいるだろう。

この自分.
その自分の隙を狙って、いためつけて来るもの。

なんで、ゆるしてやらねばいかぬ?

それぐらいの自覚を持ちなさい。

いいかえれば、貴方はいい。
よすぎる。

だから、ほしがる。
ほしがったら、その弱さにつけ込む。

もっと、尊い自分。
これを自覚しなさい。
そう教えられてる。

わかるだろうか?


*どこかの誰だったかが、

自分なんかって、自棄になってたことにたいして、

書いた記事だと思う。

自分の思いだけの問題だって思っていたら大間違い。

見えない世界でいえば、自分の魂あけわたすような危険な思いなんだってこと。

憂生はコミュニーティでふと、目にした人の「思い」に対して

こうやってエールというか忠告と言うか、そんなことをおくるために
記事をかくこともあった。

そのせいか、不思議な事件やもめごと?相談ごとによく遭遇した。

手相を書き始める前位に細木数子の占いをよむことがあったんだけど

どうも、それによると

憂生の宿星自体がそういう運命と言うかカラーをもっているようだった。

天王星人である。

これによると、不思議ともめごとに遭遇し

不思議と解決してしまうため「乱世の覇者」とよばれているらしく

確かに多くのもめごと?に遭遇し

かなり深いところまで話しあったりすることが多かったうえに

最初にあげたように、見えない部分でも解決?してしまうということがあっったりした。

いっそう、不可思議な事がおきて、

このあたりのことがもとで一時スピリチュアルに傾斜していたことがあったが

このときにおいても、また、もめごと?相談ごと?がむこうからよってくるということがかさなっていた。*


そのあたりでの不思議な話も掲載していこうと思っています。

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たずねそびれた・・2


座敷童子なのか?なんてことを思いながら、ふと、気になったのが、

居間である。

ここは、オーブの群生地で/笑

この居間は以前、ショートに起こした話「彼女の魂が・・・」でも書いていたが

いわゆる、結界じみたものが張られていた。

そのため、悪意?のある存在は入ってこれないようで

白い着物の老人の霊(憂生には見えない。詳細は物語で)は居間にはいってこれなかった。

それで、座敷童子なるものが、居間にはいったのかどうか?

たんに友人についてきただけだったのなら、そのまま立ち去った公算が強いのだが、ひそかにきにしていたところ、

別の友人から、朗報?である。

座敷童子の話をしたところ

「おまえんち、なんかおるよ」

へ?憂生ん家にですかい?

「階段をどどどってかけおりてくる音がしたし、廊下を走る音、ラップ?音みたいなのとか」

それも、ずいぶん前の話で憂生に話したが、信じなかったとまでいわれた。

「う~~む」

内心複雑である。

まず、結界がきいている。と、思い込んでいた時期であり、そこに居るのなら、悪意はない。

と、思っていたのと、ある程度、浄化された場所に逆に寄り付いてくる存在もあろう。

いわゆる神社とかが、逆に低級霊が寄り集まりやすいとか。という、エネルギーの法則みたいなものであり、あと、憂生自体に「元」があるから来る。

憂生自体が寄せてしまう元をきれい?に、してしまえてないということであろうとも思え、信じないとか、信じるとかいう以前の問題として捉えておそらく、今回同様

「う~~~~む」で黙り込んでしまったのだと思う。

と、いうことは、今回の座敷童子は、もともと、憂生ん家にいたものか?

そこのところは、わからないので、

階下の事務所で仕事中のオーナーに話かけてみた。

大まかなことを話しおえると

「そういえば、縁側で誰もいないのに、音がしたり、物が落ちたりしたな」

はい?

「忙しいからかまってられん」

すみませんね。帳簿&事務しか、仕事できず・・・。

いやいや、そういうことじゃなくて・・・。

「いつごろからだった」

正月あけてから・・という返事におよそ、友人が来たころと一致しているのがわかったのだが、どうも、やはり、居間にははいってきてないようだが、縁側とはまた妙。

人間で言えば居間を通らなければ縁側にいけない。

先の論法で言えば悪意があるものは、居間にはいれない。

が、座敷童子は「悪意」ではない。

が、悪戯心は悪意に近いというか。

そのため、居間を通り抜けて?(よけて?)縁側という奥に入り込むことはできる。

また、ここでも、確かに物理的である。

どのみち、憂生の多くのパターンは

本人(人間)が問題を抱えているのを

本人の守護霊かなにかが、気にして

憂生にコンタクトしてくる。

と、いうものだった。

だが、今回、本人(人間)の存在がない。

座敷童子も本人の問題をきにかけて憂生にコンタクトしてきたものとは思えない。

何よりも、あの状況は友人が怖がったのを面白がっていた。

と、とれた。

人さまを思うものにならば、こちらも心をくだこう。

お前のきにかけている「人」の気がかりを憂生がすこしは晴らす役にたつのだろうと

思うところを提示することはできる。

ただ、そういう意味合いでいえば、

本人には、スルーされたが、

人を怖がらせて楽しもうとした友人に心の芥があったのは事実だとおもう。

心霊現象や怪奇現象というものには、やはり、それをひきよせる「元」がある。

こういう意味合いでは、矛盾するせりふになるが、やはり、それなりに、

お前のきにかけている「人」の気がかりを憂生がすこしは晴らす役にたつのだろうと

思うところを提示することはできた。と、いってよいだろう。

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何かの声が聞こえるとか・・2

なにかの声がきこえる・・というものの、


この原因というのが、定かでないが


ひとつに


「御霊が開いている」と、いわれたことがある。


その人自体が人の御霊とは無論、自分の御霊とも会話をしていた。


よく、守護霊だとか、高次元のなんちゃかとかいう言い方をするけれど


それは、御霊にコンタクトしてきたもののことで


通常、御霊(魂とどう違うのかわかっていない、あるいは同じなのかもしれない)との


コンタクトはできないといわれているが


じつは、出来る。


ただ、それを「御霊」からなんだなあとは判らない。


と、いうのは、先にかいたように、自分の思いととけこんでしまう。


自分では自分の思いだと思う。


あるいは、人の口をかりたり、TVだとか、・・実に普通の状態に潜んでいる。


そういうことを気をつけていくと、


ああ、御霊からの伝言なんだとわかるようになるんだと思う。


で、憂生自体が一時期、クラウンチャクラあたりにぼわつきがでていて


そのころに、やはり、他の人の御霊?の様子がわかったり


なにかが、コンタクトしてきて


相手の人とはなしていると、こんなこというときついなあとおもうと


コンタクトしてきているものが、


「いいから、いってくれ」と、はげましてくれて


思うとおりにいうと、


「死んだおじいさんに言われていたことと同じことがでてきたり、


おじいさんに叱られているようだった」


と、涙ぐんでいたり・・・。


と、いうふしぎなことがたびかさなった。


これを逆に考えれば、むこうからは、


自分の御霊が憂生の口をかりていっているということになる。


無論、憂生はそういうもの?になりたいわけでないので


なぜ、そういう状態になるかのほうが気がかりになってくる。


なんで、クラウンチャクラあたりがぼわぼわするんだとww


で、結局、その時期がすぎたあとに


2年ぶりか?ぼわぼわがはじまって


原因はおそらく、オーナーの新しい(中古)の車。


傍によってから、おかしくなって、


死にかけたとかいいながら、自分の家にはいって


自室に戻るころにはもう、へろへろでベッドにはいって

(このときに、女のこの声が響いて、あ、ユニコーンって。で、しばらくしたら、へろへろしたのがなおったので、ユニコーンをしらべにいったら、そういう毒を浄化する力があるらしい)

で、そのときだったかに、夢をみた。
車の下に真っ赤な血だまり。


事故車だったのかなとおもっていたら、


オーナーから報告があって、車事故ってるな。とのこと。


で、その車の傍によると、どうも、気分がわるくなってくる。


で、これじゃあいけない。と、決心したのが


「浄化してやる」ということで、ぼわぼわしたまま、


がんばってきたわけだけど、


最後に、もう一度、その車にのりたいといわれて


それが、一番ひどいぼわぼわ状態だったけど


それで、気がはれたのか、すっきりした。


で、憂生の元というのが、


実は憂生も事故にあっていて、


いわゆるトラウマを抱え込んでいたのだと思う。


自覚がないまま、かなり限界に挑戦するオーナーの運転に


どうしても、怖いとおもってしまう自分がいて


いろいろ、きいているうちに、トラウマがあるな。とわかってきて、


最終的にそのトラウマからか?


怖さだけを見てしまうということにきがつき、


どうすればいいか、オーナーの運転理論などきいているうちに


横に乗ってるだけの自分で、運転手じゃないから怖いということにきがついてきた。


どういう角度で、ハンドルをきるか、このさきのカーブはどれくらいかとか


運転者になってない。


で、そういうふうに、同じように擬似運転してみたところ


怖さがなくなった。


この体験というのかな?


結局、まっすぐ前をみていない。


誰だったかのブログで、F1レーサー(で、なくても)が


コースアウトしたとき、コースアウトしたほうをしっかりみないと


たてなおしができない。ということをかいていた。


怖いとかあっちにもどらなきゃいけないとかまっすぐみないと


本当にコースアウトしてしまう。


憂生がやっていたのは、これに似ている。


どうはしるかというまっすぐまえをみるということをせず


自分のトラウマをみていたwww


ましてや、自分が運転するわけじゃない。と、人にまかせていたわけだ。


そりゃあ、怖いわな。


自分の人生だと考えたとき、人まかせで、どういうふうにあゆむかみようとせず


どこいっちゃうんだろうとか?不安しかもってないわけだから。





長くなったけど、


聞こえるという人も、そういうことじゃないのかな?


聞こえたって、かまわんわけさ。


問題はじゃあ、浄化してやる。って、決意することじゃないかな?


怖いの、どうにかしてくれでなく


自分で変えて見せようという決意をもてば、


御霊は解決への道筋をつくってくれる。


そういう存在がいるのだから・・・。


だから、自分の思いひとつでやっていける。


だから、他のものに依存する必要はなく


自分の思いを強くしていけばいい。



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何かの声が聞こえるとか・・

gooのほうでは、リアルタイムアクセス解析なるものができて、


ここに検索ロゴが表示されたり、検索先アドレスがでていて


逆引きすると、検索ロゴが判るということが、あります。


そこで、ちょっと気になっていたのが


「低級霊」と、いうロゴで検索されているのを何回か見かけたことです。


一応、返事?らしきものは、書いておきましたが・・・・。


その低級霊がヒットした記事は、


男の声が響き(聞こえるというのではなく、自分の中で自分が思っているのに近いけど


自分じゃないと判るという感じで、語調がちがったり、男性だったり、女性だったり)


ー家を売るしかないなーという?わけです。


で、それに対して、だいたい、しばらくあとから3ヶ月くらい後までに、本当かどうか判るということが多くあり


そういう言葉がきこえたら、まず、自分の魂にお詫びをしなさい。


と、いうことをおそわったあとに、


それが、本当のことならば、目に物みせてくるから。と、いわれたわけです。


つまり、うのみにするな。と、いうことでしょう。


うん、うん、うなづいていたら、それこそ、低級霊に差配されますから。


と、いうことで、


そこらへんの説明をとっぱらって、


ー待っていれば、いずれ、真偽はっきりわかる。


魑魅魍魎の類や低級霊のいたずらか・・・ー


ということをかいて、3ヶ月あとに、友人が家から権利書と実印をもちだし


行方不明になっていると女房さんから、連絡があり


ーそういうことだったのかー


ーえ?なに?-


ーいや、実は「こうなったら、家を売るしかないな」って思いがはいってきていてー


と、なったわけで、


その低級霊という言葉に検索がヒットしてきたわけだけど・・・。





実は、こういう「だれかの思い」というのが、はいってくるのは、


ずいぶん前にはじまったことで、


最初のころは、自分の思いだと思っていた。


彼の魂が・・にも書いているので省くけど・・。


で、その彼の魂が・・・の時期あたりに、


声?でなく、気配というのか・・・。


先祖?が、つらなって、おいかけてくるという感覚をあじわって


その恐怖感にまけて、おかしくなりかけていた。


で、師がそれを察して、法具というのかな?


それを用意するのも、聞こえてくる。


ー憂生が危ない。法具を用意するようにーと、まわりの人間に指図するのがわかり


しばらくして、用意ができたのだろう。


すーと、恐怖感がなくなっていった。


その法具というのは、先祖を天に帰らす道筋をつけるものだという。


つまり、普通は、本人の通り越し?で、先祖の遺恨とか業とか無念がはらされて


先祖は天に帰っていくことが出来る。


ところが、憂生自体が恐怖心にまけたり、良い思い方ができなくて


すがってきた?先祖におしつぶされそうになったということ。


そんなふうに、人間そのものをパイプにして、上にあがるようなしくみがあって


そのときに、一種同化して、同じ思いをわかされて


たとえば、怖いとか・・・。


そういう思いにうちかったら、先祖の思いも一緒に浄化される。


ところが、その思いで、狂いそうになるわけだから、


師が法具をたてて、助けてくれたわけだ。


で、彼女の魂が・・で、書いたことなんだけど


その彼女は、「声がきこえた」らしい。


憂生の場合は、低級霊というよりも、


生きている人の思いが入ってくる場合と


なにか、霊が憑いてる??場合とがあって


微妙な区分けが、できなかった。


ちょっと、話を進めたいので、具体的な話はおいておくけど・・・。


さるブログにいったとき、


「声がきこえるのはおかしい。だめだ」と、いう言い方をしているのにであった。


これは、憂生もいわれた。


声が聞こえるのはだめだ。と。


厳密には、自分が思わされるような、響くようなものだ。


と。


それは、たとえば、師が


久しぶりに会ったときにいわゆるハグしてくれたわけ。


すると、-おまえもようがんばっとるなあーと、おもう。


ここが、馬鹿だから、


自分の思いだと思って師に対してそう思うのだろうと思う自分がいて


師によしよしみたいに背中をたたいてあげるwww


つまり、それくらいキャッチしてしまうと自分の思いなのか相手の思いなのか


区別がつかない。


ところが、声が聞こえるというのは、実は憂生にはわからない。


思わされるというのが正解だろうか?


たとえば、意識して頭の中で文字を読む。


ーあ、い、う、え、おー


ー何かんがえとるんじゃあ、こいつー


ー(なんでもいいや)-


と、実際、やってみてもらうと声のようなものがあたまに響いてこないだろうか?


ちょうど、そんな感じで、実は違和感のない言葉だと


自分の思いだとおもいこんでしまう。


それでも、完璧にちがうときがあって


たいてい、それは、すぐに結果がでた。


こういうことをやってきて?おもうことは、


自分に元がなければ、そういうことはおきない。


と、いうこと。


恐怖心にまけたり、自分がおかしいんじゃないか?とかいうのでなく


たとえば、


友人宅にとまりにいって、寝室の天井一面に


ーああ、明日も仕事か・・明日も仕事かーというのが渦巻いてるのがわかる。


これも、自分に元がある。


たとえば、今はなんともなくても、自分が窮地にたったとき


ああ、いやだなあ。ああ、いやだなあ。と、受け取ってしまう自分がいる。


よし、がんばるぞ。という思い方をする人間なら弱音?をうけとめはしない。


だから、声が聞こえるといった彼女の場合も


やはり、自分に元があったわけで


ある意味、そういう声がきこえてくるということは、


自分の「元」を知るチャンスでもあるわけだ。


また、声が聞こえるのが悪いのではなく


それが、本当かどうかを待つということ。


どうしても、沸かされる人というのがいて


最初は泥水みたいなものがでてくる。


すると、そこにもぶりついてくるものがいる。


で、人によっては、それが、恐怖だったりするわけだけど


じつは、それで、また、その恐怖心にもぶられる。


悪循環になるから、


ああ、自分、よくない思いもってるんだなあと詮議してみる。


そうやっていくうちに


だんだん、きれいになってくるから。


変な声がきこえるときは


まだ、自分も変なんだなあって、


そして、耳をかたむけないというより


うなづかない。


実際、憑依されたときなど、自分の思いなのか、なになのかさっぱりわからない状態になる。


そこを考えると、自分の思いだと思い込んでるだけのときがあるわけで


耳にきこえるどころの話じゃないわけだ。


実際、こうやって、かいてることでも、


本当に、自分の思いだとおもいこんでるだけかもしれないわけで・・・。


なにかしら・・。


耳にきこえるということは、


頭にうかぶでもいい。


自分の思いかどうかという部分をよりわけられる癖をつけられる。


きこえたら悪いのではなく


きこえたら、それ、自分の思いか?


自分の思いじゃないものにうなづくな。ってことで


自分を異端者だと自分をいじめず


「本当の自分はどういう思いをもつべきか」


って、ことなんだと思う。

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白蛇と鬼

え~~。

元々。憂生が霊能力者とか?

ある種の能力がある人のところを訪問したのは、

あることを「解明」できるか、尋ねたかったからで、

実際、具体的に何人かの人にたずねてみましたが、

誰も「さにわ」「解明」ができません。

大雑把にいって、3っつあります。

ある神道家が憂生の中にもぐり(もぐっていくようすもつたわってきました)

目が痛くなるほどの金色の光があるとでてきたわけですが・・・。

「あれは、なんなんだ?」

と、逆にたずねられてしまい・・・。

まあ、これは、別段、かまわないことで、

答えにあてがついているわけです。


で、次の時に、もう一度、もぐる。

と、いいだしてきたわけです。

で、今度はどこまで、潜ったのか?

金色の光があったか、どうかはききませんでしたが、

本人も目が痛いとでてきたくらいだったので、

無茶にはもぐらなかったのではないかと思います。

ところが、今度は

「白蛇と鬼」がいる。と、いいだしてきたわけです。

この神道家は憂生が憑依されたとき(と、さえ、わからなかった)

今しんどいだろう?払ってあげるから・・と察知して、ネットのむこうから払ってくれた人であり、

この時に

「大きな赤い指輪をした中年女性だが、こころあたりがあるか?」

と、たずねられたのです。

むろん、ありません。

「ネットでひろったんだろう」と答えたのですが、

後日、亡くなったAさんではないかとおもうようになりました。

時期的にもあっていたのと、払われたため、Aさんの思い・心残りが晴れず

そのあとから、Aさんの心残りだっただろうことを他の人からきかされる。

と、いうことがたびかさなりました。

で、まあ、このあたりは、心残りにあたる部分への感謝を伝え

それ以後、Aさんのことはきくことはなくなったのですが・・。

と、まあ、こういう神道家なので、

「白蛇と鬼」は嘘では無いと思うのですが

ただ、憂生の書いていた物語が鬼と白蛇神というものを登場していたわけです。

この思念を読んだのか?と、最初はおもったわけです。

ところが、いろいろと、物語りと現実が符号してきたり?

他にも、いろいろと不思議なことがおこりました。

友人の写真には、白蛇(龍神?)がうつっており、

これをみると、

「じゃえん・許すまじ」という思いがはいりこんできたり、

こんなことがあったりしたのちに、

逆か?と思い始めたのです。

此方の思念を読んだのではなく、

憂生の中に白蛇と鬼がいるから、

そういう物語をかかされた?

別段、何がいてもかまわないのですが、

それは、以前にもかいたように、

「憂生の魂にはせめて、天津神だなあ」であり、

この神がはいってもいずれでていくか、

加勢してくるかにかえなきゃならない(修養)自分なわけですから、

白蛇と鬼がいたとしても、「居る」理由があるとおもうわけです。

ましてや、外側でなく、内側にいて、

ましてや、神道家がまぶしすぎて痛くて目があけられないという光のある内側にいるわけですから

まあ、そんなに悪いものじゃないでしょ(たぶん)


狐狸の類も心臓にはいりこむということがあったりして、心臓をいじって、発作をおこさせたりすることがあるそうなのですが・・。

これも、元々、弱い箇所であったところに、

信心深いおばあさんが、神社とかで、孫に手をあわさせたときに、

(ようは、神頼みの弱い心の隙ですね)

はいりこんでしまったとのことです。

憂生が何度も神社・仏・霊?その他にうかつにうなずいてはいけないというのは

こういうところにもあります。

自分の魂というのは、たいていの神よりも上にいます。

それが、神頼みをする、手を合わせるということは、

「私の方が下です」と表現しているみたいなもので、

その弱さに他のもの・神・エトセトラが入り込む・とりつく隙をあたえてしまうと

いうことにつながります。


ですが、会社の旅行とか?周りの人間のことを考えたら

「私はいきませんよ」

「いくけど、拍手とかうちませんよ・お参りしませんよ」

とは、やれないわけで。

いえば、「なんじゃ、こいつ」と相手に負の思いをもたせてよくないわけです。

そこで、当然おまいりはします。

ですが、形は拍手をうっても

思いは自分に対して「ありがとう」だったり、

魂に対して「ごめんなさい」とおもうわけです。

で、憂生は白蛇にしろ(龍神)にしろ鬼(金剛武神かとおもうのですが・・)にしろ

自分の中にいてさえも(いるらしい?)

それを拝む気はないわけですから、

むしろ、魂の補佐とか守護にきてるんだろうくらいにかんがえてるわけですから、

自分のなかにそれほどの魂がいるのに、

神社にいって、神様って、あがめる必要がないわけです。


自分の魂のもっている分通りの自分になれたらいいなとおもうわけで。

そういうのがあるので、憂生の場合は神社とか?

こういうところにはあまりいきません。


歴史が好きなので、歴史考察のため、神社などはよくしらべますが、

目的がちがいます。

で、ずれかけた話をもどして、

実際、この白蛇と鬼の正体?はなんなのだろうと

一時期、きにかかり

いろいろ、たずねてみたわけですが、

誰もわかる人はいないようです。

他にも、あるわけですが、

わかったところで、どうよ?

というのもあり、


まっ いいか~~~~。

と、いう結論にいたってますが、

ときおり、気にかかります。


不思議な夢・・


いまだにあれはなんだったろうと想うのが、

不思議な夢です。

白い着物の老人がでてきて、

「死にたがるものは毒をだす。それにふれると、いけない。

どこそこに行くな」

と、とめるわけです。

で、その言葉自体から「悪い思いが悪いエネルギーをだしていく」

って、ことが本当だったということがわかる現象を見ることになるし、

師のほうからも、「それはほんとうのことだよ」

と、おしえられたのですが・・・。

この夢の老人。

仙人のような、あるいは、役行者のような感じだったけど、

ものすごくひややかな・・。

怖いというのとは違うけど、それににたような感じだった。

どうも、はいっちゃいけないところに、はいりこんだような。

そんなかんじでした。

で、まあ、だれじゃろうとはおもうものの判らない。

で、わからないものはわからない。

そこで、かんがえていくことが、

「悪い思い方をもっていたって、自分だけのこっちゃあ」

と、いう考え方ではいけないってことでした。

想ってるのは自分だけなのに、

その余波でまわりがおかしくなる。

これをひっくりかえせば、

「良い思い方をもっているけど、自分だけのことだ」

と、いう考え方もくずれるということです。

想ってるだけなのに

その余波でまわりが良くなる。

当然、こういう事も起こりうるわけです。

だから、悪い思い方はさっさとぽい!!

良い思い方はつたえようとしなくても

つたわる。

ふと、相手?がきがつくとか・・。

こういう事もあるので、

請われるまで、放置しておいても大丈夫という思いがあります。

あくまでも、問題は自分が「良い思い」をもつこと。

日夜悪の思いとたたかう、憂生レンジャーは

影でやっといて、

良い思いはエスパー憂生になって、

「想う」に徹する。

これが本当かな・・・と想うのですが

いかんせん

「しゃべり」です。

最初に・・・

え~と、まず、いくつかの事実を掲載していくにあたって
・・・・・。
なんて、いったらいいんだろうかね。
憂生が創作談義や歴史を齧ってみるとか・・物語とか
さも、わかっているように書いてるところに、
いくばくか、気分を害されている人がいるかもしれない。

たとえば、憂生の作品を読んだことから、心を閉ざしていた女性が心を開いていった。

など、非常におこがましい言い方だと思う。
こういうのも、それなりの裏話があって、またぼつぼつ掲載していくけど・・・。

今でこそ、なくなっているが
当時、「人の思いがはいりこんでくる」ということがよくあった。

たぶん、その話も不思議な話の中に保存してあったとおもうから、
同じ話がでてくるとおもう。

ある日。
どこにすんでるかもわからない、あったこともないネッ友が自殺しようとしてるのが、つたわってくるんな。
つたわってきていながら、自分でも「本当だろうか?」っておもうわけ。
でも、本当だったら、たいへんなことだから
きつねにばかされたとしてもええわい、と、とにかく念をおくったわけだ。
「生きろ。死ぬな。生きろ」
ず~と1~2時間念をおくりつづけていた。
時間の感覚がないほど、念をおくっていたから本当はもっとみじかかったのかもしれない。
念をおくりつづけているうちに
「あ、もう大丈夫」って、思ったんな。
感覚的には入水自殺。そこまで判っていた。
で、ネッ友のブログを開いて待ってたん。
おかしいなあ。もう、帰ってきてるはずなのに・・・。
と、そう思うんだけど、ここがぼけちんで・・・。
入水してかえってきてたら、普通、風呂とか着替えとか・・先にするやろ。
画面の前で30分ほど待っていた。
チャットが開かれて、ネッ友が文字をうちこみはじめた。
ー会社の帰りに・・・大沼にはいってな。頭、冷やそうと思って・・-
ーわかってた。もっと、はやく、かえってきてたろ?-
ーうん。風呂あびてた。ぐちゃぐちゃやったからー
おそらく、沼につかりこむまでは、もう、しんでしまおうかとおもっていたのだろう。
ー冷たくてね・・・。生きていたくないなっておもってしまうのが、とれたから、あがってきたー

理周の中でもこういうのをあつかっているけど
本人が頭ひやすだけのつもりでいても
たとえば、底の泥に足をとられたりして
死のほうが友人をひっつかんでしまうことだってありえる。

まあ、無事で、未遂?ですんだことなんだけど・・。
こんな風に思いを拾ってしまうなんてことがよくあった。

多くはそういうところの話が多いんだけど・・・。
そのあたりが、なんとなくわかってしまって
かなり、断定的な判断?をしてしまうということがある。

それが、先にかいたところにつながる。
さも、わかっているように書いてるところに、
いくばくか、気分を害されている人がいるかもしれない。




センテンス

先日、なが~~い地震雲を発見した。

同乗していた人に、

「あれは、地震雲」だということをはなしたら、

「それが、地震雲だとしても、

あれがあるから、地震がおきると考える。

その「思い」が悪い」

ああ、そうかもしれないと思った。

自分の中で人に対して、悪い予感がしたとき、

憂生は「そんなことはおこらない」と、

否定したときがあった。

実際、その予感はあたっていて、

事故は回避し、ことなきをえた。

逆に悪い予感がしながら、

それが、本当にそうなるか、わからない。

逆にその予感があたると考えることがおかしい。

と、おもいながら、いちかばちかで、

その場所にいくと、

交通手段が欠航になったり・・となっていた。

実はいやな予感がしていたのだ。

事故をおこすんじゃないかと思っていたんだ。

と、口にすると

友人も実は自分も思っていた。

と、かえってきた。

憂生はこの予感というものも、

ひとつのエネルギーだとおもうんだけど、

これが、そのまま、現象にむすびつく場合と

むすびつかない場合があるというきがしてきた。

その予感自体がもともと、あたらないものでしかなく、

不安をみていたというかんがえもなりたつけど、

ひとつには、パラレルワールドをのぞきこんでるのだろう。

なにかしらの原因がひきおこす、いくつかのパラレルワールド。

いくつかある、パラレルワールドのなかで、

もっとも、近いのが、「未来」だろう。

だが、未来はかえられるときがある。

かわってしまったあとからみれば、

予感ははずれている。

だが、予感がしたときには、

「未来」をみている。

その「未来」をかえるセンテンスとはなんだろう?

少し、考えてみたい。


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オーブが護っている?

先日から、あちこちにでかけていて
まあ、写真に変なもの?がうつってしまったりwwww
オーブは家の中にわんさか、いて、
嫌な気配というのではないのですが、
何で、こんなにうつるん?と思うばかりです。

で、でさきで、取った写真に写っているオーブですが、
当然、あとで写真をみてきがつくというものなので、
そのときのその場所のそのときの思いというのを
なかなか、思い出せないことがおおいのです。

おもいだせないながらも、
やはり、なんとなく、ああ、それでかなというあとのせ?
こじつけみたいな「思い」はでてきます。

建物の反対側、100mくらい離れたところから
なんとなく、その建物がきにかかっていたのです。
そして、
すでに、そこには他の人がのぼっていて、
それをみながら
のぼってみたいという気持ちと
「よく登れるなあ」
と、いう気持ち?がありました。
よく登れるなあというのは、
この暑いのにというのとはちがう
なにか、上りたくなるけど上らないほうがいい
と、いうのに近かったかと思います。

何せ、ほんのいっしゅん、思った思いで、
ナゼ、そう思うのだろう?ということを
考えたわけではないわけです。

で、その建物の近くによってみてたとき
木組みをくんで、丁寧にこしらえた職人技のものだとおもったわけです。
ところが、一緒にいった友人は、
ほんものじゃなかろう。
木でないんじゃないか?というので、
本物だよ
と、近くによっていって、写真をとったわけです。

日本の建築にみられるほぞとか、
この仕組みとかは、本当に
よく考えられてると関心するものです。

見事に作ってるよ。と、友人が写真におさめたのですが、
たずねてみたのです。
「上まであがる?」
すると、
「いや。あがらない」

ここのところでも、
自分で好奇心?で?周りの風景みたいとか?
上にあがってはいけないなあという感覚があったので
他の人の「答え」にしたがったほうがいい。
と、いうおもいがあり
あがらないといわれたときに
ーそのほうがいいんだなーと考えた覚えがあります。

割りに霊媒体質のようで、
めちゃくちゃ高いところから
下をみていて、
こんなきれいなところでも、
悲しい思いをもった女性とかなら
とびこんでしまうんだろうか?
と、おもっていたことがあったら
ちゃんとwww
女性らしき人がぼんやり写っていました。

つまり、そういう存在がきたから?そう思ったか
あるいは、そう思ったから
同調してきたのでしょう。

それと同じで
おそらくその建物をみて、
すばらしいつくりをしている。職人の魂かんじる。
と、いうのがあったので
それにちかしい「思いをもつものが」写りこんだのだと思っています。

ただ、どうして、上ろうとおもわなかったか。

いや、厳密には上りたいけど上らないほうがいいとおもったのか。

まだまだ、精神的にふわついていた状況だったので、
良くなかったなと思うのです。

過去、似たような状態になっていて
なにものかが、どうしてもこちらにあかさないということがあったのですね。
先のことをいいながら、「むごくて、いえない」と口をとざすわけです。
そのときに、もっと高い場所にいけばわかるというおもいがして
まあ、今思えばそれは、SP的にいうもうすこし高い次元のものの見方が出来ればわかるということだったとおもうのですが
その当時は言葉のまま
もう少し、高台にあがることにしたのです。
すると、あるヴィジョンがわいてきました。
もうそれ以上は無理なんだなとわかったのですが、

たぶん、その建物にあがったら、
なにかしら、もうちょっとわかって
それはそれで、よくないというか・・・。

あと、写真からかんがえれば
あがると、そのオーブを足元に踏みつける形になるわけでもあります。
なにか、よくわからないまま、
彼らもなにか、そこをまもっているような?
聖地にしているところもあり
そこにおかまいなしに入ってはいけなかったのかもしれません。

と、いうのも、ちかくの沼でもたくさんのオーブをとったことがあるのですが
そこでは、おぼれた子供を助けようとしてなくなった方がいて
なんとなく、その思いをなぐさめようとするかのように
オーブが、あつまっているようにおもえたことがありました。

そういう、何らかの意志をもってあつまっているということもあるようにおもえます。


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思うままに・・・


低級霊ってので、検索していらっしゃる人がいて

ちょっと、きになっている。

実際、憂生自体が、憑依されたこともあるし、

不思議と払ってくれる人があらわれたんだけど

その一回目に憑依されたときは、

いわゆる霊能者みたいな状態になって

何時何分に、なになにがおきる。

などということをずばずば、あてる?という

あほげた状態になり

そういうのが、見える人のところにいく途中だったわけだけど・・・。

行ったとたん

「おどりゃあああ、どこの狐・狸じゃああああ」

と、一喝!!

逃げ帰ったらしいですが

どうも、ようは、「国津神」であったらしく、

つまり、霊能力者さんとかいうのは、

こういう低いほうのレベルの霊の力をかりて

霊能力を働かしている場合もあるわけです。

で、そのときにいくつか、教えられたのです。

まず、自分のレベルとおなじものがよってくる。

そして、

「憂生の御霊(みたま)には、せめて、天津神じゃないとなあ」

と、いう言葉です。

この言葉から、天津神って、なんだ?

天津神なら、まだしもで

国津神じゃだめだというのは、どういうことだろうとかんがえるようになりました。

国津神というのは、

たとえば、うせ物さがしとか?

病気治しとかしたり、

困ってる人をたすける「良い存在」におもえます。

ところが、

おそらくですが、

この国津神というのは、

人の魂を自分のものにして、使いまわすという部分があるのです。

そのために、魂に穴をあけて、はいりこんでいくため

その魂は蜂の巣みたいに穴がたくさんあいて

本人の身体も精神もおかしくなるそうです。

つまり、国津神のレベルが低いというのは、

自分のためなら、人間がどうなってもいい。

と、いう勝手な考えがあるからです。

そして、おそらくですが、

天津神というのは、その人の魂を成長させることを目的としているところが多いわけです。

もちろん、その人の魂を成長させるということを目的にしていたら

目の前におきることが、良い風になっていくわけではありません。

魂=思いとかんがえてもらったら、判るわけですが

人を憎む思いをもっていたら、

そのうっぷんを晴らしてくれるというわけでなく、

ーおまえ、ろくでもない思いもってるぞ。

それは、こういうことだー

と、逆に自分がどんどん、憎まれる状況におとされて

自分に気がつかされる。

と、いう、手厳しいことなわけです。

それを、たとえば、自分は低級霊にとりつかれてるから

そうなったんだ。と、思ってしまいがちなのですが

実際のところは

自分の思いが、事象を作っていくわけです。

そうなると、

低級霊なのか、高級霊なのかという問題でなく

自分以外のものが、

取り付いてくるという、ところに

自分が、それらをとりつかさせた元があるんじゃないか?

と、

考えるようになったわけです。

なぜ、国津神がとりついたか?

ー困ってる人を助けたいー

と、自分を美化したいところがありますが

簡単にいうと、

ーすごいことをいって、認められたいー

と、いう

自分を良くしていこうという結果でなく

てっとり早く、認められたいという

その方法を?自分の努力でなく

辛いことにもがんばるでなく。

そんな思いがひきよせた部分もあると思います。

別の側面としては、

憂生の御霊を、国津神がつかいまわしてやろうとした。

と、いうことも考えられます。

つまり、相手が悪いのでなく

自分に悪いところがあったとかんがえたら

低級霊も高級霊も

自分を教えてくれる存在なわけです。

イーチン さんの記事、金縛りをよんで、

イーチン さんの記事、金縛りをよんで。

憂生はいろいろ不思議なことがあるひとだけど、

実は金縛りにあったことがない。

憑依も金縛りもにたようなものだろうとおもうが、

憑依には恐怖感がない。

見えない人だから、なおさら、恐怖もないのだろうけど、

憑依はこっちの意識をあやつってしまうので、

もっと、たちがわるい。

でも、こういう人間だから見えたの見えないのという相談がくる。

で、これは、憂生のおふくろが、

(酒豪である・・よっぱらったすえ)

壁に出来たしみがおじいさんにみえると

おびえはじめ

憂生もぞ~~~として、「渇!!」なんて気合をいれて、

払う?ようなことをしたとおもう。

そのことを師に相談したら一言のもとだった。

「おじいさんがでてきて、なんでこわいの?」

ま~~見事に目からうろこがぽろり。

ようは、「怖いのは自分が怖いんだ」と師のいうとおり、

本当は何の目的ででてきてるか、わからないわけで・・。

理由をきけたら?

なんだ、そうか・・・ってことでしかないかもしれない。

思いをわかってほしかったとか?

心配してきてくれてたとか?

判らないから概念としてもってる恐怖感が生じ

こわがってしまうだけで、その存在自体はなにも怖いものではないのかもしれない。

ただ、判らないということが恐怖をうみだす。

このことは例えば、宿根の星、幾たび・・でもつかわせてもらったけど

例えば海で泳いでいて、足がつくところでは恐怖心をもたないが

沖に出て深さがわからない、つかまるところもない、

とたんにぞっとすることがある。

これににたようなもので、判らないから怖いということもあるわけで・・・。

で、イーチン  さんの記事、金縛りをよんで、最後の〆がこの「怖い」をふきとばしてるとおもうんだけど・・。

友人からこの怖いをふきとばす別の話をきいた。

おばあさんの霊がでてきて、金縛りになった男の体の上にのったらしい・・・

「どうせなら、若いねえちゃんのほうがいいのに・・」

逆に若いねえちゃんがでてきたらしい。

金縛りになった男の体の上にのったらしい・・・

「手がうごかねえ・・おっぱいさわりてぇ~~~~」

幽霊の方が邪悪な思いに閉口して消えたとか・・・。

あんがい、こんなものなのかもしれないと思った。

続きを読む

黒い思い・・・

もう、話してもいいかなと勝手に判断する。

さる場所で、さる人とメールをかわすようになって、しばらく、

例の「じと~~~ん」が、おきた。

今までの経験から、なにかしら、「黒い(暗い?)思い」をもっていると考えた。

自分への否定観というのかな?

生きる気力をなくしてるとか?

なんらかの心因性外傷をうけてるとか?

なにか、憑き物がいる・・とか・・。

まあ、原因はいろいろあるとおもうんだけど・・。

この憑き物というのも、一般に言う霊的なものだけでなく、

凝り固まったものや自分を縛る固定観念や心因性外傷によるトラウマなども含むと想う。

その人のかたくなな、防御が攻撃にすりかわり、自分の不安感が猜疑をうみ、

ヒステリーに近い感情爆発を産む。

過去、なにかあったんだろう。と、想っていたのが本音だ。

成長しきってないだけだという意見も考慮するべきところだろうが、

これもアンダーチルドレンの爆発にも思えた。

結局、憂生は彼女の魂を呼んで見た。

墨絵のような斑模様で、墨のほうが多いから、ほぼ黒に感じた。

こないかと想っていたが案に相違して、憂生の手の中につつまれた。

で、しばらく、暖めておいて、帰した。

ソノ後から、その人がかわったのは、以前に書いたと想う。

思い方というものが、針のようなエネルギーを発し、

人に対し、攻撃的になってしまうだけなら、まだしも、

実は魂まで侵食されてしまう。

幸い?

外側の気の部分だけだったんだろう。

だが、この侵食された魂が、逆に黒い思いに居心地の悪さを感じて

「黒」をひきはがそうとする。

当然、自分の中の物が自分の「黒」をひきはがそうとするわけだから、

外側の自分に気がつかせなきゃいけない。

魂の環境が変わらないのだから。

すると、余波(気がつかせようとする)が起きる。

外側の本人はいっそう、「黒」の思いをうかばされる。

ここで、これは、自分の思いでなく、「貴方はこんなことをおもってるんですよ」と

魂からうかばされてることに、自分の感情がひっかかってしまっているんだと気がつければいいんだけど、そこのところが、実に見事に感情と融合するというか、ふりまわされてしまうというか・・・。

結局、これが、時折言う「沸く」ってことなんだけど、

その人の場合、なんだろう?

憂生のところにきて、魂が安心した?

それで、黒い思いがすっととれて、かわっていったのかもしれない。

ところが、通常、こんなことまで、することはできないわけで、

本人がきちんと自覚しなきゃ、また、黒い思いをへばりつけさせてしまうわけだから、

魂の黒をどうにかするのは、自分自身でしかないわけだ。

その「黒」を自覚していくためにも

「晒せ」っていうわけだ。

自分でさえ自覚できない思いをどうやって、是正できる?

晒していくうちに、自分でも澄んで来るから、もっといい思い方が沸きあがってくる。

「晒す」ことは厳しい。

嫌な思いや悲しい思いとむかいあわなきゃいけないし、

うっかりすると、ソノ思いにまた、揺さぶられる。

でも、そのままでいいから、「晒す」

その作業は、自分にとって悪い結果をつれてきはしない。

たずねそびれた

どうってことないんだけど・・・。

 いつものパターンでないため、関心しきりというのが、本当のところかもしれない。

 
友人がかけこんできたのが、10日以上前だったと思う。

 なんでも、友人は友人の友人宅でホラー映画をみていたそうである。

 そして、コタツでつい転寝をしたところ、何者かに乗られたと・・・。

 いわゆる、金縛りにあったらしく・・・。

 腹立つの、怖いの、きしょいの・・・といろいろ、内情をおりまぜて話をしてくれたところによると

 どうやら、友人宅のほうに、女の子の幽霊?の目撃談があったのである。

 友人は、そういう類については、無頓着なほうで、どうも、生首が転げていったようにみえる(え?)という場面に遭遇したときも、猫か?と確認しにいったという・・・。

 当然、猫がいるはずの場所に猫はおらず、繁華な国道沿い、隠れる場所は街路樹の根元の一点しかない。

 なにもない。

 ?????。

 で、おわったそうである。

 後日談として、その場所は脳挫傷で死亡の交通事故があった場所と一致していたそうである。

 まあ、こんな友人なので、友人宅での金縛りの犯人?は女の子の幽霊ときめかかり

 あまつさえ、女の子は座敷童子で、紫の着物をきてる・・・。

 (ざしき・・なので、「しきちゃん」と命名したらしく、しきといえば、式部・・紫式部という連想のようにおもえた)

 そして、あ~のこ~のとしゃべってるところに「友人宅」から、電話がはいってきて

 まあ、ゲームの話やなんやかやとしゃべくりはじめたので、こっちは、マイパソコンにむかうことにし隣室にまいもどった。

 すると、しばらくすると

 「まただ。邪魔しやがる」と、ぶつぶついいはじめる声が隣の部屋からきこえてきた。

友人いわく、

 「座敷童子が邪魔して、電話をきってしまう」

 おい!おい!おい!

 まあ、被害妄想だろうともおもわぬでもない。

 憂生自体、何度か書いたように、いろいろと不思議な事象を経験しているが

 実は物理的?な事象というのは、「雨ふらせてみろ」で雨が本当にふってくる。

 と、いうのと、ほか、2回ほどしかない。

 金縛りにあったこともない。

 そんなに、簡単に電波ジャックしたり、のっかったり、時に音をたてたりとか・・電気を消したりとか・・・できるもんじゃろうか?とおもわぬでもない。

 が、そういえば、友人がくる本の1分前ほどに、突如パソコンがシャットダウンしたのも事実である。

 「ホラー映画みたのがいかんかったかなあ?」

 と、いう友人に憂生は「そうだろうのお」と答えておくしかなかったが

 ふと

 「お前そういえば、別の友人に怖い映画みせてこわがらせておもしろがっておったということはなしておったな」

 「うん。それが、なにか?」

 「う~~ん。つまりだなあ・・・」

 憂生の持論である。

 【元がないものにひっかからない】

 つまり・・因果応報というか・・。

 「おまえの中にもともと、「こわがらせてやろう」と、いう思いがあったわけじゃん」

 「ふむ?」

 「座敷童子も「こわがらせておもしろがってる」「いたずら」って感じなんだよな。

 だから、お前の「こわがらせてやろう」に同調してしまうというか、ひっぱってしまう。

 因があるわけさ」

 「う~~~~ん」

 不納得の長い返事のあと、また、「友人宅」から、友人の携帯に電話がはいった。

 忘れ物あったんで、とりにいってくると、仔細をつげてくれると、友人は階段をおり、

 玄関にむかっていった。

 玄関のドアががらがらと音をたておわった瞬間だった。

 場所はちょうど、階段のあたり。

 「きゃらきゃら」

 と、4~5歳くらいの女の子の笑い声が響いた。

 断じて、友人の声でない。

仮にそんなかわいい声をたてられたとしても、玄関をでていて、

 階段で響くわけがない。

ふ~~~~~~~む。である。

 
憂生自体、いろいろとキャッチする人間だが

 そのキャッチはいつも、自分の内部でおきていた。

 たとえば、「あいうえお」と頭の中で思ってみる。

 なにか、声?のように響く感じにならないだろうか?

 そういう感じで「別のもの」がはいりこんだかのように、音が響いてくるときがある。

 ときに、自分が思ったとおもいこんでしまうのであるが/笑

 完璧に違うときもある。

 女の人の声だ。男の人だ。という具合だったり、

 年齢(若い。老いてる。)がおぼろげにわかったりする。

 

ちなみに

 「ただいま、なくなられました」

 と、いう話では、女の人で、同僚の母上が亡くなられた時間と符号していた。

 あとからであるが、おそらく、看護婦の思いをひろったんだろう。

 あるいは、同僚のショックがそのまま、こっちにつたわってきたか。

 まあ、あげれば、きりがないし、すでにおおかたは、かいてるのでおいておくが、

 まあ、このように、自分の中で自分の思いのごとくに響くのが主だった。

 

ところが・・。

 今回、まじ、自分の外で響いた。

 つまり、物理的に音をたてていたのである。

 

ある程度、友人などなど・・。

 幽霊をくっつけてきたりしてると、ときに、なんとなくわかる。

 憂生は見える人でなく、「なんとなくわかる」タイプで、

 このあたりも、すでに書いているので省くが

 こんな人間なので、「なんとなくわかる」というのをすりぬけて

 笑い声までたてていくというのは、いかなることだろうとおもうのである。

 

で、ぐぐってみた/爆笑

 なんだったかな。

 質問に答えるコーナーだ。

 そこにかかれていたのを読んで、納得することにした。

 「座敷童子は妖怪です」

 

幽霊ならば、なんとなく、わかる。

 生霊なら、それをみた守護霊かなんかが、知らせてくる。

 (思いの中に入り込んだ響くで、「成仏しろ」なんてことをおもわされたことがあった)

 だいたい、妙なものならば、しばらくのちに正体?をみせられる。

 ちなみに成仏しろのときは上司の姉が人事不詳でさまよっていたようで、

 即、上司に電話がはいってきて、正体がわかった。

 

今回もその法則?でいえば、正体をあかしていったのだろう。

 きゃらきゃらと笑い声をたてる4~5歳の女の子・・・。

 座敷童子かどうかはしらんが

 いつものパターンで察知できないで、外にいる(憂生のそばによれない)のに

 物理的能動をおこすことができる。

 

つまり、妖怪であろう。

 だから、女の子の声をたてた幽霊?は妖怪だろう。

 だから、三段論法。

 女の子の幽霊?は座敷童子の類だろう・・・。

 ちなみに、座敷童子があちこちうごきまわるかどうか・・。

 座敷童子であるという確証がないのであるが、動く、人についていくことがあるという。

 そういうことだったら、ちゃんと、たずねてあげればよかった。

 

「なんか、ようかい?」

物語から思うこと・・・

実話からおこした,物語(に、したてられていないが・・)を、ふたつ、あげた。


これ以外にも、実にいろいろ、不思議なことに遭遇しているのであるが、

まあ、ここから、学んだことというのは、


結局、思いが救われないとどうにも成らないんだ。


と、いうことだと思う。


憂生自体がこういう奇妙な能力があるということは、

まあ、また、いろいろ、考える事があるんだけど、

死んだ人間とて、

生きている人間のやりようで、思いをかえることができるという

コンタクト部分があるわけであるが、

もっと、いってしまえば、

死んだ人間とて、思いをかえることができるのなら、

生きている人間にはもっと、チャンスがあろうということである。



よく、自殺すると苦しいという思いがついて、一瞬も離れることがなく、

もっと、苦しいという。

生きていれば、どんなに苦しい事があっても、

瞬間であっても、別の思いがはいる。

おなかがすいた。とか、

トイレにいきたいとか、

必ず、苦しいとは別のことを思う。


ところが、自殺は苦しい思いが一瞬もはなれないそうである。


が、ある霊能力者の話を読むと、

自殺者の大半が

自殺者の亡霊にとりつかれて、

自殺を選んでしまっている。と、いうのである。

だから、自殺者本人はなんで死んでしまったんだろう。

本気で死んだりするほどのことじゃなかったという。

らしい。



つまり、最初の↑の話に関わってくる。


彼の場合、事故で、本人は死んだことさえ自覚していなかったが

仮に彼が自殺で苦しい思いのままだったとする。


そこに、たとえば、憂生が死にたいと思っていたとする。

波長があうので、彼が同調してしまう。

すると、憂生の死にたいが、彼の死にたいと重なり

もっと、死にたいと思うようになる。

それでは、彼の思いは救われない。

憂生がすることは、それでも、生き抜いてみせる。と、いきていくことを見せることである。

そこで、彼がきがつく。


ちゃんと、いきようとしなかったから、死んだんだ。

こんど、生まれ変わったら、きちんと、いきぬいてみせよう。

と、思いが救われていく。



浄化や除霊というのは、

払うだけの事が多く、幽霊・亡霊はその人から離れるだけでしかない。

とか、

そういう人をまきこむことをして、能力者によって、払われると

地獄?におちるとかともきく。


これが、また、逆恨みをうんで、危険なのだともかかれていた。


実際、憂生が、ある女性に憑依されたとき、

神道家の友人がきて(ネット交信で)

いま、しんどいだろう。

憑依されてるから、払ってやる。と、はらってくれたんだけど・・。

(で、そこで、中年の女性だとあかされたわけである)


ところが、この女性に思い当たらずにいた。

そして、しばらくのち、別の友人から

ある女性の遺恨をしらされることになった。


憂生への好意といって良いと思う。

ここで、はたっとおもいあたった。

その好意をわかってほしい。

それだけじゃなかったのだろうか?と。


で、あるのに、払われ、

(確かに憂生はしんどかった。ぐらぐらした幻惑感と肺炎ににたしんどさがでていた)

彼女の思いは宙をさまよってしまったのではないだろうか?


そこで、憂生なりにやったことは、

「思ってくれてありがとう」という思いを

言葉にだして、彼女の霊?に(みえもしないが)つげることだけだった。



それで、彼女の思いがすくわれたのか、どうかまでは憂生には判らない。

とにもかくにも、知らずのうち、見えない世界の住人の余波をかぶることは

だれにでもある。


そのことを考えると、

今、苦しいという思いも、すべて、自分のものであるとは、限らないし、

それをのりこえていけば

見えない世界の住人をも救うことがありえるのだということ。



そういう意味合で、霊能力者などの力をかりなくても、

自分自身で、払うどころか、

救うということさえできるんだということ。

そして、最初にかいたように、

死んだ人間とて、思いを変えていけるのであるのなら、

生きている人間はいくらでも切り替えるチャンスがあるということである。

思うままに・・12

憂生は実は落語が好きな人間でありまして、

さっこん、聞くことはなくなっているのですが、

落語の中には、実は、奇妙な実話を題材にしているものがあるのです。


ふたなりという

男女共生?みたいなことが、ありますが、

オリンピックなどで、有名になったり、

昨今では、性同一障害と混同されやすいのですが、

外見は男性なのに(女性)なのに、

異性の機能を具有しているということがあり、

本人もきがつかず、オリンピックにでて、セックスチェックで

判明したのだとおもいますが、

このふたなりをモチーフにして落語でもあつかっているわけです。


なかでも、落語を先にきいていて、

それが事実なのだとしらされたときというのは、

目が点になります。


元犬という落語があるわけですが、

これは、

「おもとさん」という女中さんが犬だったときに

人間にうまれかわりたいと願い、成就し、人間にうまれかわれたのですが、


女中奉公ですから、だんなさまはいばったものです。


おもとさん。おもと、などとは、呼びません。

もと、と、よびすてです。


だんなさんが用事をいいつけるのにおもとさんをよびつけるのですが、

転寝でもしているのか、なかなか、きません。


「もとや?もと?」

よべども返事がなくしかたなく女中部屋までいきます。

さすがに大家の主人が女中部屋にまでいくのは、

はばかられ、ふすま(板戸?)の前でおもとさんをよびます。

確かに転寝していたのが、おもとさん。


だんなさまの声にめがさめます。


「もとや?もと?もとは居ぬか?」


それをきいたおもとさん、びっくりぎょうてん。

「へへ~~~~。おみそれしました~~~」

って。言う落ちなんだけど・・・。


説明いりますか?


・・・。


だいじょうぶですね。



で、この犬の話。


なんでも、白い犬は人間に生まれ変わりたいとおもっているのだそうです。



思っているから、白くうまれるというべきか・・・?




言い伝えとか、伝承とかいうもののなかに、本当のことがあることがある。

と、いうのが、歴史を齧ってみるの憂生の持論なのですが、


実際、不思議な経験をしている憂生である部分もあって

(魂がくるのがわかるとか・・)


たとえば、大物主の和・奇御霊が大国主命の眼前にあらわれるという話がありますが、

これも憂生には事実でしかないわけです。


*大国主命の前にということでなく、和・奇御霊の存在のほうです*


まあ、このようなことからも、

歴史を紐解くときに、こういうスピリチュアル(と、いうとちがってくるんだけど)的解釈。

裏返せば、人間の信仰心?とかを考慮しなきゃみえてこないところがあるとおもうわけです。


そして、話がぞれますが、

神・仏・霊・・というものについての観念は伝承などや、神社仏閣エトセトラで、

意識化されて把握しやすいのですが、

もっと、大きな概念があるとおもっています。


多分、日本独特だとおもいます。



「天」です。



至誠通天


敬天愛仁(ちょっと、どわすれ・・南州公の言葉だとおもいます)


天網恢恢祖にしてもらさず


天知る・地知る・人知る


などなど、その観念は天であるだけに描きようもなく造作できず、

表現したとしてもそれは天ではなくなってしまうわけで・・・。


こういう意味合いで、天という概念・意識は感情や考えなどなどにとけこんでしまってるわけです。


神様とはちがいます。


神は示す申すなのです。


天はいわば、森羅万象そのものににています。


容赦ないというか、厳しいものであり、恩恵深いものでもあるとおもいます。


そして、人間の誠をみるのが天でしょう。


お願いをきいてくださる便利なお方ではないわけです。


自分が誠であるかどうかを量る定規をもっているのが天だというかんがえですから、


神頼みみたいな、「誠」をとわれたらいかなるものや?と

いうものはつうじないわけで・・・。


天から見たらという尺度で逆に

天は我らをみはなしたか(八甲田山・死の彷徨)というせりふのように、


自分達が本物であったら、天に通じるはずだということですから、

その科白の裏に、「良くなかったのだ・我らがまちがっていたのだ」という

悲しいきずきがあるわけです。



これは、いつだったかにも書いたことですが、

憂生の思いの中に土佐弁がまざるので、龍馬かい?とおもっていたわけです。

(ま~このあたりは、個人の思惑なので、笑ってやってください)


で、龍馬という人は天にのぼれたのだろうか?


と、おもったわけです。



すると、師が答えをだしてくれました。


「天の役にたった龍馬でも、死に様はあんなものだ」

と、いうわけです。



間違いなく維新の立役者であり、天の思惑に叶う偉業をなしとげているということでしょう。



ところが、無残に暗殺されるわけです。


長いこと、不思議におもっていました。


憂生なりにかんがえたことは、行動は天の思惑に合致していたが、

龍馬の思いは誠じゃなかったということだとおもうのです。



もちろん、天から見たときです。


そこがどこか・・・。


かんがえていたわけです。


龍馬の公武合体などの考え方。

国をひとつにまとめるという考え方の裏に

「早く、日本が建国?して、世界貿易をはじめたい」

と、いう、いわば、私利私欲というか、

順序が逆だったわけです。


つまり、本当に誠であれば、この国をなんとかひとつにしたい。だけなわけです。


そして、一つになったら、いつのまにか、世界貿易ができるようになっていた。


いわば、ひょうたんから駒みたいなものですが、

これを底にあてこんで、公武合体・国をひとつにというのは、

いわば、自分の為に国を利用する思いととることができるわけです。


〈批判的にかいていますが、憂生の好きな人間はこの、坂本龍馬と大久保利通などです)


こういう事が今狂いはじめ、

誠が先でなく、あとから、誠次第でついてくるものを先にあてこむ。

先取りするという、神頼みになってしまっていて、そこが残念なわけです。


誠であるかどうか。

これを量るのは天なわけで、

ここの誠を尽くすというところだけが、人間にできることなわけです。


そこを、忘れて、いやしまいかと、

「天の役にたってもあのような無残な死に様だ」ということなのだとおもうわけです。


ですから、何度も書きますが、

パワースポットに行こうなどと、いう考え方を推し進めるのが、

「誠」だろうかとおもうわけです。


自分の思いが誠で在るかどうかをみきわめるということが大事だと思っている憂生が

神頼みをしないのも、当然なわけです。

思うままに・・13

そういえば、大事な事をわすれていました。


さるところに住んでいる時、

階下に霊能力者がすんでおりまして、

このことで、

尋ねられた事が在るのです。



「おまえは、そういう人とあって、しんどくならないか?」


と・・・。


当時はこれといったしんどさをかんじなかったのですが・・。


最近はひどくしんどいのです。


その当時にきかされたことは、非常にもうしわけないことですが、


「霊能力者はレベルが低いから、こちらのエネルギーをすいとるんだ」


と、いうことでした。


吸い取るという言い方は少し違うと思うのですが

水が高いところから低いところにながれこんでしまう自然現象だとおもうのですが、

霊能力者の多くは

霊界という次元の低いところと接触しています。


以前かいたように、霊のことがわかるという霊能力者は

結局、霊と同じ次元にいるということになります。


そして、その霊たちと接触することで、

自分の「こもと(命の根)」から、

エネルギーをすいとられているわけです。



次元が低いところにいて、おまけに、エネルギーを吸い取られている。


こういう状況の人の前にたてば、こちらが高い場所にいなくても

エネルギーが高くなくても、エネルギーの移動がおきてしまうわけです。


ところが、以前はなんともなかったわけです。


おそらく、たいして代わりの無い状況だったのでしょう。


最近は〈此処3~4年前)から、最初は幻惑感のような形でしんどさがきて、

今はチャクラあたりをとおして、しんどくなります。


もうしわけないことですが、

こういう状況を考えると、霊能力者というのは、

あまり、良くないのです。


此処をわからない方は霊能力をすごいとおもいがちなのですが、

憂生からみると、

(本物の)霊能力者が占う・・とか・・ということを掲げてくることは

もうそれだけで、願い下げなのですが、

おかしなことに、この本物の霊能力者なるものから、

しんどさを感じることがないわけです。


某霊能力者などのほうが、まじにしんどさをかんじます。


こういうパターンの人が

パワーをあげる云々といってくださっても、

むしろ、逆になっているわけです。

いやしてあげたい、すくってあげたい、助けてあげたいなどと

おっしゃってくださるわけですが、

いやすのも、救うのも助けるのも

本人のほうなのです。


だから、そういう言葉を言わされたり

そういう相手(たすけてくださいとか)をみさせられるわけです。


「貴方がそうなんですよ」

って、言葉があるんですが、

言う本人が本人のことをいう。

見る本人が本人の事を見る。


こういう次元でものをやってるということが、

わかって無い事が多く、

自分には関係ない。かわいそうな人、困ってる人をたすけましょう。


と、おもっているようなのも、逆を言えば、

自分に関係が在る。

自分がかわいそうな人。

自分が困ってる。


と、いうことを魂が

目に物みせてくれてるわけです。


そこのところを自分だとしんじられないから、

パワーもらいましょう。

神様たのみます。

霊能力頼れるってなことになってしまうわけですが、


これ、実はたいへんなことじゃないですか?


自分の魂のいうことをきかずに

神様・他・・とやっていて、

良い風になるかということです。


親の意見となすびのへたは千にひとつも下手がない?

あ~~わすれてるな。


ま、いい。通じるよね?



これといっしょなわけです。


魂は天といっしょですから、

森羅万象。もっと簡単に言えば、

自然な形でみせてくるわけです。


光ったり、異形な顕示をみせたりしないわけです。

自分というものをじっとみつめつづけていてくれて、

親が子供をそだてるように

悪いところは叱ってくれるものなのです。


そこのところからしても、

なにかがみえるの

神様が、霊がというのは、

憂生はちょっと、あぶないぞとおもうわけです。


ですから、

憂生自体が何かをキャッチしてしまう状態も本来よくないとおもっているわけです。


自然にみせてくれたものか、どうか、と、いうことを

ひとつの尺度にしているところがあります。


変な状況のものは、魂からじゃない。

と、かんがえています。


もちろん、逆に書いた

こちらに対し

「本人になにか、つたえてくれ」という

守護霊とか、あるいは魂とか?からのコンタクトで在る場合も想定して、

「伝えて欲しいなにか」はこれだろうか?


と、書く場合もありえます。


理がはまる・・ということから・・・

何人かのスピリチュアラー(など)のところへ、

訪問することをやめることにしたのは、


この前かいた、スライム状の魂?のイメージがどうも、本当らしいと思うようになったところにある。


(本当らしいというのは、前回かいている。および、魂がきたのが、判る、と、いう証明?は、

やはり、彼女の魂が・・にかいているので、省く)


実は、いくつか、スピリチュアラーのイメージがはいってきていた。


たとえば、ジキタリス・柊などという、植物の名前ではいってきたりしていたので、

(ジキタリスにいたっては、なにか、わからず調べて植物とわかった)


意味不明なわけである。


で、その植物のもつ、特長とか?をしらべにいってくる。

ジキタリスは、強心作用がある。

で、そのスピリチュアラーのブログを読んでいくと、まさに

「心を強くしている」というのがある。

弱い心であったら、憎しみの心、寂しさにのまれてしまうだろうと思える内容があった。


ま、一方的な推論なので、どうでもいいことだが、

なにか、違うのでは、ないか?

と、かすかに思いはじめていたし、

前回、書いたように、スピリチュアラーであっても、

妙な神?霊?とコンタクトをとるためか、

魂の様子が神秘・求道精神をきわめていると思える透明のものでありながら、

中に黒い餡のようなものがあり、手に乗せると手がしびれる。

いや、痛いくらいだったのを覚えてる。


あまり良くないと思った。

最初は、彼の偉大なる神様?(黒い餡?)が怒ったか?

と、考えたのだが、

偉大なる神様が憂生なんざの手にのるだろうか?


過去、神道家が憂生の中にもぐってくれたときは、

金色に光るものがあって、目が痛くて・痛くて、開けてられない

目が痛い・・・とでてきたわけであるが・・。


おそらく、その正体はどちらか。

在る亡くなった方

もしくは、憂生の魂



ま、話がぞれたが、こういうこともあったので、

手の上にのってしまうのもおかしかろう。


で、こういうこともあったりもしたわけで、

ジキタリス・・のことで、かすかな、疑問をかんじていたのが、

次にであったスピリチュアラーで、結論を得た。


彼女をみて、感じたことは「柊」であった。


彼女はかなりの集客をえていて、ためになる話をいっぱいかいていた。

何故、柊なのだろう?


柊といえば、気分、クリスマスでもある、クリスチャンなのだろうか?

過去、アメーバー内で、本人の写真をみていたら、白い十字架の像がうかびあがる。

これは、単純に、3Dアートをみるように目をぼけさせて、みていた、面白半分?なのだが、

どうしてもそこに、白い十字架が映るので、(に、みえる)尋ねてみたら、

キリスト教関連の病院関係のような・・・。

聖白十字病院だったかな?


こういうこともあったので、クリスチャンかもしれないともおもったわけであるが・・・。


だが、そういう関連を彼女はもっていなかった。


そこで、ググる。


柊の葉の形態。


養分をたくわえるため、肉厚。

葉には棘が在る。


日本では鰯の頭も信心からといういいかたもあり、節分に、鰯の頭を鬼(魔)撃退のために玄関などにさすが、

柊は、そこにもつかわれていて、棘が鬼の目を刺すという・・。


これで、なんとなく、判った。


嫌な言い方で在るが、

彼女のスピリチュアルは自分の護法のため。

棘は逆に考えれば、自分を保護するものである。


良い考え方、良い思い方をしていれば、

護法が働く。


と、いう、いわば、自分を護るため。


確かに良い話をかいているのだが、

根本が、「自分のため」

周りに対しては、棘で武装する・・

と、いう弱さがあるから、

良い風に思うように、良い風に考えていくを

常にやってないとあぶなかしい。


憂生は、必要に応じて、働くのが、本当であるとかんがえているところもあるので、

むしろ、普段は黙っていて、

いざとなったら、動く。

(神道家がそうで、普段はあほげたことをいっているのだが、、憂生が憑依されたとき、

むこうのほうが、きがついて、払いにきてくれた)

極端なたとえであるが、

憂生も然りであるが、

なにかというと、「底上げ」をして、意識化していないとあぶなかしいという

「頭で考えるタイプ」のぶぶんもある。


一方で自殺未遂の念をひろって、生きろと念をおくりつづけたり・・。

頭ではない部分もあるのだが。



こういうことから、

柊であったり、ジキタリスであったり、神様にもぶりつかれたり、欲がからんでたり、という

パターンのところへは、いかなくなってしまった。


見た目の様子。

(良いことをかいてる)

(不思議な力をもってる)

と、いうパターンで、本質がみえなくなってしまうということと、

自分の因縁として、整理していくべきであって、

ふんふんと、うなづいているだけでは、危険だとおもったのもある。


基本、良い話をきいたら、

魂はそれが、判る、できるととる。


これが、はまってくるタイプでもある憂生であり、

そこも危険なわけである。


以前にも書いたが、

魂【御霊】が、開いている・・とかで、このせいかもしれない、

読んだだけで、理がはまる。ともいわれたことがある。


このこともあってか?

余り、人の書いたものを読まなくなっている。

むしろ、自分が書いたことで、自分を意識化させて、

それをよみなおすことで、

理がはまるということが多いのだと思う。



単純に

「良い思い方」をしなきゃいけない。と、かいているけど、

それは、自分がよまされ、その「理」がはまるわけで、

はまったら、「出来る・わかってる」と、おもわされるので、

実行できなかったら、帳合をとられることだってありえる。



つまり、一種、言霊になってしまってるわけで、

こう考えたら、スピリチュアラーやキリスト教徒が

安易に「教え」「考え」を公開、布教していくのは

裏側に、「おまえはできてるか?」という

天秤の重石がくわわるということがあるわけで、

これをして、自分つくりに考えるのならよいけれど、

「人におしえてやる」などというパターンで

どんどん、言霊をほうっていくのは、それに見合う自分ができていなければ、

危険なのだと思う。



まあ、これが、柊などの人から見せられた「自分の因縁」で、

言霊にしてしまったことから、逆に意識化して、自分をほりさげていくのが、本来で、

下手に自分のものでない言霊をかぶらないということと、

やはり、元のところの「自分大事」である、言霊をうけるのは、よくないともおもったわけである。


その言葉の「理」でなく「根本の思い」のほうをうけてしまうわけで。


つまり、それを読んで、相当の覚悟で実行するきがないともいえる/笑


ただ、よんで、娯楽的におもしろい。

の、段階、小手先気分をかえるだけであるのなら、

なおさら、危険で、

自分の中で詮議していく事が正しいとも思え、

まず、自分にわいてきた、「柊」とか・・・の解明・堀さげをやっていったら、

以上のような結論になったわけである。

根と幹と・・

え~~。

もちろん、霊能力者だから、悪いとか?

いうことでなく、

アメーバー内のさる霊能力者集団?ですが、

このあたりの中に、こちらに乗ってきたときに、ものすごい暖かなエネルギーをもってる人もいたりして、

こういう人が実は自分はしらずにして、パワーをおくってしまう事が出来るのだと思います。


で、その人の書いたとおもわしき記事をよむと、

謙虚で優しい人柄がにじみでている文章にであえます。


ようは、そういう能力を人柄にまで融合させているというか。


そういう人柄が能力の使い方や、思いをまちがわせないというか。

いずれ、霊能力でないより以上のものが、人柄に融合され、

憂生の目指すところの「人間味と情のある普通の?人」になっていくことだろうし、

たとえ、霊や神がついていても、つかいまわそうというのでなく、

その人がやること、思う事が誠だから、

加勢していこうというふうになっていくとおもうわけです。

つまり、主従逆転というか。


言い方はわるいのですが、神や霊を人間の方が使う。


もちろん、これは、命令とか強制でなく、

むこうのほうが、自然に加勢してくれるもので、

祈ったり、ゴマをたいたりとか?

こういう一種お願いをしてのことでなく

かってにしてくれるというか。


その勝手にしてくれるのでも、結局、

「その思い良し」となるからなわけで、

このあたりのことは、

白蛇抄にも、書いていますが、


たとえば、「理由がわかってすることであれば、理にならない」

=「誠の思いであるかどうか」

な、わけです。


霊能力者サークル?のかたは、よく、お礼をもとめます。


これは、そういう霊とかのちからをつかったいうことだったりで、

考え方はわかるのですが・・・。



実は憂生も一度だけ、お礼?をとりました。

そのお礼はいろんなことを憂生に教えてくれた方がいてからこそだったので、

そちらにお渡ししたのですが、叱られました。


「まだ、早い」

と、いうことが、第一声でした。


礼をもらうということは、本当に解決しなきゃならないわけです。


ところが、本当の解決というのがわかってないわけです。


本当の解決というのは、事象をおさめることより以前、

その事象がおきる元を治すことです。


まず、その相談してきた人の「思いの中にある原因」

これくらいは、わりと誰でもできるわけですが、

次に

相談された憂生のほうがもってる「原因」

(それが、相談という形でみせにくる)

これが、むつかしいわけです。


時に10年後に発動してくる事件への対処する思い方を相談者にどう答えるか、どう思うかで、みさだめさせられているとは、まさか、その時には判らないわけです。


そして、もう一つは、自分がその答えを本当・本物にしているか。

です。


自分が嘘つきでありながら

相談者には「嘘をついちゃいけないよ」といったとしたら、

その答えは本物でなく、相手の魂に響かないので

相手の相談ごとは解決しません。


そして、逆に「いけないよ」といったのですから、いけないことをしてるとわかってる自分だということで、

出来ない自分をしかられますし、(此処のところはいずれ)

偽者をひとにぶつけたということで、

たとえば、自分が人にだまされるとか?

こういう形で清算されたり(あるいみありがたいことですが)するわけです。


つまり、お礼を要求できるだけの自分か?

と、いうことなわけで、憂生自体は自分がまだ、本物にも、きれいにもなってないわけです。


で、在るのに、礼をもらうということは、

「きちんと、解決できる自分(本物・きれい)ですよ」という法螺をふいてることで、

これが、良い結果をもたらせるわけがないと思います。


こんな理由で、自分の目の前におきてくることは、

自分に元がある状態であるわけですから、

此処をクリアしていく。

のが、先で、

極端をいうと、

相談者に対して、お礼を言わなきゃいけないのは、こっちのほうなわけです。


ですから、下手をすると、霊能力者とか?

「助けてやってるんだ」と、いう思いをもちやすいんですよね。

実は、上にかいたように、

「実は自分に元があり、それに対してどう思うか」がかぎになり自分のほうがすくわれてるわけです。


そこのところを、わかってない方がいっぱいいらっしゃるようで、

たいていの霊能力者はいやな、幻惑感をかんじますが、

先に書いた人は、別格のようでした。


そういう意味合いでも、いずれ、霊能力者というのでなく、先にかいたように、枝葉部分でなく根本の人の思いを

治していく?人になっていくのではないかとみています。

ありかよ?

で、続きになるかな。


さすがにスライムのような、出来の悪い草もちのような、なんて、

イメージはありえない。


ここまで、様子がかわるほど、なにものかに、掌握(のっとられる?)なんて、あるんだろうか?


と、なにせ、見えない_(見えても、実像?本当のことがわからないが)ものだし、あくまでもこちら側の想念といっていいか。

確証がないわけである。


と、同時にこの頃から、下手なブログに?いくと、手がしびれるというのもおこり、

良くないエネルギーがネットから、マウスにはいってくるのでは?

と、かんがえたりもしていた。


実際、さる、神道家が、ネットをとおしてでも、こちらに入ってくるとか。

それが、できるのを実体験しているので、ありえることだと思え、

手の痺れからも、やはり、スライム状態侵食はありえるかもしれないなどとぼんやりかんがえていたころ、

手の痺れ、霊障・・?と、ネット検索をおこなうことにしたところ、


居ましたね。

ある人の本をとると、手がしびれるという人。


さっそく、そこにいって、読んで見たところ・・・。


スライム状ではないが、魂をのっとってしまうという内容があり、

そののっとった人間?が書いた本を手にとるだけで、手がしびれる・・というわけであり。


確かリーマンさん?



で、よくよく、みていくと、有名な霊能力者のかただったわけで・・。


いろいろ、記事をよまさせてもらったが、実は・・・。

多くの訪問者の「なんとかしてほしい」とか「好奇心」とかのせいかもしれない。

とくに、コメント欄にはいるだけで、ぐらぐらする幻惑感がおき、

いろいろの事がわかっても、そういう人たちを寄せ集めてしまう。

と、いうところ。

そして、おまじないのような教唆。

考え方や事実はあってはいるんだけど、こうすれば、良くなるよというハウツーと非常によく似たものを感じ

これを安易に行えば、本人はよいだろうけど、寄って来る人は払いとか?できないだろうし、

思い方をみなおさない状態では、よくない霊や使いまわそうとする神にもぶりつかれる。


つまり、霊能力者は霊界のことしか、わからないのではないのだろうか?

魂のことについては、いまいち、わからない?

だから、思いと魂という相関関係がわからないというか。


ん~~~。


つまり、魂をのっとられるような状況の事はわかっても、

そういう風になる理由がわからない。


まあ、簡単にいえば、「神頼み」的ことをやってるとか、

のっとる側がつけいれる「欲な思いとか?」

このあたりの魂と思いに相関関係があるのが、わかってないのかもと思う。


で、この次に同じく、ある霊能力者のところにいったわけだけど、

この人は初めから手のしびれとか、魂からだろうか?

ものすごく哀しいものがつたわってきていた。


つまるところ、その人は迷ってる霊とかを浄化する?のを使命だとかんがえているようで、

自分でも霊能力者は霊・霊界に関わることしか判らない。

(つまり、憂生の能力とか、事象を解明してもらおうと話をしたんだけど、

判らないという答え。多分、魂が高い次元の使命を帯びてるんだと思う・・とか)

で、非常にもうしわけないんだけど、

霊界の事がわかる。霊が判るというのは、逆を言えば、本人がその次元にいるということ。

人間もその土地やそこらの人がわかるというのは、同じところにいるからなわけで、

(透視能力者とかはべつにして)

正直をいうと、魂は霊界ではない。


むしろ、天界なわけで・・。


その天界のものが自分の中にいるわけだから、神さまや、霊はむしろ、自分の下にいることになるかな。


で、あるのに、わざわざ、なんとかしてやらなければという「情」に負けて

霊界掃除をしているのだろうけど、

根本を言えば、

元々は人間がいきてるときに、魂に欲や業をへばりつかせてしまって、

霊界におちているわけ。


つまり。


本当の掃除をしたいなら、生きてる人間にむかって、

思いをきれいにしていかなきゃいけないよといっていくことで、

思いをきれいにしていけば、

たとえば、迷い霊とかが、とりついたとしても、

浄化されたり、同じ苦労をしたりとかを共有たいけんして、

一人一人の人間が霊界の掃除もできるわけ。


(似たような話が・・彼の魂が・・です)


だから、木でいえば、地上に落ちたわくらば(病葉)を一生懸命掃除してるわけで、

元の木は病気状態。これを治す(根を活性化させる)のが、思いをよくするということになる。


だから、もうしわけないけど、この人も一種、霊?に差配されてしまってるんだと思う。


多くの人が霊能力とかすごいと思うんだろうけど、

憂生は自分が霊能力者であるのなら、嫌だと思ってる。


そんな次元でとどまっていたくないとおもう。


このようなことから、

表面的なスピリチュアルとか?

引き寄せの法則でなにが、引き寄せられるか。

ある程度、みえてきて、

憂生はこころして、興味本位や好奇心で「わかろう」としたりしないようにしてる。


だから、逆に、鑑定しますよ(できるか、どうかも判らないけど)とか、やらない。


それをしようと思ったら、やっぱり、知らずのうちに神や霊を自分からまねきいれることになるだろうし。


自分のめざすところとかけ離れる。


本当に鑑定?相談にのってほしい人は、先に相手の守護霊かなにかが、(最近は)クラウンチャクラにコンタクトしてきたり、こちら側が自然と行動をおこす。


が、基本的には、相談とかには乗らない。

自分で自分を見つめなおし依っていくのは、自分にしかできない。


で、本当に考えてみたいと思ってる人は憂生の膨大な日記(3000くらいある/まじめなものも、ふざけたものもある)の中にヒントはないかと読んでくれたりしてるわけで、《たぶん2007年ころ)

一生懸命、答えを捜そうと思えば答えのほうからよってくる。(憂生の日記に答えが在るという意味ではない)


結局、先の二人の霊能力者がおしえてくれた大きな答えは

「霊能力じゃだめなんだ」

って、ことになる。


なんかの格言にあったよな。

聖書か?


「求めよ。さらば、開かれん」だっけ。


まあ、求める思いのありようも詮議せねばなるまいが・・・。

さ。

え~~と。

チョット、考えをまとめるために・・。


なんらかの異世界の住民?とのコンタクトをキャッチするのが、

どうも、頭上チャクラ(クラウンチャクラ)のようで、

なんで、こうなったのかな?


と、おもう。


厳密にまだ、区分けができていないんだけど、


なんとなく判る。

というパターン。


何者かの思いが入ってくるパターン。


そして、チャクラが反応するパターンと

3っつにわかれている。


ようである。


なんとなく判るパターンは

たとえばあったこともないネット友人の自殺未遂(願望?)を

キャッチして、「生きろ・死ぬな」と念をおくりつづけた。

と、いうのがある。

(実際その時間友人が沼?にはいっていた)



何者かの思いが入ってくるというのは

天気を変えたときのそもはじめ、「死ぬな」という思いがはいってきて、

これに対し、お前が何者かわからんのに、それが本当か?

本当なら、この晴天、雨をふらせてみろ。


とか、会話になってたな/笑


友人の失踪事件のときは、「家をうらなきゃ」とか・・。

まあ、何人かの死の予知のときもそうだった。

「みおさめだなあ」とか。


職場で、危篤状態の主任の兄弟がきたのをみたのか?

「成仏しろ」と、いう思いがはいってくる。

とか、


まあ、なんらかの憑き物が、こちらにコンタクトしてくるパターンであるとおもうのだが。


最近、此処、2,3年か。

幻惑感がおきるようになってきて、最初は霊能力者とか?

こういう方の来訪や訪問でよくおきたため、

それらについてるものが、良くないのだろうと、結論した。


ところが、だんだん、眩惑感が額や眼とか、局部にばらつきだして、

そして、最近はほとんど、頭上でおきるようになってきた。


この関連でチャクラのことを調べだし、たぶん、チャクラじゃないか?

と、結論したのが、

クラウンチャクラにおいて、異次元・異世界のものと交信する。

と、いう一文があったせいである。



で、このチャクラに反応する場合と、

なんとなく判ると、思いが入ってくると、この違いがどこにあるのだろう。と思うわけである。


おそらくであるが、やはり、霊とか?こういうパターンのものが、交信してくる場合がチャクラで、

それも、多くの場合、亡くなったおじいさん?とか、その人を司る精霊?とか、という、

その人を案ずるものが、伝えて欲しいとおもうのか、コンタクトしようとしてくるので、

チャクラが通信口になっている。


ようである。


で、悪いものとかは、コンタクトできないのか?

なんとなく判るとか、思い浮かぶという感じで、

生きている人間そのものに対しての思いのときのようである。

(本人が死に掛けてるとか?)


悪いもの?についてもなんとなくわかって、

友人についてきた幽霊らしいのが部屋の隅にいる(害はない)となんとなく判る。

判るが確証がないので、なんともはや・・。



で、そういうどっちでもいいのは、こっちもきにしないので、論外なのだけど・・・。


ああ・・でも、チャクラが反応して友人にその守護霊?かなにかのつたえたいことだろうとかんがえるものをつたえはじめたら、「そこまで、書けば判る」と、思いを送ってきたのをキャッチしてる。


つまるところ、チャクラが第一扉なのかもしれない。


ここから、中にはいれたものは、「思い」とかをダイレクトにこっちに伝えることができるようになるんだろうか?


たぶん、だけど、昔はこういうバリア?ににた門(扉?)はなかったと思う。

だから、逆に言えば憑依されるということもあったし、

今もないといえないのだけど、

不思議と「払い」をされる。


根本的に優しい人間(自分で言う/笑え)なので、(甘い人間とも言うが・・)ひょいとチャクラ扉を通過されることがあるのかもしれない。


ところが、以前から、かいてるように、魂にまで入り込むような(差配される)ことがおきると、

魂のほうが払いをしてくれる人を呼ぶのかもしれない。


まあ、チャクラがど~の、とか、覚醒がど~のというものの、憂生自体と魂自体がよくなっていなければ、

逆に本人が危ないとおもうわけで。

実際、覚醒状況になったときがあったんだけど、

本人が業や因縁をきれいにしきっていない状況だとなにがおきるかわからないわけで。

これも、師が噴出し口に石をおいた・・とか?

で、覚醒がとまったということがあった。


噴出し口が小さい状況で噴出し(覚醒)がはじまると、

噴出してくるものの勢いが強くなって、本人がそれをうけとめきれない。

噴出し口が広がれば、ゆっくりと静かに広範囲にあふれるようになり、

本人が噴出しにやられることなく、覚醒になじんでいく。


実際の場面、覚醒というものの、魂からの覚醒というのは、

少ないのではないかと思っている。


いわゆる、ぐんだリーに(カタカナにならねえ・・・)からのらせん状のエネルギー吹き上げを

覚醒だとおもっている人がおおいのではないかと推論している。



憂生の頭上チャクラが第一扉だとするのなら、通常の覚醒も、その扉めがけてのものであるわけなので、

自分の外側のものということになってくる。


これを、養成所とかで?

無理にやると、本人、ウワッカワ?の修養ができていなかったりすると、

まじ、狂う。


で、おまけに、その無防備な状態になんちゃかという神様をくっつける。


アブなかしくってしかたがないことでしかないのに、気楽に開発しましょうとか、

覚醒したいですとか。

こういうことを言い出す人間がいて、平気で憂生のところに来るわけだけど、

このあたりは、以前にもかいたように、


自分が本当の人柄。人格。思格?をもてば、なんとでもなることなので、

まず、身近なところから自分の思いを良いものにしていく。

考え方・価値を本物にしていくようにするのが、先なことを

どうしても、ハウツーに頼ろうとする。


その思い自体がすでによくないのは、以前に書いたとおり。


だから、もうしわけないけど、

憂生は覚醒しました。神様つけてます。なんて、ことをいう人は

逆に恥ずかしくないのかなって思う。


何よりも大切なのは、人柄というか、人徳というか、人間味なわけで、

人間味でものをいってることが、本当に大切なことをいってるという。

普通の人間でありたいわけ。



普通の人間でありながら、ひょいと不思議なことをいって、

それが、言われた、その人の人生の肥えになったり時には運命を良い方向に変えたり

困難を乗り切る知恵をあたえていたりとか?


さ。






手前味噌《アメーバでの状態)

猫の話をかいている間にまたもや、チャクラが反応しまして/笑

なんか、霊能力者とか?

憑き物をつけたかたがいらっしゃってるなあ。

と、ベタを覗いてみましたら、

おりますね。

ちゃんと全部よんでくださってるといいんだけど・・・。

おそらくですが、

この方のパターンも

憑き物?〈守護霊とか?)が、

つたえてほしいことがあるということなんだとおもいますが、

憂生は霊媒師ではありませんし、

霊能力者でもありません。

だから、本人が直接、話をしてくれないと

わかりません。

と、いうか、つたえてほしいことが、こっちにみえてこない。

と、いうか、

本人がそれをしゃべらされちゃう(守護霊とかに?)ところがあるようで、

そこから、おもうところを伝えると

いうことになります。

ですので、眺め倒しているだけなら、

チャクラの反応がうっとうしいんですね。

って、これ、ベタをのこしてなくてもわかります。

以前の人もこういう状態で、

訪問があると判る。

で、いきすぎると、前にかいたように、

遠隔でもキャッチするけど、

これは、本当にたいへんなときだけで・・。

あと、こちらとの面識?

ネット間だと、面識といわないか?

ある程度、仲がよくなる?という状態になると

ブログにこなくても、キャッチします。

以前神道家が憂生の憑依をネットのむこうで、

察知してくれたようなのと、にたようなものです。

で、すでにこうかな?と思うことは

かいているので、

よんでくださるといいのですが。

こういう方も削除します。


本当に思うところがあるのなら、

メールでもくだされば良いと思いますが、

まず、最初に今までかいてきたことを

うけいれられないとおもうのです。

はっきり、いって、批判的、否定的ですから。

すなおにうけとめると?

自分否定というか、

足元がくずれるというか・・。

こういう部分がありますので、

よほど、「自分をみつめなおす」強さみたいなのがないと

憂生がいってることが、判らないだろうとおもいます。


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地獄の黙示録

丁度、吹き上がった時期に何者かが寄り付いてきていたのだと想う。

妙に英語の単語を発するわけで・・。

まあ、たとえば、行ったこともないブログをひらこうとすると、

「********」(わすれてしまった)と判らない英単語を伝えられる。

その意味さえわからないわけで、辞書をしらべてくる。

ー批判文書ーってな意味合いだったことは覚えてる。

で、そのブログを開いて確かめると

まさしく批判文書だったわけで・・。

こんな事がいくつか、重なって、また、わからん世界の人間の相手をしはじめるという落とし穴にはまってしまったわけだけど、ローマ法王をしらべたとき、ブログを開く前から涙がこぼれて仕方が無いという妙な前世?現象がおきたものだから、

何らか前世に関連するか、憂生になにかを伝えたがってるのか?

単にシンクロしただけかと思いつつ、

「この外人誰や?」って、きになってしまうわけで・・・。

すると、「コンラッド」って、言葉がうかびあがってくるわけだ。

コンラッドって、意味さえわからないわけで、勢い、ぐぐる。

で、ヒットしたのが、ジョセフ・コンラッドだったわけで、「人間の心の闇、西欧文明 の闇をも含意していると考えられる」と、いう部分でのシンクロだったのかもしれない。

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思うままに・・

久しぶりです。

どうも、この間から調子が悪いと思っていたら、

原因判明/笑

憂生の場合はいつものごとく、

「かな?」

だけしかないので、仕方が無い。

友人の友人がどうも、なにかにトリツカレテイル。

これを二次的に察知してしまったようだった。

で、ご丁寧に友人が憂生のことをその友人にしゃべってしまったという話から、

「かな?」の前に思った「幽霊」が憂生のところにきていたと思えた。

お払いにいってくるとかいう話だったらしいが、

そこのところは・・・なんともはや。

まず第一にとりつかせている自分の思いをなおさにゃ話にならんわけで・・。

憂生は判る人じゃないから、とくにそのあたりを重視するんだけど、

祓っても幽霊が浮かばれても、原因がなおらなきゃ、また、別の物事が起きる。

そのためには、つらいことだろうけど、

こちらに洗いざらいはなしてもらわないと原因の特定が難しい。

結果、ときに、思い方の欠点みたいなところをつつくこともある。

そこらへんが、うまく行かない時がある。

考え方の違いというか、

価値観の違いというか。

簡単な場合、男女の場合、

極端な言い方でたとえると

男尊女卑。

こういう風にとられかねない。

自分の筋目の狂いが、目の前に筋目の違うものを見せてくる場合がある。

ここに気がつかず、相手を批判してみたり、嫌ってみたりしても始まらない。

つまり、お払いにいかなきゃならないほどに

なにか思い方が歪むところまで、いってしまうというところが

すでに不安である。

変なものを見たら、自分だと思え。

という、セオリーにのっとってみたら、

早いうちに自分の思いの歪みに気がつく。

まあ、こういう意味合いでも、

物語を書くという事は自分を客観視できるのではあるが、

時に、歪みに気がつかない事がある。

で、たまに此処に戻ってくるわけだけど・・・・。

あの~~~~~。

誰か、わからないけど、非常にしんどいです。

貴方の後ろ側のものがもしかしたら、

伝えてくれといっているのかもしれません。

と、いうことになるのです。

悩みや迷いをお持ちでしたら、

まず、日記とか?

そういうものに、自分を吐き出してしまうことです。

思うまま、汚いことを言ってもかまわないと思います。

まず、それを自分からどかしてしまうために・・・。

まちがえても、その感情に振り回されない事が大事だと思います。

むつかしいことですが・・。

その作業ののちに、信頼できる人間に相談できたらベストです。

*この話から、見えちまった・・1をかきおこしました*

内なる神???

憑依されるとか、こういう言い方をよくきくわけですが、
憑依されるがわのほうに
憑依される元があるというのも、
よくしられるようになってきて、
客観的にみてみると、
「ああ、自分この思い、いけんな」
と、いうところがみえてくるというwww
利点もなきにしもあらずなのですが、
こう完璧にこちらに影響をおよぼす、だるいとか、
こちらの人格?(こういうと、えらそうですねwww)をあやつってしまう場合もありえるわけです。

客観的に自分が憑依されてしまう「思い方」とか判断できる状態であれば、
まあ、憑依というより、「居る?」だけなのですが、
この同調してくるという部分は巧妙な落とし穴といっていいか。

本人がもっている「思い」(とくに負の思いに同調してくるので
自分の「思い」が増幅されて
いっそう、「負の思い」にとらわわれてしまう。

たとえば、悲しんでいると悲しんでいるところに同調して
増幅されるので、いっそう悲しくなる。
それを自分の思いだとうけとめているので、
ますます悲しくなる。
と、いう悪循環におちいって、
いわゆる負の連鎖が起きてくる。

ところが、憂生の場合
奇妙な事象?がおきることがある。
いや、みんな、それなりにわかっているのだろうけど
「自覚?や意識」ができないことのほうがほぼで、
憂生自体も万に一個、意識させられただけのことであろう。

具体的に書く。

ある職場で、昼休みがおわり、
仕事をはじめようとすると
憂生の中で「成仏しろ・成仏しろ」と、いう「声・思い」が響いてくる。
多少、こういうことになれてきてしまってる部分があるのだが
やはり、なにか縁起でもない思いなので
なにをいうとるんじゃあと思ってしまう。
しばらくすると、主任のところに電話だと連絡が入り
内線にでると、しばらくのちに、
「兄弟が人事不肖とのことで病院にいってくる」
と、告げられた。
つまるところ、おそらくであるが、
兄弟が人事不肖におちいり、いわゆる幽体離脱状態になり
主任のところにきていた?
それを見た憂生のなかのなにものかが
いわゆる亡霊が来たと判断し
「成仏しろ」と、はなしかけたということであろうか?
つまり、もっといえば、亡霊?は憂生のところに
憑依?しかけたというか、
そこで、幽霊が憂生にとりつこうとする?のを
憂生にとりつこうとしてはいけない。
おまえはもうしんでいるのだと諭したというか?
まあ、そういうふうによってくるものに
いいきかせて、憂生を守っていたその思いを何のひょうしか、キャッチしてしまうというのがあったと思う。

こういうので、
実際、その理由が憂生にはわからないのだけど
ここ最近もいくつか、にたような事例がある。

また、それが、正しい?かどうか、
自分の間違った思いを増幅させているのかもしれないが
ひとつは、
ライトワーカーになりましょうという誘い文句のような言葉に
(この方のいうことは、憂生のしっていることと符号することをいっていることもあり、心がかたむいていたとおもう)
「申し訳ないけどと丁寧にお断りしてご辞退しなさいね」
と、いう言葉が響いてきていた。

ここは、憂生にはわからないこtだけど、
次におきたのが、
ある方のブログにいったところ、
神社の写真に大きな蛇の顔?姿が写真にうつりこんでいて
???という状態で
まあ、こういう蛇の写真蛇神?の写真らしきものは
以前にもみたことがあり
このときは
「じゃえん・ゆるすまじ」
と、いう念をおくられてきていたが、
そのブログに2度目におとずれたとき、
憂生の中で
「縁もゆかりもありません」という言葉が何度もひびいてきた。

この2回、「縁がない」という意味合いの言葉がわいてくる状態になっていて
最初の成仏しろ、という話の意味合いのようなものをかんじていた。

自分で真意はわかろうはずもないけれど、
なにかしら、違うところによりついて
そっちの影響?差配?をうけてはいけないのではないかなあという思いがしてきている。

こういうことをいうと
変に誤解されてしまうかもしれないが
なにか、自分のもっている因縁のようなものは、
それとにたような思い?をもっている人をあつめてきたりするのだと思う。

そういう意味合いで、
それらのブログがもっている「因縁」と
憂生のもっている因縁?がかみ合わないのだと思う。

じっさい、自分の御霊(魂)という考えでやっているときに
ブログの中の神?の差配をうけるというのは
よくないのだろうと思う。

対、自分の御霊というところに
他のもの(神?)が、憑依し
自分の御霊がそれに使われるということを
やっている状態ではないというか。

こういう部分でも、なにかしらの神をくっつけてしまって
自分の魂・自分の御霊であるというパイプをなくしてしまうということは
普通の霊的憑依とさしてかわらないというきもする。

大本神喩のいうところの
「自分の尾をつかむ」というところは
こういう意味合いではないかというきがする。

つまり、他のブログにいって
そこの神様?の尻尾をおっかけてしまってはいけないというか
おっかけさせられるようなかかわりをもつなというか
神様という言い方はどちらかというと嫌いなんだけど
自分の神様(御霊・魂)をおいかけていかなくてはならないんだろうなあと思う。

ネットの中での不思議・・2

以前のことを先ほど少しあげましたが、
ネットをはなれていても、
現実で対面していても、
頭上チャクラにぼわつきをかんじると、
対面している方の守護霊?とか、こういう方から、
コンタクトがあるということがあったり、
相手の方が心理的、精神的にぐらついた状態になると
こちらに届いてきて
おかしいなあ、何でこんなにぐらぐらするんだろうと思っていると
相手の方がたずねてきて、話をすると、迷ったり気にしたりしていることをはなしてくれて
そこに、何らかの「思いの切り替えになるかなあ」という話をすると
安心されるのか、こっちのぐらつきもうそのようになくなるという事象がありました。

何らかの奇妙な事象は
やはり、メッセージであり、
その相手の守護霊や守護神や御霊など?から
こちらに対して
「伝えてくれ」という思いを送ってきている場合もあるかとも思います。

過去、大神神社に赤い光が移りこんだという方の写真をみていますと
「発布せよ」
と、いう言葉がわいてきます。
まあ、しらべていけば、
大物主が世に出てくるときは
天変地異などがおこりやすい人心の乱れというものがあるときで
大物主としては、
「人の心の乱れをただしていくときである」
と、いうことをつたえてくれということをいったのだとおもいますが、
まだまだ、そのころはその写真を撮った人自身のことだとかんがえていました。

奈良のいろいろな神社などしらせていたということもあり
その中のいったんとして
大物主の存在の意味合いをつたえていくという使命を
渡したかったのではなかろうか?と、おもっていたわけです。

そういう写真にまつわるものからの
「何らかの言葉」というのは、
正直、どういう風に解釈してよいか、わからないことが多々あるのですが、
ある方のブログの写真から
「いさくにきをつけよ」
と、いう言葉がわいてきました。

当方自体、「いさく」がなにかわからず、
ぐぐりました。

おそらくですが、
アブラハムとイサクのことと思われます。
神のいけにえに息子イサクをさしだせといわれ
アブラハムは渦中に飛び込むのごとくで
イサクをさしだす決心をすると
神がとめたということなのですが・・・。

これを読むと、正直、なぞです。

信仰心ということで考えれば
本当に信じていたら
「救われる」と、いうことだろうともとれます。

が、一方で、
わが子をささげよということになるのもどうだろう?ということです。

憂生自体は、
このことから、
「ひこばえにきをつけろ」
と、いうことをおもわされていました。

親木が朽ちかけると、ひこばえがでてくるというのですが
これは、もともとの根からでてくるものですから、
考えようによっては、
親木がなしとげていないことを(ちょっとあいまいな言い方です)
ひこばえが
継承しなければいけないということです。

本来なら、種としてどこかに運ばれ自分の土地に根をおろしていく。

こういうことが新生なのですが、
このことから考えると、

変なたとえかもしれませんが
親は自分のできなかった遺恨を子供で晴らさせようとしている。

と、いうとりかたもできるのではないかと思うのです。

いい学校にいけず、これくらいの地位にしかなれなかったから
お前は勉強して立派になれ

これでは、子供は親の道具になってしまいます。

ひこばえをはやしているといって良いとおもうわけです。

まあ、親の失敗をぬぐってもらおうという道具ではないので
親としては、失敗は失敗と話す必要もあるとはおもいますが
その失敗?にみえることで、得た良いことも伝える必要もあるかもしれません。

親を立ち木を見よ。
と、かくのですが、
言葉やなんやかやで説明するのでなく
「その姿」でみせるしかないところを
何らかの干渉をおこなうことがあるということも考えなければならないこともあると思えます。

そういう風に、ひこばえ、イサクがどういう形ででてきているか。

まあ、アブラハムの話は信仰心というよりも
神への依存ではないかとおもってしまうわけです。

親なれば、子をいけにえに差し出すことは出来ません。
と、なぜ、いわないのか、不思議に思います。

信じていればこそ、本当にニエにされる。
と、しんじれるからこそ、
自分の子を自分の信心の犠牲にしてはいけないと考え付けないとこが不思議です。

信じるということは
はたして、そういうことなのだろうか?

ただ、いえることは、
イサクが自分でそれを覚悟したということがキーポイントです。

わが子を自分の信心の明かしにする。

そして、いつのまにか、
親のために自分の命をさしだすこともいとわない。

いっけん、美談にみえるなかに
いわゆる、親の洗脳がある。と、いう気がするのです。

ほんとうににえになってしまったら
アブラハムはその後の人生、どうなったでしょうか?

私はどうなってもいい。国民を助けてください。
と、いった天皇を思い出します。

本当の土壇場で命をなげだして、人をすくうのが本来の心でありながら
神のためしを与えられるということは
どういうことであろうか?

神がアブラハムにしらせたかったことこそ
「ひこばえを悟れ」ということではなかったかと思うわけです。

神の力をつかったり、
不思議なことがおきてみたり
それは、究極、ほかではない
「自分で自分をすくえない自分だ」ということだと
憂生自体は思っています。

神様をありがたがって
言いなりになるを誠というなどという言い方がありますが
不遜ないいかたですが、
神様にためされているような状態では、なにかおかしいという気がします。

「お前のおもうとおり」
と、いう神が認める思いになっていないということではないかと・・・。

けして、神の道具でもなく
むしろ、神が後押しするような「思い」があってこそ・・・

そういう「思い」になっていく。

ここらへんが、
そのブログの写真から伝えられた思いかなあと思うのです。





ネットの中での不思議・・1

ひさしぶりに、不思議な話です。
過去、いろいろとあるのですが、
この中でも、ネットを通してというのが、
ふえてきました。

あげると、これまた、きりがなく、
後日談というか、
不思議な現象にかかわった根本的な理由というのが
どういうことであるかということまで、かきはじめると、
これまた、膨大なページになっていくので、いくつか、
かいつまんで、話をします。

その現象が頻繁に起きたころ、
最初は、幻惑感?めまいのようなしんどさ・ふわつきが
あったのですが
最終的に、頭上チャクラがぼわつくというかんじになり
異世界のもの、異次元のものが、コンタクトしてきていると
思えました。

全体的なふらつきが、頭上チャクラへのコンタクトに変わり始めたころのころです。

現象的に書きます。
1、
個人的にメールをはじめた女の子の感情的にあれた様子がきになっていたころに
「ふらつき」をかんじたので、
その女の子の魂?オーラ?を呼びました。
すると、墨流しのような模様で薄墨色で、魂がおおわれているので、
手の中であたためて、息吹をしたのですが、なかなか、手の中からかえろうとしませんでした。
寂しい思いをだいていたのでしうね。
過去形のトラウマがあったようで、人づてでしたが
神戸地震のころにショックをうけていたようでした。
帰っていったあとは、薄茶色の木のような色合いにみえて(感じて)
話してみた結果、なにか、妙に素直になったなあというかんじをうけました。
2、
霊道があって、霊がとおるとかいうので、
鬼門の方角と裏鬼門の方角がつーつーになっていないかたずねてみた方が
おじいさんの霊がい続けているというので、
たぶん、その人のおじいさんが、心配しているなとおもって
そのあたりのことを連絡しようとメールをいれました。
むこうからのメールがとどき、メールを開くと
白く発光してきたので、これは?と思いながめていると
無性に合掌したくなるのです。
正直、憂生は簡単に合掌しませんので、
ちょっと、迷いながら見ていたのです。
それでも、無性に合掌しなければならないみたいに思わされるので
正直、しかたがないと手をあわせてみたわけです。
すると、手をあわせたとたん
ーあ、これは、むこうがこっちに手をあわせているんだーと思えたのです。
なにか、お孫さんにつたえたいことがあるんだ。
それをつたえるのに、憂生がわかっているかどうか?
つたえられるか、どうか
むこうの思いを行動にうつしてくれるか?
と、みていたのではないのかなと?
で、おそらくおじいさんの思いをくむ、手を合わせるという行動をしたので
おじいさんは、伝わってると安心?して
思いをおくってきました。
孫につたえてくれ、と、いうような感じでした。
伝えてくれといっても何をつたえればいいのだろうとおもっていると
「お前の思ったとおりでいい」
と、いうので、伝えようと思っていたことを伝えようとメールをかきはじめました。
すると、書いてる途中で、
「もう良い。それでわかる」と、いうので、
メールを送ったのです。
相手の方からの応えは、ずばり、その通りでした。
「もっと、御霊(自分の御霊、魂)を意識しなさいということですね」
でした。
ちなみにこの孫?さんの魂はずっしりと重くうす白いパン種のようなかんじのまん丸のおおきめな魂でしたが、
表面に乾燥したようなぱさぱさしためくれがあり、
そのあたりが、現実で対人関係とかで、惧れやひっかかりをつくっていたようでした。

誰かが来るたびにものすごい幻惑感があり
だれだろうとおもっていると、ほどなくその人からコメントがあり
話をするようになったのですが、
まちがいなく、その人がくるときに幻惑感がおきるとわかり、
そのあたりから、話をするようになったのです。
その方の魂は赤と青のマーブル模様で
理性と感情の葛藤があるようにおもえました。
きいてみると、
霊能力をもっている方のようで、それを過去に封印したものの
直感がさえないので、とりもどしたほうがいいのかどうかということで、
迷っていらっしゃったようでした。

憂生の答えとしては
自然にわきあがってきたものならしかたがないけれど
自分がそれに頼るということは
自分の魂を他のものにつかわすことになるからやめたほうがいい。
御霊がよくなってきたら、霊能力とかいうかんじでなく
普通の状態で、自分でもきがつかないほど自然に御霊力というのが働くし
御霊というのは、自分だけのもので、親のようなものだよという話をしたわけです。
すると、彼女なりに得心するところがあったようで
御霊に対しておわびをしていったようです。
他のものにわたしかけるようなことをしてごめんなさいとか・・・
とたんに、浄化がはじまり
ものすごい腹痛と下痢がおきたとのことでした。
そして、彼女自体は、そのちょっとまえに
ものすごく深い翠いろにかんじたので、それをつたえると
ふるさと緒山の森の精?か何かの差配をうけているということだったのです。
このあたりのことを含めて、霊能力を封印しようとしたのではないかとおもえますが
なにか、さえないということで、
実生活で御霊通りになるのでなく
霊感?でよくなっていこうというか
実生活に出てくる、問題や困難によって
まなぶべきことがあるのですが、
それを霊能力ですりぬけてしまったら
御霊が、自分に何をおしえてるのかわからなくなってくるわけです。

いろんな思いをあじわって
ああ、こういう思いをもっちゃいかんかったとか
わかるところが、
回答式を読んで答えをしってわかったつもりになって
逆に自分が回答通りにならなかったことでおちこんだりと
心に隙ができてしまうわけです。

そこにーそうなったら、楽(とは、ちがうかもしれませんが)という思いが生じて
これが、「魔」になってしまうわけです。

ですので、本当に必要なのは
「自分」そしてその自分をいかせてくれている「御霊」なんだということを
話したと思います。
そしてそのあと、彼女は薄い藤色のような明るい魂の色にかわっていました。

いくつか抜粋のつもりが、長くなってしまったので、
スレッドを変えます。

不思議な不思議な

ちょっと、ひと段落ついたようです。
いったい、エンパスがおきたのは、なんのためか?
結局は自分の心をみさだめるため。

それと、因縁浄化、ただし、うわっつらの。
自分がまいたものがほとんどだとおもいますがwww

この聡というか、意味合いをおしえてくれたのも師でした。
こう叱られるのをおそれてしまうというか。

そこで、たたき台になってくれといわれるわけです。
かなとこがあって、そこにたたくものをおく。そして、鎚でたたくわけです。
だれかのために、かなとこになれ。
と、いう意味合いです。

自分がたたかれるとなるとおそれてしまうのですが
だれかを矯正?するために
それをのせる台が必要だからといわれると
その人のためにという思いになるわけです。

結局は自分も一緒にたたかれるわけですが
かなとこは、
たたかれるものより強くなければいけません。
たたき台のほうがこわれたら
たたかれるものがしあがらないわけですから。

まあ、はたして、自分がたたかれていたのか、
たたき台になったのかわからないところですが
自分なりにたたき台の役だったのかもしれないなと思うことがあります。

逆に相手をたたき台にして
裏側で自分がかわったところをみると
成形されたのだから
相手のほうがたたき台だったのだなあと思うことがあります。

こういう意味合いでも、
憂生は相手を批判?するのはかまわないと思います。
あくまでも、
その批判した内容は自分の中のものを
見せてくれているんだということを
ふまえておくということです。

なにも人に対して思わない
思うのは良いことだけ。
と、いう人はこんな形で自分の姿をしらされることはないとおもいますし
相手を批判する心はどういうところから発生するのだろうと
考える必要がなくなっている状態になっているのだと思います。
つまり、澄み切った心でいらっしゃるということでしょう。

おかしなものが、みえるうちは自分におかしなものがあるんですよ。
と、いうのが、
本当だと思います。

憂生は15のころ
近くの稲荷の小さな社にいって
そこに子狐をつれた、母?狐の小さな置物があったので
すこし、話をしていました。
何をはなしたか、おぼえていないのですが
「憂生がおかしな思いをもったら、かかと(なぜ、かかとなのか?)をかじって教えて」
と、約束をしてきました。
そして、
友人の憑依?をとっぱらうのに
(と、いっても憂生はそんな知識ももちあわせていないのですが)
行った神社がウガヤフキアエズをまつっていて
そこで、不思議な体験をしたわけですが・・・。

昨日、あるブログに行って
ふと気になった白龍という記事をよもうとしました。
すると、憂生の左手がサードアイあたりをかくすのです。
しばらく、そのままよんでいたら
こちらのことか、よくわからない状態で
「わが子よ」とよばれたので、
おそるおそる、手を離して読み直したのです。
そこにかかれていたのは
守護神のことでした。
それで、憂生には守護神がいないとおもっていましたし
当然ながら、何度かかいてるように
守護霊も十柱の神もいない、先祖も空にかえっている。
ですから、御霊と憂生しかいない。
と、おもっていたわけです。
それで、守護神というのがいるのかとwww
おもって、たずねたのかな・・・
その声の主に・・・
すると、ウガヤフキアエズとうかの御霊ともうひとり名前がうかぶわけです。

で、そのあとにエンパスとおもわされたので
しらべにいってきたのですが・・・。

そして、さっきかいたことで、(おもいだしたこと)
あれ?とおもったのです。
うかのみたまって、お稲荷さん。
使いが狐・・・。
つまり、先のブログでうかんだことと一致していることです。

なんともはや・・・。
こちらが、頼りにしたためか
いつのまにか、守護神になってしまったのでしょうか?

不思議な話ですwww

いつまでもお守りいただいているような
自分ではいけないんじゃないかと思ったり、
もうおかえりいただいたほうがいいのか?
これまでの守護に礼をのべて
あとは、あちらが決める。

・・・・とのことなので
おまかせ・・・www


追記
わがこよとよばれたのは、
憂生の中にいるといわれた白蛇のことなのかもしれません。
どこかの記事で蛇転じて金龍・白龍などになるとのことでした。






なおらい

なおらいの作法については、


白蛇抄の中であつかっているので省く。


直来


と、かいたようにおもうが、違うかもしれないwww


直会でした。


このときに、


お神酒をいただくのは、どういうわけであろうかとおもう。



「なほらひ(なおらい)」の語源については、「直り合い(なほりあひ)」の意とするのが通例である。[1]

一同が、祭祀のため行った斎戒を解き、平常に直る(復る)という意味である。折口信夫は「なほらひ」は直日神を祀る神事であり、神祭が終わった後に、直日神を祀って神祭での過ちを正すのだという説を唱えている。



実際、憂生になおらいをおこなわれたときは、


「このままでは、死ぬよ」ということだったわけで・・・www


お酒を作法とおりにいただくように指示されたわけです。


祭祀のため行った斎戒を解き、平常に直る(復る)という意味である


もう、記憶がはっきりしてないのですが、

憂生が国津神に移られたとき、だったとおもいます。


ここで、なおらいをして、

平常=御霊と自分のルート。

を、とりもどしたのでしょう。


それが、なぜ、お神酒なのかということです。


酒の力をいえば、

まあ、調理人として考えると


一番わかりやすいのが、

炊き方がわるくて、しっかり炊き上がらなかったご飯に

酒をかけて、すこし、蒸らす(あるいは、あつあつでなければ、もう一度軽く火にかける、

スイッチをすこし、いれる)と、芯ののこっていた米がごはんになります。


つまり、酒は芯までとどく。


あるいは、臭みをけしたり、つやをだしたり、も、します。


なおらいで、酒を使用するのは、御霊に届くようにする。

と、いういみあいではないかとおもうのです。


憂生は霊媒?体質でもあるので、

体が弱くなるから

おちょこいっぱいのお酒を寝るまえにのみなさいといわれていました。


なおらいとは、ちょっと、ちがう意味合いです。


なおらいの本来の意味は

折口信夫は「なほらひ」は直日神を祀る神事であり、神祭が終わった後に、直日神を祀って神祭での過ちを正すのだという説を唱えている。


の、とおりだとおもいます。


なおらいの直日神が御霊であるということだったのではないかとおもいますね。


神祭(これは、国津神につかれたこととでもいいましょうか)での過ち(自分の心がただしくなかったため、国津神の力を威勢に利用した)を正す。


こういうことだったのでしょうね。


またも、うだうだ話しなり~~

自分が感じた感覚というのは、


なかなか、言葉にあらわして、

説明できないものなのですが、

なんとなく、これは、「本物」だなあとか、

いや、違うんじゃないのかなあとか、

なにか、本当に漠然とおもうのです。

人のことは、わかりませんから、自分のことで、いえば

よく、ひきあいにだしてくる、

雨をふらせてみろ。

と、いって、本当に雨をふらせたなにか。

まあ、この話に証人がいるわけでないので、なんか、頭がぱ~ちくりんになっていたんではないか?

と、いわれれば、確かにそうです。ww

で、まあ、事象として、みせつけてきたことは、事実なわけですが、

その事実をみせてきたもの、これが、どうにも、本物だとおもえないのですね。

いや、なにかの神さまというのなら、まじに、神さまでしょう。

だけど、憂生が望む神さまではないので、本物じゃないわけです。

本物の神さまは、けっして、神秘などおこしてこない。

こういうふうにおもっているわけです。

以前にもかきましたが、

ひょいと、人がきて、なにかはなしてたら、

気持ちがかわったとか・・。

こう、ごく自然に神様だときがつかせないように

自然にことがおきているものだとおもうのです。

結局、自分の心霊というか、心をみせてきているわけです。

「なにかあったら、神様とかにたすけてもらおう」

「自分がしなくても、人がするだろう」

とか・・・。

こんな心霊が奇跡をおこしたり、

それによって、誰かがたすかったり、使われたり。

まあ、おかしなことなわけです。

奇跡というのは

たとえば、飛行機事故で不時着して、助かったり、

事故にあった仲間に命をかけて助け出されたり

こういうことじゃないんだとおもうのです。

朝寝坊してしまって、

事故になってしまう飛行機にのりおくれてしまった。

とか、こういうことでもないわけです。

無事に飛行機に乗って無事に到着できる。

当たり前にみえることこそが

奇跡なわけです。

逆にいえば、憂生なんぞ、もう、本当にあぶなかったんだとおもいますね。

自分でないものに、のっとられてしまうような生き方というか。

あの時、憂生は非常にえらそうだったと思います。

判ったから、天気を元にもどしてくれ。

助けられたとか、神秘?だとか、奇跡だとか、おもわなかったのですね。

なにかわからないけど、

憂生という人間は、よほど「尊い」らしいとおもったわけです。

ああ、自分がありがたいんだなあと。

相手?が、すごい神様だろうが、そうじゃなかろうが、

とにかく、拝む相手は「憂生自身だぞ」って、

読みようによっては、ものすごく、不遜なことをかいているんですが、

自分があってこそ、ありがたいんだし、

宿根の星・いくたび、・・でもだしてきたせりふですが、

ー自分がいなければ、国などあってもなくてもどうでもいいー

自分があるからこそ、国が大切なわけです。

こういう物語の中の一言が、憂生の中の「自分が感じた感覚」なのです。

そして、

普通だったら、雨をふらせてしまう相手を、神さまだとおもって

ありがたやとおもってしまうのでしょう。

そこを、どうしたものか、

いや、ー自分がいなければ、国などあってもなくてもどうでもいいー

と、おなじで、

神さまがたすけようが助けまいが

自分がいなければ、神もなんもあったもんじゃないわけです。

神というものを、苔にして、

自分という石(意志)をもちつづける。

神というものは、あくまでも、自分の意志に沿った物事をみせてくるものでしかない。

と、おもうのです。

金儲けをしたいなら金儲けという物事をみせてくる。

まあ、そんな感じで、とらえると、

憂生はたんに

ー生きていくための価値をさがしていたのでしょうー

そして、

生きていくための価値というのは、

単純に

「生きていこう」とするものにしか与えられないものなのでしょう。

どうであれ、こうであれ、

不幸だから、いきていたくないとか

自分に価値がないから、いきていたくないとか

「生きていこう」と、するのは、

幸せだからいきていける。なんて、甘いもんじゃないんだなあとおもうのです。

しんでしまいたいとおもうときだって、

やっぱり、生きていこうとする。

悲しさや辛さにまけて、

生きていくことにさえ、なげやりになってしまうということも、

やっぱり、自分への冒涜なのだとおもう。

幸せでなくたって、やっぱり、生きていたいわけだし

幸せになれるから、生きていこうというわけでもなし

辛い人生もなにか、あとからふりかえってみたら

それはそれで、あるいは、

アクション映画をみているような緊迫感にいろどられていて、

なかなか、おもしろかったとおもうもんだとおもう。

あるいは、平々凡々の幸せでは知りえなかった「何か」を

知ったような気分にもなる。

そして、なにか、とっても、

自分が

無色透明になってくるようなきがする。

うだうだばなしばっかりやないかあああ


朱雀さんの記事

運気を落とすものが自宅(実家)にある場合があります。

を、読みながら、考えていました。

どうも、憂生はいろいろと、不思議な体験があるわりに、

霊とか、いうのを、信じていないなあとおもうのです。

いやあ、こういうとちょっと、ちがいます。

ネット友人が見える人で、死んだ弟が心配してきているよとか、

神道家が、憑依霊をはらってくれたり

師が、国津神をおいはらったり

こういうのは、むろん、

憂生の肩をひっぱったものとかwww

居るんだと思うのですよ。

ただ、なぜ、そういうものが、憂生のところによってくるかといえば、

憂生に原因があるわけです。

えらそうにおもったり、

悪いことをおもったり

怖がったり

こういう自分が霊をひっぱってきてしまうんだとおもうわけです。

ですから、

朱雀さんの記事をよんで、いっしゅん、

う~~ん、うちに、神棚なんかないしな~~とか、

親父の仏壇の上になにかおいてたのがいけなかったかあとか、

床の間にあっちゃの神社のおふだとこっちゃの神社のおふだと

おいてたっけなあとか・・。

なにか、こういうことをおもってしまうんですね。

でも、待てよとおもって・・。

これ、自分のことじゃないかいなあって。

神棚じゃなくて、神棚が自分。

つまり、お札を信念とかんがえたら、

ああおもってみたり、こう考えてみたり

こっちのほうがよさそうだとか、

あっちもよくみえるとか、

結局、自分が「これだ」と決めていけばいいことじゃないのかなあと。

そういう状態の自分じゃないから、

自分の神棚までもが、あっちの神社のお札、こっちの神社の・・と、

あふれかえってしまってるわけでwww.

と、いっても、憂生のところの床の間のお札は、自分が行ってもらってきたものでなく

友人。氏神さんの寄進とかで、勝手に届いたものなので、くれた人の気持ちなので、

お札として、おいてあるものじゃない。

まあ、さきの話しじゃないが、

本尊は自分に他ならず

あれがわるいの、これが良くないのというのも、

結局、自分がぐらついているだけにすぎないともおもえ、

なにかのせいにするのでなく、

そうみえるものが、なにかをおしえてくれてるのだと

かんがえねば、

あっちにも、こっちにも、神様をつくってしまい

それこそ、畳の神さまをふんづけて、ばちがあたるし、

水の神さまをのみこんで、神食いの罪にとわれてしまうwww.

と、笑いつつ、

ふと、冷静になって考えてみれば

掃除ができていない。

って、とこは、

外面的にも内面的にもあてはまるなあと

問題は、ここかああ!!

まあ仏壇については、親父代表に、おふくろが、毎日、ご飯とお茶とお線香にろうそくにおはな。と、あげていてくれてる。

日本の仏壇は、ごはんをあげるのが、おもしろくある。

神棚はないので、よくしらないが、やはり、お酒とかあげたりするのかもしれない。

西洋の仏壇?というのか、先祖供養というのは、どうなっているのかしらないが、

主食をともにするという考えがあるのだろうか?

うっかりすると、自分の父はキリストであるなどといって、先祖という考えはないのかもしれない。

戦争にいった父や夫や息子のために、影膳みたいなのをつくって、

と、いうのも、日本の考え方だろう。

憂生自体は、仏壇とか、こういう形には、こだわりたくないが、

そこをとおして、親父にむかいあうとするのなら

それはそれで一手ではあるとおもう。

葬式というのも、死者への儀式というより、

生きているもの側への儀式というきがしている。

おさななじみの親父さんが若いときに死んでしまって、

(憂生の親父は50際くらいのときに憂生を授かっている)

(憂生の親父にあてはめたら、憂生うまれてないぜ)

そいつが、

憂生の親父の葬式のときにきてくれて

ー煙みたらなあ、すっとするよーって。

ああ、この世から、いなくなったんだなあ。って、

こう、言い方まちがってるかもしれんが、

ふんぎりがつくというのかな。

だから、逆に、こう、仏壇にいつもいつも、手をあわせてるっていうのが、

なんというか、

死者に対して

ーなんで、しんでしまったんだよーって、そんなふうにむかいあってるようにみえてしまうところもある。

これも、結局、叔父が早くに死んでしまったいとこの仏壇に手をあわせていて、

ビデオなんかものこっていて、

親戚があんなもの、残っているから、かえって・・・と、ささやいていたり、

叔父が、

いとこの友人もだんだん、こなくなって・・・と、忘れ去られることをさびしくおもっていたり、

こういうのをみているせいかもしれない。

形でなく、憂生は憂生なりに親父から学んだことを

いかしていきたいとおもう。

別にそれは死んだ人間に対してだけでない。

洪水


仏壇を掃除する。

この言葉で思い出すのが、やはり、憂生のたいけんである作品

彼の魂が・・・

なんだけど・・。

結局、いとこの死後、仏壇にむかったとき、

いとこが成仏してなかったということなわけで、

仏壇があれているということは、

たとえていえば、そういうわけだろう。

なぜ、いとこが成仏していなかったかといえば、

ーくそ親父ーという思いがのこっていたわけで

こういう思いをとどめていたから、

自分の思いしかみていず、自分の死にきがついていなかったわけだけど。

逆をいえば、

こういうふうに、親父をみそこねていた憂生だったから

いとこの霊がよってきてしまったということになる。

一方、

この叔父がなくなってしまって、

しばらくしたとき、転寝していた憂生にむかって、叔父のもう一人の子供の名前を呼んだ。

(生きているもう独りのいとこになにかきがかりがあったのだろうかと

あるいは、いとこになにかあったのだろうかとおもって

様子をみにいったが、まあ、しあわせそうにみえた。)

ところが、この次の日に

やはり、転寝していた憂生にむかって、

誰かが「大国主命」とよびかけてきた。

ここが、自分でもさっぱりで、

たぶん、憂生の魂が幽界にさまよってしまったんじゃないかと結論しているのだが・・。

が、この

叔父ー叔父の子供

誰かー誰かの子供=大国主命

と、かんがえると、

誰かは、スサノオになってこないか?

そして、憂生といとこをまちがえるということは、

憂生のいとこが大国主命ということは、

憂生が、にぎはやひということになるか?

いや、荒唐無稽はおいといてな。

にぎはやひを考えたとき、

一番疑問なのは、

最初に日本に降臨してきたのに

なんで、あとからきた神武に座をゆずったのだろうか?

と、いうことになる。

神武も天磐船にのってきたにぎはやひと承知している。

結局、血筋や後先でなく、

神武の「人物」が、勝っていたということだろう。

結局、こういう

「にぎはやひ」というものにたとえられる「人徳の無い憂生」が、

いるということにほかならない。

じっさいのところ、

天理教の中山みき女史によれば、

上つ人はみな、唐人だという。

こういう意味合いで、

考えれば、裏の天皇は、にぎはやひということになり

にぎはやひはあちこちで、封印されている。

封印されるには封印されるわけがある。

と、おもう。

以前、ウシトラ金神が封印されているということもかいたが、

裏が表になったら、

世の中に天変地異がおきる。

つまり、秩序がひっくりかえる。

子供が親よりえらくなったり

女が男よりいばっていたり

と、まあ、上下がひっくりかえってしまったり

世界情勢をみてもそうだろう。

加害者であるアメリカが正義をふりかざしたり

こういう秩序がひっくりかえっている状態になったときが、

封印がとけてしまうということになる。

封印というのは秩序でないから、

封印するわけだ。

日月神示がいうこともそういうことだろう。

みんなして封印をといてしまうから、

秩序が崩れる。

秩序というのは、自然でいえば

上にあるものが上にあり

下にあるものが下にある。

山は高く、海は深い。

この秩序をくずすのも、

人間でしかなく、封印をとくのも人間でしかない。

では、恐竜の時代にも天変地異がおきたというだろう。

日月神示のいうのは、人間内部の洪水といってよい。

大江の本のタイトル

ー洪水はわが魂におよぶー

そのとおりであるとおもう。

不思議な話し。


☆どうも、この調子では白蛇抄の掲載が、ままならない。

アスペクトは憂生の直の語りだから、憂生にとってはとっても大切なんだけど、
こんな私感を読まされる方はたまんないかな? 

でも、考えようによっては物語も一種、私感でしかないんだけどね。

例の特殊能力だろうか?文芸社のおじさん?(おにいさん?)

『ポルノ?いや、ちがう。そんなもんじゃない・・』なんて、思念が入ってくる気がする。

自分の期待が大きい時は、入ってくる思念がこれにかき消され、

自分の欲色に染められる事が多いので全然、当てに成らないのも判っている。

とことん自分が無私に成ればいいんだろうけど。

だが、なにおも思わぬときにひょいと思念が入り込む。

ところが、こういう時こそ拘るものがないから、入り込んだ思念を受け止めそこね、なってから気がつくという。

おそまつ!!

が、この間。

ひょいと「・・・・(内緒にするけど、悪い事ではない)」と、ささやかれた。

このささやきが実になる場合と成らない場合があるが、としても、1日~3年の猶予がある。

時に、三ヵ月。

見納めだと思わされた一人の人は忘れもしない4月14日だったが、彼がなくなったのは七月末日。

近所のお爺さんの「この冬こせるかな」も、10月頃か?

冬を越すかと云う2月末日に大雪がふったっけ。冬をこせないまま、

その2月末におじいさんは死んだ。

盆のふるさとへの帰省で『見納めだ』と思わされた婦人も

秋の旅行 でホテルの部屋から投身自殺だったときかされた。

でも、この予知?予告?なるものが其の通りに成るとは限らない事も知っている。

時に1日。ある日、良人が秀人と一泊旅行に出かけた夜。

憂生は「良人が事故った」と、ささやかれた。

「そんなことはない」否定しながら、何の連絡も無い事が嘘の証拠だと思った。

ところが、無事に帰ってきた良人が憂生に報告しだす。

『秀人と運転をかわって、しばらくしたら、あいつが居眠り運転をしだして。

慌ててハンドルをとって、修正したけど、対向車もきてたし、俺がもし、横でねてたら、しんでたな』

この時間はむろん、憂生が囁かれた時刻と符号する。

きっと、本当(運命通り)なら、囁かれたとおりになっていたのかも。

だけど、この運命を覆す「:なにか:」が、ある。だから、囁かれたとおりになるとは限らない。

こんな事をかいてたら、憂生は又、昔のある事件をおもいだしてしまったので、不思議な話を又書く。

成れぬ土地に来た憂生にとっての唯一の知己だった彼女は憂生をよく自宅にさそってくれた。

その頃、憂生は夢を見た。

真っ白な着物を着た白髪の白髭の老人がでてきた。

其の姿は仙人のようで、縁行者が例えばこんな姿かと思わせた。

其の老人がいう。

「死にたがるものにぶつかってこられる。死にたがるものは毒をもっている」

不思議な科白だったので、こんな事に詳しい人間にたずねてみた。

すると。

「其の老人のいう通りです。あなたが友人の所に行くとき、よく動物がしんだりしていませんか?」

憂生も同じ言葉をかえすしかなかった。

「そのとおりです」と。

友人宅へ遊びに行くたび、必ずといっていいほど犬や猫の轢死体をみかけた。

それは、つまり、老人の言う死にたがるもの、そのものの姿なのか、

あるいは死にたがるものの毒にやられた結果の姿なのかは憂生にはわからない。

「其の土地は古い土地なので、いろんな思いが染み付き、潜んでいる。

彼女は子供はそこでうまないほうがいい」と、その人間は結んだ。

そして、ひとふりの清めの塩を渡され、簡単な結界の張り方をおそわった。

その「いろんな思い」こそが死にたがる思いなのだろうか?

これもよく判らない。

判らないまま自宅に帰り普通に生活しはじめていたある日。

良人が「しんどい」と会社から早引けしてきた。

良人は風邪を引き高熱をだしていた。

この良人の風邪の治し方は薬を嫌う人なので、布団に包まり大汗をかかせて

風邪を退治するという方法なのだ。

憂生は良人が大汗をかくたびタオルケットを替え、着替えを用意した。

そして、すぐさまそれらを洗濯し庭にほす。

タオルケットを物干し竿にかけていると、なぜか無性に清めの塩をまきたくなった。

家の周りを左回りに回りながら清めの塩をまいていると、「野鼠か・・」と、憂生は何かにささやかれた。

そして、二日後。良人の熱は下がり元気に出勤していったのだけど、沢山の洗濯物が残されていた。

昼近くまで洗濯物にかかずらわって、ふと、物干し場の地面をみつめた。

このあたりも自分の生活圏内と思って塩をまいてみたのだ。

塩がまかれたあたりを見てみるつもりだった憂生は妙な物を見つけた。

よくよくみてみると、それは、野鼠の死骸だった。

小さな二十日鼠くらいの野鼠。

憂生の中で一気に夢との話しがつながった。

「この野鼠は何らかの原因で死にかけていたのに違いない。

苦しみのあまり死にたがった野鼠の辛い思いが毒になり良人にぶつかり、その毒素が良人をむしばんだ」

このことは、夢の中の老人が言う事が本当のことだと明かすための事でしかなかったのかもしれない。

だけど、奇妙に符号する、囁きと実際の野鼠の死骸。

人知では、究明できない思念の渦は、見えない空間の中に鳴門の渦潮のように、

そこいら中に逆巻いているのかもしれない。

普段の生活で風邪と思っている事は実は死にたがるものがぶつかってきていたせいかもしれない。

これが、わかったとて、結局風邪薬をのむしかないんだけど、

せめても、人を理論で追い詰め生きる気力さえ失わせるくらい落ち込ませるなんて事がどれだけ危険な行為であるか。

こういう場合は生霊というより、死霊の範囲に入りかけてるかもしれないけど、

正に理論でかっても人として下におちているというところかもしれない。

結局、あの人の言う事は正しいとか、情を顧ない捌きを付けがちな人間の驕りを、

いや、憂生の驕りを示唆される事件だったのだろうかと、

今更ながらに考え直しているのである。

と、同時に死にたがる人間になることを戒められている気もした。

物事を投げ出し生きる気力を失う。

この挙句自殺でも企てたとしても誰に迷惑がかかるわけじゃなし。

こんな考えをもし起したとしたら見えない世界では時に他の人間までも、

死に引きずり込む毒素を発する『情けないもの』になりさがるんだ。

兎に角人は精一杯生きて生きていきてゆくしかない。

この活力こそ「情けある自分」にすりかえる。

例えばこういうことだろうか? 

死にたがり願望の強かった憂生への警告にすぎなかった事件でしかないかな?

こんな幸せな気分のまま、いま、死ねたらいいな。憂生はよくそんなことを思った。

ある種、つつましい願望はむしろ、多くの毒素を生みだすだけでしかなく、

某大臣の言うある早大生の毒のある行動はむしろ生きている事を謳歌しているだけでしかないなら、憂生の方が余程罪深い。

憂生は知らずに毒をまきちらかしていたのかもしれない。

そういえば、夢の老人は酷く冷ややかでおそろしくおもえた。

憂生を擁護しに来た眼差しとは少し違っていた気がする。

こんな風に何かに囁かれたり、何かの思いを拾う事は今でこそほとんどなくなった。

それは一つの事件が契機だったかもしれない。

裏庭の戸を開け、あたりをみまわしていた。周りには何も居ない。

ところが、憂生の耳には「やーね。みてるわよ」「いいさ。ほっとけ」なんて

、何か判らない痴情めいた科白が飛び込んでくる。

だけど、みまわしても誰も居ない。

見渡すほどに「やだ。まだ、みてる」「いいさ」「いやよ」と、

憂生の見渡しにまるで覗き見がばれているかのように思いがとびこんでくる。

とうとう、彼女は「いや」と彼から身体を離し彼は「おい」と、彼女との痴態を惜しんでひきとめている。

憂生にすれば何も見えないし何もない。

なんやねん?それ?と思った瞬間葦原から猫が1匹。続いて、もう1匹。

え?まさしく。え?  

もしかして憂生はこの猫の思いを拾っていた?

色んな事件があり、人の思いを何かの拍子。いや、こちらに思いを向けられた時によくひろった。

―「噂といってたけど、それ「だれがいったんだろう?」」

― 暫くするとお隣さんが噂を言ったのは誰ですか?とききに来る。

イチゴを見ていると『ふ―ん。この人はイチゴがすきなんだな』

暫くすると大家さんが苺を持ってくる。

こんな事がしょっちゅうあると、思いを拾うことを気味が悪いと思うより、どこかで肯定し始める思いが生じる。

自分を赦すとでも言おうか。この肯定がいかに安易なものであるか。これをしらされた。

猫。動物の思いまでひろう?

つまり、自分の程度が猫ぐらいの思いでしかないということになる。

このことにより、お構いなしに拾う自分に意識的規制がかかった。

拾うのは仕方がないが、取りざたしていいかどうかの判断がつかない自分であり、

挙句猫なんかの思いまで拾うしょうもなさ。

拾った思いを下手に信じたら大変な事になるんだと気が付いた時、本当なら、その内判ると考える様になった。

言い換えれば、迂闊に云云頷いていたら思いを拾わさすなにものかに自分がのっとられる。自分がなくなる。

だから、良人の事故るを憂生は信じなかった。むしろ、否定した。

あの慎重な人間がそんな事は無い。

結果は先に書いたとおり。もし、憂生が信じたら本当に事故って居たのかもしれない。

思いの世界はエネルギーだとも思う。

憂生が信じたら其のエネルギ―で事故を引き起こさせるのかもしれない。

拾った思い=其の通りになるのではない。

だが、確かに成りかけたかもしれない未来。もう一つの岐路をみせつけてくることもある。

本当だったらはへんな言い方かもしれないが、事故る良人だったかもしれない。

無事である事の裏には本当はこんな風にいくつ物危うい岐路をまぬがれているという事実があると言う事さえ気がつかない。

良く自分が生まれてきていると言う事が既に一億分の一の確率を得た勝者というが、(精子段階で生命を掴み取るという確率)

何気なく平々凡々に生きている事こそ、本当はいくつもの枝路を潜り抜けた勝者の証でしかないのかもしれない。

無事と云う事のすごさに気がつかず、感謝の念の薄さにも気が付きもしない。

こんな人間への示唆でしかないのかなと思ったとき、憂生はあまり思いを拾わなくなったし

思いを拾うことをスゴイとも思わなくなったし、拾った思いをむげにきにしなくなった。

拾ったかなあって感じだし、むしろ、意識を集中する方が拾いにくい。

余程真剣に拾おうとする物事で無い限り、集中もできないし、本当の事は拾えない。

自分の感情が混ざりこんで一層デマがはいりこむ。

だから、自分からわざと拾うきはない。

神経集中してまで知らなきゃなんないことってあるかな?

知らないからいいんだし、知る必要もない。

それでも時折ひょいと入ってくる。

相変わらず事が成ってから『つまり猫事件で云えば、猫がとびだしてきてから』ああ、拾ってたんだなと気が付く。

こんな調子で勝手に入ってくる場合はしかたない。

けど、それにふられない。

だって、それって相手でなく、自分を信じてるだけじゃない。

つまり、人をみない、信じない大馬鹿者じゃない。だったら、1人で生きてろよってとこでしょ?

不思議なことをかいてる?

でも、こんなのって多かれ少なかれ誰にでもあるんじゃないのかな

仕事中になんかいやな気がして早退して帰ったら、子供が熱出してますって、学校から連絡がはいったりとかさ。

偶然が自覚させられる対処でしかないなら、普段って、自然が生み出した意識できない対処でしかないんだけどさ。

相手の思いを自覚させられた方がすごいみたいに思いがちだけど、

友達同士。何となくあいつの考えてる事が判るって事の方がもっと凄い事なんだよね。

何となく判る。何となく無事平凡。この事の方がもっと凄い事なんだと思う。

不思議な話(二十話め)を先んじて・・・。


不思議な話(十九話)をアップしようと思っていた。

ところが、今日。

その不思議な話に追加されるべき事件が起こったので

先にひとつ、・・・・正確には、もう少し前にもうひとつあったので、

憂生の考え?と併せて、今日の不思議な話を先に上げる事にする。

*******

まず、最初におきた事件?

忘れもしない。

3月3日。

新しい職場の早出を終えた時間だった。

時間は7時50分頃。

例の如く・・・思い?が入ってきた。

女性の感じだった。

「今・・・亡くなられました」

そして、職場では入所者のひとりが、死亡していた。

同時に

やってきた、同僚から、先輩の母親が亡くなったので、

先輩は今日は欠勤になるとの報せをうけた。

ひさかた、こういう、不幸ごとの報せ?の思いを

ひろうことがなくなっていたので、

ちょっと、自分でも驚いていた。

だが、実際問題。

どっちの死亡報せを受けたのだろうかと思っていた。


そして、今日。

夕方・・・思いを拾っていた。

思いを拾うといっても、

これは、事がなってから、なにか?誰か?の思いを拾っていたと

分かるのであって

その時は自分が思っているように同化していたのであるが、

先の時のように、同化せずに

思いを拾った?受けた?と判る時があるのに、

今日の場合は自分の思いと同化していた。

夕方。

なぜか、分からないが

「成仏しろ。成仏しろ」

と、何度も思う。

今、思えば・・・この時は男性っぽかった。

何を思ってるんだろうと自分に疑問さえ感じず

なんか、縁起でもないことを思うなあと仕事の事に頭を切り替えた矢先

主任に電話連絡が入り

突然、帰るといいだした。

理由。

姉が倒れ脳神経科の大きな病院に搬送された。

しばらく、

考えて・・・拾った思いがなんであるか、やっと分かった。

おそらく意識不明?人事不肖?におちいった、主任の姉に

幽体離脱?がおきたのではないか?

そして、魂が主任のところにやってきた。

それを見た憂生の守護霊?かなにかが、

「成仏しろ。成仏しろ」

と、その姉の魂?に喋りかけた?

それを憂生が拾った。

無論、それで、そんなことがあったからとて、主任の姉が

成仏する状況/亡くなった/と、いう事ではないとは思う。

その魂の様子をみて、憂生の守護霊?かなにかが、

そう言った/思った?だけであろう。

いずれにせよ、こんな事を同僚に話しても仕方が無いし

なってから、自分でやっと、こうなのか?と分かる状態では、

なんの役にもたたないし・・・。

思いを拾う状況と

誰かの思いと同化する状況と

憂生の中にも、ふたつのパターンがあると

今回ではっきりした気がする。

ひょっとして、ぶきみなはなしかな?《オーブ写真》

l2 

デジカメ で部屋の中をとると、いつも2こ3こは
オーブがうつっている。
べつだん、きにしてないから、いつものことで、
むしろ、写ってないと、どっかいったんかと心配になる。
まあ、これは一種のかんでしかないいんだけど、

怖い物、わるいものだったら、ぞっとさせられるので、それもあって、きにしてない。

と、言うのもカメラ をやってた頃、

海岸の洞窟を撮って、ひどくぞ~~~っとしてかえってきたことがあった。

その、こわさといったら、いまでも思い出してとりはだがたってくる。
そして、その写真を現像して友人にみせていたら・・・。
「憂生・・・ここ・・・」
憂生がカメラを構えた近くの岩肌に真っ青の顔の男の人の横顔がうつっていた。
顔だけ・・・。
あとできいたら、近くのがけから飛び降り自殺した人の遺体はその海岸に上がってきて、

その洞窟にとりあえず安置しておくことがあったそうな。
別の友人はその浜で泳ぐと、その洞窟の前あたりの海中で何かに足をひっぱられるといった。
こんなことがあったから、くらべてみれば、家の中のオーブはぜんぜんいやな気配がない。
ご先祖が様子みにきてるのかな?


ちょっと、怖い話かな?

l1 


ものすごい数のオーブが映ってるのですよ。
点に見える光もそうだけど、白くぼう~とした半透明の○もそうです。画面真ん中の一瞬太陽かな?と思う○もそうです。
この下に池があるのですが、
この池で昔に人が死んでます。
直ぐ近くでも事故で人が死んでます。

オーブ自体、即悪いものとはきめつけていませんが、
湿地帯?
悲しい思いが刻まれた場所に慰めるかのように引き寄せられるかのように集まってくるんだなあと思ってみました。

そういえば、盆の間、逆に憂生の家のオーブ、ぜんぜん居ませんでした。
そとのほうもすごかったけど、映しても、ぜんぜん居ない。

盆が終わったら、ぽつぽつ、かえって来てました。
里帰り?してたのかな?

オーブを映して拡大すると、
中は目の玉のような、
曼荼羅のような模様?が見えます。

うまく映せたら、また、掲示しようか?

って、そんなもんいらねえ?

不思議な話・・。亜偏 《彼の魂が・・》

この話を書こうと思うとき
いくつかの戸惑いが在る。

その戸惑いのわけははなせないのだが・・・。

親戚の長男が28歳で死んだ。
この人が死の3ヶ月前に「みおさめだ」と、思わされた人である。
死んだ日の朝にも夢を見た。
自分の妹の
子供の命名をしたひとで、姪がうまれるまで、
お気に入りの名前をあちこちの人に「***と、つけろ」と、よくいっていたと、きかされたが、
憂生の夢に現われ、
「子供の名前は***にしろ」
と、いうのである。
すでに、***は、姪になずけられている。
おかしいな夢だと思った。
そこに電話が入った。
訃報を告げる電話であった。

こっちへ来て、しばらくは、よく、その親戚の家に厄介になることが多かった。
家に行くとまず、
仏壇の前にいって、
手をあわす。

ところが、そのときに思いが入る。
「ちっ・・うるせえなあ。また、なにかいいにきやがったか・・」
その思いはしばらく、
憂生を眺める。
どうも、憂生だと判ると、黙る。
憂生にたいして、うるさいと思ってるんじゃない。と、思いを引っ込めるようである。

それから、しばらくして、憂生は自宅で
のんびりしていた、ある日。
うつらうつらと、昼寝をしてしまった。
その夢の中に長男さんがあらわれる。
同じ部屋の隅に長男サンはごろりと横になっていうのである。
「ここはいいなあ~」

仏壇の前の「うるせえ」と、言う感情と、
ぜんぜん違う。

憂生はこんな事に詳しい人に話を聞きに行った。

「その方はまだ、自分が死んだ事を判ってらっしゃいません。その上に、お父様の事をうとんでいらっしゃる」

なるほど。あの「うるさい」は、親父が仏壇の前に座ったと思ったんだ。
そして、憂生だったので、黙ったんだ。

もうひとつ、言われた。
「長男さんは、このままでは、あがれませんよ。できればね、父と子がどうなのか、

だれかが、みせてあげてくれるといいんですけどね。
確か・・伯父さまはかなり煩いかたですが、どんなきつい事を言われても、それをはい、はいと、うけて、
みせてあげたら、長男さんは、きがつくんですよ。

いまのままじゃ、「うるせえ」だけしかわからず、で、この世をうろつくだけです」

この不思議な話を、親戚のある人にした。
年頃も長男さんとおなじ。
その人は信じてやってみると、受けてくれた。

それから1年か?仏壇の前に座っても、
何の気配も無くなった。

疑似体験かなあ?


メールボックスのなかにおかしなメールが入っている。

「貴方の小説に感想をいただきました」

どこもおかしくない。

ちょっと、前までならば・・・・。

その投稿場所の小説?および登録を抹消したのは、

もう2週間以上前。

つまり、無い小説に感想がくるわけがない。

と、思いながら、投稿場所をのぞいた。

間違いなく、削除している。

作者の登録も無い。

考えられることは、キャッシュ。

キャッシュが2~3ヶ月残っていることは知っている。

そのうち、なくなるのだけど・・・・。

キャッシュに感想などが書き込めるとは知らなかった。

感想の内容は死にたくなった。

だった。

こうなると、純粋に小説への感想なのか?

個人の鬱積がわいてきてしまうのか、どうか判らない。

さいわい、お知らせがきていたから、しっかり、

エージェントやIP番号が表示されていて、

うっかり、他の小説が現存する場所にはいって、

他の物もよまれてはかなわない。

と、いうことで、拒否設定をかけたのだが・・・。

作品を読むときに

感想をいただいて、思ったことだが

読む人間の幅?で読む。

同じ作品を読んでも、ひっかかるところ、受け止め方が違う。

多くは個人の考え方や環境・精神状態による。

例えば、ブロー・ザ・ウィンドをよんで・・・。

ここの設定が甘いとか、表現が稚拙などといえる人はある意味

幸せなのだ。

物語の設定に近い状況(恋人が亡くなった)を持っている人は

号泣になってしまう。

極端なたとえだが、読む側のさまざまなバックグラウンドによって、

物語の受け止められ方が違ってくる。

今回、死にたくなった。

と、いうのが、感想であるのならば、

憂生はむしろそのバックグラウンド部分が心配になる。

おまけを言えば、同じ小説に対して

別の人間は読んでいてせつなくて(かな?)声をあげて泣いた。

と、感想をくれていた。

憂生はその感想をくれた人のバックグラウンドを知っている。

個人情報部分もあるので、詳しくはかけないが

「親の思い。子の思い。その部分」

だから、死にたくなった人がそういう風なおもいになるには、

それなりのバックグラウンドがある。

そこの部分を訴えられてるというか、

同じものをよんで、死にたくなるほどの

精神性や受け止め方などなどしかできない自分をうったえてきているというか。

先にあげたブロー・ザ・ウィンドがそうだろう。

幸せというバックグラウンドがあるから、物語を架空のものとして読めるし

共振させられる部分も少ないからこそ、外側の問題(書き方がどうの・・とか)

に着目できる。

この逆を考えた時、だったら、どうにかしてやれないか?

と、考えるべきかもしれない。

だが、憂生は放置しておく。

本当にこっちが必要ならどうにでもして探してコンタクトしてくるだろう。

昔と比べ、動かなくなったと思う。

過去、こっちにぐっと、近寄ってきた人間は多くいた。(必要だったんだろう)

その度合いによっては、かなりのところまで、コンタクトがとれる。

そのコンタクトというのが、まあ、いえば、テレパシー状態にまでなる。

過去、ある女性が死にたいと入水したらしいコンタクトが来る。

「死ぬな」と念を送った。

こちらには、不安感がず~~とつきまとい、女性が迷っているのが判る。

一時間~二時間?もっと短い?

「死ぬな・生きていけ」

その念というか、祈りというか、エネルギーを送り続ける。

実際目の前で起きてることでもない。

本当なのだろうか?魑魅魍魎にたぶらかされてるんじゃないか?

いっしゅん、「勘」だけでしかわからない人間は迷う。

いや、もし、本当にあいつだったら・・・。

魑魅魍魎にたぶらかされたなら、それはそれで良かったってことになる。

一瞬のうちに迷いをふりきり、念を送り続けた。

そして、念をおくらなくてもいいような、

安心感がこっちに沸き始めた。

「大丈夫だ」

自分の送念状態をといて、

しばらく、待った。

30分以上たったかな。

相手はネットの友人。連絡はメールかブログのかきこみか、チャット。

目の前の画面にぱっと文字がはいってきた。

「心配掛けてご免」

もっと、早くかえってきていたはずだろうに

30分?はと思っていると

「実は沼につかっていたんだ・・体どぼどぼだから・・風呂にはいって・・」

沼・・こんな深夜に沼に・・

「死のうかなって思って沼にはいったんだ。水が冷たくて

このまま、死ねるかな・・死んでいいのかな・・

自分の頭をひやすために、ず~~とつかってた」

そして、生きようと思え、死のうという思いがくだらなく思えてきたんだろう。

それで、沼からあがってきた。

疑似体験というのかな。

臨死体験というのかな?

よくはわからないが、例えばこんな事があった憂生だから、

「死にたくなった」とかきこまれたら、

昔だったら、その言葉がうそにしろ本当にしろ(バックグラウンドはわからないものだから)そんな思い方をもたすものを心配してなにかしらのアクションを起こしたと思う。

今はほったらかし。

あるいはそれが「その人にとっての疑似体験になってるのかもしれない」

とも思う。

たかが本であるが、その本を読んで、疑似体験をえたおかげで、

死なずにすんでいるという人も居る。

そういう不思議なしくみにきがつくことはめったにないし

そこを知る人もいないだろう。

だから、「死にたくなった」さんは、臨死体験?疑似体験をしたのかもしれない。

そこから、どういう風になっていくかは、

その人の責任でしかない。

「死にたくなる」ようにうけとめて、いずれ本当にその思いにのみこまれるのか、

逆に「命」を思い切り掴みなおすのか、そこら辺は関知しない。

ただ、こういう風に憂生の心境が変わっていったのは

なぜか判る。

かけた思いは自分へのことだから。

「生きろ」「死ぬな」という思いが逆に憂生をささえてきた時期もある。

そして、今は

「生きるも死ぬも自分次第」と強く言える憂生になったということだろう。

その自分の変化がこういう心境に立つ原因で

一般的にいう、冷たい、醒めた思いでなく、

絵で言えばデッサンを習得?出来た上でのくずした絵というところかもしれない。

またも・・不思議な話。


15,16の頃を境に見えない世界の住人らしき物との接触がはじまりだした。

憂生の場合は視覚的に見えるという物でなく、

およそ、感覚的なものでしかない。

これも当初は

かな?

という、ぼんやりした物が多かったが、

何年かたつうちに

「思い」が入り込むことが多くなってきた。

視覚的に感じたもの

身体的にかなり具体的に感じたことは、

かぞえるほどであるが、

いずれにせよ、

思いというものは

時空、場所を超える物である。

幽霊とか言う事の話ではない。

まあ、幽霊も思いが結晶化したものであると、考えるので、これもふくむのであるが、

思い。

これが有形にしろ、無形にしろ、存在の基点である。

存在、全てに何らかの思いが存在すると憂生は思っている。

ただ、今の人間はいろんなことに、

心がとらわれ、

(思い)をキャッチできなくなっている。

太古の人々は、風や木やいろんなものの思いを

聞けたのではないのだろうかと思う。

ふと、無心になったとき、思いはつながる。

爆笑問題だぜ・・・

いつだったか、かんさく?眼が両方にでてる。

って、話をかいた。

フィッシュの両方に尾があるような形で、人差し指の下にでてる。

2年位前から右手に、1年前から両方に・・・・

思わぬ大金が転がり込む?とか・・・。

宝くじ?あたるわけないさ。

と、思いつつ、あたったらいいなと思う。

すると、例のごとく、

憂生の変なセンス。

「あたるから、かえ」

そういう風に思わされるので、あほである。

会話してしまう/大笑

「お前の言うことがあたるもんか。本当なら、先に証明してみろ」

すると、ふと、知り合いのおじさんがいたところをとおりすぎると

「みおさめだな」

この言葉、過去にもなんどかあって、実際その通りになった。

だからこそ、同じ言葉で引っ掛けてきてるなと思ったのと

人の死で証明なんて、縁起でもない。とんでもないやつに違いない。

と、まったく気にせず、そんなこともわすれはてていた。

つまり、思い出して書いてるわけだけど・・・・。

ある日、けたたましい救急車の音。

2,3日してそのおじさんの訃報を知った。

実に複雑な気分になる。

まあ、おじさんの状況を知ってる人だったら

いつ亡くなってもおかしくないと思うんだろうけど、

憂生はそのことを小耳に挟んだのも忘れてる。

で、問題は・・・。

宝くじだ。

こんなんで、買うべきか?

買わざるべきか?

いやいや、もうひとつ、踏み込んで、

手相の問題としても、たしかめちゃれ。

結果、

あたりました。

3000円・・・・。

確かにあたった、

けど、あたるから買えといわれる額ではない。

1万ほどかって、3000円あてるのに、

あたるから、買えもおかしな話。

手相も大金ではなかったという意味合いでは外れてる。

それとも・・・。

買えというふうにいったものから、みたら、

3000円があたると、だけわかっていて・・・。

その3000円が大金?

おまえ、明治か大正の存在か?

だとしたら、あたってるよな。

3000円1銭、1厘なんて時代からみたら、

3000円は確かに大金だな。

で、憂生はどう結論すればよい?

手相、あたっていました?

で、じっと手を見る。

まだ、あるよ。かんさく眼。

まえよりおおきくなってる。

そうか、夏のジャンボだな・・・。

今度は5000円か?

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