画像1 画像2 画像3 画像4

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

*憂生’sワールドにどうぞ、いらっしゃいませ*

cafeに来た、本来の目的かぁ。
なんとなく、わからないこともない。
(↑二重否定はややこしいからやめましょう…)

確かに、cafeの日記めぐりはしても、
なかなかリンクまでは開かないもんなぁ。
特に、初めて訪れたページでは。
日記でひきつけられて、興味がわいて、リンクも開いてみる。
憂生のとこでのアタシはそうだった。
実際に、足跡とかで話するようになったキッカケは別にあっても(笑)
訪問はちょこちょこしてたからね。
日記のほうがすぐに読んでもらえる、ってのは間違いない。
いきなり長文だと、それだけで躊躇っちゃう人もいるのでは?とも思うけど。
まあ、そんときゃ、縁がなかった、でそれまでなのかなぁ。


cafeの日記はダイレクトにレスが書けない/もらえないから、
人の日記には足跡で反応ってことが多いんだけど、文字数の制限がね・・・
ヘタに省略しすぎると、意図が伝わらなくなっちゃうし。
最近はむしろ足跡よりも掲示板に
メッセージ 残すことのほうが増えてきたなぁ。
自分の日記もブログに移行しつつあるし。


わかりますね。
足跡で話してるうちに、うまくつたわらなくて、メール書いたりなんて事もよくあります。

目下のところの悩み?は
悪童丸よりさらに長い「白峰大神」を
いつごろ日記にあげようかと言う事です。
1作品で、一月では
白蛇抄のアップが1年以上かかる?

白峰大神にしろ、この先の作品にしろ、やはり、
この悪童丸が要で、
ココを判ってもらってないと
先が薄くなりそうでいけないんですよ。

相方あきらにいわせると、
邪宗の双神が物語の集大成らしいですが、
この作品が1番長いです。

「思いを救って行く」/あるいは、きりかえてゆく。

別に澄明でなくても、現実の世界で
思いをきりかえて、自分を救わなきゃならないって事があります。
こういう意味でも
憂生が常日頃日記でほざきまわってる事と
物語は何もかわりが無いことを言ってると思ってます。

物語りも日記も
なにもかも、ここで、表現された文字が
語ることは
やっぱし、
憂生’s
ワールド /わーど?。

とっぷりつかりこんで、
貴方の実践の応援歌になってくれたらいいな。
なんて、思ってます。

日記を読んだ人がどこまで、ひっかかってくれるか、わからないけど、
原点は「起爆剤」でありたいだけ。

ま、がんばって、作品をあげてゆきます。

こちらもこうやって返信がダイレクトで
うれしいものですので、
どんどん、横レスも縦返信もしてやってください。

ちゅらら ・・・ありがとう。


仲間なんてそんな簡単な?言葉でくくられたくはないかもだけど。
って、これをココに書いたら、またこっちのスレッドが上に来ちゃうなぁとも思うけど。
憂生の思いに踏み込みすぎちゃいそうで、あっちのスレッドには書けない…。

憂生は優しいから、優しすぎるから、
自分で救えない存在があることで、自分を責めてるんじゃないかな、って。
それが時々、アタシも心配になる。
Ouiって書いたときもそんな思いで書いたんだ。




白蛇抄、アタシはようやく「井戸の柊二郎」を読み終えたところ。
どうしても、
ストーリー を追ってしまって、
書き手の細かい思いを、一読しただけでは拾えないアタシ。
2度、3度って読んで、ようやく細部まで気をまわせるから、
じっくり何度も読みたいんだけどね。
2回目を読むより、次を読みたくなる。
そう、都合よく解釈しといてください。実際、そうだし。

それでもね、作品を追うごとに、憂生の声が聞こえることは増えてきたよ。
日記でも物語でも、言ってることは同じ、って憂生自身も書いてるように。
作品を読みながら、憂生の声が聞こえる。

だから・・・
ちゃんと伝わってると思うよ。憂生の気持ちは。

だから、いろんな人が集まってくるこのネットの世界でも、
いつのまにか、憂生に魅了された人が
周りに集ってるんだって。
「シッカリ保存?してあるんで、
とってきました。

下のスレッドでちゅららが言ってくれてる事はこのことなんだけど、
まあ、なんちゅうか、
こんな奴だけど、そう思ってくれるちゅう~ことは、
本当ありがたいっす。




Oui.

フランス語の肯定。
いわゆる、「はい」というヤツ。
そんなこと、フランス語を選択してたちゅららじゃなくてもわかるって…。



そう、あなたの言葉には、いつもうなずかされる。
「そうそう」って納得したり、「そっかー」って励まされたり。
それは、あたなの器量であり、飾らない本音だからなのかな。
ストレートに心に響いてくるから、時には図星すぎて痛いくらいのことも。


逆に、あまりに飾らないその言葉に、
あまりにも裸のあなたに、
ちょっと心配になることも。


ちゅららは、すごくすごくたくさんのパワーをあなたからもらってきた。
これ以上求めたら、求めすぎたら、あなたのパワーを吸い取ってしまうのかな。
求めちゃいけないのかな。

求めてばっかりで、あげられるモノ・コトが思い浮かばないけど・・・
でも、でも、まだまだ、ちゅららはあなたからパワーをもらっていきたいのです。


甘え下手なちゅららだけど、今はなんとなく、
このことを書かずにはいられない。


「ちゅらら。ありがとう」



*ちなみに憂生[oui」だけでなく「we」でもあります。
HPの先頭「憂生’s」は「憂生の」
という意味だけでなく、「
with 」/一緒に/をかけております。

*憂生’sワールドにどうぞ、いらっしゃいませ*」


今回はブログの方にぽつぽつと作品をあげてます。
初の連載?形式なので、うまく、つながってゆくか、ふあんなところがあります。
で、もって、
またも、気がかりなのがお得意の性描写?&そのときの心理描写。
今回、近未来の日本において、戦争状況下においての
一種、レイプを扱っていくつもりです。

こういう内容を扱うと、
レイプ被害者の心情をうんぬんという
非難がきそうなんです。

と、いうのも、どういうんだろうなあ。
レイプがレイプであってレイプで無い。
敵兵に暴行?をうけながら、
彼女の心の中で、
死を隣り合わせにしている兵士への
一種情愛と理解?がうまれてしまう。

まあ、きょくたんに言えば
戦場の聖母/
マドンナになるのかな?

彼女の身近な人間の命まで奪い去って行った兵士の
餓えは性でまぎらわすことができるのだろうか?

一瞬の忘却。
死への恐れを
性というもっとも、生きる事の基/命を生み出して行く運動であると言う意味合いで/で、忘却できる?
それとも、性は生きている証?
肉体へ快さを与えることは
己の生命をいつくしむ作業なのか?

彼女の中で色んな葛藤があったろう・・・。

だけど・・・。

彼女の思いは
いつか・・・。
空をかけぬける。

う~~ん。

こんなことをココに書いてもよくわかんないなあ。

と、いうより、上手くかけるだろうか・・・。

やっぱ心配なのはそこら辺をにおわせる
性表現。
うまく・・かけなきゃ、そのスレッドだけ、非常にやらしくなりかねない。

むむむ、そういう意味では連載は尚、難しいと言えるかもしれないな。


*Withの方は全然気付かなかった。感じた通りのお仲間!
ありゃ、そりは、ここに書くなって??

むむむむ。

では。既に読み始めさせてもらってるブログの方の話題へ。
いわば。「ドストエフスキー with ソーニャの魂」へ挑戦って感じですね!

やっぱ楽しみだ~♪
(と更にプレッシャーかけて、とっとと逃げちゃうのだっ!)

スポンサーサイト

ぶつぶつぶつ・・・ほざく~~~

新風舎だったかな。

本を書くことは読むことより10倍たのしいって、フレーズ。

ある時期までは

本当に書きたくて書きたくて

頭の中に沸いてくる文字をとにかく

文字にしている。

うん。頭の中をそのまま、

書き移しているという状態に等しかった。

ちょっと、構想が沸いたら後はドンドン文字がわいてくる。

書いているというより、

一種の自動書記のように

憑かれているかのようにだったが、

これは、これで、楽しい時間だった。

ソレが停滞して、約1年ぶりに

「空に・・」「小枝」「白砂に落つ」「新之助シリーズ」「パンパンとチョコレート」「俺に胸の中の陽だまり」

を書き終えた・・・。

が、どうしたことか、

また、停滞し始めている。

連載休止中だった作品は

お登勢を含み6本ほどあった。

書きかけのまま手を付けてない作品も他に何本かある。

書くことは楽しい。

はずではなかったのか?

そんな頃にコメントを貰った。

今、あなたは誰かの目を意識して居られませんか?
人の目など気にしていたら・・・・
『悪童丸』を書かれていたときの迫力が見られません。
ごめんなさい。・・・・・
ココだけでも、何も考えずに、あなたの思いのたけを
ぶちまける事は出来ませんか?
そうして頂きたいと、思うのは私だけじゃないと思いますよ。

もっとあなたらしい文が見たい・・と
 一ファンの・・・・おねがいです。
これを読まれたら、削除してくださいませ。
(ゲストなんて、おこがましいので)

確かに誰も読んでくれそうもないと思ってた頃に比べれば、

次をよみたいと思ってくれて居る人に向けて、

何かをかかなきゃならない・・・。

見たいな切迫?観念がないとはいえぬ。

だが、それよりも・・・。

迫力。

と、いう言葉で言い表された真実。

憂生は文章は上手い下手ではないと思っている。

思っていたら、

憂生は此処に自分の文章を出すことは出来ない。

文法も滅茶苦茶だし、

かなり、独りよがりなかきかただし・・・。

それでも、

コレを伝えたい。

此処を言いたい。

こういう必死さがこもっている文章は

下手でも通じるとおもっていた。

つまり、コレが

迫力ってことなんだろう。

ところが、

それなりによんでもらおうとするがために書いた作品は

「コレを伝えたい」が、どこか、希薄になり、

書いている本人も

芯がないから、

めくりだしてゆくと

だんだん、手がなくなってくる。

それでも、かかなきゃいけない・・・。

こんな気分は

楽しんで書いてるといえる状況ではない。

自分をだませないのと同じように

読んでくれる人を

だますことは出来ない。

渦夜がいってたっけ。

本人が書きたいと思って書いた作品と

金のため?締め切りのため?

書かざるを得なかった作品とでは、

読んでいても歴然とした違いを感じる。

本人の思いいれ。

本人ののめりこみ。

コレは文字に出る。

そういえばニュースキャスターもそう聞こえる。

こ難しい政治ニュースを報道しているキャスター

何をいってるのか、サッパリ判らない。

こっちの頭が悪いせいもあろうが・・・/大部分は/

やっぱり、とうのキャスターがそのニュースの意味あいを理解してないんだと思う。

かかれた原稿をそのまま読む。

理解してない報道は

やっぱり、こっちに伝わらない。

そして、思い。

何らかの想いがあれば、

読んでゆくニュースにも、想いがこもり、こっちに伝わってくる。

作品というのはそういうことなんだと想う。

自らが品格を作るべきものであり、

品を持ったものをして作品というべきかもしれない。

我が作品を小説なぞというのもおこがましく、

作品と呼んでいたが、

コレも返上しなければいけないきがしてきた。

物語・・・。

こういうのはどうだろうか?


結局買ってきたのは、古事記。

「あおによし」をかこうとして、これは、さすがに時代背景などなどから、しらべなおさねばいかぬと、本屋に行った。

で、あるのに・・・。

結局買ってきたのは、古事記。

口語訳になっていて、かなり読みやすい。

まあ、今の憂生は、昔と違い、古代史のほうに、興味がある。

一昔・・(曖昧な言い方だね)前は、なにがなんでも、明治維新だった。

ひとつには、人物をたぐりやすい。ほんの・・100年ちょっと前、此処に居たとか・。

激動の時代に多くの「個人」が浮上してくるのも、ちょっと、他にないだろう。

あとは、司馬氏の裏心理と人物像に肉薄した描写に随分、心揺さぶられたせいである。

が、ここ、2~3年ほど前からか?

憂生の身辺事情といろいろな事がかさなって、古代史や神代が気になり始めた。

身辺事情を説明しだすと、こりゃ、きちがいか?と、想われかねない不思議な偶然があったりしたのだけど・・・・。

ひとつだけ、語るとすると、地神・・から始まったと言ってよい。

随分昔、憂生のシックスセンスのせいで、地神の石碑のまえにたったとき、

ものすごい痛みで腹が痛んだことがあった。

その時はそれで、すんだのだが、後年になって、その痛みのわけがわかった。

其の場所である事件があったのだけど、その時期が憂生が痛みに苦しんだ時と符号する。

おそらく、その事件の存念・・のようなものに、いためられたのだとおもったのだが、

ここまでが、憂生のシックスセンス。

で、そこから、地神なるものは、いったい、なんであるのか?

って、ことに成ってきたんだ。

しらべていくうちに、地神・・石神・・。

石の神という形でいえば、石?岩?山・・そのものが本体である三輪の神、大物主が浮上してくる。

そして、石神をたぐれば、宇宙人説が飛び出してくる元になる天の岩船に行き当たる。

で、その天の岩船にのっていたのが、ニギハヤヒ・・。

で、ニギハヤヒをたぐっていけば、オオクニヌシのいとこ?兄弟?など、諸説紛々であるが、

スサノオの系列になにかしら、顔をだす。

そのあたりから・・・、なにやかや、きにとめだしていくと、

現存する各種神社もいろいろ、腑に落ちない部分がちらりほらりと・・。

そんなわけで、いつのまにやら、歴史・・の遺物なる神社とか・・・。

明治維新でなくとも、なにかしら、物的証拠?があるってところがおもしろくなってきた。

まだまだ、かじりかけの・・・。

ゆえに、不思議をストレートに感じる。

こういういい加減さで、ぽつぽつ、かいてみてる。

かくいう、この記事もちゃんと、脱線してしまったので、そのまま・・突き進んだ。

本当は古事記の中味について、書こうとしたんだけどにゃ・・。


続きを読む

今ひとつ上手な質問ではなかったが・・・

7年位前の100の質問だったとおもう。
回答が今とは、違う物がいくつかあるんだけど・・・・追加しておこうか・・・。ふむ。

いわゆる、100の質問です。

3年前の回答です。基本的なことは、変わってないけど、
一日何PVぐらいが、大手?というのなんかは、
今は違いますね。
大手はやっぱ、一日10000PVくらいないと・・・。
3000PVなら、最近ぽつぽつあるので、
それでは、憂生も大手?
わけねえじゃん!!
で、意識変わりました。
月間PVがでたので、この45日間を平均したら、
一日1300PVほどでした。
コンスタントに5000くらいいけたら、
大手のおけつくらい、なぜれるかもおおお!!
1,
お名前、サイト名、生年月日を教えてください。
憂生/もしくは永沢祐稀 憂生’s/HAKUJYA(代表) え?
2 血液型、星座を教えてください。
O型 蠍座・・祐稀は山羊座(実在してるという意識の上の別のペンネーム)

3 身長・体重・靴のサイズは?
低め 最近過太り 小さいほう・・

4 どこに住んでいますか。
山のふもと

5 生まれはどちら?
新潟か東京/よくしらない。

6 いつから
インターネット をしていますか。
5年前(10年前)

7 いつからサイトをやっていますか。
4年半前(10年前)

8 サイトを作るのは幾つ目?
50くらいか?星条旗みてえだな・・・。

(殆んど閉鎖しましたが100いじょうつくったとおもいます。

ここも、アドレスでわかるようにサーバーが6ですからかなり前につくっていたものです)

9 自覚してる長所と短所を教えてください。
真面目・・・/え?
短気。オッチョコチョイ。

10 ネット上での、自覚してる長所と短所を教えてください。
真面目に向かい合う。
はやとちり。

11 自分のサイトのいい所と悪い所を挙げてください。
読み物が多い。
読み物が多すぎる/長いし・・・。

12 インターネット以外の趣味はなんですか?
えっと・・・。無い・・・かも・←コレっておたく?マニア?

13 インターネットに毎日どれだけの時間を費やしますか?
1~3時間。

14 オタクですか。
でしょうねえ。

15 好きな本を教えてください。
司馬遼太郎。山本周五郎。大江健三郎。阿部公房。

16 好きなマンガを教えてください。
最終兵器 彼女

17 好きなゲームを教えてください。
クロノトリガー
FF6

18 好きな
映画 を教えてください。
羊達の沈黙
依頼者

19 好きな音楽を教えてください。
キャメル ・スノーグース
p・
フロイド /狂気・原子心母
リック・ウェイクマン/アルカトラスからの脱出/だっけ?
イギーポップ
ダイアーストレーツ
スコーピオンズ
ボズ・スギャッグス
鬼束ちひろ
d・パープル/チャイルド・イン・タイム
ボストン
フォリナー/ケミストリーがカバーしてたけど・・・。
R・ツエッぺリン
ウィリー ・ネルソン
あ・・・きりが無い・・・この辺でやめとく。


20 上記の「好きなもの」の中から、ひとつだけ人に薦めるとしたら?
今はキャメルのスノーグース

21 巡回サイトはいくつありますか?
今のところ3~4

22 影響受けたサイトを教えてください。
とくちゃんの日記
http://www5.ocn.ne.jp/~toukuro/

(今もあるんだろうか?)

23 尊敬しているサイトを教えてください。
あ・・・ゴメン・・・無い。

24 愛しているサイトを教えてください。
hakujya/・・・・ナルシスト?

25 最高のテキストサイトは、どこだと思いますか?
ブログ人がいいかな・・(近々、サービス終了です・・・とほほ)

26 テキストサイト初心者に薦めるとしたら、どのサイト?
gооブログが扱いやすいかも。

27 苦手なサイトを教えてください。
管理が複雑な所?

28 許せないタイプのサイトは?
そこには、所属しませんが
赦せないというより、自分が添えないだけです。
なにせ、最高13万文字、カテゴリー50は表示したい人。
中々、その条件を満たすブログ、無いですから
サイトの選り好みしてられない。
あ?
読む立場での質問か?
つ~より、プロバイダー?

(最高16万6千文字・カテゴリー100は必須)

29 嫌いなサイトを教えてください。
エロサイト/え?

30 閉鎖して一番残念だったサイトはどこですか?
掲示板だったけどライブドアの一連・・
7~8個あったけど、スパムにやられて撤退。

31 テキスト系以外では、どんなサイトによく行きますか?
他へ行くこともほとんど無いんで・・・。

32 会いたいサイト管理人を教えてください。
渦夜

33 リンクを貼ってもらいたいサイトを教えてください。
特に無い。

34 今まで会った中で、一番面白いサイト管理人さんは誰でしたか?
た~ま?

35 サイトを始めたきっかけを教えてください。
作品発表場所を探していた。


36 サイトをやってて良かった、と思った事はありますか?それはどんな時ですか?
色々と自分の中を纏められた時。

37 サイトなんてやるんじゃなかった、と思った事はありますか?それはどんな時ですか?
閉鎖しようと思ったことはあるけど、
やるんじゃなかったという意味ではない。

38 あなたのサイトの現在の
アクセス 数と、理想的なアクセス数を教えてください。
0~200  アクセスの数はpv数だけで言えば
最高6000とか、出したことがあるけど、
この内容は実際の所わからない。
数よりもマジに読んでくれる質?
コレは数値にでるもんじゃないから・・・。

39 オフ会に出たことはありますか。
無い。

40 オフ会であった、愉快な出来事を教えてください。
あのな・・・

41 オフ会であった、どうしようもない出来事を教えてください。
怒るぞ!

42 顔文字ってどうですか?
面倒。読むのは読みやすい。

43 (爆)とかの表記はどうですか?
/笑

44 以前使っていたハンドルネームを教えてください。
ズット使用中。

45 そのハンドルネームの由来は何ですか?
どの?

46 更新頻度はどれくらいですか。
今は・・・一日・・【今、移行中なので30~50くらいいってるかな】

47 一回の文章にかける時間はどのくらいですか?
その時の内容によるよなあ。

48 文章を書くのに気合いを必要としますか?
気合が満ちてるからこそ書くんだけど・・・

49 1日に何回アクセス解析結果を見ますか?
2,3箇所・・/1回見ればわかるっしょ?

50 1日に何回自サイトの掲示板を
チェック しますか?
掲示板閉鎖に進行中。
掲示板に行くのは、今やスパム削除のため・・/む・・むなしい・・・

51 仲のよいネッ友は誰ですか。
多勢に無勢?/意味判らん?

52 ネゲットはアリですか?
ない。

53 ネゲットしたことありますか?
ないちゅう~に、するわけねえだろ・

54 恋人、もしくは好きな人は、ネットで知り合った人ですか?
好きな人の定義が広範囲すぎるんだけど
ネット知人の多くは好きな人とイコールです。

55 文章を書く上で、最も影響を受けた作品・作家を教えてください。
大江健三郎。
洪水は我が魂に及ぶ・・・など

56 批評サイトについてどう思いますか?
まともな批評眼が有る人間は居ないし
マトモな記事?もない。
実力の有る人間は批評する方にしろ
されるほうにしろ、そんなサイトにウロウロしてない。
ちゃんと、ビックに捕まえられてる。

57 批評サイトに批評依頼をした、もしくはしようと思った事がありますか?
あるけど・・・どんぐりのあたまこづきがあほらしくなって、
撤収。

58 サイト持ちということを、会社や学校で隠していますか。
聞かれない。

59 サイト持ちということを、恋人に隠していますか。
隠す必要が無い。

60 サイト上でのキャラクターであるあなたと、実際のあなたのギャップはどれくらいと自覚していますか。
30度くらい左にずれてるかも・・・

61 リンクページに気を遣っていますか?
サッパリ・・・。すみません。

62 相互リンクについての見解をどうぞ。
・・・・。
自分が訪問したい所とか勝手にお気に入りに
落とし たりしてることが多いけど
結果的にはお互いが勝手?にリンクしてるだけなのが、
相思相愛?であった。ってのが本当の相互リンクだよな・・・

63 リンクに関する哲学などがあれば教えてください。
ない。

64 自分の文章は、何らかの付加価値を産み出すに値すると思いますか。
思う。

65 ICQリスト、またはMSNメッセンジャーリストに、何人登録されていますか?


66 そのリストのうち、たまにでもちゃんと会話しているのは何人ですか?


67 サイト作成はHTMLエディタとメモ帳、どっち?
どっちも・・・。

68 お薦めの便利ツールがあれば教えてください。
ない。すまねええええええ。

69 お薦めの便利サイトがあれば教えてください。
メールの迷惑メール対処・・つ~とこくらいで・・・。


70
ブラインド タッチは出来ますか?
見事な一本打ち打法にブラインドタッチなど出来るわけが無い!!


71 1日何ヒットからが大手だと思いますか。
3000ヒット(今は最低で1万以上かな)

72 自分のサイトをカテゴライズするなら、何系ですか?
創作オムニバスアンソロジー何でもこいっちゃあああ


73 普通に遊ぶネッ友はいますか。
普通でない遊びをするネッ友・・だったら、
何して遊ぶんだろうと
考えさせてしまうような表現の質問をしないように・・。

74 ネットをやるようになってから、本業に支障が発生しましたか?
あったなああ。

75 ネットをやるようになってから、それまでの交友関係に支障が発生しましたか?
ないなああああ。

76 こういう人大好き~!っていう人のタイプを教えてください。
真面目に書き込んでくれる人

77 どうしようもねーな、こいつ。っていう人のタイプを教えてください。
エロログばっかりに引っかかって飛んでくる奴

78 どうでもいい人のタイプを教えてください。
セフレ勧誘のおねいさん、おにいさん・・

79 一番自信のあるテキストを教えてください。
ない。

80 一番消したいテキストを教えてください。
既に消した。

81 テキストサイトを読んでいてビックリした事はありますか?
無い。

82 テキストサイトを読んでいて感動した事はありますか?
無い。

83 ネット自慢してください。
コンナ質問に真面目に答える奴が真面目にかいた作品ばかりです/warai

84 ネット懺悔してください。
ま・・・いろいろあら~~な。

85 自分のサイトが1番面白いですか?
コピー/読むよりも書くほうが10倍たのしい。

86 掲示板にどうしようもない書き込みがあったときの対処法を教えてください。
喧嘩を売っておきます。
他のもっとよく判る場所/ブログなど/にアップして
反対意見?などを掲示する

87 ネットバトルについてどう思いますか。
くだらん。

88 ネットバトルしたことありますか?
くだらん事はしない。(ある/このスレッドの上の記事がそうですねwww)

89 ネット上だと強かったりしますか。
弱くなる必要もないけど・・・。
強くあらねばならぬは持論です。

90 前サイトのタイトルは?そして、どんなサイトでしたか?
継続中だって・・

91 没になったサイト名候補を教えて下さい。
全部使ってる・・・

92 今のサイト名の由来を教えてください。
自分のペンネームからや作品から・・・
日記に色々由来も書いてるから
読みにおいで・・。


93 自分のサイトの現在のアクセス数は不当であると感じていますか。
・・・・似たような答え。
量より質。


94 テキストを書くにあたり、最重要視している要素を教えてください。
テーマ?

95 プロフィールに嘘を書いていますか?
書いてません/って、これが既に嘘かああああ?

96 あなたの夢を教えてください。
ユックリねたい。

97 隠しサイトを持っていますか?
無い。

98 サイトを閉鎖するときがあるとすれば、どのようなときですか?
条件が悪ク成りすぎた時。

99 サイトに対する信念があれば、教えてください。
読めるものを提供するべきである。

100 最後に、何か一言お願いします。
いや~~~ご苦労、ご苦労/うはははははは
↑誰に言ってるのか定かでない
貴方?
憂生に?

ほんじゃまた~~~~!!



怪奇と幻想?

その昔、怪奇譚が好きで、その中でも、山姥が好きでした。

好きという表現は誤解をもたせてしまいそうですが、

山姥も人をとって殺すという山姥を好きになったのでなく・・・。


普段、そんなごちそう?なんか、たべれるわけもなく、

草の根わけてものごとく、必死で食べ物をあさったものと思えます。

なにかの日本画で山姥を見たとき、山姥は自然薯を手に持っていました。

自然薯は精がつくといわれる食べ物です。

ですが、これを掘り起こすのに大変苦労します。

山姥は痩せさらばえた体で一生懸命、山芋を掘り、住処にとぶがごとく、帰っていく。

そんな感じの図柄でした。


これが、なにか、やむにやまれず人を食らう、山姥の普段の生活と飢えと寂しさ。

一種、悲哀をかんじさせられて、それから、山姥が好き(なんか、いい表現ないかね?)になりました。


そうこうするうちに雨月物語を読んで、「菊花の契り」(BL系統さん、そういう類ではありません)だったかな?

題名忘れていて浅茅の宿?・・・。

まあ、いい。


これが、いたく心に沁みて。


内容は旅の途中で無人の古家に同宿した二人の侍がなにかの縁だから、

来年、此処でもう一度会おうと約束しそれぞれ旅立ってゆくのです。

そして、約束のその日に行ってみると、ちゃんと相手が待っていて酒をくみかわし、談笑し、

次の日になってみると、相手の男はおらず、古家だった家も朽ち果てて、

とても人がはいれるような状態で無くなっていたのです。


そして、おかしなことだと思って帰路につく途中で、土地の人間が

「昨日、古家の方向に飛んでいく火の玉をみたが、貴方は見なかったか?」

とか、なんとか、訪ねられるわけです。


それで、ああ、相手の男はもう、死んでいたのに、約束を果たしに来てくれたんだ。

と、解かったと、まあ、こういう話なのですが

約束したからには必ず約束を果たす。

こういう思いが、死んでも、動くんですよね。

そういうのが、憂生の物語を作っていく下地にあるきがします。

ついでに、もうひとつ。

自分の下地になった。で、思い浮かんだのが

物語の多くの中に在る観念は「赦す」なのですが、これに影響を与えたのが

怪奇譚ではありませんが、

鬼子母神の話です。


この発想を、白蛇抄13話めくらいに、ちょっと、使わせてもらってますが

鬼子母神は人の子を食らう鬼だったのですが、観音(だったかな?)がその鬼の子を隠してしまうのです。

それで、鬼は自分のしていたことの罪に気がついて鬼子母神になって、子供を守る神様になったわけですが。

この時、観音さまは鬼子母神に「柘榴」を渡すのです。まあ、血をすすりたくなったら、それで我慢するのですよ。と、いうところでしょう。


そこが、「赦す」へ影響を与えてると思うのです。

普通だったら、人の子を食らう鬼だったのですから、逆に殺されても仕方が無いはずです。

ですが、改心もあったとはいえ、赦す。

これは、理屈じゃないなと思ったものです。


そして、話外れますが、鬼子母神の柘榴。

これは、ギリシャ神話で豊穣の女神の娘が地獄の神(名前~~)に連れ去られた話にも出てきます。

地獄で食べた柘榴の粒の数だけ、地獄に戻るということで、

4粒たべてしまったので、4ヶ月間は娘が地獄にいってしまい、豊穣の女神が嘆き悲しんで何もしないので

その4ヶ月間が冬になった。と。


柘榴・・。なにか、妙な共通点があって気になりますが・・・。思い浮かんだらまた書きます。


めしでも、奢るってな、奢る話なら、よかったんだけど・・

最近は、アメーバーとメインブログの2箇所だけに絞って書いている憂生ですが・・・。

アメーバーで書く事が多いのは、ひとつに、

べた返しこそ、していませんが、(たまにコメントかきますが・・)

来てくださった方から、触発される事が多いせいだとおもいます。

書くことは、かなりのジャンルにわたったことをかいていますが、

ここは、テーマの数制限があるので、たいした量はおいていません。

メインブログのほうは、2200記事、(1スレッド全文掲載で、80ほどの物語を含む状態で)くらいあります。

物語も、長いものは16万文字なんてものがあり、

一時期ここに1000~2000文字くらいにわけて、

掲載していたのですが、それで、3000スレッドくらいできあがるという

おとろしい状態になっていたわけです。

日記との関連性が同じブログにないということで、

メインブログに集大成しているわけですが、ここは先ほどもかいたように、

触発っていうのが大きいので、

最近はここで、かいて、むこうにもっていく。と、いう事が多いです。

まあ、こんな状態で一時期のスピリチュアルが落ち着いた気がするので、

書きかけの物語をぽつぽつ、かいているわけで、

このSO2の二次創作も実はほかに18話ほどあるのですが、

もともと、ラフにかいているものです。

ポイント抽出的な話が多いのですが、こういう恋愛心理の落とし穴部分を書くと

不思議と同じような?(うまくいえないな・・・)方がきてくださいます。

恋愛の破綻から、自分をみつめなおそうとがんばって

物語を書いている方もよくいらっしゃってくださっています。

そんな中、破綻の理由、破綻してから自分をどうやっていくかということをみつめてるというより、なくなってしまったものをなつかしんで、今の生活をむなしがってるだけにしかみえない方のブログに遭遇してしまいました。

詳しくはよんでいませんが、不倫のような?

不倫がどうのこうのではないのですが、今、憂生があつかっているボーマン5の中に

憂生の考え方がひとつあります。

女も馬鹿じゃない。

女房への不満をうめあわす道具につかわれたくない。

って、言い方です。

一生懸命、女房との感情や関係をよいものにしていこうとせず、

ほらほら、ほかの女に逃げるような男を

女が本気で好きになるかよ。

って、思っちまうわけです。

で、男がほかの女を本気だといいたいなら、

自分の女房との関係修復や育てる努力をきちんとすることでしか、

まあ、生き方ってことでしょうかね。

そういうことでしか、本気だったといえないわけですよ。

よさそうなものや恋愛感情の高揚感に酔うための不倫でしかないって、

みなされる。

そこのところに、きがつかず、今の生活がつまらん。

あの恋はよかった。

こんなんだから、破綻するんだよな。

って、こっちが、相手を批判しちまう。

正直、憂生は読んでもらうなら、

「なんか、得した」って、ものを渡したいって、思うわけです。

で、あるのに、逆に、この人には、逆に

いやな思いを渡される?・・・。

と、いうか、こっちがおもっちゃうわけだけど・・。

最近、憂生は読者を選んでもいいんじゃないか。

って、考えがあるんで、

いっそう、こっちのものを読んでくれてるから・・って、

それだけで、どうぞどうぞ・・とうけいれるのもどうかなあって思ってるわけです。

まあ、そういうのがあるんで、

ある意味、自分にとってどうかということも

含めて、来てくださる人をあるていどふるいに掛けさせてもらっています。

奢った言い方と思われたらもうしわけないのですが、

物を書いていく中で

やはり、上昇志向というのはあります。

そのために、大きな、環境整備をおこない、

とにかく読んでくれればよいという状態はやめたのです。

書いていく中、よい意味で触発される、こればかりを求めるのもわがままだとはおもいますが、

かといって、レベルの低い批判感情をもつのも、

精神衛生によくない。

逆に自分の程度は、こんなのしか、呼ばないのか?

って、がっくりくるのが、先にもかいた、あ~ぱ~男と、あ~ぱ~女

こういう意味合いでも、書いていくための、精神環境ってのを

自分でまもってもいいかな。

ってね。

最近、そうおもってるので、本人が上昇志向でやっていたとしても、

憂生がそうかんじなかったら、「そう」という、判断。

それでいいと、今の所は考えています。

わがまま

どこのなにで、聞いたはなしだったろう。

ちょっと、おぼろげなんで

間違ってかくかもしれないが、

すこし、おもうところがあるので、

書き進めていく。

アメリカの占領政策の一端に

(実際の占領といういみでない)

3Sというのがある。

民衆が事実にきがつかないように、

他のことに興味を持たせる。

もっと、悪く言えば堕落させる。

いわば、アヘン戦争において、

アヘンをばらまいたようなものだ。

無論、中国にも中国の歴史からの膿があったと思う。

なにせ、現代においても

中国人に何が一番信用・信頼できないか?

と、尋ねると

「中国人」だという。

風刺においても、

船が沈みそうになったときどうするか

日本人は

「みんなで一緒に海にとびこみましょう」

中国人は

「金を出すからたすけてくれ」

結局、他民族が次から次へと国を侵略していったため

信じれるのは

頼れるのは

「金」になってしまった。と、伺える。

このため、愛国心など二の次で

同じ中国人にアヘンをうりつけて

安泰の金をかきあつめていく。

民衆は信じれるもの、護るものもないから

ひと時の快楽、

アヘンにおぼれる。

こうなれば、国力も衰え、アヘン戦争のはて

イギリスは中国のあちこちを支配していく。

つまるところ、

他のものにうつつをぬかさせて

国力をさげてしまう。

これが、3Sだといわれている。

この3Sがなにか。

性。(せ・・・のS)(享楽的なものをさす。)

映画(シアター、シネマ?・・のS)

スポーツ(スポーツのS)

タブン、異論多いと思う。

が、これらが、現(うつつ)を抜かさせる役にたつのも

嘘ではないと思う。

そして、いまや、小説(s)も

書く側、読む側の重要な娯楽になっている。

あんまり、ものを考えんようにさせる。

そのとおりのごとく、

考えさせることのない小説が氾濫してる。

どっちでも良いような自己満足小説。

(あ、憂生も含めてね)

なんかの役にたってるのかって。

個人の生きる糧になることはあるかもしれないし

悩み解決、生きる指標になることがあるかもしれないが

それは、個人単位であり、

言い換えれば、自分の不徳(厳しい言い方だが)の解決でしかない。

おごった言い方をすれば、

役にたてるようになるスタートラインにちかづけただけといってもいい。

それ自体が何かの役にたつか?

生活をたてていくための仕事の技術の手引書ならわかるが。

結局は娯楽、自分世界に居る。

こういうことになる。

まあ、これにスピリチュアルもいれていいだろうなwwww

ここを判っているか、いないか。

自分大事の世界でしかない。

そんなんで、

憂生は自分がものを書く根底に

「書かせてもらいます。自分のわがまま通して、ごめんなさい」

ってのをもたなきゃいかんなって。

そう考えている。

文は人也・・・2

コメントの中の一言が憂生には判らないでいる。

自分の現身を原稿用紙に残す、真剣勝負の作家さんには叶わない

って、言葉です。

現身っていうもの自体が何をさすかということで、

捉え方が違うせいだと思うのです。

文章には、いやがおうでも「現身」が入り込むものだということが、前提になってる憂生には、

この表現だと、たとえて言えば、

悲しいことを経験した人間が悲しい想いを一生懸命書く。

そういう風なたとえですが、

こういうことについては、机上論でないぶんだけ、真剣にかけるのは当たり前なことで

では、作家というものが、一事が万事、本当に経験したことしか書かないかといえば、

それは、無理なことです。

どこまで、人の心とか?そういうことを想い量る事ができるか。

そこができて、奥行きのある事が書けるわけですが、

その想い量るというところに、「現身」が出てくるわけです。

ただ、自分の「現身」を書くだけなら、たとえて言えば

アンネ・フランクにまさる作家はいないわけであり(作家と言えるかは別問題にして)

この上ない不幸や幸せとか?

そういうものを書くことにおいて、それは(真剣)勝負ではないでしょう?

あくまでも、書くことは自分自身との戦いでしかないと想いますが、

その作家と自分や他の人をひきあいにして、敵うとか敵わないとか考えること自体が

ラインが違うという気がします。

こういう意味合いで、昔ちょっと、書きましたが、憂生自身が例えば類希なる不幸な人間だったら、

ひょっとして、ベストセラーになるものを書けるのかもしれません。

ですが、むしろ、そういうベストセラーを生み出せるような不幸でないことのほうが

どんなにありがたいか。

ってことをね。

そして、文章というのは、おそろしい物です。

知らずのうちに、(現身)が入り込むということ。

憂生はむしろ、この現身の自覚と幅を広げていくために書いているといっても

過言ではないのです。

そして、作家もそうだとおもっていますし、やくたいもない現身が出てくる時など

特にいかに現身がはいりこまないようにするか。

むしろ、あくまでも作り事をどこまで、「真実」にしていくかという部分で

真実にできるだけの「自分」の視覚(これがひいては、現身になる)を作っていくという事ではないかと想うのです。

文章の中にいれこまれてしまう現身を考えるとき、自分ではみえにくいものです。

ですが、以前にもこのように、妙な作家さんにいいぶんをきいたときのことですが、

文章の中に陳腐なステータス感情(現身といってもよいでしょう)が入っているのです。

で、コメントのやりとりをしているうちに、本人がやっぱり、陳腐なステータス感情をもっていることに気がつかされるということがありました。

こんな風なことを考えても、意識して真剣に現身をいれこんでいたからとて、

現身自体が陳腐だったら、人に読ませることは出来ないってばあいがあって、

ましてや、ほうっておいても、知らずに入っていく現身があるわけですから、

結局のところ、自分をいかに高めていくかってことでしかなく

真剣勝負をした結果、人に不快感を与えたり、陳腐を露呈させる結果にしかならないってことがあるっていうのが、怖いところなのです。

ですから、憂生自体としては、書評にもいただいたように

「生き方を真剣に問う」「人への優しいまなざし」ってものを自分の現身にしていきたいと考えているわけですし、書くことそれすなわち「自分の生き様を問う」という部分(現身のありようという部分で)でも、実践して行ってることですから、当然の如く表裏一体になってきてしまうわけです。

どれだけ自分をつきつめていくか、と、ともにその自分へのまなざしがあればこそ

優しいというのは人を憂うだともかきましたが、

また人にたいしても、憂うことができるようになるとも考えています。

言葉だけの意味合いですから、実際問題、

自分の現身を原稿用紙に残す、真剣勝負の作家さんには叶わないってことが

どういう定義の上になりたっているのか、わかりませんが

憂生には憂生の定義があって、

何度もかいたように、現身はしらずのうちに文章のなかに入り込むというものですから、

憂生は憂生なりの真剣さでやっています。

これについて、他の人間に負けるとか、勝つとか、そういう考え方もありませんから、

こうやって、自分をみつめなおしてみると、

その言葉を理解できない憂生の要素を意識できました。

いかに書くことに誠意であるか、と、いうことは何度か口にした言葉ですが

やはり、人生をある程度わたってみなきゃ書けないことがあると

一時断筆したことが今では、妥当だと思えます。

どこまで、人の心とか?そういうことを想い量る事ができるか。

自身が全然人生わたってきていないのに、書けないことがある。

仕事もした事が無いのに仕事をする人間の心のことをかけない。

たとえていえば、そんなふうなものです。

どこか、普通の人間として、類希などでなく、ごくあたりまえのことさえ

まだまだ経験不足の自分が人間の生き様などかけはしない。

そう想っての断筆でした。

そして、やっぱり、まだまだ、想い量りきれないものがありすぎて、

例えば、聖徳太子をかこうとして、頓挫してます。

想い量れるほどの現身ができたら、書けるかな?

そんなことを想いながら

明治維新の志士のこともかききれないまま、

お茶濁し程度の沖田くんをかいてみたりもしました。

そんな風にとにかく書く。

物語がかけないときは日記でもいい。

とにかく、書く。

想ったことだけでなく、なにかしら掘り下げをしていく。

こう言う風に勤めてきています。

そして、多くいわれることが、こういう憂生の態度?姿勢?をみていると

自分もがんばって書かなきゃと想わされる。と、いう言葉です。

憂生は最低限、読んで得したというところまではいかなくても、

損した(時間的に特にそう想うばあいもあるかな?)とは思わせない文章をかいていきたいと

想っていました。

そういう意味合いでも、憂生の文章を読んでると

自分もがんばって書いていきたいと想ってもらえると聞かされて

ほっとしています。

与える余波というものは文章だけでは、判らないものです。

人を育てるというと大げさですが

良い方向への余波を与える事ができるという目に見えない部分も

あるいは、これも現身がしらずのうちにはいりこんだものなのかと考えると

自分がうつしもうとしてうつしこんでるものなど氷山の一角でしかなく

現身と意識できている部分もわずかなのかもしれないと想います。

そういう意味合いでも、箱舟の時にすこし述べましたが

何を(自分に)示唆しているのか、まだまだ見えないと。

これが、すなわち、現身のことです。

なにを映しこんでるのか・・・。

その映し現象があるからこそ、とにかく書く。

書いていけば、見えてくる事があるから。

書くは自分探しということになりますね。

またも、長くなりました。読んでくださった人。ありがと

生きる


物語というひとつの集約のなかで、

たったひとつ、おいつづけているといえるテーマは、

「生きろ」ということであり、

誰かに大声でいえることがあるとすれば、

憂生には、それしかない。

じつに、おおざっぱな言い方ですが、

人に教える?ことなど、なにもない人間だなあと考えたときに

その理由はいくつかあります。

まったく、整理がついてない考えや

浅いスキル・人生経験。

あれやこれや、おそわっていくばかりの自分でしかないということです。

そのなかで、なにか、これだけは、

「言えるぞ」というものはないかとかんがえてみたとき、

「生きろ」その一言しかないのです。

人間、生きていくなかで、辛いこともあるだろうし、

悲しいこともあるだろうけど、

それでも、

「生きていてくれ」

たった、それだけなのです。

竹よ・・・竹よ・・・なよ竹の汝の名こそ女なり・・・。

ちょち、メールから、抜粋。
ごめんにゃ。
憂生の書く女性は、めめしくよわくないところが好き。

あたしはあたしと真逆のずるくなく、潔く、魂が綺麗な、強い女が好きなんだなぁってのもさ、

いっぱい物語とか読むうちに気付いたことだったりしたので・・。
--------------------------------------------------------------------------------
てかああああ。
↑をよんでさあ。
逆に気がついたのが憂生だったるするわけですよ。

ある種、似たパターンの女性を書くことが多いのだけど、
憂生に、判っていたのは
したたかな女性っていうのかな。
生きて行くぞ。
生きて行くぞ。
って。
転んでもただ起きない女性。

ん?
よくばりなだけかあ?

なにか、一本筋を通してゆけるってのかなあ。

なんにせよ、
憂生の作品の中の女性は
確かに・・・ずるくなれない人ばかりかも。

狡猾で・・・っていう女性をかこうとすると、
憂生の中で途中で
ありえないというか・・・。
例えば、本気で人をおとしこもう、とか・・・。
その考えをかいてみたりでもしたら・・・。
こんな下らんことを必死に思ってる人間なんかいるわけない。
と、思ってしまうわけですよ。
ありえない設定をなりたたせられないように、
憂生の中には
ずるい女性っていうのはありえないんでしょう。

時に悲しさにひずみ
まがり、間違った生き様を
歩みんでいても
自分に気が付いてゆく。

自分に気が付いていったときから、
自分を変えてゆこうと出来る。

コレが女性だと思ってるふしがあります。

ほんのささいなきずきから
うまれかわることに戸惑いを見せない。

女性のきりかえのすばやさは、あるいは
太古のむかし。
より、強い男を選びなおしてゆく種の保存本能から
派生しているのかもしれない。

血液でも似た話を聞く。

男は例えば/定かじゃない/
体内の1/3の血を失うとショック死を起しやすいと聞く。
ところが、女性は
1/2.あるいは2/3?の血液を失っても生きているとか・・。

女性は強い。
強い人間は
ずるく弱く生きる必要が無い。

憂生の中の固定観念かもしれないな・・・。

結論・・・方法論でしかなかった。

新風舎は比較的簡単に企画書 をつくってくれるので、

何冊か?みつもってもらったことがある。

120ページのハードカバーで100万強はさすがに手がでませんでした。/笑
のちに他の作品で、文芸社の審査にとおって、出版しましょうということになったのですが、

これも、やはり、100万をこしていました。
諦めていたら、特別推奨作品に推したい。

出版費用もそちらの希望にみあうようにする。

新聞広告もふやす。とか・・・。いくつか、通常の協力出版より、サービスも固めてるという。
で、現実手元にあったのは30万。
それも、まだ、車の
ローン とか、色々有って全額出せる金じゃなかった。
それでも・・・。
とも、想った。
だが、実際に出したい本は
白蛇抄でこれは、500ページ×上下巻になり、もっと金がない。
しかたがないから、別のものをきっかけにとおもったものだから、

これにばくちのように金をつぎこんでしまうのもどうかとおもうわけで・・・。
で、文芸社の返事ですよ。
「30万?
あんた、そりゃあ、自費出版でもだせませんよ」
こっちは全国出版。有名書店の棚おき。
大手新聞社での全国広告。
こういうのが、紛々とにおう。

なんだろうね~~~。

金の力をおおかたかりなけりゃ、

本に出来ない自分の実力を

なんとかするべきだとおもいいたったってわけだよ。

むこう/出版社/側が是非ともうちで

出させてくださいというようなものをして、

初めて

読者さまの手に渡せる資格 ?ができるのではないだろうか?

って、かなり、厳しく自分に突っ込んだ。

充分でない作品を

金の力でステータスにする。

これは、セックス シンボルというか、

煽りというか、

あるいは、おおいなる自己満足。

はたまた、自慰行為。

いつか、どこからか、

ブログで読みました。

出版しましょう。

なんて、声がかかる実力を持つ。

こんなものがかけるようになる事を

夢見てるわけさ。

そして、今こうやっていろいろ、

ブログに発表してるのは、

やっぱし、よんでほしいってのがある。

本にも出来ないものを

読ませるのかよって、しかられそうなきもするけど・・・。

読んで貰うに出版に拘ることはない。

しかし、実際のところ・・・。

どうなんだろう?

ネットでよんでもらっている人の数。

出版したら・・・。

ソレより、多くなる?

第一刷は確か500部。

1割が自分のところにくるから、

書店にあるのは、450冊。

ベストセラーに入らない限りは

500~1000が次の増刷。

ネットで読んでもらえてる数値。

無名の作家が出版して読んでもらえる数値。

変わらないきもするな。

ネットだって、逆にディープラブのように逆出版になることもあるし、

問題はやっぱ

作品の中身ってことか・・・。

読んでもらいたい。ただ、それだけ・・・。

まあ、公募投稿や審査をしてもらって、
最終的には
どの作品も出版しないかと
お誘いはいただいた。

だが、入賞しない。
あるいは、出版社側が
出版費用を全部、請け負ってまでの
出版推奨ではない。

それでも、いくつもの作品投稿で、複数の担当者の度重なるお誘いもあった。

壬生浪ふたり・・・の審査はのちに、
企画部・部長のほうから、
良書をねむらせるのはおしいので、
特別推奨作品に推したいと、
連絡が入った。

それでも、憂生は出版していない。

それから、投稿も審査を受けるのもやめた。

出版したとて、
読まれるか、どうか。
全国の本屋の店先につまれただけでおわることもありえる。

そして、なによりも、
自分の文才がぜがひでも、出版したいと
いわれるものでないことに、
たちもどったといっていい。

書くこととは、なんぞや?
と、思い悩んだ。
そして、自分の文才を修練させず
金の力で出版してみたとて、
絵に描いた餅でしかないと思った。

だが、それなりに思い入れのある作品は
未熟であろうとも、
読んでもらいたいと思う自分がいた。

そのときにネットに作品をアップすることをかんがえついた。

金をだしてまで、読んでみたいと思ってもらえる作品でないという証は

さきに書いた入賞やぜひとも出版でないことでも、重に承知している。

それとともに、出版社からひとつの問い合わせがあった。
「あなたは、作家になりたいのか?」
書くことは好きだし、
書いたものは読んでもらいたい。

その手段として
出版をかんがえてみたのだが、
作家になるほどの文才はない。

また、作家になることが目的でもない。

白蛇抄を本にしたい。
これが、本音だったろう。

なぜ、本にしたいか。

読んでくれる人とめぐりあう機会をふやす。

こうなる。

と、なると、ネットでもその目的は十分に果たせる。

そして、この間
まひるちゃんが、
ただでよんじゃっていいのだろうか?
って、ありがたい言葉をくれた。

金を出してまでは、よみたくはない。
と、おもわれることと、
よんでみて、金も出さずに読ませてもらったとおもってもらえることには、雲泥の差がある。

ただ、ただ、
読んでもらいたい。

それは、本当はとても、簡単なことだ。

読みたくなるものを書けばいい。

読みたくなるものを、
文章の中にこめてゆく。

それが書くということであろう。

が・・・。
読みたくなるもの。
これこそが、修練であり、文才であり、
書き手の視線だろう?

己という人間の眼光を鋭くするということしかないのであれば、
文才だけでない。
人生。人間。そのものを修練してゆくしかない気がする。

文章にこめられるだけのうがち/人生観?をもつ。

これが無いばかりに、
何年も前に一度は断筆した人間である。

今はただ、ひらきなおって、
沸いてくるものを文字に変える。

そして、
やっぱり、沸いてきたものを
読んでもらいたいと思う。

この思いだけは、
作家といえるかもしれない。


伏線?


昨夜のこと。


創作について、語っていた。



作風というか・・・。


これがよく似ている。


テーマ追従を軸にしているため、

心理面も深い。


訴えたいこと。

これも、おなじようなところで悩む。


主人公のキャラクターから

どう動かして、テーマにそったものにするか。


ところが、主人公の性格や考えなどから、

テーマ通りに動かないことがある。


たとえば、

なぜ、それ(どれ?)をしないか。

しないなら、しないで、その主人公のわけをかたらせようとする。

ところが、こいつは、無口で・・・。

日ごろから自分の弁明や釈明をしない。


状況的には語ることができるのは、

主人公か作者。


もちろん、作者をだしていくわけにいかない。


書き方によっては、誰かの目線からということもできるが、


たとえば

ーこの先の運命などしるはずもなかったー

みたいに、人物世界の中での運命の神様?/笑


が、これも、要所、要所で何度かつかっておく必要がある。


で、使っていないので、これもだめ。


思いとして主人公にかたらせるとしても、

しないわけを出してやることができない主人公の性格。


「誰か投入できる人物はいないのか?」


語り部として。

ーこういう方法もある。だが、あやつの性分ではそれをえらばない。

かといって、自分は見守る立場に徹するしかないー

こんな便利な語り部になりえる人物を投入できんか?



ーおるけど。だれそれー

ーあ、そいつ、無理。そっちが主人公になって解決できるキャラクターだから。

物語おわってまうー


そこで、でてきたのが、伏線を張るということ。



この場面に登場してきてもおかしくないキャラクターでこの状況に自然に登場してくる設定をしいてあるか?


あるわけないから、いきずまっているのだけど。


ここで、話が急展開。


ーところで、伏線ってなんよ?ー


ーえ?ー


う~~む。伏線を張るぞという考えで書いてない。

結果的に伏線が張られていたということになるのだが、

憂生の作品でいえば、

「見事な伏線の張り方」と、出版社から(ここが、くせものだが、ここの判断に頼る)いわれたのが、悪童丸。


ここから、類推すると、

まったく別のエピソードとして独立している。

本編にぜんぜん関係なさそうな話しが実は本編の解決部分をにつながり、

本編内容を補佐してしまう。

文字通りふせこんである。

一部分だけでなく、全編をとおしての線として、つながっている。


まあ、おぼろげなまま、こんなことを言ったと思う。


すると、


はなしだしてきたのは、いわゆる「どんでん返し」


パンドラの箱をたとえにしたとおもうが、


最後に希望がでてくるというところが、「どんでん返し」になる。


つまり、うじゃうじゃ悪いものをだしていくところが伏線になってしまう。


と、いう考え方になる。


いや、そうでなく、

たとえば、ぜんぜんかんけいのないエピソード。

天使が神様にしかられて、悲観のあまり

もうだめだとひとつの心をなげすてる。


これを箱の中にかくしてしまう。


とか。


こういうのが、伏線になって、箱をあけたら、

投げ捨てた心がなにか。

箱から希望がでてきた。


と、いう両方の解決がつく。



まあ、そういうようなものじゃないのか?と。


ところが、伏線を張るというのは、

ストーリーをおおまかに把握しておいて

たとえば、何で、希望がはいってたの?というのが、

謎になると思ったときに

あらかじめ伏線をはっておくということになる。


友人の段でいえば、

ここで、語り部がいないとストーリーがすすまなくなると

みこして、

はやいうちに、ぜんぜん別の登場人物のエピソードをいれておく。

同時にキャラを明確にしておいて、かつ、主人公と同じところに登場する必然性を構築する。


伏線にまでならないだろうが、

解決の補佐役になる。


ところが、

どんでん返しに持っていくためのタネを伏線だとおもいこんだのには、

わけがあった。


巷のもの書きがそういう風にいってた。


憂生のはあくがまちがってるのか?

巷がまちがってるのか?


よくはわからんが、

とにかく全体的に把握して、解決の糸口になる「なにか」を

投入しておかないと、

くるしまぎれに

作者に顔をださせるということがおこりえるのだろう。

おもいおこしすぎた・・・。 


おもいおこせば、

最初に書いた長編は

精神的雌雄同体のはなしであった。

双生と言う設定も既にこのときにある。

姉妹と言う設定。

姉を護りたいと思う妹は

「男」を演じる。

こう言う形で姉を支え続けてきた妹に破局は訪れる。

姉の恋。

自分の役目が終わるとき、

妹は

又、自分も女に過ぎないことを

姉に見せ付ける手段を選ぶ。

妹をもまりきり、受け止めることが出来る

相手もまた、『男」である事実に

姉は自分を支えてくれた妹が、

恋人 とともにいきろ」と、メッセージ をたくしたとしる。

半ば中性的な少年と妹の性描写は

おしむらく、この時点ではこなれたものでなかった。

護るという男視点で生きてきた妹が

本当に

「女」になり切れるか、どうか。

この先に

変化してゆく、妹をどう、とらえてゆくか。

第2章に突入しようとした矢先。

憂生は断筆宣言をした。

書ききれる自分がいない。

想像することさえ出来ない。

まだまだ、人生に入り込んだばかりの年齢。

いつか、かけるときがくるまで・・・。

封印はまだ、とけない・・・。

スランプ


憂生のスランプがはじまったのは、

もう、3年以上前か。


1年の間に、1作品も仕上げなかったのが

昨年だったと思う。


スランプにおちいると同時に

ブログさえも、面倒になる。


なにか、集中力にかき、文章をかいていても、

頭の中身が

次の文章内容にいきなりとんでしまったりするので

受動・能動がおかしくなる。


物語もざくざく、切り取った文章をはりつけるような

奇妙な文体にかわっていってる。


その、スランプにおちいった大きな原因。


きっかけは、馬鹿者どもの

検索ロゴ。


当時、乖離症を発症した女性の物語をかいていた。

結婚をひかえていた女性のその婚約者を主人公にし、

彼が女性を狂気からひっぱりあげていく。

彼女の乖離症状、発症のきっかけは

暴行事件からだった。


彼女の父親から突然の婚約解消をつげられた婚約者は

くいさがり、彼女の発症をしる。


そして、なぜか、まともに治療しようとしない精神科女医に

対峙していくと、

暴行がただの引きがねでしかなく、

そのうしろに虐待があったことをしらされる。


父親もまた、アンダーチルドレンや、アスペルガー症候群、うつ病治療などのいきさつがある。

まあ、憂生が以前かいた、加害者にも心の深淵があったのじゃないかという見地から

婚約者に「赦す」ということをかせていく。


そして、彼女自体も何も知らない母親をかばい、家族と家庭をまもっていくためにも、乖離状態を奥底にうずめていった。

フラッシュバックさえおこさない記憶を認識しない状態で

彼女は家族を父親をもまもっていた。


ここからも、婚約者は「赦す」という思い。

に、たっていく。


そして、女医もまた、葛藤していた。

事実をしらせていけば、彼女の家庭も崩壊する。

母親もどうなるか。

婚約者は彼女を狂気に追いやった元である父親を憎み

なにをしでかすか。

婚約者自体がその事実をうけとめられず、婚約者も

事実に精神をたがめてしまうかもしれない。


婚約者の強い精神と深い愛情をしった、女医は

彼女の治療にふみきることになった。


そして、根本的な虐待をまず、催眠療法で

確認していく。


このあたりで、


検索ロゴに暴行・・そのほかの扇情嗜好のロゴ。


多く確認することになり、

憂生の精神状態が落ち込んでいってしまった。


実際に遭遇した精神障害状態のネット友のこともある。

赦す思いにたつことができず苦しんでいる人もいる。


裏にさまざまなひとの存在がある。


そして、エロ目的で検索してくるようなこういう人間こそが

お気楽にかんがえ、欲望にはしり、何をしでかすやら。

すでに自分の作品が

目による暴行をうけ、舌なめずりの汚い舌にのせられている。

物語の中でさえ暴行をうけ、物語の外からも暴行をうける。


こんな人間しかいないのか?

簡単に物事をかんがえ、おかまいなしにエロ用語で検索をかけ

誰か分からないことをいいことに・・・。

検索ロゴが残らないようにするという配慮。あるいは、恥をしっているのならまだしも、IPアドレスでおおよそはわかるし、場合によっては、

プロバイダー側から本人に勧告してもらうこともできる。


ネットの後ろに人間がいるということを意識しない人間はまた

現実においても

一人の人間の心さえみえはしない。


わざわざ、その物語をさらしものにするだけならば

もう、公開はやめようと思った。


そして、一時期はアメーバーのアメンバーを利用していたと思う。


おおかた、5万文字。ここのアメンバー記事にもってきて・・・


ところが、意外に、憂生のショックというか悲しみが

根をはっていた。

ちょうど、続きが具体的に虐待の行動そのものにふれる場面にもなってきていた。

これを聞かされる婚約者の痛み。

(物書きの書き方のとこで少しかいたけど、ほぼ同化して書いていくため)

これも、憂生にはつらかったところに

先のエロ検索が応えていた。


ここから、はっきりと

スランプがでてきはじめた。


楽しい?面白いことを書いていても

その物語とむきあおうとしてない、いわゆる逃避?

こういう感じがあって、どこかで、オチャラケにものをかいてる。


こんなことかいていても、実はしょうもない。

机上論ならまだしも、妄想・夢・空想という立地にたっている感覚をいなめない。


スランプのまま、メール配信にきりかえた。

結局申し込んでくれた人にわずかの続きしかわたせないまま3年以上たったと思う。


まあ、巷をみればお気楽な娯楽小説に

欲まみれで、アフィリや自分の商売の宣伝ばっかりしてる奴。


物書きは自分の恥部をもさらしていく覚悟で物をかいていく。

昨今は腐女子でございと恥じたふりしてみせるだけ。


まあ、向かい合うべきものから目を背けてる物書きに

似合いの環境かもしれない。

確認作業


どうも、昔とちっとも、かわってないとおもうが

こう・・・。

自分の出版した本をでかでかと乗せている人とか

宣伝のつもりなんだろうけど

本屋におかれても、まともに、売れなくて

プライベートスペースまで

(ま、そういう風に思ってない場合のほうが多いのだろうけど)

宣伝をおかなきゃならないほど、

おいつめられてるというのかwww

そういう本は、まともなこと(語弊があるので、ここは、厳密に説明するべきですが)がかかれてないから

うれんのだろうと思ってしまう憂生がいて、

なにか、見るに忍びない。

で、憂生もやってるなっておもうんですがね。

自分の作品の宣伝になってしまってるところもあるとおもうけど

自分確認みたいな感じでね。

すでに、こう考えていた自分じゃないか。

って、

基本路線をとりもどす作業をしているところがあるわけです。

書くことによって、自分をみちびいていく「書く(核)」を抽出できるのです。

一番、純粋な状態でかいていたころのもの。

基本路線の色が濃いですね。

日記にしろ、物語にしろ。

頑固を通す

出版の文字をかくと、

よく、出版関係の人がきてくれます。

おそらくですが、営利目的でしょう。

憂生が、出版しなかったのは、さまざまの理由がありますが

一番のところはここです。

営利目的に利用されるだけの作品でしかないか。

と。

本当に世にだしたいとおもってもらえるものなら、

ただでも、だしてやろうというところでしょう。

そんな、馬鹿がいるかとおもうでしょう。

でも、憂生のまわりには

憂生の作品をプリントアウトしてまで

読んでくれる人がいました。

装丁もなにもない、OA用紙という個人出版かもしれません。

この方は営利目的でしょうか?

こんなこと、きかなくても、わかることです。

憂生は、出版するという目的より

プリントアウトしてまで自分の手元においておきたいとおもってもらえるような作品を書くことが、

本当だとおもったわけです。

それをおしえてくれたのが、あめさんでした。

プリントアウトするのを、

無断で申し訳ないとおもったのでしょう。

ダウンロードの許可を得たいとつげられたことで

そうして、よんでくれてることしりました。

憂生の作品をこよなく愛してくれて

病床では、お姉さん?がプリントアウトしたものを

たずさえて、読み聞かせる。

憂生のスランプをしっていたから

一作かくと

「書いているんだ。よかった」と、わがことのようによろこんでくれたそうです。

だから、

ぜひとも、出版させてください。お金なんてどうでもいいです。

この価値をここだけでおいておきたくない。

みんなにしってもらいたい。

まあ、こんなことがおきるわけないから

どういわれたら云というか、想像つかんが

たとえば、そうとでもいわれたら、

憂生も出す気になるかもしれないww

営利目的の食い物にさせたくないという

がんこものでしかないのかもしれないが・・。

憂生にすばらしい読者さまがいたことを感謝するのみ。

ループ


甲斐よしひろ(漢字わからん)の唄に

ーー破れたハートを売り物にしてーー

と、いうフレーズがあった(と、思う。違う人だったかもしれん)

なんか、昨今、こういう感じ多いな。

とってもよい話を

スピリチュアルを

やりがいを

売り物にして、と、いうか・・・。

憂生は、今、みんないろいろあるのと、

憂生の不調もてつだってか

昔の読み手さんがほとんどいなくなってる。

でも、それはそれでいいのだとおもう。

受けて、共感されて、本当、いろんなことを考えさせてくれるコメントもらえたり

書くのも、すごく、快適で。

でも、それは、そのまま、絶好調の世界にいるだけで。

このまま、おわっちゃあいけない。

そんな感じがして。

まあ、自分の世界が確立していったというか。

確立させていくために、みんなが

それでいいんだよとおしえてくれたというか。

いいんだよ。と、いう世界にいつまでもいちゃあ、いけなかったんだとおもう。

まあ、憂生自体、本をよむということにおいて、

かくということにおいても

(感じたことを血肉にしていく)と、いうのかな。

----------------------------------------

でも、その昔、小枝のような娘がいたのかもしれないと思うと、この場面ではなんともいえない哀れな気持ちになった 健常者が
失恋 をしても紅のことなど忘れてしまうこともある それに加えて目が見えない 母恋しい時期に母をも失って。。。小枝を見て自分の幸せを強く感じた
投稿者:mahirururu
----------------------------------------
物語を読むときに本当に必要な心というのは、こういうことだと思います。
作中の人物に同情するのは、簡単なことだけど、/ま、ただし、コレは表現方法にもよるかもしれませんが、憂生の拙い文章からここまで、思ってくださることは、むしろ、驚異です!!/
その気持ちから一歩はなれて自分を振り返って、自分のありがたさに感謝する。
物語というものは本来、こうあるべきものだと痛切に思います。
こういう取り方をされていただけると物語が読む人の中で血肉になってゆくと思うのです。
そして、これは、本当に作品と自分を向かい合わせてくれた結論ということですから、
その真髄に触れることが出来たあなたの読解力と自分の生き様に向かい合う真摯さにただ、敬服の一念です。

----------------------------------------

憂生のほうは、うまく、かけてないコメントなのですが、物語をただ、眺めている。

あるいは、他の人が考えてくれてる。見た目に感動?してそれによっているだけ。

こういう共感だけでおわるのが、

実は多いんじゃないかと思います。

自分の血肉にするということをうまく表現できないのですが、

読み手の方はそれぞれにそこを自分の種にしてもっていったり

あめさんのように、生き方にかえていったり・・・。

まあ、その人たちにとって、

憂生は役目をおえたんじゃないのかなって。

みんな、自分たちの人生わたっていきながら

たとえば、つらいときに、

そうだ、小枝のような生き方、とり方をしていこうとか

こういう風に思えるものを渡し終えているから

自分の本番に(人生)にみんな戻っていってる。

そして、それをかいた憂生自身も。

だから、みんな、憂生の前からいなくなっていくのが、本当じゃないかな?って。

本というものが与える影響というのは

血肉にできるかどうかというところなんだと思う。

これに対して、憂生が与える(憂生も与えられてるのですが)側だとしたとき、

金をくれ。(本を出版したとして)と、いうものでなく(金で返すのでなく)

本人が血肉にしてくれることこそが「返す」そのものなわけです。

また憂生もそうであるとおもうわけです。

自分自身の血肉にしていくことで返していく。

憂生にとっての、物書きとはそういうことでありたいと思っています。

☆ いつもながら、週刊誌をちらりとよむ。

今日は車のクーラーガスの補充の為に出来た待ち時間だ。読みはじめからストレート にひきつけられ内容が頭にはいってくる。

誰だろう?いつもながらこの疑問が後になる。

見出しを捲ればそこに『第6回ホラー サスペンス大賞受賞作「ぼっけえ・きょうてえ」の岩下某の新連載』と、かかれてあった。

いつも。いつも。こういう文章に出会うと憂生は考え込む。

憂生が読みやすい。

惹かれる。

と、思う文章は別段、特別な物でなく、こんな文章は万人が同じに感じられるらしく手繰ってみればさもありなんと思われる何らかの賞を手にしている。

が、一方で凝った表現が時に、難解で、内容に惹かれる以前に、読み手を門前に引き返さす作品がある。

内容に入り込む前に表現を理解する事がまどろこしく、作品の前で憂生は迷い児になってしまう。

この自分の理解力の薄さに一時は落ち込んだりしたものだが、

ここ何度か、『読める・惹かれる文章』に遭遇する事が重なると

やはり作品を例えて家だと言った事が思い出される。

人の原案・構想を文章に起したとき、用意された基礎の上に家を作るのは困難だった。

どんなに上手く建築 できなくても彼の尺で量った材料で彼が自分で作る事が肝心だと思われた。

憂生が後を継げば尺の違う材料が混ざりこみ基礎から自分の物に換えなければ無くなり、

結局彼の家でなく、憂生の家が出来上がる。

どんなに稚拙であろうが、どんなに卓越しておろうが、結局自分の尺ではかり建設された物が家という形に成る。

この結果。

人の住めるように出来上がった家に、実際人が住むか住まないかと云うと話が違う。

完成されておりながら、居住空間に相応しくない家もある。無論、好みもある.

和風建築。

洋風建築。

家として、外見は家の様相をしており、見た目も素晴らしい。

ちょいと、展示会に誘われて中に入って、住む立場で家を見詰めた時。

住める家でない事に気が付く。

家自体が居心地の悪さを露呈させてしまう。

こんな感じで、どうして居心地が悪いかを具体的に言い表せないのだが、

文章にも居心地の良い文章とそうでない物があるのは事実だと思う。

何をもってして居心地が良いというかも千差万別であろう。

カントリー調の内装が落ち着かないと言う人もあれば、それこそが良いと云う人もいる。

だが、なんにせよ。

ほぞのはかりぐあい。

文章を組み立ててゆくときに、一連の文章に安心できるか、できないか。

上手い。読める。

惹かれる。

と、思わされた作品は、一文節から安定している。

この安定感が、すなわち居心地のよさをうむのだろうか?

柱一本がしっかりしている。

床がゆがんでない。

各所の構築に当り前の事が当り前に出来ていると信じさせてくれるに足る安心感が居住空間を敷き詰める。

たった一文節の安定から始まる。そして、続くどの文節も安定感をうらうちしている。

が、はて? 

安定した文章とは?

逆説的に安定していない部分を改ざんすることはできるけど、けど、それって平易な文章になりやすい?

個性的でありながら、不必要に個性を主張せず、安定した文章。

うーん。これを考える時、憂生が気をつけているつもりでよく使う指示語。

それ、そう、その、などの言葉は曖昧でよくないと思う。

Mさんの文章を読んでいるとほとんど、この曖昧な表現は使われていない。

他にも憂生が良くやるの?F ??ように、~みたいにと対象をおぼろげに表現してしまう。

こんなところもMさんのものは対象の写実が確定的でイメージをしっかり把握させることができている。

羨ましい写実眼とそれを文に出来る筆力の持ち主だと思ってみている。

あーーーー。

見ているだけでなく、ちっとでも見習って、~ような、とか、即↑にもやってる「それ」なんてのをもっと使わないように(あ、また、やってる)努力しなければ・・・。

指示語や曖昧喩の文章は確かに安定感がない。

判ってるつもりなんだけど、たった六行の文章に太字で朱をいれてみれば、ぼっけえ・ぎょうさん!!!

文章の安定が、ありながらまだ、居心地が悪い。住める空間でない。

つまり、文章に入り込めない。

このあたりはどうも、主人公が息をしてないせいらしい

息をしているというのは、文節の中に心理がすりこまれていることをいう。

人が生活する空間には、匂いがある。温度がある。気配がある。

文章に、匂いや温度を刷り込むことは難しい。

気配はかぎろわすことができる。

これが心理描写だろうか。

主人公の周りの環境を静物的に描写しているだけつもりでも、この中に主人公の心理を重ねて織り込むことができる。

すると、文節の中に主人公がみえる。

大胆に見せる事もあればほのめかすだけの時もある。

だが、確かに息をしている存在を感じ取れる。

だから、もっと、肉迫した感情や、心理を織り込まなければと思う。

絵空事のような空想に見える心理は蝋人形の呟きの如く現実味がない。

現実味のない心理はやはり物語をとおざけさす。

すんごく現実味のない話かいてるから、やっぱ、心理もどっか、遠くなるよな。

って、これはやっぱし、いいわけ?

物書きの愚痴だ!!


そうそう、思い出した。

と、いうのも、訪問者様を逆訪問したからだ。

出版しよう?的誘い文句にみえる新着日記タイトルがみえたので、

そのまま、退去してきた。

憂生自体は審査?にとおって、かつ特別推奨作品に推したいとの話がまいこんできたことがあるから、

出そうと思えば出版はできるだろう(ま~~こっちが資金をだすのなら、通常誰でも出版できるとも思うが・・・)

いろんな変転をやってきて思うのが

出版にこだわらないってことになってきたわけで

むこうの日記などにはそのあたりのことも書いている。

で、そのことを、日記にかいていたわけだけど、

ま~~これに対して、「出版へのあせりがあるのか」

「時にそういう作家に救いは必要だが私は救いをさしのべる気はない」

など、はじめからの読み取りまちがいのうえに、

ご自分の推察論をかぶせ、

最後のせりふが、笑止きわめつけ。

なんだったかな?

「自分の現身を原稿用紙に真剣に写している真剣勝負の作家には叶わない(字ちがうし・・)」

で、まあ、おかげで、憂生のほうは、現身が作品の中に映りこむという

自分の考え方を掘り下げなおすという作業が出来て、このお言葉をけして、無駄にはしていないのだけど、

根本が違って解釈しての論理追及にたいして、

根本の違いを説明するたびに、

誤解がまさに五階建て、六階建てとかさなっていくので、

自分のところですきなように書いてくれ。

と、突き放した。

そして、まさにこっちに対しての(誤解)の読み取りの中に

その人自身の現身がはいってるということ。

これをこっちにぶつけて、

自分の凹み?かなにかをなだめてるようにみえるが、

はっきり、いって、

それは、自分で昇華することじゃないか?

憂生自体、物を書くってことはそういう姿勢のつもりだから、

人の事がおかしくみえるほど、

ぶつけることもあるが、裏側で

自分の凹み?がどういうことか、ってのを見直す。

こういう事をやってるから、なおさら、

ぼろは人のところにおしつけ、

自分がぼろであるところを見直さない(という風に見える)人間を相手してる事にくたびれたといっていい。

一生懸命、こっちのあらをさがすのはいいが、

それを見る視覚がくるっている。

そういう、人にぶつけるだけで、自分への問い直しがない人間に

これ以上ほかのものも、読んでもらいたくないと思ったのが

本音だ。

たいして、まともなことを書いてない人間だが

やはり、そこには、自分の「魂」が入ってる。

その魂をとらまえては、自分に問い直すべきことを

ぶつけられるのを、こっちも黙ってみちゃいられない。

思いをこめて書いてる。

時に自分をみつめなおすために書いてる。

考え方を整理していくために書いてる。

書きたくて書いてる。

さまざまではあるが、それなりに自分の書いたことは愛しい。

それらが、何らかの役にたつのなら、ぼろにいわれてもかまわないが

どうも、違うと判断をつけきるまで、7~8回のやりとりはした。

その結果、出入り禁止にした。

読者をえらんでもいいんじゃないかと最近はかんがえるようになってきたが、

むろん、「立派な読者様」がほしいということではない。

読んでくださるのはありがたい。

だが、ここでも何度かかいたが、マナー知らずの訪問はお断りだし(エロログで検索して訪問してくるなど)

一種、自分を問い直すことが出来ず、人に鬱憤?をぶつけて、

自分の鬱積をみないふりする弱い人間もお断り。

自分の想像力を働かせて、自分で対処しとけ/笑

厳しいことをいうが、人のものを読むというときに

やはり、最低限の礼儀・姿勢は必要だと思う。

そのあたりのことをわかってる人とわかってない人がごっちゃまぜになってるのが、ネットであり、

憂生はそのネットを活動の拠点にする以上、ある意味、自分を護るというか

高く売りたいと(売買じゃないよ。自分の価値というのかな/これを口にだすから、えらそうだって、思われてへこましてやろうとする人間もでてきて、結果的にむこうにぼろをさらけだせることになってしまうのだとも思う)

と、思うわけだ。

もちろん、結果的にぼろをださせてしまうのも、元の思いが悪いせいだと思う。

「へこましてやろう」「きにくわん」などという思いから始まった物の結果は、その因果をみせてしまうだけで、

ようは、そういう「ぼろい思い方でよまれる」ということをはねつけてしまうということも

自分を大事にすることじゃないかいな?

と、おもったというのかな・・・・・。

だったら、えらそうにいうな?

あはは・・・。

それもそうだけど・・・。

それで、判断して読む読まないをきめるつ~こともできるっしょ?

えらそうだととれるものしか、書いてない。と判断されるのも、それでよし。

必要な人が読む。

それも、見えないところでの「読み手」のふりわけ作用になってるかもしれない。

読んでくれとやみくもにおもわなくなったというのかなあ。

そうなりゃ、なおさら、出版する気にはならないってことでもあろう?

そこらへんからして、読み取れない人がいたって話し。

韻を踏む・・響き?

文体って、程の物じゃないけど、


こう、なんていうのかな?


リズムってのがあるんだ。


五七五


とか?


まあ、そういうのに、近いかな。



で、それに、気がついたのは、

憂生じゃなくて、

読者様。


声にだして、読んでごらん。


ってね。


なに、読んだのか、あの当時だから、

白蛇抄の、どれかかなあ?


それで、また、話がひろがってね。


文豪といわれてる人でも

こういうリズムを刻んでない。


ってね。


もちろん、憂生が文豪のわけもないが・・。


なんで、こういう韻律を文章に持ってしまうんだろうか?


って、考えたんだ。


思い当たるのは、二つ。


詩。


これが、英語の原文で

Rの発音を繰り返して

読み上げると耳障りが良い。


で、そのせいだと思うんだけど、


英語の歌も、耳障りの良さまで考えてるのが、いいんだ。


昔は日本の歌なんちゅ~~のを

いっさい、聞くことがなかったんだけど

ひとつには、歌詞がメロディフレーズを殺してしまうというか・・。


たとえば、エアロのキング&クイーン

Nのフレーズの繰り返しが気持ちが良い。


S&Gの

ピープル、トーキングウィズアウトスピーキング

ピープル、ヒヤリングウィズアウトリスニング

ピープル、ライテイングソング、ボィセス、ネバー、シェア。


このフレーズの韻律の巧いこと。


おまけに、歌詞の意味が深い。


リトルとスモールの意味の違いのように、

話そうとせず、しゃべっている。聴こうとせず、聞いている。

日本語だったら、こうか?

なんも、韻律、踏めない。


音で韻律を踏む。

こういうのが、元々、嗜好にあったんだろうな。

だから、英語の詩も意味を含めて、好きだったし、

音楽ももっぱら、英語ばっかし、聞いてた。


だから、確かに、自分でも、

音にならない音で

自分の文章を聴いてるんだ。


これが、ひとつに、人の文章を読むときに

邪魔になるってのも有る。


丁寧に描写されてるんだけど

韻律がはいってこない。


たぶん、文字の意味合いばかりで、表現してるんだろう。


けっこう、韻律が決まると、その言葉だけで入っていける。


ところが、


こういう韻律がはいってこない読み手タイプも居るんだな。


意識してないだけで韻律が入ってきてるタイプも居るけど


全然、入ってこないタイプも居る。


で、当然、憂生がそういう、韻律を踏むタイプの書き手だから


当然、そこに気がついた人がいて、憂生に逆輸入。


そうやって、考えてみたら


文豪だれそれを音読したら・・読めん。


なんて、意見が飛び出してくる。


と、いうくらい、憂生のまわりは、韻律を踏み読むタイプの読み手があつまる。


そして、やっぱり、そこに注目するタイプなんだろう、

読み手が書き手になったときも

これ、また、韻律がよい。

耳で聞いてるわけじゃないけど、

リズム?

あるいは、緊張感、

あるいは、流れるような・・・。


そういう文章を書く。


どっかの書評にあったな。


夢見るような心地よい文体。


って、の。


もちあげ、と、思ったから

ほったらかしてたけど、

今、こうやって考えてみると

担当者さんも、韻律踏み読むタイプだったんだな。


おし。


文章の中にも

音楽が有る。


こう、しめくくろうか。

めちゃくちゃなこだわり方?

時折、「人の書いた小説はあまり読まない」


そういう。


これは、下手だからとか、好みじゃないとか、


そういう事じゃない。


なぜなら、プロと呼ばれる人の出版物も、好きな作家のものもほとんど、読まない。


一時期は、よく読んだ。


自分が書き出してから、特に、読まなくなった。


一番、怖いのは、やはり、プロの文章力、表現力だ。


これを読むと、自分のものが、ちゃちすぎて、かけなくなる。


次に怖いのは


発想・・ストーリー・着眼点。掘り下げ方。


独自なものが、薄れる。

あそこまでの、ストーリー思いつけないとか、

自分に無いものを求めてしまう。


陰陽師ものを書いたときも、夢枕獏の陰陽師が

ブレークしてた頃だったと思う。


それでも、一切、陰陽師の本は読まなかった。


史実的な部分。調伏の法、5ぼうせいをつかうか、6ぼうせいをつかうか、

こういうきちんとした、下調べも必要とも思えた。


だが、それも、やめた。

ちらりと読んだ「身固め」は使わせてもらったが

既成の法術では、解けないものごともあろう。

それでは、こちらの話しが成り立たなくなる。


だから、独自の陰陽師を設定した。


だから、あえて、既成の物語は読まなかった。


文章スタイルも、自分のものでしかない。

表現も稚拙だと思う。

たどたどしい。

たどたどしいから、すっきりした表現が出来ない。



それでもよい。


自分独自の自分のいろいろな経験などなどから

浮かんでくる物事に

自分の考え方をかぶせていく。


どのみち、そこからして、

独自の物語だ。


他のものを読むだけ、逆に、

「これじゃ、だめなのか」と

自分を迷わせる。


自分の思い方、考え方

自分の表現でしか、かけない。


簡単に書いて見せている部分でも

ぎゃくに

ある意味、恐ろしい?事実が隠れている。


そこに基づいているからこそ、

書ける。


そんな馬鹿なと信じられない事でも

さも、知った気でかいてるような、

空想、想像、部分だけでは無い事がアル。


驚かせたくはないし

信じられない事だろうが・・・。

たとえば、


法祥 回向せしむるかや


の、中で霊と人間が交接する。


これは、憂生の実際の体験だ。


だけど、こんなことを実体験に基づいてる。


と、言ったって、信じられないか

信じても、頭、おかしくなってる。

って、思われるのが関の山だろ?


ま、そういう風に

こんなことを、たとえば

本当に体験したわけでもない

想像のうえでの「本」を読んでも、

ぎゃくにわかりはしない。


もっと、簡単にたとえりゃ、

あまり・・普通の人が体験できないこと。


ハングライダーとか?


このことについて、いろいろ、考察したとして、

ある意味、本当に、ハングライダーでとんだ人の考察と

想像だけの考察。


ぜんぜん、違うと思う。


それが、仮にハングライダーで飛んだのが、憂生 だとしたら、

いくら、文章が上手く、想像もたくみであっても

やはり、飛んだことのある人間が感じた「生」のものとは違う。


だから、自分の言葉で書くしかないし、

へたに、飛んだことない人の文章に影響されたくないと思う。


へたでもよい。

自分の言葉で

「生」をかいていくために、


あえて、本を読まずに居る。

うだうだ話だぞ~~~


2004年10月30日にブログ人を開設して、当初30MBだったのが、

50MBになり、それが100MBになったころには、

憂生の物語だけで90MBの容量になってしまって、

ブログをヴァージョンアップした。

そこで、日記や画像もいれて、およそ200MB。

また、これをカテゴリにわけて、

旨物・日記・・物語と別々のブログをつくったものの、

例えば創作談義をよんで、他のブログにジャンプして・・・。

てなこともあるし、

検索で来てくださって、「こんなこともかいてるんだ」って、発見?がうすいかな。

そんなんで、一箇所にあつめなおし、

元々からつかっていたカウンターも、メインブログをかえたら、同時にひきつがせていたので、ここも、そうした。

1月26日に最初に使っていたhakujyaを再使用できるのがわかり、

迷わず、今のタイトルにした。

カウンターを新たに設置して

カウンターの数値を引きついだ。

1月26日の時点で85000↑くらいだったかな?

オールビジターもつけたしておいた。

前の時と設定を少しかえてるので、

余計目にカウントしておいた。

前回のときは、ユニークビジターとビジターの差が15000ちかくあったような。

と、いうことで、今回の設定で考えたら、10万は、いってるだろうという仮想設定。

一時期あちこちのブログに気をうつしていたので、

長いこと放置していた。

アダルト小説はFC2できちんと/笑  アダルトブログに登録してかいていた。

ところが、存外、アダルト小説であっても、みんな普通ブログでかいていて/笑

アダルトブログというのは、本当にアダルトブログだったんだね/大笑

まあ、まじめというか、律儀というか、怖いもの知らずというか・・・。

今はそのブログも閉鎖した。

で、、今はここを、メインに、アメーバーに2箇所と・・それぐらいに

絞った。

アメーバーをすてがたいのは、読者登録とかで、読みにいきやすい、よんでもらいやすい。と

いうのがある。

管理室内に登録したひとの更新情報がはいるのと、

他サイトのブログも登録できて、管理室内で自分だけが見えるという部分でも、

フィードリンクを外にだしてこの人の情報をみてます。って、丸出しにしたくない場合もあるわけで・・・。

そこが良いところだとも想っているんだけど、

反面、読者登録というのが、重くなってきた部分もある。

内容的にあるていど、1~2路線でかいてる人は気に成らないかもしれない。

悪いことにというか、良いことなんだけど、

読者登録してくださるって場合、かなり、「まじめに重たいものをかいた時に」してくれやすい。

ま~~当然かもしれない。

まじめなことをかいていて、やらし気なことをかいたとたん、読者登録させてくださいなんて、

いいにくいだろう。

こっちも、かんがえてみりゃ、ナンパ成功法とか、かいてるあんちゃんや

くどかれ上手な女になろう、なんて事をかいてるおねいちゃんは

登録拒否しまくってたし。

男と女の感情をゲーム感覚?で考えるかる~~~~~~いお方は

同じかる~~~~~い感覚のところへいってください。つ~~~なもんで・・・。

で、くそまじめにかいたところに読者登録させてくださいって、くるから、

そりゃ、さっきとぎゃくに「おも~~~い」ところを理解し必要としてくださるってなもんで、

よろこんで、登録許可するわけだけど・・・・・。

そこで、最初の悪いというかって部分になる。

今度は、おも~~いを見てくださってる読者さまのまえで、

やらし気なことをらふ~~~~~にかけないじゃんか!!

と、いう事態が発生してしまって・・・・。

なんか、かきにくいったらありゃしね~~~~。

そんなんで、最近、アメーバーもほっちゃらかし。

ある意味、誰が読んでるかわからないってのも、いろんなことことを書く人間にはいいのかもしれないって、想ってる。

どこの誰かわからないけど、アクセス解析をみれば、ブックマークかな?って回数の訪問をしてくださってる人もいるし。

なにをどこをよんでるか、いちいちしらべもしないから、

この読み物で、きてくれてるんだから、このパターンでかかなきゃいけないかなあ?なんて

妙に萎縮したおもいにならずにおけるし、

なんじゃ、こいつとおもったら、こなくなるだろうし、

まあ、昔、読者様に

「読者を意識しすぎてませんか?」って、迫力がなくなったって心配されたことがあるんだけど、

ああ、こうやって、アメーバーの状態をかんがえると、確かに、

それもあるかもしれないなって想う。

むろん、どう想われたってかまいはしないという意味ではないが、

読んでくれる人を意識しすぎると、というか、

読んでくれてる人がわかりすぎるとなにかしら自分がちじこまる。

豪放にかいていたころは、よくいったもんだ。

「読みたい奴は読め~~~~。読みたくない奴は来るな~~~。あいみたがいだろ?」

そういう意味合いでは、読者をいしきしてないというのかな・・・。

自分が人のものを読んで、批判する気はないんだよね。

批判感情をわかされるようなものは、もう、読まない。

相手を批判してみようにも、元々は批判したくなるようなものを読んでしまった自分が悪い。

で、以後、いかない。行くだけの魅力、とるところがないどころか、マイナス感情がわいて、

自分の精神環境によくないだけ。

そんなんで、読みたい奴はくる。読みたくない奴はこない。

憂生もそう。読みたい奴にもなったり、読みたくない奴になったりする。

そんなんだから、そういう意味合い(この言葉おおいね~~~)では、

読者を意識しないという。

うじゃうじゃ、ほざいてる人間のものを読みたいと想うならきてくれればいいし、

読みたくないならこない。

それだけのこと。

問題はそこでなくうじゃうじゃ、ほざくのに、読者を意識しすぎると

うじゃじゃ、いいにくくなるんだなってことだ。

そんなんで、ある意味おかまいなしに元通り?うじゃうじゃいおうってきになったってことで、ここで書き始めてるって事かもしれない。

あん?

じつにどうでもよい話をよんでしまった?

ひ・・・ひらきなおろうか・・・・?

あ・・・あやまるべきか?

に・・にげろ~~~?

あはは・・ごまかしておくか・・・?

消えろ?

つ~~~か、寝ろ?

だな・・・・。

寝ます。

流し打ち~~~ヒットか?


物語を書く人には色んなタイプがいますが、

憂生はおおかたの構想がきまったら、

思いつくままに、一発書きというタイプです。

これをやると、主人公のキャラによっては、

こんな行動や考えをおこさないってことになって、

構想がくずれちゃうんじゃないかって、

考える人がいると思います。

それは、もちろん、あります。

で、憂生がそういうキャラ設定ということで、

逆に、一発書きのほうが楽なわけです。

基本的にはキャラの設定にそって、

キャラを動かしていきます。

すると、大まかに描いた構想から

離れた方向に行く時が・・・

しょっちゅう、ありますわい!!

↑威張るな?

だからこそ、それにあわせて、

物語を進めていくわけです。

これを細かなストーリー構成をつくってしまい、かきすすめていくと、

まず、破綻します。

自分の設定したストーリーの中におさまりきらないキャラクターの性格が

かならずでてくる。

すると、この性格のために、はじめの設定に付け足しや説明を入れなきゃならなくなる。

まあ、あみだくじでいえば、キャラクターの始発と、ゴールをはじめから、

きめておくって、かんじです。

デ、実際書き始める。

すると、あみだくじの構造上、ルートはきまる。

ところが、かきすすんでいくうちに、定めたゴール地点にいきつかないのがみえてくる。

すると、横線をたしたり、けしたり、ずらしたりする、修復作業が必要になる。

ところが、憂生のやり方は、まさに勘でしょう。

適当な始発ではじめて、主人公はやはり、定まったルートを歩む。

そのルートをかく。

そして、必ず、どこかのゴールにたどりつく。

そのあみだくじのテーマがきちんときまっていれば、

どこからはじめようが、どこにいきつこうが、

そのキャラクターの「生き方」みたいなものが、

くじの上のルートの中に描かれる。

キャラクターという大きな目でみたら、定まったルートでしかないのだけど、

その曲がり角でキャラクターが自分でその方向をえらぶ。

あともどりはしない。

だから、どういうルートをとおっても、

「生き方」みたいなのが、かかれているから、

結局、おおまかな構想と合致したものができる。

で、自分でいっちゃあ、なんだけど、

憂生の作品がおもしろいのは、

ストーリーをつくりあげるキャラクター自身の選択眼というか生き様というか考え方。

じっさい、憂生も書いていながらキャラクターがどう動くか判らない。

そして、なぜ、そう動くかってのを掘り下げる。

こういう考え方だから、こう動く。

それが、みえてくると、キャラクターがおもしろい。

おもしろいから、よんでいて、楽しい。

(そうでもないか・・・?ま、理論・・・理論・・)

そんなんで、空に架かる橋以降、連載しかかかなくなってしまったのには、

こういうところがあるんだけど・・・。

と、いって、ワードに書いていた頃も、やっぱし、一発書き状態で、

SO2シリーズ18編、白蛇抄14編、かきおろしが・・・すくないな・・

5編あるかな?

あとの40編くらいが連載か、途中から連載にかえたか・・。

で、まあ、量的にも多いってのもあるかな。

短編でも連載はするけど・・・。

5万~10万文字となってくるとさすがに一日では打ち込む事が出来ない。

前にも書いたけど、指のけがもあるせいで、見事な一本打ち打法なんだ。

これ、打ち込みながらの同時変換ってのが、難しい。

目で確認する間があって、間違ってたら、打ち込みなおしとかする。

瞬間、瞬間、間が開くわけで、その分、沸いてくることを打ち込むのに困る。

追いつかない。

で、お構いなしに1万文字でも打ち込んで

後で文章確認したらえらいっこっちゃになってる。

自分でも、なにかいたかわかんねええええええええ!!

と、いいつつも、まあ日記に、メールに、物語に

なんやかやと、うちこんできた量は半端じゃない。

物語はかぞえきってないけど、

400万文字以上あるだろう。

にっきも、コメントもメールも・・

そうやって、かんがえると、1000万文字くらいを

この一本打ち打法でこなしてきている。

で、時折指の運びが悪かったり

キーボードがええかげん、へたってきているせいもある。

妙な文字があったりする。

けど、悲しいかな、自分の文章って、

よんでみても、間違ってる文字をそのままもともとの表現でよんでしまうというのがあるんだ。

まだ、残ってるかもしれないけど、

ブロー・ザ・ウィンドの書評の書き写しに

「とても印象にのこる・・」とかいうのがあって、

これを

「ととも印象に残る・・」って、やってるのに

自分では「とても」と読んでしまう。

で、それに気がついたのが、検索のおかげ・・。

憂生のところに

「ととも印象に残る・・」ってその部分の検索ロゴでヒットしてたわけだ。

それで、ヒットするほかの人のものもみてみる。

まだ、その時点では「とても」だと思ってるから

けっこう、にたような文章かいてる人がいるんだねえ。

憂生のものをさがしてたわけではなさそうだ・・・。

ん?

ここで、はじめて、きがつく・・。

検索ロゴは「ととも」になってる・・。

憂生のは?

「ととも」になってる・・・。

書き間違えたおかげで、憂生のものを検索してくれたんだと特定できたんだけど・・・。

まあ、それくらい、きがつかないでいる。

pとかtとかsとか一緒におしてたりね・・・。

いちばん酷かったのは、ブログのIDをとるのに、

「旨物談義」をIDにしようとして、物のところで、

OPっておしてしまって・・・UMAMONOPDANNGI

これにきがつかず、ログインしてもはいれない・・。

ま、そんな風に日夜、一本内打法でがんばってる憂生でやんす・・。

*ところで、もともと、なんのはなしだったけ?*

許されよ

憂生がアクセス禁止措置などをとっているのを読んで、

糞馬鹿がと想う人は

おそらく、憂生がどういうことを書いてるか、

判らないだろうと、想う。

はっきり、言うと

「想いを救う」という、視点でかいているものが多い。

白蛇抄にいたっては、

因縁からの脱却と、いう

非常に宗教めいた視点でかいていて、

あほげたエロログをさがしてる人間には無用なものであり、

むしろ、うっかり、それらの内容をよんだとき、

笑うかもしれないが・・・・・

その人のもつ、「魂」がその人のしてることのくだらなさ・など・・・

に、気がついてしまって、

場合によっては、影でやってること、想い方にまで、

きがついてしまって、

それなりの・・・・

う~~~ん。

古い言葉でいえば、「ばち?」

おまえ、それじゃいかんぞといろんなことをしらせようとするし、

どうしようもない悪いことをしていたら、

それを清算させる動きが生じることがある。

多分、霊能力者や神道家がよんだら、

そこのぶぶんはみえてくるだろう。

と、いうほど、ある意味おとろしいものがこもっているので、

本当に必要な人にとっては良いけれど

性表現などにひっぱられて、おもしろ半分でよんだら、

危ないんだよね。

ここのところがあるから、

なおさら、あほログで来る人には拒否をかけることにしている。

えらそうに、と想うひともいるだろうし、

何様のつもりだと想う人もいるだろうし、

物語のなかにそんなものがこもるものか、

と、想うひともいるだろう。

それらへの、理解をもとめるつもりはない。

判るのはかなり高域にはいってる人間だけだろうし、

通常によんでも、ストーリー部分しかみえないのが

一般的。

判る人間はいないだろうと思うし

いたら、教えて欲しいくらいだけど/笑

そんなのものも書いてるから、

通常の官能小説家さんみたいに「煽り」をうりものにしちゃ

逆にこっちが危ない。

文章技術やステータスなどをひきあいにだして、

しのごの言ってくる人間が何人かいたけど、

それらも、書いてあることの「すごさ」がみぬけないレベルだと

想っているから

そのレベルで応対してきた。

そして、それでも、しのごのいいたいなら、

全部よんでみてからにしろ。

って、いうのも黙った。

みぬけないレベルの人間が読む部分は

どうせ、同じ。

判る人間は一文よめば、なにか、違うと判る。

ま~~~~。

そんなところもあるので、

えらそうに、読者の質を選んでもいいのではないかと

豪語している。

ひさかたぶりに創作談義になっちまった・・

感性というのだろうか。

文字で物を捉える人間には、判らないことであるが、

例えば、絵。

この巧さというのをみていると、その人間を知っていればしっているほど

あじわい深い。

元々、絵描きさんたちとの親交もおおかったのだが、

相変わらず、まわりには、絵を書く人間が居る。

人物の躍動感というか、なんで、ここまで書きこなせるのか?

と、いう「感性」と「才能」の実像化が見事である。

色彩という点でも同じで、「目に見せる事ができる」という感性は

物書きにとっては実にうらやましいものである。

こんなことを考えたのも、竜安寺の石庭についての講釈をきいていたせいだ。

計算されつくしている。

と、科学的というか、物理的というか、視覚面から

遠近法や色の配置、構図ラインともいうべき壁を軽く傾斜させるなどの技術を

あれやこれや、言っていたが、憂生が痛切に想うのは

庭師はそんなこむつかしいことなぞ、考えていない。

石ひとつをさがしに行って、この石だ。

配置一つについてもこの配置とこの色。

壁のことでもそうだと想う。

感性がうみだしていったものでしかなく、

小理屈や技法などというのは、解釈段階の能書きでしかない気がしてくる。

そう想うのがやはり、絵を書く知人の描き方のせいだと思う。

才能があるな。という、言葉に

「教師は、「絵は努力」でしかない」

誰でもうまく、なれるとのたまわった。と、返されたのだが

いやいや、文章もそうだが、もって生まれたものというのは、ある。

教師がいうのは、技術力の面だというのも、わかる。

文章も修練すれば、それなりに巧くなる。

だが、もってうまれた人生観というのだろうか?

感性ともいうべき部分はなかなか・・・。

感性の秀でた人間が技術力をみにつける。

と、いう部分では

才能のない憂生みたいな奴ははじめから、無理だなあなんて想う。

そして、開花というのは、

技術力を99として

感性(才能)を1とするくらいの配分であるとも想う。

一時期、感覚小説がもてはやされ

ライトノベルがもてはやされ、

技術力がなくても、感性が不十分でも

受け入れられ、もてはやされるという状態をみていると、

市場というのは、いかにアイドルを求めているか見えてくる。

廃頽とはいわないが、物書きがものをかいていくのは、

あくまでも、自分との戦いみたいなものがある。

自分の中で掴んだものをどこまで、「具象化」させれるかという部分。

この部分は、本人にしかみえない部分である。

感性をどこまで具象化できているか。

仮に読んだ人間がすばらしいと想ったとしても、

書いた本人にとってはできてない場合もあれば、

逆につまらないと想ったとしても、

書いた本人は自分の限度一杯まで掴み取っている場合もある。

憂生が思うに、問題はこの部分だと想う。

納得できるものを書いていく。

結局、その部分でいくつも、いくつも、書いていく。

とにかく、書く。

技術はあとからついてくる。

相手にわからせる事ができる。

こうも書いたことがあるが、

こったものの書き方を憂生は良しとしてはいない。

読む人の心にすっと、文章がよりそっていく。

そんな文章が味わい深いと想う。

その元である、感性の持ちよう。

頭でひねりまわすものじゃないなと想う。

自分が掴み取ったものは、簡潔で判りやすい的確な文章で書けるものだと想う。

だから、逆に言えば、憂生がいかに掴みきれてないか、ばれるだけなんだけど、

それでも、書いていきたいとおもうし、

いつになるか、わからないが、納得できるものを書ければと想う。

それが、たとえ、人からみて、つまらないものだとしても。

アメーバーにて・・

あまたの物語を連載形式であげて、いったんあげおわったら、再掲載で、順番を昇順にかえるというまあ、根気のいる作業をやったのが、1年前だったと思う。

物語総数90編ちかく、1スレッド1000~2000文字にわけて、掲載した結果、テーマがたらなくなった。

および、スレッド数も3000近く。

連日、100スレッドちかくあげて、一月以上かかる作業をおこなったわけだけど・・・。

まあ、正直、連載形式は好きじゃない。

携帯からよみやすいようにと、配慮したつもりだったが、結局、やめた。

まあ、物書き履歴の拘りってものがあったとおもう。

短編、中篇、長編、さまざまであるが、気に入ってくださった方はプリントアウトしてまでよんでくれたわけだし、

病床の妹のために、プリントアウトして、読み聞かせたり・・。

こんなまでして、憂生の作品をいとおしんでくださった人がいる。

ってのが、拘りになってる部分がある。

簡単に読める状態にしておくというのも、安売りのような気配も漂う。

最長の物語は16万6千文字ほどある。

それをかまえてよんでやろうという気持ちの方を望む。

で、なければ、亡くなった彼女にもうしわけないような・・。

そんな気がしてきた。

憂生が書いているというそれだけをつたえきけば、

病床でわがことのようによろこんでくれたそうだ。

今、・・懐の銭をぽつぽつ、書いているけど、

彼女もなくなり、読み聞かせてくれていた姉もなくなっている。

白血病という病と闘う妹をきずかい、自分の身体を省みず看病につとめた姉もなくなった。

きがついたときには、ておくれで、本人も覚悟がついていたんだろう、身辺を整理していたと聞く。

姉さんのほうは、お登勢(166000文字の作品)を涙をながしてよんだという。

お登勢さながら、わが身より妹を思いいきぬいた彼女のことをおもう。

だから、その彼女たちが愛した「憂生風」を大事にしていこうと思う。

そんなんで、携帯でよめるという「売り根性」はやめることにした。

創作談義かなあ?

下のスレッドをよんでいて、ポイントがぬけてるのに、きがついたので、追記。

協力出版などをうたいあげてる出版社が第1刷にだすのは、500冊。

特別推奨などになってもいいところ、1000冊。

で、初版印刷の1割が自分のところにかえってくるはずだと思う。

500冊なら、店頭に並ぶのは450冊。

100万の金をだして、一冊2000円だとしても、ぜんぜん元はとれない。

金の問題じゃないということだけど、

これで、増刷になることがなければ、版権が出版社に移り(著作権ではない)なくして、ブログなどに公開する権利がなくなる。

つまり、500冊とひきかえに、金をはらって、版権を失うかもしれないわけで・・・。

それぐらいなら、自費出版を考えたほうがよいかもしれない。


*後記_追記


空に架かる橋の批評?がほしくてというか、
どうとらえられるんだろうと、メール添付の形で出版社に送ってみた。
すると、まあ、がくぜんとするような受け止め方をするスタッフがいて
まあ、簡単にいうと
「あたし」が、報復する気なのかどうかがつかめない・・・。
と、いうものだった。
聞けば年齢的には20代半ばだったろうか?
そういう捉え方になってしまうんだなあとどっちかというと古い考え方の憂生なので
こりゃあ、だしてもつうじないんだろうなあっておもったんだけど
担当さんが
「衝撃でしたよ。僕は世間一般の人がどううけとめるか、みてみたいです」
と、ずいぶん、出版をすすめてくれたのです。
で、ことわる理由のひとつに上記のことをいったわけです。
すると、契約?期間は3年なんですよ。と、いう答えがかえってきたのです。
3年の間にヒットすれば増刷や映画界やTV界のプロデュ―サーとかの目にとまれば
ドラマ化や映画化もありえるけど
ヒットしなければ、3年たったら本屋からも撤収されて自分の所にかえってきて
契約もおわるということだったのです。
こういうことを前面にだすとヒットする可能性が薄いかもと言う人は
考えてしまうでしょう。
100万以上の金をつぎこんで、うれなければ都合500冊の本が手元にくるわけです。

近くの印刷やサンにたのんで、製本してもらって、よしみの本屋とか?にたのんで、

(場合によっては、マージンをはらって)店頭におかせてもらったほうが、いいかもしれない。

最近は同人さんが、簡単にオフセット印刷所に便箋とか?たのんでるのもみかけるので、かなり安くしあげてくれるかもしれない。

場合によっては自分で製本するという手もあるが・・。

まあ、職業としてなりたつところまで、書けるのなら公募などにおくってみたらよいかもしれない。

が、公募もかなりのレベルを要求してくるし、ライバル?もそこそこ多くいるわけで、

憂生自体、出版社の担当さんから、

「あなたは作家になる気があるのか?」

って、問われた事があった。

作家になりたいのなら、協力出版からでも足ががりをつけると良いという意味合いだろうが、正直、作家として生き残っている人を見る限り、こういう協力出版とかで大成していった人はいない気がする。

つまり、売れ筋作品としてのレベルになってしまって、以後の作品がない?鳴かず飛ばず状態になっているように思う。

憂生の答えは自分に問い直すまでもなく、

「作家になる気はない」

だった。

本質的なところで、「作品をよんでほしい」というために、出版をかんがえたわけだから、それは、「作家になりたい」ではない。

作品をよんでほしいのなら、ネットという場所でも可能なわけで、一時期はあちこちのブログに掲載しまくった。

そして、自分の実力もわかっている。

知人の言葉をかりていえば

「ネット作家でおいておくにはおしい」

と、いう程度なんだ。

こんな人間が協力出版などしたら、まちがいなく、増刷はなく、版権を失くす。

そして、もうひとつ思うことは「読まれる」ということ。

心をゆりうごかすものをかいていれば、読まれるだろうし、

読んだ人の心に残る。

憂生にとって、作家になるならないなどの問題より、

「心を動かせる作品」を書けるかどうかが問題であって、

これは、今までのコメント云々などにより、それなりの手ごたえはあった。

二番煎じのありきたりのはなしであったとしても

「憂生が書くと空気が変わる。どうころがしていくか楽しみだよ」

ってなふうなコメントをいただいたことがあるが、憂生風が確立していると思っている。

その一方で、確立しているところにすわっていたくもないので、

評価や感想などを度外視してしまう憂生が居るのも事実だ。

同じところにとどまっていてはいけない。

と・・・、いいつつ、相変わらずスランプ気味で、懐の銭・・他10編の続きが停滞しているので、まかりまちがっても「作家」にならなくて良かったと思う。

職業として「かかなきゃならない」で、書いたものは読者が見抜く。

過去、読者様がわから

「読者を意識して書くな」と、通常の逆でお叱りをうけた憂生である。

「読み手は見抜くよ」

なにをみぬくかといったら、「乗ってかいてるか、どうか」だろうな・・。

いいわけ・・

どうも、憂生は、ごちゃごちゃ、書くのが、好きじゃない。


読めば、判る後ろの情景という物が有る。


たとえば、

政勝が、

「な?」

と、いう。


この後ろをいろいろと、説明すると、

政勝の今までの常識ではどうにも理解できない。

突然、言われた言葉を理解すると同時に

なんと、いう事だと思いがわきあがる。

だが、

政勝の口からは、憤怒がつきあがり、

それが、言葉をつがせないばかりでなく、

驚愕のあまり、茫然自失という態でもあった。


と、まあ、こんな風に

「な?」

と、いう言葉の後ろに、

これだけの文章を打ち込めるわけだけど、

そんなくどくどした説明など、なくても

「な?」

だけで、十分通じ、

こうだと限定しきった説明より広いものを持たせる。


心という部分に働きかける。


読み手は一瞬で、その奥深い心で

「な?」

の意味合いを掴み取ってしまう。


掴み取ってしまうのに

くどくど、説明するのは、はっきり、言って

うざい、だろう?


まあ、きちきち、説明しないと

判りにくいと言う人も居るかもしれない。


なぜ、憂生がそうなのかと言うと、

憂生の本の読み方がそうなのだ。


一読熟解というタイプ。


かなり、集中して、読む。

だから、たとえば読書感想会みたいなところに行くと

たいてい、

「え?そんなこと、かいてあったか?」

と、みんなにページをめくらせることになる。


こういうぴっちし、読み込んでしまう自分のタイプが

災いして、書くときになると、読んでる人も、読み込めると考えるのかもしれない。


できるだけ、装飾を外し、流れの説明をしない。


七日七夜でも、

是矩が、童子を切り捨てようと

馬やに行くまでに、刀をぬき、

厩に乗り込んでいった。

青波を見つけるや否や、

一言も発せず、切りつけていった。


などなど、物語を面白くするつもりが、もたついてしまうし、

重要な場面でもない。

科白と次の動作で

ああ、いきなり切り込んでいったのだと判る。


実に不親切で有るが

逆にストーリーが早く流れる。


七日七夜は3万文字程度の小作品だったと思う。

これをみっちし、書き込んだら、えらいことになるし、

長編オムニバス・・白蛇抄という物語の中のひとつのエピソードであるので、

できるだけ、ポイントになるところ以外は流す。


だから、みっちり、読んでくれないと

訳がわからなくなる。


なんで、急に鬼が切りつけられたのか

なんで、かなえが楼上にあがっていったのか、


読み落としてしまう。


だから、申し訳ないけど、

流して、かいてある分、よけいに

気をつけて読んでもらいたいとも思う。


思う反面、入りこませて、知らぬうちに一字一句読んでしまったにできないのは、

憂生の稚拙さでしかない。

華を活けるに似ているかもしれない。

ps。
ま、そういうことだ。
日記を書かなくなってきている。

それは、一つに作品を書き始めていることにも
起因する。

今まで、いろいろと、書いてきたものについて、言えば、
それは例えば、
「ことわざ」?のようなものであるかもしれない。

作品を考えてみると、作品の中にも当然「ことわざ」?はある。
日記と同じでは無いかと、言われるかもしれない。
が、作品は
「ことわざ」?が、うまれでてくる理由や背景や心理を付加している。

日記にはへたをすると、
バックグラウンドがない。

作品にはバックグラウンドがある。
そのバックグラウンドも自分で作る。

華を活けるに似ているかもしれない。

日記はつんできた華を無造作においておくだけのものであろう。

作品は花器を選び、華を選び、余分な葉をとりさり、高さを決め、剣山に差し込んで
形を整えてゆく。

余話であるが、親父は活け花の腕もよかった。
板前というのは、なんでもこなせるようである。
憂生?は・・・・。
親父の血をひいてないようで、
作品という活け花は
どこか、尻すぼみになる。

折角の素材 が「ことわざ」?の華を綾どるに、
まだ、まだ、未熟である。

未熟であるが、
最近は
活け花のほうに、自分が楽しめている。

なによりも、
自分が楽しめる事が優先である。

もちろん、日記も基本的にはそこである。

書くことがたのしい。
書きたい。

それが最近はかけなくなっている。

**やっぱ、物書きはエンターティメントさ!!  憂生は程遠いぜええええ!! ***  

しかし、一時期の日記三昧を知ってる人から見ても、
今の憂生は
「ほとんど、日記をかいてない」
と、言ってよい状況だろうな。

ネタが尽きたというのも、正解であるが、
憂生は
ここでは、出来るだけ日常生活の
「わずらわしい部分」
を、書かないようにしている。

それでも、書くときは
「笑い飛ばせる」内容か、
「なるほど、そう考えるか。一理ある」内容に
変換するように心がけている。

やっぱりな。
日記といえど、人様が読むように設定しているものである。

逆をいえば、
わざわざでむいていって、
わざわざ読んで、
なんか、
『損した気分』をあじわいたくはないだろう。

得した。までは、いかなくとも、
読んで損はなかった。

こういう付加をお土産 に持っていってもらいたいと思ってるんだけどね。

なんせ・・・・。
気分屋で、
時におもっ苦しい気分をあじあわせてしまうかもしんない。

ま、そん時は、ごめんにゃ!!

「だから、ありがとう」の内容

このカテゴリーの最初に挙げた記事
だから、ありがとうのコメントや憂生の「きれきれ!!」がでてきました。


最初にあげた記事にもかいていませんが、一番最初は文字が小さいと文句をいってきたわけです。
小さければ自分のパソコンの設定をかえたりもできるのですが
憂生のパソコンでみている限り小さくはないのです。
で、そこら辺を言うと、あなたのPCのほうのがおかしいんじゃない?というので、
こちらは仕事もあって、ネットに繋いでるパソコンは当時3台くらいあったとおもうけど、
それでみても、小さいことはなかったわけです。
すると、うちはマックがあって、それが2台で他にどうのこうの・・とか、まあ、いかにも
金をつぎこんでる内容のことをかいてきていました。
すでにこの時点から
ーこいつは、物・金・ステータスなどで、人を圧倒できるとおもっておるあ~ぱ~の部類だなー
と、思っていたわけです。


そうすると、次から次からコメント(いちゃもん?)がきましたね。
それも、とんでもない

で、最終的に「だから、ありがとう」をかかげたわけです。



*下の記事へのコメントですが・・。

最終的にいくつかの感慨を持ったのでまとめてみます。

1 ■無題

ご自身で書かれていらっしゃるように、いろいろな意味で得していると思いますよ。

2 ■これも、あはは

本人からその言葉聞きたかったぜ!!

3 ■無題

あなた自身が上記に書かれている理由で、読者をどちらも外させていただきましたのであしからずご了承下さい。

アメブロの重役と知己の方が書いていたブログは、一日に1回の更新ですが、それでも1日に1万アクセス以上あったそうですが、アメブロの重役の言葉に怒って一度退会し、今回は以前とは違った内容で再度スタートされていますが、私自身の文章力はその方よりももちろんありませんがきちんと読んで下さっています。

4 ■了解

自分を通すことは、大賛成です。
読む、読まないは、その人の自由です。
がんばって、
読ませるものを書いてください。

5 ■無題

あなたも人に頑張って読ませるものを書いてくださいね。
ただ量を書けばいいというものではないと思いますよ。
内容もね。
造語をしたら脚注ぐらいするのが礼儀ですよ。

6 ■いい加減にしなさい。

元々、貴女は、1行あきにしたほうがよいと
こちらに提案して、ソレが受け入れられなかったら、その人その人のやり方がある、と、こっちを認める態度をとりながら、自分の意見が通らないと、また、同じことを言ってきたのですよ。
だから、憂生側の理由を書きました。
それでも、まだ、本の時はどうのこうの。
人に強要することじゃないでしょう?
だから、上のことを書きました。勿論、自分のことも踏まえて。
貴女の意見が受け入れられないという事は
こっちが、なるほどと思わされるものを書いてないんだと、自分をみつめるくらいの度量をお持ちください。
読みにくいとおっしゃる言葉が、1読者としての立場ならわかりますが、あなたのものの言い方は、
自分の気に入るようにしろ。と、やっているわけですから、当然、その奢った心、人柄も文章に出ます。そういう意味を込めて、もう一度、言います。
読ませるような物を書ける人になってください。

で、もう、自分のぼろをみせまくる貴女をみたくありませんから、
自分のブログにでも、言いたい事を書いて、
公開するなり、なんでもなさってください。
 





憂生 2009-10-04 10:50:11

7 ■先に書いたとおりですので

2通ほど、コメントをくださったようですが、
読まずに廃棄しました。
ご自分のブログにでも、お書きになったら、
読ませてもらうかも知れません。
これ以上、どんぐりのこづきあいをしていても、
仕方がありません。
まともなものを、かけない人ほど、人のことを四の五の言う。
と、かいてありますから、
それを二人で証明してるだけになります。
ですので、これで、最後のコメントです。


*名前の所をみるとURLが生きている様なので興味?があるひとは訪問してあげてください。


物を書いていこうとする気持ちについては応援していますので、読んであげて下さることは大賛成ですし、日付からみても5年近くたっていますから、成長されているのではないかと思います。

親記事

毎度、思うことだが、

どうも、ブログに小説などをだしている人はレベルが低い。

もちろん、憂生も含めて。

じゃあ、出版してるからってレベルが高いかといったら、

やはり、これが、ブログに居る場合は、やはり、レベルが低い。

出してみた物の、およびがかからない。

売れ行きが悪い。

500冊ほどの初版発行をブログで宣伝しなきゃならない。

(あ、某社の場合ね)

結局、作家になるほどの実力がないんだろう。

だから、逆に憂生の場合、ブログとかで、出版しました~~って、

ず~と、やってる人をみると、ああ、だめなんだな。

って、判断をしてしまう。

いやな見方だけど、本当に売れてたら

ブログなんかに居ない。

で、前にも、書いたけど、憂生はほとんど人のものは読まない。

正直をいうと、今、誰の物も読んでいない。ああ、小説らしき物という意味でね。

ちらりと、流し読みはする。

正直、あらばかり見える。

だけど、人のことをいえる自分じゃないないから、

それは、いえない。

と、言うよりも、ブログで、書いてる人間に高いレベルを求める方がおかしい。

まあ、そんな中で、ああ、いいもの持ってるな。

って、思う人がいる。

で、思わず、おしいって、勝手ながらクレーム?つけた。

有る意味、本音だけど、

上に書いたように、言う気にもならない人ばかりなんだって、

ことに、着目してほしい。

かってながら、憂生が本音いうってことは、

逆にすごいって、みとめてるからこそ

出来ること。

文は人なりって、いうけど

文章に人柄がにじみ出てる。

そこまで、憂生が読み取ってるんだよ、なんて、言いはしない。

いくら、旨い文章だからとて、

いくら、旨い表現だからとて、

やはり、文章の中に人柄がにじみでるような

そんな人柄じゃなきゃ、話にならない。

結局、物語ってのは、

知らぬうちに、自分を映し出す物なんだ。

だから、本当は、人に対して、しのごのいう暇があったら、

たとえば、憂生の作品がすべて、語りつくす。

そうありたいとは思うんだ。

これは、逆の時に、書いたことが有るから、

自分で言うときついんだけど、

まともなものを、かけてない人間ほど

人のことを四の五の言う。

って、言葉、ひっくり、返したら自分の行動だよな。

で、おまけに付け足したんだ。

ちゃ~~ちゃ~~、言う前に

こっちがなるほどといえるような日記でも作品でも書いてみろ。

本当に巧い人は人のあらでなく

自分の足りないところをみて、

相手のいいところを探して

自分の糧にしようとする。

そして、そんな人の作品は

すべてを語ってるから

こっちを説得して

いいなと思うところはもらおうと思わせてしまう。

だから、もうひとつ、逆を言うと

自分の作品がいまいちだから、

相手に自分の意見が通じないってことなんだよな。

そこまで、いいものを書いてるからこそ、

その意見、もらおうと相手を動かせないんだ。

そこのあたりに気がついてしまうと

人に意見するのは、別にかまわないとして

それが、通じなかった場合

これは、その諸刃をちゃんと

受け止めなきゃいけないと思ってる。

そこまで、いえる自分じゃないから

通じないんだぞ。

がんばれって。

自分にいうし、

通じなかったとしても

それは、逆に自分を教えてもらえたことで、

どっちにしろ、憂生は得をしてる。

だから、意見、通じなくても、通じても、

ありがとう。

憂生はそう思う。

通じたら、こんな人間の言うことを受け止めてくれて、ありがとう。

通じなかったら、まだまだ、至らぬ憂生を見直させてくれてありがとう。

いずれにしろ、憂生は得している。

あかん。(これが、一つ目の感慨)


まあ、下にも書いたが、

だれそれが言ったからとか、

自分が人に言われたからとか


こういう意見の仕方は

嫌いである。


自分はこう思う。


それで、十分だ。


その意見を取りいれる

入れないは

相手の自由だが、


いかにも、その意見を正当化する、

皆もそうだ。

とか、

自分も言われた。

とか、

権威ある人が言った。

とか・・・。


そんなものに後押しされた意見なぞ

いかにも、安っぽい。


自分はこう思った。


その自分が認められれば

意見は通じる。


その他大勢を引っ張り出して、

自分がみえない意見なぞ、

いくら、正しくても

そのスタイルを平気でやる根性に

うなづけない。


よく、言わないか?


皆、同じ事言ってるよ。

皆、そうしてるよ。


逆に聞きたくなる。


おまえ、皆に確かめたか?


お前の言い分は、

人の意見、その他大勢といっしょじゃなきゃいえないんだろうが?


憂生がこんな事を思うのは

15、16の人間に10才以上、年上の

クロさんが、話しをしてくれるとき


いつでも、必ず

「これは、わしが思うことだ」

って、必ず言った。


「わし」の意見だけで、考えるな。

と、いう意味もあったろうけど

自分の発言にきちんと責任をもって、

人がど~のとかいう、あいまいな物事を提示せず

自分の判る精一杯を提示してくれた。


その内容は、時に、違う。

と、思ったこともアル。

だけど、このクロさんの姿勢だけは、

自分の尺度になった。


だから、自分のもので勝負せず

芸能人とかのデマゴーグ(事実を確かめられないという意味合いで)を、

取りざたに記事をかいてるような人間も嫌いだ。


間違って欲しくない。

芸能人のことを書くのが悪いといってるんじゃない。


そういうものに対するものへの自分のまなざしにをもたず、書かず、

ただ、デマゴーグを右から、左へ流す。

役にたたないつけっぱなしのTVにあまんじてるその考え方が

好きになれないだけだ。



あかんな。


今日、きれきれ、憂生だ~~~~~。


朝から、なげ~~~~ぞ。(コレがふたつめの感慨)


どういうわけなんだろうね?

野次馬根性?


この2日、コメント欄が読まれてるね。


どういう思いをもつんだろう?


そりゃ、憂生、言いすぎだ。


って?


たまに、こういう人がいるんだけど、


なんが、嫌だって、


ステータス有る人をひっぱりだして、

物をいうこと。


作家が・・。

1万人アクセスがあった人が・・。


とかね。


1行あきど~のこうのでも、

自分がよいと思ってしてることでしかないし、

自分の文章にあったということでしかない。


憂生はここで、1行あきにしてみたけど、

次の行次の行って、文字を拾いにくくて

やっぱし、元に戻した。


自分がそれになれてるせいかも、しれないけど、

やはり、その人の文体とか、内容にもよる。


次の行にすぐ目を落としたい内容と


たとえば、どうでもいいような、装飾をたらたらかいてると、

それをよむのが、しんどい。


で、そういう場合は

逆に1行あけないと読みにくい場合が有る。


たとえばそういう風に1行あけることで、

次の行を読ませる。


ところが、昨日あるひとのところに行ったら

テンポが良いというか、次々、次の行をおいたくなる、

心地よさがあったんだ。


これは、二人いたんだけど・・。


一人は行をつめて書いていた。


一人は要所要所で、行を空けていた。


どうしても、こう言うことを見ると、

行をおえる書き方をしてないから、

いったん、わずかの間にすにもどらなきゃ、いけない。

次々読めるもの、テンポのよいものは

ぽろぽろ、行があいてると、逆にしんどいし、

おまけに字がおおきすぎると、

なお、行間があくし、

次の行がすぐ、目に飛び込んでこない。


簡単にいうと、

次の行、次の行とよませていくタイプじゃないから、

1行あきにしてくださいという

クレームが入る。


この部分に気がつかず、

作家がこうしてるから、

自分が言われたから

と、それが、誰にでも当てはまると思っている。

言い方を変えれば

「自分の欠点のカバー」の仕方を人に押し付けている。


自分を見ようとしないで、

ステータスや自分の場合をひっぱりだしてきてる。


で、あげく、押し付けがましい。


それは、コメントがきた当初から見えていたことなんだけど

それをいっちゃあ、気の毒だなという想いがあったのと、

その人の文章のスタイルで、読みやすくしているんだから。

逆に1行をあけずに、読んでもらったら

その人はどうかという答えがもうでてるわけで、


ああ、てんぽがないな、

次の行次の行って

よませるリズムも内容もない。


ぱ~と、目で読んで

気になる行だけ読んだらそれで終わる。


巧い表現だな。

と、いうのが、ないから、

1行を追うことが出来ない。


昨日、読んできた人は

随所、随所にそれが有る。


単純に一言。

文章の後ろに、が・・、とか、つけてるだけで、

前の文章の意味合いだけじゃない、別の心理が見える。


ああ、巧い。

って、思った。


そうすると、この巧さが心地よくて

次々行を追う。


申し訳ないけど、あくまでも、憂生の嗜好だよ。

それが、そのひとの場合ない。

1行1行読まなくても、ことたりることを、かきつらねてるし、

リズム感がないし

巧いという心地よさもない。


そういう人に1行あけしなさいみたいに

再三、言われれば、

こっちも、切れる。


で、余計なことに

なんで、その人が1行あけにしてくれといわれたのかを

もっと、突き詰めてしまう。


で、また、もんくいってくるから、

余計に他の部分も見てしまう。


たとえば、そういうステータスの発想。

これも、本文の中にある。

ああ、そうかってね。


そういうものが、この人の価値観なんだなって。

その価値観で人をさげすむ?自分が優位に立つ?

いや、人をさげすむ価値観としてもってる。


どの部分か言わないけど・・・。


根本的なものが違うから、

全然、ひびいてこない。


そこも読み飛ばす。


文章は自分を映す。

そういう価値観がでてしまって、

ああ、この人の・・態度、ものの言い方、

そのままが文章の中に反映される。

逆にわざわざ、自分のぼろさが、

こういう設定を作るんですよ。

と、証明してるカッコウになってしまって

もう、コメントの言葉の後ろにある彼女のぼろさ、これ以上

他の人に、さらけ出させたくないな。


って、思ったんだ。


どうしても、やりたければ、自分のところでおやり。


こういった、裏は

自分が大事にしてるブログに

書ける内容か、どうか、自分を図りなおせるだろう。

と、思ったんだ。


あとから、3通ほどコメントがきていたけど、

全部、読まずに破棄した。


コメントをよく読んでくれてる見たいなので

こっちの思うままをかかせて、貰ったけど

前にも、書いたけど

人のものを批評するのも、

有る意味、自分を披瀝させてるに過ぎないってこと。


彼女の考え方のまずさみたいなものを

突付きださず、

しら~~と、受け流してやるような、

幅のある、人間じゃない。


これも、前に書いた。


下手に憂生とむきあったら、

自分の核とむきあうことになる。


だけど、せっかくだからね。


良い意味で

自分を知っておくことが良い。


彼女も得したと

思えたら、いいんだけど、

こっちにふってくるくらいだから、

まあ、無理だろう。


文章のうしろの意味を自分と照らしあわせることが

できないのだから、

確かに旨い(あえて、旨い)文章を書くことは出来ない。


味のある文章は

文章のうしろになにかある。

言葉にならないなにかが見える。


これを察知できないからタイプだから

言葉のうしろになにかをこめられない。


見た目だけ。

それも、自分でなく

人の・・・。


こういう事までもが、文章にでてしまってると

コメントで逆にみせてしまうことになってるということにも、

気がつかない。


だから、読ませるものを書きなさいと

一言ですませたのだけど、

その言葉に対して

また、馬鹿を披瀝させてしまってる。


程度が低いから相手しないんじゃない。


書いたとおり、彼女のぼろをもうこれ以上みたくない。


書けば、書くほど、ぼろをさらけ出す。


その公開の場所になるだけ。


そこに気がつかないから

また、コメントをよこす。


はずかしいと思って、なにか、気がついて

コメントを削除してくれとでも言ってきたのかな?


とは、思ったんだけど

それも、自分のページで書きゃいい。


そこまで、やってしまったつけは、

自分でとるしかない。


で、得になるように考え直して、また、がんばってかいてきゃいい。


そういう思いでしかないわけだけど、

コメントを読んでくださった人。

もしも、こっちの思いを逐一説明しなきゃ、

読めるものを書いてくださいって、意味が

わからないなら、

文章の中にはいってしまう「その人」を読み取れないタイプ。


あるいは、


言葉の後ろに有るものを読み取れない

彼女と同じタイプってことになっちまわないか?


どういう思いで、コメントを読んでくださってるのか、

わからないけど、


憂生は、彼女が惜しいなとおもうだけ。


貴女、その程度でいいのか?


もっと、いいもの、もってるだろ?


つまらないぼろ削って


自分の良いもの、もっと、ひっぱりだしてこいや。


それだけでしかないんだよ。


人生に起きるイベントに無駄を作るな?(コレが三つ目)

人の荒みて、わがふり、なおせってのは、よく聞く言葉だけど、


今日は、


人の荒みて、ある人のすごさみたいなのが、身に沁みた。


ってのかなあ。


憂生は、だれそれがああ言った。とか、いう

言い回しで、人に意見するのが嫌いなんで、


出来るだけ、あの人はこうなのに、とか、使いたくないんだけど、


今日は実に、そこが、つぼだった。


で、荒、見せてくれた人間にも、憂生のあらにも、感謝だな。


その人の態度のおかげで、憂生の荒のおかげで


別の人間の姿勢のすごさみたいなのがもうひとつ、見えた。


って、言うのかな。


あの人なら、同じ局面に立たされたら、こう言うだろうな。


ってのが、見えて、


いっそう、価値深くなった。

(この人の場合、実際、こう直してみました、って、文章みせてくれました。

この時、思ったのは、人のアラ、どうのこうのを言う暇があったら、

自分の文章のここをなおしていこうってものを持ってる人だという事です。

コメントを寄せてくださった方の方向性として、

憂生 がかいたきつい事を自分なりに考えの幅にしてくれるとよいなと思っています。

だから、憂生 のところでぼろをだしまくったこと・・・。

結果的によかったにしてほしいと思っています。

そういう意味合いで、このときは遠まわしにかきましたが、

それは、その人にむけて、

今回の露呈を無駄にしてくれるなよという

憂生 の思いを裏に入れたものです)

物書きさんたら、「お手紙」書いた~~~♪


憂生は自分の作品をよく、解説?する。


人によっては、作者が自分の作品を解説するのは、おかしい。


という人もいる。


表現しきれてない、と、いう「いいわけ」「つけたし」に、見えるのだろうか?

あるいは、

作者が語ることによって、「そういう読み取り方」に限定させるような、

そういう固定したものを、もたせてしまうことになるからだろうか?


いずれにせよ、

解説するタイプの憂生にはわからない。


憂生が解説するというのにも、二手ある。

書き手の立ち居地で解説するときと、

読み手の立ち居地で解説するときと。


書き手がいくら、こういうつもりで、書いたといっても、

いつかあげた「蛙」へのぶつぶつ・・のように、

読者さまは、すきなように読むだろう。


読者の「なにか」に反応するんだから。


そして、書き手としては、

実にはなもちならない思い方をしている。


こんな、解説なんか、ただの側面のひとつでしかない。


実際の文章を読んでいただければ、

独特のムード、表現が出来ていると思う。

これを解説なんかで、語れるはずが無い。


もっと、他の読み取り方も出来る。

これもある。

ひとつや、ふたつ語ってみたところで、

実際、作品をよんだら、まだまだ、取る所が有る。


いささか、うぬぼれ気味に聞こえたらごめん。


で、読み手としての立ち居地。

作品の解説を自分で書いてみる。

これが、上にかいたことを自分にもっと、実感させる。


「他の読み取り方」

が、見えてくる。

単純に言えば、

「僕が潰した物はそれだけだろうか?」

なんだけど、

この部分が

「解説」を外にほおりだしてしまったことによって、

また、見えてくる。


こういう風に読者として、ある一部分の気づきをいうことがある。


だから、けして、解説ではないとおもってるし、

結局はこれも、下に書いたけど

「自分の目でたしかめてこなけりゃ、見えないもの」


そんなんで、まあ、憂生は読者様の感想からも

いろいろ、考えさせられるし

自分でも考える。


だから、いただいた感想ともども、日記にあげさせてもらってる。




そういうことなので、書いてる途中でも、よく「ぶつぶつ」いう。


それも、ひとえに、憂生が「物書き」のせいだと思っている。

作家は作品という家を作る。

家に「品格」をもたせるから、本人からの「解説」はいらない。

作品で勝負なんだろう。

でも、物書きは

「物」を書く。

自分の中の「もの」を文字に変えていく。

だから、解説も自分の中の「もの」。

これを、物書きの習性で「文字にしてしまう」。


憂生にとっては、それだけでしかないんだけどね。

我ながらなげえええ。ごめんにゃ。


掲示板から・・・
憂生さん、
こんにちは ~☆
書き込みは初めてですが、作品を読ませていただいてます(^^)

これまで"蛙"とその続編と"ブロー・ザ・
ウィンド "と"空に架かる橋"を読みました~(^ー^* )
よかったです(感想になってないかな??)
読み始めると引き込まれちゃいますね!

今、連載されている"小枝"も読ませてもらってますが、まだまだおこちゃまなのでちょっとクラクラしながら読んでます(’-’*)
続き楽しみにしてます♪

ではまた(^_-)-☆



ありがと。
どこかに書いたと思うけど、
蛙は、15,6歳のときにいったんかいたものです。
それから、ン年。
一番最初にかいた、物語。
「パンパンと
チョコレート
の、書き直しをあとにして、
「蛙」をかいてみるきになったのです。

「ギャルソン」仮題/と、いう一種、性同一障害をあつかった、長編?を最後に断筆宣言をして、それから、ン年。
渦夜が友人に頼まれてもってきた、so2/
ゲーム です/の文章起しがきっかけで、このシリーズをかきまくることになったのです。
BLが基本軸の作品ですが、
メインHPに収録してあるものの他にも
じつは、まだ、15編ちかく、かいていたのですが、
渦の友人のほうに、全部わたしました。
いまは、どうなったことやら?

で、そうこうするうちに、
若年齢層むけに、話をかいているだけでは、いやになってきて、
自分の思うままに、表現したもの、
誰かを特定せず、
しいていえば、憂生自身の感覚レベル?を対象に
「白蛇抄」を、書き始めたのです。

そして、その、あいまに、「ブロー」や「蛙」「壬生浪ふたり・・」をかきあげ、
それとは、別に今連載しているものの多くの
構想をもち、
あいまに、
まだ、
「加代」「小夜子」「踊り子」「
神戸 にて・・・」/この一部が「俺の胸の中の陽だまり」です。
「既成視/デジャブ」「てんとう虫」/童話「螺旋階段をのぼって」「小花模様・・・」「京子・・・・」などなど、手書きによる作品を書きまくっておりました。

多くの作品はすべてといっていいほど性表現がかいざいしますが、
基本的には和物です。

洋物はブローと踊り子くらい?
So2はもともと、洋物?ですし、
ベースがあるので、
オリジナル じゃないですから。

構想としては、いくらでも作品があるのですが、
実際、読ませる物という形にしようと思うと、
あらすじだけのような話では
作品にはなりませんので、
それなりによんでもらえるかな?
という所まで書き始めると
遅筆になってしまってる
昨今です。

因みに「壬生浪・・・」の実質書き込み時間は仕事をしながらの上で、
七日もかから無かったのですから、
書きとおしてゆけば、
早い方だと思います。

記念すべき助演?女優賞なるものを、


憂生の作品の登場人物に与えるとしたら、

候補者はかなり居る。


中の候補を絞ると

ボーマンシリーズのステラ

と、

白蛇抄の中の伽羅

に、なる。


だが、ステラは、ボーマン4にて、副主人公?

準主人公になってしまって、

助演とは言いがたくなる。


そうなると、むしろ、候補を別に出す。

白蛇抄・海老名・・・

ところが、これもあとのほうで、

大活躍してしまう・・。


やはり、助演に徹しきったのは

伽羅だな。

「どんな文章であっても、絶対保管しておくこと」 

☆ 文芸社の審査結果発表は7月末になる。(ずいぶん前の7月です)アスペクトにも自分の投稿への感情を書き綴っているが、こんな文章も纏めてゆけば一つの応募作品になる。

ある人の坊ちゃん文学賞への投稿の裏側を書き綴っていた物が佳作に入っているのを見た事がある。

むろん、内容は判らないが、この事で、ある出版社の提言を思い出す。

「どんな文章であっても、絶対保管しておくこと」 

ともすると、手紙 や、覚書程度の内容の物は役目を終えると破棄してしまうことが多い。

特にあまりに自分の感情を生々しくかきすぎた文章なぞ、とても、残す気になれない。

だが、これさえ残せという。確かにそうなんだなと思わせたのが、この佳作作品である。

本編は文学賞のそこそこのところまでいく文才を持っている人だから、その裏側の事なぞ、いわばおまけでしかない。
おまけでしかないものの方がむしろ純粋な創作意欲を描ききれていると言う事もあるようだ。

どこでどんな風に活かせてやる事が出来るか判らない。

だから、一度文字にしたものは、残さなきゃならない。

まあ、こう考えると文字はパソコン の中に入れてしまえるから原文は保管できるけど、絵描きさんは原画が一つ。

蒼刻はコピー 製本なので今のところ原画を拝借状態でいるが、返却希望の有無に関らず、いずれお返ししなければならないと考えている。

この世にたった一つしかない原画が何時、活かせる時が来るか判らない。

大切に預からせて頂こうと考えている。      

憂生の作品を音読してごらん。

憂生の作品を推奨してくれてた。

ありがとうなのだ。

・・・・。

ところが、さ。

憂生の作品を音読してごらん。

って、まで、いってくれてるんだ。

ありがたいやら・・、涙がでるやら。

と、いうのもだ。

いつだったか渦が言ってたんだ。

「字を目でおってるだけじゃ、本当にいい文章か、どうか、わからないんだ。/御幣があるが/

文豪の作品で、目でよんでるだけだったら、

頭脳意識には、凄く、いい作品ってことあるんだけど、この人の文章を音読してみたら、

酷く、味気ないってこともある。

音読してみると、

心の中に染み入る文章じゃない場合もあるんだ」

むろん、憂生の作品が心に染み入るいい作品だなんていうんじゃないよ。

ただ、音読に耐えれるものが、少しはあるんだ。

って、思えてね。

渦の音読論も鋭い、着眼点だなっておもわされたんだけど、

それあっさり実践してるumigasukiサンは、もっと凄い。

そうおもうと、

「音読してごらん」

そんなこと、いわれちゃったら、

つたなさ棚にあげて、本当、有難う。

こんな奴の作品にそこまでいってもらえて・・。

感涙です・・・・。

憂生中事実。

まあ、いろいろと、
感想?について、ごたくをならべているのだが、
聞きようによっては、
なんじゃ?
ようは、賛辞しなきゃ、
こっちの人間性をうたがわれるのか?
あるいは、
ようは賛辞しか、憂生はうけいれないってことだ。
と、思われるかもしれない。
いやいや・・・。
まさにそのとおりで・・・。
/おい!喧嘩ふっかけてるのか?/笑

--------------------------------------------------------------------------------
もちろん、憂生のことであるから、
逆に自分に当てはめる。

人の作品をつまみあげて
しのごのいうほど簡単な事はない。

だが、それをあえてやるときは
作品についてだけの見解・感想にしたくない。

「だから・・・自分にとってはどうであったか」
「だから・・・このことから自分はどう思うか」
と、いう自分へのさらいを付加したいと思っている。

その代表例が?
カフェ に上げた人間交差点のはなしについてであるが・・・。

あだ。こだ。と、言ったことを自分に照らし合わせる。

ちゃんと照らし合わせてるか、はなはだ、疑問であるが・・・。

自分から発したものは
自分に戻す。

なぜなら、結局感想などは・・・、
「自分」でしかないから。

出来うる限り
他の人もこう思うのだろうなどという
薄めた意見などいいたくない。

憂生こそがこう思う。
間違っていても極端な見方であっても
憂生こそがこう思う。

そして、その憂生がどうとらえてゆくか・・。
そこまで、持って行きたい。

作品への曖昧な文句など、
自分の何の足しにもならない。

どう、血肉にしてゆくべきか。

その命題をもらえた本こそ、
「読んだ」という。

と、いう事で、
レガち♪

君の「煙草」
この作風/どうひょうげんしていいか、わからないが/
憂生の血肉にしたというか、

こういうつくりかた。
こういう感情の表現法。
が、あったのだと、
衝撃であった。

これは、真似が出来る物でない。
おそらく憂生の表面上に
出てくる技法にまで、消化できないと思うが。

それでも、
憂生の血になったか、肉になったか・・・。
どちらになったか、判らぬが、

確かにアレから少し太ったのは
事実である。

「そのままに・・・・。」  

ある、小説投稿先に
作品を発表してみた憂生である。

だが、手ごたえはいまいちである。

投稿してある作品も
あらすじかと思うほど短い。

読み手がこれらの作品を読んで
失礼ながら
感激しているのかと思うと、
なにか、
ココに自分を置いておくのが嫌になってこないでもない。

そんなときに有る人のメール返信が来た。

****
久々に(そうでもないか。。)、
憂生の長いメールを読んで、
「ほっほー」と感心してる。

> いま、カフェ で憂生の作品を読んでくれてる人はいろいろいるだろう。

憂生の周りの人たちの
レベルは高いと思うよ。
(私みたいな低レベルの人間が
言うことではないかもしれないけどね。)

「類を以て集まる 」
異なる感性であっても、
高い位置にある人たちが
自然と集まっているような。。。
(むずかしい言葉は私にはよくわからんが)

「空に・・・」
すごくいい作品だ。
売れ筋 と売れ筋じゃないものに分類するならば、
売れるだろう。。。と私はそうみた。
この作品は、もっといろんなところに
載せてほしいと思う。

「新之助」は
「読まなくてもいいか」ってちょっと思ったけど、
結局、読んでるよ(笑)
面白いわ。
PCの前でひとり笑うと
子供 が不気味そうにみてる(笑)

「空に・・・」のときはひとり泣いてた・・・
これもきっと、不気味だろうね(笑)

******

/お~~い。勝手に掲載したぞ。と、ここで、ことわっておく。/

憂生は他所様のサイトにいってみて、
あらためて、
ここで、憂生を
バックアップ してくれている
人のレベルを思い知らされた気がする。

そして、話はさらに続く。

憂生の中で今回、コメデイについて、
酷く迷った。
どこまで、書きこなせるかは
書き手としての
幅を計る事であり、
これも一つの
お試し であるとは思った。

だが・・・。

書いてゆくうちに、
自分が暗澹とした気分になってくる。

朝起きて、非常に気分が悪いのである。

これは、
何か、違う。
自分の中で何か感じながら
『黒」をあげた。

結果、ますます、気分が重くなった。

どういうのだろう。

公表という状況と
憂生という人間性を肯定しきった人間にむけて、
物を書くのは違う。と、いう事だろう。

こんな、気分がえをいつまでもつづけていても、違う。

新之助シリーズをいったん終わらせる気になった。

成った途端。

次が出て来た。

だが・・・。

こうやって、
憂生の中で反目した作品でありながら・・・。

みゅ~~。
君はこれらの作品を
すべて、憂生として
受止めてくれていた。

丁度メールに

> プロというのは、その技術を売って収入得ることだよ。
> 憂生の作品を読んで、憂生がお金くれるのか?(笑)
> 皆、プロではないよ。

プロと呼べる読み手は居る。
ところが、
この読み手は同時に書き手になってしまうんだよね。
そう、たとえば、批評家とか、審査員とか。

読み手のプロ。
それは作品の本質を理解する。
こういうことに思われるかもしれない。
だが、
読み手のプロというものは、
「そのまま、うけとめる」
と、いう事かもしれない。
この人の作品は「***だ####だ」
と、批評したときから、
その人も書き手側の領域に入って行くのだろう。

そして、あきらから。

憂生の作品に共鳴して憂生をどんどん好きになる人がいる。
見てると嬉しいよ私。

みゅ~~。
憂生はじっさい、ここまで、
君が「そのまま、うけとめる」とは、思っていなかった。

あらためて、
この日記の冒頭に上げたメールの一言。

憂生の周りの人たちの
レベルは高いと思うよ。

形になっているいないは、別として、
こういう事なんだ。
「そのまま、うけとめる」

ありがとう。
皆。
憂生は自分のジレンマで
いくばくか、
盲になっていたようです。

あらためて、何もかも、受止めてくれている・・・

憂生の作品のso2のクロード のように
あらためて、
受止められていた有り難味に気がついて居ます。

憂生は
改めて
こんなにも
愛されている自分を
思い知らされています。

ありがとう。

コメント
--------------------------------------------------------------------------------
 上手く言葉に表せないけど・・
憂生は憂生。
憂生が書いたものは憂生が書いたもの。(当たり前だけど・・・)
他のヤツじゃない。
憂生から生まれたもの。
あたしは、それが好き。^^それだけだよ^^
(あッ告白か??照れちゃう!!きゃ!)
投稿者:myukikoy --------------------------------------------------------------------------------

空に・・・おもしろかったですよ 一つのテーマに絞った深みがあって ありがとうございました
投稿者:maririnnmoroo

自分で、確かめる。


レビューや感想は自分を披瀝する。

まあ、こういういくつかの事例を見ていると
時に、
まずいよなあ。
って、思うことがアル。

披瀝してしまった作者のうしろになにがあるか、分からないから
「そこまで、断言する部分ってのは、見えない」

だから、披瀝と言う部分の多くが「感情的なもの」に見える。

で、次にはじまるのが、
「判断の披瀝」

こうだから、ああ、判断する。
ああだから、こう、判断する。

たとえば、憂生 がちょっと、書いたある作家さんのこと。

どうも読みにくいな。って部分がある。

だから、

その部分、書き迷いながら仕上げた。苦労した部分??

って、判断する。

でも、実際のところは、分からない。
もしかすると、絶好調で書いたのかもしれない。


そういう風に考えると

判断しているその判断基準は「自分」

自分を見て判断してる。

と、いう事になる。

だから、

その部分が「自分の披瀝」になるわけだ。



前にも書いたけど
人の作品をつまらない。
と、批評したら、
批評した人の作品もつまらない。
って、披瀝することになる。

って、こと。


つまらない、と、しか、取れないほうが、つまらない。

つまらない取り方、受け取り方しかできない自分って、
披瀝することになる。


別にそれは構わない事だし
なにかを、受け取ろうとするときに
「つまらない」って思いが先になって、
別の部分が見えないなら
つまらないって、「枠」を外に放り出すのも一手。


でも、いくつか、作家さんの作品を取り上げさせてもらってるけど

あくまでも、

これも、「憂生」 の「披瀝」でしかないって事。

ここをまちがってもらっちゃ、困る。

本当に、その作品とむかいあうのは、
「読み手」であり、
憂生 ではない。と、いうこと。

憂生 はああいう風にうけとめたが、
自分はどうおもうだろう。

自分の目で確かめてくる。

結果、同じ意見であっても、違った意見であっても・・・。

「自分のもの」

まさか、借り物意識なかばで、
憂生 の判断をあてにする、なんてことは無いと思うが

「自分で触れてきた、その触感」

これだけが、「自分」のもの。

模様

胸の奥につまった、言葉。

「今」

なあ、

1千年いきようと、
3年いきようと、

あるのは、

「今」

今を重ねて、
人はむすびあう。

それだけでいいじゃないか。

憂生は「今」を生きたい と思う。

それは、

憂生にとって

作品を書くことだ。

いつか、この世での存在をなくす。

其のときに書いて置けばよかったと
悔やみたくは無い。

この先、
どこまで、かけるのか、
いくつかけるのか、
判らない。

だけど、
あの周五郎のように、

人間に生まれてよかった。

そんな、物語をかけたらいい。

そんな物語をのこせたらいい。

今。

書いてゆく。

憂生に

物を書く気持があることがありがたい。

物を書く


もともとは、白蛇抄を審査にだしたのですが・・。


これは、およそ、100万文字になるオムニバス長編なので
出版できるのだろうか?
何か方法はないだろうかと、といあわせてみたのですね。


するとまず、おくってみてください。と、いわれたわけです。
その結果、担当さんが大慌てで、企画室にもちこんで、検討の結果、

出版は「保留」にしますとの、通達が来たのです。

一応審査書評はきましたが、


ページ数でいうと、500ページをこすものなので、

100ページのものが115万ほど?

1ページ1万円の換算としても、500万位かなwww・・笑えん

出せといえる金額でもないし、出してやるといえる金額でもない。

と、いう妙な位置のものだったのでしょうかね。


「保留」

結論をだせない。


と、いうことで、

「他になにか、かいてらっしゃるか?」

当然あります。

「拝見したいですね」

じゃあ、送りましょう。

と、いうことで、3編ほど送ってみたら、

「審査」になっていた。


正直な気持ちは、白蛇抄の保留をどうするかという判断材料じゃなかったのか?

と。


で、いつのまにか、壬生浪ふたり・・・が審査に通りました。

企画書を送ります。ようは、(見積書)ですよね。


で、担当さんもよく電話くれたりしていたので、

話をして、白蛇抄の方をだしたくて審査にだしたのだから・・。

と、いうことで、じゃあ、協力出版で出したらいくらくらいになるか?

と、たずねたら、500万~かなあ。


そっちが仮に200万とかいうのなら、まだしも、

憂生 にすれば、判断材料でしかないものに、100万は正直

本末転倒でもあり、断ったのですが・・。


しばらくしたら、企画部長から、封書が届き

「良作をこのまま、眠らせるのはおしい。特別推奨作品に押したい」


特別推奨というくらいだから、まあ、せめて半額。あるいは、企画出版に準ずるのかと思っていたら

企画部長から電話がはいり、

初版発行冊数も倍ちかく、広告の新聞社も増やす、書店もふやす。

費用もできるかぎり、安くします。


まあ、だしてもいいかなあ。と、思っていた。

其れを足がかりに白蛇抄をだせるかもしれない。

と、いう淡い期待が動いたのも事実。


だが、

「お手持ちはいくらほどありますか?

いくらくらい出せますか?70万くらい・・?」

70万くらいまでなら、値段さげれますよというような、ニュアンスがあったので、

まあ、「良作を残したい」という思いが本当なら

50万くらいまでは、被る気があるかな?というのもあったんだけど、

「手持ち、30万です」と。まあ、こちらも駆け引きですな。
あと50万くらいなら、どこかでかりてもなんとかなるし、
企画部長が本気なら押してくるだろう。


実際、他の出版社では
安く出来るときの権利をおさえてくれたり、ローンじゃしんどいですか?とか
かなり親身になってくれたことがあったので
向こうも商売とはいうものの、やはりなんとしてでも世にだしたいとおもってくれるんだなあって
まあ、そういうふうにプッシュしてもいいと判断された作品だとおもわせてくれるわけですよ。

ところが、
その台詞に

「30万?あなた、そんなもんじゃ、自費出版でもだせませんよ」

こっちは、新聞広告、全国出版、書店置きですよ。

こういう裏側がざっと見える。

正直、自分の作品がそこまでのものだと判ったといっていいかな/笑


まあ、元々、それで、商売やってるわけだから、

仕方が無いけど、結局、食い物か・・・。かもねぎ・・・か。


だから、そんなところの

審査に通ったなんかは、別に、大層なことでもなんでもないわけで・・・。


単純に、この程度で通るものですよ。


で、もっと、ちゃんとしたところに送ったら

一次が通るか、どうか・・。(やったことないので、どうだろうか?)


こんな状態で、あたら、無理やり出版しても、無駄銭の

自慰行為にしかならない。


で、あっさり、なにもかも、ブログに公開してるわけで、

こんなこと、やってると、その事だけでも

きちんとした出版社は「未発表作品」とはみなさないだろう/多分。


(大丈夫だそうです*後記)


で、書評は作品解説がわりにつかわせてもらってるけど、

けして、「審査に通ったぞ」なんという、慢心はない。

裏事情を考えたら、慢心したくてもできね!!

慢心はないけど、まあ、それでも、一応、審査に通る物らしいという

そういう自負心はあるな。


でも、自分でわりにぐちょぐちょ作品のことをいうけど、

こういう「技術屋」さんの評価(書評)は在る意味、作品に遠い気もする。

むしろ、読んでくれた人の生の感想のほうが、憂生 には有り難い。


下手糞な文章でも、

一生懸命、訴えたその事に、

真剣にむかいあってくれる。

其れが、有り難い。

だから、ありがとう

毎度、思うことだが、

どうも、ブログに小説などをだしている人はレベルが低い。


もちろん、憂生も含めて。


じゃあ、出版してるからってレベルが高いかといったら、

やはり、これが、ブログに居る場合は、やはり、レベルが低い。


出してみた物の、およびがかからない。

売れ行きが悪い。

500冊ほどの初版発行をブログで宣伝しなきゃならない。

(あ、某社の場合ね)


結局、作家になるほどの実力がないんだろう。


だから、逆に憂生の場合、ブログとかで、出版しました~~って、

ず~と、やってる人をみると、ああ、だめなんだな。

って、判断をしてしまう。


いやな見方だけど、本当に売れてたら

ブログなんかに居ない。


で、前にも、書いたけど、憂生はほとんど人のものは読まない。


正直をいうと、今、誰の物も読んでいない。ああ、小説らしき物という意味でね。


ちらりと、流し読みはする。


正直、あらばかり見える。


だけど、人のことをいえる自分じゃないないから、

それは、いえない。


と、言うよりも、ブログで、書いてる人間に高いレベルを求める方がおかしい。


まあ、そんな中で、ああ、いいもの持ってるな。

って、思う人がいる。


で、思わず、おしいって、勝手ながらクレーム?つけた。


有る意味、本音だけど、

上に書いたように、言う気にもならない人ばかりなんだって、

ことに、着目してほしい。


かってながら、憂生が本音いうってことは、

逆にすごいって、みとめてるからこそ

出来ること。


文は人なりって、いうけど

文章に人柄がにじみ出てる。


そこまで、憂生が読み取ってるんだよ、なんて、言いはしない。


いくら、旨い文章だからとて、

いくら、旨い表現だからとて、


やはり、文章の中に人柄がにじみでるような

そんな人柄じゃなきゃ、話にならない。


結局、物語ってのは、

知らぬうちに、自分を映し出す物なんだ。


だから、本当は、人に対して、しのごのいう暇があったら、

たとえば、憂生の作品がすべて、語りつくす。


そうありたいとは思うんだ。


これは、逆の時に、書いたことが有るから、

自分で言うときついんだけど、


まともなものを、かけてない人間ほど

人のことを四の五の言う。


って、言葉、ひっくり、返したら自分の行動だよな。


で、おまけに付け足したんだ。


ちゃ~~ちゃ~~、言う前に

こっちがなるほどといえるような日記でも作品でも書いてみろ。


本当に巧い人は人のあらでなく

自分の足りないところをみて、

相手のいいところを探して

自分の糧にしようとする。


そして、そんな人の作品は

すべてを語ってるから

こっちを説得して

いいなと思うところはもらおうと思わせてしまう。


だから、もうひとつ、逆を言うと

自分の作品がいまいちだから、

相手に自分の意見が通じないってことなんだよな。


そこまで、いいものを書いてるからこそ、

その意見、もらおうと相手を動かせないんだ。


そこのあたりに気がついてしまうと

人に意見するのは、別にかまわないとして

それが、通じなかった場合

これは、その諸刃をちゃんと

受け止めなきゃいけないと思ってる。


そこまで、いえる自分じゃないから

通じないんだぞ。


がんばれって。


自分にいうし、

通じなかったとしても

それは、逆に自分を教えてもらえたことで、

どっちにしろ、憂生は得をしてる。


だから、意見、通じなくても、通じても、

ありがとう。


憂生はそう思う。


通じたら、こんな人間の言うことを受け止めてくれて、ありがとう。

通じなかったら、まだまだ、至らぬ憂生を見直させてくれてありがとう。


いずれにしろ、憂生は得している。

**************
コピーペーストして、記事を移行してくる作業をまず、やってしまおうとおもいながら
こういう記事をめにすると、
記事を書いた裏側を思い出し、注釈したくなってくる。

しょっぱなの
どうも、ブログに小説などをだしている人はレベルが低い。
この言葉でも、過激と言うか、挑戦的というか・・・。

この記事は憂生の物語にまとはずれな意見をさしはさんできた主婦?作家への言葉である。
意見と言うのはたとえば、
七日七夜をまともによみもせず、かなえのことを
「女子(おなご)」と表現するのはおかしい。
女性(にょしょう)と書くべきだ・・・・。と。
この物語の中に
「16?どうみても12、13かとおもった」
「無造作に髪をたばね、たっつけ姿であったため、男の子かとおもっていたら・・」
などという文章がはいっている。
また、かなえをそういうふうにみた相手の男は実は鬼であり、
鬼が女性(にょしょう)という表現をするだろうかwwww
かつ、
男の子にみえるような12、13歳のがきんちょをして女性(にょしょう)と表現するべきだ。
は、いかに表面しか(部分しか)よんでないことを露呈させているだけになってしまうのに
平気で意見してくる。

文字がもつイメージというものがある
女性(にょしょう)と言う側も有る程度、貴族とか金持ちとか多少裕福でないとおかしくある。
たとえば、身分のひくいもの・・・士農工商でいうところでいえば、形こそ2番目にあげてもらっているが生活もかつかつだったろう農民などが女性(にょしょう)といういいかたをするのはおかしいだろう。
また、逆に女性と言われる側も多少は気品をそなえているであろう。
田んぼに苗を植えている農家の婦人を女性(にょしょう)とはいえまいwww
遊郭にいるならまだしもこもをかついで屋外のどこででも身をうるような婦人?を
女性(にょしょう)ともいうまい。

そういう「女性」という表現について、おおいなる認識の違いがあったところに
あきたらず、小説は1行あけるべきだから憂生のはおかしい。まちがっている。
まあ、これはいい。
あげく、普通の市販の本をして、
みてごらんなさいよ。ちゃんと1行あいてるでしょ!!と、きた。
この人何読んでるんだろ?幼児向けの絵本かなにかか?
行と行の隙間まで1行とかんがえているようだった。
思い込みで人に意見してくるのはいいが、
ことごとく、まちがってるもんだから、
この人はいったいどんなものをかいてるんだろうとよみにいってみたら
金持ちグループと貧乏人?グループの少年が喧嘩して・・・。
みたいな表現があって
どういうんだろうなあ。ステータスに弱いというか。
で、まあ、薄命の少女としりあって、いわば、金なんかじゃないってことに
愛ってことにきがついていくってとこだったんだろうけど
設定が甘すぎて(説得力がなくて)・・読む気をなくしてしまったというかwww
もろ、こっちに意見してくるのと同じ姿勢でしかなかったわけだ。

それがなにをおもったか、
こっちをぎゃふんといわせてやりたかったのか
いろいろいってくるので、↑の記事をかいた。


まともなものを、かけてない人間ほど

人のことを四の五の言う。

ここのところなんだけどね。

彼女は

だから、意見、通じなくても、通じても、

ありがとう。

を、わがことだとおもったんだろうね。

もう忘れてしまったけど、
「得したってわかったならいいわ。
別にありがとうっていわなくてもいいわよ」
みたいな言葉がかえってきてた。

まあ、にぶいというか、自覚がないというか・・・。
こういう人間がいるんだと驚いたんだけど・・・。

「本人にそういってもらえたらうれしかったんですけどね」
と、かえしておいたんだな。

つまり、本当に得ることがあった相手は、あなたじゃないんだよ。
と、いう意味合いだった。
しばらく、わからなかったんだろうね。
そして、なんどか、よみなおしたんだろう。

やっと、

まともなものを、かけてない人間ほど

人のことを四の五の言う。

まともなものをかけない人間だといわれてるのだ。

と、きがついたらしい。
で、あとはどうだったか、謝れの訂正しろのといってきたような・・
あんまり、しつこいんで、訪問拒否にしたんだけど・・。

自分が間違った意見でえらそうにいったことについては、
こっちに対してすまなかったの一言も訂正の一言もなかった。

で、憂生が言ったことには
怒り狂っていた様で
まあ、あまりにも我が身を振り返らずの意見がましさに
上の記事を書いたわけだけど・・・。
それでさえ、自分の事だとおもってない厚顔無恥というか・・・ひでえか・・・
まあ、ちょっと、きがついてもらうようにいったことについては
彼女が自分の欠点?をみなおしていくためにはよかったというか。
記事のとおり、
得したととってくれればいいいんだけどと願いつつ・・・。

この記事は保存しておいた。

通じなかったとしても

それは、逆に自分を教えてもらえたことで、

どっちにしろ、憂生は得をしてる。

彼の魂が・・を書いて・・


不思議な体験はまだあるのだが、
物語風というか、ある種起承転結がない


一連の事件というものも多く、
書く以上は何らかの寓意をこめたい。

彼女の魂が・・では、自分の思い方が禍々しい存在をひきよせる可能性があるということで、思いをみつめなおしていかなきゃなんねえべ。
ってのがあったと思う。

一方の彼の魂が・・では、今度は死んだ側の人間とて、
盲執により、思いが離れず、自分を見失っていたといういみでは、
これまた、思いをみつめなおしていかにゃあいかんべ。

ってな、事がいえるんじゃないかとも思うし、
死んだ人間とて
確執を取り除く事ができるのであれば、
生きている人間はいわんや。
と、いう漢語チックな寓意がもりこまれている。

こういう意味合いで、この物語はけっして、一般的に考えられる
オカルトやホラーではないのだが、
いたし方が無い。

スピリチュアルというジャンルはしいていえば、人文とか哲学にちかいものだとおもっているが、哲学といえるしろものにはしあがっていない。

人文というのもちょっと違う。

致し方なくフィクションにいれたが、誤解されたくないのは
憂生は霊能力者でもなんでもない。
霊感とも違うのだが、こういう能力は誰もが持っている。
ただ、憂生の場合は彼女の魂が・・の彼女のように、
禍々しいものでなく、いくつかの体験から判ることは
助けを求めてくる。

つまり、「思い方をみつめなおし、変えていきたい」という
生きてる人間もくれば、死んだ人間?もくるのかもしれない。

そういう意味で言えば、憂生が遭遇しているのは「思い」でしかない。

だから、何よりも、応えたのは友人の離婚だった。
友人の「こうなったら、家をうるしかないか」という思いをキャッチした時にはすべてがおそかったのだが、これも、誰かわからなかった。

やはり、3ヶ月ほどしたら、友人の女房さんから連絡がはいって、友人は行方をくらましていた。

家を売るくらいでは追いつかない額の借金をかかえていた。

この時ほど、自分の曖昧な能力の頼りなさになけたことはない。
なんとかできたかもしれないという思いをひきずったまま、いろいろあって、結局友人は離婚し、今はどこにいるのやら・・。

こんな話に寓意をこめられるわけもなく、自分の能力とオカルトチックな出来事を面白半分に書き込むだけになる。

だが、人の思いが空中?に発散されていくのは事実だ。
友人宅に泊りにいったとき、
その部屋からは
「明日も仕事かあ」という思いがながれこんできていた。
念のためにいうが、泊りに行くくらいだから、
連休で仕事も休みだった。

人の思いは何らかのエネルギーを持ってしまうものなのだと思う。
憂生は何らかの接点でそれをキャッチできる時があるだけだと思う。

だいいち、一事が万事、人の思いなど判らない。
判らない方が99.9999%といってよい。

 INDEX    RSS    管理

猫・追加中

カレンダー

11 | 2017/03 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

最近の記事

作品集(アルバム仕立て)

カテゴリー

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
3246位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
1072位
アクセスランキングを見る>>

ブログ村

訪問者様

ページランキング

ブログパーツ

IP検索

全記事表示リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。