画像1 画像2 画像3 画像4

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アルフォンス・ミュシャ


アルフォンス・ミュシャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アルフォンス・ミュシャ
Alphonse Mucha
アルフォンス・ミュシャ
本名アルフォンス・マリア・ムハ
Alfons Maria Mucha
生誕1860年7月24日
Flag of the Habsburg Monarchy.svgオーストリアモラヴィア(現代のチェコイヴァンチツェ
死去1939年7月14日 (78歳)
Flag of Germany 1933.svgドイツベーメン・メーレン保護領プラハ
国籍チェコスロバキアの旗チェコスロバキア
分野絵画イラストレーション、装飾美術
最終学歴ミュンヘン美術院アカデミー・ジュリアン、アカデミー・コラロッシ
芸術運動アール・ヌーヴォー
後援者ミクロフのカール・クーエン伯爵
影響を与えた
芸術家
新古典主義
影響を受けた
芸術家
ポール・ハーヴェイケヴィン・ウォズデン
代表作
『スラヴ叙事詩』 (Slovanskà epopej)

アルフォンス・マリア・ミュシャAlfons Maria Mucha, アルフォンス・マリア・ムハ、1860年7月24日 - 1939年7月14日)は、アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー。「ミュシャ」という表記はフランス語の発音によるものであり、チェコ語の発音を日本語表記するとCs-Alfons Mucha.ogg「ムハ」または「ムッハ」となるヘルプファイル

多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作した。ミュシャの作品は宝石などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴である。イラストレーションデザインの代表作として『ジスモンダ』『黄道12宮』『4芸術』などが、絵画の代表作として20枚から成る連作『スラヴ叙事詩』が挙げられる。

プロフィール [編集]

オーストリア帝国モラヴィア(現代のチェコイヴァンチツェに生まれた。ブルノ中学校に入り教会の聖歌隊となった。夏休みに合唱隊の聖歌集の表紙を描くなど絵を得意とした。中学校を中退、地方裁判所で働く。19歳でウィーンに行き舞台装置工房で働きながら夜間のデッサン学校に通う。2年後失業。1883年ミクロフでクーエン・ブラシ伯爵に会い、その弟のエゴン伯爵がパトロンとなる。25歳のときエゴン伯爵の援助でミュンヘン美術院に入学、卒業し、28歳のときパリにてアカデミー・ジュリアン美術を学んだ。

彼の出世作は1895年、舞台女優サラ・ベルナール芝居のために作成した「ジスモンダ」のポスターである。威厳に満ちた人物と、細部にわたる繊細な装飾からなるこの作品は、当時のパリにおいて大好評を博し、一夜にして彼のアール・ヌーヴォーの旗手としての地位を不動のものとした。またサラ・ベルナールにとっても、この「ジスモンダ」が、フランス演劇界の女王として君臨するきっかけとなった。その後もミュシャは「椿姫」、「メディア」、「ラ・プリュム」、「トスカ」など、サラ・ベルナールのポスターを制作している。

サラ・ベルナールの他、煙草用巻紙(JOB社)、シャンパン(モエ・エ・シャンドン社)、自転車(ウェイバリー自転車)などの多くのポスターの制作をおこなっている。これらは女性と様式化された装飾の組み合わせが特徴的である。

ポスターに並び、装飾パネルも数多く手がけている。2点ないし4点のセットの連作が多く、いずれも女性の姿を用いて様々な寓意を表現している。代表的な作品には以下のようなものがある。

出世作、『ジスモンダ』ポスター(1894)

また、忘れてはならないのが挿画本分野の作品である。

パリでの初期苦闘時代、ミュシャは雑誌の挿絵によって生計を立てていたが、次第に認められ、パリの大出版社、アルマン・コランの挿画家として活躍するようになる。東洋的な情景をドラマチックに描き、高い評価を得た「白い象の伝説」、33点の木版画が挿入され、挿画家としての名声を高めた「ドイツ歴史の諸場面とエピソード」も、同社から出版された作品である。 代表的な作品には、年代順に以下のようなものがある。

  • 白い象の伝説』(1894年) 木版画
  • 『ドイツ歴史の諸場面とエピソード』(1896年)木版画
  • 『トリポリの姫君イルゼ』(1897年リトグラフ
  • 『アダミテ』(1897年) 木版画/フォトレリーフプリント
  • 『ラマ』(1898年) リトグラフ
  • 『主の祈り』(1899年) リトグラフ/版画集
  • 『クリオ』(1900年) リトグラフ
  • 『UTOK MORE』(1922年) プリント
  • 『ANDELICEK Z BAROKU』(1929年) プリント/サイン入200部有

宗教的思想に裏付けられた文学的解釈、それを美へと昇華する芸術力。挿画本分野において、ミュシャは独自の、そして輝かしい業績を残している。

大作『スラヴ叙事詩』を制作するミュシャ(1920)

商業的に成功をおさめ、財政的な心配のなくなったミュシャは1910年、故国であるチェコに帰国し、20点の絵画から成る連作「スラヴ叙事詩」を制作する。この一連の作品はスラブ民族の歴史を描いたものである。スメタナの組曲『わが祖国』を聴いたことで、構想を抱いたといわれ、完成まで20年を要している。また、この時期にはチェコ人の愛国心を喚起する多くの作品群やプラハ市庁舎のホール装飾等を手がけている。1918年ハプスブルク家が支配するオーストリア帝国が崩壊し、チェコスロバキア共和国が成立すると、新国家のために紙幣切手、国章などのデザインを行った。財政難の新しい共和国のためにデザインは無報酬で請け負ったという。

1939年3月、ナチスドイツによってチェコスロヴァキア共和国は解体された。プラハに入城したドイツ軍によりミュシャは逮捕された。「ミュシャの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」という理由からだった。ナチスはミュシャを厳しく尋問し、またそれは78歳の老体には耐えられないものであった。その後ミュシャは釈放されたが、4ヶ月後に体調を崩し、祖国の解放を知らないまま生涯を閉じた。遺体はヴィシェフラット民族墓地に埋葬された(現在はヤンラファエルのクベリーク親子と同じ墓石に埋葬されている[1])。

戦後、祖国は独立を果たしたが、共産党政権は愛国心との結びつきを警戒し、ミュシャの存在を黙殺した。しかし、民衆レベルでミュシャへの敬愛は生き続け、プラハの春翌年の1969年には、ミュシャの絵画切手数種が制作されている。また世界的にも、1960年代以降のアール・ヌーヴォー再評価とともに、改めて高い評価を受けている。

日本との関係 [編集]

藤島武二による与謝野晶子の歌集『みだれ髪表紙(1901)
  • ミュシャの挿絵やイラストが、明治時代の文学雑誌『明星』において、挿絵を担当した藤島武二により盛んに模倣された。
  • ミュシャの有力コレクションの一つは日本にある。堺市が所有し、堺市立文化館アルフォンス・ミュシャ館で一部が展示されている「ドイ・コレクション」である。「カメラのドイ」の創業者である土居君雄が、ミュシャの知名度がさほど無かった頃から個人的に気に入り、本業の商品の買い付けや商談の為に渡欧する度に買い集めた。また、ミュシャ子息のジリ・ミュシャとも親交を結び、彼の仲介によってコレクションの中核が築かれた。1989年には、土居にチェコ文化交流最高勲章が授与されている。土居が1990年に他界すると遺族は、コレクションが散逸[1]してしまうのを憂慮して「相続放棄 →自治体に寄贈」という方法を選択。1993年、土居夫妻が新婚時代に居住したことのある堺市に寄贈されたようである。

ギャラリー [編集]

en:List of works by Alphonse Mucha」も参照

脚注 [編集]

プラハ聖ヴィート大聖堂ステンドグラス(1930年代前半)
  1. ^ 1990年当時既にミュシャの評価は高くなっており、コレクションを含めた相続税評価額もかなりの高額となった。コレクションを売却せずに支払える金額ではなかったため、コレクション散逸を防ぐには相続放棄という選択しかなかったようである。

関連項目 [編集]

文献 [編集]

モード・アダムス演じるジャンヌ・ダルク。1909年のポスター。

画集・図録 [編集]

  • 『アルフォンス・ミュシャ作品集(新装版)』ドイ文化事業室(発売:創英社)、2004年
  • ペトル・ヴィトリッヒ監修『アルフォンス・ミュシャ「生涯と芸術」展』東京新聞、1995年
    • 年表・文献あり。会期・会場:1995年-1997 Bunkamuraザ・ミュージアムほか
  • レナーテ・ウルマー著『Alfons Mucha アール・ヌーヴォーの幕開け』タッシェン・ジャパン、2001年9月、ISBN 4887830556
    • 廉価版の解説付き画集、年譜あり
  • 島田紀夫著『アルフォンス・ミュシャ アール・ヌーヴォー・スタイルを確立した華麗なる装飾』六耀社、1999年11月、ISBN 4897373662
    • 作品143点を収録し、解説、紹介。年譜あり
  • アルフォンス・ミュシャ画 ジュディット・ゴーティエ著 吉田文訳『アルフォンス・ミュシャ復刻挿画本 白い象の伝説』ガラリエ・ソラ、2005年10月、ISBN 4990262603
    • アルマン・コラン社から1894年に出版されたミュシャの挿画本『白い象の伝説』を復刻翻訳、ミュシャによるカラー22点モノクロ4点の挿画
  • 末木友和、小松原みどり訳『アルフォンス・ミュシャ 装飾資料集/装飾人物集』ドイ文化事業室、1989年4月、ISBN 4924820520
    • リブレリー・サントラル・ボザール社から1902年に出版された『装飾資料集』(図版72点)と1905年に出版された『装飾人物集』(図版40点)を一冊にし復刻翻訳
  • ドイテク企画室編『アルフォンス・ミュシャ展図録 : アール・ヌーヴォーの華』ドイテク企画室、1983年
    • 年譜・参考文献: p188 - 193
  • ドイ文化事業室編『アルフォンス・ミュシャ展図録 アール・ヌーヴォーの華』(The 50th year anniversary exhibition of Alphonse Mucha catalogue)、ドイ文化事業室、1989年
    • 年譜・Selected bibliography: p254 - 265
  • 『アルフォンス・ミュシャ The Ivan Lendl collection』講談社、1986年5月、ISBN 4062027429
  • 『アルフォンス・ミュシャ』学習研究社、1986年6月、ISBN 4051018687
    • 参考文献あり。年譜: p204 - 205
  • 『アルフォンス・ミュシャ作品集』ドイ文化事業室、1992年6月、ISBN 4924820539
  • アルフォンス・ミュシャ画、与謝野晶子・歌『夢想 ゆめみるおもい』講談社、1997年1月、ISBN 4062663546
    • 年譜あり
  • 『アルフォンス・ミュシャ』タッシェンジャパン、2002年8月、ISBN 4887831161
    • 30枚の絵葉書セット
  • 『アルフォンス・ミュシャ展 アール・ヌーヴォーの華 美しき出会い-与謝野晶子とアール・ヌーヴォー』アルフォンス・ミュシャ展実行委員会、1994年
    • 年譜・参考文献: p254 - 265
  • ミュシャリミテッド著、島田紀夫翻訳『アルフォンス・ミュシャ波乱の生涯と芸術』講談社、2001年9月、ISBN 4062105411
    • 年譜あり
    • チェコのミュシャ美術館公認評伝画集の日本語翻訳、図版200点以上。
  • 『ミュシャ作品集 アール・ヌーヴォーの華麗なる遺産』 シンフォレスト、1999年12月9日
『スラヴ叙事詩』の1枚(1912)
スポンサーサイト

★ アーネスト・ヘミングウェイの若かりし頃の恋を映像にした、「ラブ&ウオー」を見た。

場面がよく変わる作品だったけど転換のタイミングが良い。

何よりもカメラワークがよく、監督の計算付くに舌を巻かされ、目にも映像 は秀逸だった。

珍しく最後まで観てしまったついでに監督の名前を探した。・・・アッテンボロー。

彼のほかの作品に何があるかは知らないが、名前はよくきく。

大御所であるのも知っている。に、してもきれいなカメラワーク。

上手な場面転換と恋の心理を駆け引きに映像美は盛り上がる。

こんなことを思わされていたときふと監督の名前を見損ねた一作の映画を思い出した。

やけに、アッテンボローの技術に重なる。

それもひょっとして彼の作品だったのだろうか?

地中海の小島でバカンスを楽しむ何人かの男女。
1人だけちょいとふけた男が居るんだけど、この男が彼女と恋に落ちる。

ところが、彼女はじぶんが余命いくばくも無い事にきがつく。

それでも、結婚しようと決めた二人に仲間たちは結婚式プレゼントする。

真っ白いブーケを被る花嫁が島の小道を歩き教会を目差す。

風がベールをなびかせ薄いベールの向こうに小道ですれ違う子供たちの羨望の瞳がすけてうつる。

青い海と空に映えベールは風に舞い上がり、友人が彼女を先導してゆく。

ギリシャ神話の風景が頭の中で重なるかの映像はスローモーションで彼女の歩を捉え、

其の美しいトリミングに目が離せなかった。

残念な事に誰の何と云う作品か判らない。

でも、ひょっとしてアッテンボロー?ストーリー自体は特に強い押しもない。

でも、映像が作り出す光景がこんなにも作品を輝かせるのかと驚かされる巧みさがある。

憂生のブロー・・でさえ、こんな監督の手にかかったらどんなにか美しい光景が描き出され、

男女の細やかな心理も映像で表現され、ストーリーだけではとうてい輝ききれないものまで付加するんだろうなあ。

ワルシャワ蜂起

典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ドイツ軍に占領されたビルを銃撃する国内軍兵士

ワルシャワ蜂起 ( - ほうき、Warsaw Uprising) は、第二次世界大戦ナチス・ドイツ占領下のワルシャワで起こった武装蜂起である。

経過 [編集]

蜂起 [編集]

郵便局を巡る戦いで火炎瓶攻撃を受け、撃破された軽駆逐戦車ヘッツァー。後にポーランド国内軍により捕獲・修理された。

1944年6月22日から開始された、ソビエト軍によるバグラチオン作戦の成功により、ドイツ中央軍集団は壊滅し、ナチス・ドイツは敗走を重ねた。ドイツ軍は東部占領地域に再編成・治安維持のために駐屯する部隊をかき集めて戦線の穴を埋めて防戦に努めた。

ソ連軍占領地域がポーランド東部一帯にまで及ぶと、ソ連はポーランドのレジスタンスに蜂起を呼びかけた。7月30日にはソ連軍はワルシャワから10kmの地点まで進出。ワルシャワ占領も時間の問題と思われた。ポーランド国内軍はそれに呼応するような形で、8月1日、ドイツ軍兵力が希薄になったワルシャワで武装蜂起することをソ連軍と打ち合わせた[1]

しかし、7月31日にはドイツ軍が反撃、ソ連軍は甚大な損害を被る。さらにソ連軍は補給に行き詰まり、進軍を停止した。しかし国内軍にはソ連軍進撃停止の情報は伝えられなかった。そしてその直前の7月29日にはモスクワからは蜂起開始を呼びかけるラジオ放送が流れ続けており、ソ連軍の位置からそのワルシャワ到着は大きくは遅れないと判断された。8月1日午後2時頃、約5万人のポーランド国内軍は蜂起を開始。国内軍は橋、官庁、駅、ドイツ軍の兵舎、補給所を襲撃する。

ドイツ軍の対応 [編集]

ドイツ武装親衛隊の倉庫から奪った装備に腕章を着用した国内軍兵士

ワルシャワ市内には治安部隊を中心に約12,000名のドイツ兵が駐屯していた。その内、戦闘部隊と呼べるのはオストプロイセン擲弾兵連隊の約1,000名だけであった。ドイツ軍治安部隊は数で劣っていたものの奮戦し、国内軍は目標地点のほとんどを占領できず、わずかにドイツ軍の兵舎、補給所を占領しただけであった。即日報告を受けたヒトラーは、これをみて、ソ連軍がワルシャワを救出する気が全くないと判断し、蜂起した国内軍の弾圧とワルシャワの徹底した破壊を命ずる。

国内軍は引き続き、目標地点に攻撃を仕掛けるが、成果は上がらず、警察署、電話局では取り残されたドイツ軍部隊が徹底抗戦を行っていた。しかし、ドイツ軍の補給所、兵舎の占領により、当初数人に一人しか銃が無いという状態を脱し、奪ったドイツ軍の小火器、軍服が国内軍兵士に支給され、装備面で改善が見られた。これにより、敵味方が同じ軍服を着用するため、国内軍兵士はポーランド国旗の腕章を着用し、識別を行った。さらに多くの市民が国内軍に参加、協力をして、ドイツ軍の反撃に備えバリケードを築いた。

鎮圧軍司令官に任ぜられたエーリヒ・フォン・デム・バッハSS大将は8月3日には現地に入り、周辺の部隊をかき集め、5日には反撃に出る。急遽近隣に駐屯していた部隊をかき集めたドイツ軍は殆どが大隊規模の部隊だけで、臨時に戦闘団に編成し、市街地西側から攻撃を開始する。しかし、国内軍の猛烈な防戦に会い、進撃は遅々として進まなかった。攻撃部隊にはカミンスキー旅団SS特別連隊ディルレヴァンガー といった素行の悪さで有名な部隊が加わっており、これらの部隊の兵士たちは戦闘より略奪や暴行、虐殺に励んだ。このことはワルシャワ市民と国内軍の結束を一層強め、戦意を高揚させた。

7日には市街地を何とか横断し、国内軍占領地を分断し、包囲されていた部隊を解放した。しかし、市街地に立て籠もる国内軍の抵抗はすさまじく、激しい市街戦が続く。国内軍も8月19日に総反撃に出て、電話局を占領し、120名のドイツ兵が捕虜になった。ディルレヴァンガー連隊、カミンスキー旅団の残虐行為の報復として、捕虜のうち武装SS、外国人義勇兵は全員その場で処刑された。

ソ連の裏切り [編集]

ヴィスワ川対岸のプラガ地区の占領に成功したソ連軍は市街地への渡河が容易な状況にあったにもかかわらず、蜂起軍への支援をせずに傍観を決め込んだ。ソ連軍と共に東方からポーランドへ進軍しプラガ地区に到着していたジグムント・ベルリンク将軍の率いるポーランド人部隊「ポーランド第1軍団」のみが対岸の蜂起軍支援のための渡河を許され、彼らポーランド人軍団はベルリンク将軍以下必死で蜂起軍の支援をしたものの、その輸送力は充分ではなかった。ソ連軍は輸送力に余裕があったにもかかわらずポーランド第1軍団に力を貸さなかった。のちにポーランド人民共和国最後の国家指導者で1989年の新生ポーランド共和国初代大統領となったヴォイチェフ・ヤルゼルスキはこのときポーランド第1軍団の青年将校として現地におり、物資補給作戦に参加している。彼はこのときの燃え盛るワルシャワ市街を眺めながらソ連軍に対して涙ながらに感じた悔しさをのちに自伝『ポーランドを生きる』のなかで赤裸々に吐露している。

ソビエトはイギリスやアメリカの航空機に対する飛行場での再補給や、西側連合国による反乱軍の航空支援に対し同意せず、質・量に勝るドイツ軍に圧倒され、蜂起は失敗に向かっていく。

終焉 [編集]

ドイツ軍は重火器、戦車火炎放射器など圧倒的な火力の差で徐々に国内軍を追いつめていった。8月27日、あまりにも目に余るカミンスキー旅団の残虐行為に、ハインリヒ・ヒムラーは司令部に対し、カミンスキーの処刑を許可した。カミンスキーは逃亡を図るが、逮捕されて処刑された。カミンスキー旅団はワルシャワから撤退し、解散した。8月31日には、国内軍は分断された北側の解放区を放棄し、地下水道を使って南側の解放区に脱出する。9月末には国内軍はほぼ潰滅する。

ワルシャワの破壊 [編集]

蜂起終結後、火炎放射器による市街の破壊を行うドイツ軍

その後、ドイツ軍による懲罰的攻撃によりワルシャワは徹底した破壊にさらされ、蜂起参加者はテロリストとされ、レジスタンス・市民約22万人が戦死・処刑で死亡したと言われる。しかし、イギリス政府がワルシャワのレジスタンスを処刑した者は戦犯とみなすとラジオを通して宣言したため、レジスタンスへの処刑は止んだ。10月3日、国内軍はドイツ軍に降伏しワルシャワ蜂起は完全に鎮圧された。翌日、ワルシャワ工科大学に国内軍は行進し、降伏式典の後、武装解除された。降伏した国内軍は、捕虜として扱われて捕虜収容所に送られた。しかし、武装解除に応ぜず、地下に潜伏して抵抗を続ける者も多かった。

市民の死亡者数は18万人から25万人の間であると推定され、鎮圧後約70万人の住民は町から追放された。また、蜂起に巻き込まれた約200名のドイツ人民間人が国内軍に処刑されたと言われている。国内軍は1万6千人、ドイツ軍は2千名の戦死者を出した。

ソ連軍の進駐 [編集]

ソ連軍は1945年に入った1月12日、ようやく進撃を再開。1月17日、廃墟と化したワルシャワを占領した。その後、ソ連軍はレジスタンス幹部を逮捕し、自由主義政権の芽を完全に摘み取った。

生き残った少数のレジスタンスは地下水道に逃げ込み、ソ連軍進駐後は裏切ったソ連を攻撃目標とするようになった。共産政府樹立後も、要人暗殺未遂などしばらく混乱が続いた。

背景 [編集]

ワルシャワ蜂起を指導したのはポーランド亡命政府である。ポーランドには第二次世界大戦勃発直後、ルーマニアからパリを経由し、ロンドンに亡命した「ポーランド亡命政府」が存在した。亡命ポーランド政府にとって、ソ連は自国をナチスドイツと共に侵略した国であったが、独ソ戦開始後はソ連に接近する。さまざまな問題により、決して良い状態でなかった両政府の関係は、カティンの森事件の発覚により決定的に悪化する事となった。

東欧をナチスドイツから解放してきたソ連は、ロンドンの亡命ポーランド政府とは別に、共産党系主導の親ソ派政権樹立を目指し、ポーランド東部ルブリンに親ソ政権を樹立していた。したがって亡命政府側主導の武装蜂起は、相容れるものではなかった。そのためワルシャワ蜂起は、亡命ポーランド政府主導の組織を壊滅させるための、ソ連の意図的な陰謀であったという説もある。

参考文献 [編集]

久しぶりに・・

どうしたはずみか、ひょいと見たドラマがきになってしかたがない。
原作は中園ミホ。
どちらかというと、ドラマはみない。
で、あるのに、ひさしぶりにはまっていた。

タイトルは初恋・・。
自分の作品でも映画になったらきれいだろうなあとおもうのがwww(おこがましい)
ブロー・ザ・ウィンドであるが、
初恋は原作はよんでいない。

原作を読んだものの映像作品の鑑賞というのも・・・

ーーーしばし、考えるーーーー
原作を先によんだという場合があったろうか?
デイズニーなどならあるけど(w)
どちらかというと、映画などをみてから原作を読むということが多いきもする。
NHK の大河ドラマや時代物など、読んでいるはずの作品がしばしば登場するが
同じものというきがしてこない。

たぶん、今回の「初恋」も原作を読んでもぴんとこないところがあるとおもう。

映像にちょっとにてるのが、イラスト・漫画であるが
多くを語らず、キャラクターのまなざしとかで心理やムードをえがきだしてしまう。

この精神面(感情面)までふくめた世界を仮に4次元とよぶとすると
もじというのは、なかなか立体的な世界も構築しにくいところを
精神面までかきこもうとすると
とうてい、画像やイラストなどにはおよびつかないほどの
努力?あるいは文字数がいる。

ところが、ものを書く人間というのは
どこまで書けるかということが重要で
およびつかない4次元までもものにするまでいかずとも
どこまで、近づけるかを楽しむところがある。

長く、書き手側にいた憂生であるが、
ここ、しばらく読み手側になっている。

映像にしろ、文字にしろ、
心に響いてくるというか・・・。
自分でも自覚のない「深遠」というか、
それをかいまみせてくる。

むろん、自分でかいているものも、
「深遠」をみせつけてくる。
このあたりは、当の本人でないとわからないことだけど。

映像にしろ文字にしろ
自分の書いたものにしろ
深遠をみせつけてくるということは
こちらの姿勢は「読み手」になっているのだろう。

初恋の「深遠」は
リフレインではいってくる
10代の二人の想い出にある。

これが、映像ゆえに効き目があるという意味で
原作では感じられないかもしれないと思う。

なぜ、過去の二人の回想シーンが胸をさしてくるのだろう。
これも、回想というのでなく、
しいて、思い出しているというのでもない。
しいていえば、主人公のもっている「深遠」として
なにかの弾みにうかびあがってくるというパターンで
血のなかにあるというより、肉のなかにあるというか。

時折、見知らぬ路地でありながら、そこをを通るとどこか、なにか、不思議となつかしいような
気持ちに吹かれることがある。

「依然として、自分の中にあるもの」
を、みせつけられることがある。

ちょうど、そんな感じでけして、回想でない。

こういう「深遠」を上手に表現していると思うのと同時に

なぜ、憂生がそれらに惹かれてしまうのかともおもう。




ワイダとアールヌーボー?

ワイダーの地下水道の中でも、象徴的にくりかえされるのが、

ドイツ軍が毒ガスをまいた。

と、いう言葉なのだが、

これは、地下水道、むしろ、地下下水道の水底からわきあがる瘴気・・例えば、メタンガスとか?

この毒素とドイツ兵の襲撃による、毒ガス散布が、映画を見ている側にも、どっちが、事実かわからなくなる。

閉じ込められた世界というものは、ただでさえ、人の精神を侵す。

死の恐怖と閉鎖世界のなか、瘴気の毒素なのか、ドイツ軍の毒ガスなのか、

認識することもできず、パニックになっているとも解釈できる。

それをどちらとも、取れる表現にすることで、精神的パニックを描いてるのだと思うから

この手法にのみこまれ、後半で、精神崩壊をおこす人間がでてくるわけだけど、

そこへの、暗黙的了解を観客にしきつめてしまう。

見事な演出構成だと思う。

こういうパターンの最たるところが、実は四谷怪談ではないかと思う。

状況は違うけれど、怨念が実体化していく。

通常に考えれば、ありえない。そんなスーパーマン?みたいに

自由自在に怨念をわが身(お岩)があやつれるものか。

ところが、幽霊になって、伊ヱ衛門を取り殺してもおかしくないと

観客に暗黙的了解をしきつめてしまうわけだ。

こういう部分の、作り方というのは

別の言い方をすれば、因果応報的作り方でもあるといえるとおもうのだが、

ワイダの作品が、やけに日本的感覚にあっているとかんじたのも

このせいだろう。

そして、ワイダをしらべれば、日本への傾倒がみうけられ、

ワイダに日本をおしえたのは、アールーヌーボーではないか?

アール・ヌーボーといえば、(同じようにドイツに苦しめられたチェコ)ということもあり、

ロートレックより、アルフォンス・ミュシャがうかんだ。

そして、以下のぶぶん・・・。

1939年3月、ナチスドイツによってチェコスロヴァキア共和国は解体された。プラハに入城したドイツ軍によりミュシャは逮捕された。「ミュシャの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」という理由からだった。ナチスはミュシャを厳しく尋問し、またそれは78歳の老体には耐えられないものであった。その後ミュシャは釈放されたが、4ヶ月後に体調を崩し、祖国の解放を知らないまま生涯を閉じた。遺体はヴィシェフラット民族墓地に埋葬された(現在はヤンラファエルのクベリーク親子と同じ墓石に埋葬されている[1])。

同じく、スメタナもあった。

ドイツ軍侵略といえば、もうひとつの物語。

C・モルガンの「人間のしるし」がうかびあがってもくるし、

アンネ・フランクも頭をかすめる。

話がどんどん、とびすさっていくので、元にもどして、

今度はスメタナを調べてくる。

アンジェイ・ワイダ


アンジェイ・ワイダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アンジェイ・ワイダ
Andrzej Wajda
2006年、ワルシャワにて
2006年、
ワルシャワにて
生年月日1926年3月6日(83歳)
出生地スヴァウキ
国籍ポーランドポーランド

アンジェイ・ワイダヴァイダ[1]: Andrzej Wajda1926年3月6日 - )はポーランド映画監督

目次

[表示]

経歴・人物 [編集]

1926年、ポーランド東北部のスヴァウキで生まれる。父はポーランド軍大尉で対独戦中にカティンの森事件に巻き込まれて亡くなる[2]。青年時代に、浮世絵をはじめとした日本美術に感銘を受け、芸術を志す。第二次世界大戦中は対独レジスタンス運動に参加した。

1946年クラクフ美術大学に進学するも、その後進路を変え、ウッチ映画大学に進学。1953年、同校を修了。

1954年、『世代』にて映画監督デビュー。1956年の『地下水道』がカンヌ国際映画祭審査員特別賞に輝いた。

1958年の『灰とダイヤモンド』で、反ソ化したレジスタンスを描き、象徴的表現を多用した鮮やかな描写は西側でも高い評価を受け、ヴェネチア国際映画祭批評家連盟賞を受賞した。これら三作品は、ワルシャワ蜂起時のレジスタンスや、戦後共産化したポーランド社会におけるその末路を描いており、”抵抗三部作”として知られている。アンジェイ・ムンクイェジー・カヴァレロヴィチらと並んで、当時の映画界を席巻した“ポーランド派”の代表的存在となる。

1981年、『鉄の男』でカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した。しかし、ポーランドの“連帯”運動に参加したため、同1981年に引かれた戒厳令で、ポーランド映画人協会長などの職を追われ、フランスなど海外での映画制作を余儀なくされる。この時期に製作されたのが『ダントン』(1983年)、『ドイツの恋』(1983年)である。1985年、『愛の記録』にてポーランド映画界に復帰している。

1987年京都賞思想・芸術部門)を受賞[3]。賞金の4500万円を基金として、クラクフに日本美術技術センターが設立された。

1992年の『鷲の指輪』で再びワルシャワ蜂起を問い直すなど、現在も鋭い視点に立った作品を作り続けている。2000年、世界中の人々に歴史、民主主義、自由について芸術家としての視点を示した業績により、アカデミー賞特別名誉賞を受賞している。

映画とともに、演劇活動も盛んに行っている。1988年には、坂東玉三郎主演の『ナスターシャ』にて舞台演出をつとめた。この作品は、ドストエフスキーの『白痴』を舞台化したもので、1994年には、同じくワイダ監督、坂東玉三郎主演にて映画化されている。

監督作品 [編集]

  • 世代 Pokolenie(1954)
  • 地下水道 Kanał(1956)
  • 灰とダイヤモンド Popioł i diament(1958)
  • ロトナ Lotna(1959)
  • 夜の終りに Niewinni czarodzieje (1960)
  • シベリアのマクベス夫人 Powiatowa lady Makbet(1961)
  • サムソン Samson (1961)
  • 二十歳の恋 L'amour à vingt ans(1962)
  • Popioły (1965)
  • The Gates To Paradise (1968)
  • すべて売り物 Wszystko na sprzedaż (1968)
  • 白樺の林 Brzezina (1970)
  • 戦いのあとの風景 Krajobraz po bitwie (1970)
  • Piłat i inni (1971)
  • 婚礼 Wesele (1972)
  • 約束の土地 Ziemia obiecana (1974)
  • Smuga cienia (1976)
  • 大理石の男 Człowiek z marmuru (1976)
  • Bez znieczulenia (1978)
  • ヴィルコの娘たち Panny z Wilka (1979)
  • Dyrygent (1980)
  • Z biegiem lat, z biegiem dni (舞台作品,1980)
  • 鉄の男 Człowiek z żelaza (1981)
  • ダントン Danton (1983)
  • ドイツの恋 Un amour en allemagne (1983)
  • 愛の記録 Kronika wypadków miłosnych (1985)
  • 悪霊 Biesy (1988)
  • コルチャック先生 Korczak (1990)
  • 鷲の指輪 Pierścionek z orłem w koronie (1992)
  • ナスターシャ Nastasja (1994)
  • 聖週間 Wielki Tydzien (1995)
  • Panna Nikt (1996)
  • パン・タデウシュ物語 Pan Tadeusz (1998)
  • Zemsta (2002)
  • カティンの森 Katyń (2007)・・・・カティンの森事件について描く。ワイダの父親もこの事件で虐殺されている。

昨夜は嗤う伊江門?をみていた。

ようは、お岩さんであるが、題名が意表を突いていたので、チャンネルを開いた。

画面のムードに独特のものを感じ見続けていた。
お岩さんが、小雪であったのも、良かった。
映画が持つムードーにあう。
そして、憂生は日ごろから、この人は美人だとたたえていた。

最初に見たときのせりふかから、すぐに、独自の解釈であることがわかった。
お岩さんの形相は、はじめからという設定になっていた。
これも、新しい解釈である。

そして、その醜いお岩さんが結婚するとなるわけだから、当然?ただれた顔でない側は美人でなければならない。

そして、「目は白くにごり、顔半分は額からみにくくただれている・・・けれど、それでも、美しい人だ。もし、まともな顔だったら・・・お岩さんの美貌はいかなるものであるか・・・」
と、ウワサされるわけだけど、
憂生はちょうどこの場面から見始めた。

ただれていてさえお岩さんの美貌は尋常なものではない。
と、そして、小雪の登場。

見事といってよい。

見事なキャステイングである。

常日頃から美人、佳人とほめている人が抜擢されている。

見終わって、こういう解釈もあるかと、
なにかしら、沸き立つものがあった。
二次創作という言い方が、当てはまらないのが古典である。
歴史物もそうだろう。
色んな人が独自な解釈で二次創作?を試みている。

そして、最後にテロップが流れる。
作者・・・京極夏彦。

ああ、なるほどと思った。

憂生は自分の作品に妙な影響を受けたくないと最近は本をほとんど読まない。
だけど、多少の情報は持っている。
京極夏彦について言えば・・
馬鹿ほど分厚い本を出す人である(笑)
と、言うのも、憂生が書いている白蛇抄も、およそ、100万文字になっているか・・・。
100万文字1ページ500文字と計算したら2000ページ。
京極夏彦は平気でこの程度を1冊にする。
あげく、書き足しが、500ページとか・・。
その分厚さにちょっと、ひいてしまうのが、本音であり、憂生自体はオムニバスにしているように、ある程度の短編?の塊で2000ページとなるわけだ。
ところが、ひとつの物語で2000ページ。・・・。

憂生自体を言えば目指すのは山本周五郎か司馬遼太郎。
人情感情をすっぱり切って解明する。

相変わらず停滞しているが
モチーフをモニュメントにして
京極夏彦ばりの新解釈で「裏側」をのぞいてみたくもなった。

たとえば、赤い靴の童謡の女の子。
彼女はなぜ外国に行ってしまうのか・・・。

問題は覗く人と解明者がおなじであることだ・・・・。

アンジェイ・ワイダの映画・・


昨夜・・・いや、正確にいえば、まだ、今日だ。

夜中に階下におりて、冷蔵庫をあさり・・。

何気なくTVをつけた・・・。

番組表をみわたすと、映画があった。

「地下水道」

今度は番組解説をみる。

アンジェイ・ワイダの映画・・

灰とダイヤモンド・尼僧ヨアンナは、名前だけはしっているし、

アンジェイ・ワイダの名前もどこかで、ききかじっている。

何気なく・・そのまま、みていた。

モノクロ映画・・1958年だったか製作。

アメリカは1945年ピノキオをカラーで製作していたと思う。

日本にいたっても、

1954年11月3日、同年3月1日ビキニ島核実験によっておきた第五福竜丸事件をきっかけに製作された、第1作”水爆大怪獣映画”『ゴジラ』が公開される。

と、ウィキにあるが、モノクロ映画だったと思う。

第二次世界大戦の終幕が、1946年。

ポーランドとて、カラー制作は難しい状態だっただろう。

ふと、ワルシャワ条約というロゴが頭の隅にうかぶ。

カンヌ映画賞とか、世界的に評価された監督の作品ということよりも、

モノクロ映画ということと聞き覚えのある監督と他の作品名が

憂生をTVの前から、たちさらせることを躊躇させたと思う。

映画の内容はかくまい。

軽々しく口にだしたくない。

そして、ウィキで、アンジェイ・ワイダを調べたのが下のスレッドなんだけど・・。

なにかしら、惹き付けられるカメラワークのなぞが解けた。

日本人の嗜好にあうわけだな。

と・・・。

で、ふと、思ったのだが、そういえば、浮世絵とか、

アール・ヌーボーが、とりいれてるんだ。

アンジェイ・ワイダが日本に傾倒したのも、アール・ヌーボーからかもしれない。

と、なると、次にうかぶのが、アルフォンス・ミュシャ。

アルフォンス・ミュシャはチェコスロヴァキアの人だったはず。

チェコといえば、プラハ・・・。

プラハといえば、スメタナの音楽が頭にうかぶのだが、

記憶違いだったろうか・・・。

ミュシャの切手をもっているということもあり、

以前に調べたことが浮かんでるのか?

はたまた、記憶違いか、わからない。

連想がわいてきたということで、ワイダーからはずれたまま、

ミュシャを調べに行ってくる。、

続きを読む

スメタナ

スメタナ側からの記事では、ミュシャへの影響はとりあげられていなかった。

で、ワルシャワ条約から、さらにとんで、ワルシャワ蜂起・ワルシャワ ゲッター蜂起のふたつをしらべたので、後ほど掲げる。

その中から、スメタナであるわけがないのは、土地が違うから当然であるが、

ピアニストのもじがみえた。

戦場のピアニスト。

内容は濃いだろうとおもうので、ストーリーだけはワルシャワ関連なので、掲載するが、

監督がくそばか監督なので、本当はとりあげたくない。

くそばかの理由は

少女強姦。

で、海外に逃げたわけだけど、アカデミー賞の授与式にでると、

つかまるから出席しなかったわけだけど、

このあたりのことは、ウィキはふれていない。

憂生個人は罪は罪として清算すべきだろうと思うから、

こういう卑怯な人間は芸術家ではないと思う。

と、言うより、以前になんで、アカデミー・監督部門で受賞させるわけ?

ノミネートされるのはいたしかたないとしても、

はっきりいって、金の力に任せて

にげまくった人間でしかないわけで、

芸術のためなら、逃げてもかまわないという考え方もさることながら

本当に自分の芸術が大事なら、罪をおかすなよ。

って、ことじゃないか。

そのあたりからして、芸術に対しての真摯さがないわけだから、

アカデミー賞。監督部門授与の権利も資格もない。

この辺りの芸術?を貴重視するところは、

C・モルガンの示唆をおもいおこさせる。

と、いうところで、本来は掲載したくないところなんだけど、

監督した人のことと、原作の訴えるところは、違うわけだし、

原作に興味がある人は↓。

英題は「The Pianist:The extraordinary story of one man's survival in Warsaw, 1939-1945」。邦訳は2000年に佐藤泰一の翻訳により春秋社より刊行。邦題は当初「ザ・ピアニスト」だったが、2003年の日本での映画公開にあわせて「戦場のピアニスト」に改題された。

個人主張がさきになってしまった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

戦場のピアニスト』 (The Pianist) は2002年映画である。フランスドイツポーランドイギリスの合作。ナチス・ドイツのポーランド侵攻以後、ワルシャワの廃墟の中を生き抜いたユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記を元にしている。

原作

原作であるノンフィクションは戦争直後のポーランドで「ある都市の死」の書名で1946年に刊行された。冷戦下のポーランドでは、主人公シュピルマンを救ったのが旧敵国のドイツ人では好ましくないため、やむなくオーストリア人としたが、ポーランド共産主義政権の手によりすぐ絶版処分となった。以降、ポーランド国内外で再版されることはなく、1960年代におけるポーランド国内での復刊の試みもポーランド政府による妨害にあい、イギリスで英訳版が出版されたのは1999年になってからであった。

続きを読む

ダヴィンチコードから

以前にも書いたことなのだけど
ダヴィンチ・コードという映画。

これは、キリスト教徒?じゃないと、
意味合いがわからないだろうなあ。
と、思ってみていました。

ようは、キリストが人間だったという
こちらとしては、当たり前の事実で、
逆を言えば、人間だから、すばらしかったというかwww

あれが、最初から神であるのなら
(神の子という言い方もされてますが)
できて、当たり前でしかないでしょ。

むしろ、いろんな苦しい目にあって
覚醒?悟りをひらいていくなどというのも妙なことになるかもしれません。

ところが、キリストが、神だと明かしだてられたことがあります。
それは、復活したということです。

これも、逆に不思議な気がします。
そういう奇跡をおこさないと、人は信じない。
と、いうことがあるからでしかない。
と、いう気がするのです。

時代的に迫害され
信じる人がすくなく
あるいは、そのままでは、
弾圧によって、信奉もうめさせられ
人々の心に、そんなことを信じていたら自分が危ないという
異端者としてしか残らなかったでしょう。

けれど、たとえば、アラーとか、
その教えに根強いものがあります。

なぜ、キリストは奇跡をおこしてみせたのでしょう?

それは、おそらく後の世まで
人の心の糧になろうとしたからではないかと思うのです。

どこの宗教でも陥りがちなのは
創始者がいなくなると
自分の勝手な解釈をするようになるというところです。

これが、極端かもしれませんが
ダヴィンチ・コードであらわしたところです。

キリストが伝えたかったとは
自分が神であるということではないと思います。

一個の人間がどれだけ愛にいきていけるか。
だけだと思います。

ところが、いつのまにか、
神じゃないと信じられない。
神だから信じる。
みたいな
逆転現象がおきて

キリストの本質とはかけ離れてしまったということで
一歩でも、キリストのような見本にちかずいていこうというのでなく
神であることにおぶさっていこうというふうにみえるわけです。

その「本質」部分を鉄槌していくために
あえて、キリストは人間だったということを証明?する映画をつくったことに
意義があるわけです。

日本人からみたら
当たり前といっていいような
草にも木にも神が宿るという一種、原始宗教のような
自然信奉からみると
物ひとつに神が宿るのだから
人間だったら神が宿ってもおかしくないわけです。
神であろうが、なかろうが、物にだって魂はある。
と、いうことですし
日本の職人(だけじゃないけど)は
「魂をこめます」

なぜ、神じゃないといけないのか・・・
と、いうより、日本人 亡くなった人も神様にしちゃいますねwww
徳川家康とか・・・。
まあ、そこは極端ですけど
生きていたときの行い次第で人は神になることがあるのだとかんがえていますね。

この日本人の考え方があって、
キリストが神じゃなく人間だということを描くと
センセーショナルになるというのが、ぴんとこないわけです。

ピンとこないながら
なぜ、神でないといけなかったのか
と、いうことを思います。

特にアメリカはヒーローの国で
なにかあると、すぐヒーローだといいます。
でも、たとえば自分を犠牲?にして
おぼれてる子供をたすけても、日本ではヒーローという言い方はしません。
実際、近くで泥のような池にはまった子供を助けた人がなくなっていますが
ヒーローという言い方はしません。

むしろ、お気の毒とか
助かった子供が心をいためないといいけど
とか、思うのです。

この違いはなんなのでしょう?

おそらく、仏教的な思想というか、
いやな言い方ですが、助けた側には助けなきゃならない因縁があったということであり
あるいは、その子供たちをたすけることがその人の役目で
役目をおえたから亡くなった。
みたいな考え方なんじゃないかと思います。

と、なると、そこをヒーローにしてしまうのも
キリストを神にしてしまうのも
同じ根本のような気がします。

独断的ですが
「自分にはできないことをやるから」
と、いうことであり
「神でもない自分はできなくてもいいんだ」
と、いう逆心理が
ヒーロー扱い・神扱いになったかと思うのです。

ところが、
キリスト教の一文にひかかるところがあります。

「羊たちよ」
と、いう言葉です。

訳し方がわるかったのかもしれませんが
これも、いいかえれば
「お前たちは羊でしかない」と、いっているわけです。
羊なんだから
「できなくてもあたりまえ」
できるのは、神とヒーローだけなんだ。
自分たちはよわよわしい羊でしかない。

と、いやーーー極端ないいかたですが、
ある意味、こういう洗脳をうけていれば
キリストを神だとする考え方になってしまい
悪く取れば
たとえば、赦すひとつでも
それは、神だけができるとか
神じゃないとできないとか
奇妙に卑小な精神価値になってしまうんじゃないかなあと。

同じ人間であるのなら
せめて、同胞(はらから)というべきだろうと。

どこかで、言霊という概念がキリスト教にはないとかいたことがありますが
まさに、その通りかなと思うところがあります。

結局、陰陽師風にいうと
呪という「しばり」をあたえてしまった
宗教になってしまったのかもと思います。

むろん、キリスト自体が
文章(聖典?)をかいたのではないし
かりにキリストがそういう言葉をつかっていたとしても
内包されていたものはちがっていたでしょう。

また、逆にそう呼ばれた側も
なぜ、そう呼ばれるかという
悟り?をえずにいたのかもしれません。

なにもかも、
うのみにして
自分で詮議せずにいただけかもしれません。

言葉の呪文というか
それが、逆にキリストを神にしておくという
(キリストの説くところに一歩でも近づくということでなく)
結果をつれてきているとするのなら
ダヴィンチ・コードは
確かにセンセーショナルな一鎚だったということになるかと思います。




続きを読む

傷だらけの男達


男の自慢話。
この言葉から
二つの
映画を思い出す。

一つは。
リーサル・ウェポン

犯人との格闘などによる
傷跡を自慢する。
だが、負けじと自慢を繰り広げる
相手が女性であるので、
男の自慢話と言い切れない。

むしろ、
この後の二人の会話のほうが
純然たる男の
自慢話といえるだろう。

「さて・・・七回の裏に・・いくか」
ってのだが・・・・。
お二人がどういう格闘をなさってるかは
想像に任せるが。
念のために言っておくが
野球ではない。
だいいいち、野球では人数がたりない。

で、もう一つの映画というと・・・。
最近、見たばかりなので、
記憶が深い。

ジョーズである。

うつぼに噛み付かれた。
さめに食いつかれたと。
キズをみせあい、
勇猛果敢ぶりを
アピールしまくっていたのであるが、

胸をさらけ出した男

「コノ・・・傷が一番大きい」

が、胸には金色の胸毛が生えているばかりで
傷跡らしきものが見当たらない。

すると、男は言ったもんさ。

「マリーにやられた」

何処が自慢だといいたいかもしれない。

振られたことを暴露してるだけじゃないか、と。

だが、キズの深さが獲物の大きさである。

彼はとてつもない大物と格闘した勇気ある覇者であったのだ。

究極・・・。
男の自慢は獲物をゲットしたことでなく
どんな格闘をくりひろげたか、
と、いう事になる。

その格闘のさまをにおわすに
「7回裏」「一番大きい傷」
コレは
見事と言ってもいいかもしれない。

「ま、いっぺん、いってみたかった。」  

BSでゴジラを見てる。

白黒の映画 だ。

製作されたのは
1954年とあった。

終戦から十年経ってない。
この映画を作る事も出来れば、
それをみにくる観客もいたという事だ。

わずか、十年足らず。
日本はよく復興したものだと思うと同時に
ココまでの映画を作り上げられる日本が
負けたのが不思議な気がした。

だけど、
戦争の真っ只中、
ウォルト、
ディズニー はピノキオをカラー
で、作っていたんだ。

日本人 の器用さに泣けてくる。

本当のことかどうかは知らない。
原爆が作られた頃、
日本でも、原爆の理論は
発見されていたという。

国が持つバックアップ 体制。
日本が豊かであったら、
原爆が
おちていたのは、むこうさま?

どうだろう?

日本人が先に原爆を開発していたら、
むこうさまにおとしただろうか?

その応えは判らない。

わからないけれど、
もし、日本が先に原爆を
落とし ていたら、
その痛みに今もくるしみ、
落とされた側は、
今も日本を恨んでいただろう。

戦争という
無益にしか見えない物事の中に、
多くの日本。が、見える。

日本が日本でありえた心。

遠い昔のある国。
アヘンに統治された人の心。

日本は受け付けなかった。
日本はその魂を崩さなかった。

戦争を肯定するわけではない。
だが、この戦争が見せ付けた、
日本の心に、
我々子孫こそが恩恵を受けている。

コレを思うと、
正直、
靖国神社参拝を反対するかんがえ方が判らない。

恩恵を受け取った事すら知らない
文字通り恩知らず。

偶像崇拝をする気はないが、
せめても、死んだ人間が与えた影響の大きさと
その影響がなんであるかだけは、
シッカリ見据えた上で物申してもらいたい。

と、ゴジラを見ながら、
放射能?を吹いていた憂生でした。

                 終わり

「ケ・セラ・セラ」

映画 の題名は忘れた。
ヒッチコックだったのかと、勝手におもってる。/ほんまきゃああ?
多分ストーリを言うより
/って、はっきり覚えてないんだ。/
あの有名な主題歌を言ったら
「知ってる」
って人がいるだろう。

主題歌は
「ケ・セラ・セラ」

うん。で、はなしたいことっつ~のは・・。

この主題歌を歌うのは、母親なんだけど、
その背景がスゴイ。
自分の息子を誘拐されたと言う設定の映画だったと思うけど、
彼女はアル屋敷によばれるんだ。
彼女の職業は歌手?かなんかで・・。
有名なピアニストだったような気もする。
そのよばれた屋敷に/これも何故呼ばれたか忘れた/
誘拐された息子がいる。
彼女は息子に聞こえるように
メッセージ をこめて歌う。

それが「ケ・セラ・セラ」なんだけど。

しかし、考えてみろ。
いつ殺されるか判らない息子がいて、
どうにも手出しが出来ない状況で
息子に
「母が今ココにいる」
ことを伝えるためにも、歌う。

できることじゃないだろう?
大晦日の
紅白 とか、
泣き出したりして、
歌をまともにうたえないなんて場面みたことあるだろう?

映画の設定上のことといえど、
主人公の女性は歌う。

母は強し。
かくのごとく強し。

憂生はそういう心境をまねて
「ぼうや・・きいておいで」
なんつ~~
トリップ スクリプトをやってみる。

はっきり言ってそれだけで声がでないね。
自分の
子供 のために
そこまで、平静をよそおいきる母心。
これを思って、胸がつまってくるから。

だから、憂生はこの歌は歌えないね。
頭の中にこの映画の
シーン と主人公の思いが浮かび上がってしまって。

ま、こういうのは、結構あるんだよな。

わらっちまうけどさ。
「清水の次郎長」
2番。
「腕と度胸じゃ、負けないが
人情からめば、つい、ほろり。
みえぬ片目にでる涙。
森の石松。
森の石松。
いい男」

なんちゅうのでさえ、泣けてくる。

ついでにいうと、
スーツケース 一杯につめこんだ、
希望という名の重い荷物を
君は軽々ともちあげて、
笑顔をみせるだろう。
このまま何時間でもだいていたいけど、
このまま何時間でも暖めたいけど・・」

これも涙腺故障します。

何でか判りません。

もう一つ。

「同じ星/故郷(くに)にうまれたの・・」/出展/セーラームーンです。
なんつ~~のもいけませんな。

*随分、前に書いたものだけど、これを読み直してまさに、憂生は作家だなと想ったね。

作家の資質に、「感情移入」をとおりこした、「感情共振」ってのが必要なんだと想う。

この登場人物の感情はこうであろうと、自分が共振するものがあるから、

心理描写が生きてくる。

憂生の作品が生きてるかどうかは、しらないが、

すくなくとも、資質はあるんだなと、この記事をみて、想ったのであ~~~~~る。*


「地下水道」と「戦場のピアニスト」


地下水道のなかにも、ピアニストが登場する。

祖国のために、レジスタンスに加わった彼も撤退を余儀なくされ、

地下水道にもぐる。

ラスト近く、逃げ場をなくした彼の精神は崩壊する。

ふらふらとオカリナをふきながら、地下水道をさ迷うことになる。

***********     ************     *************  ************

こののち、戦場のピアニストについての記事をよむことになるわけだ。

おや?と思う。

原作は1946年に刊行されている。

ワイダの「地下水道」は、1958年の作品だったかな?(もはや、わすれてる)

ワイダは刊行された本をよんでいる可能性がある。

ワイダの心にうかんだのは、100万分の1の幸運より

100万分の999999の不運だろう。

どんなに多くの人間が犠牲になったか・・・。

幸運のほうに目がむけられてしまっては、

真実が遠ざかる。

あえて、彼はピアニストの精神崩壊をえがきだしたのかもしれない。

999999の不運をしってこそ、1の幸運の重さがわかる。

ワイダの原作もあると思う。

そこにはたして、ピアニストの存在はあったのだろうか?

あったとしたら、原作者も

そんなにラッキーなものじゃないんだ。と、あえて、ピアニストの存在を入れたのかもしれない。

なんとなくであるが・・。

実際、この二つをひきくらべても、

「メジャーな芸術家」であるかないかが、運命を分けているようにも思える。

ひょっとすると、くそ馬鹿監督はそこを訴えたかった?

自己弁護ともいってよいような。

戦争においてさえ、芸術家は助かる。擁護されるもんだ。

だから、私も芸術家なんだから・・・。

彼の意識にそんなものはないかもしれない。

でも、知らぬうちに自己弁護するものをチョイスしてしまうのが、

人間の深層心理だろう。

ワイダが、描いたものと比べると、そこが一層、はっきりとみえてくるきがする。

原作であるノンフィクションは戦争直後のポーランドで「ある都市の死」の書名で1946年に刊行された。冷戦下のポーランドでは、主人公シュピルマンを救ったのが旧敵国のドイツ人では好ましくないため、やむなくオーストリア人としたが、ポーランド共産主義政権の手によりすぐ絶版処分となった。以降、ポーランド国内外で再版されることはなく、1960年代におけるポーランド国内での復刊の試みもポーランド政府による妨害にあい、イギリスで英訳版が出版されたのは1999年になってからであった。

英題は「The Pianist:The extraordinary story of one man's survival in Warsaw, 1939-1945」。邦訳は2000年に佐藤泰一の翻訳により春秋社より刊行。邦題は当初「ザ・ピアニスト」だったが、2003年の日本での映画公開にあわせて「戦場のピアニスト」に改題された。

人種差別を扱った映画だった。

題名は忘れた。

人種差別を扱った映画 だった。

黒人開放運動。
列車さえ黒人専用の車両があったときく。
同席なんか出来ない。
そんな時代の映画だったろう。

黒人開放に尽力する
壮年男性であるが、
その彼の娘が
ある黒人青年と
結婚したい と言い出す。

差別。不平等。偏見。
黒人を取り巻く環境は最悪といっていい。

当然、娘を思う親のたちばとしては、
意義をとなえる。

だが、じっさいには、
一番理解してくれているはずの人間の中にある
本心。
偏見を恐れる心。
いや、あるいは、偏見はそこにもある。
と、指摘しているのかもしれない。

対岸の火事はみていられるけど、
わが身に火の粉がふりかかってきたら、
見ていられない。
消火につとめるしかないということだろうか?

対岸の火事としての立地だったと壮年の男性を突き詰めてるのかもしれない。

憂生はコレに少し似た経験がある。

3つあるが、
今は一つを話す。

精神薄弱児の施設に通い子供達の世話をしている女性だった。

彼女は自分が世話をしている子をとても、可愛がり、よくせわをしていた。
そして、
よく、文句も?いった。
精神薄弱児だといって、差別する。
変な目で見る。
許せない。
「あんなに、かわいいんだよ。普通の人とドコモちがいはないよ。普通の目で見ることが出来ない人の精神のほうが薄弱してるよ」

憂生はふと、ふと、たずねた。
「ふ~~ん。そんなにかわいいんだったら、
貴女も
結婚 して生まれてくる子供 がそうだったらいいね?」

彼女はあっと絶句したまま、黙った。
そうなって、生まれたら仕方ないと
かんがえられるかもしれないけど、
初めから精神薄弱児がさずかったらいい、
とは、思えない。

黙った彼女に憂生は
「それでいいんだよ。
薄弱児を異端視する思いのなかには、
自分のそこまでを無意識で意識して、
異端視するという場合もある。
自分の生活の中に本当に密接にかかわりが出来たら悲しいと思う人の方が、
そこまで深く意識する人のほうが、
あるいは
はっきりと偏見?を持って否定してしまうという事もあるかもしれない」

「そうかもしれない」
彼女はそれからは、
差別だとか、偏見だとか、口にすることは無くなった。

同時に憂生は
素直に言う。
たまに外出先でみかけるけど、
やっぱし、そういう状況の障害者を見るのは、辛い。
でも、それを見たくないと思う気持を偏見だとか、差別感情だと取って欲しくない。


続きを読む

「パトリオット」

昨晩はBSをみていた。
もう寝ようとおもって、TVをちらりとみた。
ちょうど、天使にラブソング2のエンディングで、
今まで見たことの無かったシーンをみた。
そして、そこまで・・は、良かった。
あとからが、もっと、よかったのであるが・・・。

まだ、映画があると、テロップがはいり・・・。
タイトルが
「パトリオット」
なんだっけ?
迎撃ミサイル?
戦争物か・・と思いながら
ちょっと、まだ、TVを消さなかったのが運のつき。

迎撃ミサイルがでてくるような時代じゃない風景が映し出される。

主人公のセリフだけが流れる。

憂生のトキに言う事と同じセリフ。

自分がしでかした事は一番自分が応える形で返される。

うむむ・・・。
チョット、気になって続きを見はじめた。

そこに、主人公の登場。

運のつき。大開花。

メル・ギブソンじゃないですかあああああああああああ。

もうだめだね。
こうなったら、見るね。

メルの若い頃の作品はどこか、妙な異常性と暗さがあって、
いまいち、好きじゃない。
メルがじゃなくて、作品が・・。

マッドマックスなんかは、はっきりいって、
「おまえはすでに死んでいる」
けんしろう/字がわからん/北斗の拳?
と、だぶらなくもない。

リーサルウェポンも、死にたがる男だったし・・。

とはいうものの、あとで、あげるけど、
一面では好きなのであるが・・・。

まあ、それが、歴史もの?的ヒーローを
演じ始めてから・・・。
ひどく、魅力が増した。

ヒーローといったって、
結末は悲惨な部分が多い。

パトリオットも自分の息子ふたりを殺されたし・・・。

題名を忘れたけど
ロビンフッドを彷彿させる映画も、
最後にメル/主人公が断頭台の露になる。

なにかと、おおい、設定は妻をなくした男。
マッドマックスでも妻を殺されるわけだが、
パトリオットにおいては、物語の当初から
妻の墓に参るメルがいる。

なにかをまもるためは、
毎度メルの得意技だけど、
家族を護る。
このメルの父親役と祖国愛が重なって、
現実アメリカの独立秘話のなかにあった話しのような真実味が迫ってくる。

メルの困った顔。

これも、極上の惹かれ。

やんちゃくさい困ったわんぱくぼうずがふけたかおのなかに奇妙に同居する。

これは、ハリソン・フォードにもいえる部分だし
あいつ・・・。
顔がでてるのに・・・。

こういう「味」は男の特性だろうね。

女・・・女優の中に子供と大人の女が同居しても、
ま、例えて言えば
レオンになっちまうわけで・・・。

日本の役者で言えば
緒形拳か・・。

いい役者になったとつくづくながめながら、
さすが、BS・・。
コマーシャルがねええええええええええええ。

トイレにもいけず
飲み物も飲まず
TVの前にすわったまま、パトリオットをみていた。

気がつけば、3時。

だのに、まだ、おわんねええええええええええ。

こうなりゃ、もういい。と、最後までみた。

なんだろう。
メルの底に
「アーサー王と円卓の騎士たち」
のような・・・。
忠誠信と祖国愛と愛する人への思い/護り

その中にたちながら、壱個人としてのメルの恐れ。

「しでかしたことは、自分に一番応える形でかえってくる」

独立戦争の立役者でもなんでもない。

子供の父親として・・の、怖れ。

長男の死をみとるとき、メルはいう。

「違う。おまえのせいじゃない。私がわるいんだ」

これがかえってきたことというなら、
コンナむごいことはない。

なのに、メルはその責任の所在を自分にかせる。

ひさかたぶりに・・・ほれこんだ映画はすでにもう、5年前のものだった。

ポール・ギャリコの『白雁』


ひさしぶりに、
キャメルスノー グースをてにいれて、
きいている。
人によっては、
ポール・ギャリコの『白雁』を
読んで、何らかのきっかけでキャメルのコンセプト・
アルバム に手を伸ばした人もいるだろうが、
憂生は
ロック ・・・なんでもかな?狂の
推薦でキャメルの『スノーグース』をきいて、
はまった。
そして、いまさらになって、ポール・ギャリコをしらべてみた。
まず、大きく出てくるのが
映画 「ポセイドン・アドベンチャー 」の原作者であるという事である。
これに、ちょっと、驚いたが
「白雁」について、言えば
人間味・・ヒューマニズム・・を深くえぐってる部分があって
この部分から照らし合わせると
「ポセイドン・アドベンチャー」にみられる、
ヒューマニズムに頷けるものが有る。
心臓の悪い老婦人が命をかけて、脱出路を捜す
最後の場面でも、ドアのコック?ハンドルをあけた男は死んでゆく。
命をかけて、人をたすけてゆこうとする
その想い方は
ダンケルクの戦いで窮地に陥る仲間のもとに
はせさんじてしまう?ラヤダーの精神に相通じる。
原作があって、コンセプトアルバムは
息づくものであるが、
壮大な愛をテーマに掲げた「物語」を、そのままに・・・。
音楽 でここまで、物語と、見事に融合したアルバムを
いまだかって聞いた事がない。


こういう系統で、有名なのが
イエスのリック・ウェイクマンの
「アーサー王と円卓の騎士たち」が、あるが、
演奏技術という面では、リックの伸び上がり重ねあがるシンセサイザー
サウンド
天下一品であるが、真髄が胸にまで届く「スノーグース」は、心で聞くサウンドであるといいたい。

そして・・・
この
パターン がこうじて、
憂生はプログレシブ・ロックの大御所
ピンク ・フロイドに触手を伸ばす事になる。

また、音楽の話は長くなるので・・・
この辺でやめておくが
物語からにしろ、
音楽からにしろ、
映画からにしろ、
「白雁/スノーグース」にふれてみてほしいと、痛切に思うのである。

「パトリオット」


昨晩はBSをみていた。
もう寝ようとおもって、TVをちらりとみた。
ちょうど、天使にラブソング2のエンディングで、
今まで見たことの無かったシーンをみた。
そして、そこまで・・は、良かった。
あとからが、もっと、よかったのであるが・・・。

まだ、映画があると、テロップがはいり・・・。
タイトルが
「パトリオット」
なんだっけ?
迎撃ミサイル?
戦争物か・・と思いながら
ちょっと、まだ、TVを消さなかったのが運のつき。

迎撃ミサイルがでてくるような時代じゃない風景が映し出される。

主人公のセリフだけが流れる。

憂生のトキに言う事と同じセリフ。

自分がしでかした事は一番自分が応える形で返される。

うむむ・・・。
チョット、気になって続きを見はじめた。

そこに、主人公の登場。

運のつき。大開花。

メル・ギブソンじゃないですかあああああああああああ。

もうだめだね。
こうなったら、見るね。

メルの若い頃の作品はどこか、妙な異常性と暗さがあって、
いまいち、好きじゃない。
メルがじゃなくて、作品が・・。

マッドマックスなんかは、はっきりいって、
「おまえはすでに死んでいる」
けんしろう/字がわからん/北斗の拳?
と、だぶらなくもない。

リーサルウェポンも、死にたがる男だったし・・。

とはいうものの、あとで、あげるけど、
一面では好きなのであるが・・・。

まあ、それが、歴史もの?的ヒーローを
演じ始めてから・・・。
ひどく、魅力が増した。

ヒーローといったって、
結末は悲惨な部分が多い。

パトリオットも自分の息子ふたりを殺されたし・・・。

題名を忘れたけど
ロビンフッドを彷彿させる映画も、
最後にメル/主人公が断頭台の露になる。

なにかと、おおい、設定は妻をなくした男。
マッドマックスでも妻を殺されるわけだが、
パトリオットにおいては、物語の当初から
妻の墓に参るメルがいる。

なにかをまもるためは、
毎度メルの得意技だけど、
家族を護る。
このメルの父親役と祖国愛が重なって、
現実アメリカの独立秘話のなかにあった話しのような真実味が迫ってくる。

メルの困った顔。

これも、極上の惹かれ。

やんちゃくさい困ったわんぱくぼうずがふけたかおのなかに奇妙に同居する。

これは、ハリソン・フォードにもいえる部分だし
あいつ・・・。
顔がでてるのに・・・。

こういう「味」は男の特性だろうね。

女・・・女優の中に子供と大人の女が同居しても、
ま、例えて言えば
レオンになっちまうわけで・・・。

日本の役者で言えば
緒形拳か・・。

いい役者になったとつくづくながめながら、
さすが、BS・・。
コマーシャルがねええええええええええええ。

トイレにもいけず
飲み物も飲まず
TVの前にすわったまま、パトリオットをみていた。

気がつけば、3時。

だのに、まだ、おわんねええええええええええ。

こうなりゃ、もういい。と、最後までみた。

なんだろう。
メルの底に
「アーサー王と円卓の騎士たち」
のような・・・。
忠誠信と祖国愛と愛する人への思い/護り

その中にたちながら、壱個人としてのメルの恐れ。

「しでかしたことは、自分に一番応える形でかえってくる」

独立戦争の立役者でもなんでもない。

子供の父親として・・の、怖れ。

長男の死をみとるとき、メルはいう。

「違う。おまえのせいじゃない。私がわるいんだ」

これがかえってきたことというなら、
コンナむごいことはない。

なのに、メルはその責任の所在を自分にかせる。

ひさかたぶりに・・・ほれこんだ映画はすでにもう、5年前のものだった。

忽ち


ききかじった話なのでちょっと、憂生風脚色が入る。

職場で上司と部下の会話。

「この物件、どうするんだね?」

「あ、たちまち・・対応しますので」

「ん?」

たちまちという言葉の使い方がおかしいのは、分かるんだけど

それに気がついた上司かと思ったら、

「たちまち、って、なんだね?それは、地方の表現で、一般ではつかわない。

標準語じゃないんだよ。それをいうなら、とりあえず・・だろ」

おい?

上司に叱られたその人は、素直にそれを信じ、他の人が別のことで

「今、それ、出来ないから、たちまち、そこにおいといて」に異論をとなえたそうで、

その異論を唱えられた側が、こっちに、尋ねてきた。

「たちまちって、標準語じゃない?一般的じゃない?」

「あほか、普通に使う言葉だよ。それに、とりあえずもおかしい。いい加減に対処する言い方に聞こえる」

「でも、ヤフーだったか、グーだったかの教えて?だったかで、たちまちって言葉が方言なのか、標準語なのか、って、質問されていて、方言だっていう答えがベストアンサーに成ってたんだけど・・・。辞書でひいたら、ちゃんとたちまちって、字があるんだよ」

たちまち(変換⇒)忽。立待ち。

そう。その通り。実際、憂生も書き物をしてるから、逆に、主人公がすばやく行動するときなどに、たちまち、姿をかえると・・・とか・・。そういう使い方が浮かんでくる。

一方で完璧に方言だと思う言葉が作家により、一般化され、標準語の如くに捉えられ瑠時もある。某女流作家の「独りごちた」

これが、若い子(幼いというべきか?)に妙に受入れられ、彼女達の描くファンタジー?小説などでは、よく主人公が独りごちる。

忽ちと、いう言葉も、あるいは、古い言い回しに成ってしまったんだろう。

言葉の裏には感情がある。

よく、英語でたとえるけど、小さいという英語にスモールとリトルがある。

このスモールの裏には外面としての形態判断という客観感情がある。

リトルの裏には、内面的感情が篭もっている。

簡単に言うと、リトルは、「可愛らしい」という感情が篭もっている。

そういう風に、日本語の表現にも、裏側になんらかの感情が篭もっている。

忽ちという言葉の裏に、内包されている感情が、今の時代の行動パターンに当てはまらなくなってきているんだろうな。

上司が間違って訂正したように、*とりあえず*こういう感情で行動するようになってきてるから

忽ちの中に含まれる感情が見えなくなっている。

標準語という言い方も妙なもので、新しい言葉はいくつも出てきてるし

広辞苑も新しい表現を随分取り入れたばかりだ。

ひょっとすると、標準語という分類の仕方ももう「死語」に成ってるのかもしれない。

一般用語。こう言うべきかな?

普段、使われない言葉は、どんどん、退化していく。

言葉が使われなくなるのはかまわないけど、その中に含まれる微妙な感情まで

埋もれてしまうのは、何処か・・・寂しい。

続きを読む

人種差別を扱った映画だった。

題名は忘れた。

人種差別を扱った映画 だった。

黒人開放運動。
列車さえ黒人専用の車両があったときく。
同席なんか出来ない。
そんな時代の映画だったろう。

黒人開放に尽力する
壮年男性であるが、
その彼の娘が
ある黒人青年と
結婚したい と言い出す。

差別。不平等。偏見。
黒人を取り巻く環境は最悪といっていい。

当然、娘を思う親のたちばとしては、
意義をとなえる。

だが、じっさいには、
一番理解してくれているはずの人間の中にある
本心。
偏見を恐れる心。
いや、あるいは、偏見はそこにもある。
と、指摘しているのかもしれない。

対岸の火事はみていられるけど、
わが身に火の粉がふりかかってきたら、
見ていられない。
消火につとめるしかないということだろうか?

対岸の火事としての立地だったと壮年の男性を突き詰めてるのかもしれない。

憂生はコレに少し似た経験がある。

3つあるが、
今は一つを話す。

精神薄弱児の施設に通い子供達の世話をしている女性だった。

彼女は自分が世話をしている子をとても、可愛がり、よくせわをしていた。
そして、
よく、文句も?いった。
精神薄弱児だといって、差別する。
変な目で見る。
許せない。
「あんなに、かわいいんだよ。普通の人とドコモちがいはないよ。普通の目で見ることが出来ない人の精神のほうが薄弱してるよ」

憂生はふと、ふと、たずねた。
「ふ~~ん。そんなにかわいいんだったら、
貴女も
結婚 して生まれてくる子供 がそうだったらいいね?」

彼女はあっと絶句したまま、黙った。
そうなって、生まれたら仕方ないと
かんがえられるかもしれないけど、
初めから精神薄弱児がさずかったらいい、
とは、思えない。

黙った彼女に憂生は
「それでいいんだよ。
薄弱児を異端視する思いのなかには、
自分のそこまでを無意識で意識して、
異端視するという場合もある。
自分の生活の中に本当に密接にかかわりが出来たら悲しいと思う人の方が、
そこまで深く意識する人のほうが、
あるいは
はっきりと偏見?を持って否定してしまうという事もあるかもしれない」

「そうかもしれない」
彼女はそれからは、
差別だとか、偏見だとか、口にすることは無くなった。

同時に憂生は
素直に言う。
たまに外出先でみかけるけど、
やっぱし、そういう状況の障害者を見るのは、辛い。
でも、それを見たくないと思う気持を偏見だとか、差別感情だと取って欲しくない。

名前に工夫


どろろ、やってますね。映画から・・・て、テーマの記事の中にどろろのことをかいていたので、

自分で、それ、よみなおしてました。


柴崎コウのキャラクターが、どろろにマッチして、おろち丸をくう演技になって、巷の評判は柴崎でもってる。

とか、柴崎の映画だ・・・とか。


う~~~ん。


題名自体、もとから、どろろなんですが・・。

どろろは、まあ、化け物の異名ですから、おろち丸こそ主役なのですが、

この映画の設定でいけば、

男でもない、女でもない、どろろ(柴崎)もどろろといえる。


原作もどろろ(柴崎)をどろろと呼んでいたはずです。


手塚氏がめざしたことはなんだったのかな?

と、考えています。


心のうちにあるおどろしい心、それを表わしたのか?


通常、タイトルにするなら、主人公の名前をつけます。


ふたりとも、主人公だから?

どろろであるおろち丸

どろろという名前のどろろ。


三つ目が通るの写楽呆介は、シャーロック・ホームズのもじり。

鉄腕アトムでも妹の名前はウラン。


こういうのと似た遊び心?

二人の主人公をいっぺんに表わせる・・。


この名前に工夫といえば、手塚治虫自体がそうであるのは、有名なはなしだけど、


こういう命名のしかたの「原点」って、ひょっとして、「さざえさん?」


これが、アトム・ウラン・・って、連想的命名法をひきつぎ、

鳥山明に色濃い?


だって、どうみてもね・・・・。

べジータ(野菜)カカロット(キャロットのイタリア読み?)フリーザ(冷凍室)

トランクス(下着)ブルマ(下穿き?)


あられちゃん。せんべえさん。


う===む。

紅玉


原爆投下の日は、そういう映画が放映される。
その前の夜も遅くまで、そんな映画をやっていた。

そこで、どうしても、自分の中でよぎるものがある。

読んでくださった人もあると思うが
「パンパンとチョコレート」という憂生の作品である。

この作品のタイトルに妙な期待を持って
読みにきてくださる人が多いようで、某所において、妙に検索にヒットする作品であるが、タイトルがにおわすような「危ない」作品ではない。

映画は原爆投下から、数年後か?
広島市内で、幼稚園の先生をしていた主人公が生き残った当時の教え子を訪ねる。
夏の盛り。
主人公の回想とともに、生き残った者たちとの邂逅が描かれる。

少年が川に飛び込んでは泳ぎを楽しんでいる。その中から、目指す教え子を探す。

こんなときにやはりよぎる。

憂生が描いた少年は、生きるために悪党になった。
その痛みを胸に抱くことで、
生き延びていく重みと引き換えていく。

主人公の同僚は原爆のせいで、不妊になったという。
だけど、生き伸びれたことを思ったら・・。死んでいった人のことを思ったら・・・。

「生きているのだから」

ー生きているーその重みが悲しい運命をも超える。

自分という人間の今までを、振り返ったとき、いつも、「生きていかなきゃ」
と、どこかで背面に死をまといつけていた。
死にたいけど、死ぬわけにいかない。
生きているというほどの重みも無く
まとわりつく死という名の逃げ道に焦がれながら、死を恐れ、かといって
生きているといえる人間でもない。

生きている。

そのことだけですでに重みがある自分でない裏腹の感情が自分を叱咤する。

「生きていかなきゃ」

それらの感情が憂生の作品にまとわりついている気がする。

どう考えれば生きていたい自分になりえるか。
どう考えれば突き詰めてくる刃をかわしていけるか。

悪党でしかないのは、憂生自身だろう。

生きている。

その重みを受け止めていけない者は、反逆児か生の中に立つ異端児か、あるいは、悪党でしかない。

生きていかなきゃ。
生きなきゃ。

生きろ。

以前も書いたが、もののけ姫のキャッチコピーのごとく、
自分をしかりつける。

だが、今、ほんの少し
「生きている」
それがいとしいことであると
実感し始めている。

魔女の宅急便をみた。


何年か前に見た時と、注目する場所が違うのが
おもしろい。
宅急便では、ど~の。
宅配便では、ど~の。
タイトルでひともめした映画だったと思う。

確か・・宅急便というのは、
クロネコの個称だったと思う。

宅配便とか、**急便とか・・。

商標がそのまま、商品類の総称になる場合が多い。

例えば
ほっかいろ。

パンパース?

本来、正式名称があるに関わらず
ヒット?世間に流布した商品名がそのまま、
商品類の代名詞?になる。

まあ、宮崎氏の作品中の小物?は
作品に程よいアクセントを与えてる。
例えば、
魔女の宅急便ならば、クロネコと映画中の黒猫とが、微妙にかさなってくる。
ほたるの墓では、
商標として・・。
母親への回想シーンだったろうか?
「カルピスいれたよ。のみにおいで」
ってのがある。
カルピスってのは、この頃からあるものなのか?
って、妙に時代考証気味になる。

もちろん、それは、ほんのわずか。
もっとも、ほたるの墓内でおおきな存在感をかもしだすのが、
佐久間・・・?
サクマのドロップ。

これは、今もマーケットなどで、みかける。
戦争当時・・・以前?
かれこれ・・・60年前に生まれた商品。

この小道具の使い方が上手い。

ま、それはおいといて・・・。

今回憂生が着目した
魔女の宅急便の中のセリフ。

「書けないときはどうすればいい」
「かかない。かかずにいたら、
そのうち、無性にかきたくなる」
それまで、自分をほったらかしておく。
このセリフをはなった
彼女を憂生は「若い」と、思うようになった。
たとえば、3年。5年。
ここまで、かかずにいたとしても、
彼女の中では、充電期間でしかない。

だが、憂生は焦るな。
ここ3年。
にこぺちゃんに笑われたけど
妙に老成する自分がいる。

この変化が怖い。

やけに作品がうすっぺらに感じてしかたがない昨今。

なおさら、かかずにいる自分に焦燥をかんずるのみである。

「どろろ」のことである。


手塚治虫の原作であることは、周知のものであるが、原作の設定の変え方が良かったので、ストーリーに深みがでた。

どろろ自体は原作では、男の子だったと思う。
ところが、これを女の子にした。
ところが、女の子でありながら「男の子」になっている。
それは、どろろの過去による。
生き延びていくために、「男の子」であろうとするのだが、このコンセプトが刻まれていくのが実母の死の間際の言葉である。
「本当に信頼できる、身も心も預けられる男にだけ、涙を見せてよい」
涙・・・女の実像の象徴であろう。
親の愛情の一つの形をここで、浮かび上がらせる。

そして、物語の主軸である「おろち丸」の後にあるのも「親の愛情」である。
ただし、こちらは、マイナス要素としての親の愛情である。
覇者になるために、わが子「おろち丸」を生贄にした父親であるが、一方では、おろち丸の弟を思う親の愛に殉じていく部分でおろち丸は救われる。

物語の中でも飢饉により、口減らしのために子を捨てる親の存在を対比させる。

いろいろな形の親の愛情を根底に敷き詰めているからこそ「本当に信頼できる、身も心も預けられる男にだけ、涙を見せてよい」という言葉が映えてくる。

女として生きるを託す男。
すなわち、言い方をかえれば、
どろろが女になりえる。
母親になりえる。
親の愛情を真の形で「捧げる」ことを
可能にさせる男を選び取りなさい。
と、寸詰めすぎるが、こうなるか・・・。

物語の中、いろんな状況の親がいる。
子を死なすしかない親。
子を生贄にする親。
護りきれ死に行く親。
いろんな状況の中、おろち丸の母親の姿が浮かび上がる。
口減らしのために子を捨てる不幸は無かっただろう。
自分が死に、残される子供への不安を抱く不幸も無かっただろう。
おろち丸のかわり?に弟を溺愛することで、なんとか、母親の本能は成立していった。

物語に出てくるどの母親も精神的不幸を象徴していた。

ゆえにいっそう、この言葉が生きる。
「本当に信頼できる、身も心も預けられる男にだけ、涙を見せてよい」

たゆとい幸せを与えることが出来る男だけを、「男」として認めなさい。と・・・。
あるいは、峻厳であるのは、死を間際にした母親ゆえの愛情の強さのせいか。

こういう裏側にしきこまれたものがあるから、この物語は生きた。
どろろを原作通り男の子に設定したら、
「生き様の指標」「本当に信頼できる、身も心も預けられる男にだけ、涙を見せてよい」さえ出てこなかっただろう。

こういう伏線の張り方?
物語の中に埋め込む下地の作り方は憂生は好きである。

そして、女が女として生きる。
このコンセプトがまた、憂生の作品
「理周」を彷彿させた。
彼女もまた、女であることを否定する生き方から、女である事を肯定させる存在、不知火を勝ち取っていくのである。

ダヴィンチコードを見た。

ダヴィンチ・コードをみた。

よく考えてると思うものの、どうも、基本概念がピンとこない。

「キリストは神である」「キリストが人間であってはいけない」

と、いう考え方がピンとこない。

実際、キリスト教の中ではそういう考え方なんだろうとは思う。

だが、憂生は「教えを実践し、身につけていくのが本道」という

考え方をしている部分で、キリストが神であろうが、人間であろうが

そこの部分は重要ではない。

そして、もっといえば、奇跡をおこすという部分でも

「神」でなくてもかまわない。

と、いうことでもあり、神秘的な力というのは、

人間がそれなりの「悟り?」をもてば、身につく。

はじめから持っている人もいれば、後天的に身につける人も居る。

実際何人か(霊能力者とか、神道家とか、ではなく)

そういう神秘(己自らの力?)をもつ人に遭遇しているから、

キリストが人間であってもかまわないし

むしろ、人間であるほうが良いと、思う。

神様だから・・できるんだ。

と、いう考え方になりたくないというべきか。

同じ人間だからこそ、キリストのような境地に立てるようになるんじゃないか?

同じ人間なんだから自分も出来るんじゃないか?

と、自分に厳しくなれる。

神さまじゃあるまいし、そんなことできるか!!

と、いう言い方があるけど、それは通じなくなる。

友人の言葉に

「その仕事(とか)を使命されたとき、**さんみたいにできない。と、怯んだ。

自分のやり方があると思うより先に

同じ人間のやること。私にだってできる。**さんがスーパーマンだとか、

いうなら、別だけど。同じ人間のしてきたこと。同じ人間ができないことはない」

まあ、こういう考え方に近いかな。

そういう意味では、キリストに贖罪をおしつける(おわせる)考え方でなく

自らも贖罪をかたぐぐらいの考え方でありたいと思う。

(それが、出来るなんて思ってるのでなく、立ち位置)

キリストに自分を預ける?守護されよう?そういう考え方もないから、

いっそう、「神」の位置であろうが、あるまいが、かまわない。

先のスレッドに少し出てきたけど、キリストに護ってもらわなければいけない?的、

おかげ、見返りが要ると、「奇跡を起こす神」でなければ、

信仰する必要がなくなる。

こういう信仰の心理みたいなのを考えるものだから

ダヴィンチコードの中の前提である

「キリストが人であってはならない」

と、いうことから、憂生には「?」の部分で、どうも、

背景がみえないというか、民族的、国的、背景が肌身にせまってこない。

問題は自分が「良くなっていく」ことであり、

対象を信仰することではない。

こういう事を考えると、いかにも偶像崇拝の考え方にとらわれている国であると思え

段階的には

偶像崇拝の一種依存信仰にて、おかげ信仰。

そこを意識してもらい、変革してもらおう?とする動きが出てきた。

と、いう、まだ開墾状態の映画に思えた。

火垂るの墓。


この時期になると、
決まって放映されるのが
火垂るの墓。

この作品について、憂生は
どうしても、
共振できない部分がある。

*****************

それは、
原作から、憂生が受け止めた「意図」と
あまりに違うせいもある。

原作に置いては
野坂少年の原体験が基礎になっているのであるが・・。

妹は乳飲み子である。
少年は重湯を作って
あついから、ふう~ふう~とふいて
さましてたべさせてやろうとするのだが・・・。

妹の口に運ぶはずの
重湯を自分がすすってしまう。

そして、妹は栄養失調で死んでゆくのである。

豊富に物が溢れる平和な時代なら
野坂少年の行動は
笑い話になるのだが・・・。

この・・・罪?
と、別に、もう一つのことを野坂は懺悔?する。

家が倒壊し、火が回り始めたとき
僕は下敷きになった家族をさがそうともせず、
一声。二声、名前を呼ぶと
あとは後ろも見ずに
その場を逃げ出した。

野坂の心境を巧く説明できないが
彼はこうやって、生き延びた自分を
さらけ出したんだと思う。

その作品は確か直木賞を受賞したと思うが・・・。

戦争の被害は、その場だけではない。

平和であるなら、わらい話になるようなことで、でさえ、
新たな被害者と
加害者を作ってしまう。

今回のお登勢の中でも
娘らしく、子供らしく
父母を呼ばなかったお登勢。
武者を止めようとしなかったお登勢。

この痛みを少し扱っているが

こんな事に
痛みを感じなければ成らないお登勢が
どこか、野坂に通じる。

仕方が無かった。
そうしなけりゃ自分がしんでしまう。

自分の保身が先になった
その痛み。

こういうものは、自分がいきていればこそ、思えることであるのは、
野坂もお登勢もわかっている。

原作は戦争が作った心の
真空状態?を語る。
うっかり手を入れるとかまいたちの如く
切り裂かれる。/自分がだよ/

それが、映画 のほうには、ないというのかな。

自分の保身が先になった・・・痛み。

レオンから・・・

映画「レオン」の書評をよんだ。

書評は誰が書いたか忘れてしまったが、

冒頭の科白がよかった。
「監督の描く女は非常に良く泣きます。でも、ちっとも惨めじゃないのはなぜでしょう」

(レオン)の監督のほかの作品もこうらしい・・。

この筆者はこの質問を監督自らにぶつけており、この質疑応答が書評の導入部である。

インパクトの強い穿ちのある疑問に着目できる彼女もすごいし、

こんな難しそうな質問を英語で尋ねられたのかと、彼女の才能に驚かされるが

監督の答えがまた、妙答だった。

「それは女が男に泣かされたのでなく、自分の人生になくからです」
自分の足で立とうとした女は、けして、惨めに泣かない。
レオンはマチルダに色んな物を与え尽くす。

身を護るため銃の扱い方から・・・。

十三歳の少女に男を教えるのもレオンだ。
けれど、マチルダはレオンに従属しない。
自分の人生として、レオンをうけいれてゆく。

愛と呼ぶには師弟の域を越えないものがあるのかもしれない。

レオンが命をかけてマチルダを護る。

レオンの死を知るマチルダが泣く。

けれど、けして、みじめじゃない。

自分に人生を掴ませた男の死はマチルダの涙にうずもれるが、

マチルダは愛する物をなくした悲しみに泣くんじゃない。

レオンという男を自分の人生の踏み台にさせてしまった事に泣いてるんじゃないか?

レオンという男がこんな女の為に生きるしかなかった。

この哀れさに泣ているんじゃないか?

マチルダはいつか、レオンを忘れ、自分の人生を歩む。

そんなちっぽけな事の役に立つ為に命をかけた男への憐憫が泪を誘う。

これは余りにシニカルすぎるか?

けして、惨めになぞなるわけがない。

女という魅惑を十三歳の少女が既に持っている。

それに溺れる男に命を助けられたと恩にきはしない。

マチルダの人生のひとこまは、酔狂な男のひょっとして異常な愛によって岐路を得た。

それだけ。

こんな女の人生に関与した男の酔狂にふと涙が誘われる。

マチルダはこの後もっと、自堕落に性に貶められるかもしれない。

人生の指標を掴んだ女より、

人生を歩んだ、「まま」のマチルダのその後がきになった。

ワルシャワ・ゲットー蜂起

ワルシャワ・ゲットー蜂起 (Warsaw Ghetto Uprising) は、第二次世界大戦中のポーランドワルシャワワルシャワ・ゲットーにおいて、1943年4月19日から5月16日の間、続いた武装蜂起である。この反乱は、強制収容所に送られることが死を意味することに気がついたユダヤ人が命をかけてドイツ軍に対して起こしたものである。

この反乱の前兆として、1943年1月18日にドイツ人とユダヤ人の内通者に対する粛清から始まった。戦闘は5月16日まで続き、反乱勢力は貧弱な武装と劣悪な補給の元、粘り強く戦ったが、最終的にユルゲン・シュトロープ親衛隊少将により完全に粉砕された。

背景

詳細は「ワルシャワ・ゲットー」を参照

ポーランドの人口のうち300万人以上を占め、ポーランドの様々な都市のシュテットル(ユダヤ人街)に集中しているユダヤ人を、ナチス1940年頃よりゲットーを作り一箇所に集め始めていた。このうち最も大きなものがワルシャワ・ゲットーで38万の人間を抱えており、都市の中央部の人口が集中しているエリアにあった。ユダヤ人は劣悪な環境におかれていたため、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺が始まる前に、何千人ものユダヤ人が伝染病飢餓によって死亡していた。

武装蜂起が発生する1942年9月12日直前の52日間で、約30万のゲットーの住民がトレブリンカ絶滅収容所に送られ殺害された。

ユダヤ人の「追放」が始まった当初、ユダヤ人の抵抗組織のメンバーは会合を持ち、ドイツに対して戦わないことを決定していた。これは、ユダヤ人が殺されるのではなく、労働キャンプに送られるだけだと信じていたからであった。しかし、1942年の終わりには、「追放」と言うものが死の収容所へ送られることだとわかり、残ったユダヤ人は戦うことを決定した[1]

戦闘 [編集]

1943年1月18日、ドイツが2回目のユダヤ人の「追放」を開始し始めた際に、最初の武装反乱が発生した。「追放」はその後4日間停止し、ŻOB(Zydowska Organizacja Bojowa、ユダヤ人の戦闘組織の意)とŻZW(Zydowski Zwiazek Walki、ユダヤ人の軍事連合の意)の反乱組織がゲットーの支配を握った。彼らは、何十もの抵抗拠点を作り、ユダヤ人治安部隊とゲシュタポの工作員を含むナチ協力者と思われるユダヤ人を殺害した[2]

敵対勢力 [編集]

ゲットーでの反乱に対しドイツ軍は、部隊を投入し鎮圧を試みた。そのため、次の3か月間、ゲットーの全ての住民は可能な限りの準備を行い、最後の戦いに臨んだ。そのために、何百もの隠蔽された避難所である「壕」が家の下に掘られた(防空壕とあわせて618個あった)。そのほとんどが、下水道や給水設備、電気の設備を備えていた。ゲットーの人々は拳銃と少しのライフル、そして1丁の機関銃(後に、どこからか3丁の重機関銃も手にいれ)で武装していた。しかし、弾薬をほとんど持っておらず、簡単な爆発装置火炎瓶を主に使用していた。蜂起中にも、新たな武器の供給があり、一部はドイツ軍から捕獲したものもあった。ゲットーは3つの領域に分けられ、それぞれの組織はそれぞれの地区に対して責任を持った。

ゲットーの外からの支援は限られていた。しかし、国内軍(AK)[3]共産主義者の部隊[4]からのポーランドの抵抗組織の部隊が、ゲットーの壁近くで警備部隊を攻撃し、武器や弾薬を内部に送る努力を試みた。国内軍は4月19日から4月23日までの間、塀の外のあちこちでゲットーに侵入する試みでドイツ軍と交戦を行った[3]ヘンリク・イワンスキー (Henryk Iwański) 指揮下の国内軍の一部隊、Państwowy Korpus Bezpieczeństwa(国民保安軍団の意)は、ŻZWとともにゲットーの内側で戦い、最終的には塀の外、「アーリア人の領域」へ撤退した。国内軍はポーランド国内と、連合国へ無線通信を介して、ゲットーのユダヤ人に関する情報と、彼らへの援助を求める連絡を行った[3]。ŻOBの一部のパルチザンと指揮系統の一部はポーランドの支援の元、運河を通り脱出した[3]。イワンスキーの行動が最も有名であったが、これは、ポーランドの抵抗勢力が行ったユダヤ人を助けるための多数の行動の1つであった[5]

しかし、ポーランド人とユダヤ人抵抗勢力の闘士による努力はナチスの軍事力に対して十分でないことを証明した。ドイツ軍は、1日あたり平均して2054人の兵士と36人の士官を投入した。この兵の中には、821人の武装親衛隊(予備兵力装甲擲弾兵の部隊、訓練大隊、SS予備騎兵部隊)と363人のポーランド海軍ブルーポリスの人員を含みゲットーの壁沿いに非常線を張る様に命令をされた[6]。他の戦力として、秩序警察警察連隊から第22、第23大隊を、親衛隊保安部(SD)の情報部隊、陸軍の2個鉄道戦闘工兵連隊からあわせて1個大隊を、 陸軍の軽砲兵中隊と、SS最終解決訓練キャンプトラヴニキ(Trawniki)からトラヴニキ人部隊 (Trawniki-Männer、トラヴニキの人の意) のウクライナ人の大隊と、リトアニアとラトヴィアの補助警察 (auxiliary police) (アスカリス、Askaris)と、ポーランド消防士と、同様に緊急軍団(technical emergency corps)がいた。これらは、ユダヤ人狩りを行うフランツ・ビルキ(Franz Bürkl)指揮下のパヴィアク刑務所から来たゲシュタポの看守や処刑人も含んでいた。これらの部隊は、装甲戦闘車両や毒ガス火炎放射器航空機戦車砲兵を含む装備を保有していた。

ドイツの攻撃 [編集]

ゲットー攻撃を指揮するユルゲン・シュトロープ少将(中央の人物)

最後の戦闘は4月19日過越祭の夕方に始まった。ドイツ軍は大挙してゲットーに突入した。ユダヤ反乱軍は、裏通り、下水道、家の窓、燃えている建物からでさえ射撃を行い、ナチスの部隊に火炎瓶手榴弾を投げつけた。フランス製装甲車は、ŻOB の火炎瓶により炎上し、ドイツ軍の最初の攻撃は撃退された。ユダヤ反乱軍は、フェルディナント・フォン・ザンメルン・フランケネック(Ferdinand von Sammern-Frankenegg) 指揮下のドイツ軍に対して大きな成功を収めた。彼は、SSと警察のワルシャワ地区の指揮官を罷免され、ユルゲン・シュトロープがその地位に就いた。

攻撃がやんだ後、ナチスは、ブロックごと建物を焼きつくし、地下や下水道を吹き飛ばし、捕らえたユダヤ人を検挙もしくは殺害していった。4月19日にもう1台の装甲車両が反乱軍により破壊された。その戦いでは、反乱軍の ŻZW の指揮官ダビッド・アプフェルバウム(Dawid Apfelbaum)が死亡した。残った拠点での最も長い戦闘が、ムラノウスキー・スクエア (Muranowski Square) 付近のŻZWの拠点で4月19日から4月末まで続いた。4月29日に、指揮官を失った組織の残った闘士はゲットーを捨て、ムラノウスキー・トンネルを通り、ミッヒェン (Michain) の森へ逃げ、戦闘が終結した。

掃討 [編集]

主な戦いが終結した後も、残った壕は、抵抗の拠点となっていた。この戦闘では、ドイツ軍は発煙手榴弾と催涙ガス毒ガスを使用し、ユダヤ人を追い出した。多くの場合、ユダヤ人は出てきた後も発砲を続けた。また多数の男性の闘士や女性の闘士の一部は隠された手榴弾や銃を降伏後に発砲した。5月8日にドイツ軍は、ミワ (Miła) 18番地にŻOB の指揮所を発見し、そこで指揮官のほとんどと残った100人以上の闘士が殺された。彼らは、集団自殺を行った。その中には、組織の指揮官モルデハイ・アニエレヴィッツも含んでいた。

この反乱は5月16日に終わった。しかし、1943年の夏頃まではゲットーの地域で散発的な銃声が聞こえていた。最終的に、反乱は6月5日に終息した。最後のドイツ人に対する戦いはユダヤ人の犯罪者によるもので、ŻZW や ŻOB とは無関係であった。

死傷者数 [編集]

ワルシャワ・ゲットーの英雄記念碑

戦いを通して、7千人のユダヤ人が戦死し、6千人が防空壕の中で焼死した。残った5万人は絶滅収容所に送られた。ほとんどはトレブリンカ強制収容所に送られた。

1943年5月13日付のユルゲン・シュトロープの最終報告書は以下のように記述している。

180人のユダヤ人、ごろつき、下等人間を殺害した。もはやワルシャワ・ゲットーは存在しない。鎮圧作戦は、ワルシャワ・ユダヤ教会 (Warsaw Synagogue) を爆破して20:15に終結した。・・・処分したユダヤ人の数は56,065人、これは捕まえたユダヤ人と殺害したユダヤ人の総数である[6]

この報告で、シュトロープは、味方の16人が死亡、86人が負傷し、このうち60人以上が武装親衛隊であったと記述している。他の文献からでは、1300人のドイツ軍もしくはその協力者が蜂起において死亡もしくは負傷したと推測される。

戦闘の後 [編集]

戦闘後、燃えた家のほとんどは整地された。そして、ゲットーのあった地域にKLワルシャワ強制収容所の建物が建てられた。ドイツ軍は以前のゲットーをポーランドのワパンカ(Łapanka)の収容者を殺害するために使用した。そこでは、報復に多数の収容者の処刑が行われた。

後の1944年に発生したワルシャワ蜂起において、ポーランドの国内軍の部隊ゾスカ ("Zośka") は、KLワルシャワ (Gęsiówka subcamp) 強制収容所より380人のユダヤ人の虜囚を解放した。彼らのほとんどは、すぐさま国内軍に参加した。わずかの人間は、ワルシャワゲットー蜂起の際に地下道を通り生き延びて、ワルシャワ蜂起に参加した。

1944年のワルシャワ蜂起への関連 [編集]

1943年ワルシャワ・ゲットー蜂起は1944年ワルシャワ蜂起としばしば混同される。2つの出来事は時間的にも異なり、まったく目的が異なっている。前者のユダヤ人の蜂起は、強制収容所での確実な死亡より、助かるわずかな望みをかけて、命を懸けての戦いを選択したものであり、戦う能力があれば最後の瞬間まで戦闘を行っていた。2つ目の蜂起は、ポーランド人が自分の領土を取り戻すためのテンペスト作戦の一部であった。

しかし、2つの事件の間に関連がまったく無いと言い切ることはできない。2つの暴動が同じワルシャワで発生したと言う点、また、ワルシャワ・ゲットー蜂起において生き延びた多数の人間(100近い人数)が後のワルシャワ蜂起において、国内軍や人民軍の一員として戦った点より、関連があると言うものもいる。

 INDEX    RSS    管理

猫・追加中

カレンダー

11 | 2017/03 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

最近の記事

作品集(アルバム仕立て)

カテゴリー

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
6774位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
2239位
アクセスランキングを見る>>

ブログ村

訪問者様

ページランキング

ブログパーツ

IP検索

全記事表示リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。