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うどん

この物語をかいたのは高校1年生の頃だったと思う。

随分たってから、改めてやきなおしたものなのだが、

当時、歴史的資料?なんてものをかんがえつけず、

「うどん」でなく、インスタントラーメンという設定だったが・・・。

よくよく、考えたら、インスタントラーメンなんてものがでてきたのは、戦後、だいぶたってからだろう。

最初に発売されたインスタントラーメンがなんであるかさえしらないが、

物語の設定に無理があるときがついて、「うどん」にかえた。

「うどん」ならば、旨物で、自分でもこねてつくってみたが、

多少成り、素人でも作れたものだと思うし、今より、昔の人のほうが日常的につくりえた野ではないかと思え、「うどん」にかえた。

その考えにより、「うどん」は白蛇抄、「法祥 回向せしむるかや」の中でも扱っている。

白銅がおもしろおかしく、うどんを愚痴る。

やっと食べられる段にまでこぎつけると、いわく、

「うどんは稲荷じゃ」

揚げの油抜きをせねばばらぬ・・。

いかにも、調理人憂生が色濃くでているとおもうのであるが、

この「パンパンとチョコレート」においても、当初インスタントラーメンでありながらも、

将来の職業をかぎとっていたかのように、食物が登場して、大きなポイントになってくる。

もちろん、タイトルがしめすとおり、チョコレートが一番ポイントなのであるが、

食に?寄せる感情というものが、こんなにもくっきりと分かれるのも、物語ゆえと、思いつつも、

不思議な気がしてくる。

憂生の得意パターンのひとつが、モチーフに寓意をこめるというものだが、

対照的に使うという事は良くある。

掌編の中の芙蓉や杜若でもソノ手法が使われている。

芙蓉においては、紫陽花をもちだし、「変わってしまう心」を下地にしくから、

立葵に取り込まれてはなれていってしまいそうな不安がレリーフになる。

まあ、自分の文章を分析してみると、上記の部分などはよく構成していると思う。

これも、すでに、当初のこの物語の中でも、もっていた物書きの資質かも知れぬと思う。

対比や象徴、

チョコやキャンデイを欲しがる子供とそれをこらえ、同じ日本人から芋を盗み死んでいった仲間。

この対比があるからこそ、チョコレートへの渇望もせつない・・。
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塩杯

柊二郎同じく、憂生も聞いた事が無い。
あくまでも、創作の「塩杯」ですが、
この手のごまかしは、よくやるパターンです。
登場人物自らに「聞いた事が無い」といわせることで、
とってつけた感を軽減しようとする策なのですが由女の策とだぶるため、
違和感がないというか。
由女がうまくきりぬけた。という物語世界にはいれるとともに、
疑念をもたれたら?
策がばれたら?
と、いう、うしろにある綱渡り(かけひき)もかもしだされる。
作中の人物の文中にない心理をにおわすことができる、小道具というのは、
憂生の得意の手法ですが、
この短いやりとり。
塩杯をえらんだ理由。
柊二郎が喉がかわいて、水をのみに座敷牢からでてくるしかないように追い込む。
そして、わざわざ、水瓶の水を捨てるということは、
井戸にでむくしかなくなるわけで、
そこで、由女は柊二郎を井戸につきおとす。
しかないわけで・・。
今までの経緯を考えますと、
そこまでのことを、由女が決断した裏には、
まさに―由女の未練のからさとおぼしめしくださいませ― の
悲しい思いがあったことと思う。
そういう科白をひっぱりだせてこれたのも、「塩杯」のチョイスであったとおもう。

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立ち食い蕎麦

どうも、立ち食いそばといわれて思い出すのは駅にあるそば屋である。
プラットホームなどにあるそば屋のほうがなぜか、旨い。
何故だろう?
腹をすかせていて、なにかほしいと思うときに合致するからか?
学生だったころは、有名なプラットホームそばやがあって、わざわざ・・反対方向の電車にのって、食べに行ったことがある。
かえりは、プラットホームから元の方向の電車にのるから、運賃はただ。

いまでは、立ち食いそばというよりも、
屋台のラーメンとか?
そば屋のほうがむしろ高級店になっている。
憂生はあまり、蕎麦が好きじゃなかったが、九州の熊本で、(阿蘇の湧き水をつかったせいか?)手打ち蕎麦をたべてから、蕎麦も良いなと思うようになった。

そもそもが、冷やし中華が好きなので、
蕎麦もざる蕎麦がよいのだが、
麺にこしのある冷やし中華になれてから、蕎麦はいまいち、頼りなく思っていた。

が、手打ち蕎麦。
これほど、こしが有るのが、蕎麦なのかとおどろいた。
でも、相変わらずつゆを張る蕎麦は好きじゃない。

ただ、ひとつだけ、旨いと思ったのが
親父の作った巣篭もりの茶蕎麦。
緑の茶蕎麦に多少のグザイをそえて、真ん中をくぼませて卵をわりいれて、つゆを張り、蓋をして蒸す。

巣篭もりとは、いいえて、妙。
緑の鳥の巣に卵をおとす。
かつ、卵が蕎麦に微妙にからむ。
この様子が、いかにも「篭もる」そのもので、「巣篭もり」とは、目にも耳にも楽しいネーミングだと思う。

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雄を食らう

憂生の物語の中に埋められた「食」を
先日、拾い出し、抜書きしてみた。
ひとつ、ふたつ「食」にしてよいものか、どうか、悩んだ事例があった。
ひとつが下に添付したもので、
もうひとつは、一種・スプラッターなので、迷ったが、あげた。

そして、この「雄を食らう」について、どういうモノローグを挟み込もうか、考えていた。
対峙するように浮かんだのは
「雌を食らう」で、この部分はすぐに
思い浮かんだ。

ししゃもである。
漢字で書くと柳葉魚だったかな、形からきているらしいが
アイヌかなにかの民話があったように思う。
「雌を食らう」を拡大していけば
めんたいことか、かずのことか、からすみにつながっていく。
ならば、
「雄をくらう」は、たらの白子/余談だが、これも、また、旨物でとりあげたい素材である/とか、う~むなにがあるか?
まあ、書いていけば、なにか、沸いてくるだろうとそのまま、寝入った。

だが、ひとつの不安があった。
タイトルにひっかかって、誤解する人間がいるだろう。
憂生の物語「パンパンとチョコレート」もタイトルにひっかかって、やってくる人が多い。(リサーチのログ列でわかる)
考えようによっては、意味深なタイトルは集客効果があがるが、こちらの本意とはかけ離れる。
それでも、まず、「雄を食らう」の内容をあげておこうと思い挙げた。

とたんにいらっしゃった。

hibiki1941 エロでいいじゃないか(笑)!

過去、カフェにて、ブログ内のアダルト部門の冒頭がブログ記事紹介に列挙になって、通報されてしまったことがあった/大笑/
あまりなことをやると、顰蹙をかうと
痛い勉強をさせてもらってる憂生なので、いっそう、「雄を食らう」のタイトルは悩んだ。

いずれにしろ、足跡もひとつのタイトルである。
足跡にエロいことかいてあっても、
まじめな姿勢での日記を書いてる人も(だれじゃああ?)いるわけだから、
足跡で判断する気はない。
が、
それは、憂生自体がタイトルや冒頭だけで、中身まで踏み込んでもらえなかった?苦い経験があるから、慮ることができる。

見た目(ロゴ)判断の怖さを思いつつ
タイトルを書いてみると
やはり、試されるかのような
足跡がやってくる。

憂生?
おまえ、本当に、見た目判断しないか?

こう問われる気がする。

結論をいおう。

確かにタイトルで判断されても仕方がない。

以上である。

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ベーコンエッグ&オニオンスープ&パン

昔のプロポーズに「味噌汁をつくってくれないか」とか、いうのがあったが、

日常をともにするという象徴が食事に置き換えられる。

日本風に言えば、「目玉焼きをやいて、味噌汁をつくって」という科白になるだろうか。

昨今、女性が家庭だけにおさまっているということがめずらしくなって、

「目玉焼きをやいて、味噌汁をつくって」などと聞くと、平凡というより、

活力のある人だとおもってしまう。

仕事もこなしながら、亭主のために朝食を準備する。

どうこういいながら、仕事をもっていたって、女性は家事をもこなすというひと仕事(以上?)多いわけで、こうなると、サーシャのいう「平凡でありきたり」というのは、「家庭だけにおさまることを想定した」うえでの、平凡であるわけで、現状の女性の位置をかんがみると、とてもじゃないが、「平凡でありきたり」ではない。

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梅の花茶

結納などに、桜の花茶をだす(と、思う)

塩付けにしてあるものなので、年がら年中手に入るものだと思ったが、

まあ、季節的に、雛の季節。

禰宜(神主)の接待であるのなら、桜の花茶も妙かとおもった。


陰陽師であるものであり、薬湯の準備にも卒が無いわけで、

白峰大神の段では、蛇の毒には蛇がきくと、まむし酒をなおらいに利用させているし、

そのあとに、薬湯をてわたしている。

てわたされた白銅も確か

「用意の良いことだの」と、かえしている。

くらいだから、なにかにつけての生薬まがいのものは、もっているだろう。


梅の花茶もなんらかの意味合があって、用意周到のものだったかもしれない/笑


だが、あの小さな花をあつめるのは、さぞかしたいへんであったことだろう。


梅干などの効能に食あたりをなおすなど、殺菌作用もおおく、

本文をたどれば、むしろ、禰宜が自宅に用意していたもののように伺える。

産土神社であらば、梅と「産め」をかけあわせた縁起として、

常に利用していたとも。

邪気をはらう(あたりをなくす)という意味合も考えられる香の高い花でもあり、

あえて、梅の花茶を登場させている。


が、実際にあるものかどうか、非常にあやしい・・・/爆笑

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お茶

昔からお茶は好きだった。
親父に「年寄りみたいだ」と、言われたのを良く覚えてるし、小、中学校の修学旅行でも、土産にお茶をかった。
中でも、雁音・・字、あってるのかな?
かりがね、が好きだった。
お茶の葉のぶぶんではなく、葉の軸?茎の部分になるのだろうか?
ごく細い小枝のようなお茶である。
好んで飲んでいたので、親父が雁の話をきかせてくれた。
なぜ、そのお茶が雁がねというかという話だった。
雁は海を渡って暖かいところに越冬しにいくわけであるが、その時に一本の枝を咥えて飛ぶのだという。
(無論、事実ではない)
夜中になって、雁が羽をやすめようにも、そこが海の上だったら、休むに休めない。
そのために、小枝を海上におとして、そこにとまって、眠る。
と、いう逸話というのも、妙だが
その逸話にちなんで、雁がね・・。
ひょっとすると、雁ヶ寝と書いたのかもしれない。
いわゆる、枕詞?垂乳根が母をあらわすような・・・・?
あるいは、暗喩?
隠語というのはおかしいな、符丁とでもいうのか?
寿司屋でお茶をあがりとかいうように、
小枝の言い換えということになるか。

小枝を咥えて飛ぶは事実のわけがないが、雁が小枝一本に命を託すという話が
なぜか、心に残っている。

雁自体へのおもいもそうであるが、
空行く雁の姿に、先行きを案じた人がいるということである。

思いをかけるだけしかないのだが、
雁を見て、
「海上で夜になったらどこで羽をやすめるんだろう」
「無事に目的地についておくれよ」
とか、こういう思いをもつことが、
実に日本人らしいと思う。

風流という言葉で言い表せる内容ではないが、
小枝に中に「そこで、ひと時の安堵を得てくれると良い」という思いが封じ込められているとするならば、
小枝のようなお茶に雁がねとなづけた人間は万感の思いを込めたといえる。

このお茶に、「飲んでいただいてゆっくりくつろいでもらうんだよ」という思いを託している。

凄いネーミングだと思ったのである。

それから、お茶はいろいろ、変わった。
一時期は八女茶がすきだったが、
狭山茶にであってからは、これを越すお茶にはまだ、出会っていない。

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無花果

無花果などこれといったとりえの無い果物だと思っていた。
生でたべる以外芸がないといったら、
コンポートにしても良いとか
味噌汁にいれても旨い(おい?)とか、いわれたが、どれも実行したことが無い。

ところが、前にもちらりと書いたが、
パンの中に無花果を練りこんだものを食べた。無花果の種がぷちりとした食感を残してくれて、ほんのりとした甘さがある。
これは、ケーキなどの素材や思い切って無花果パイとか?応用できそうだと思っていたある日。
ケーキを買いに行くことになった。

おりょ?

あるんだね。

無花果を載せた綺麗なケーキ。
人様への使い物だったので、こっちの試食には出来なかったが・・
ふむふむ・・。

メインに昇格させる方法は無いか?

悩んでいるうちに季節が過ぎていってしまった。

そして、↓の作品も無花果の季節に若干ずれがある。
出版社の審査担当者がなんどか、出版を勧めてくれたのだが
「すでに、設定ミスがあるんですよ。
それも、3箇所。
一つは、この無花果。
季節があってないんですよ」
そして、出版の第2候補にあがったきた、もうひとつの出版社も薦めに薦めてきた。
そのわけが
「来年の大河ドラマは新撰組だと発表されたんですよ」
旬な題材だという。
売れ筋にも時流がある。
いいかえれば、NHKが宣伝効果を上げてくれる。
だが、これも断った。

結局、旬を逃すが得意技になっているようである。


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プリンス・オブ・ウェールズ

紅茶というのは、紅い色をしているから、紅茶なのだと思っていたが、
一説によると、プリンス・オブ・ウェールズは黒茶とも呼ばれるらしい。
が、紅茶とたいして、かわらない色である。
はてな?

どうやら、抽出された色でなく、はっぱ自体の色のようである。
どちらかというと、黒っぽく、ちょっと、くるりと、ねじをまいてる。
味もほうじ茶に近い感がする。

なるほどと、思うとともに
野坂昭如のアメリカひじきを思い出す。
蛍の墓と一緒に収録されていたと思う。

アメリカのひじきだと思って盗んできた?だったかな?
ものが、実は紅茶だったのだが、そんなものがわかるわけもなく、煮ても、苦い汁がでてきて・・アメリカ人は変なものを食う。
と、こういうようなくだりがあるが・・。

どうも、これは、プリンス・オブ・ウェールズではないかと思うのである。

ひじきと間違えてもおかしくない色で
通常の紅茶のよりも、ひじきのように、細長い棒状に見える。

アメリカ軍ご用達はプリンス・オブ・ウェールズだったのか?

野坂昭如のこの物語の紅茶の部分が事実であるとしたら、
何故、ご用達がプリンス・オブ・ウェールズだったのだろうか?
保管に耐える?
とか、単純な理由かもしれないが、何かわけがあるかもしれない。

名前の由来から、丹念に調べていくか?
産地なのか?
なにかしら、縁起の良い名前だとか?

台風にも名前をつけたがり、空爆機にさえ名前をつける。広島に原爆を投下した空爆機はロンサム・レディだっけ?
そんな具合だから、案外名前にこだわったか?

紅茶やコーヒーの名前の多くは地名からだと思うが、紅茶は特に判らない。

ウェールズという地方があるが、単にウェールズ地方で取れる紅茶の貴公子的表現なのだろうか?
オレンジ・ペコというのもあるが、これは、オレンジ・ウィリアム候が愛飲したとか?

もう少し、調べないと判らないことが多いけど、紅茶の名前はなにかしら粋である。


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赤飯&お神酒

もち米には独特の「苦味」がある。

この「苦味」を苦味と表現するのは、いささか、御幣ではあるが、

この「苦味」ゆえに餅やおこわを嫌う人が居るのも事実である。

憂生はプリンが好きだとよくあちこちでかいているが、実はもち米も好きである。

プリンは幼い頃に食した焼きプリンがひどく口にあった。

いい大人になっても好きなのは、どこかで、子供の頃に食べた味を追い求めているせいなのかもしれない。

ところが、餅・・の記憶がない。

あたりまえのように、正月にたべるものだったからかもしれないし、もともと、「あられ」「せんべい」が好きだった。餅からつくるものが好きだったのでなく、餅自体がすきだったのかもしれない。

おこわというと、赤飯というイメージが強いがもち米をむしたものをおこわという。

「こわい」=「かたい」という意味合いだと思う。

小豆をいれたものを、赤飯とよぶが、くりおこわ、山菜おこわ・・などいろいろとある。

いまでこそ、たべるようになったが、赤飯の中の小豆が嫌いで、スイカの種さながらにほじりだして除けたものである。

お神酒というと、もっとも、神泉なものが、三々九度であろうが、これはめったやたらと口にするものではなかろう。

今のところ、もっぱらで、口にするのが、祭りのときのお神酒だな。

が、実のところ、酒とお神酒の違いが判らない。

一説によれば、神棚にささげたものをお神酒と称するというが・・・・?

実際、この物語のお神酒も神棚かあるいは神主にでも祀ったものか?

やぶさかでありながら、考えてみれば、白蛇抄、白峰大神でも、「なおらい」でお神酒を使っている。

書きしるしたものは、本来の「なおらい」の作法であったと思うが、

なおらい、は、「元に戻す」という意味合いがあったと思う。

つまるところ、清めの意味合いであるが、祭りや祝いや三々九度のお神酒の場合はもう少し、意味が付加されると思う。

酒の効能に「芯に届く」というのがある。

端的な例としていえば、炊飯したとき、途中で停電とかして、米がいまいち炊けきれず、芯が残ったものになったときなど、酒をほんの少しいれて、炊飯しなおしたり、むらしてやると、芯まで、水分が入って(熱も入る?)やわらかくなる。と、いうことがある。

つまるところ、「固めの杯」が芯までとどくようにということであるか・・。

物語の中の祝いも「芯まで喜びが届くように」というこういう意味合いであるか?


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カカオフィズ・エンジェルキッス

カカオフィズ・ヴァイオレットフィズ・メロンフィズ・・などこういうフィズものは色が綺麗だ。
ジンフィズの造り方はサークルの中に上げたことがあるが、
カカオフィズは?といわれると・・。
これは、そういうシロップのごときリキュールがある。
これを炭酸で割るんだけど、そこに30~50mlほど、ジンを投入する。
甘さが気になる人には、さらにレモンをすこし絞り込む。

女の子に受けたのが、
カルピスにリキュールを注ぎ込むもの。
カルピスを作っておいてゆっくりとリキュールの原酒をグラスの淵から流し込む。
底に止まったリキュールがアルコールのせいで、カルピスの中にもやを描き、それが、ある意味幻想的でさえある。
紫のバイオレットフィズなど格別。
セクシーナイトキャップとオーバーラップする。

今はアルコール商売とは、縁がきれて、
もっぱら、自宅で飲むばかり。

ソビエトのウオッカが旨くてよく飲んでいたが、今はどこに行っても売ってない。取り寄せまで頼んだのに手に入らなかった。
姉妹品の透明のウォッカは今でもあるんだけど・・。

おかげで、名前も忘れた。Wがついたと思うんだけど・・。

で、ワインにビールに酒に焼酎に泡盛にウィスキーにバーボンにブランデーにラムに・・・。

で、結局、落ち着いてる所では
シーバスリーガル。12年もの。

焼酎は田苑か黒霧島。

あとは、見かけたら何でも試すが
懐具合と相談になるので
有名メーカー全種類のんでるのは、
ビールだけだな。

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紅茶&スコーン&ミルク

スコーンを作ってみたいとおもっているのであるが、これは、どちらかというと、クッキーのパンもどきといっていい品物かもしれない。

ウィキによると、
イギリス風のお茶には、スコーンは欠かせないものである。英国ではジャムやクロテッドクリームを添えたスコーンを食べながら紅茶を飲む習慣をクリームティーと呼ぶ。
と、ある。

憂生も物語に挿入しておきながら
確かそうだなという、思いで書いていただけに過ぎなかったが一応安心した。

スコーンの発祥を考えると、逆にこの物語は16世紀以降ということになってしまう。

このあたりの設定は無論史実を書いているわけではないので
ちょっと、大目に見てもらおう。

そして、どういうわけであるのか?
イギリス人は紅茶。
アメリカ人はコーヒーという
イメージがしっかり定着しているが
この歴史的背景はどこにあるのだろうか?

イギリスなどからアメリカにわたっていった人々も紅茶であったはずである。
それなのに、アメリカ人はコーヒーというイメージになってしまったのはなぜか?

単純な推理しか出来ないな。

開拓地への道のり、雨も降る。
川を渡ることもあろう。
紅茶のはっぱでは、保存が利かない。
コーヒーの豆なら、水に濡れても
もう一度ローストすることが出来る。
こういう単純な理由からコーヒーになっただけに過ぎないのかもしれないが
これを逆に言えば
コーヒーは安住の土地にて優雅に飲める飲料ではない。
西部のあらくれ男の飲み物。

だからこそ、イギリス本土では
紅茶を貴人のステータスとして誇りに思ったのだろう。


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桃の実

今年の夏はほとんど雨が降らず、あつかった。
必要な水分をためなければならない果実は自分の糖度を上げた(ひょっとして、浸透圧の原理で・・・)
おかげで、今年の果実は何を食べても甘く、おいしかった。
中でも、桃が例年より安く手に入った。
桃は傷みやすい。
大きく甘い桃がいっせいに収穫をむかえ、値段も崩れたのだろう。
例年なら倍以上する・・いや、あの大きさだったら、3倍以上?
思い切って大人買いした。

安い桃をかって、あまりおいしくなくて
桃のコンポートをつくったこともあったが、それくらいなら、缶詰のほうがよほど良いと思った年もあった。

桃の葉は皮膚病にきくとかで、利用範囲の広い果樹である。

こんなことから、神仙樹ともよばれるのかもしれない。


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喰らう

人の肉を食らうといわれて、まっさきに思うのは羅生門の鬼とアンデスの聖餐。
ともに、映画でも有名なので、いっそう
記憶深いのかもしれない。

とは、いうものの、人の食い方など・・
レシピや、感慨などかけるわけがない。

ただ、生命のサイクルを考えれば、
今でこそ火葬だが、昔は土に返り・・
自然のエネルギーサイクルに取り込まれていったと考えば、次の次の次の次のと、段階を経ているが人を食らっているとも言えたかもしれない。

が、
こういうサイクルの中で
ほぼ偶然であるが、
「人を食らう」循環に参加するものがある。

狼や熊・ライオン・鮫とか、獰猛な生物もときに飛び入り参加をするが、
これは、あるいは、積極的に人を襲うという初期行動の上に成り立っているので、人間側が避けることが出来る。

どうしても避けられないのが
「すでに死んでしまっている状態」への被捕食。

他にもたくさん、考えられるが
とりわけ、よく名前をきくのが、
「***」「####」とも呼ばれるが・・。

あん?

なんだよ?その「***」「####」って?

う~~ん。
この名前をはっきり書いたら、憂生は営業妨害で、訴えられるんじゃないかな?
って、不安になってきたんだな。

あ?
そんな憂生の一言二言で営業不振になるほど、影響力あると思ってんなよ!!
ってかあああ?

ま、いいや。

見るからに「人を食いそうな顔をしている」その生き物は
水死体を食らうそうである。
そいつらが団子のような塊を作っているので、中?を分けてみたら・・

と、言う話を聴いてから
憂生はそいつを食うのはやめることにした。

こんなことは言い出せばきりがない。
琵琶湖で行方不明になった・・。
そこの水・・どこに使われてる?

てなもんだから、こだわる必要はないんだけど、
やっぱ、間接キッスならぬ、間接食人が距離が短すぎる気がして・・。

そいつからしても、めったに食人などできるわけもなく、間接食人などありえないとわかってるんだけどね・・。

やっぱ、面構えのせいかな?

見た目判断しすぎ?


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パンと水・・・他

物語の中によく使われるのがやはり主食であろう。
状況によって
パンになったり、握り飯になったり
お粥になったりするが、
パンと水さえあればなんとか、生きていける。
命をつなぐという意味を象徴する表現なんだと思う。
他の物語においても、
命をつなぐ・・糧としてのシーンも多いと思う。

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物語の中に織り込まれている「食」

憂生の物語の中に織り込まれている「食」にまつわることを、書き出してみつつある。
小物での比喩や象徴、シャドウは憂生の得意な表現方法だと思っている。

小枝で言えば「紅」
とか、
ブローザウィンドは「リング」かな?
壬生浪・・はやはり「無花果」だが、
それとは、別に、些細な場所で「食」を背景にしている。

食イコール「生きる」
この図式があるから、生きていこうとするものへの黒子の拍手のように、

そこらじゅうにちりばめられていると、我ながら感心する。

まだ、いくつか、すっ飛ばした「食」はあるのだが、
やはり、
「生きる」を『食』に象徴させている憂生が居る気がしてきた。


芋の歴史を紐解けば、この物語の中の恭一の死はあまりにも、皮肉であるといえる。
飢饉に備えるためにサツマイモの栽培が広がっていったわけである。
元はといえば、人々を餓えからすくうためのものであった。
一つには荒地でも育つ。
もう一つは保管しやすい。
さらに言えば、サツマイモの茎も食料になる。
干し芋などにしたら、さらに保存が利く。

いまでこそ、芋はいろんなおやつ、料理に利用され、非常食のイメージは何処にもないがそれでも当初のサツマイモはそんなには、甘くなかったようである。
今から100年ほど前に、突然変異種から、「甘い」芋が確立していったようである。

この甘い芋をさらに甘くしたがるのは、
素材の良さゆえかもしれない。

スイートポテトは無論のこと。
芋けんぴに大学芋・・など家庭で手軽に甘さを足すことが出来るので、たいていの人がこれらのどれかはたべているのではないだろうか?


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鍋(の中)

憂生が友人宅に泊まりいくと、なると、おふくろは『迷惑をかける』と、よくぶつくさ言った。
じゃあ、憂生の友人が泊まりに来たのも、「迷惑なんじゃな!!」
と、言い返した。
これで、ぐうの音もでまいと思ったのに、逆になってしまった。
「うちん家はな、商売やっとるから、3人来ようが10人来ようがなんと言うことはない。だが、普通の家にいったら、一人にひとつしかないおかずだったら、おまえのせいで、おかあさんがおかずへつらなきゃいけなくなる。家族の数しか作らないんだから、迷惑をかけることになる」
お袋の意味合いもわかるが、でも、やっぱ、そうはいかないのが、友人つきあい。
で、泊まりに行った時、友人のおふくろさんは、やっぱり食べなさいといってくれる。
で、言いながら鍋から、よそう準備をしてた。
土鍋とかじゃなくて、普通の鍋・・。
あっ・・て、思った。
鯵かなんかの煮付けだったら・・。
数が無いに決まってる。

・・・。

鍋の中というと、この思い出が浮かんでくる。
さいわい、煮付けはいわしで、数こそ勝負とばかり鍋の中にいっぱい並んでいた。

こんな思い出が下の話につながっているんだと思う。
迷惑をかけたかもしれないが、やっぱり、食えとさしだしてもらえることは、心温まる。

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小松菜

小松菜は別名、ふだん草といったと思う。
土地を選ばず、発芽率もよく、成長も早い。
言い換えれば庶民の暮らしの知恵である。
食うものが無いときに、大根やかぼちゃた芋など、収穫までが長い間待たなければならない作物を育てる余裕は無い。
物語の中で小松菜を扱う裏側にはそれがある。
そして、そんなに食うに困っていないとしても、
小松菜には
何らかの「つつましさ」がある。

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鯉&鮒

この飽食の時代において、物語の中
それも、餓えを敷いた物語中の食物を語るのは、あまりにも、うらはらなきがしている。

鯉・鮒ときかされただけで、まず、どう思うのだろうか?
鯉は鯉のぼりなどもあるし、憂生の自宅の池にも鯉が(訂正・大きいぼらがいるんだよ。略して大ぼら)いるが・・・
どちらかというと金持ちのステータスだよな?
鯉のぼりも大きいものになると、随分の値段だとか・・。

一方鮒は、理科の教科書の解剖図?
魚釣りというくらいのイメージしかないが、
高級品としては鮒寿司とか、あるか・・。

で、一緒に名前挙げざるを得なかったけど、
食としては、鯉だな。

鯉をたべるというと、
中華料理の姿揚げあんかけとか、
鯉こくとかが有名かもしれない。
憂生はもっぱら、
あらい。
あらいでなくても、そのまま刺身でも良い。
わさびやしょうが醤油で食べるのもうまいが、にんにくすりおろし醤油でたべても旨い。
鯉をつったものの泥くさくて、食べれないと聞くが、何日か活かせておいて泥をはかせると良いと聞いた。

そういえば
ぼらが旨かったのまずかったのとよく聞くが憂生もどちらが、どうだったか、わすれたが、
赤目と白目
ぼらには、二種類あるそうな。
で、どっちかが、旨い。

鯵もそうだな。
姫あじとかいって、尻尾が姫(女性)を思わすように桃色化粧をしてる鯵は安いけどおいしくない。おいしくないから安いのか・・。

いろいろと食べ方に工夫がいるようだ・・・。


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重湯と飴湯

以前の仕事で、病人食も作った。
重湯は、米の粒の入らぬように、粥の上澄み?をすくいとり、三分、五分、七分
全粥と上澄みの入れ方をかえていく。

軟飯というのもあった。
これは、ちょっと特殊なつくり方をする。
普通通り米をたいておいて、炊き上がった飯に同量くらいの熱湯をいれて、かき混ぜて蒸らす。

お粥の兄貴みたいな、
ご飯の弟みたいなものが出来上がる。

こういう経験がそのまま、反映された一文であると思う。

飴湯も、幼い頃の思い出がしたにある。
新潟の土産にゆかり?ゆべし?
だったか、お湯にいれて、解かして呑む
飴湯の元のようなものがあった。
5色くらいある、大豆くらいのおおきさの甘い菓子であったが、ゆずなどの香りがあり、おいしかったのを覚えている。

これに、笹飴。
「坊ちゃん」のなかにもでてくる有名?な土産だが、この飴は文字通り、笹の葉にくるまれている。
と、」いうよりも、笹の葉の上に解かした飴を熱いうちに流して、笹の葉を折りたたんでプレスする。
厚みは3mmもあったか、どうかだが、
この笹の香りが良かった。
おまけに風邪をこじらせていたときにたべたので、ゆかり(ゆべし?)とのイメージがダブって、
風邪の時の飴湯。
身体がくたびれているときに暖かく甘いかぐわしいもの。
と、しての固定観念が憂生の中に出来てしまったのだろう。

風邪といえば、定番は卵酒だが、
この物語では、いくら、卵の滋養が高いといえど、
身体を暖めるといえど
酒はきつかろう。

まして、昔。
甘みというものが、庶民の手にやすやすとははいるまい。
なにかしら、保存できる甘み。
常備してあっても不自然でない甘み。
ここぞという時に使える甘み。

これが憂生には「笹飴」しか思いつけなかったのである。


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お弁当

お弁当というのは、人のものが妙に旨そうに見えて、くれくれとねだって、えらい思いをしたことがある。
当時は牡蠣が嫌いだった。
フライが旨そうに見えて、ねだった挙句が牡蠣フライ。
ねだった手前吐き出すわけにも行かず・・。

職場によっては、手弁当で行かなきゃならない時もあって、卵焼きはよく作った。
憂生の卵焼きは塩一つまみ、さとう二つまみ、薄口醤油わずか。濃口醤油(香りつけのため)ちょっと、たらして、焼き上げる。
焼き方には妙なコツがあるようで、さめてもしっとりして、やわらかくおいしい。
別段、だしまきにしているわけでもないのに、我ながら不思議に思った。
おそらく、最初の段階。
卵を流し込んでまとめる時に、中まで火が通らないうちにまきこむから、最初は形がきれいにまとまらず、オムレツつくってんのか?
って、かんじで、もこもこしてる。
2回目以降からは、卵を薄くやきながら、
やっぱり、半熟状態の内から巻き込み始め・・その繰り返しをして、最後に軽く焼き色をつける。

中がまだ、固まってない状態で次々巻きこんで行くので中は半熟状態でできあがり、
あとは、余熱で固まっていく。

これが、やわらかさの秘訣かもしれない。


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ベーコンエッグかオムレツ。ボタージュかコンソメ。サラダ。パン。バターかジャム。コーヒーかジュース

ここしばらく顔をだすビストロでは、チョイスメニューが多い。
値段がいくらかプラスされるものもあるが、
前菜から、4~6種あり、
メインも5種。
デザートは7種。
飲み物も5~6種類。
こうなると、悩む。
おまけに月(季節)が替わると微妙に
品物が変わる。
1000円也のプレートも日替わり。
どうする、どうする。
こうなると、
ベーコンエッグかオムレツ。
ボタージュかコンソメ。
サラダ。
パン。バターかジャム。
コーヒーかジュース。
なんてちょろいもんだ。

ちょっとまえまでは、何が何でもご飯の人だったが
ビストロでおいしいパンに出会って以来他所でもパンを注文することにしている。
なぜなら、ご飯は家でもそれなりに作れ、店でだされるご飯とは、さほどの違いを感じない。
ちょっと、特殊な作り方をしていれば
(サフランライスとか・・・)
考えるが
代わり映えの無い白米なら、パンにする。

やはり、誇り高きシェフは自分でパンを焼く。
店々によって、パンが違う。
同じようにやいてるものであっても、
微妙に旨さが違うのに、
変り種のパンも付いてくる。

形も違う。
大きく焼いてきったものもあれば、プチパンにしている店もあった。

人の顔のようにパンの方が個性が出ていると思った。

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レモンロック

レモンロックは夏の代名詞に思う。
レモンをしぼったものに氷をうかべるだけの飲み物だがどこの喫茶店に入っても高い。
おいてないほうが多いけど。
せいぜい一個をしぼるくらいだから、
量もすくないが、他のどののみものよりすっきりしている。
好みでガムシロップかシュガーをいれてもらうこともあるが、
個人の好みはわかりにくいので、
おいてあるコーヒー用のシュガーを使う。
ストローも付いていないことが多く、
砂糖をいれないでのむこともしばし。

最近は経費節減か?
テーブルにシュガーをおいてないところも多い。
スティックシュガーを添える店も多い。
ミルクも小さな容器に入ったものだったりする。
ミルクピッチャーにたっぷり、ミルク(フレッシュ)を添えてくれると、
コーヒーの時はウィンなーコーヒー張りにたっぷり、うかべたものだが、
レモンロック同様、あまり見かけなくなった。

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朝食・食べて・・生きていかなきゃ

物語の中に多くの「食」が点在している。

「食」が表す物事は「生きる」という一言になるだろう。

神戸にて・・でも、この科白が使われている。

食べて・・生き抜かなきゃ・・。

空に架かる橋でも、食事は重要なシーンになる。

「生かせてやりたい・生きていたい」

この心が「食」に込められている。

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ポタージュVSコンソメ

最近はどういうわけか、どこに行ってもランチコースには、ポタージュがついてくる。
憂生もポタージュのほうが好きだから、
ポタージュをつくる。

作り方を考えると、コンソメスープのほうがはるかにヴァリエーションがあるきがする。

どっちに分類すべきかわからないスープも多い。
ミネストローネなどは、ポタージュでもないがコンソメスープとも言いがたい。
中華スープまで、コンソメかポタージュかに分けるのは無理があるが、これも
ふかひれスープなどどちらともいえない。

憂生が作るコンソメスープの定番は
ベーコンとオニオンとにんじんとわかめのスープ。
仕上げに牛乳を入れる。

だが、日本には味噌汁があるせいか?
だしがあるせいか?
スープというと、どうしても、ポタージュを思ってしまう。

もうひとつ思うのは、
この間も作ったすじ肉を使った肉じゃがであるが、
この汁がスープまっさおのうまさで、あった。

他の素材から染み出てくるスープがあるから、これがいわばコンソメスープと同じ?

そういうのがあって、コンソメより、スープとして独立した形態をもつポタージュに軍配を上げるのかもしれない。


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アール・グレイ

アール・グレイは香りの高い紅茶だ。
人によっては、その香りにむせ返ってしまうかもしれない。
だが、その香りゆえにこだわりが、うまれる。

このアール・グレイの芳香を一番ひきたてるのみ方がアイスティなのだ。

おそらく、何処の喫茶店にいっても、アイスィはアールグレイだろう。

アイスティのたてかたは、難しい。
これもコーヒー同様、理屈で判ったものでないのでこつを説明することはむつかしいのだが、
一番多くある失敗をあげる。

氷にいれたとたん濁る。
渋みがきつい。

この二つである。

アイスティの立て方はいろいろあると思うが、ポット立てが一番紅茶の抽出加減がわかりやすいのだが、いまひとつ、香りに切れが無くなる。

もう一つの方法はグラスに氷をたっぷりいれておいて、茶漉しに紅茶の葉をいれて、少しの湯を注ぎ、蒸らした後に
グラスの上で一気に茶漉しに湯を注ぐという方法である。

これはなれないと、濃さ加減がわからないし、ポットより濁りやすい。
だが、紅茶の香りが高い。
高いをとおりこして、貴い芳香がグラスの中に混ざりこんでいる。

アール・グレイを飲むなら、レモンもミルクも不要であると、ずっとおもいこんでいたある日。
レディ・グレイなるものにでくわした。
昨今はやった妙な紅茶(メロンティとか・・アプリコットティとか)をいろいろ試し始めた頃に出会った。

名前からして女性向きなので、たぶん、あまったるい匂いだぞとさけていた。
だが、あれやこれや、のみおえると、レデイ・グレーばかり残る。
メロンティとて、香りはあまったるいを通り越して安物のメロンガムとか?そんな香りがしていたが、飲んでみると、意外に渋みがあり紅茶とメロンのフュージョンは成功していると思わされたのである。
それがあったので、レデイ・グレーに挑戦してみた。

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ステーキ

親父は東京・銀座のスエヒロ/今もあるのだろうか?/に務めていたことがあったそうだ。支店が地方にあって、憂生の小さいころに厨房にではいりしたことがある。有名人も多くきたから、一緒に勤めていたおふくろが、いろいろ、サインをもらってきた。
この間、貧窮したときにオークションで、そのサインを売った。(例のノーベル物理学賞のひとのは、大事にしている)
しみだらけだったけど、3枚で、10万以上になって、驚いた。
普通に和食の店だったら、ああも有名人がこなかっただろうと思う。
ステーキというものが、いかにステータスであるかわかる。
いつだったかも、大枚30万以上はいってると思える財布を拾ったときも
神戸の社長?かなにかだったのだろう。
金でお礼をしたいみたいに口座をきいてきたので、断ったら、数日後、神戸牛のステーキ肉が届けられた。
あれほど大きくて、あれほど霜降りの上等の肉をたべたのはきっと最初で最後になるだろう。
拾った額の1割というが、額面よりカードや免許証のことを考えたのだろう。
どうしても、お礼に代えたかったようである。
でも、憂生が、財布落としても、額面の1割?
30万以上入ってると思えば、こりゃあ、さぞかしこまってるだろう。
商談だったのかもしれない。
財布なくして、カードも無い。まっさおになったろう。
憂生が財布おとしても、「困るだろう」ほどの額も入ってなければ
1割もらっても、笑い飛ばしたくなるだろう。
そんな、経験がひょっとすると、
「俺の胸の中の陽だまり」の基になっていたのかもしれないな。*****

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蟹談義

MOONさんの記事をよんで・・・。
香箱蟹とあったので、よみにいってきた。
別解釈で子箱蟹ともかいてあったが、
ようは、ずわいがにのめすである。

ズワイガニはとれるところによって、
呼び名が違う。
山陰のほうでは、松葉蟹。
福井のほう・・越前では、越前蟹で、
他にも有るかもしれない。

友人の伝で越前蟹を頼まれたことがあったが、このときに越前の蟹を手配したが、
漁がおわり、もう、北海道のほうからの
ズワイガニしか手に入らないが、良いか?と返された。
そのまま、友人に伝えると、
また頼みだったらしく、依頼主に問い合わせたところ、
「だったら、いらないとのことだ」
と、返ってきた。
そうかと電話を切ったが
待てよ?と思った。

もう一度友人に問い合わせて貰うようにいった。
「越前かにはずわい蟹だとしっているのか?山陰では松葉かにというし、わかってるのだろうか?」
暫くして、連絡が来た。

「手配してくれ」

まあ、地方によって、呼び名が違うものは多々あって、いろいろ戸惑うことがあるものだが、実はこの香箱蟹とか、子箱蟹もわからなかった。

憂生の故郷はその越前蟹がとれる海域を有している。
だから、スーパーに行けば、香箱蟹をおやつかわりにかえた。(すでに、湯がいて売っている。できたてが旨い)
だが、香箱蟹などという優雅な名前では呼ばれていなかった。

せいこがに。あるいは、せこがに
なのである。

一説に元々はせこがにとも言われたという。
せこいとかいうように、細かい、せまっ苦しい。という意味合いで、小さい蟹を称したのか、
勢子(せこ・せいこ)。
小さいのに、沢山の子を抱きかかえている様をいうか?
背子(せこ)
まだ子供のような小さな蟹。卵の背に子が負ぶさってるかのようでもある。
成子(せいこ)
子供のような蟹なのに、大人になっている。子を成す?

漢字から蟹の呼び名をつけるとは、思えないので
せこせこしている/いそいでる様子?/
小さいのにあわてて子供を生もうとするし、小さいから大きな蟹とくらべ、せこせこ、うごきまわる。

身体が小さいので身をたべるには、せこい蟹?

語源はさっぱりであるが、地元では今は勢子蟹という商標が通じているようである。

雄も呼び名があったが覚えてない。
ちなみに雄と雌の見分け方は腹の部分。
雌は子を抱くため腹袋のようであるが、
雄はその部分が細い。
通称、蟹のふんどしをはいてるほうが雄である。


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アイスクリームとコーヒー

コーヒーは一日5,6杯は飲む。
豆からのときもあるし、インスタントも飲む。
インスタンドはブレンディ。
一般的に流通?している某商品はコーヒーというより、何かを(何?)ローストしたものの抽出味というかんじのほうがきつく、憂生は使わない。
初めてコーヒーを飲んだのは、7~8歳のころで、一般にまだ、出回ってないころだったので(たんに田舎だったから?)ドリッパーやコーヒー濾紙などというものがなく、立て方も判らず、ヤカンに水とコーヒーをいれて、にたてて、
布巾でこして、飲んだ。
まともにコーヒーをたてはじめたのは、15のころで家業を手伝うためだったが、このころはネルのドリッパーでたてた。
おふくろが、立てるとコーヒーの粉の表面にきれいに泡がたち、表面もこんもり盛り上がり、湯をそそいでいくと、表面がわれて、つややかな泡が出た。
最後までこの調子でたておわるので、
憂生も挑戦してみたが、なかなか習得できなかった。
お湯の温度か?
注ぐタイミングか?
むらし具合か?
悪戦苦闘しても、できなかったが、
こつを体得したとしか思えない。
いつのまにか、よそ身していようが、
場を離れて他の事をしてから、湯を継ぎ足しても最後まできれいにたてられるようになった。
そのころからサイフォンを使い出した。
サイフォンも旨くたてるには、それなりのコツがあったようで、最初のころは味がまとまらなかった。

当時はアメリカンでガテマラを好んでのんでいたが、今はキリマンジャロが良い。

アイスクリームはあまり、好きでない。
が、いくつか、好みのものはアル。
モーのイチゴ味
あまり市販品はないが、
ラムレーズンがあったら買う。
たいていのアイスクリームは、甘すぎるのでやはり、食べる気になれない。
丹波篠山でたべた黒豆のソフトクリームはおいしかった。
宇治平等院の抹茶ソフトも食べてみたが、やはり甘かった。が、抹茶の香りは良かったので、さすがに本場と思った。

もちろん、アイスクリームも手作りを試行したが、開発途上である。
そんな中で市販のバニラアイスクリームを使用する、簡単なデザートがお気に入りである。
コーヒーゼリーを作って、ミルクの変わりにアイスクリームをのせるだけなのだが、コーヒーのほろ苦さがアイスクリームの甘みを上手に緩和する。

引き立てあう。
と、言う言葉があるが、まさにその見本だと思う。


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ハンバーガー

ハンバーガーというと、マグドナルドのイメージが強い。

だが、このファーストフードというのは、実は実に食いにくい。

かなり、大きな口をあけて食べなきゃ、いけない。

妙齢の美女を誘ってハンバーガーというわけにはいくまい。

美女の方が遠慮するだろう。

と、なると、公園でハンバーガーをぱくつくのは、すくなくとも美女ではないだろう。

むろん、美女というのは、女性全般をさすから、

公園でハンバーガーをぱくつくのは、野郎ということになるのだろうか?

が、この物語の設定の、目の前のうろんな存在を煙たがるという感覚は、むしろ女性特有のものではないだろうか?

男なら、まあ、無茶には遠慮すまい。

美女を連れていたか?

美女単独だったのだろうか?

どうも、ここら辺を考えると、微妙に感覚的設定が矛盾しているが・・・。

まあ、男のめからみても、気分がわるくなるほどの風体だったとも・・。

考えられる。

それはそうかもしれない・・。

とくに、必死に仕事をこなしている職業人が、昼飯の風景の中に

まともに働かない人間が在るのは、食傷気味になるものかもしれない。

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クリームスープ。 チキンステーキとゆでた野菜。

物語から先んじて「食」を含む部分を抜き書きして
感慨をあとからかいていたものですが、
感慨がまにあっていません。w・・・

笑えない・・・・

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くどをてつのう(台所を手伝う)

多く、職人の頂点を極めるものは「男性」が多い。
特に食べ物関連は、女性の進出が少ない。
と、いうのも、女性は、いわゆる、生理があるからだそうである。
この生理によって、体温の上がり下がりが違うらしく
もともと、女性のほうが体温が高いとかで、
すし職人は女性を排除してきていた。
あと、生理による、味覚の変化があるらしい。
同じ仕事を続けていた場合、男性はほとんど、味覚の変化がない。
ところが、女性は急に甘いものがたべたくなったり、
塩味が薄いとかんじたり、油物がいやになったり(あるいは、よくなったり?)
と、舌が狂うらしい。
まして、女性は出産・妊娠などがあり、これによっても、味覚がへんかするし、
出産後に嗜好がかわるということもあるらしく、
同じ味を続けてだしていくということが、むつかしいそうである。
つまるところ、女性は家庭料理というか、
毎度つくりなれてるもの、
食べる側の反応がダイレクトに伝わってくる環境
(極端な話、生理なのか?と、思うような味付けができあがれば、
家族がたとえば、ちょっと、塩味がきついよとか、教えてくれるので
次に作る分は薄くつくるなどの配慮が出来る)
が、ととのっていることがベストなのだと思う。
物語りの中では、生理(障り)を逆手に取って、鼎を救いだし、自らも浄化する作用という
扱い方をしているが、女性の変化が如実に語られているのが
実は食職人の世界なのである。
偏見になるかもしれないが、女性は職人になるより、
家庭料理の達人になるべきだと思う。
男の帰巣本能を絶対つけるものが、実は家庭料理による刷り込みなのである。
逆に家庭でおいしいものを食べれる亭主族は幸せなのだと思う。
ところが、昨今、家庭で料理を手伝い、
門前小僧のように、ならわぬとも料理のこつをみにつける。
と、いうことが少なくなってきている。
ひどい話になってくると、炊飯器の中に米だけいれて、
ご飯を炊こうとしたとか?(え?)
馬鹿チョンの機械任せなぶん、伝えることも少なくなってきているのだろうが、
物語のように、古い時代だと、まさに御飯を炊く、竈の火加減からしらないと
さぞかし、困るだろうと思う。
男性がくどを手伝うなど、いまになってくると、むしろ、当たり前で、
下手をすると、うちの主人の方が料理が旨いのよ、なんて、話もなきにしもあらずであるが、
この時代のおいては、柔軟でかつかなり先駆者としての表現になってくる。

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稲荷のうどん

この白銅の文句?は

まあ、じつのところ、憂生の感慨であるといってもよい。

讃岐うどんの本拠地まで食べにいって、

実演をかねたうどんつくりからはじまり、

実際、自分もうどんをふんずけて、こねるなんてこともやったりしたわけで、

この時に、まあ、なんちゅうめんどうなことだろうとおもったものである。


自宅で作るときは、最近はHBにまかせて、こねてもらうんだけど、

それからでも、けっこう、てまがかかる。


昔は当然、HBはない。

電気もない。

ただただ、人力のみである。


食べる時間をみはからって、こねるという

計算をするのも、

寺の鐘だけが、たよりであったか・・・・。


う~~む。


しかし、うどんの時代考証をとっていなかった。


蕎麦にすべきだったか?

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鰻飯


土用の丑になると、親父は鰻を、炭火で焼いた。
普段は魚屋の白焼きの鰻をしいれて、
一緒に骨ももってこさせて、
骨を天火で焼いて、鰻のたれを作る。
ところが、土用の丑の日は、
炭をいこらせ、
骨もそこでやいて、
新たれを作った。
鰻が取れる地方であったせいか、
小僧寿しなどにいくと、鰻の白焼きのにぎり寿司というメニューがあったものである。
このせいか、今でも手作りの寿司を握る時も
必ず、鰻の蒲焼は購入していた。
薄めにそぎ切りにしておいてから、
たれをかけて、レンジで加熱しておく。
ところが、中国の事件(危ないものが混入)とか、
日本産という商品偽装などにより、
鰻の値段が上がってしまった。
気持ち、中国産はさける・・・し。
小ぶりの鰻も最近は見かけず、
小ぶりなのは、日本物ということか?
新たなる偽装か?
でかい中国産の鰻をかってしまったら、
鰻の寿司だけで終わってしまう・・・。
最近は握りセットなんてのも、売ってるけど
鰻は入ってない。
アナゴで代用という手もなきにしもあらずだが、
やはり、鰻が良い。
で、食いたいと不安と大きさとの、バランスが崩れたら
鰻を買うことにしている。
大きめの場合、次の日は鰻の混ぜご飯にあいなる。

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