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彼女の魂が・・・

私自身に妙な能力があると、気がつきだしたのは、
知人の死を予感したことに始まった。

当初、予知していたことにさえ、気がつかず
今もその結果をみないと予知していたことに気がつかないという能力である。
その最初は、一種、自分の思いにとけこんでしまうもので、
自身、「縁起でもない」と否定してしまったり、「見納めだな」などという言葉には、「死」でなく、この人とは、もう逢うことがないのだろうという、縁のなさだと受け止めていた。

およそ、3ヵ月後に縁起でもない予感が現実になったが、まだ、そのときでさえ「見納めだ」と思ったことさえ思い出していなかった。

2度目も同じで、故郷の知人に会ったときに縁起でもない思いがわいたが、
それも、まさか・・と否定して、思ったことさえ忘れていた。
盆の帰省から数えて3ヵ月後。11月の旅行先で飛び降り自殺だったそうで、
周りの人間からみても、「何故?」というほど発作的なものだったらしい。

そして、3度目になって来たとき、もっと、はっきりと、思いにとけこんで自分が思うというものでなく、
私以外の誰かが脳の中にいて、そいつが私にテレパシーをおくるかのように
言葉(思い)がはいってきた。

休日でもあり、部屋でごろごろねそべり、ゲームなどしてみたり、TVをみてみたりしていたが、これといって何もする事がなくても、人間の体は活動しており、尿意をおぼえる。
トイレで用を足していた時だった。
「この冬をこせるかなあ」
私はあまりにもはっきりと何かの言葉をキャッチしたせいもあり、今までとは違うパターンだったせいもあり、酷く不安になった。
「今度、死ぬのは自分か?」
三度目の正直という言葉もあるから、なお、いっそう、その不安を払拭したかった。

きっと、私が向かった便器の方角に誰かいるんだ。
むろん、家の中には私しかいない。
一人暮らしなのだから、あたりまえである。

きっと、その方角の外に誰かが居て「なにか」がその人をみて
「この冬、こせるかなあ」と、思ったに違いない。
私ではない。それを確かめたかったのだと思う。

玄関に回って、外にでてみると、私のアパートの前の住人であるおじいさんが、むこうから歩んでくるのが見えた。

このおじいさんのことか?
それとも、別の人か?
私はその日私の家に訪れる人間を覚えておこうと思った。
ところが、夕方になってやってきたのが友人であった。
「この冬をこせるかなあ」というほど、よぼけてはいない。

過去、近所の人間や友人の思いをキャッチするという事例もあった。

このことから、
「この冬こせるかなあ」は、おじいさんの思いをキャッチしたのではないかと、考え付いた。
トイレで向いた方向には、アパートの住人の共同花壇があった。
おじいさんは、そこに植えてある樹木かなにかの成長をみて
「(この木は)この冬をこせるかなあ」と、思ったに違いない。
私はそう考えることにした。
私も、友人もおじいさんも死にはしない。
だが、それから、しばらくしておじいさんが入院した。
入院したが、「病院はいやだ」と点滴をはずして帰ってきてしまったそうで、
おばあさんは「それだけ元気なら、好きにしなさいと先生にいわれてた」と笑っていっていたが、おじいさんが再入院になったときに
「癌でもうどうしようもないから、おじいさんの好きにさせてあげてくださいといわれたんだ」と、私に事実を告げ、「なにかあったときは頼みます」と頭をさげた。
そして、忘れもしない。
2月の末、もう春になろうかというまえ、大雪がふった。
おじいさんが冷たくなって家に帰ってきたとき、ほかのアパート住民ふたり
おばあさんと私と遺体を送ってきた添乗員とで、おじいさんを家の中に運び入れた時はうららかな小春日和だった。
少なくとも、
予感した、「この冬越せるかなあ」のこの冬はあたっていなかった。
そう思っていた。
だが、2月末日。
こんな時期に大雪が降るなど普通はない。
「この冬、こせなかったんだ」
私は私にささやいたものが誰であるかわかろうはずもないが、
「なにものか」が、思った「こせるかなあ?」が、疑問形だったことが、
奇妙だと思ったのを今も覚えている。

2

それから、しばらくして私はアパートを引き払った。
気持ちの悪い事件がおきたせいではなく、
中古住宅を購入したからだった。

まだまだ、先のことではあるが、私はいずれ、母親をこちらによばなければと思っていた。

私の父親と私の母親はふたまわり、歳が離れていた夫婦だった。
父が亡くなったら、母は一人になる。
母の先のことを考えさせられる年齢差に私は出物である中古物件を思い切って買うことにした。

アパートを借りるのと、たいそう変わらない金額のローンですむことも購入を決定させた。

ここに移りすんで、まもなく私はデスクトップのパソコンを購入したのだが、
そのパソコンを目当てに祥子が家に出入りするようになった。
祥子は従兄弟の娘で、この場合、なんと言うのだろう。
姪とは呼ばないだろうが、ほぼ、姪といっていいかもしれない。
従兄弟の中でも年齢の高い従兄弟の娘であるせいもあって、
私と祥子は歳の離れた兄弟のようで、姪という感覚を感じなかった。

その祥子がパソコンではじめたのが、小説を書くということだった。
どうやら、これが目当てだったのだと判ると、私は、祥子の好きな時に
私が留守の時でもパソコンを使えるように家の鍵を渡して、出入り自由にさせておいた。

そうこうするうちに、祥子は私に書いた小説の批評をしてくれといいはじめ、
私は、そのとき、彼女の文才をはじめてしった。
当時、高校生だった祥子のかいたものは、とても、15,6の人間の書いたものとは思えない完成されたものだった。

ある日、祥子は私にまた、小説をよんでくれとせがんできた。
それは、祥子の先輩から文章におこしてくれとたのまれたSO2の二次創作作品だった。
そこそこにしあげてあり、10ページ以上はかかれていた。
ワードの1ページは40文字×22行に設定されていたと思う。
だが、もうすこし、練りこみ不足であり、
また、祥子はBLシーンがあるが、「書けない、キショィ」とそのあたりもかいていなかった。
それでは、当の本人の設定がどんなものであるか、見せてくれないかとたずねたところ、祥子がひっぱりだしてきたものは、B4用紙に乱暴に羅列された科白だけだった。
その科白も30会話ほどだったろうか。
私は驚いた。
原作があるものとはいえ、たったこれだけのものから1万文字近くの文章をおこしている。
状況設定をいえば、完璧なものだった。
ただ、心理がうすっぺらく、(好きです。はい、結ばれました。)と、作者(原案者)の願望を満足させるだけのものでしかなかった。
が、原案者の案を忠実に再現した点では、これもまた秀逸であった。
だが、ここまで文章を、いや、科白の羅列を読ませる文章にしあげている祥子はもとより、その作品を、自己満足を昇華させるだけの作品で終わらせず、
小説と呼べるだけの域に持ち込んでやりたくなった。
もっと、引き込ませる、読み手の気持ちを登場人物にならばせていくには、
読み手の疑問を作品の中で解決するしかない。
12歳の少年に19歳の少年が「好きです」だけで、特殊な関係を望むこと。
ここに迷いや悩みはないものだろうか?
この部分を登場人物に解決させてこそ、読む人間に疑問を持たせず、
作品に奥行きができるんじゃないのだろうか?

Hシーンなんかかけないよと困り果ててる祥子といまひとつ浅い設定の作品を見比べていれば、私のでてくる科白は決まってしまう。

「更正、加筆、手直しをしてやろうか」

そして、私は何年ぶりかで文書をかきはじめることになった。

祥子のもちこんだ作品の手直しをしながら、
私の頭のなかに続編が出来上がっていた。

立て続けにSO2を書き始め、未発表作品もふくめると、30作ちかく書いたと思う。
当時、祥子は同人活動なるものをやっており、ブースで作品を販売していた。
そこにSO2を委託して販売してもらったりしていたのだが、一方で、SO2のぬるい設定に不満を感じている自分が居た。
例えば、レオンが元々、いじけた理由。両親にかまわれない。というのが原因といういかにも子供じみた設定だったのであるが、私はどちらかというと、時代物が好きだった。
時代物の中の子供、特に武士の子供は幼い頃から死を覚悟して育てられる。
このことから引き比べても、精神的レベルが幼い設定をカバーしきれず、
どちらかというと、若年齢層むけに書くパターンになる。
一段低いレベルで物をかいていることに嫌気がさしてきた。

そこで、読者を自分に設定した。
自分が納得できる精神的レベルのものをかこう。
そこで、かきはじめたのが、白蛇抄だった。
むつかしい言い回しがでたとしても、このさいかまわない。
私が納得できるか、どうかが、問題だった。

そして、これもまた、驚くほどの勢いで作品をかいた。

文章を再びかきはじめて、半年ちかくで、50作品以上かくという量産状態だった。

そして、その頃に祥子とのリレー小説に着手した。
祥子は1章目の前半で頓挫してしまったが、これが、「ブロー・ザ・ウィンド」だった。

同時に沖田総司と土方歳三の物語にも着手していた。

祥子が持ち帰ったイベントで配られた同人ちらしをみていて、
その中の「土方・沖田が好きです」の一言に目がとまったの自分が土方・沖田を書いていたからだと思う。
その広告の一言に目が留まったコーナーは文通希望コーナーでもあり、住所や名前がでていたこともあり、私は思いきって、手紙をかいてみた。
ほどなく、返信がかえってきて、彼女が祥子と同じ高校生であることがわかったが、祥子の例もあるように、年齢だけでは、判断できないものがあると思い
文通をはじめた。

そこからが、はじまりだった。

4

手紙のやりとりをしはじめ、SO2シリーズを彼女によんでもらった。
高校生によませてよいものかどうか、悩む内容は含まれていたが、
彼女はすんなりとうけとめて、本屋にあったら買いますよ。とまあ、私をうれしがらせてくれたのであるが、
ボーマン・ボーマン・4がきっかけだったかもしれない。
この作品の設定も「亡くなった恋人(未満?)が現実に現れる」という点では、ブロー・ザ・ウィンドににていた。

彼女の中で「現れる」ということがひかかったのかもしれない。

彼女は次の手紙で
自分の手首がリストカットのせいで、力がはいらなくなり
好きな球技もあきらめたし、こんな手だったら、「みんな、引くよね」と
孤独な思いをさらけだしてきてくれた。
だが、リストカットとは?
いったい、何があったのだろう。
彼女はまだ、その原因からたちなおれていないのだろうか?
こんなことを思いながら手紙をよみすすめていくと、
彼女が自らリストカットを行ったわけで無い事がわかってきた。

夜中にトイレにいって、
侍とおじいさんの霊をみた。
この二人はたびたび、姿をあらわしていたものだった。
トイレに座ったまではおぼえているが、
あとは意識がなく、気がついたときはあたり一面血がしたたりおちていて、
どこから、もちだしたか、カッターナイフがころがりおちていた。

と、言うものだった。

手がうごかなくなるほどのリストカットであれば相当の深さまで
刃をいれたと思われる。
死のうと意識した人間でも通常ためらい傷があるし、
痛みをこらえて深く刃をいれるほど、死のうという覚悟があったわけでもない。
ましてや、そこまで覚悟していたのなら、カッターを持ってきた自分を自覚しているだろう。

意識を取り戻した時、「やりそこねた」とおもうか、「死にたくない」と思いなおすか。
であろう。

そして、この手紙がきっかけになったのか、彼女は自分の霊現象について
手紙をかいてくれた。

随分前のことなので、私も時間的記憶が曖昧になっている点があると思う。

その順序の狂いを是正するのは、思い出したということがないとむつかしいので、すこし、創作じみた部分が出てくると思う。

彼女が書き始めたのは、
まず、なにかがいろんなことをいっぺんにささやいてくる。
と、いうことだった。
神社にいけば特にわけのわからないものが耳元でささやき、うるさく、気味が悪い。

そして、おはらいをうけても、それらがちっとも改善しない。

通常の人間がこれを読んだら、彼女の妄想か、精神異常と思うかもしれない。
ところが、私も似たような経験があった。

最初に書いたことは、彼女のように聞こえるというものではないが、
多少、似ているところがある。
だが、それより以前、私も彼女のように、多くの霊がおしよせてくるその恐怖感に狂いそうになった事がある。
だが、彼女と違ったことは、私を助けてくれる人間がいたことだった。
恐怖感におびえ頭を抱え部屋の中で丸くうずくまった私の思いの中に
その人がある法をしくのが伝わってきた。
ー憂生が危ない。急いで準備しなさいー
周りの人間にある「法」をしく準備をさせると私の恐怖感が徐々に薄らぎ
のちに、その「法」である護具を授けられることに成った。

結局のところは「自分が弱い」から、自分で生み出した恐怖心にまけてしまったということと、
自分の思いが汚れているから、汚れたものが寄って来る。
という考えがなりたつのであるが、
いまは、その護具も封印している。
そうでないと、自分の汚れ具合がわからない。
ともいえるし、封印しても、今のところ狂わずにすんでいる。


話がぞれてしまったが、当時の私は、自分でわかることならば、
彼女を救い出したいと思っていた。

また、別の時、私は彼女に歴史や民話や伝承について、たずねた。
その頃、白蛇抄、悪童丸ほか、数編が仕上がっていたと思う。

悪童丸は鬼であり、鬼の伝説は各地に散らばっている。
私はこれを夜盗であったか、流れ着いた外人の様子を鬼と言い表したとも思え、鬼の伝説のある土地の共通点をさがしてもいた。

だが、彼女の地方には、鬼の伝説はなかった。
たんに彼女がしらなかっただけかもしれない。
そのかわりにそのあたり一帯につたわる伝承をおしえてくれた。

藤原一族の興亡にかかわる話で、末裔がにげおち、村人が末裔をかくまった。
と、いうものであった。
末裔は己の目玉をくりぬき、お家再興の願をかけたか、敵将をのろったか、
そこは定かではないが、
盲目の末裔をあわれと思い、村人がかくまったのは無理がない痛々しいすがたであったことは想像がつく。
だが、村人もまた、敵将にみつかれば弁解の余地がない状況でもあったと思う。
村人にかくまわれ、なんとか、暮らしていける場所をえた末裔に
付き従う愛妾がいたそうであるが、この女が大変なことをしでかす。
末裔の目を元にもどしてやりたいと、これもまた神仏?に願をかけたのである。
だが、その願が
「千(百だったかもしれない)の目玉を奉納しますから、末裔に目をいれてやってください」と、いうものだった。
死人から目玉をくりぬいているうちは良かったかもしれない。
だが、そんなに死人が次々でてくるわけもない。
女は女、子供を襲い、目玉をくりぬき奉納しはじめた。
やがて、それが、末裔の愛妾の仕業と知れ渡ることになる。
が、末裔をかくまった弱みもあり、その女を殺せということが
村人にできなかったようである。
このあたりは、仏教思想の因果応報のような考えがあったのかもしれない。
そこで、末裔に女をすんなりとさしださせる大義名分が必要になってきたのかもしれない。
治水の為のいけにえにさしだしてくれないか。
という、名分がたち、末裔は女の行状をかばいきれないものと観念して、
女をさしだした。


という、なんとも、悲惨な伝承が残されているわけで、
彼女がみた侍や老人なども何らか、伝承に関係があるのかもしれない。と、思いつつも
土地の持つ「忌まわしい歴史」の凄惨に少なからず驚かされていた。

SO2を褒めてもらったことに気をよくしたというわけではないが、
私はブロー・ザ・ウィンドを送った。

SO2については、俗に言うしょたものも含み、性表現としては、問題を抱えていると判断していた。
当時、12歳の女の子を車に連れ込み、レイプするという事件があった。
女の子は走っている車から飛び降り、後続車に巻き込まれ死亡した。
そういう馬鹿な人間を駆り立て、煽る可能性がなきにしもあらずではないか?
と、思った。
祥子のブースに委託していたSO2を撤収し、ネットに掲載するのも考えていたが、それも、やめようと思っていた。

だが、彼女の反応に私の不安がとりはらわれたと言ってよい。

性表現のある物語を柔軟にうけとめ、作品として、評価してくれた彼女は、
逆に性表現のない物語、恋愛小説の王道ともいえるパターンの作品をどううけとめるだろうか?
同じ年齢の祥子はSO2については、「キショい」
ブロー・ザ・ウィンドについては、「恋愛物にする気だな?それは書けない」
だったわけで、なおさら、彼女がどういう風にうけとめるか興味があったのだと思う。

ブロー・ザ・ウィンドを送って、しばらくあと、手紙がきた。

その手紙の最初が
「号泣でした」だった。
彼女はレフィスさながら、幼馴染である恋人を亡くしていたのだ。
私が物語を渡したことは悲しみを穿り返してしまったのかもしれない。
彼女の不調がひどくなったように思えた。
いっそう、変なものがよってきて、ささやきかける。
生霊をくっつけて歩いてる人間がわかるといっていたのが、彼女だったか忘れてしまったが、良くない状況になっていたと思う。

彼女が亡くなった恋人を思う事が却って、「死」の世界の住人とコンタクトしてしまう結果になるのではないかとも思えた。

次の手紙には、彼女の悲しみが敷き詰められていた。

もう、痛みがなくなった手首の傷がひどく痛む。
あまりに痛み、夜中にめがさめたら、彼がベッドのうしろに
すわっていて、私がちかずいたら、手首をそっと手でおさえてくれた。
あんなに痛かった傷から、嘘のように痛みがひき
私はぐっすり眠る事が出来た。
今はもう痛くない。
私は、もう彼以外の人間を愛する事は無いだろう。

彼女の手首の傷は後遺症をのこしている。
手に力がはいらない状態を彼女は「みんな、引くよね」と心にも傷がある。
あまりにも特殊な事情があり、彼女はリストカットの本当の理由をはなしていないだろう。
おそらく、恋人のことも・・。

誰にも喋ることができず、喋れば、手首の状態でさえ引かれると思っている彼女なのだから、「怖い」とか「おかしいんじゃないか」という理解のない言葉に晒されることをなによりもおそれたのではないだろうか。

だからこそ、遠い場所の人間と文通をしたかった。
そういうことだったのではないだろうか。

彼女の状況がいろいろ見えてきたある日のことだった。

私のひざの上に彼女の魂があがってきた。

もちろん、私は見える人間ではない。
なんとなく判る人間だ。

だが、予感と同様、そのときにはなんの確証も無い。
こんなことを喋ればきちがい扱いされるのが関の山だし
なによりも当の本人にも証拠だてるものがない。
見えたとしても、それは、幻視だと自分でも思うだろう。
気にかけているからそう思ってしまう。
それだけのことかもしれないとも思う。
だから、誰にも、何もしゃべらずにいた。

だが、それでも、なんとなくではあるが、
彼女がきた。
心のよりどころをもとめているのだろう。
と、彼女の状態が気になっていた。

それから、二日後だったと思う。
祥子がパソコンに小説をうちこみにきていた。
私はといえば、パソコンを占領されてしまったので、
奥の部屋でゲームをしていた。
しばらくのち、ばたばたと音がして、祥子がトイレにはいったようだった。
トイレからでてきた祥子がパソコンを打ち込みにいくかと思ったら
こっちの部屋に入ってきた。
私のパソコンだけでなくゲームも占領するきなのか?
それとも、また、小説の推敲?
学校の話?
なにか考え事の相談か?
なんだろうと思っていると、祥子がぽつりと
「今ね。トイレの窓から青い人魂がみえたんだよね」
と、言う。

祥子はかすかながら見えるタイプのようで、なんどか、きのせいかもしれないがと前置きして「見たようだ」と話してくれた事があったので、
見えたことについて私はおどろきもしなかったし、その青い人魂がだれであるかもわかっていた。
「年齢的には15,16歳くらい。こっちにはいりたいんだけど、入りにくいという感じでこっちを伺う感じだった。悪い感じじゃないけどさびしそうな・・」

私はこれで、その人魂が彼女であることをはなすことにした。
いい年をして、祥子と同じ年齢の女の子と文通していることも
妙な誤解をうけそうで、私は祥子にいっさい彼女の話はしていなかった。
「それは、憂生のペンフレンドの女の子だよ。2,3日前に憂生のところにきてた」
祥子もさすが、見ることがあるだけあって、私の言葉を疑うことは無かった。
だが、ひとつだけ、反論があった。

「だけど、憂生。あの人魂は男の子だよ」

私は確かこう返したと思う。
「魂の性別が肉体と同じだとは限らんよ」
だが、このあとにまた別のことがわかった。
彼女は手紙によると、彼女のDNAが男のものであるとのことだった。
肉体の問題でなく、遺伝子レベルに魂の性別が確定されるのかとおもったものである。

当時の私の仕事は調理関係で、公的機関や老人ホームなどで食事を作っていた。
そのため、出勤の時間が不規則であり、かつ、休日も不定期であった。
祝祭日や土日に休みになることはめったにないかわりに、多いときには月10日の休みがあるという仕事振りの割りに、給料もボーナスも多かった。

調理師免許があるとないとで、採用の有無まで違い、免許手当てのようなものも支給され、このおかげで、中古住宅をかう資金をためる事が出来た。

その日は早めに仕事が終わったか、休日だったか。
学校から、家にかえらず、まっすぐ、祥子が私の家にやってきた。
「車があったから、居ると思っていた」
鞄をなげだし、早速パソコンにかじりつくのかと思っていたら
私の近くに座り込んだ。
「憂生。この間の人魂だと思うんだ。学校にきた」
この時に私はすこし、「やばいのでは?」と思っていた。
「それがね、この前は青かったけど、今度は黄色いの。
おまけに、むこうのほうに先祖みたいなのがいて、そこから少し離れたところに侍がいたんだけど・・そっちは黄色い人魂を護ってるというか、心配していたけど、近寄れないみたいだった」
私はこの話で何故、私のところに現れず、祥子のところにあらわれたのかという不安と疑問をとりおとしてしまっていた。
なぜなら、私は祥子に武士のことも老人のことも、リストカットのことも恋人を亡くしたことも、なにひとつ、喋っていなかったからだった。
喋ったのは青い人魂はペンフレンドの女の子だろう。というそれだけだったのだ。
なぜ、彼女の傍に武士がついてきていたのか。
なぜ、祥子のほうにいったのか?
なぜ、黄色だったのか?
黄色はある種宗教がかった色におもえた。
彼女は私の制止をふりきって、またも神主か祈祷師のところにいったのだろうか?
いろいろな思いがかけめぐってきていたが、
祥子の話はまだ続いていた。

10

祥子が話し出した。
「侍も先祖みたいな一群も黄色い人魂からはなれたところにいたんだけど、
真っ白い着物をきたおじいさんがいて、「近寄るな」という凄い念をおくってきてた。そのおじいさんのせいで、ほかのものも遠巻きにしている感じがした。
黄色い人魂を護っているというより、とられたくないという感じに思えた。
そして、これは私が感じたことだけど、おじいさんと黄色い人魂・・憂生のペンフレンド?これは、前世か何かですごく近しい間柄だったように思う。
その間柄は夫婦とかじゃなくて、親子とか?兄弟とか?恋人とか?
夫が妻によせるような想いじゃないと想う。とるな、近寄るなというのは、
なにか、きちがいじみた執念に感じた」
むろん、白い着物の老人のことも話していない。
老人であることも、きもののことさえも・・。

私は老人の着物についていろいろ尋ねてみた。
祥子は帯の色から着物の柄、白い着物のすそにうきでるような柄のことまで
話はじめた。

私は、この老人の姿が彼女のみた老人と同じ人物であるか確かめるために手紙をかいてみた。

結果、祥子がいうこととぴったりあっていて、特に帯の色、結び方、帯の模様状の点々にみえるところまで符合していた。

だが、しかし、祥子に念をおくって、「近づくな」というのは、
彼女に近づくなという意味合いなのだろうか?
そうだとしたら、祥子が近づく事がいけないのか?
彼女に近づく事がいけないのか?
私はそのあたりを考えていた。

単純に嫉妬心でいうのか?
そうでなく、たとえばであるが、彼女が人を巻き込んで自殺するとか。
こういう類の運命をもっていて、うっかり、彼女にちかよったら、
それにまきこんでしまうから、近寄るなと警告をはっしたのか?

残念ながら、そのおじいさんの霊の思いなどは私にはいっさいキャッチできなかった。

11

だが、祥子に近づいてきた彼女の魂は祥子の傍を離れようとしなかったようだった。

彼女が傍にいるせいで、老人も祥子の近くにいたようだった。

残念ながら、私は見えない。

そして、私はいっさい、彼女も老人もそのほかのものもキャッチできなかった。
だが、では、何故、祥子の傍らに彼女や老人がいるといえるかということになる。

さらに、2,3日あとだったと想う。
祥子がやってきた。
そのころの私の家の床の間には、先に書いた護具がおかれていた。
それが、結界と浄化を司るもので、禍々しいものは、床の間にはいってこれなかった。

この物語の扉にある部屋の写真がそうであり、数多くのオーブが映っているが、これも禍々しいものではない。

その部屋に居た私は斜め前に座り込んだ祥子に手紙の返事を伝えていた。

すると、突然、祥子が
「今、そのペンフレンドの女の子が私の背中にだきついている」といいだした。
その抱きつき方というのは憑依とかそういうものでなく、子供が親の背中にだきつくような抱擁のようなものだった。
それは、もちろん、私にわかることでなく祥子の言葉付きや表情でわかった。
そして、祥子は彼女の外見を言い始めた。
背中に抱きついたものをみえるわけがないのだから、
見えていると言うのとは違うのだろう。
イメージがはいってくる状態だったのだと思う。
「背の高い細い子。髪は短くて、眼鏡をかけてる。
でも、おかしいな・・」
なにがおかしいのか、私は黙って祥子の話を聞いていた。
「右だったかな?左・・だな。手がおんぶする時みたいに前にまわってきたんだけど、力が無い・・だらんとしているというか・・。左手を隠そうとするような・・・」
私は何度も書くが、祥子にリストカットのことや、後遺症で手首に力が入らなくなってしまってることや、彼女がその手のことを「みんな引くよね」と隠したい思いがあることなど一切話していないし、おまけを言えば、彼女の身長や体重・髪型・眼鏡をかけているかどうかなどの外見のことなど一切聞いていなかった。手紙に書いていたのかも知れないが、変な下心で彼女に近寄ったわけではないから、興味が無かった。外見のことなどどうでも良いのは、逆に彼女が外見の手の有様をきにしている時になにか返事をしたかもしれない。

私の知らないところまで話し出した祥子の言葉が事実なのかそれも後日彼女に手紙で確かめたが、やはりぴったりと一致していた。

12

それだけで、終わるかと想っていた私に祥子が尋ねてきた。
「憂生は感じる?」
なにを感じるのか?
祥子は私が見えないタイプであり、どちらかというと、勘で判るタイプであることはよく判っていた。

「隣の部屋におじいさんがいる。こっちにはいってきたいみたいだけど、はいれなくて、こっちを見ている」
私は祥子に老人がこの部屋にはいれない理由をはなした。
つまり、老人は禍々しいものに近いということだろう。
だが、祥子には話さなかったが、この結界は100m四方に及ぶと聞かされていたのだ。
その結界の中にはいってこれたということは、老人は間違いなく、
彼女についてきている。
彼女が結界の中心点である床の間にはいってしまったら、
そこまでははいることができずに部屋の外から見ていることしか出来なかった。と、いうことだろう。

この頃から私は簡単な浄化方法とバリアのはりかたを彼女に教え始めた。
そして、悪い思い方に悪いものが憑いてくるという単純な法則をつたえた。
それは言い換えれば、「自分の思い方のどこがまちがっているのだろう?」と自分を問い直していかなければならなくなる。

で、なければ、憑かれる原因がなくならないのだから。

ところが、知り合ってまもなしの人間のいうことなど、
まともに信じられなかったのかもしれない。
半信半疑でバリアをはってみたところで、
「疑い」という悪い思いにもぶりつくものが現れるという事にもなる。


ちっとも、効果がないと想ったのか、
彼女はどこかの神主のところにかけこんだように想う。
と、いうのが、今度はそれをキャッチできたからだった。
探偵のようにこっちをうかがいみて、探る。
それなりに透視能力のようなものがあるのだろう。
私を何者だろうと読もうとしているのが伝わってきていた。

だから、私は彼女が神主かなにかのところに相談をしにいったと想った。
どうも、私は霊でなく、生きている人間の魂や想いをキャッチするようだとも想った。

神主のところに駆け込むのはけっこうだが、私の事がよめないで、逆に
私のほうが神主をキャッチしてしまうのだったら、はっきり言って、
この神主は役にたたないだろうし、彼女をひっぱりあげることは、むつかしいとも想った。

ところが、また、祥子がたずねてきた。
「憂生・・へんなのが、うろうろしてるんだ。こっちがよく見てみようと思うとさっと姿を隠したり、電信柱の影にかくれたりする」
もちろん、ストーカーとかじゃない。
祥子は「見えない世界」でのことを言う。
私はといえば、やはり、と、想う。
祥子にそれは神主だとつげ、わざわざ、ここまで見に来なきゃ判らないような程度のものだったら、たいした事が無いし、そのうち、こっちの事がわかれば彼女にとって害がないものだとわかるだろうから、ほっておきなさい。
と、つげて、その件は落着した。


そして、次の日、私が彼女と縁をきることなる彼女の手紙がやってきた。

14

その手紙は父親に対する文句がかかれていた。
内容は単純だった。
例えば、学生が化粧するな。髪をそめるな。と、父親が言う。
いちいち、うざい。

いまどきの高校生なのだから、化粧もするし、髪もそめる。
このことをぐずぐず言う父親が悪いだろうか?

父親には何があったか判らないかもしれないが、
リストカットをしでかすような娘なのだから、
「流される弱さ」「染まっていく弱さ」をなにより心配していたのではないかと想う。
ましてや、親に心配をかける行動があったわけだから、
親の気持ちをくんで、
心配をかけまいとしてやるべきじゃないだろうか?
どうしても、化粧したいのなら、それはそれでかまわないが、
心のどこかに
「心配かけてごめん」という思いがあるべきじゃないのだろうか?

私にたいして、判ってもらえるとおもっての愚痴だったのかもしれないが、
あまりにも、自分がしでかしたことからの親の心配をくみとる気持ちに欠けてみえた。

なによりも親の悪口を言える自分かどうか、
あまりにも自己中心的で、自分さえ良ければよい。
と、いう風に思えた。

それが、結果的に自分の思いを通すという
「近寄るな」という老人の霊をよせつけてくる原因だと想った。
彼女に「自分の思い方のどこがまちがっているのか」をきがついてもらうことは、不可能だとも思えた。

自分のことをいっさいふりかえらず、親の悪口を言える。
この行動自体がすでに大事なことを欠損している。

そして、同時にその部分をなおそうとせず、神主に頼る。
神主も馬鹿だから、見た目の事象しか治せない。
悪いものにもぶりつかれる彼女の原因におよびつかない。
あげく、祥子が彼女につきまとわれ、老人につきまとわれ、神主に付きまとわれる。

なんとかしようとしていた私のいうことを信じない。
楽なほうに楽なほうににげる。
祥子よりきびしいところがある私をさけ、祥子に甘え、
おびえるだろう祥子に老人はおどしをかける。


私の底が怒りをおぼえたのかもしれない。

祥子のことを考えるとなにも関係のない祥子にまで余波がいく。

縁をきろうと想った。

甘ちゃんのご機嫌取りをしているほど私も暇じゃない。

こちらの厳しい意見もうけていくのならわかるが
自分の思い通りにものをやっていきたいだけなら、
それを通せるものに相手をしてもらえ。
その結果、相手も自分の思いを通し
「誰もちかよるな」をとおしていくことだろう。

私が感情的にも行動的にも精神的にも
彼女と縁をきったあと、
彼女が私の元にも
祥子のところにも、現れることはなくなった。

15

彼女が現れなくなって、何ヶ月かしたあとだった。
私はふと、
彼女のもとに現れた老人が
彼女の土地に伝わる藤原一族の末裔なのではないかと想った。

そして、彼女は、祥子のいうとおり、老人と近しい人間で
例えば愛妾の生まれ変わりだったか、
あるいは、末裔が愛妾と思いこんだのではないか?

そう考えれば、リストカットの時に、老人が現れたのも納得する。
愛妾を人身御供に差し出せといわれた末裔にとって、
愛妾に死をあたえる権限だけが、愛妾が自分のものだという証だったろう。

そして、
愛妾に近づく人間はすべて、愛妾を人身御供にするために近寄ってきたわけだから、「近寄るな」と・・。

私は自分が彼女に対して縁を切った時の思いをかんがえなおしていた。

こちらの厳しい意見もうけていくのならわかるが
自分の思い通りにものをやっていきたいだけなら、
それを通せるものに相手をしてもらえ。
その結果、相手も自分の思いを通し
「誰もちかよるな」をとおしていくことだろう。

自分の目をくりぬき、自分の思いをとおそうと願をかけ、
その目をなんとかしてやろうという思いをとおすため
生きた人間の目玉をくりぬいた。

思いを通そうとしたその存念が
同じように思いをとおそうとする彼女にふりかかっていったのだろうか?

判ろう筈もないがまたも新作に挑戦しはじめた祥子がパソコンにかじりついていたので、たずねてみた。

祥子にもう一度老人の話を聞いてみた。

思い出したくない話らしく、ぽつぽつ、喋り出した祥子に
「どんな、顔をしていた?」と、たずねた。
たずねられ、記憶を手繰り出した祥子が
「え?」
っと、絶句した。

「顔・・・判らない・・・。着物とか帯の柄まで鮮明だったのに、
あのね・・・、
顔・・・上半分が暗くて・・・
真っ黒で・・・
目の部分が特に暗くて・・・
穴が開いたよう・・・真っ黒・・・」

「それは、目玉が無いような感じだろうか?」

「ああ・・。そう・・・かも。
目玉がなくて、えぐられたような黒い深淵・・・
うん・・そんな・・感じの暗い黒い・・・穴」

*******
真偽・・・いずれにせよ。こういうものを引き込むのは
彼女の弱さ。
自分なんか・・・
こういう風に自分を投げ出したいろんな思い方。
深く暗い穴を持ったのは彼女のほう。
その彼女の思いに同じものが寄り付いてくる。
類は友を呼ぶではないが
上昇する光り輝いた思いに暗いものは怖れを感じよりつきはしない。
何度か日記にかいたが
「自分を虐めるものは人も虐めに来る」
まさしく、その典型と思った。

どの世界に置いても通じる簡単なエネルギーの法則。


ただ、自分の暗い、凹んだ思いが不幸や障害を生み出しているとは
気がつかない。


伽羅と波陀羅にも言わせた。/邪宗の双神にて/


「陽気でないと不幸がよってくる。」

彼の魂が・・

私がのちにはっきりと自分の妙なセンスを自覚することになる
そも初めが彼だった。

春半ば、友人の結婚式に招かれ、
私は岡山にやってきた。

中国地方いったいには私の親戚が何人かいて、そのつてをたどり、
のちに私がこちらにくることになるとは、この時はひとつもおもっていなかった。

旅費を浮かすために、叔父の家に宿泊を頼んだため、
結婚式前日に叔父の家にはいることになった。

さっそく、酒をくみかわすことになり、従兄弟も階下の居間にやってきて、
話はもりあがり、深夜遅くまでのんだ。

次の日の結婚式は新幹線のもうひとつ先の駅に程近いため
昼から披露宴には充分まにあうということもあり、
かなり、飲んだと思う。

ひさしぶりが、拍車をかけ、
翌日はいささか、酒の気が残っていたと思う。

次の日の結婚式には、無事出席でき、新婚旅行に出発する二人を見送ると
私は再び、叔父の家に帰っていった。
次の日の新幹線で故郷にかえることにしていたので、もう一泊したわけだが、
案の定、酒宴がくりひろげられたのはいうまでもない。
次の日、私は別の友人にあいにいこうと思った。
学生時代の友人がこの近くで新居をかまえていた。
恋女房と称する婦人をみてみたいという思いもあったと思う。

新幹線の時間もあり、どう動こうか迷っていると、
従兄弟がいつ帰るのか?駅まで送っていってやるぞ。と、声を掛けてくれた。

そこで、私は友人宅に顔を出したい由をつたえた。
乗車時間をつげると、従兄弟はじゃあ、すぐ、友人宅にいこうと
車をだしてくれ、私は叔父に2泊の礼をのべ、玄関をでた。

スーツなどの荷物も車にいれ、友人宅から駅に直行することにした。

友人宅では、夫人が香りの高い紅茶をいれてくれ、
夫人の手作りクッキーをいただいた。
もちろん、従兄弟も一緒にどうぞの配慮があり
従兄弟もちゃっかり、新婚宅に上がりこんでいた。

そこで、私は従兄弟の優しさをうかがい知ることになる。
「いや、奥さん。この紅茶はおいしい。
こんなに香り高く紅茶をたてたものをのんだのは初めてです。
ありがとうございます」

これは、お世辞ではない。
紅茶はたしかに、その旨味と香りを存分にひきだしていた。

従兄弟は紅茶で歓待する夫人の心づくしを掬いとる言葉をかけたわけだ。
初めてあった人の思いやりへの感謝を素直な言葉で表現する従兄弟の
心配り、心使いの細やかさに今まで知らなかった従兄弟の優しさをしらされた。

ところが、この心くばりは、そもそも、車をだしてやるというところから、はじまっていたわけで、従兄弟の優しさに気がつきだした私がさらに従兄弟の心配りをみせられることになるとはおもってもいなかった。
友人宅をあとにして、プラットホームにたてば、まだ、寒い。
春の風がホームをふきさらし、軽く、身をちじこませる私に
プラットホームまで見送りに来てくれた従兄弟がひょいと
温かい缶コーヒーを渡してくれた。

いつのまに?

一緒に歩いてきて、一緒にプラットホームにたっていたのに、
コーヒーの一本でもご馳走する気くばりのできない私も
随分とぼけているが、従兄弟はななめうしろの販売店を通り過ぎる時に
すでにコーヒーをかっていたのだろう。

ありがたくいただいていると、
新幹線がはいってきて、私はコーヒーもそこそこに
乗車することになる。
コーヒーがまだ残っている。
従兄弟は一緒に車内にのりこむと、私の席をさがし
荷物をたなにあげ、
座ってコーヒーをのめばいいとわらいかけた。

そして、大慌てで、列車からおりると、
また、車内の私のところにもどってきた。

手には一冊の週刊誌があった。
週間新潮とか、あの類のものだった。

「長い時間のってると、退屈だろ?」
いうと、週刊誌を私に手渡し、従兄弟は車内をでていった。

そのときだったと思う。
よくもここまで、心配りが出来る人間だと感心しながら、
ありがたく、一冊の週刊誌を受け取ったそのときだった。

見納めだなあ・・・。

と、私は思った。

そのとき私が思ったことを随分わすれてしまっていたが、
あとで思い出した。

見納め・・?
ああ、もう従兄弟と会うことはないということなんだな。

確かそうだったと思う。

従兄弟は岡山、私は北陸の小さな町に住んでいた。
北陸で私は板前である父親の経営する飲食店で働いていた。

よほどの事がない限り、岡山に行くことはない。
行ったとしても、従兄弟とはすれちがって、
あう事が無いのだろう。

と、いう私の背景をかんがえたのだろうと思う。

もっと、深くかんがえれば、たとえば、叔父が亡くなったとかのとき、
会うはずである。

それが、見納めになるわけが無いわけである。

だが、私は「もうあうことがないのだろう」と
簡単に考えた。
簡単に考えて、そう思ったことさえ忘れていた。

だが、深くかんがえたとしても、
彼の死をくいとめることができたかというと、
それは、不可能だったと思う。
それから、3ヶ月半たった、夏まっさかりの朝だった。

昨夜の宴会が長引き、後の始末をおえたのが、
深夜をこえていた。

酔客を各自宅まで送り、一風呂あびて、やっと布団にはいったのが、
2時をこしていただろうか。

目覚めると、7時。昼の仕事にまだ猶予があると、
私はもう一度、目をとじることにした。

うとうと、二度寝を楽しんでいた。
浅い眠りの中の深い窪みにおちこみ、
私は夢をみた。

誰かが私に話しかけていた。

「結婚して子供ができたら、子供の名前は鮎美にしろよ。
この名前はいいぞ。」

目覚めて私は考え込んでいた。

子供の名前は鮎美にしろというのは、親戚間では有名な
従兄弟の科白だった。

他の従兄弟にも同じ科白をいったそうで、
「私もいわれた」
と、いう話があり、従兄弟の姉がとうとう、屈したか
生まれた娘にいまは、もう授けられた名前であった。

私はまずそのことを思った。

夢に出てきたのは従兄弟だろう。
だが、その名前はもうすでに従兄弟の姪に授けられている。
いまさら、その名前をつけろと夢にでてくるのはおかしな話だと。

では、夢の中で「鮎美にしろ」といったのは従兄弟ではない?
いや、むしろ、従兄弟がいってることだと証明しているような科白でしかない。
なぜ、そんな夢をみたのだろう。

まだ半分ねぼけ頭で私は時計をみた。

8時15分。

こ1時間ほど二度寝をしていたということになる。

まだ、頭の中がまとまらず、うすらぼんやりと
夢を考えていた。いや、思っていたという程度だったと思う。

まずは、コーヒーでものんでと、コーヒーをたて、
飲み始めた。
昼食にむけての、仕込みのために厨房にたつ父親の指図を聞きながら、
私もあれこれ、具材の下処理をしていた。

海老フライの海老の背筋とり、尾の三角部分をとり、尾の部分を包丁の刃でこそぎ、中の汁をだす。こうすると、尾の色がさえる。
身を揚げたときにそりかえらないために身に筋目をいれる。
蟹の酢の物の酢を配分し調合しておく。添え物のキャベツをきる。酢の物のきゅうりを蛇腹にきって、塩水につけておく。などなど、下処理と下準備はかなりの量がある。

あわただしく準備に取り掛かかり、時間ももう、9時を回っていた。

早い客は座敷にはいって、談笑にふける。
お茶をいれて、もっていかなければならないし、
お絞りも自分で巻いてサーモスタットの蒸し器にいれて準備しておく。

客が蟹を食べる時などにもお絞りがいるので、
頭数の3倍以上用意しておく。

こんな風に次から次へと用事をこなしていけば、時間などすぐたってしまう。
自分の朝食がまだだったことを思いだし、テーブル席で簡単な食事をしていた。今を逃すと、宴会がひと段落するまで、食事にありつけないのだ。

そこに電話がはいった。

岡山の親戚からだった。

-従兄弟が死んだ。-
その電話の内容を嘘のように聞いた。
事故死だった。
出勤途中、トラックに突っ込まれ即死だったという。
従兄弟の時計は8時7分をさして、止まっていたという。

とにかく、きてくれないかという親戚に応諾ができなかった。
店はすでにここ1週間の予約客をひかえ、にっちもさっちも身動きがとれない状態だった。

生活と信用がかかっている。

もうしわけないが、血筋である母親にいってもらうことにして、
あの新幹線で週刊誌を渡されたそのときが
本当に見納めになってしまったことを知らされた。

商売は死に病ともいう。
親の死に目にだって、あえない覚悟でやっていかなければならないことは、
重々承知だった。
たとえ、行く事が出来たとしても、もう、亡くなってしまった従兄弟に
あうことは辛いことでもあった。
あの時、気がついていれば・・・。
この悔いをまのあたりにつきつけられる無残に私自身が
参ってしまうことになっただろう。

だが、その時でさえ、まだ、私は、「見納めだ」という予感・・でなく。予知になってしまったが・・。
自分の腑におちていなかった。
それでも、仕事をこなしていたが、
私の頭のなかで、
従兄弟の時計が8時7分でとまっていたことを考えていた。

私が見た夢は従兄弟にまちがいないだろう。

目が覚めたのは8時15分。

従兄弟が事故に巻き込まれた時刻とほぼ一致する。

私こそが従兄弟のところにいくべきだったのだろうか?

仕度をはじめた母にかわり、私の仕事はもっとふえていた。

おそらく、来れない私だからこそ、従兄弟の方がさよならを言いに来たのだ。

そう考え、私は仕事を選んだ。

そして、それから、半年後、父の体調がくずれ、
店を縮小して、ほそぼそと商いをこなすことになってしまった私に
別の従兄弟から仕事の話が舞い込んできた。

店は借り物であり、いずれ、返すときが来る。
これが、今であり、私は先行きを考え
従兄弟の話をうけた。
体調をくずした父親をほうりすてるようでもうしわけなかったが、
ぽつぽつと借金がかさみだした借り物の店を盛り立て返し、がんばっていけるほど、まだ、私の調理の腕はなかった

修行をかねるうえ、仕事をこなせるようになれれば、法外な給与。
店をたたんでも、借金をかえしていけるし、父母の先行きも安心できるだろう。
安気にくらせるほどになるには、まだ、まだ、修行しなければならないが、
5年のちには、なんとかなる。
いや、なんとかする。

こう思って、単身、岡山に渡った。

そして、従兄弟の死からかぞえて、
わずか、7ヵ月後、私は予想だにしなかった、
岡山の土地にすむことになった。

叔父も物寂しさがあったのだろう、私が近くにくることに喜び
支度金にでもと、かなりの金を渡してくれていた。

そこで、まず最初に、やっとというべきかも知れない。
叔父の家を尋ね、従兄弟の仏壇に線香をあげることができた。

ところが・・。

私が仏壇に手をあわせると
私の頭の中に声のような思いが響く。
「ちっ、うるせえなあ。また、きやがっ・・」
瞬間、私は息をのむ。
仏間には他にだれもいない。
いたとしても、今の声のような思いは私の頭の中でひびいた。

私はそれが、すぐさま従兄弟の思いだときがついた。
気がついたと同時に
静かに眠っているところを邪魔してしまったのかとおもった。
私にむけられた思いだと一瞬思った。
だが、その思いは途中でとまった。
私だと気がついた従兄弟が言葉をとめた。
そんな感じがした。

私は線香をあげおわり、仏間を出た。
妙にしっくりこない従兄弟の言葉が頭に浮かぶ。
あの優しかった従兄弟が、「うるせえ」と感情をなみだてている。
なぜだろう?
そして、私だと判ったらすっと思いをひっこめたということは、
すくなくとも、「うるせえ」の相手は、私じゃない。

誰にたいして、うっとおしがっているんだろう?

私の心の中で従兄弟の思いが疑問符になって滞っていった。 それから、しばらくは別の従兄弟の所に同居し、
手ごろなアパートをさがした。

たいした荷物もなく、最低限のものだけしかなかった。
アパートに暮らし始めてから実家からすこしずつ荷物を送ってもらった。
自分が使っていたTVを送ってもらい、安いガス台を求め、
最初は鍋ひとつ、フライパンひとつ。
叔父や従兄弟が布団や茶碗や古い冷蔵庫をくれた。
住民票を移しおえると、
仕事がはじまり、私の本当の生活が始まった。

確か、仕事について、初めての休みだった。
狭い4畳半一間の居間と台所。二階に二部屋。
その4畳半で身体をのばし小さな画面のTVをみているうちに
私は転寝をしていた。
そして、また、夢をみた。

大きな体の男が部屋の隅に対面するように寝転がった夢だった。
やけに生々しく、その体つきが死んだ従兄弟を思わせた。

仏壇で、やかましいといったくらいだから、
弔問客や家族の涙がわずらわしかったか?
私のところは、静かすぎるくらい人がこない。
のんびりできるとここで昼寝をきめこむのだろうと
私はあまり、頓着していなかった。

その頃に別の従兄弟が彼女の魂が・・でかいた、私を救ってくれた人に
ひきあわせてくれた。

不思議な人で、此方の思っていることをずばりとみぬいた。
私も多少、そういうところを持っていたが
私のものは第六感にすぎなかった。

そして、次の休みの時にも、従兄弟は転寝の私の夢に現れた。
だが、今度ははっきりと、思いを告げてきた。
と、いっても夢なのだが、従兄弟が死んだ日のことを思っても
それは、普通の夢とはちがうものだろう。

「ここは、いいなあ。のんびりできるよ」
私は別の従兄弟から不思議な人のことをいろいろ、この部屋できかされていた。
そのことも含めて死んだ従兄弟はいうのだろう。
「それに良い話をきかせてもらえる」

私はこれらのことを不思議な人にたずねてみようと思った。

最初に従兄弟がみせた「うるさい」という思いは誰にむけたものなのか?
なぜ、私のところに従兄弟が現れるのか?

私が不思議な人に話をはじめると、
まず、日中に寝てはいけませんよ。と、教えられた。

これは今になるとわからないでもない。
心霊体験などを読むと、一部の人は幽霊に取り付かれると
眠くなる。と、書かれている。
本人の意識がしっかり覚醒していると、幽霊がはいりこみにくいのだろう。

元々、眠る時間でない時に非覚醒になるのはよろしくないのだろうと思う。

そして、次に言われた事が
「この方は自分が亡くなったことにきがついていません。
そして、おとうさんをきらっています。
この方に本当の親子というものがどういうものであるか、
みせてあげることができたら、この方はきがつくのですよ。
どなたか、おとうさんのおっしゃること、難題であっても「はい」とうけて
教えて上げられる方はいませんかね」

この言葉で私のなぞが全部解けた。
死んだ従兄弟は自分の思いをキャッチできるものに
いつもどおりしゃべりかけていたにすぎないのだろう。

そして、「うるせえ」は従兄弟の父親にむけたものだったに相違ない。
この思いが、彼が死んだことを自覚できないようにしていたともいえる。
死んでも思いはついてまわるという。
「うるせえ、いやだ」という思いが彼についてまわり、
彼はその思いだけにとらわれ、
そんな風に思っている自分がまさか死んでいるとは自覚できない。
なにかあれば、か~~として、「うるせえ」と思いがすべてそっちにむいてしまうから、なおさらだろう。
どういう仕組みになっているかわからないが
本当の親子の姿をみて、自分を省みた時
自分がしんでいることをみわたせる余裕ができるのかもしれない。

別の従兄弟が
その役をかってでてくれて、叔父の下で働き始めた。
がんこで、いちがいなところがあり、こうるさいをとおりこして
うるさい人であるのは事実だった。
その叔父の言い分、言い方に逆らわず、「はい」とうけとめて、
ーおとうさんの思うとおりやってください。私も添っていきますー
は、かなりの辛抱を強いられたものだと思う。

だが、半年近くたって、
仏壇のまえにすわることがあったが、もう、なにもきこえてこなかった。
あれから、うっかり、転寝をしても、従兄弟が私の夢に現れることもなくなった。

境界異常




境界認識障害、と、言うべきだろうか?

よく、知られているのが、認知病といわれる、わりと、高齢の方にみられる

一昔前でいわれた「ぼけ」のような症状ではないかと思う。

さっき、ご飯をたべさせたばかりなのに

ーうちの嫁は飯をくわせてくれないーと、近所にいいふらしにいったり

とんでもない遠くの実家に、それも、もうすでに亡くなっているご両親にあいにいくと

はだしで飛び出してしまい迷子?迷婆・迷爺になってしまったり

貴方と私。親と子、などが、わからなくなって、

息子の顔をみると「おとうさん」と呼びかける。とか・・・。

認識していた物事の壁・境界がなくなってしまう状態が

境界認識異常(障害)という事なのだと思う。

 

それは、ブロー・ザ・ウィンドをカフェ(コミュ二ティ)に上げたころだったと思う。

この物語もすでに、いくつか、深いかかわり話があるのだけど、

そのあたりと、ほぼ、同時進行だったと思う。

彼女は突然、やってきて

カフェのチャットに書き付けてきた。

ブロー・ザ・ウィンドを、よんだのだろうか・・。

不思議な話をよんだのだろうか?

ーおまえも、死んだ人間としゃべれるのか?-

と。

残念ながら、憂生は死んだ人間としゃべれる人ではない。

だが、

おまえも、の「も」がある以上、

彼女は死んだ人間としゃべれるのだろう・・。




その書き込みになんと、答えたか

いまでは、おぼえていない。

だが、彼女のほうは、しゃべった相手、つまり、亡くなった人のことに触れだした。

ー彼氏の墓の前に座ると、話しかけてくるー

そのときに聞いた話だったか、どうか、それも定かでないが

ー一緒に車に乗っていた彼氏が死んで、自分は助かった。最近、退院したー

そんな内容だったと思う。

なぜか、判らないが、憂生(うい)は

そのとき、彼女が話している彼氏の幽霊らしきものは

彼氏の幽霊ではないと思った。

それは、彼女がうみだした幻覚のようなものではないかと思えた。

なにか、彼女は自分が生き残ったことに呵責をおぼえてるように感じた。

彼氏の幽霊ではない。

と、思えることが、後に出てくることになる。

その会話がきっかけで、メールをかわすことになるのだが、

彼女の思いを言うのなら、さびしくて、心もとなくて、仕方がなかったのだろうと思う。

だが、彼女がメールで要求してきたことは、

ー憂生の毎日の食事の内容をつたえてくれー

と、いうことだった。

さいわいといっていいか、朝はたべない人だったので、

2食だけでいいことになり、

憂生は毎日、食ったものを伝えた。

通常に考えれば、あるいは、異常な行動になるかもしれない彼女の要求に答えたのも

憂生の考え方があったせいかもしれない。

彼女の要求はなにかしらの代償行為であり、

本人もなにの代償行為なのか、判っていない。

その代償行為に満足したら、

あるいは、飽きたら

本当にほしいことがはっきりするだろう。

なにかしらの「飢え」が満たされるまで、代償行為は続くだろう。

それが、1年、2年かっかてもかまわないくらいの腹積もりではいた。

そして、その代償行為の裏側にあるのは、

彼氏の死亡であり、

どうがんばっても「癒えない」ものかもしれないとも思えた。

だからこそ、

憂生では代償行為でしかないのと同じように

彼氏の幽霊も彼女の代償行為が生み出した幻覚に思えた。

ブロー・ザ・ウィンドの中にもあるように

死んだ人間を思って、生きてる自分までも、ゾンビにしてるという言い方に似ていると思うが

彼氏が死んだことを認めなきゃいけないだろうし

彼女もまた、現実世界で愛し愛される人にめぐり合う幸せがあるということに手をのばしても

かまわないんだということに、気がついてほしかった。





そうこうするうちに、

彼女は自分の生活についても、話をしてくれるようになってきた。

泳ぎにいくんだ。ビキニはちょっと、恥ずかしい。

とか・・・。

そして、そのころに憂生はふと、漏らした。

ー彼氏、つくらんのか?

もう、自分の人生、あゆんでもいいんじゃないか?-

その言葉をかけた後

彼女は彼氏の墓にでむいたそうだ。

すると、

ー憂生。彼氏がもう、おまえはここにきてはいけない

だれか良い人見つけろ・・って、

お前の人生なんだってー

このときに、憂生はもっとはっきり気がつくべきだったと思う。

だが、そのときにきがついたのは、

やはり、彼氏の幽霊は彼女の呵責からくる幻覚のようなものだということだけだった。

ひとり、いきのびたという呵責が幻影の彼氏を作らせた。

そして、新しい恋にてをのばす呵責をほどくため

彼氏はーもう来るな・自分の人生を歩めーという。

本当の幽霊なら、はじめから、そういうんじゃないか?

彼女の思いにあわせて、ころころ、かわるもんだろうか?

実際のところは、憂生にもわからない。

ただ、

いずれにせよ、なにかしらの依存がきれたのは間違いないと思えた。

 

そして、また、憂生の良く言えば、

懐の深さというか

単純馬鹿というか、

そこが、大きな失敗をうむことになってしまった。

 

しばらくして、彼女に恋人ができた。

何ヶ月かつづいたあと、

彼女はこっぴどくふられたと、

憂生にはなしてくれた。

 

相手の男とどんな風につきあったか

どんな会話を交わしたかは知らない。

ただ、

彼女になげつけられた言葉がすべてを物語ってる気がした

ーおまえ、きもいんだよ!!-

そう、いわれたそうだ。

 

それは、たとえば、死んだ彼氏のことをはなしたせいか?

あるいは、憂生にたいしてとったような、毎日の食事をつたえろとか?

憂生はさきに書いたように、

ある意味、本人の精神部分を考える。

フェチのような、食事をつたえろにたいしても

そこを重要視しているから、

異常な行動というふうにはとらない。

とらないのは、懐が深いといういい方もできるかもしれないが、

一方で、他の人間(この場合彼女がであった男性)まで、

憂生のように考えるとは限らないという事がわかっていない。

単純馬鹿でしかなく

通常の場合、

そういう食事を伝えよなどという行動を起こしたり、

死んだ彼氏と話すなど聞かされたら

困惑するか、

俺を見てくれるんじゃなくて、俺は彼氏の代わりかよ?

と、嫌な思いをもつだけだろう。

それも、良いほうに考えてであって、

悪くすれば、気味が悪い、と、とられるという

そういうたがが、憂生から外れていたと思う。

無論、それは、憂生が彼女に対し、恋愛感情のひとかけらもなかったせいもある。

あれば、重要なネックとして、気がつく自分がいて

彼女に忠告できていただろう。

そして、彼女にすれば、すんなり、受け入れてくれる存在があったぶんだけ

それを話してもー通じるーと思わせて所もあると思う。

 

そして、おそらく、

彼女にとってー自分を認めてくれる存在ーとして憂生が心の中にはびこったのではないかと思う。






憂生の存在が彼女の心にはびこったというのも、

わけがある。

いつのころからだろう。

憂生のところにやってくる人間が、

憂生さん、ふたつ、カフェやってるの?

と、たずねだした。

妙なことを言うなと思ってると

原因は彼女だった。

憂生のよく言う台詞を彼女が言う。

もうちょっと、違う言い方だけど。

「男だの女だのこだわって、物いうな」

「憂生は性別年齢不詳、性別必要か?年齢必要か?」

まあ、度重なるアプローチに懲りた憂生の台詞だ。

恋愛やら、出会いの場所的に考えて

ーこの人はどんな人間だろうーと、いう

人をみない状態に辟易していた。

そういう台詞を彼女が使う。

そして、彼女のページにいくと

ー**君って、憂生なの?

とっても良く似てるけどー

などと似たようなコメントが羅列している。

あまり、良く知らない人は憂生と彼女をかなり混同していたが

そんなことは、どうでも良い。

**君?

それが、彼女のことなのか?

 

憂生に傾倒したのか?

それが、言葉使いとか

憂生の真似のようなことになってしまったのか?

それにしても、

「男」になってしまうとはいかなることだろう?

彼女のまわりには、いっぱいフアンがいて

調子が悪いと、いう彼女に

いっぱいエールをおくっていた。

**君、無理しないで、待ってるから、体やすめて

彼女は男性からえられなかった「優しさ」を

男になることで

女性たちから、「優しさ」を得ることで、傷をうめたか?

 

いや、むしろ、

憂生には、

依存しなくなったはずの死んだ彼氏を

今度は逆に彼女が男になることで

彼氏のこの先を追従するようにも

彼女と亡くなった彼氏が混合するようにも、見え

ひどく、不安をおぼえた。

そして、居心地を良くするだろう、女たちの優しいエール。

彼女は

「男」でいることに安らぎをおぼえ

彼女にもどれなくなる。

いや、

戻らなくなるのではないか?

それは、結局、新しい依存でしかなく

そんなことを続けていたら、

彼女は自分をなくし

自分がつくりあげた「男」になってしまうんじゃないか?

 

こんなことなら、

墓の前でしゃべってたほうが良かったのかもしれない。

 

実際、また、別の話になるが、ネット依存というか、

ネットの中につくりあげた偶像に依存して

社会的に破綻したままになっている人をしっていたせいもある。






彼女は、いくつか、作品をつくっていた。

詩だったり短編だったり・・・。

彼女の別のブログにあげている作品を読んできて思った。

すべて、男目線になっている。

それも、憂生とそっくりだといわれ始めたころ?

「男」になり始めたころから?

ますます、憂生は不安になった。

辛い恋やら、

こっぴどくあびせかけられた言葉やら

こんなのが、

ー女ーであることを否定させはじめ

ー男ーになることで

存在場所をみつけようとしている?

このままじゃ、

「女」の心さえ、否定し、なくしさってしまう。

なにげないふりをよそおって

憂生は彼女に批評を与えた。

そして、提案した

ー物書きの幅をひろげるためにも、

今度は女目線でかいてみたら、どうだ?-

もうすでに、危機とかんじていたのかもしれない。

今のうちに、

「女」である彼女にもどらさないといけないんじゃないか?

そのためには、

彼女の中の女心・女と対峙できる

女目線の小説が、彼女に「女性性」をよみがえらせてくれないだろうか?

やってみる、と、彼女は答え

幾日たったろうか?

やってきた彼女のチャットには

ー女目線でかけない。どう書いていいか、わからないー

と、うちこまれた。

どう答えたか、覚えていない。

当時、憂生は何人かの気になる状態の人がいて、

いずれも、書くとおもうけど、

同時多発的な気がかりに、あちこち飛び歩いていた。

いいわけにすぎないが、

そういう状態もてつだって、彼女のことをまだまだ、大丈夫だと思っていたとおもう。

だから、

たぶん、

ほんのささいなことでも、いいから、

別に女と限定せず、「母」とか「女友達」とかいう目線でもいいんじゃないか?

と、答え、

彼女の報告を待つことにしたとおもう。

そして、どれだけたったかも覚えていない。

彼女が現れた。

そして、告げられた。

「自分でもおかしいと思って病院にいってたんだ。

そしたら、

昨日、医者につげられた。

境界認識障害だって。

男のふりをしているのも、わざとじゃなくて、

その病気のせいだって・・・。

そうなっちゃうんだって。

それって、つまり、自分がなくなってしまうということで

いずれ、自分が誰かもわからなくなるだろう・・って」

作品の管理をたのむというと、彼女はそれっきりあらわれなくなった。

それから、10年ちかくたつか・・。

かわらず、彼女のブログはのこっているけど、

彼女がそこにはいった形跡はない。


妄想列車



自分でも、どこから、話していけばいいか、わからない。

まず、一番、最初におきたこと。

カフェにのさばりだし、好き勝手をほざいていた、そも最初のころだだった。

あるとき、ひとりの女性が憂生にちかずいてきた。

そして、

話が後先になるかもしれない。

現状の結婚生活に不満をもっている。

だんなにときめかない。

など、愚痴というか、悩みというか

そんな、ことごとを話してくれた。

憂生の持論に

夫婦は一生、添い遂げるべきだ。

と、いうのがある。

それは、ひとつに、師からの影響もあった。

あるとき、

師は

ー親と伴侶、ふたりがおぼれていて

一人しか、助けられない。

どっちを助けるか?-

と、いう質問をなげかけてきた。

厳密には、答えというものはないし

それは、師の考え方の表明だったのだと思う。

ー伴侶を助けろー

と、いうのが、師の答えだった。

簡単にいうと、

親子という絆はたとえ、親が死んでも残る。

因縁という言い方に変えてもいいかもしれない。

ところが、

伴侶という絆は、伴侶が死んだら消える。

異論はあると思うが、

ようは、大事にしないと伴侶という絆はなくなってしまうものであり

極端すぎるかもしれないが

大事にしなくても、親子という絆は切れないものだということになる。

だからこそ、壊れてしまいやすい、赤の他人である伴侶との絆をえらべ。

と、いうことで、

憂生なりに、その考え方に納得した。

納得したから、

あっさり別れるなどというのでなく、

どうにか、溝をうめたり、相手を判るように努力したり

逆に自分のこともわかってもらうように努力していくのが、ベストで

しんどいから、別れる。

ときめかないから、別れる。

など、論外であった。

ただ、いろいろと、修復作業を行い

それでも、だめだというのなら、それはそれでよい。とも、考えていた。





そんな彼女に対し、

憂生はだんなとの修復、歩み寄りを努力するべきだと考えた。

たしか、そのことも、告げた。と、思う。

ところが、

あろうことか、

彼女は憂生に恋をした。と、いいだす。

本人の記事にかいてあることなのだが、

これには、まいった。

劇やせになるほど、思いつめているのに

人の心をもてあそぶジゴロだと・・までいう。

内情をしらない人間が

彼女の日記をよみ、

短いチャットであるが、チャットがオープンの場所であるため

憂生と彼女が会話をかわすと、一挙に足跡が訪問者数が500とか700とかに

跳ね上がる。

よくがんばってる人でも、一日3000人くらいのところに

ほんの5分程度で500人というのは、

異常な状態だった。

この衆目の監視の中

彼女のほうが、亭主がいて、子供さえいるのに、憂生に熱をあげ

憂生は憂生で、だんなとの修復を呼びかけているのに

はてには、ジゴロ扱いになるわけで・・・

だが、この事実をはっきり、記事にかいたら

彼女はただのあ~ぱ~~女として扱われるし

彼女ももう憂生にちかずいてこなくなるだろう。

憂生が考えていた修復の提案もできなくなるし

このままでは、ろくなことにならない。

第一、そんなきっかけで、誰かとやりなおしたとして

ーまた、ときめかなくなったらー同じことの繰り返しじゃないか?

そのときに、子供の元にかえれるだろうか?

子供もそんな母親をうけいれるだろうか?

先にやってくると思われる後悔が見えてるようで

どうにか、だんなとの間を修復してほしかった。

それでも、だめなら、仕方がないとしても

やるだけやったというのと

やらずに逃げたというのでは違おうとおもったし

第一、憂生自身をかんがえたら、

ときめかなくなったから、別れる。

修復を試みようともしない。

ちゃんと働いて、生活できるだけの金をわたし

必死に彼女と子供をまもっていこうとしていたのに

そこもかんがえてくれず・・・。

はっきり、言う。

そんな女、頼まれても断る。

そこが、彼女にはわかっていない。

自分の価値を安くしてしまうだけの考えにふられて

自分だけの満足を求める。

こんな生き方が本当に幸せだろうか?

そこを話さないといけないと思いつつ、

多くの監視者の前で

そういう事をさらすわけにいかず、

憂生は逆に彼女の言葉通り、悪者でなく

ジゴロのふりを装った。

そうすれば、彼女は被害者になり

たとえ、憂生にふられても?かわいそうに

であり

ジゴロの口のうまさにのせられてしまっただけなのだろうと

彼女の内実にふれさせずにすむ。

そう考えた。






あいもかわらず、衆目の好奇心による訪問がくりかえされる中

彼女とチャットではなしをしていたが

これも、彼女がくると、訪問者数がはねあがる。

そして、たぶん、憂生のページを開いて

更新釦をおしながら、二人の会話を読み取ろうとしていたのだろう。

そんな中、また、べつのときに述べるが

あるネット依存症の男も憂生と彼女に着目していたらしく、

どういう加減か・・。

この男、憂生を嫌っていたと見えた。

たぶん、ジゴロのごとく、女をひっかけているとみえて

気に食わなかったようだった。

少し、話がずれるが、その男と憂生の決定的な違いがある。

 

いやがらせの書き込みなどがあると相談を受けると

男は直談判にいって、やめろ。と、話をつけてくる。

そして、何かあったら、いつでも、誰でも言ってくれ。

俺がはなしをつけてくるから。

と、いうタイプだった。

憂生は逆だった。

いやがらせを受ける自分に問題はないか?

あるいは、そのいやがらせから、

なにかしらの自分の角にきがつけないか?

そこをなおさずして、現象だけなおしても

次の仇花が咲くだけである。と。

これは、憂生自体が霊現象などに関わったところから

できてきた持論だった。

幽霊を退治しても、幽霊をよせつける元になる「思い」とかを

なおさなきゃ

せっかく、幽霊にあったのも、無駄になろう。

ようは、

転んでもただ起きぬ。というけち精神でしかないが・・・。

ー話を元に戻してー

そういう監視の中、チャットは無理だと思った。

別途、ミニ・メールというのがあったのだけど

憂生が、これを使うのをきらっていた。

公開できないことを言うのが嫌いだった。

自分の発言に責任をもって、公開の場でいうべきであると。

この考えがあって

チャットが公開であることもわかっていて

つかっていた。

おかげで、ああ、こんな馬鹿いっちゃいけないとかの勉強もさせてもらえたし。

ところが、さすがに500人の監視の中で

ましてや、彼女の内実にふれることはしゃべれなくなり

ジゴロを演じなきゃいけないし・・

かんがえついたのが、やはり、メールしかなかった。

そこで、

衆目と彼女のためのチャットを書いた。

ーなあ、メールで話そうやー

ーなにを?-

ーあん。もうちょっと、やらしい話をゆっくりとさ・・-

彼女は自分の恋心にこたえてもらえることになったとおもったのだろうか?

メールのページに大急ぎでとんでいったようだった。





そして、メールを書き始めれば

やらしい話のわけがなく

またも、亭主とやりなおせ。

話し合え。

自分の気持ちもつたえろ。

相手が努力していくチャンスもあたえず

変わるかもしれない誠意をみもせず、ほうり捨てるな。

自分の落ち度もさがせ。

精一杯、努力しているのか?

などなど、こうるさく、いいつのることになる。

ところが・・・。

却って、親身に考えてくれる憂生という評価になってしまったのか、

ますます、彼女の熱はさがらないどころか、あがってくる。

これには、困ったし

問題が変質してしまった。

どうやったら、彼女の恋心なる思い込みをうちくだくことができるだろうか・・。

と、いう方向にかわってしまっていた。

どうすれば、良いか、ということを考え付いたのは

ある変な男からのチャットを思い出したことからだった。

その男、

何を思ったか?

お前にあいにいくという。

近くまで来てるという?

おちょくってる変態男だろうと思い適当に相手をしていたら

憂生のHNを連呼する連続チャット

うっとうしくなって

着信拒否をかけてやろうかとおもったが、やめて

男の根本的抜け落ちを指摘しないとまた別のところで同じ事をくりかえすと思ったからだ。

根本的抜け落ちとは、なにか?

それは、また、彼女とも相通じるものだった。

ー憂生がどんな人間かわかっていないー

それも、基本的な性別すら

二人の人間はそれぞれ、違って捉えていた。

彼女は憂生を男だと思い

変態男は憂生を女だと思っていた。

憂生も性別年齢不詳で通している。

正直をいえば、こういうやからがいるから

男だの女だのということで、態度をかえる人間がいるから

うっとうしく感じていた。

年齢もそうだった。

自分より若いと思うと横柄な態度をとったり

逆に年齢相応のことをかいてないとガキだと馬鹿にしたり

書いている内容が

性別や年齢で判断されるのが嫌だった。

とるとこあるなら、男だろうが女だろうがかまわないことだし

年齢によって、うけいれたり、受け入れないなども

書いていることの内容にふれていない。

そういう余計な装飾を取っ払うことにして

「憂生」として話をしていた。

後には、年齢?性別?あ~~ん?そんなことどうでもいいよ。憂生は憂生じゃないか。

と、いってくれる人がふえてきていた。

ところが、まだ、カフェに入って間もないときだった。

出会いを求める、その出会いの意味合いがちがってる人がおおくいて

他にも、

憂生さん、独身?なぞときいてくる人もいた。

あんた、なに、かんがえとるん?

独身だったらちかずいて、

既婚だったらちかずかない?

ばっかじゃなかろうか?と、いうのが憂生の気持ちだった。

 

まあ、そんなこともあって、

この手が使えると思って、彼女に話した。

ーところでさ、あんた、どこのうまの骨ともわからん人間しんじてるけど

憂生、もしかしたら、女かもしれんって、考えたことない?-

ーえ?-

ーごめんな。本当は女なんだよなー

ーうそ?え?気味悪い・・・-

それで、彼女は近寄らなくなった。

と、安心していたら

追い払う口実だと考え付いたのだろうか?

ーごめん。憂生が男でも女でもどっちでもいいー

と、謝ってきた。

いやあ、敵?ながら、あっぱれ。

確かに「本気」であるのなら

性別にとらわれてしまうにしても、

好きだという気持ちはかわるまい?

そういう意味で、たいしたもんだなとおもったのであるが・・・。

結局、憂生とはなしをしていても

亭主と修復、亭主と修復、としかいわないわけだから

彼女のほうも、だんだんあきらめがついたか

話す必要がなくなったか

つまらなくなったか

ー早い話、ときめかなくなったー

らしく、彼女があらわれなくなった。







変態男には、

すまんのお、せっかくのアプローチであるが

憂生は男じゃし、それでもいいといわれても、ホモ毛はない。

おまえも、そこをわからずに他でもそんなことやったら

えらい相手にとっつかまるかもしれんぜよ。

と、おいかえし、

彼女には、逆の言い方をしたが、うまくいかなかった。

そして、彼女があらわれなくなったある日

彼女の記事だったろうか?

ー憂生のことはあきらめましたー

みたいな内容の記事があったと思う。

そこで、憂生はまたしても、

ジゴロをやるしかなくなった。

ーちっ 振られちまったぜーと。

それで、ジゴロにさえ?相手されなかったと女というのでなく

憂生のほうがふられてしまったんだ。

まわりにおもわせることで

彼女のマイナスイメージを払拭できるかもしれないと考えていた。

 

ところが、しばらくして

彼女はネットで知り合った男とリアルで合い

意気投合してしまい、

結局、駆け落ちして

協議離婚になって

親権もとれなかったと告げてきた

 

亭主のほうには同居している親がいたと思う。

そうでなくても、親権はとれまいし

もうしわけないけど

親権がほしいといえる立場でもなかろう。

 

なにか、一生懸命

修復せよといっていたのに

楽なほうににげてしまったとも

そういう夫婦を修復するべきだという考えにならない男が

ジャスト・タイミングで現れてしまい

意気投合してしまったのだろう。

男が本気であることを祈りつつ

彼女がーときめかないーと同じ事をくりかえさないことを願いつつ

亭主のことが気になった。

 

なにも知らせず、修復すべきことも

修復すべきことがあるらしいこともしらず

ほうりすてられたその痛みを思う。

 

憂生自体も

暗澹とした思いがのこった。

そのときに

自傷癖のある青年と話をした。

彼を区別するため、自傷癖という呼び方をしているが

内実は、非常に繊細で、物事良くわかっていて、優しい

思いやりのある暖かな人柄だった。

その彼が言った。

ー憂生は彼女の妄想列車にのりこまされたんだよー

その一言が

憂生の暗澹を解いた。

 

新しい人を探せば、ときめきがもどってくる。

あるいは、ときめきがすべてだ。

それが、

彼女の妄想だということ。

そのことを妄想だときがつかせようとするあまりに

結局、憂生も

妄想列車にのりこまされていたのだ。

 

そこにきがつけたから、

憂生は列車からおりた。

乗らなかった列車がどこにたどり着くか

きにするのは、もうやめた。

ふたりのアニマ




簡単にこういう意味だろうと想像して使用するところが

おおかったのが、

アニマという言葉だった。

意味合いは単純に、原初的性格

あるいは、

コアになる性格、と、いう意味合いに捉えていた。

これにマニアックという言葉

究極・・物事を突き詰めていく。

と、いう言葉がかぶってしまい

勝手な解釈をしていたので、

マニアの本来の意味をしらべにいってきた。

下記によると、憂生が書こうとしているのは

アニムスになり

それは、最後にかかれている

アニマ (アニムス) は共に肯定的,否定的なはたらきをもっている。

しかしそれを可能な限り意識化して人格の統合をはかることが,

個人の自己実現の過程であるとユングは主張している。

その過程は創造的である一方、破壊の可能性も秘めている。

と、いう部分であり

人間は男女共に中年期になるとアニマとアニムスの統合が進み、

アニマとアニムスの両方を受け入れるようになると考えられている。

と、いう部分にかかわっている部分に思える。

 

 

 

http://www.d4.dion.ne.jp/~yanag/anima.htmより転載

男性の中の女性像。(アニマ Anima)

女性の中の男性像。(アニムス Animus)

男性における女らしさ、女性における男らしさである。

 

アニマとは本来ラテン語で〈魂〉を意味する語。スイスの精神医学者ユングが分析心理学の用語として用い,現在ではその意味で使用されることが多い。

ユングは夢分析の際に,男性の夢に特徴的な女性像が多く出現することに注目して,そのような女性像の元型が,男性たちの共通のイメージ(普遍的無意識)に存在すると仮定し,それをアニマと名づけた。

女性の場合は夢に男性像が現れ,その元型がアニムス (アニマの男性形) である。

男性も女性も外的には社会に承認されるために、いわゆる男らしいとか女らしいという仮面(ペルソナ)をつけているが,内的にはその逆のアニマ (アニムス) のはたらきによって心のバランスを保っている。

男性は大人になるにつれて、自分の中のアニマを排除しようとし、女性は反対にアニムスを排除することによって女らしくなろうとする。

しかし人間は男女共に中年期になるとアニマとアニムスの統合が進み、アニマとアニムスの両方を受け入れるようになると考えられている。

 

アニマ (アニムス) は共に肯定的,否定的なはたらきをもっている。しかしそれを可能な限り意識化して人格の統合をはかることが,個人の自己実現の過程であるとユングは主張している。

その過程は創造的である一方、破壊の可能性も秘めている。







ひどく、気さくな女性というよりも、

女の子という印象をうけた。

そして、なにかわからないが、

育ちが良いというのだろう。

初めてしゃべる(と、いってもネットの中だけど)

変に構えたり、用心するという気配がなく

男からみたら、かわいいタイプで

その気さくな人柄もこのましく見えた。

逆に女からみたら、

物怖じせず気軽にしゃべりかけるのは

男に受けるぶん、

女から、やっかみをうけやすいだろうとおもっていたが、

後にその通りになってしまった。

その彼女もやはり、ブロー・ザ・ウィンドを読んでくれていた。

そのことで、

彼女の中につっかえていた思いがあふれだし

憂生に話す気になったのだと思う。

恋人を亡くしている。

そして、お互い学生だったのだが、

結婚しようと決めていた。

それが、事故で恋人が亡くなり

彼女の中に芽生えていた小さな命もあきらめるしかなかった。

蛙ー続編ーを読んだあとも

彼女は憂生に漏らした。

ー産んであげたかったな・・・-

彼女の性格の中に感じた育ちの良さを

すこしたずねてみたかった。

ーお父さんにだいぶ、厳しくしつけられたんじゃないのかな?-

そのとき、だったろうか?

少し、違和感のある答えが返ってきていた。

ちょっと、はっきり思い出せないので

憂生が感じたことを書く。

ーなにか、良い子にしていなきゃいけないと自分をがんじがらめにしているー

だから、人当たりの良い、かわいさをみにつけたというか、

良い子がどういうふうな態度をとるものかわかっていたというか・・・。

そして、

もっと、きびしい言い方をすると、

たとえば、親を説得してシングル・マザーで子供を産むこともできなかった。

そういうなにかしら、

親の目からみて、-良い子ーであろうとしてきたのではないだろうか?

子供まで出来てるなどといえず、

その父親は亡くなっているといえば、

親は悲しむだろう。

そして、親なら子供を諦めろというだろう。

変な言い方かもしれないけど、

親にいわれてでなく、

自分の意志で子供を諦めると決断したのだろうと思う。

いろんなことをあきらめて

彼女はいきていこうとしていた。

でも、そのうしろに、

なにか、良くわからないけど

「良い子でいようとする彼女」が見え隠れしていた。

憂生の深読みでしかないのかとおもっていたが、

ある日、

彼女の口から、それが語られだした。





彼女の言い出したことは

あるいは、多重人格ににているかもしれない。

ただ、彼女の主人格と別の人格という分裂したり

いれかわったりするものでなく

彼女の内面に

いわば、天使と悪魔がすんでいる。

どちらかというと、落ち着いて良識のあるアドヴァイスを渡す男の子(だったと思う)

もうひとりは、

あまのじゃくで、いじわるな女の子で、こうやって、人をだましちゃえばいいのよと

妙なアドヴァイスをする女の子だった。

そのいじわるなアドヴァイスに翻弄されることもあった。

と、うちあけてくれた。

ずいぶん、小さなころから、そういう二人が胸の中にすみついていたそうだ。

どこかで、書いたけど、

憂生はそういうのを聞いて、この子おかしいんじゃない?とか

大丈夫なんだろうか?

とか、うけとるのでなく、

むしろ、そういうことを、口にすることが大事だと思っている。

おかしいとか、変だとか思われるのを畏れて、とじこもってしまったり

自分の中と戦って、外に対して、良い子をやっているとなったら

彼女の本当の生活

あるいは、本当の性格は

戦いの場にしかないという事になる。

まず、自分の中だけのことにしておかない。

その第一歩で、あり

憂生には良い兆候におもえた。

そして、その二人は

ほかならぬ、彼女自身ではないかと思えた。

良い子でいようとするとき、もたげてくる本心

いじわるな気持ちがでてきても、それも自分だと思えなかった。

そんなことをおもうわけがないと悪い心をとじこめていく。

それが、一人のアニマを形成したのではないだろうか?

そして、逆に良い子であろうとする心がもうひとりのアニムスを形成した。

完璧に人格や性格をもったアニマやアニムスの存在が

彼女になにかしらコンタクトをとるのはむつかしくないことだろう。

そして、いつしか、その存在もどこかにきえうせていて

恋をして

悲しい結末をむかえ

彼女はそれも、じっと、こらえていたんじゃないのだろうか?

そして、ブロー・ザ・ウィンドを読み

憂生にこらえていたことを話し

蛙・続編を読んで

自分の本心を自分にしらずのうちにつきつけたのだろう。

それは、アニマやアニムスを閉じ込めていた箱の中にはいっていたものだったのだろう。

箱はおけられ、

突如として

二人のアニマが現れ始めた。





そんな彼女がコミュニティで、人気のある男と恋におちた。

この男、顔を見たことがないのだが(公開してたらしい)

憂生から見ても?、

男っぷりが良い。(性格・受ける印象)

判りにくいので、書いておくが、人間への感情といういみである。

好きとか、嫌いとかいうのでなく、「惚れる」という感覚に近い。

まあ、たまに自分の文章の1フレーズにも「惚れる」(うぬぼれともいうが)

こういう、惚れ惚れするような男っぷりだったこともあり

憂生には、似合いのカップルに思えた。

ただ、どこか、人の気持ちを考えすぎるのか

押しが弱いというか

悪く言えば、こいつも良い子ぶるというのか・・。

彼のまわりには、グルービーまがいに女の子がへばりついてたし

先にも、のべたように、

彼女といえば、女性軍のやっかみをまともにくらうタイプで

内面的にも、複雑な葛藤をかかえていた。

いくばくかの心配をよそに、

彼は女性軍の追撃から彼女をかばい

女性軍のヒステリーも上手におさめているようには、見えた。

が、

このあたりは、良くわからない。

なにか、彼女のほうが、おおっぴらに付き合っている態度をとれずにいたように見えた。

そうこうするうちに、

別れたという話がはいってきた。

そのあたりの記憶があいまいなのだが、

彼女のほうが、病気で倒れたあとだった。

調子が悪いから、病院にいくといっていた。

そして、緊急入院になってしまったようだった。

そのころから

彼女に対する噂が非常にわるくなっていった。

どうも、余命いくばくもない病気であったため

彼女は彼に別れをつげたようなのだが、

はてには、

それも、彼女の嘘だとか

彼をふったとなると周りの女軍から

むちゃくちゃいわれるし猿芝居をうっているんだ。

とか・・・。

そんなことよりも、

彼に対する彼女の気持ちをかんがえてやったらどうだとおもい

憂生は彼にチャットをいれた。

あいにいってやらないのか?

と。

本当に余命いくばくもないのなら、どうするんだ?

とも。

結局、あおうとしてくれないとか、

実家に帰ったらしくどこにいるかわからない。

連絡も取れない・・・。

など、完璧に別れを突きつけていたように見えた。





結局、憂生もわけがわからず、

彼女がいきているのか、

死んでしまったのかも判らない。

唯一、会話をかわせるのが、コミュニティだけであった。

そして、一方で、ふたりのアニマの話も思い起こされた。

仮にいじわるなアニマが彼女になにかふきこんで

たとえば、

つきあいだしたものの、断りたくなってしまったのを

病気でといえば、いいじゃないか?とか・・。

そんな疑心暗鬼をもった状態じゃ

どうにもならないと、

憂生はある人に頼んだ。

いわゆる透視能力のある人だった。

彼女の部屋。

見てくれないか?

たぶん、入院になったのか、連絡が来なくなってから

しばらく後だったと思う。

すると、見てくれた人は

部屋の場所をいいあて、

二階の左端とか・・

そして、部屋をみて、言った。

ー男の人がいる。じっとすわって動かない。さびしそうな、悲しそうなー

その人がみたのは、彼女のいっていた亡くなった恋人だろう。

それで、憂生はもうひとりの透視能力者にもたのんでみた。

やはり、場所は同じ。

そして、部屋の中には

ー餓鬼が居るー

この見え方の違いは憂生は自分のことで知っている。

前の人は

ー憂生の(亡くなった)弟が心配して来てるー

後の人は

ー憂生に餓鬼がひっついてるぞー

同じ物をみても、次元の違いか

感情の違いか、

見え方がちがっていた。

 

その二人がみたものは

間違いなく、彼女のなくなった恋人だろう・・・






今になると、どっちが先だったか、わからない。

同じように、ブロー・ザ・ウィンドが元で

心を開いていってくれた別の女性は

義理の息子を事故で亡くしていた。

彼女とそう年齢の変わらない息子さんだったせいもあり

思わぬところに嫁がされた彼女の唯一の理解者でもあったのだろう。

年齢も近く、音楽の趣味も重なった。

その息子が事故で亡くなり

彼女は心をとざして生きていた。

 

その彼女がブロー・・を読み、

20年ぶりくらいに事故現場に花をたむけにいくといいだしたし

さきに書いた話もいろいろ話してくれた。

心を開きだしてくれている。

閉じこもった世界から抜け出そうとしてくれている。

憂生はただただ、うれしかった。

それが、きっかけで、いろいろ話すことになったのだが

ある日、彼女は88箇所の巡礼にいくといいだした。

その旅先からメールがきた。

同宿した学生さんたちが私のリクエストに答えて

みんなで歌をうたってくれる。

そんなふうに、思ってもらえるんだ。

思いをかけてもらえるんだ。

ただただ、涙があふれる彼女に不思議なことがおきた。

体がものすごく暖かくなって、なにかに包まれてる感じがする。

ーこれ、あのこかな?-

そうたずねてきた彼女に憂生はわかることでもないけど

ーそうだよ。

貴方のそばにずっといたんだよ。

貴方が心閉ざしてるから、心配して傍にいたんだよ。

でも、今、貴方が学生さんの優しさにもありがとうって涙するくらい

心開いているのを、見て、安心して帰ったんだよー

 

そんなことを思い出してしまうんだけど

彼女の亡くなった恋人がさびしそうな・悲しそうなだったというのが

気になった。

そして、

部屋に居るということも・・・

何故、彼女の傍にいってやれないのだろうか?

あるいは、それは、

亡くなった恋人でなく

コミュニーティの彼氏の生霊かなにかだったのだろうか?

 




それから、彼女は一度、かえってきた。

憂生のページの足跡欄に彼女のIDがあり

不思議なことに

先に透視をたのんだ二人のIDが彼女を護るかのように

彼女のIDを挟んでいた。

 

それから、精密検査をうけるといって、

それっきり・・だったかな。

 

ずいぶんたって、

彼女の弟だという人が

彼女の弁護をしていた。

白血病で、骨髄提供者を探している。

と、言っていたと思う。

そして、ある日、憂生のメールに弟君から

メールが来ていた。

姉貴から聞いている通りの人だ。

だったかな。

 

それ以後、彼女も弟君もどうなったか知らない。

 

それでも、ふと、思う。

みんなの噂どおり、猿芝居であってくれたほうがいい。

彼女のアニマが猿芝居をふきこんだだけで

彼女はちゃんと生きている。

そして、きっと

さびしい恋人の幽霊も、彼女を暖めて安心して空に帰っている。

そんな幸せな彼女でいるかもしれない。

 

そして、憂生にまで

そうおもいこませようとしたアニマは

けっしていじわるなアニマじゃなくて

彼女本来がもってる優しい人格だってことになる。


擬似



彼女は聡明なひとだった。

才媛というのに近いだろうか、

チャット(足跡)の中に短歌が混ざりこんでいた。

一見で、目をひく。

言葉選びもうまく、独特な世界観をつくっていた。

およばずながらと、

こちらも、短歌で返礼した。

すると、返歌がくる。

それに返す。

また返歌が来る。

そういう繰り返しが何度かあったのがきっかけで

話をするようになったように記憶している。

こういう些細なきっかけで

個人的な話をきくようになることが多くあり、

自分でも不思議に感じていた。

おまけに、必ずしも、解決とはいかないのだけど

それなりに、揉め事を解決していた。

この謎がとけたのが、

六星占星術からだった。

憂生は天王星人になる。

この星人の特徴がおおかた、当てはまる。

まず、自分のことを隠し立てしない。

そのため、逆に相手の懐に簡単に飛び込んでしまえる。

次に乱世の覇者といわれるほど、

乱世・・つまり揉め事のあるところに現れ解決してしまう。

それも、また、「できない」と、思わないというか。

例えて、言えば龍馬のように

おんしら、仲ようできように、な~~んもむつかしいことなんかあらせんきに

かんたんなことじゃき、やってみりゃあ、できろう?

と、本当に敵対しているものを仲良くさせてしまうのも

単純にいえば、「できることだろう?」という思いがあるからだと思う。

これも、15くらいのときに

友人が憑依されてるらしいときいて

な~~んにもしらないのに

できる・・と、いうより

なんとかしてあげなきゃいけないと

払いを(勝手なやり方で・・)してしまうという。

それくらいどうにかしてあげなきゃいけないという思いが強いせいか

ぎゃくに、揉め事・トラブルのほうからよってきているという感じだった。

そして、それがただしいとかまちがってるというのでなく

とにかく、憂生は必死になる。

足らん頭でどうにかしてあげられないかと考える。

考えたら、さきのように自分ができるとかできないとかかんがえずに

「できる」と思い込んでしまう。

結果、本当の解決にはむすびつかなくても

たとえば、ぜんぜん、しらない人間がこんなに真剣に一生懸命かんがえてくれてるんだから

本人、もっとがんばらなきゃとでもおもわせてしまうのだろう。

そういう天王星人の性格がかなり表にでていた時期でもあったとおもう。




実際、なにがきっかけで、そういう話になったのかわからないが、

彼女は自分の苦しい胸のうちを吐露してくれた。

恋人とうまくいってない。

本人たちは真剣だったのだろうけど

恋人の年齢が若すぎたせいで、

実生活にふみこめるだけの資質にかけていたのだろうと思う。

まわりの反対もあったのだろう

自信をもてる根拠をなくして

逃げ腰になってしまう恋人に

彼女も不安で仕方がなかったと思う。

なんどか、そんな、話をきいた。

 

それから、どれだけたったか、覚えていない。

ある日の夕方・・・いや、夜だろうか・・

ひどく胸騒ぎをおぼえた。

そして、彼女が入水自殺すると思わされる。

どこに居る人かしらない。

あったこともない。

見たこともない。

ネットで話をしていた。

それが、入水自殺?

 

それも、今から・・という感じがする。

 

一瞬、狐・狸に化かされてるのかと考えた。

だが、本当だったらどうする?

嘘だったら、化かされちまったよと笑い話ですまされるが・・・。

どうにも、解決できないとおもうと

憂生は彼女の思いを変えるしかないと考え

ただ、ただ、念をおくりつづけた。

「生きろ。死ぬな。生きろ」

その思いに念をこめて彼女に送り続けることしかできなかった。

座禅をくんで、思いはひとつ。

「生きろ」

それだけをおくりつづけた。

 

そして、どれだけたったか、わからない。

30分だったのか、1時間だったのか、10分ほどだったのか。

突然、もう大丈夫・・とおもわされた。

なんというか、ほっとしたように軽くなったというか・・。

霧が晴れたような明るいイメージがながれこんできた。

それで、憂生はパソコンの前にいって

彼女を待っていた。

ところが、なかなか、現れない。

帰っているはずだと思うのも妙なもので

憂生に連絡をしてくるはずとおもうのも妙なものだが

憂生の現実離れがそこにあった。

 

入水して沼(のイメージがあった)からあがってきて

すぐパソコンの前に座るか?

まず、風呂にはいるだろう。

そこにきがついたのが、彼女がパソコンの前にすわり

チャットをかきはじめてからだった。

ー憂生、居る?-

ーおお。待ってた。もっと、はやくかえってきてたんちゃうん?-

ーうん。シャワーあびてたー

ああ、そうだった。当たり前だよな。どぼどぼだもんなと、ここでやっと気がつく

ーちょっと、頭冷やそうと思ってさ・・近くのため池につかっていた・・ー

頭ひやそうと思ったというより、死のうかと考えていたと思えた。

ーどれくらい、つかってたかな。頭冷えてきたし、寒くなって・・-

ーこんなことしてたって、どうにもならないなって思えてー

ーうんー

彼女が死のうとしてなくたって、10月くらいだったと思う。

池の水も冷たくなってくるし

足元・・水底だってどんな状態かわからない。

うっかり、もっと奥にすすんだら、死のほうが彼女をとらまえていたかもしれない。

ーとにかく、元気出せ。いきてりゃいいこともあるってー

あとは、なにをいったか覚えていない。






人にもよるとおもうけど・・。

憂生の知人は

時にむごたらしい死体の写真を見に行くといっていた。

その目をそむけたくなるような

ひどいときには吐き気までおきてくる写真をみて

こうなっちゃいけない。

死というのは、本来、残酷なものなのだ。

と、頭にきざみつけさせていた。

それは、裏をかえせば、

たとえばきれいそうに見える自殺などなら

手をのばしたくなる知人がいたか

死にたがる?思いががあったからかもしれない。

そして、写真をみて、

「死の残酷さ」を疑似体験することで、

死のうとしちゃいけない。と

生きようとする自分に立ち返っていたのだろう。

 

ちょうど、彼女もそうだったのかもしれない。

死んでみようと疑似体験することで

生きようという根源の思いをつかみとろうとしたのではないのだろうか?

 

時に、人はそんなふうにして

頭にのぼりつめた死への憧れを

ふりはらうこともある。

 

いずれにせよ。

生きてりゃこそ。

生きていなきゃ、

生きていて良かったとおもえる時はめぐってこない。

死んだ人間が死んでよかったと思うかどうかはしらない。

だけど、

生きてりゃこそ

生きてりゃこそ

いつか、抜ける日が来る。

依存

1


いくつか、同時多発的におきた精神にかかわる「物事」をあげてきたが、

この内容をあまり詳しくはかきたくないとは、思っている。

と、いうのも、実在の人物であり、

本人はむろん、まわりで、関わった人も二次的なショックをうけるということがありえる。

実際のことであるが、たとえばとして、二次的ショックのひとつをあげてみる。

本人が抱えている状況を知らず、心無い嘲笑やいやがらせを行う。

と、いうことがあった。

その当時、憂生も憤りを感じ、記事をあげた。

その中の一言であるが

「憂生がどんな思いで、その人たちに接しているか、判ったら

けして、そんな心無い言葉をあびせかけることはできない。

自分の思いにまけて、愚劣で姑息な嫌がらせをするのもけっこうだが、

彼らの内面がわかったとき

自分のしでかした事をどうやって、謝れる?

彼らは当然、許してくれる。

だが、たとえば、彼らがぽっくり、死んでしまったらどうする?

自分の一言で、彼らに悲しい傷をあたえたまま

謝るすべもなくし、

あるいは、心因性外傷を助長させたのかもしれないと

その後悔を一生背負っていくいくくらいの気で物申しているか?」

その一言に、何人かの人間は憂生に懺悔・告白してくれた。

だが、それより、恐ろしいのは

この憂生の一言が本当になったことだ。

しばらくして、彼らとひとくくりにしてしまってもうしわけないんだけど

その中の一人の女性が本当に亡くなってしまった。

告白した、懺悔した人はそれでも、まだいいかもしれない。

それをせず、

自分のしでかした事に気がついたときには

もう謝るすべもない。

たとえば、そういう二次的ショックというものが

実情をかくことにより

新たに浮上してくる可能性もある。

そのあたりも、含め、憂生自身も相当な覚悟でかいていかねばならないと思っている。


2

当初、閑な人間だと思った。

足跡から訪問をくりかえすと、逆訪問があり、

憂生も訪問して、と、いうことをくりかえしても、

仕事から帰ってきて、3時間ほどがんばっても、

いいとこ、500人くらいしか、帰ってこない。


それが、3000人とか?

連日のごとく、訪問者が多いということは、

日がな、一日、訪問を繰り返しているとしかおもえなかった。


奇妙だなと思っているとき、

憂生がそこへ行こうとすると、

訪問拒否をかけられていた。


なにが、きにいらないのかしらないが

報復的に訪問拒否をかける気はなかった。

いや、ならなかった。

足跡には40文字ほどのチャット形式のコメントがうちこめるようになっていて

ときおり、妙に優し気なコメントがあった。

ー朝顔の元気がない。水をやった。元気になった。良かった。ー

そう悪い奴ではなさそうだし

そういう憎めない性格が、訪問者を呼び込める元なのかもしれない。


その彼がときおり、なにを間違えてか

こっちには来るなとやってるくせに、

彼はこっちに来る。

あるいは、報復的に拒否をかけたかたしかめたかったのか?

それより、以前に

憂生が拒否されていることにきがつかないでいると思って

彼のところに訪問させて気がつかせようとしたのか?


どっちでも、いいが・・。

その彼が、妄想列車のところでも書いたけど

彼女が訪問したりしてくると、

彼もくる。

彼女のほうも、きがついて、

自分のページをみれば、そこに彼の足跡がある。

こいつも、興味本位の覗き主義か・・・

どうせなら、足跡残さずにやっておけばいいのに・・

彼女のところに行ったかと思うと

憂生のところに戻り

と、繰り返していた。


ぬけてるというか、

悪気がないというか

当座はこんな調子で、

彼との距離は保たれていた。

 3

だいぶ、月日がたっているので、記憶違いをしていた。

訪問拒否というのでなく、

訪問の足跡、が履歴に表示されない。

と、いうことで、

彼には憂生が訪問したのがわからない。

で、あるのに、何故くるか?

たぶん、訪問先で憂生の足跡をみつけて

はいってきたのでは?

と、おもっている。

 

そんなお茶目な男は

入院中とか、通院中とかで、閑が多すぎて

日がな一日 足跡に向かい合ってるらしい。

なるほど、と、思っていたころだったろうか?

誰だったかも覚えていない。

ーあの男にちかよるなー

と、いう内容の警告文をよこされたことがあった。

 

内容的には

彼はばりばりのエリートサラリーマンだったけど

もう、はいあがってこれないだろうー

と、いうものだった。

 

当時の憂生は、

精神病などというものに疎く

精神病の患者は、

病院に隔離されているものだと思っていた。

 

つまり、日常生活をおくるのに困難な

重度の精神病患者というものしか

判っていず、

鬱病などという言葉も

軽度のものでしかなく

日常生活をおくることが可能な人間でしかないと

捉えていたと思う。

 

だから、欝病サークルなどというサークルがあり

そこで、仲間と集う人たちがいるらしく

ある意味、客観的に病気とむかいあっていけたりする。

むしろ、健全といったらおかしいが

前向きに考えることができる病気なのだとおもっていた。





その男は、言ってみれば

カリスマ性があり、

多くのカフェ友のようなものがいっぱいいて

サークルに50人100人と参加していた。

どうも、憂生には参加していたというより、

傘下していたというふうにみえていた。

と、いうのも、これも、憂生の性格だと思う。

どちらかというと、

群れるのが好きじゃない。

かっこよく言えば一匹狼でいたかったし

はっきりいって、

一人の人間(憂生自身をさす)の面倒もまともにみれないのに

何人もの人間のことをきにかけたり、

できなかったし

今まで、書いたようなこと、他にも、

いろいろ、気にかかることがあり

リアルにおいても、いろいろ、揉め事に首をつっこんでいたし

記事でも毎日5~7記事はかき、

連載をかき

友人にメールや手紙をかき

と・・・

憂生なりにすることがいっぱいあり

おまけをいえば、

表面上のおつきあいなど

する気はなかった。

そんな状態とかんがえがあったせいで

お山の大将みたいなものにはなりたくないと思っていただけに

それを、なんなくこなし、

それなりの絆を大切にしているようにみえたし

サークル仲間もそれなりに彼を敬愛しているように見え

憂生の杓子定規の考えでは

量りきれない「魅力」のある人間なんだろうとは、思っていた。





相変わらず、彼の足跡履歴拒否は続いていた。

ところが、

ブロー・ザ・ウィンドがきっかけで、

心を開いていってくれた女性が

突然、倒れてしまった。

憂生のところに、ご主人から、メールがきて

ー昏睡状態で、意識が戻らない。

カフェを楽しみにしていて

カフェをやりはじめてから

彼女は明るくなってきた。

そんな彼女だから、カフェの友人から

足跡でいいから、なにか、メッセージをくれたら

彼女にそれを読み聞かせてあげたい。

そうすれば、意識をとりもどすかもしれないー

一縷の望みにかけて、必死になっているご主人の気持ちに答えるためにも

憂生は何人かの彼女との共通の人間に事情を話し

みんなも共通でなくて、知らない友人もいるかもしれないから

記事にあげるなどして

メールや足跡コメントを彼女におくってもらうようにしてほしい。

と、あわせて、彼女の状態をつたえた。

ほどなく、多くの人が彼女に伝言やらエールをおくり

ご主人がそれらをよみあげていったのだろう。

 

三日目くらいに

ご主人からメールが来て

ー意識を取り戻しましたー

と、あった。

そこで、みんなに即伝え

記事にも、協力への感謝とともに

彼女の回復を伝えたものをアップした。

 

そこから、事件が始まったといって

過言じゃないだろう。








それを注視していたのが、

カリスマ的存在だった彼だった。

当初、彼の訪問先に

彼女へのエールをおくってくれる呼びかけ記事がのっており

特にひとりの人が

扉にどーんと掲げてくれるということをしてくれていて

彼は発信者をその人だとおもっていたのかもしれない。

ところが、

憂生が

「今、意識を取り戻したとご主人から連絡がありました。

みなさん。ありがとうございました」

と、掲げたものだから

彼は、

憂生からだったのかと判ったのではないかと・・・。

突如、足跡拒否を解除したという連絡があり

憂生は憂生で

彼が勝手に憂生を嫌っていたらしいことには

やはり、

否定された感を感じていたと認識するにたる

なにか、認められたらしいことに対するうれしさに似た感情がわいてきていた。

それで、

すなおに、そこは伝えた。

さびしかった

と。

やはり、傘下にはなりたくはないが

こっちが認めるところがあった存在から否定されているというのは

さびしい気持ちがあったのだとおもう。

 

そのあたりから、

急激に彼は憂生にちかよってきはじめた。

酒の話につまみの話

チャットでよく盛り上がって話をしているうちに

彼がいいだした。

ー憂生、俺のサークルにはいらないか?-

ーいや、断るー

ー憂生なら、内野手・・ショートのポジションを任せたいー

オールラウンドプレーヤーであるともいえるショートのポジションは

要の位置といっても良い。

憂生は物書きのせいであるかもしれない。

こういう凝ったいいまわしには心ひかれる。

ホモ師との遭遇でもかいたが

ーわし、あんたに一目ぼれ・・・・・どこで売ってるかしらないかたずねようとー

などの言い方自体は小憎いとおもうし

他にも作品中にいっぱいあるけど、長くなるので割愛するが、

上手にゆさぶりをかける言い方をする彼自体は

相当のキレ物だとおもえた。

けれど、もう一度、断った。

ー憂生は一匹狼のほうが性にあってるから、すまんのおー

そのときはそれですんだ。





憂生という人間は非常にもろいというか

お人よしというか

すれていないというか

世間知らず・・この場合はネット知らずだが

ー困ってるー

ー助けてほしいー

と、いうのに、弱い。

メールのスパムとはしらず

ーさる方から、相談事があって、憂生さんのブログの様子などから

ぜひ、この方にとおっしゃるので、私が代理で・・-

などとかかれているのをみて、こりゃあ、困ってるんだと

ー憂生でよければー

などと返事をしてから、そういうメールがあちこちからきて、

やっと、こりゃ、新手のスパムだったかと気がつくありさまで、

とにかく、え?この状態じゃやばいんじゃないかと感じたり

心配になったりすると

いてもたってもいられず、

つい、おせっかいをやくという非常に甘ちゃんな人間だった。

それが、

憂生の弱さというか、

もろさであったと思う。

 

そして、単純馬鹿に人を信じる。

あるいは、人が憂生を利用するなどと考えていない。

それも、持論があった。

たとえば、裏切られたという言い方があるが

憂生はとことん、純真?だったら

相手は裏切らないと思う。

つまり、裏切られるような「落ち度」があるから

裏切られるのであって

裏切られたのではなく

裏切らせたのは、自分である。

と、いう考え方だった。

つまり、もっと、言えば

裏切られた、裏切られたと大声でわめいている人間は

自分に「裏切らせてしまった」欠点があるとわめいていることになり

いい恥さらしをしているに過ぎない。

と、いう通常とは異なるだろう意識があった。

 

だから、彼のとった態度についても

憂生のもろさとか弱さとか馬鹿単純なところとかという

欠点からのものでしかない。

 




今、思うと本当に馬鹿であり

純粋だと思う。

だが、こういう馬鹿だから、できた?ことだったかもしれないとも思う。

彼の申し出は

ー自分は脳腫瘍で、手術をうける。

憂生みたいに応援してくれる人がほしいー

と、いうことだった。

それは、意識をなくした彼女に対する憂生の応援をみて

彼もまた、確率的に低いとされる手術に望むための勇気を与えてほしい

と、いう意味なのだろう。

憂生としては、

彼女のご主人の必死の思いが胸に沁みている。

そして、彼は自分でしか応援を頼めない。

いたく、同情して、憂生は彼女のときのように

みんなに呼びかけた。

 

病院に入院した彼はメールをよこして

今の状態と

憂生、ありがとう。

みんなのメッセージが届いている。

そんなことを告げてきた。

 

ご丁寧にまたもそれを皆に伝える。

他に頼むものがいなかったのか?と思わぬでもない。

サークルに何十人と人がいて・・・。

だが、頼れる人間が居ないからこそ

憂生にショートをという事になるのだろう。

結局、リップサービスの上っ面だけの付き合いでしかないか。

ある意味、あわれな男でしかないとも思えた。

 

ところが、

そんな応援依頼メッセージを掲げて三日ほどしたときだった

 

ーそのメッセージをとりさげてくれませんかー

と、知らない人から、メールがはいった。






わけもわからず、簡単にはとりさげられない。

こっちだって、真剣にかんがえてやっているのだから・・。

とか、答えたと思う。

すると、

ーまた、脳腫瘍とか、いいだしてるんでしょ?

それ、彼の嘘です。-

と、言い出してきた。

そのあたりに対して、憂生もどう答えたか思い出せないし

なぜ、もっと突っ込んだ話になっていったのか

そこも覚えていない。

ただ、いろいろ、メールを交わしたところ

わかってきたことがあった。

ー彼はネット依存症でネットの中の自分を自分だと思い込んでいるー

つまり、演じているのでなく、

ネットの自分が自分ということになる。

そして、メールの相手は自分を女医だといった。

彼を診ているとも。

そして、彼女から弾劾ともいう一言があった。

ー私は彼のために月に何度も彼の元に往診しにいっているー

もう少し違ったかもしれない。

つまり、憂生が彼女のように、行動としておこすことができるか?

ネットで彼の世界を助長させるだけしかできないものが余計なことをしてくれるな。

と、いう言葉だった。

だが、憂生はひとつの違和感を感じていた。

ネットをやめさせればいいじゃないか?

と、いう思いは、先に尋ねていて

ーやめさせようとすると、彼はネットがなくなったら、死ぬというー

本当にとりあげて、死なれでもしたらいけない。と思うほど

彼の病状は重篤であったということは理解できていた。

だが、それならば、

彼にとって、良くないからたとえばメッセージを取り下げてくれというのは

勝手な言い分ではなかろうか?

なにが、いいたいかというと

あえて、彼が狂人であるということを

彼に関わる人間にしらせておかずに

悪く言えば、こちらはだまされたというか

被害者みたいなものでもある。

そういう被害をみすごしにしておいて

彼の狂いがひどくなるからやめてくれ。と、いうのは

勝手な言い分ではなかろうか?

だが、憂生もそういう事に疎い人間であり

持論でもある

だまされるほうに非はないかという考えでいけば

憂生こそ、ぼけなすでしかないわけだから

そこはいえることではない。と、考えたのと同時に

彼をなんとかできないか?

狂いから引っ張り揚げれないか?という

いつものくせが出てきていた。




10

ここも憂生は自分でも不思議だと思う。

なぜか、その女医と称する人間に対して質問を投げかけていた。

ー彼の狂いは、父親との確執のせいではないですか?-

と。

まず、本当の根本的な心の病巣を癒すことをせずに、

あたりさわりのない治療をおこなっても、

治らない。

と、思えた。

これは、彼の魂が・・を読んでくれた人にはわかりやすいかもしれない。

本人が確執を抱え込んでいては

死んでさえも、浮かばれずに居る。

その思いが重石になってそこに留まってしまう。

だから、その確執が何かを知ることで

彼の魂が・・の幽霊のように

確執を取り除くこともできるかもしれない。

ところが

女医は確執が父親との間にあることは認めたが

その内容を話すことについては

家族の同意が必要だといいだした。

女医が他のことでもかなりのことまで、打ち明けてくれているのに

その一番の病巣になる部分は家族の同意が必要だといいだす。

ひとつには、憂生が確執を取り除けるかもしれない案をだすかもしれないという思いより

単純に、彼という人間への興味本位で尋ねているだけととらえたか

素人になにがわかるか

ましてや、かけつけるという行動をおこすこともできないくせに

と、いう思いがあったのかもしれない。

どちらかというと、

憂生はむしろ、この女医のほうが、心配になったところがあった。

どういえばいいだろう・・・。

実際、自分がなんとか治したいとおもっていたら

父親との確執か?とみぬくような人間なら

なにか、いい案がでてくるかもしれない。

話して聞いてみようか?

万にひとつでも、なにか打開策のヒントになる発言があるかもしれない。

それこそ、藁にもすがるというような必死さが薄いように思えた。

それが、医者なのか。

と、いう思いがわいてきて、憂生はひょっとすると

女医は彼の女房さんではないのだろうか?

と、いう気がしていた。

無論、実際のところはわからない。

そして、もうひとつは

確執をこじあけるのをあまりに畏れているともみえた。

ネットをとりあげたら死ぬかもしれない。

と、いうのに、似た、畏れに見えた。

 

相手の膿をだすのに

痛い思いをさせずに、膿をだせるわけはない。

痛みを与えることを畏れるあまり

膿が広がっている。

そこに問題があるような気がしていた。

いいかたを変えれば

まわりの人間の腫れ物にさわるだけの態度こそが

彼の狂いを助長させていたようにさえ思えた。

 

それが、結局、サークルをつくり

そこのボスになり

居心地の良い場所をつくらせ

何もしらず彼を敬愛する人間をつくりあげる。

ネットがなかったら死ぬという言葉におびえ

たとえば、彼のサークルに集う人間に

事実を話し、さっていかせるようにしむけることもできただろう。

居心地の良い場所を提供し

多くの人間に事実をふせ

彼の世界を構築させているのは

あなた(たち)じゃないか・・・。

そういう思いが憂生にひしめいていた。

 

だから、家族にという言葉で1クッションおこうとした女医に

憂生は断った。

彼が大事でまわりの人間の気持ちを考えられない状態

すまないという気持ちがでてこないというか

だまされたままでいてもらうしかないというより

憂生への最初の態度のように

だまされるものが悪い。きがつかぬものが悪い。

かのようなものの言い方。

まるで、こっちが加害者かなにかのように

彼の世界を助長させる手助けをするだけだ。

と、自分たちが被害者に摩り替わっている。

 

不感症のようにだまされている(信じているというべきか)人間への

すまなさもみせず

彼の行状の監督不行き届きをわびるでもなく

どう考えても

普通の感覚ではない。

 

自分も彼の狂いによる被害者なのだという立ち居地にいるかのようにさえみえた。

まるで、

それをしたら、私がお父さんになぐりとばされるという恐怖から

ーあんた、よけいなことせんどいてよーと文句をいわなければならない。

そんな物言いにみえた。

 

だが、それも、なぜなのか判った。


11



書きながら、考えていた。

憂生が何故、彼の狂いの元に父親との確執があるとおもったのだろうか?

と。

それは・・・。

たぶん、彼の記事を読んだせいかもしれない。

そこには、無論、女房さんの存在はなかった。

だいぶ前にかいたことだが、

あの男にちかずくなと警告をはっしてくれた人間がいた。

今かんがえなおすと

その人間は憂生のことを女だと思っていたのではないかと思う。

その警告のときに

彼には女房がいて、子供が二人?いる。

と、いっていた。

憂生が女で、彼にのぼせあがっていると考えたのではないだろうか?

子供まで居て・・かよ。

よほど、辛い確執があったとしか思えない。

その確執がなんであったかはわからないが

ただ、彼の記事には女房さんもでてこず

もうひとつ、父親もでてこなかった。

母親のことはかいていた。

家も裕福なようで、床の間が映りこんだ部屋の写真があったが

かなりの立派な家のようにみえた。

それは、警告の通りをしんじるなら、

途中で会社勤めをリタイヤした彼では建てられないとおもえた。

誰がたてたかといえば、つくりがまだあたらしいようにもみえたから

彼の父親もしくは祖父だろう。

その二人とも、彼の記事にはでてきていない。

祖父はあるいは、亡くなったのかもしれないと考えれば

話にでてこなくても不思議ではないかもしれない。

家族構成まで話す必要もないが、

やはり、居るだろうに、女房さん同様、話にでてこない。

そして、まあ、独身男のほうが

サークルによってくる女性もふえる可能性があるだろうから

女房さんのことを伏せるのもわからないでもないが

父親の話がでてこないことから、

彼の確執は父親に関わるとおもったのだと思う。

奇妙な違和感としてのこっていたのかもしれないし

触れられたくないことには

自分からもとおざけておくという心理をおもったのかもしれない。

 


12


とりあえずは、メッセージをとりさげておいたが、

憂生はもうひとつ、きがかりをみつけてしまった。

彼のサークルの中に何人か知人がいた。

ほかにも、彼の記事にコメントをよせていたり

彼が話しかけてくれたと喜んでいた女の子の知人がいた。

どうしようか迷った。

だが、話しておこうときめた。

最初に話したのは、男性だった。

まず、たずねた。

「おまえ、あいつのサークルにはいってるけど、あいつのこと好きなのか」

変な意味(BLとか・・)に誤解しないでほしい。

本当に好きでいるのなら、なにをきいても、その気持ちは変わらないか

あるいは、事実を聞いて、何らかの援助、

それは見守っていこうというものも含めて

何らかの良い思いを持つことができるかということである。

そこを確かめなければ話せなかった。

すると、その男性は

「好きですよ」とあっさり、肯定した。

ならばと思った。

そして、事実をはなした。

そして、憂生の考えもはなした・・かな?

結局、居心地の良い場所、彼への協賛はかえって彼の世界を頑強なものにする手伝いにしかならない。

本当に好きだと思うなら

去っていくほうを選ぶの本当ではないだろうか?

お前の気持ちは憂生が判っているから

一端は離れて、彼の復帰を祈ってやってくれ。

と、そんな風なことをいったかどうかも覚えてないけど

とにかくは、その男性はサークルからぬけて、彼からはなれていった。

あとの人は、おつきあい、リップサービスという

簡単なというと失礼かもしれないが

処世術のような、おもしろそうだなという感覚くらいだったようで、

憂生の話をきいて

できるだけ、かかわらないようにする。

彼のほうが話しかけてきたのを断るというような態度も良くないだろうから

自然とはなれていくようにする。

と、いうと

ー良くなることを祈ってるーと付け加えた。

そういう思いになってくれる人もいるということを

あるいは、そういう風におもってもらえるように

女医や女房さんが手をつくすこともできるだろうに

と、思っても居た。

なにゆえ、そんなに、彼の構築した世界を助長させるのかと

どなりつけてくるのか、

やはり、少しは縮小させていくこともできようし

あえて、見守りたいと残るひともいるだろうにと思えば

なおさら、なにかしら、女医たちが人をしんじられないようにみえて

その感覚がなおさら不思議におもえた。

 

それが、次の日にわかった。


13


どうやら、女医も憂生を「女」だとおもっていたようだった。

そうじゃないかもしれない。

じゃなけりゃ、そんな話はしない・・だろう。

最初にはなしてきたのは

ー彼はなにか、窪みや凹みをもっている女性をかぎつけるのに長けていたーと、いう言い方だった。

つまり、憂生も女性で、かつへこみや窪みを持っているから、

彼がかぎつけてよってきた。

というふうに、取れた。

その続きが正直、そこまで話していいのか、わからないが

ー彼のそういう能力で、二人の女性が被害にあい、

奥様がいらっしゃるとしって、

一人は自殺、たすかったけど。

一人は精神的にだめになって、私のところで預かっているー

憂生が彼に好意をもっている女性であると考えるのなら

あえて、こんなことはいわないのではないかとも思える。

が、そんなことはどうでもいい。

それでか、と、思った。

それで、サークルに入ってる人間に対して

警告をはっさないのも理解できた。

実害がないからだ。

憂生がメッセージをだしたのをみて、

女性だと考え

3人目の被害者になることを恐れた。

へたなことをいうと、前のふたりのように、

自殺したり、精神錯乱をおこしたりして

どうにもできなくなる。

と、でも考えたのではないだろうか。

ただ、女医はこういってた。

ー貴方の記事も、作品もすべて、目をとおしましたー

はっきりいって、膨大な量だったとおもう。

すでにそのころで、作品は60編もっていたし

記事も毎日5~7~10記事、毎日かかさず書いてる。

その記事をよんだからこそ

憂生にすべて?を話す気になったとも思えた。

だが、その女性の被害者の話がますます、憂生を怒らせてしまったかもしれない。

うまくそのときの感情を説明できないのでかもしれないとかいている。

どういっていいか・・・。

そんな被害をどうのこうのいうんじゃない。

それは、何度か書いたように

だまされるほうも、自分に落ち度がある。

自立できていないというか、

なにかに、依存しなければならない弱さがある。

だから、彼という依存相手が実は狂っていたとか

奥さんがいたとかで、簡単に依存精神ごと自分を崩壊させてしまう。

どこまで、彼が好きだったかでなく

彼に好かれていることに立脚している。

本当に好きだったら、私が立ちなおさす、

私がささえる、奥さんがいても協力したい。

と、いうのじゃないか?

憂生のいう事はきれいごと

あるいは、

強い人間の考え方かもしれない。

結局、彼女たちも

幽霊にとりつかれる人間のように

とりつかれるだけの「思い方」しかもってなかったといえる。

鉤がなければどこにもひっかからないのとおなじで

ひっかかるには、ひっかかるわけがある。

女医のいうとおり、

窪みや凹みをもっている女性という言い方はそのとおりだろう。

だからというのではないが、

もうしわけないけど

だまされるほうにも、落ち度がある。

で、あるから、

サークルの人間たちに警告を発しないのもわからないでもない。

世の中、そんなに甘くはない。

と、いうことだろうし

いずれ、サークルの人間もはなれていくだろうから

わざわざ、嘘をしんじていたのよと告げる必要もないだろう。

 

が、

そんな被害をだしていることさえ、

自覚がない、そんな廃人同様なままの彼で

一生をおえるのか?

それも、女医たちがオブラートにくるむように

彼を護り続けて?

ーおまえ、それでいいのか?ー

ふいに、憂生の胸にわいた思いはそれだった。


14

そして、憂生は何人かの人に相談にいった。

実際のところ、憂生も混乱していたと思う。

頭では、理解しても

なぜ、そういう状態の人間をのばなしにしているか。

たとえば、被害者の女性の親族などが

彼をうったえたとしたら?

当然、刑事裁判とかになり、

そして、彼には責任能力がないから

無罪放免になる。

そうでなくても、法定にたたされたとき

彼の精神もどうなるか?

悪いいいかたをすれば

罪はとわれないだろうけど

罪を隠蔽したともいえる。

そうせざるを得ない状況もかかえていたというのも

判らないでもないが

それさえ、本人にはわからない。

自分のしでかした事もわからなければ

彼女たちにもうしわけなかったとも認識しない。

ひどい言い方かもしれないが

それで、生きているといえるのだろうか?

ネットの中に作り上げた人格にのっとられて

まるで、パソコン人形のように

感情のないとはいわないが

嫌なこと・苦しいこと、いっさい排除してさまよっている。

まさに廃人という言い方が正解としかいえない。

人が廃れる。

勝手ないいかたかもしれないが、

もがいて、苦しんで、生きていくからこそ

人間じゃないのだろうか?

 

多くの疑問と

一連の事実を

どう捉えていけばいいか

ベストなのか?

そこで、まず、ネットの中でもっとも良識をもっていると思う人に話した。

その人の見解は簡単に言えば

ー甘い人間であるー

と、いうものだった。

たとえば、もっと昔なら、欝病とかそんな病気はなかった。

あったとしたら、まともに働かなくていい、御幣があるが

小説家とか、金持ち。

他のものは、必死にはたらかなきゃならなかった。

生活ひとつだって、水ひとつだってくみにいったり

洗濯だって、ひとつひとつ手で洗い

火をもやすのも薪で、薪をきったり

いろんなことが、便利になりすぎて

金でなんでもできるようになって

自分の身を粉にして働かなきゃ

食えなくなる、なんてことがなくて

ごはん、ひとつたべるのでも、どんなに手をかけて

米からであっても、

くんできた水、火をおこす薪、それらを使い竃で火加減をみながら

一杯のご飯に、それをたべさせてやろうとする多くの人間の力がはいっていて

ご飯を一杯たべるのでも、どれだけ自分を生かせてやろうとする

人の思いに自然のめぐみ

この思いに感謝しかでてこない。

たとえば、そんな思いもしらず、

辛ければ会社やめます。

病気になります。などと言っていられなかった。

そんな甘えた考えでいたら、自分をそだててくれた親さまにすまないし

自分もくっていけないだけでなく

女房子供を路頭にまよわす。

結局、自分のことしか、考えていない。

そういう意見だった。


15



ある女性・・それはすでに名前をだしているのでそのまま書くが

KUMINAさんに尋ねた。

他の細かいことはわすれてしまっているが、

このときに

ー憂生、いつか、そのことを小説にしなさいー

と、いってくれた。

この方は他のときでも、憂生に重要なセンテンスを与えてくれていた。

言葉だけをいう。

出る杭は打たれる。

ー打たれても、打たれても、また、上がってくればいいー

打たれてくじけ、やめるくらいの気持ちなど本物じゃないだろう。

本物だったら、あがってくるんだ。

あがってくるから、本物になるんだ。

その言葉は、ブログにたいしてもそうあるべきだとおもっていた。

仮に顔をあわせられないような失敗をしでかして

ブログから逃げ出して、別のブログ・IDでやりなおすという人をみかけた。

憂生はブログにそのまま、自分の失敗をつづり

申し訳なかったとさらけだしてきた。

つまり、また、あがってきていた。

だから、ブログは諸事情(カテゴリ数とか1スレッドの文字数制限とか、いろいろあって)

メインブログを軸にしてあちこちのブログをつかったが、

一貫して、憂生でとおしてきている。

恥にしかならないようなこともさらけだしている。

だから、KUMINAさんのいう、いつか小説にしなさいという意味合いもわかる。

憂生自体が、ものをかきながら、自分の中を整理し

自分を客観視したり、観をかえたり、

指標をみつけたりする大事な作業だった。

自分と向かい合う、大事な作業だった。

だから、小説にしなさいというのは

逆をいえば、客観視できないとできないことであった。

たぶんに、この一連の文章はまだまだ、小説の範疇ではなく

日記のようなものでしかないということはわかっている。


16


次にたずねたのが、記憶ちがいかもしれないが・・

あとで、ある意味、憂生をすくってくれた人間だったので

はなしているとおもう。

それは、二人のアニマのところでも頼った

透視能力(と、いうと御幣があるが)ある人だった。

その人になんと、いわれたか

おぼえていない。

結果から逆に類推すると

ーかかわると、憂生がつらくなるから、やめておけ

と、いっても、自分が辛いからやめる人間じゃないよなー

と、いったような。

その人はそのあと、あえて、彼のサークルにはいっていた。

その真意はわからないが

なにかをみこして、あえて、ちかずいていたのだとおもうし

女医ともしりあったか、家族としりあったか

ある事件も憂生につたえてくれた。

その事件のことは、後で書く。

が、この人が憂生の憑依をさっして

払いにきてくれたり

憂生の頼みをきいて

体の中に?もぐりこんでくれて

憂生の中にいた、金色の光のことなどはなしてくれた。

そういう意味合いで(ここは詳しくのべないとわかりにくいことだけど)

その人の能力は本物に間違いないものだった。


17


あと、何人かに話をきいたが、これはおぼえていない。

と、いう事にしておく。

もうしわけないことである。

そして、最後にたどりついたのが自傷癖の青年のところだった。

この青年については

妄想列車のところで、すこし、かいているが、

愁眉を開く

そういうくらい、人の思いを掬い取り

簡潔な言葉で、物事の本質を悟らせるような人だった。

青年を最後にとっておいた(いやな言い方かもしれない)のも、

そこにあったとおもう。

ある程度、自分の考えや気持ちをみさだめてから、

青年と対峙したかった。

この青年のことも、女医にはなした。

なにをいわれて、そういったのか覚えていないが

自傷は弱い人間のすることだ。

と、いう表現をしたとおもう。

女医はそうだろうか?とくってかかってきた。

心の中の抑制力が飽和してしまう。

青年の人柄がわかってるだけに

そんな人間が抑制力がきかなくなってしまうとなると

もうしわけない言い方だけど

ー弱いーという言い方になる。

憂生自体もならぬ堪忍するが堪忍で、

こらえるにこらえられない怒りをおさえつけたことがある。

それは、自分がここで、きれたら

自分だけじゃすまない。

周りの人間をきずつける。

それをかんがえたからであり

考えられず、考えても、おさえられなかった自分の時は弱いとおもった。

 

それは、ひいては、

彼も弱い人間でしかないということをつきつけたかったのかもしれない。

それをさっしたか

弱いから、ネット依存ににげこんだんではないといいたかったのか

判らないが

ここも、奇妙に思えた。

なにか・・・。

女医こそが、彼本来の元の性格、正常な状態を神格化しているような。

弱い人間などではないのだと。


18

今になって、思い返している部分がある。、

当時、疑問だけだった

なにか、しっくりこない感覚を

今、こうではないかとかいているところもあり、

そういう意味では、当時の思いとは違うところがある。

頑迷に青年に対してのことであるのに、否定し

それは、どういう判断で弱いというのか

憂生にたずねようとしない。

 

それは、弱いということじゃない。

と、いうわけだけど

逆にそれも説明しない。

 

合ったばかりの人間の抽象的一言が

なにを捉まえているか、わかろうはずないのはお互い様だが。

それでも、

それを彼におきかえて物をいった側にすると

女医が、彼を弱いとみていないと思えた。

それは、いいかえれば、

彼の不調は長引いているが、治るはずだ。

と、いうものであり

逆にいえば、完璧な廃人であると認めていない。

完璧な廃人だとみとめていればこそ、

彼の行動にたいして・・

最新の注意をはらい、サークルの会員にも

事情をはなしということをするだろう。

それをしないのは、彼がなにをしでかすかわからない狂人であるということを

認めていない。

すでに被害者をだしているというのに。

それは、つまり、すでになくしてしまった元の彼の偶像を崇拝していて

あの彼だから、と、いう目でみていると思う。

それは、何らかの確執にくずれさった弱い彼をみとめていないということにもなる。

だが、それも、彼なのだ。

その彼をあるいは、否定している。

廃人で弱い人間。

それを認めないと逆にそこを突き崩せないのではないかと思えた。

 

そして、父親との確執というのがなんであったか、わからないが

やはり、厳しく育てられていない。

苦労しらずというとなんだが

自分だけが、苦しいと思い込みすぎたか・・。

父親の気持ちをおしはかることができないばかりか

そこから、目をそむけてしまう。

嫌なこと・痛いことから目をそむけ

むきあう強さがないともいいたい。

狂うはめになるのも、自分に落ち度はないものだろうか?

そこをみせていかなければ

はいあがることはできないだろう。

自分がにげこんでいるという自覚さえない状態は

はいあがる必要性をかんじさせもしない。

 

そして、それを助長させているのが、

彼を廃人とみとめず

弱いと認めない存在だろう。

 

こんな状態で、父親のような厳しさをもって

彼に対峙する人間がいず

彼もまた、父親を隔離している。

 

サークルに入った透視能力者は

のちにつたえてくれたが、

そりゃあ、おそろしい修行をした。

鬼がでてきて、髪の毛をつかんでひきずりまわすのだ。

と。

 

あるいは、そういう試練をのりこえなければ

そういう恐怖にうちかたなければ

つかめないものがある。

 

彼の状態もまさにそうで、

地獄の鬼にみえないだけで、

居心地のよさそうな依存世界という地獄に身をおき

そこから、ひきずりだされる恐怖におびえる。

 

恐怖に打ち勝たなければ

つかめないものがある。

それをつきつけるものは

父親しかいなかっただろう。

その恐怖と対峙せずにいるという状態にあまんじさせている。

 

女のもろいところは、そこだろう。

情にまけて、

死なせてはいけないと彼を護る。

男は特に父親は

人として、まっとうにいきられないなら

極端だが、死なせてもいいからと覚悟をつけて

這い上がらせる局面をたたきつける。

その親の思いが

逆に彼をひきあげる。筈・・。

 

そんなことをおもいながら、自傷癖の青年に

はなしをした。

と、おもう。


19



非常にもうしわけないが、

そこでいわれたことだと思い込んでるかもしれない。

そして、確か、青年もまた

関わらないほうが懸命だといったと思う。

その理由を話してくれたのがそれだったと思う。

ーどんな精神病でも、愛してくれる人が、抱きしめてくれたら、必ず治るー

そのときに、青年はつけたした。

ー俺はだめだけどなー

青年は恋人を亡くしていたから・・・。

 

その一言

ーどんな精神病でも、愛してくれる人が、抱きしめてくれたら、必ず治るー

と、いうのは、厳しい言い方だが

彼の奥さん、(あるいは母親、父親)しか、彼を救えないということになり

彼の奥さんなる人が、とことん、彼を抱きしめるしかない。

妄想列車の話でもそうだったが、

ときめかないからと修復さえ試みない考えがまかりとおるなか

彼の行動を経緯を考えると

それは、酷なことかもしれない。

ただでさえ、彼が狂気におちたことさえ、うけいれがたく

なんとか、元にもどってほしいとおもうだろう。

それは、また、反面、弱くてもろい彼ではいけないと彼をおいつめるだろう。

それでも、逃げずにがんばっていれば

他に女をつくり、

あげく、その女性たちの精神を・人生を崩壊させる。

奥さんもいろんなショックから立ち直れずにいるだろう。

幸せだった結婚生活もくずれさり、

彼はいっこうに回復のきざしをみせない。

そこに単純馬鹿のともいえるし

ちょうど、同じタイミングである女性の意識回復の協力に奔走しており、

他にも、いくつか、きがかりが混在していた。

その状態であったというのもいいわけがましいが、

彼の申し出をきいてしまった憂生がいたわけだ。

 

確かに、

ますます、彼の世界を構築させ、いっそう元にもどらない。

と、奥さんがおもったことだろう。

 

青年の一言で、

憂生は自分じゃ無理というよりも

彼の奥さんが(家族)が、彼を抱きしめていくしかないのだと、わかった。


20


 憂生が決断したことは、正直を言うと、

いちかばちかの賭けだったとおもう。

そして、なぜか、それが、解決の糸口になると、

しんじていた。

それは、今までの憂生を自分が信じていたといっていいかもしれない。

決めると、覚悟した。

どっちが先だろう。

覚悟してから決めた。

か。

おそらく、誰も理解しないだろうし、

孤立無援になるだろうし、

多くの人間からもののしられるだろう。

けれど、なぜか、失敗するという思いはなかった。

失敗するかもしれない賭けをするわけにはいかない。

人一人の命がかかっているのだから。

 

憂生が彼に何を言ったか、細かいところは

今はもう覚えていない。

ただ、社会復帰しろ。

と、言ったことと

最後に、お前は社会に戻るように努力しろ。

憂生は、物書きとして、ずっと、ものを書き続ける。

と、いった。

それから、彼の不調がはじまった。

おそらく、ネット世界と現実というふたつの世界認識は彼になかった。

とまどいと、混乱の中にいたのだろう。

そして、

おそらくだと思うが

彼は自分でかけた呪縛にからまった。

 

ネットがなければ、死ぬ。

それは、自分の世界がなくなるのだから、

地球がなくなれば自分も死ぬというのに

同義だったろう。

 

不調のさなか、

サークル会員にアンケートをとっていた。

死後の世界はあるか?

幽霊はいるか?

 

彼はあるいは、自分が

死んでいるとでも、かんがえたのかもしれない。

 

そして、ある日、

家族?かだれかが、彼のホームページの記事に

緊急入院になった。

と、彼の様子をしらせ

しばらく、サークル活動を休むとかかれていた。

 

そして、すぐ、憂生のもとに女医がやってきた。

 

ー貴方は人の心に土足でふみこんでくる

もう、二度とかかわりたくないー

 

と、つげると、もう二度とあらわれなかった。

 


21

憂生の驕りだといわれれば、それまでだと思う。

彼は帰ってこず、

サークルの部員もぽつぽつとやめはじめていた。

 

そこにやってきたのが、

透視能力者だった。

ー憂生、言うまいかと思ったけど、告げておくー

と、前置きして、

ー彼は首をつったんだ。

さいわい、家族の発見が早くて

一命とりとめたんだけどー

憂生は、なにも答えず、話をきいていた。

ー病院のベッドで、泣き出して

死ぬのは怖い・・怖かった・・と

わんわん、泣いたそうだー

不遜と思ってくれていい。

良かったとおもった。

それは、生きていたいという自我をとりもどし

本当の自分をとりもどすきっかけになる。

あとは、

奥さんが彼を支え、

青年の言うとおり、

抱きしめていく。

そうすれば、必ず治る。

そして、憂生は完璧に孤立無援になるなとおもった。

女医のいうように、

人の心に土足で入り込み

しなせかけた。

どうなじられ、どうののしられてもしかたがないこと。

不遜と驕りのかたまりが

人の命を天秤にかけたのが、事実だ。

すると、透視能力者がいった。

ー憂生、おまえは本当に馬鹿だ。

自分のことをこれっぽっちもかばおうとせずー

どういったか、はっきりおもいだせないが

ようは、透視能力者は憂生の思いをわかっていた。

まあ、

多少、救われた。

 

けれど、自分こそが自分を責めていただろう。

憂生の相方にAKIRAってのがいる。

もう長い間、連絡をとってないから

別の人間の・・漫画家か?小説家か?の相方やってるか、

プロにでもなってるか

さっぱりわからないけど。

そのAKIRAに連絡をいれた。

とたんに叱られた。

ー憂生まで死のうなんて、考えるなよ。

そいつは、死にたいから死のうとしたんだ。

憂生のせいじゃないー

そうかもしれない。

誰かのせいにして・・・

憂生のせいにしておけば、

悔しい思いもなにもかも

憂生のせいにしておけば、

あっさり、逃げようとした弱さをなじりたくなる思いや悲しみを

本人にぶつけずにすむだろう。

そういうふうに、かんがえておけばいいかもしれない。

 

そして、1年くらいたったろうか・・。

突然、彼が足跡にコメントをかいてきた。

ー俺、社会復帰したぜー

まともに、口をききたくないふうだった

最後の会話を思うと、ずいぶんかわった。

だけど、

それも、憂生にはどうでもいい。

憂生は憂生で自分の決め事をまもるだけしか、

彼に誠意をみせるすべはない。

ー書いてるよー

ーああ・・がんばれよー

ーああ、おまえもなー

そう答えたけど、どこかで、嘘のようなきがした。

また、ねじこまれたら、怖いとでもおもったのか、

防御線をはったかもと・・・。

でも、それもどっちでもいい。

彼があいかわらずだろうが、

正常にもどっていようが

それをうけとめるのは、女房さんだ。

 

憂生は、約束どおり、ものを書いていく。






それから、彼がどうなったか、しらない。

ただ、風の噂で

女医がいろいろ深い事情をかかえている女性と

ひどく、やりあってるのをきいた。

相手は

突然、娘さんが自殺されて

その原因さえ思い当たらず

悲観にくれていた。

(憂生がみた当初)

 

それをみていて、

当時の憂生は知人たちとはなしあっていた。

そこから、何を学ぶか。

憂生の結論だけいう。

親子の信頼関係を持て。

いざとなったとき、親がどうにでもしてたすけてくれる。

はなしができる、頼られる親になれ。

普段から、子供にむかって

なによりも大事なのは、お前の命だとはっきりつげておけ。

どんなに話しにくいことでも話しなさい。

親はたとえ、子供が極悪人になっても

絶対みすてたりしない。

などなど・・・

そんなふうに、子供を亡くされた方のことから

とても、大切なメッセージをうけとっていた。

 

だから・・・。

精神科の女医ともあろうものが・・ともおもった。

そんな心の傷を持っているもの相手に・・・

 

もっと、深いわけがあるのかもしれないが・・。

 

そして、また、だいぶたってから

その女医が自殺したらしく

弟みたいなのが、でてきて

先の子供を亡くされた方とのなじりあいをいうのか

貴方の心無いことばに姉が傷つき

精神的にだめになって

そのせいで・・

とか、かいていたようにおもう。

 

たしかに、

へこみやくぼみのないものはどこにも

ひっかからない。

女医もそうなのだろう。

そういう学ぶべき筋のところにがりがりとひっかかる。

結局、彼との遭遇もそうだったのだろう。

 

そして、また、憂生も後年

かれらとのかかわりから学んだもののおかげで、

一人の人間を救いだせた。

とくに、

「愛してくれる人がだきしめてくれたら、どんな精神病でもなおる」

その言葉にささえられた。

 

憂生もまた、

鉤をもっている人間だったとは

そのときはきがつかなかった。

 

だが、そういうかたがたから多くのことをまなんだというか

そこに

必死で向き合っていたからこそだと思う。

あの時、このとき、

知っったことじゃあないよとやり

彼の行動にのってしまったのをだまされた、利用されたと

考えていたら

もっと、深淵を覗くこともなく

憂生の身近な人間への対処もできなかったかもしれない。

 

AKIRAが憂生にくれた言葉で、

しめくくりにする。

ー人生に起きる物事にいっさいの無駄はないー

そのとおりだったとおもう。

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心霊




精神に関わる話として、

いくつか、あげてきた。

その中で、直接にしろ、間接にしろ、

霊・霊現象・霊の存在が関わってくる。

このあたりで、

精神と霊というのが、切り離して考えることはできないという気がしている。

憂生が、不思議となんらかの窪みをもった人間とかかわってしまうのを

当初、究極的には

ーなんとか、してやりたいーという思いがあるせいだとはおもっていた。

それは、天王星人の宿命みたいなもので、仕方がないのだろう。

ところが、あるときから、

ーなんとか、してやれないかーと、思う相手と対峙していると

いや、もっと、

なんとも、おもってないうちからでも

憑依の時のような、奇妙な幻惑感がおきはじめていた。

そして、はなしをききはじめると

なにかしらの心のくぼみのようなものがあった。

それで、なにかしら思い迷うひとのの守護霊とか

そんなものが、はたらきかけてきて

関わりをもたせていたのが、本来で

今まではそうとは知らずに

天王星人の宿命だろうみたいにかんがえていただけだったのではないかと。

 

そして、相手の心のくぼみというのも、

憂生に、何らかの鉤があるから

そこにひっかかることになり

相手に対して、いろいろ、なんとかしてあげたいと思うその内容も

結局、相手の窪みということばかりでなく、

憂生自身の「鉤」

あるいは、パイプをとおりぬけようとするときに

とおりぬけることをできなくする「角」やら「凸」であり

相手の窪みをうめるためにかけた言葉は

逆に憂生の「角」やら「凸」をけずるための

最初の作業である

「角」やら「凸」を具体的に憂生に認識させることになった。

 

人を助けているつもりで、

実は自分が救われていたのであり、

そういうのが、

お互いの守護霊やら魂からの

引き合わせであるのではないかと

かんがえるようになった。

 

つまり、最初に書いた

精神に関わる話として、いくつか、あげてきた。

その中で、直接にしろ、間接にしろ、

霊・霊現象・霊の存在が関わってくる。

このあたりで、

精神と霊というのが、切り離して考えることはできないという気がしている。

ということになる。

 

心霊というものが、あるいは、精神ということなのかもしれないとおもう。

そういう観点から

精神と霊がかかわってる。

密接に関与していると思えた事件?をすこし、あげてみたいと思っている。




彼女の魂が・・やら

彼の魂が・・を読んでくださった方はある程度

知ってらっしゃることだとは思う。

憂生は最近はほとんどないけど、

誰か、あるいは、人の思いを拾うということがよくあった。

一番、最初に気がついたのは

友人のところに遊びにいって、

夜、寝るときになって、

布団にはいったら、

どこからともなく

ーああ。明日も仕事か。ああ、明日も仕事かー

と、いう思念のようなものが

つたわってきていた。

それは、部屋の天井辺り、一面に充満しているように感じた。

そのときにきがついた。

これは、友人の思いで、

毎日、寝るときに

ーああ。明日も仕事か。ああ、明日も仕事かー

と、憂鬱な思いで布団にはいり、

その思いの逃げ場所がなく

その場所に充満

あるいは滞っていたのだろう。

そういうふうに、いくどとなく、

誰かの思いやら、何者かわからないものの

思いをキャッチすることは

数多くあった。

そういう時期をすぎて、

あまり、キャッチしなくなったと思うころに

今度は奇妙な幻惑感、めまいのような、しんどさが

対峙する相手によっては

ひどく、感じられるようになってきていた。




幻惑をつよく感じたのは、

ある男性とメールで直接はなすようになったときが、

最初だった。

立て続けに2人くらいから、

幻惑を感じ

憂生はその共通点をさがしていた。

なぜ、幻惑がおきるのか、わからなかったから。

なにかしら、共通点があれば、わかるかもしれない。

そんな思いがあった。

それで、アメーバーあたりの霊能力者とか、

訪問したりもしていたのだが、

正直をいうと、これといったヒントもえられなかった。

で、あるのに

集団でいらっしゃるアメーバーの霊能力者のブログから

訪問があると

幻惑感があり、訪問履歴を見なくても来ていると判る幻惑があり

念のためにたしかめにいくと来ている。

それが、続き、またきているなと思うと

別の霊能力セラピーとか

そういう人たちがきていて、

それを逐一たしかめていくと、

霊能力者でも、幻惑感がくる人と

こない人があり

ますます、共通点が見えなくなっていた。

対峙した3人は

しいていえば、精神的な窪みがあった。

いわゆるPTSDに近いものやら

躁鬱病。恐怖症・・などあり

そのうち二人は霊感のようなものがあった。

霊能力者によっては、

自分より上のものが(霊?)くると、

幻惑感のようなものが起きるといっていた。

だが、憂生の場合は、

なにか、ちょっと違っていた。

どう違うかはなすと、この話はながくなるので、

はぶかせてもらうが、

そうこうするうちに

今度は足跡がのこらないかたちで、訪問されていて

誰がきているのかわからないのに

まちがいなく、一人の人間の訪問のときに

かなり、強い幻惑をかんじることがたびかさなった。






そのころ、

見えるというのではないけど

イメージのような感じで

相手の魂の状態がわかるときがあった。

たとえば、

私は覚醒した。大国主命・・そのほかとコンタクトして

お言葉をおろしてくることが出来る。

などという能力者がいてその人の魂をイメージすると

透明な魂で中に黒い餡のようなものがはいっているように見える。

それがどういうことか、わからないので、

オーラの色とかを参考にして考えることをした。

すると、透明はやはり覚醒者とかスピリチュアルを極めたひと、修行を積んだ人などに

みられるもので、

とりあえず、その人は本物らしいと思うのだけど

あの黒い餡のようなものはなんだ?としらべにいくと

欲・汚れとかいてある。

おかしいなとおもいながらも

そういう霊能力?みたいなもので金儲けをしようとしているところが

そういうことになるのかなと

思いながら、その魂を手にのせると、手がしびれてくる。

いままでも、そういうことをしたことが2,3度あったが

しびれてくるということは奇妙だとおもった。

そこで、ぐぐってみると奇妙な本をみつけた。

ページだけど・・・。

それを読みだすと、また、手がしびれる。

それは、単純にかんがえても判る。

やはり、暖かな思いでかかれていたら

そんな変なエネルギーはださない。

さらにしらべていくと

ーその人の本の内容はいけない。

読むまでもなく、手にとっただけで、手がしびれてくるーとかいてあり

もう一度、先の本をの作者をしらべると

ーその人ーだった。

それで、いけないといっていた人のブログに戻り

記事をよみなおした。

リーマンさんという人で、有名な人らしく

コメントの数がすごかったので、

憂生みたいな人間もいるかもしれないと

コメント欄をのぞいたところ、

そこで、幻惑感がきた。

おそらくだが、

神頼みみたいにリーマンさんに頼ろうとする依存的な心や

なにか、悩みを抱えていたり、好奇心半分とか

なにか、マイナス的な思いがうずまいていたのだろう。

リーマンさん自体が、自分の記事は浄化?しているとかいていたとおり

リーマンさんの記事からはそんな変な感じはわいてきてなかった。

おそらくだけど、コメント欄は浄化してなかったのだろう。

それで、黒い餡のような魂を手にのせてしびれるというのは

良くないのだろうと結論すると同時に

幻惑感も何らかのーマイナスエネルギーーを発しているとおもえた。

そのマイナスエネルギーというのが

リーマンさんのコメント欄でかんじたような

簡単に言えば、助けてほしい、というSOSというか

マイナス状態がひどいのではないかと思え

先の3人もそうであるとおもえたし

繰り返しくる、幻惑感の強い人の訪問もそうなのだとおもえた。

 

その幻惑感が強い人がある日、コメントをよせてきていた。



個人のことであり、あまりに詳しくかくわけにはいかないので

おおざっぱに書く。

コメントがきっかけで憂生の思うことをはなさせてもらったのだけど

その方は、以前に霊能力を封印されて、

使わないようにきめたらしい。

ところが、なにか、精彩に欠くという感じになり

鋭くピン!!とくることがなく

もう一度、封印を解いたほうがいいのか、

まよっていらっしゃった。

で、その方の魂をイメージすると

赤と青のマーブル模様になっている。

これまた、わからないので、

オーラの色の解説をみてきた。

赤は感情・情念

青は冷静・理性

と、かんがえられた。

まさに、

その方の迷い通りといっていいか。

霊能力は(何らかの理由で)封印したのだろうから、

理性としては、使わないほうが良いと考える。

が、

実生活において、なにか、物足りなさを感じたか?

情熱のような感情のきらめきがほしいと思うまさに感情部分。

言い方を変えれば、

欲と理性が葛藤していた。

 

精神が魂(心霊?)を、そのような様相にかえてしまうのだろう。

 

それで、憂生のほうが捉えている考え方で

霊能力の良くない部分を話した。(これは、御幣があるが、そのまま書いておく)

また、霊能力の有無に関わらず

魂自体が困惑の様相をみせていることから

考えても

大事なのは、魂の状態をよくすることじゃないだろうか?

つまり、思いを良くする。

先にかいたように、覚醒し、本物のスピリチュアラーであっても、

良くない思いをもっていると、

手にのせても、しびれさせるようなあるいは、毒をもっている。

霊能力でよくなる。悪くなる。

などの問題でなく、

自分自身の思い方をよくしなければ、

毒をだすような霊能力者になる(もちろん、霊能力者でなくても)

すでに、

自分の努力でがんばろうというのでなく

手軽に封印をとけば、いい。

と、霊能力に頼る、依存する気持ちがある以上

魂の中に負の状態ができてしまうだろう。

 

そういう考えがあったので、霊能力の有無より

簡単に魂のほうが大事じゃないのか?というようなことを

話した。

とたんにその人の浄化がはじまり

身上(体調に現れる、帳合)がおきていた。

 

そして、そのとき、魂を見たら

濃い緑色にみえ、

それにまつわらる故郷の森の話をきかされた。

このあたりは、どう答えたかわからないが

その人が、人に話せなかった(だろう)ことを

しゃべったのが、良かったのか

次に合ったときは

薄い藤色にかわっていた。

 

うすい藤色は確か、霊能力的な意味合いで

その人のなかで

霊能力は封印しておくときめたことにより

もともと、持っている霊能力的なものが自然にでてきたのだろう。

 

そして、おそらくであるが、

直感的にピンとくるのが、霊能力だとかんがえていたのかもしれない。

たとえば、

憂生と出会い、話をするようになるというのも

ある種の霊能力だったり、

遅刻してしまった。と、悔やんでいたりするが

遅刻のおかげで事故を回避していたりというのがあっても

なってないことがわからず、霊能力が発動しているとは気がつかない。

そんなふうに、

誰でも、そういう霊能力があるのに(霊能力とよばないかもしれないが)

護られ、無事にすごさせてもらえてることに

感謝せず、

もっと、ピンと来るようになりたい。

などと、いっていれば、

魂(心霊)も、困惑してしまうだろう。

がんばって、貴方をまもっているのに

きがつかないのは

貴方じゃないか・・と、伝えてほしくて

たとえば、憂生のところに

心霊がたよってきたのかもしれない。

 

同時に憂生もまた、

心霊に気がつかず、文句をいうような「思い」があるから、

そういう人に、ひかかってしまったのかもしれない。




以前に、2,3度、魂(心霊)を手の上に乗せたという事を少し。

 

彼女の場合。

ひどく、反抗的な子供のように感じていた。

なにかに、おびえているという感じで

それで、構えている。

なにか、あったのではないかと思ってるときに

どこまで、本当かわからないことだけど

暴行された・・・ような、口ぶりがあった。

つっぱって、本心を語るまいとする口ぶりでありながら、

理屈でかなわないとみえて、

ぽろぽろ、ぼろがでてくる。

当時、流行っていたものの言い方になるとおもう。

ネット界のなかでの、風潮に対する批判でもあったのだろう。

ー人の死を扱って、物を書くーと、いうことの裏側に

あまりにも、不謹慎であり、

その記事で自分のブログに集客しようという根性やら

面白半分・あるいは、興味本位で、簡単に書く。

と、いう事への批判的物言いだとおもわれた。

その口調というか、通説で、こちらをへこませてやろうとしたのだろう。

憂生自体は、親父が高齢のときの子供のため

すでに、親父はなくなっていて

そこらへんの話はいくつかある。

たとえば、じっさいにかいたことだけど、

死者に対して、町内会の人があつまってくれて

通夜をともにしてくれる人が何人もいたり、

近所のおばちゃんは、

親父にずだ袋をぬってくれて

ーとうちゃん、火葬場の人は金属いれちゃいけんいうけど

渡し賃がなかったら、困るやろから、いれといちゃるなー

ーめがねもないと、あかんなあー

ー入れ歯もいれといちゃるさけ、たべるにこまらんやろー

そんなふうに、生きているかのように話しかけてくれて

憂生の気持ちもずいぶん、やすらいだ。

それだから、気楽に死をかいていないと反論できるわけではないが・・・。

それでも、なにか、答えたと思う。

そういう通説のやりこめをもってきて、つきくずそうという

あんちょくな反抗心と言って、いいかと思う。

そうするうちに、べつの情報がはいった。

神戸地震に遭遇しているらしいと・・・。

人を恐れているようにみえたのもそのせいかもしれないし

一生懸命、信じれる人をさがしていながら

怖がるように、みえたのは、

やはり、なにかあったのだろう。

それで、あれだけ、反抗的だったから

こないかもしれないと思いながら

魂を呼んでみたら、来た。

そのようすは、白と薄墨のマーブル。

墨流しのような感じだが、

黒いところは少なかった。

黒のもうひとつの意味合いに

死とか停滞とかがある。

気持ちの上で、閉ざされている状態で

暗澹としている、孤独な状態におもえた。

それで、手の中で暖めたのだけど

今度は帰ろうとしない。

寂しくて、暖かなものにうえていたのだろう。

その後、

木質系の薄茶色なイメージにかわり

奇妙に

素直になっていた。

 

まだまだ、多感な時期で、

親身?になってもらえるとわかると

逆に依存するかのように

なってきたため、

申し訳ないけど、縁をきった。

 

が、これも、また、

精神・感情が、心霊に表れていると思える。





いくつか、精神と心霊(魂)の様子で、見たことをかいて、

終りにしたいと思う。

ある人は、閉所恐怖症かなにかをわずらっていたようで、

心配された、亡くなったおじいさんが

ある人とのメール中に現れた。(みえるわけではない)

詳しいことはここでは必要がないとおもうので、省くが

お爺さんからの伝言みたいなものをつたえたあと、

ある人の魂をみた。

手にのせたというのが正解か。

ずっしりと重たく感じた。

少し大きめの白っぽい、ちょうどパン種のような感じの色で

表面ががさがさとかわいて、小さくめくれあがった箇所がいくつかあった。

それが、おそらく恐怖症の症状をあらわすのだろう。

傷後のかさぶたのように

がさがさと乾いた箇所がひっぱれる状態になっていて

なにかのきっかけで、ひっぱられるのだろう。

それが、ある人には、

恐怖心として感じるのではないのだろうか?

原因はわからないが、何らかのうるおいがたりないせいだろう。

考え方の部分でも、こうしようと決めたからにはやらねばならないという

がんばり屋さんにみえたから

なにかやるのでも、楽しんでやるということより

やらねばならないという強迫観念にちかかったのかもしれない。

それが、うるおいに欠けた状態をうんで、

心霊はSOSをだしていたのが、

(違うかも知れないけど)閉所恐怖症として、あらわれたのかもしれない。

 

もうひとりの人は、陰陽師だとかいっていたけど

狐っぽいものがみえていて

それは、たぶん、安部晴明にかかわることであったろう。

本人は安部晴明の生まれ変わりだとおもっていた節がある。

それも、結局、狐に憑依されているせいに感じ

魂を覗いた。

最初にみえたのは、黒っぽいぺらぺらの紙のような魂?で

みているうちに

もうひとつ、でてきた・・・。

他にも、あったのだけど

おそらく、陰陽師の能力やら霊能力があるせいで、

自分の魂に狐が憑依しているのでなく、

自分の力だと思い込んでるのではなかろうか?

と、思えた。

どちらかというと、

その狐の力であり、魂を操っているとみえた。

それで、憂生がぺらぺらやん、おかしいと思ってみてたら、

二つになって、

どっちが本物か?みたいなwww

まるっきし、安部晴明の二つの月のようなていたらくで

陰陽師などとやっていても、

自分の心霊(魂)を意識していないと

変なものにとりつかれてもきがつけないのだとおもえたし

なにかに、依存した

先にかいた大国主命がとか

安部晴明がとか

なんちゃか神がとかいっているのもどうかと思う。

自分の考え・思いで物をいえ。

それが、通じないから、神様とかひっぱりだしてきて

あげく、その上にのっかることをやっているから

魂までも、きつねにのっかられるんだろうと

おもってみていた。

 

心霊というのは、にょじつに

人の心を現してしまうものであり、

やはり、自分の思い方をただしていかないと

えらいことになるんだということを思わされた事象を最後として、結びます。

幽玄師

幽玄師・・・1

サイキックだのチャネラーだのヒーラーだのとにかく、そんな奴らがネット界にのさばってきて、俺としては、非常に不愉快だ。

まず、なにが、気に食わないといったって、その力で金を取る。

次に、なにかの神だとか霊だとかとにかく、得体のしれないものの力をかりる。

得たいが知れると思っているのは本人だけでしかない。

俺としては、なんで、そいつらのやってる事が気にいらないか、うまく説明できない。

奴らはとても、人を幸福にしている。

悩みがあったら、神様にきいて答えをだしてくれる。

くたびれていたら、パワーという名前の愛をくれる。

とっても、良いことをしている。

すばらしい。

どう考えても、気にいらなきゃおかしい。

だけど、俺はそうだなあ・・・。

俺の考え方はこうだ。

キリストをたとえにする。

キリストが贖罪をおってくれる。

はっきり、いって、気に入らない。

自分の罪ぐらい自分でおう。

その結果、地獄におちたって、かまわない。

人にかたがわりしてもらってたすかって、それ、俺の生きた結果か?

俺は主体性のない人生は大嫌いだ。

キリストという黒子に手取り足取り人生という舞台を躍らせてもらって天国に行きました。って、なったって、俺の魂は傀儡だろう?

俺の人生をすくってやったってことで、ますますキリストは神々しくなるか?

人の贖罪をおってくれるのは、けっこうなことだ。

普通なら、みんな涙をながしてありがたがるんだろう。

だけど、俺には自分の位をあげるために、人間の魂を傀儡にしているだけにすぎないって

おもってしまう。

こんなことを書いたらキリスト教徒の「お怒り」にふれることだろう。

その結果、地獄におちるもよし。

俺は俺の思ったことをいって、俺の作った贖罪で自ら地獄に落ちることを選ぶ。

なんという自主的な人生だ?

だから、こういう理屈と一緒でそいつらが気に食わない。

口では「愛」をときながら、神のしもべになったり神の力をつかわせてもらって、人に尽くして、神の位をあげてやってる手伝いをしてるだけ。

あげく、相談者に本当の人生をわたせず、楽な生き方をわたして、

なんだっけ?

ヒーラーは人間性が重要です。誠の思いが大事です。真の愛が必要です。

俺はおおわらいしちまう。

親の愛ってのをみてみろ。

3歳の子供がころんだら、たすけにいくのか?

痛かろう。と、心で思いながら子供が自分でおきあがるのを待つ。

苦しいんです。

悲しいんです。

それも親は子供の試練だと自分の痛みを堪えて見守る。

試練に打ち勝つ強い子になってくれと子供を見守る。

俺はそれが、本当の愛だと思う。

パワーを与えます。

天使をくっつけてあげます。

浄化してあげます。

慈善事業か

楽な人生渡して、それが、「愛」だとぬけぬけ、いう奴も阿呆だと思う。

ぎゃくに、それを「愛」だと思える奴はよほど、甘ちゃんにそだってる。

俺は俺の人生の主人公でありたい。

転んだら自分で立ち上がる。

俺ははっきしいって、そんな人間の方が勝手に人にパワーをあたえてしまうし、天使をくっつけてしまうし、浄化してしまう。

と、勝手に思ってる。

もちろん、かってにだ。

だから、なおさら、それを金に変えるがきにいらない。

勝手にでてくるものを、金にかえるってのは、

まあ、なんだ。

人の金をころがして、その利ざやを吸う吸血鬼みたいな奴だ。

おれには、どうもそう見えてしかたがない。

まあ、これは俺の勝手な文句だ。

そんな俺だがちょいと、困ったことになっている。

幽玄師・・・2

どこかのヒーラー養成所のマスターのはなしだった。

多くの人を癒したいので、ヒーラーになりたいのです。

と、入門しようとする人がいるとのこと。

俺はこれもぶっちゃけ、笑う。

そいつが、ヒーラーになってやれることは、「人をいやしたいんですう」って、自分の気持ちを癒すだけだと思うから。

多く人を助けるってことをやってる人間は「助けたいという」という自分の気持ちを助けてるだけだと俺は思ってる。

じっさい、前にかいたように、本当に人をたすけてるかといったら、違うわけで、その人間をきたえるとか、磨くとかという助けにはなってない。

俺は自分で解決できるような人間にしてやるのが、本当の助けるだと思ってる。

だから、例えば「癒したいんですう」って奴をヒーラーにしてやるのが、そいつを助けるってことにみえるかもしれないけど、そいつが、やることは、自分をいやすために、相手の人生に楽をさせてやって、本人の本当の為にならないことをする。

と、いう、いいようによっちゃ、悪いことをする。

だから、「人をいやしたいんですう」なんて、ことをいうやつには、そのことをはっきりいって、

自分で解決できる人間にしてやるってことが必要なんだってことをつたえなきゃいけない。

自分で解決するということをさせるのは、はっきり、いって、

「お前のその根性がぼろいんだよ」

と、はっきりつげてやる。ってな事が必要で、

どうぼろいか、なぜ、いけないか、はっきり物がいえなきゃいけない。

その考えを納得させるだけのものをもってなきゃいけない。

きついことをはっきり告げられる強さもいる。

きついことをつげても、この人のいう事はまちがいない。

と、受け止めてもらえる人徳・人柄もいる。

おためごかしの「癒し~~」なんかじゃ、本当の癒しになりはしない。

時に相手の悲惨なトラウマだって知る必要がある。

相手がそうおもってしまう理由をきき、どう思いを変えていけばいいか。

その答えを導き出せるじぶんじゃなきゃいけない。

はっきしいって、もの凄い傷をおってる人間をパワーなんかじゃなおせん。

仮になおしても、根本的な思い方を変えてなければ、それが、その人の子供や来世に因縁として引き継がれる。

その場だけ自分が天使になって、自分を癒してる人間には無理な話。

その場だけ。本当に助けるのでなくパワーだけあたえてるのは、かえってよくない。

ここら辺を判ってない人間が安易にヒーラーになりたがる。

はっきしいって、大変な仕事なんだ。

それでも、簡単なヒーラーになりたいというのなら、そいつは、人にたいして、本当は良くないことをしてる。

って、ことを自覚してやるべきだろうし、そのせいで、俺の論理によれば、それも贖罪をおうってことになる。

そこまで、わかってやるなら、俺もそれはかまわないと思う。

で、俺が何で、ここまではっきりそういえるかってことだ。

幽玄師・・・3

俺が霊能力者をはじめとするスピルチュアラーをよくないとおもいはじめた根本を話すためには、まず、俺が俺自身を否定しなきゃいけない。

俺もひとりのスピルチュアラーであることは間違いが無い。

俺は自分の事を幽玄師と呼ぶことに決めた。

幽玄とは、どういう意味であるか?

辞書を引く。

奥深い味わいのあること。深い余情のあること。また、そのさま。

単純に奥深い世界のことを有言する技師(わざし)とかんがえてもらったらいい。

この奥深い世界を精神や心ととらえるむきもある。

だが、俺は自分のスピルチュアルな部分から得た奥深いは少し違う。

スピルチュアラーもこの幽玄に関る人間であることは間違いない。

だが、通常のスピルチュアラーは幽界や霊界や神界や天界とのかかわりで幽玄を捉える。

コンタクトと言ってよいかもしれない。

ところが、俺はこのコンタクトはそれらの世界の存在とのかかわりでしかないと見ている。

俺が思うところ、これは、別の世界の存在との交信でしかない。

目的地の駅にいって、駅長に話を聞いているだけだと思う。

では、話をきいてる自分はどうだろう?

どこにいこうとしているかより、自分はいったいなにものであるか?と、いうことがわかっていない。

こう書くと自分がなにものか?

自分がどこにいこうかということを知っているというスピルチュアラーが出てくるだろう。

前世をしって、自分が何者かわかっている。

覚醒によりなにものか、判っている。

どこにいこうということも、神さまなどの指導でわかっている。

こう答えるだろう。

ところが、この前世も曲者であり、神の指導もさきにかいたことでいうとおり、自分の魂を傀儡にする行為に近い。

前世が曲者であるということについて、異論を感じることであろうと、おもうので、

ー俺が霊能力者をはじめとするスピルチュアラーをよくないとおもいはじめた根本を話すためには、まず、俺が俺自身を否定しなきゃいけない。ー

を、もうすこし、先送りして、先に曲者ということを話す。

幽玄師・・4

前世が曲者だということを話す前にまず、幽玄ということを、はっきりさせておこう。

俺のいう幽玄世界は「魂の世界」とかんがえてもらいたい。

まず、ここを押さえておいてもらったとして、前世が曲者だという事を話す。

前世が今生に関与するということは重々承知のことだとおもうが、この前世が「幽玄」にはまってくる。

自分の遣り残したこと、したい事など、いろいろと今生の人間の人生でクリアしてもらいたがる。まあ、浄化と考えていいだろう。

ところが、「幽玄」は前世、より以上を歩もうとする。

さっきのたとえがわかりやすいかな。

「癒しをしてあげたいので、ヒーラーになりたいんですう~~~」

と、いうのが、「前世」からの影響だと考えてくれればよい。

ところが、「幽玄」自体は「その人間を本物にしたい」と考えている存在だ。

だから、前世からの差配に突き動かされて、今生の人間は自分が「本物」になっているか、どうかも、判らず、前世の思いをクリアさせられるように動く。

なんとなく、そう思う。と、いうことが多くそうだろう。

ところが、前世の思いのままに動くと、先ほどの「ヒーラーになりたい~~」は、自分自身が「本物」になっていないからえらいめにあうことになる。

このための解決方法が神をつける。霊をつける。前世をつける。と、いう「本物」とは別のところから力や能力を「借りてくる」

つまり、「幽玄」自体はひとつも働いていない。

成長していない。

むしろ、「幽玄」をその他のものに明け渡す結果になっている。

ところが、前世からの差配をなんとかしなきゃいけない。

これが、「幽玄」にくっついて、離れない。

離すためには、前世の何事かをクリアする。

この前世の何事かというのが、魂の因縁ということに捉えられると思う。

俺の場合を考える。

俺は前世占いによると、賢い奴隷、聖職者、おそらくであるが、巫そして、調理人などがあったと思う。

賢い奴隷はその奴隷制度自体に疑問をかんじたり、同じ奴隷の不遇をなんとか、改善したりしていったと思われる。

これが、どうも、俺を差配する時、原因を追究して、周りを良くする。と、いう思いをわかせる。

聖職者もにたようなものだろうが、どうも、俺はこの前から「聖出せ」と思わされて仕方が無い。

さきにヒーラーになりたいということに必要になってくることで、時に相手のぼろいところを離さなければならない。

と、かいた。

そのためには自分がぼろいところを相手に話す必要も、話せる強さも、ぼろいと判断できる道義ももっていなきゃいけない。

つまるところ、鬼か悪魔のような厳しい・冷たい面を持たなければいけない。

「おまえ、くそぼろだよ」

と、言う。これのどこが、聖だろう?

だが、自分可愛いで「聖」なことしかいえない。

はっきり物をいって、相手から憎しみをうけたくない。

憎しみをもたせたくない。

などなど・・。

こんな「聖」などが正直でてくる。

これもそれなりにクリアしてきたと思う。

だが、俺の奴隷の前世が「原因を追究して、周りを良くする」と、いうことのためには、「聖」だけじゃだめだとわかってしまっている。

この事が巫のことでもでてくる。

神とか霊とかをつかうことが、本当に良くすることじゃないことを嗅ぎ分ける。

おそらくでしかないが、「ヒーラーになりたい」は例えば人を助けられなかった前世の無念とかが、その人を差配している。

この無念を何とかしてやらなきゃいけない。

そして、その人を助けたいという思い方でもいろいろな場合があろう。

看護士になりたい。救急救命士になりたい。ヒーラーになりたい。

などというふうに・・。

何故、ヒーラーになりたいか?

ここが問題だと思う。

先にかいたように、ヒーラーは自分が本当にできていないとなれない。

つまるところ、「幽玄」がそこを求めている。

と、すれば、ヒーラーの技術をもつことよりも、「自分を本物にする」ことが先だということ。

そして、いろいろな前世からの差配をクリアしていったら、もうひとつ、自分が「幽玄」にちかづいていく。

この魂の因縁や、血の因縁をクリアした段階にはいらないと相手に自分の因縁をみせつけられるだけになる。

仮に自殺する因縁があったとする。前世でもいい。

これをもったまま、ヒーラー(ほかのスピリチュアラーでもおなじ)になると、相手にその因縁をかぶせかねないし、相手もそういう人間が出てくる。

これを癒すに自分がその「自殺する」と戦って勝っていない(クリア)と、自分がその毒気にやられたり、自分の寿命を縮めたりするという状況に陥る。

どこかのヒーラーが「自分が幸せじゃないと相手を癒す事ができない」と、いうのは、まさにその通り。

まず、自分の前世。(血の前世・魂の前世)をクリアしていかなきゃ、幽玄にはたどり着けない。

幽玄師・・5

まず、俺を否定する。

俺自体もスピリチュアラーであると思う。

なによりも、俺自身が「なにか」に使われる・つかれるというのが、嫌で仕方が無い。

どこそこの神様の台になってとか、守護霊に聞いてとかでも、いやなんだから、当然、霊に憑かれるなんて、お断りだと思っている。

で、あるのに、俺には、なにものか判らないが、「物を伝えてきたり」「顕示」をみせたりという状態が起きる。

これが、俺にとって、困ったことなんだが、ある事件をきっかけに、俺の考え方が変わった。

霊憑依は霊が何らかの思いをつたえたくて、憑依するんじゃなかろうか?

思いをもっていると、霊も成仏できないんじゃないか?

まさしく、思いが重くて、浮かばれない。

こう気がついたといってよいだろうか?

それから、しばらくしてからだったろうか?

不思議な事がおきた。

ある女性のメールを開いた時、白く光った。

まさしく白光。

これは、かなり高次元の「幽玄」をもっているに違いない。

と、感じていたある日。

彼女のメールに読んでいると、俺はひどく、手をあわせたくなった。

なんども書くが、俺は神とか、仏とか、こういうものを崇拝する考えがない。

で、あるのに、むしょうに手をあわせたくなる。

拝むという形に近い。

正直、これは気分が悪い。

だが、ままよ。と、手をあわせてみた。

すると、ふと思う。

これは、メールのむこうの彼女のうしろに居るものがこっちに頼みたいことがあるんじゃないか?

案の定、そういうことだったようで、うかばされるままに彼女にメールを書いた。

メールを書いている途中で、何者かが「そこまで書けば、判る」と、とめにきたので、そのまま送った。

それで、判るのかと思っていたら、彼女の返事は「幽玄を意識しなさい。と、いう事ですね」だった。

確かに俺が書いたことは、そのとおりのことだったけど、本人がそこをわかったのなら、

あれだけの光をもったものがいるのだから、大丈夫だと考えているし、「幽玄」を、意識していけば、間違いなく「幽玄」が彼女を導いていく。

そして、このときだった、

彼女の魂と思われるものが俺の手の中にはいりこんだ。

魂が手の中に入るものだろうかと俺も思う。

これについては、俺も、実際、見える人間ではない。

あくまでも「気がする」というものでしかないのだが、この「気がする」が、実際にそうだったという過去例があったせいもある。

だが、俺の中で迷いがあった。

その事が事実か、事実で無いかをいうのではない。

これは、何の力だ?

と、いうかすかな疑問だった。

その力を使うということは、まさしく、俺は神かなにかに使われるということじゃないのか?

俺が何かにのっとられる?

まだ、この疑問をはっきり自覚しないまま、俺はこの力を使い始めた。

幽玄師・・6

俺がその力を使い始めた時、俺はまだ、何がなんだかわからない状態だった。

当初、対面する相手に(ネットを通してでも)相手がこっちと対面していなくても、こっちを意識したと思われる場合でも、幻惑感がつきまとっていた。

この幻惑感というのは、憑依されたときのものに、近い。

誰でもにおきるというのでなく、なにかしら、共通点があるように思えた。

まず、アメーバー内では、霊能力者の類が訪問してきた時にこれがおきた。

メール友人でもおきた。

なかには、不思議な能力を持った人もいたが、ひとりだけ、そういう能力をいっさい、もっていないのに、ひどく、幻惑感を与えられる人間がいた。

なぜだろう?

こういう疑問をもったまま、先の白い光のメールの女性とはなしていた。

いままで、いっさい、幻惑感がなかったのだが、ちょうど、手をあわせる少し前に幻惑感がおきた。

これは、彼女。あるいは、彼女の後ろ側のものが、こっちをこわがったのじゃないか?

と、じっと、こっちを眺めていた感じがやがて、「拝む」に変わったときだったか?

ここらへんははっきり覚えていない。

幻惑感がなくなった。

そして、このことから幻惑感はこっちをこわがっているか、あるいは、本人の後ろのものが俺に「本人」に伝えて欲しいことがある時に憑依するのではないか?

つまり、俺は「いたこ」のような能力をもっている、スピリチュアラーなのか?

俺は、ようは、霊能力者なのか・・。

俺は正直、愕然とした。

霊能力者のどこが悪いと思われるかもしれない。

霊能力者は、霊に精気を吸い取られる。

別段これは、エネルギーの法則だから不思議なことではない。

霊の力を使うのだから、霊もパワーがなくなり、霊能力者からパワーをすいとろうとする。

だが・・・。

これが、人間同士なら「気」「思い」という形でのキャッチボールになる。

霊能力者は魂に霊を寄生させてしまう。

霊の栄養は魂そのものになる。

魂を実体で見る人からきいた話だから、俺には判らないことだけど、魂が蓮の実のようにいっぱいあながあいてしまう。

こんなふうになった魂だから、本人の身体や精神に影響が出る。

そんなふうになった魂がこの先どうなるのかは、俺は知らない。

だけど、魂をそんな目にあわせてしまったら、うまれかわってもろくなことにならないんじゃないかとおもってしまう。

そんなことを聞いていたので俺は、絶対自分は霊能力者だけにはなりたくない。

と、思っていた。

で、あるのに、俺は霊能力者か?

だから、愕然とした。

幽玄師・・7

俺は霊能力者なのかもしれない。

こういう思いをもちながら、俺はそれを否定していた。

なぜなら、俺は霊能力ではないだろうと思う顕示をみていたから。

その顕示は天気を変えるという現象をみせてきていた。

だが、そのときでも俺はその天気を変えたものを拝んだり信じたりしなかった。

顕示をおこしてみせたものは、俺の死ぬ気に対して、止めるために顕示をみせた。

俺はこのことで、自分の魂がよほどすばらしいものに違いないとかんがえることにしていた。

それを見せてきたのであって、うっかり、顕示を拝んだら、それこそ、そいつの支配下になってしまう。

俺の魂がすばらしいんだ。俺の魂が尊いから、神かなんかが顕示してまで、「生きろ」といったんだ。

すばらしいのは、顕示を起こした神?ではなく、俺の魂だ。

俺はこう言うふうに自分にいいきかせていた。

俺は霊能力者なのかも知れないと思いつつも、「誰かに思いを伝えようとするもの」がくるのは、俺の魂になにかを、ひいては、俺になにかをおしえようとしてくるんじゃないか?

とも、考えた。

霊能力者なら霊能力者でもよい。

必要のないことは絶対起きない。

何か、それをする事が必要なんだ。

と、ひらきなおって、俺は幻惑感を感じる相手。あるいは、なにか話したいと思う相手に

メールやブログで直接書くことにつとめだした。

必要があればむこうからもやってくるだろう。

とにかく、なにか、思わされる、ひかっかる相手には、思うことを書いてみようとおもいはじめ、

それをつづけていた。

そして、ひっかかる事を自分とてらしあわせてみようとかんがえた。

その最初がある霊能力者のブログだった。

通常、霊能力者ときくだけで、俺はどちらかというとさけていた。

友人がもしも霊能力者だとわかったら、別におどろきもしないがはじめから、霊能力者だとわかっていたら、あまり、付き合いたくないと思う。

だが、霊能力者が知っていることを俺は全然しらないし自分のまわりでおきることはなんだろうと知りたいというおもいもあって、一時期は霊能力者や神道家のブログものぞいたりしてみた。

これは、最近ある霊能力者に相談らしきものをしたところ「霊能力者は霊のことしかわからない」と、とれる内容の返事をもらい、逆に俺の近辺でおきていることは、霊能力者ではわからないんだ。と、納得したのだが。

その当時は、まだ、何故幻惑感がおきるのかさえ、わからず、まず、このことを知りたかった。

なにが、来ているんだ?

これも霊能力者ならわかるだろう。

そうおもったのもある。

幽玄師・・8

その霊能力者を見たとき、ブログの内容とともに、ひどく、心の美しい、暖かな人柄だと思った。

今になってみれば、何を話したか、覚えていないがいくつかの、メールのやりとりで、親身になってくれる人だと判った。

それで、俺は自分の幻惑状態について、話したと思う。

帰ってきた答えは般若心経の写経をすれば、変な霊にとりつかれることはなくなる。

と、いうものだった。

俺も確かにその方法は効果があると思う。

だが、俺が知りたかったのは、何故、そういう幻惑症状がおきるのか?何故、魂がきているのがわかるのか?

俺はいろんな物事がおきる本当の理由は自分にわけがある。

と、考えている。

その理由を知りたい。

と、思うものにとって、これは、外れた答えだといってよい。

怪我をして、なんで、こんな怪我をしたんだろう。

俺がおっちょこちょいだったのは判るが怪我を回避できなかったのは何故だろう。

たとえば、左右の確認をしていなかった。

なぜ、左右の確認ができなかったか?

気持ちが浮かれていて確認をおこたった。

何故うかれていたんだろう。

・・・・。

と、いう具合に俺はほじくっていく人間だ。

それに対し、この薬を塗れば治りますよ。と、言われたみたいなものだ。

蚊にさされて、薬を塗る前に先に蚊をつぶすだろう?

俺が考えてることはそういうことだった。

だから、その霊能力者が見ている方向が違う。

と、感じた時、ほかの言葉がひどく気になった。

「相談にのりますよ」と、いう、内容だったと思う。

俺は確かに「相談できるものなら相談したい悩み」をもっていた。

だが、この悩みを打ち明けることは無い。

まず、受け止める事が出来ない。

この悩みについても、上のような考え方があてはまる。

ここから、理解できない人間には相談できない。

解決できない人間に話すということが非常に危険だということは、俺はある経験で判っている。

俺のある意味、自分にたいして厳しくあろうとする態度は逆に相談された側が自分を取り崩す。

簡単に言えば、いかに自分が甘い考え方をしていたかを自分で自分にといなおさせてしまう。

自分のせいじゃない。

と、考えている人間にとって、その姿を見ることは時に自分が人のせいにしている、あるいは、なにかにすがって、逃げていることを思い知らせる。

これが、場合によってはその人の精神を崩壊させる場合もある。

信じていた価値観がいっきに崩れるんだから。

その霊能力者も同じことだといってよい。

心を無にすることは確かに霊をよせつけないだろう。

だが、俺はつくづく、自分が有の人間だと思う。

なにもかも、自分の中に「有」にする。

考えないようにする。

気分を変える。

こういう形のごまかしは嫌いだ。

自分のせいじゃないと考えないように勤める。

なにもかも元は我に「有り」なのだ。

辛いことも、悲しいことも自分が撒いたもの。

成って来た結果を受け止める。

受け止めた末に、原因を追究する。

これも正直辛い作業だ。

だから、ある意味、強靭な精神力が培われてきたと思う。

この辛い作業をしおえると、自分のぼろさが見えてくる。

自分が見えてきたとき、いろいろな意味で自分が助かっていると判ってくる。

だから、霊能力者のその人には相談はできないと思った。

解決できない。

解決できない人に相談するのはこっちが、「愚痴」をきかすことになる。

文字をみても判るが「愚痴」そんなものを渡すだけでしかなくなる。

話すだけで楽になれると言ってくれる人も居るだろう。

残念ながら、そんな簡単な問題じゃない。

自分の気を晴らすだけの問題じゃない。

自分の気を晴らすためだけに「愚痴」をいうなら、ブログにでも、書く。

愚痴。

と、はっきり、書いておく。

だが、この「相談にのるよ」という言葉が俺に、一つの示唆をあたえた。

こういう意味では霊能力者は確かにきちんと答えを出してくれていたと思う。

その「示唆」については章を改める。

幽玄師・・9

相談に乗るよ。

と、いう言葉を掛けられた時、同時に、妙な人間につきまとわれていた。

その人間がいうことも、同じで、「救ってあげたいが・・」だった。

正直、救われていない自分が居るというさとり方よりも俺を救えると思う、その考え方に笑えて来た。

そして、その人が救えると思う部分は逆を言えば俺がもがいてるように見えた部分はその人が「そう見える」俺でしかないと思った。

この人かわいそう。

と、その人が俺をみて思う。

俺が実際、その人の言うところで「かわいそう」か、どうかは、その人にはわからない。

同じ物事をみて、人それぞれに違う判断をするという場合がある。

ある人間を優しいととる人も居れば、おひとよしだととる人もいる。

何故そんな違いがでてくるのだろう?

結局、見ている側の価値観だろう。

優しいということが一番の価値観

お人よしじゃいけないということを一番の価値観

として、その人を判断する。

これをひっくり返せば、優しい人が優しいと判断し、お人よしの人がお人よしと判断する。

これを「相談に乗るよ」「救ってあげる」にあてはめる。

その人自身が相談に乗ってもらいたいものをもっている。

その人自身がすくわれたい物事をもっている。

自分がそうだから、人に対して「そう思う」

俺は自分で解決する力を身につけて欲しいから相談にのる気はない。もちろん、それでも頼ってきてくれたら精一杯、相談でなく解決できる「考え方」「見方」「解決できなくなってる原因」を、はじき出すように勤める。

だから、人に対して、相談にのるとは、いわないし、救い出したいと考えるときには俺自身が自分をすくいだせてなきゃ、人を救えないと思う。

だから、俺は自分がいかにすくわれているかをつきとめるためにも原因を追究していたと思う。

そういう俺の目からみたら、相談にのる。救ってやる。は、

この人はなんの相談にのってほしいんだろう?

どこらへんが救われていないんだろう?

と、疑問をかんじさせる一言だった。

霊能力者については、俺自身が霊能力者になりたくない。

と、思った人間だったから、いろいろ、考えさせられた。

俺の考え方に「自分より上の人間を救うことはできない」と、いうのがある。

言い方は悪いが自分より低い位置にいる人間を上にひっぱりあげる事は出来る。

だが、自分より上にいる人間をひっぱり揚げることはできない。

押し上げることができるのは同じ位置、手の届く位置に居る人間に対してだ。

だから・・。

この考えをおしすすめていくと、霊能力者が霊に関っているという事は霊に近い位置にいるということになる。

俺はもうしわけないけど、霊というのは、「堕ちたもの」だと思っている。

霊がきちんと上がっていったら生まれ変わったり、天に昇るものだと思っている。

そして、堕ちてしまうのは、人間が生きてるときのそのときの思い方の結果だと思っている。

だから、「霊」(死んだ人の霊)に直接かかわっているのは、その人自体が救われていない証拠に見える。

むしろ、生きた人(魂)や思いに直接かかわっているのならわかる。

死んで霊界にいかないように、してやるという根本をやらずに堕ちたものを救っていても

いたちごっこだと思える。

賽の河原の石積みじゃないが、徒労をしいられるという事自体が救われていない証拠じゃないか?

実際問題、じゃあ、除霊をしてあげなきゃとかえされるかもしれないが、俺はそれも、余計なおせっかいだと思う。

霊がつくのは、その人の思いにつく。

なにかしら、思いをクリアしていく。

強くしていく必要があるという事だ。

そこを解決しないとだめだと俺は思っている。

だから、本当を言えば自分で除霊できる。

みんなを自分で除霊できるようにしたら、自分の力で者をやっていけるようにしていったら、

守護霊や指導霊のことをつたえなくても、自然と知らされる。自分で考え付ける。

霊能力者は自分の仕事がなくなる。

こんな仕組みの中で霊とかかわっているということがはたして、救われているだろうか?

むしろ、堕ちていると考える。

弱い人間から霊の力をかりて、相談を受けたことを解決する。

そして、最終的には「無になる」という方法のバリアだ。

人間煩悩の塊でしかない。

無になろうとおもうなら、仕事を一生懸命やる。

とか、こう言うふうな形でやっていかなきゃ、一日中写経していられるか?

余分なことは考えない。

何も思わないということほど難しいことは無い。

写経も一つのことに集中するという意味ではおなじことだが、仕事とちがうのは、生産性が無い。

家族や自分をやしなっていける賃金が発生しない。

ようは、「自分のおまじない」のためにやっている。

これは、ちょっと、違うぞと俺は思った。

こんなことからも、挙句魂に蓮のように穴をあけられる。

こんな状態の人間が人(魂)をすくえるわけもなければ、逆に霊能力者に救ってもらった人は霊能力者の魂に穴をあける手伝いをしたようなものだ。

おわびと思ってお金にかえさせてもらうのも一手だろうが、問題は霊能力者のほうだ。

俺は霊能力者の魂のほうがきになった。

救われたいのは霊能力者自身だ。

だから、一生懸命救いごとをしたがる。

その思いに霊がとりついてくる。

だが、霊がとりつくくらいだから、霊しか救えない。

あげく、ぼろぼろ・・。

良いことをしているつもりで、魂がボロボロになっている。

俺も同じなのかもしれない。

同病相憐れむで、霊能力者を救い出してやりたいと思ったのも事実だ。

だが、上の話をかんがえていけば、すくわれなきゃいけないのは、俺でしかなかったといえる。

そして、妙なことだが、このふたりの魂は俺のところにはやってこなかった。

幽玄師・・10

それから、しばらくしてからだった。

俺は霊能力者から「幻惑」をかんじるようになってきたので、「幽玄」のことについて、正直に話した。

おそらく、霊能力者の「なにか」が「幽玄」のことをつたえてほしいと思ったのだろうと俺は踏んだ。

それいご、霊能力者は返事をかえさなくなった。

おそらく、俺のいう事がしんじられないのだろうと思ったので、それは、しかたがないと思った。

霊能力で見せられる物を過信しているだろうし、俺の場合で言えば、天気を変えるという顕示があり、かつ、それは私がやったと神々しい姿が見えれば普通はその神様の方を信じる。

俺の場合は幸いに見えない。

見えないから惑わされる事が無いしむしろ、見えるという状況は良くないと認識している。

見える形で自分の思念を惑わされるという事がある。

そして、自分の位置が自分にはわからない。

例えば、自分が水底にいたとする。

そこから、山をみあげれば、酷く高い山にみえるだろう。

だが、水底からあがってきたら、意外と低いということもありえる。

この逆のパターンが二人の知人だ。

一人は仏教徒とかんがえていいのではないだろうか?

もうひとりは、神道家だった。

霊をみた二人の見え方が違う。

仏教徒?は「人の形」として見える。

神道家は「餓鬼」とみえる。

どっちが上にいるのか、俺には判らない。

人間的にいえば、仏教徒の人のほうが優しくて包容力がある

神道家は厳しい強さを持っている。

自分の居る位置によって見え方が違う。

だから、霊能力者が天使がみえたという場合

俺はむしろ、例えば「優しい思い」についてきたものの姿だとおもうわけで、それが、例えば悪霊だとしても、悪霊の優しい心がそう見えたとも考えられる。

具象化させているのは霊能力だと思う。

その霊からみてのものが具象化するわけだから、実際のところ、本当はなにかわからない。

見え方の違いというのがある。

因みに俺がその人に感じたものは指だった。

たとえていえば、ピアニストの指に「魂」がこもる。

そのような感じでなにかしら芸術的(料理でもよいし、手芸でも良い・・)なことを優しい心で表現している方だろうと思った。

そういうふうに俺は「感じ」でしか捉えられない。

その分、余計に目で見える形に惑わされないですんでいる。

ただし俺の場合、良い思いとおもわれるものは、「背中が温かくなる」

ただしこれは、霊の場合だと思う。

まあ、そんなふうだから、自分を信じることは大切なことだし俺もそうやって、俺を信じてきている。

色んな事がわかった上でそれでも霊を救う霊能力者をやるという思いをもつならそれもそれでよいとおもう。

ただ、俺はそこまでの思いを持った人間ならもっと、違う方向に行くのだろうとは思う。

(例えば、霊でなく、救われない霊を作ってしまう人間の思い方を救うとか)

あるいは先に書いたように、前世がクリアできていないのかもしれない。

そこのところは判らないし、俺は「幽玄」のことを告げた以上、今度は「幽玄」のほうからの引き回しが働いてくれるはずだと思っている。

そして、二人の人間との縁が切れたように思う。

(こっちが相手を思うということは離していない)

一人はこっちから、切った。

形は違うが「自分の姿をこちらにうつしだしているのではないか?」と、いうことをつげて、自分を見つめるということをしてもらいたいと思った。

そして、霊能力者とは、今のところそれっきりになっている。

そんな、ある日、

今までに無い幻惑感が俺を取り巻き始めた。

足跡をのこしてあるのか、無いのかもわからない。

誰なのかもわからない。

日に日に幻惑感がふくれあがってきていた。

幽玄師・・11

2,3日幻惑が続いたあと、

ある女性がコンタクトをとることになった。

結局、原因は彼女だったのだが、

このかたにも、「幽玄」の話しをしたところ、幻惑が収まった。

そして、最初のころ感じた彼女の「魂」は、

赤と青のマーブル模様に感じた。

話の内容で、感情と理性の葛藤があったようで、

彼女なりにいろいろ考えていくうちに

深い緑に変わり、さらに、黄色に近いほうのライムグリーンにかわって

最近(すこし前)は薄い藤色に感じる。

この事が収まったあとは、しばらく、なにもなく、

別ブログにて、いろいろ、かいていたのだが・・・。

またも、幻惑感をかんじるようになり、

あるスピリチュアラーにむけて、話しを書いていた。

そのときの彼の魂を手の中に包み込んだ時の話しを書いた。

実際のところ、魂なのか、たんにオーラなのか、俺には判らない。

実は、この以前にある女性と話していたときに

あまりにも、幻惑感をかんじるので、

その女性の魂を呼んだことがある。

その魂は今は明るい木質系の茶色にかんじるのだが、

当時は墨と白のマーブルの状態で

それも、ほとんど、墨の状態だった。

これの意味がわからないので、友人に尋ねた。

黒い魂って、どういうことだと思う?

その答えは「「死」をあらわすのではないか?」

だった。

なんらかの心の闇といってもよいかもしれない。

心が死にかけている状態なのかもしれない。

息吹をするほどの状態ではないので、

手の中で暖めて、帰した。

こんなことがあったので、スピリチュアラーの魂の色がきになった。

びっくりするほど、綺麗に澄んでいる。

きれいなガラス球のようだ。

だが、その真ん中に黒い塊がある。

今は全体が随分おおきくなって、黒い塊がぐっと縮んだように感じる。

おそらく、血豆のように固まってそのうち、なくなるのではないかと思う。

だが、その当時は心配で、もうしわけないが、

なにかしら、思い方、やり方が筋目にそぐわないものをもっていたのではないか?

これが、表面のものなら、きにならないのだが、

内部にあるということが、心配だったのだが、

彼の魂を手に包んだ後、手が軽くしびれはじめていた。

俺みたいな霊能力者?が神さまとコンタクトするような人間の魂を

つつんだせいか?

と、考えていた。

かすかに、それでも、そんな魂が俺の手につつまれるのも

妙なことだ。

と、考えていた。

幽玄師・・終

それから、俺はほかのブログをとびあるいていた。

その結果、どうも、

幽界に関与したもの、業?がなにかが、

俺の手をしびれさすと判ってきた。

蟲師という漫画があったが、たとえていえば

そんな蟲のような存在が魂の中にはいりこんだり、

場合によっては相談者の業や蟲を吸い込んだりしていたり、

自分の欲な思い(単純になんか、いいことないかなあ~~くらいでも)に

幽界のものがもぶりついてか?

はたまた、神の名を語っているものが実は幽界のものだったか。

これは、霊能者の話からだが

狐でも、輝きだすと、金色に光るらしい。(狐の霊?が)

そこら辺だけをしんじていると、狐は化ける。

神様だとおもわせておいて、

実は魂のなかに入り込んでしまうこともありえる。

なにが、原因かわからないが、

スピリチュアラーだから、大丈夫かとおもっていたら、

そうでもない時がある。

何が正しいか、何が良い思いかなど、スピリチュアラー自身が

ちゃんと、わかっていないと、魂が大変なことになる。

そして、逆に人の見た目だけでは、魂は判らない。

俺の友人の弟はどうも、悪いことばかりしていたようだが、

その魂は、今まで見た魂よりも綺麗だった。

(まあ、10も、見ていないけど)

薄い朱色で真丸。それが、輝いている。

輝きながら、俺の手の中で上昇して

下にてをそえなくても上に上にあがっていこうとしている。

たいして、数をみてきたわけではないが、

しびれてしまうという場合もあるのに、

輝いている(光)ものは、はじめてだった。

こういう人は逆にわざと悪い役をやれるんだろう。

悪いものに染まらないから。

不思議なものだと思いながら

俺の話もここまでにしておく。

俺は結局、自分がなにものか、相変わらず判らない。

ただ、俺は勝手に幽玄師だと、名乗ることにきめた。

この話の続きがあるか、ないか、俺にもわからないことだけど、

俺が言いたいことは

「魂を大事にしろよ」

それだけだ。

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