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シューペンハウエルのことで・・・

キリストがエジプトに滞在していたかもしれないという話の中で、別の根拠として、キリスト教の教義・思想を細かくおっていくと、表現こそ違うが、仏陀の説くところ、あるいは、仏教の経典と同じ部分があるという。

そのことをみつけだしたのが、他ならぬ、ショーペンハウエルだというのである。

ショーペンハウエルだから、どうだ?というところであるとおもうが、憂生の創作談義の中に、ショーペンハウエルの「読書について」という一文への考察?感慨?を連ねたものがある。

詳しくはその一文を読んでいただきたいのであるが・・。

このショーペンハウエルの論ずる「読書論」が、物書き憂生には、非常に的をえていたというか、共感を覚えるちゅうか、賛同する部分がおおくあったわけだ。

「精神論」というべきところだけれど、歴史を齧っていく中で、既存の資料に、現れにくいのが歴史上の人物の感情や考え方や思想、および、それらをはぐくんだ環境・背景だと思う。

憂生の解釈の主だったところで言うと、「天という概念」などというのも、現れにくい「精神論」だと思う。

そのあたりの考え方とか、羅馬船で述べたけれど、見た目と音という感性部分からへの洞察みたいなものは、はっきりいって、根拠がない。

ショーペンハウエルもキリストが仏教の経典をエジプトの仏教徒から口伝された?(キリスト側から言えば学んだ)と、決定づける歴史的根拠は持っていないと思う。

が、ショーペンハウエルの感受性というのだろうか。

それが、捉えた物事を確定していくために、彼は多くの宗教の経典をよみあさり、照らし合わせ、ほぼ同じことをキリストが表現(したと弟子がかいたわけだが・・)していると突き止めている。

無論、人間である。同じようなことを考えるのは当たり前のことだから、

悟りの境地?にたったキリストも仏陀も同じような覚醒や真義を得たとしてもおかしくないし、

似たようなことを考えるという説がなりたたないとなると、

憂生はショーペンハウエルが如き、感性と頭脳をもっているということになる/爆笑問題

しかしながら、キリストがエジプトで仏典を知り、その教義に感銘し、キリストに多大に影響をあたえたと考えるショーペンハウエルのその感性の深さや膨大な資料をしらべていったという努力とを考えるとやはり、憂生はショーペンハウエルだからこその推察だと思う。


読書について/ショウペンハウエルから・・1ニューモ@書評ブロガー&フォトリーダーさんの書評から、
抜書きされた部分を掲載

読書について/ショウペンハウエル

オリジナルを読め

★ふさわしくない著者の手になる駄作、空っぽな頭が空っぽな財布を助けるために書いているろくでもない書き物は、合わせればすべての本の9割にもなる。
★もっとも高貴でもっとも稀有な本を読むことなく、毎日次から次へと出版される三流作家の書き殴りを読んでいる読者の愚かさと勘違い振りは、もう救いようがない。
★彼らは刷り上ったばかりの本だけを読みたがる。
古人の書いたもの、真の古人の書いたオリジナルを熱心に読め。

考えずに読むな

★本ばかり読むことは慎まなければならない。
精神が代用品に慣れ、肝心の問題を忘れることがないように。
★本を読むというのは、私たちの変わりに他の誰かが考えてくれるということだ。
★一日中おびただしい分量を猛スピードで読んでいる人は、自分で考える力がだんだん失われてしまう。

世界を読め

★自分自身で到達した真理や洞察には、百倍の価値がある。
その真理は、それを求める気持ちが高じてきた正しいタイミングにあらわれ、
心に留まり、決して消え去ることはない。
★学者とは、本で読んだ知識を持っている人のことである。
しかし、思想家、天才、世界に光をもたらす人物、人類を一歩先へと前進させる人物とは、世界という本を読んだ人である。
★読んだ本から得たものを、自分の糧にして、そこから自分というものを考え見出していくことです。

これがショーペンハウエルじゃ、なかったら憂生はとりあげないんだけど・・。
ショーペンハウエルの「洞察力」については、
歴史を齧ってみるの中ですこし、触れている。
読むに「真髄」にふれるという部分で重鎮に値する「洞察力」を持つ人として、
一目置いている。

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千木のこと・・3

憂生(ちなみに「うい」と読みます))が、歴史をかじっていくと
どうしても、見えない世界?とのかかわりがでてくるというか・・・。

このあたりで、何の根拠もない
ん~~~。証明できないのをいいことに
自分勝手な推論となるところがあります。

あるいは、こじつけ気味ているところがでてきているので、
自分でも歴史考察などということは
おそれおおいことで、
歴史をかじってみてる。
と、いうことで、
憂生の食感?かじった口ざわりであるとおもっています。

で、先に書いた千木です。
ここはもう一度資料をしらべないといけないのですが・・・。
ま、おもうままに・・・。

まず、千木のルーツがタイのアカ族による牛の頭。
角をあらわすということであるとすると、
微妙に違和感を覚えます。

まず、屋根の天辺になにかをかざるというのは
どこでも見られる現象?風習?です。

キリスト教であれば、十字架があったり
立派なお城にはしゃちほこがいたり
沖縄のシーサーも屋根の上だったかな

だから、これが、アカ族で牛の角(頭)であっても
なにもおかしくないと思うのです。

ところが途中から木でつくった千木にかわっているのです。

はて?

ここを解明していこうとおもうと、
じつは・・・稲作の起源とか
ピラミッドとか、実は仏教のルーツとか?
今まで、考えていたことをひっくりかえしてしまう状態になってしまうのです。

どこから話せばいいかなあとおもっているのですが・・・。

世界最古のピラミッドが日本にあるという話は
その姿をピラミッドと認めるかどうかでもかわってきますが、
仮にピラミッドがあったとします。
ところが、実際にはピラミッドとして?現在に伝承されていません。
(このあたりは、それを発見した人がまた、特異なひとなので、完璧に話がぞれていって
サンカ族とかウガヤ王朝72代説とかに話がずれ込むのでちょっとおいといて)
素直に考えると
アマテラスを戴く以上、日本は太陽神信仰です。
で、あるのに太陽を観測するかのようなピラミッド、そのかわりになるものが
ないのは不思議です。
それは、おそらくピラミッド、あるいは太陽信仰(御幣があるのですが)が
実際の場面にそぐわなかったため、
ピラミッドはすたれていったのではないかということです。

なぜ、誰も知らないほどまでに忘れ去られ、すたれていってたのかということを
考えたとき、
おそらく、そのころから稲作文化がはじまってきたのではないか?ということです。

あい中を書いていません。

日本にははっきりとした四季があり、
周りが海であり
太陽だけでは、わからないことが多すぎたのです。

潮の満ち引きや、・・・
古い暦をみると、種をまくのはいつがいいとか・・・
こういうことから逆にみても
日本は太陰暦・・つまり、「月」を基本に物事を考えて行ったのではないかと思うのです。

そこで、ピラミッドがすたれていった・・・と。

この7進法という考え(1週間)はインドからつたわったといわれているのですが
じつは、月の満ち欠けが重要だった日本が稲作の技術をインドとかに伝えたときに
この数え方をおしえたのではないかと考えてしまうのです。

え?

うそでしょ。
稲作はむしろ、むこうから伝わったんだよ。
と、考えられると思います。

ところが、日本には朝鮮だったかの一部と日本にしかない
固有のジャポニカ米があったのです。

当然、インドなどから伝わってこずとも、
日本人はその食料に眼をつけたはずです。

そして、月のみちかけや、
・・・
え~と、お百姓さんはよくしっているのですが
米とかお茶とか・・そういう作物は
実は月の光で熟成していくのです。

確か、蟹などは月夜のほうが身が細り
身がはいってない蟹は月夜蟹とよんでいました。
どういう仕組みで月夜のほうが身がはいらないかよくわからないのですが
(たとえば脱皮の時期が満月にちかいとか)
月の光の力を理解しだしていけば、
当然、月の動きをかぞえるでしょうし
単純に形がかわっていくので、一月がわかりやすいというのもあるでしょう。
お日様をみていても、何日たったか、わからないけど
月ならば
満月から満月まで28日ということになり
あい中のかっこうでもおよその前の満月から数えて何日めとか
わかりやすかったとおもうのです。

次に、インドに稲作技術をおしえたのではないか
と、いう荒唐無稽とも思う考えは
むこうの一部・・・ネパールだったかな
そこに
日本語がそのまま通じる稲作にかかわる言葉が残っているところによるものです。

たとえば・
米 米蔵 粥というのは同じ言葉で同じものを意味します。

これがむこうからつたわったのなら
むこうで一般的につかわれていて
日本にはいってきたと考えやすいのですが
現状は逆です。

日本全国どこでも
米・米蔵・粥というし、つかうでしょう。
昔からそうだったのではないかとおもうのですが・・・。

と、なると、インドに、稲作(つくり方やタ月暦)をつたえたというほうが正解かなと思うのです。

さらに、荒唐無稽が続きます。

キリストが日本の古神道を習いにきたという伝説です。
(厳密にはキリストではないと思いますが、その考え方がキリストに影響を与えていると思えます)

以前にも書いたように、日本は当然の意識として生活に溶け込んだ観念を持っていたと思い
文字にしたりせず、奥義?みたいなものは一子相伝。あるいは口伝えの文化です。

どこかに書いたと思いますが
中国は孟子や壮士や孔子を排出した偉い国なのに・・という言葉に対して
日本はみんなが当たり前に偉人たちのような考えをもっていたから
偉人がでていないのでしょう。
と、いうことをいったことがあるのです。
つまり、精神的に幼いから、誰かが言ったことがすばらしいと認められるので
精神的にある程度のレベル(礼儀などもそう)になっていたら、
誰かが説いても、みんなしってるやん
当たり前のこといってもな・・となるわけです。

ま、そういうようなことを考えていたときに
キリストがエジプトにいたのではないかという話がでて来たのです。
当時インドからエジプトに僧侶が3万人とか移住していて
キリストはここで仏教をおそわったのではないか?というわけです。

この説で取り上げられているのがショーペンハウエルの説です。
彼によると
・・・彼はかなりの秀才で。仏教の聖典とか、キリスト教の聖書?とか
何ヶ国語の文字も読める人だったようで
その二つをつきあわせていくと
非常に似通った表現で同じ考えをのべているというのです。
と、なると、キリストが仏教にふれることができたのは
エジプトの僧からではないか?
ということになってきていたようです。

そして・・・
そこでもっとも気になるのは
ピラミッドです。
海に囲まれたわけでなく、四季がはっきりしない国では
ピラミッド。太陽暦がつかわれていたことでしょう。

そのピラミッドはどこから伝承されたのでしょうか?

仮に最初にのべた
世界最古のピラミッドが日本のものであるとするのなら
何らかの技術、考え方が日本からつたわっていったのではないかと
かんがえたくなるのです。

そして、キリストが古神道をまなびにきたというのも
仏教の中に日本の古神道のかんがえがあったとかでも、
影響されているか
別の人間が古神道を学びにきていた可能性もなきにしもあらずです。

日本のもっとも古い神道はすめらぎ神道だと思えます。
すめらぎ  皇  です。

つまり、こうなってくると、
もっと古い時代の天皇、
たとえば、ウガヤフキアエズ王朝とか・・・も実在しており
古代天皇が実は世界中を平定していたとか
もう、こうなると、
大本王任三郎の話になってきて
世界の文化・文明の大元は日本であるという説にまで話が飛んでいってしまうので
ますます、確証がなくなってくるわけです。

が、どこかで、実は稲作など・・
日本が起源だったのではないかと考えるほうが
すんなりと他のことも納得できる天があるのも事実です。

さらに言い出せば、DNAやY染色体・ミトコンドリアと
日本のDNAが古代からつながっている
(氷河期をのりこえてきているとか)らしく
このあたりからも、
含めて考えると、かなりの知恵をもっているといえますから
あちこちにいろんな影響を与えていてもおかしくないとも思えます。

ぞれまくってしまいましたが
千木も稲作と同じあるいは修行に来た誰かが
タイにつたえたのではないかとおもえるわけです。

牛を殺さなくても、代わりのものが使えるという発想は
部族にとっても、大きな利益になったのではないでしょうか?

そして後年
スサノオが仏教を守護する牛頭大王と同一視され
祇園社にて祭り上げられていたと思います。

牛頭が守護の意味でもあるというところのアカ族の千木との関連性もきになるところですが、
これ以後、スサノオをしらべていくようになり
特異なところではスサノオがシュメール人からの発祥(出自)であるという話や
蘇民将来にみられる茅など、こちらでは近くに蘇民将来の出生地?とかもあり
海の民族との別れに際して、海の民族は出雲の山超えのルートにあたる道の峠まで
スサノオをおくっていったとか、この帰り道に蘇民将来の神社、スサノオ神社などがあったわけです。
そして、茅くぐりという行事がこちらでは今も残っています。
おそらく、海の民族が茅を目印にしておけば
疫病からのがれられるという話よりも
スサノオに功績があった蘇民将来の子孫であるという証になる茅を伝承してきたのでしょう。

なんらか、形を変えながら
奇妙にスサノオからの伝授を残すさまも
あるいは、ネパールで米・米蔵・粥などの言葉が残っているのとにたようなものを感じるのです。


ウガヤフキアエズの伝承

ウガヤフキアエズのことで、先日、コメントさせていただいた。

いろいろと、情報をいただき、なるほど。

と、なったのであるが・・・。

 

ひとつ、???と思う記事に遭遇してしまった。

 

まず、

コメントの中の一文

 

ウガヤフキアエズを祀る、宇波西神社のいわれである。

宇(ウガヤフキアエズをさす、宇宙の宇など∞(無限大)の広がりをあらわす)

が、

西から波に乗ってやってきた。

 

と、いうものである。

 

西から波にのってやってきた。

と、いう話だけを素直にとると、

これまた、素直に疑問がでてくる。

 

西ってどこだろう?

 

そんなことを考えてるときに、???の記事に遭遇してしまったのである。

 

 

天皇家の祖先は失われた古代イスラエル十支族ではなかろうか?

ということで、

類似点をいくつか、枚挙していた。

 

古代イスラエルのソロモン神殿の両端に獅子と一角牛の像がおかれていたが

これと同じものが皇室にあるという。

 

さらに、初代天皇・・・これがウガヤフキアエズの息子になる。

神武天皇の諡号が

「カムヤマトイワレビコスメラミコト」であるが、

ヘブライ語の

「カム・ヤマトゥ・イヴリ・べコ・シュメロン・マクト」

が、語源ではないかといわれる。

 

その意味は

「サマリアの王 ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者」だそうで、

サマリアの王とは、ユダヤのエフライム族の王家にあたり

聖書においてエフライム族の王室は絶えることなく

常に世界のどこかに存在し続けているとの記述があるとのこと。

 

どこかに存在し続けたというと、日本の天皇家しかないといえる。

 

以上が書かれていた内容であるが・・・・。

 

ウガヤフキアエズが西からきたとするなら

そこはイスラエルなのだろうか

 

諡(し、おくりな)、あるいは諡号(しごう)は、主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことである。「諡」の訓読み「 ... 諡号が天皇の徳を讃える贈り名であるのに対して、追号は関係のある地名や年号から取られた贈り名である。

 

さらに興味深い記事に遭遇

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/099yata.htm

 

ウガヤフキアエズが西から来たという伝承が、そのとおりであるのなら

 

ヘブライ語でヘブル民族の創設者という諡号があらわすその意味から

日本民族はヘブル民族になっているということか・・・

 

Y染色体によると、ユダヤ人と日本人にしかない染色体があるし

さらに、もともとの日本人固有と思われる染色体はアイヌ・・など北海道地区におおくみられ

南にさがるほどすくなくなってくる。

 

熊襲征伐などは、もともとの原住民族の勢力を駆逐するためのものだったということになろうか。


スサノオの足跡か?

おもわず、はりつけてしまい、出典がわからなくなってしまったものですが、引用です。

シュメール語で牡牛を現す言葉。

また、グゥドという発音は、英語のグッドに似ており、グッドの語源は神・ゴッドである。

英語で言う神とはシュメール語では牡牛となり、その楔形文字はロケットに酷似しているという。

同じく引用。「竜のなんとか・・」だったおもうのですが。

『記紀』によれば、ヤマタノオロチは高志の国から出雲にやって来ていたとされる。

『日本書紀』の一書には、素戔鳴尊が高天原を追放されて、朝鮮半島の牛頭という土地に住んだという記載があり、これが、素戔鳴尊が牛頭天王になったという縁起といわれる。また、京都の八坂神社の社伝には、「斉明天王二年(656)新羅の牛頭山から素戔鳴尊の神霊を迎えて祀った」とある。

*上の分*

牛頭大王がスサノオだったりとまあ、合祀?合体?こういうのは、

ほかでも、ありえることなので、さして、疑問はかんじないのですが、千木のところで、

千木のルーツが牛の頭。守護の意味合いであろうということはわかるのです。

わからないのは、なぜ、牛が神聖視されるか・・という事です。

上のサイトのほかのところで、

「角」があるものへの神聖視だろうというようなことをかいてらっしゃって、

なるほどと妙に納得しているのですが。

良い悪いをぬきにすると、角があるものは、神か、神に近い存在が多いようです。

ただし、実在していて、通常に見ることが出来るのは、牛くらいです。

角があると考えられるのは、鬼とか、ユニコーンとか悪魔?

誰も本当には見えませんけど、女房にも角があるようで・・・。

嫁に行く時は角かくしで、角をかくし、

嫁に入るとそのうち山の神になります。

すると、牛だけが、角をもっている動物ってことになってくるでしょう。

鹿や山羊や羊の角はいまいち、「角」という鋭利感はないですから、

それで、牛が神聖視されたのか・・・と、妙に、無理やり納得しておきます。

*下の引用*

これは、ヤマタノオロチについて、前々から気になっていたことがあります。

越の国の九頭竜川の名前です。

八又より、ひとつ多いです。

日本は多いという観念を八であらわしますから、9より、もっと、おおいのかもしれませんが、

中国・・三国記(三国志ではありません)のなかには九紋竜史進とか、

地名では九竜でしたっけ・・・。

九の観念はどうも海の向こうからのものに感じます。

もちろん、八又というのを横一列にならんだ状態で考えると九頭になります。

(手首を併せるようにして円状にして又を数えると九頭竜は九又になりますが・・・。)

と、すると、九頭竜はヤマタノオロチであると考えられます。

この九頭竜とヤマタノオロチに関連性はないのかいな?

と、疑問に思っていたわけです。

そこで、越の国にたいしての、興味がわき、

過去記事にあげています。

美穂ヶ崎から、朝鮮半島と北陸をひっぱったという国引きの話も

興味深い一致を感じるわけです。

越の国の卓越した技術というものは、実は、スサノオあるいは、出雲族から伝播したのではないかとも考えたりしています。

続きを読む

邪馬台国は、どこに?

邪馬台国が日本にあった。

と、いう説に憂生は納得できないのです。

卑弥呼が献上品をもっていった、(相手の国、うろおぼえー最近これ多くてすみません)

この献上品の中に、けんという越前の羽二重をほうふつさせるものがあります。

このあたりが、ちょっと、別の解釈が必要かとおもうのですが、

この時代以前に、倭には、いくつかの村がありという記述がある史書があるわけです。

これを考えても、

航路でいくにち、徒歩で幾日、また航路で幾日・・などと書く必要があるでしょうか?

倭の国とかくだけで、位置が特定できると思うのですが・・。

アメリカという国がどこにあるか、わからなければ

東にむけて**日、船を進めたら・・と、いう言い方になるとおもうのですが、

判っていれば、アメリカに行く。で、すみます。

実に単純な考えですが、

すでに、倭の国の存在がわかっていて、

目と鼻の先にあるような位置関係で、

わざわざ、どれだけ離れているかを記述するものだろうか?

こう、考えると、

卑弥呼がいた邪馬台国は、

環太平洋とか、インド近辺とかになってくると思うわけです。

そして、細かい記述をよんでいないので、なんですが

日本人、倭の国のものとよく似た肌や装束だったと考えられるわけです。

極端ですが、白人がきたら、

金色の髪で、青い瞳で、と、違和について、書くでしょう。

そして、環太平洋?から、海流にのって、

あちこちの国にたちより、珍しいものと交換して、

献上品にした。

もしかして、航海中に風雨にさらされて、

献上品をなくしたので、

倭の国から調達したとかwwww

あと、不思議なのが徒歩で歩いてまた、船にのるという記述ですね。

ぬながわひめをかいていて、

にぎはやひが(これは、さる文献ににぎはやひが、国譲りの場所にかけつけたという、記述をみつけたので、それを利用しています)

船を糸魚川におくわけです。

で、奴奈川にたどりつく。

今度は大和にかえれといわれる。

陸路もありますが、

船も糸魚川にあります。

さて、船で大和まで帰る・・・。

ここで、かんがえてしまうのが、

じゃあ、逆に、大和からどうやってでてきたのかということです。

どこから、船にのったか。

神武天皇は、兵庫県の弥美浜で船をつくらせています。

たとえば、にぎはやひも、摂津とかで、船をつくらせて

そこらを出発地にする。

大和、奈良を本拠地にした場合船にのりにいくのに、

徒歩5日。糸魚川まで仮に7日。そこから奴奈川まで、4日

糸魚川まで仮に7日。そこから奴奈川まで、4日。

これを邪馬台国ルートで考えると

奴奈川から(地理的には不可能ですが)また船にのる。

通常、船をそこらにおきすてていくわけにいきません。

これが、可能なのは、その島?いったいを統治している必要があるとおもうわけです。

これならば

奴奈川でなく、山越えして千葉まで抜けたとします。

そこで、また、船を調達できるということです。

千葉からまた、船にのって、北海道にいく。

ここが、邪馬台国の首都?ということになるわけで、

こういう島のような格好のところか、

かなりの場所を統治していたということになるのですが、

インド近辺も交易があったとおもわれるので、

やはり、環太平洋か、逆にマヤあたりwww

と、おもってしまうのです。

続きを読む

「刺す竹」を考える・・・

刺す竹の・・・の本来の意味を考えていた。

竹を使う枕詞?には、他になよ竹の・・のがあるが、

枕詞には、なんらかそれなりの意味合いがあると思う。

憂生はもっぱら、自分の記憶を頼りに物を書くので、

とんでもない薄識を披露するだけになるかもしれないが、

ちょっと、考えてみたので書いてみる。

枕詞ですぐに浮かぶのは

垂乳根(この字だったかな?)で

乳が垂れた根(元)ということで、

ある程度の年齢の母親を指す。

たらちねという

平仮名でかくとさっぱり意味がわからない言葉にも

ちゃんと、意味があるわけで、

そこで、

刺す竹という言葉にも

きちんとした意味があるのでは無いか?

と、思えた。

この部分の解釈は
古代探偵シリーズ第1弾 さんが

見事な推理をされているので、

このところを含めた解釈をかんがえていたのであるが・・・。

昨日、ふと、刺す竹・・・竹に刺すものは、なんだろう?と、考え直していた。

焼き鳥の竹串・・鶏か?

そんな馬鹿な・・・。

やはり、
古代探偵シリーズ第1弾 さんが

おっしゃるように、仏陀の足跡。

わが身を呈して竹に刺される・・・

その意味しかないのだろうか?

すると・・・、時代劇の1シーンが頭をかすめた。

もうひとつは、憂生に寄せられた出版のお誘いの中の文句。

「上梓されたし」

梓の木の皮に文書を書いて保存公開する。

こういう由で

価値あるものだからこそ、梓の木の皮に書き残しておきたい。

と、いうかなり尊い思い入れをあらわす表現なのであるが・・・。

このことと、時代劇の1シーンが重なってきた。

時代劇のなかで、雲上人などとかに訴え事があると、

傍によれない下々のものは、

竹か?木かなにかに、文書を挟んで差し出した。みたいなシーンである。

文書を挟んでおそれおおくもと、

手ずからわたさず、間接的に渡すのに

竹にはさむは、正解ではないだろうか?

竹は節の部分があるので、竹に切れ目を入れても

節のところでとまる。ちょうどその隙間に手紙を挟み込むことが出来る。

この様子が「竹に刺した」にみえるのではないか?ついでに余談だが

竹はまっすぐに筋目がある。

筋目を通すという部分でも竹はうってつけの道具ではなかったのだろうか?

そういう風に考えると

刺す竹で文書をお渡しするする筋合いの高貴な大宮人という意味合いと

わが身を呈して文書をお渡しできる高貴な大宮人という意味合いと

刺す竹文書により、もう一つ苦言を呈したくなる大宮人という意味合いがあるのではないか?

こう考えると

刺す竹とつく、大宮人の歌には

なにかしら、「佐須太気能」でない大宮人に見える部分への

風刺というか、嫌味というか?苦言?疑問?としてとらえた歌が多いのではないだろうか?

古代探偵シリーズ第1弾 さんの提示した刺す竹の万葉集の歌は

「佐須太気能」でない大宮人の部分が

古代探偵シリーズ第1弾 さんの推理により、具体的に見えるものだと思う。

枕詞「刺す竹」の解釈

古代探偵シリーズ第1弾 氏の推理は実に見事で、憂生は言葉がでてこなくなる。


「なるほど。なるほど」

と、腹ではおもうが、軽々しく口にだしては、いけないような・・・。


で、今回、刺す竹について、かかれていらっしゃったんだけど。


勿論、その推理をどうこう言うのではない。


憂生は文字の意味合いに傾倒しているところがあって、


いつかも、スサノオについて、


す は 清めるの意味。


さ は 魂とか神秘的な部分の意味


の は そのまま・・「の」という助詞、あるいは能


お は 緒・・元とか統括


と、こう解して、すさのおが根の国をおさめよといわれたのが判ると。


いわば、閻魔大王のごとくでもあり、救世観音がごときでもあり、


スサノオは人間の魂を清める力・働きをもつ統括者の意味であると。


そこで、「刺す竹」にたいして文字音の意味合いからこじつけ解釈をしてみたくなった。


それも、「す」「さ」がある。

いや、スサノオにこじつけようというのではない。


なぜ、大宮人の枕言葉に「さすだけ」という音がつかわれたのか?


刺す竹という意味でなく、音としてはどうだろうか?と。


で、万葉集を引っ張ってきてみた。

いや、一番最初に目に飛び込んできた。



佐須太氣能 大宮人者        伊麻毛可母 比等奈夫理能未 許能美多流良武


意味としては  大宮人は今も、人をさげすんで自分の楽しみにしているのか?


であるが・・・。


佐須太氣能・・ここが「さすだけ」であるが、

この文字をわざと選んだとしか思えない。


人の魂をも清める(良いほうに導く)太い気持ちをお持ちの大宮人が・・・。


である。


下に続く意味合いと考えてみてもらっても、

本来こうあるべき大宮人であるのに、ソレにも気が付かず人をさげすんで楽しんでいるのか?


と、いう批判、風刺、皮肉・・・がたっぷり込められている。


さすだけのという文字音の意味は そのまま佐須太氣能   こういうことではないだろうか?

もちろん、しょっぱなにコレがでてきたので、他のものはみていない。


そして、

このさすだけが

刺す竹にも通じ、聖徳太子一族をころしはてた「大宮人」にもかかるという

古代探偵シリーズ第1弾 氏の推理は見事である。


そして、この枕詞に着目して、歌を詠んだ人間が誰であろう?


言葉の「音」をうまくかさねあわせるのは、

「蒸気船(上喜選)たった4杯で夜も眠れず」が有名だが、

隠し言葉だと考えると


すこし、似たような歌があったか?

あるいは、刺す竹でなく、他の意味(音)もかくされてはないか?


そんな事を思ったら、音だけを合わせていると考えられている万葉集の漢字つづりにも

もっと、意味があるのかもしれない。

ただ、音の持つ意味合いがわからないと、佐須太氣能でもそうだが、

さっぱり、意味が分からない。

そして、大宮人者 だけが、しっかり名詞になっていながら、ほかのものは音だけ拾う。

妙な作り方である。

あえて、その意味を拾えということだろうか?





佐須太氣能 大宮人者 はよいとして、


伊麻毛可母 比等奈夫理能未 許能美多流良武・・・。


さて・・・なにかしら・・漢字も選んでつかっていると思える部分がある。


ふむ・・。

また・・・いつか・・・。


PS:古代探偵シリーズ第1弾 様、

「さすだけ」をかんがえさせてもらえる機会をいただいた事に感謝します。

かつ、了承を得ず、記事ネタにしてしまってすみません。

あと、お名前も勝手にお借りしました。


「ごめんなさい」

情報つなぎ合わせ・・・

先のスレッドから、添付・・・

その貴重な馬を連ねて、献上品に出来るスクナヒコは

はたして、どこから、馬を連れてきたのだろう。

朝鮮半島?

いや・・。スクナヒコをして、少数民族だったと考えたら朝鮮半島からではない。

では・・・。

馬がいたと思われるところ。原種が残っている土地。

そこから、つれてきた?

壱岐?宮崎?愛媛?(ほかにもあるが)

いずれも、出雲から船でこれる。

やや?

愛媛?

そうだ。


あの美穂崎灯台のうしろに、愛媛の河野氏の紋が刻まれた鳥居を見つけたんだ。

鳥居に一緒に掲げられるのも不思議に思えたが

もしも、スクナヒコが河野の出身なら?

馬を連ねてくることも可能だし後に、大国主命を支えた存在として鳥居に刻まれてもおかしくない?

だが・・・。

河野氏の土地に根付いているのは

ニギハヤヒなのだ。

すると?

むしろ・・・。

ニギハヤヒ=スクナヒコ

単純に因幡海岸と美穂崎に寄航した話が

ニギハヤヒとスクナヒコの二つの話になった?

いや、無理やり河野氏の紋をむすびつけることがおかしいのか?


******************
ここで、大山祇神社がうかぶ。
この神社は奇妙である。
鎧や刀など、国宝級のものが奉納されている。

ご利益という考え方でいえば、それだけの見返りというかwww
そういうものが、なければここまでの奉納はしないのではないだろうか?

なにかしら、ものすごい権力、権限があったのが大山祇神社ではないのだろうか?
その大山祇神社は、愛媛県に属する。


なにかしら、河野氏と関連がありそうであるが


それよりも、気になるのは、剣山であり、ニギハヤヒである。


失われたアークが、剣山に埋められているという伝説があるが、


もっと、だいたんな推理がある。


ユダヤの失われた十支族のうち、日本に渡来してきている部族が居るという。


それが、アマテラスであり、ニギハヤヒではないのかと。

むしろ、ニギハヤヒのほうが、先に日本にやってきていて

日本・・大和あたりをおさめていた。
そこに後からアマテラス部族?になる十支族がやってきた。


そして、おそらく、にぎはやひのほうが、本当のうしなわれたアークをもっていた。

そして、アマテラス側がこの失われたアークをてにいれたものの

にぎはやひの怨念というか、
実際の伝承だが、元の持ち主(国)におさめておかないと内乱・疫病などがおこり
アークをぬすんだ国が返却してきたという。
つまり、にぎはやひは四国あたりをも治めていたのではないかと思う。



そして、後年、アマテラス側の治世において、飢饉や疫病、風水害などおきてくれば
これは、にぎはやひに返却しなければならない。
と、いう考えになる。

そこで、空海が結界をはることで、にぎはやひの怨念をとじこめるとともに
実際、アークを剣山に埋めたかどうかはわからないが、
アークを返却した。

アークを返却するだけではおさまらないと思うのは、
おそらくであるが、かなりの残虐?な処遇でにぎはやひを葬ったか
まちがいなく、アークの正当な継承者はにぎはやひであるなら
アークをかえしただけではすまない。
国を返すのが、本来であろうが、返すわけにはいかず
アークのある場所が国ですよ。と、いわんばかりに
死国(四国)をにぎはやひに与え
そこに封印するしかなかったのではなかろうか?

と、なると、大山祇神社もそれに近い観念がおきたのではないのだろうか?

戦いに使ったものを、戦うための武具
これは、アークに等しい。
うまく説明できないが、
他の国を手に入れるための道具というのは、
いわば、継承権の象徴ともとれる。

それをもっていたら、
他の国の怨念をかぶる。
このため、奉納することにより、
自国の安泰につながる。


と、いうような観念もあったのではないのだろうか?

つまり、にぎはやひ、という存在が正統なアークの継承者であることを知っていた河野氏?であり
国譲りのときに、にぎはやひが美穂の地にかけつけているという記述がある。


そして、スクナ彦もまた、ニギハヤヒであったとも考えられなくも無い。
正統な後継者が大国主命の出雲?建国に加担するとなったら
国ゆずりを言うアマテラス側は強奪でしかない。


また、大物主もまた、ニギハヤヒとも捉えられる。


ニギハヤヒが、出雲建国?をみとめたとなるなら、
これも、おかしなことになる。

そして、大物主、これは、又、大きな蛇である。


蛇は怨念を喰らって大きくなるという話がある。


にぎはやひの怨念をくらったか?


と、なれば、なおのこと


正統な後継者を葬った故の怨念ともとれる。


概念

日本の歴史の中、


いわゆる、中朝事実と、なにか、その時代にのこっていた、

伝承などをつじつまよく、あわせて、ごちゃまぜにしてしまったというところがあると思います。


中朝事実というのは、

天皇家の歴史です。


古事記のなか、どこまでが、中朝事実といったら、


神武天皇までくらいじゃないのかなあと思うのです。


これ以後は、人間天皇(現人神)の歴史といっていいか。


以前、歴史を齧るというきじをとほうもなく、かいていたのですが、


この中で、


日本の歴史をひもとこうとするとき、


「天」という概念がないとわからないともうしあげました。


西洋では、人が・・神になったものです。


天にまします、わが父よ・・という風に、


天という国があって、そこに神がいるというかんがえです。



日本はそこらじゅうに神がいます。


いいかえれば、日本の精神(エレメント)レベルでいえば、

日本が天国です。


そして、この神や人や国をつくったのが、天だというのです。



別のいいかたをしますと、「神国日本」なのです。


神の元親は「天」。言葉でいえば、天之御中主なのです。


ですから、日本の歴史をひもとくときに、


「天」という概念なしでは、わからないと思うのです。


そして、


なんどか、つかいましたが、「のさり」ですね。


神が降りてくるのは降臨といいますが、


天は載るといいます。


載るとかいて、戴くわけです。


天からすれば、載る。


人間からすれば、いただく(戴く)


この天という概念は、


たとえば西郷隆盛の書。


敬天愛仁

とか、

八甲田山死の彷徨の中のせりふ

「天はわれらをみはなしたか」

とか

「人事を尽くして、天命を待つ」

「天知る。地知る。人知る。(己知る)」


などというように、今でも、天への意識は伝わっています。


が、


天というものが本来どういうものであるか、

現代人には、非常にわかりにくくなっているのです。


そのわからない状態で、歴史をひもといても

やはり、概略しかつかめない。


そんな気がします。


天をいいかえれば、「自然」です。


この自然がめぐみもあたえれば、厳しい環境もあたえていく。


これにたいして、日本人が古来より、どう考えて、受け止めてきたか

と、いうことを軸にしていけば、

歴史の中の不可思議がすこし、整って見えるきがします。


畏敬の念というのが、あるわけです。


誰かが誰かをころしたことで、たたりをおそれるというのも、


本人をころして、たたられるのがこわいのなら、

本人をころしはしないでしょう。


悪いことをしたら、「天にさばかれ」たたりがおきる。


このたたりは、天からの怒りですから


「悪いことをした本人」だけでなく、


先にすこしかいたように、上にたつものに、良い気持ちをおくれなかったものも

同罪なわけです。


それほど、天はきびしい。


だから、疫病や干ばつなどおきると、

天にとりついで、お詫びをしてくれる神などを

さがしてきて、天に祈るわけです。


神は天とのとりつぎ役なのですが、

当初ほど、天を身近にかんじている人間がすくなくなったわけです。


それほど、人間の精神レベルが地におちてしまって、

神にとりついでもらわなければならなくなってしまったのです。


ところが、そのうち、神と天をごっちゃにしてしまったり、

わけがどんどん、わからなくなって

天という意識がどこかにうしなわれていってしまう。


文明の崩壊

レベッカ・コスタは社会の問題が複雑化し過ぎたとき、人間のは理解が追つかず「認知閾」という状態に達することで非合理な思い込みや行動に走る傾向にあると述べ、文明の崩壊の過程で以下のようなプロセスをたどると説明した[20]

  • 反対はするが対策はない。
  • 個人に責任を転嫁し、問題を解決したと自己陶酔する。
  • 怪しげな因果関係に飛びつく。
  • 行き過ぎた経済偏重行動をとる。
  • 物事の原因が不明でも何か一つにこじつける。
  • 応急処置や緩和策に満足し根本問題を先送りする。
  • 何もしないことを罪悪視する風潮になる。
  • 問題を細分化してより複雑にしてしまう。

アイヌとワケア考


アイヌにD2が多くみられ、C1がない。

と、いうことは、氷河期に大陸から移動して、日本に定住し、

日本本土に南下して、日本全土にアイヌ人が分布していた。

そして、C1が、含まれないということから、

ポリネシアか、環太平洋、からわたってきたという母系染色体ミトコンドリア?から

類推すると、

環太平洋、レムリア、ムー大陸あたりから、漂着した人種と、混血してきたと考えられる。

和歌山のほうに、ワケアという環太平洋の神(民族?)が流れ着いたという話があり

ワケアから、和歌山という地名が起こったという説がある。

ここで、ワケア人種(レムリア人?)とアイヌ人種の混血がおこなわれた。

と、かんがえられる。

アイヌ人については、ころっぽっくるなどの伝承からみても、

自然を神とあがめていたし、

ハワイ(環太平洋に残った島として)なども、自然信仰のさかんな国と思える。

このあたりの信仰?形態から、無茶には闘争がおきず、

民族がなじんでいったかもしれない。

和歌山あたりといえば、どことなく、にぎはやひであろうとおもえてしかたがない。

ここに、アジア大陸から、(朝鮮?)から、高天原族が九州にはいってきたのではなかろうか?

スサノオというのが、はたして、アイヌの血のものだったか、

高天原族だったかは、わからないが、

ここで、高天原でのいさかいをおもうと、

アイヌ人と高天原族との抗争におもえてくる。

古事記や日本書記においては、アイヌ族と(ワケア族?がかなりの)という書き方はしていないのは当然の隠蔽であり

スサノオという強大な勢力を囲みこむために、高天原族の一族という隠れ蓑をつかわないと

日本中が天皇への不信をひきおこすための措置であったとおもわれる。

出雲の神(上、首長)であった、スサノオがかなりの勢力をもっていて、

これを討ち取ってしまったという考えは当時では、危険思想であろう。

そして、奇妙におもうのが、

武塔神といわれたスサノオである。

蘇民将来という話がある。

東北のほうに遠征にいった武塔神が宿をもとめたとき、

コタン将来は宿をことわって、

蘇民将来が宿をかす。

そのお礼に茅の輪を家先にかざっておけば、蘇民将来の子孫として

疱瘡にかからない。

と、いうものであるが、

コタン将来、漢字を変換できないが、カムイコタンなどでわかるように、アイヌの言葉であろう。

と、なると、蘇民将来も、うろ覚えでもうしわけないが、

スサノオを「楚」から来たという説もあったと思う。

つまり、コタン将来は、未来においてコタン(アイヌ人)とみなす。

蘇民将来は、スサノオ楚民とみなす。

と、いうことをいっているわけで、

この言い方をみると、そのころにすでに、アイヌ人(コタン)は、蝦夷の土地に反映をきわめていたということになろうか。

ところが、スサノオをアイヌとワケアの混血民族であると考えると

楚民という考えがおかしくなってくる。

ここで、登場してくるのがヤマトタケルノミコト大和武尊という人物である。

非常にスサノオににている。武尊というのも、武塔神に近い名前である。

つまるところ、スサノオは本来、D2C1をもつ純然たる縄文人で、

大陸からやってきた高天原族にその名前ごともちさられたというきがする。

いやあ、なにも、某国が、なんでもかんでも、真似をして、

はてには、パソコンを作ったのは自分であるとか?(たとえば)

こういうつくり話にたけている民族の血があるのはまちがいないきがするので

スサノオの話も上手にくっつけたきがしないでもない。

なぜなら、はじめは武塔神だといったものが、帰路になったら、スサノオだと明かす。

というのであるから、実に奇妙であろう。

つまり、スサノオには、スケープゴートが存在するということになる。

本物のスサノオは出雲大社にまつられ、高天原族の血統が守をしているという。

たたりをおそれているとしか思えないさまざまな様式もあるのである。

そして、常々、大物主がきになるところで、これが、大国主命の幸魂と奇魂であるわけで、

大国主命というのも、これまた、大きい国の主という通称でもある。

つまるところ、大国主命がスサノオであるということになる。

そして、にぎはやひが、最初に降臨していたということであり、

これすらも、スサノオであるといえる。

が、まあ、ここは、天磐船ということと、磐という御神体を考慮しておくと、

三輪山がにぎはやひであり、三輪を守護するがごとく取り巻く大蛇がスサノオという

考えがなりたってくる。

つまるところ、身と和(魂)

巳と和で三輪ということになる。

そこで、少し不思議な話をきいた。

出雲大社の神殿の中の気配をうかがったある能力者が

そこに、蛇のような長い不思議な気を感じたという。

ここまで、かけば、スサノオ=大物主であるとおもえてくるのではないのだろうか?

そして、にぎはやひというのが、

もともとの天孫降臨のことを思えば、アイヌ人とワケア人との混血人の神であったということになってくる。

この事実をあからさまにすると、

天皇の地位・存在がおかしくしてしまうことになる。

だが、明治天皇がいったというように、政治にかかわらない天皇。

本来の錦の御旗という存在に戻ったというところでも、時代に即して

日本人の心のよりどころになってきている。

江戸っ子も3代続けば江戸っ子になる。

と、いうのがあったが、

天皇として、2676?年つづいていて、

いまさら、本当はにぎはやひであるなぞといってもはじまらないし

日本の屋台骨をささえていたのは、天皇にほかならない。

金平糖にしろ、中心に芥子の実がなければ金平糖にならないのと同じで

やはり、科学的論拠などでなく、中心であり、要として、

日本の精神的親として、存在している。

この考えをしっかりもっておかないと、

某国が歴史的背景をもちだし、日本の天皇まで自国のものだという論点をくりだしかねない。

あくまでも、どんな遺伝子をもっていようが、

3000年近く正当に続いた家系として、日本にいる以上、

日本人でしかない。

そして、天皇もまた、まちがいなく、D2.C1遺伝子をもっている。

それは、物部一族が皇后を娶らせているのだから間違いが無い。

憂生自体、事代主血統から、皇后を輩出していったかわからなかった。

縄文から続くDNAを混合させるべくであり、

推古天皇など女性天皇がでた時点で、高天原族からの遺伝子継承にも

変革がおきているとおもう。(詳しい血統まではわからない)

そして、おおきなところで、謎の天皇、継体天皇。

このあたりのDNAはいったいどうなっていたのやら・・・

倭の基の意味を探る。

*常世の国からの波というのが、霊能力者某氏のいう

伊勢神宮外宮のエネルギーの柱から来るものだと思う。

元伊勢にあたる籠神社においての

真の御柱の存在はどうあるのか?が、きになっている。

はごいたの原理でなにもないか?

はごいた星ともいわれる、明けの明星が、

にぎはやひではないかとおもっているが・・・。

ここにおいて、

籠神社がアマテラスの忌み名をもっていることがわかるんだけど、

にぎはやひがまつられたという意味合いが

「裏神道」「裏天皇」などの動きをほうじさせているが、

これは、

「裏は裏にありてこそ、裏である」

はごいたをかんがえてくれればわかる。

裏は裏の使命がある。

みさきをとばしはじめて、

うごこうとしていたものがいるので、

気になるので、一言。

(ミサキの大物?である、ヤタガラス関連の記事を下に貼り付けておく。)

賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)は、神道 である。賀茂別雷神社 (上賀茂神社)の祭神 であり、各地の加茂神社 (賀茂神社・鴨神社)で祀られる。

記紀神話 には登場しない。『山城国風土記 』逸文には、賀茂別雷命について次のような記述がある。賀茂建角身命 の娘の玉依日売 が石川の瀬見の小川(鴨川 )で遊んでいたところ、川上から丹塗矢が流れてきた。それを持ち帰って寝床の近くに置いたところ玉依日売は懐妊し、男の子が生まれた。これが賀茂別雷命である。賀茂別雷命が成人し、その祝宴の席で賀茂建角身命が「お前のお父さんにもこの酒をあげなさい」と言ったところ、賀茂別雷命は屋根を突き抜け天に昇っていったので、この子の父が神であることがわかったという。丹塗矢の正体は乙訓神社 の火雷神であったという。

なお、賀茂別雷命の出生についての話と同様の話が『古事記 』(大物主神比売多多良伊須気余理比売 )や『秦氏本系帳』(阿礼乎止女と大山咋神 )にもあり、特に後者の話と混同されて、「賀茂別雷命の父は松尾大社 の大山咋神である」とする話も流布している。

神名の「ワケ」は「若い」の意であり、「若々しい力に満ちた雷の神」という意味になる。

本地仏釈迦如来 もしくは観音菩薩 である。『賀茂之本地』では阿遅鉏高日子根神 と同一視されている。


賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市 左京区 にある神社 である。通称下鴨神社(しもがもじんじゃ)。式内社山城国 一宮二十二社 の一社で、旧社格は官幣大社。

賀茂別雷神社 (上賀茂神社)とともに古代の賀茂氏氏神 を祀る神社であり、賀茂神社 (賀茂社)と総称され、両社をもって一社のような扱いをされてきた。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称葵祭 )で有名である。

上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命 の母の玉依姫命 と玉依姫命の父の賀茂建角身命 を祀ることから「賀茂御祖神社」と呼ばれる。八咫烏 は賀茂建角身命の化身である。

八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話 で、神武東征 の際に、タカミムスビ によって神武天皇 の元に遣わされ、熊野国 から大和国 への道案内をしたとされる である。一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わるが、3本足と明記された史料はない。

弓弦羽神社 の八咫烏

熊野三山 において烏はミサキ 神(死霊が鎮められたもの。神使 )として信仰されており、日本神話に登場する八咫烏は単なる烏ではなく太陽の化身と考えられ、信仰に関連するものと考えられている。近世 以前によく起請文として使われていた熊野の牛玉宝印 (ごおうほういん)には烏が描かれている。

新撰姓氏録 』では、八咫烏はカミムスビ の曾孫である賀茂建角身命 (かもたけつのみのみこと)の化身であり、その後鴨県主(かものあがたぬし)の祖となったとする。奈良県 宇陀市 榛原区の八咫烏神社 は賀茂建角身命を祭神としている。

(あた)は長さの単位で、親指と人差指を広げた長さ(約18センチメートル )のことであるが、ここでいう八咫は単に「大きい」という意味である。

戦国時代には、紀伊国雑賀衆 を治めた鈴木家 の旗ともなっている。

金鵄との関係

八咫烏は『日本書紀 』や『古事記 』に登場するが、『日本書紀 』には、やはり神武東征の場面で、金鵄 (金色のトビ )が登場する。金鵄は、長髄彦 との戦いで神武天皇を助けたとされる。

八咫烏と金鵄は、しばしば同一視ないし混同される。

三本足の意味

月岡芳年大日本名将鑑 」より「神武天皇」。シーンは金鵄のものだが、黒い「金鵄」が描かれている。

いくつか言われており、「宇井 」「鈴木 」「榎本 」という熊野地方で勢力を誇った熊野三党を表しているという説や、 熊野本宮大社の主祭神である家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)の 御神徳「智」「仁」「勇」の三徳であるという説があり、 また、「天」「地」「人」を表すとも言われている。

シンボルマーク

現代では、日本サッカー協会シンボルマーク にも用いられている。これは、東京高等師範学校東京教育大学 を経た、現在の筑波大学 )の漢文学者 であり、日本サッカー協会の創設に尽力した内野台嶺 らの発案を基に、日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助内野台嶺東京高等師範学校 の先輩でもある)に敬意を表し、出身地である那智勝浦町 にある熊野那智大社 の八咫烏をデザインした物であり、1931年 に採用された(podcast:ギリシャ神話と日本の神話(4)/eureka!より)。

このデザインが用いられているのは主として以下の通り。

  • 協会旗
  • 日本代表チームの紋章
  • Jリーグ 優勝チームを示す、ユニフォームのワッペン(上部にJリーグのシンボルマーク)
  • 天皇杯 優勝チームを示す、ユニフォームのワッペン(上部にEの文字)
  • 同一年度にJリーグ・天皇杯の双方に優勝したチームを示す、ユニフォームのワッペン(上部に金の星)※過去に2001年・2008年シーズンの鹿島アントラーズ 、2007年シーズンの浦和レッドダイヤモンズ のみが使用。
  • 日本サッカー協会公認審判員のワッペン

サッカー関連以外では、次のようなものがある。

陸上自衛隊 中央情報隊 シンボルマーク

太陽の中に描かれた三足烏。高句麗 の壁画。左は 、右は鳳凰

3本足の鳥の神話は、世界に広がっており、太陽 と関連付けられている場合が多い。黒い烏は太陽の黒点 を表しているという説もある。

中国・高句麗

詳細は「火烏 」を参照

淮南子 』に「昔、広々とした東海のほとりに扶桑の神樹があり、10羽の三足烏が住んでいた……」と見える。この10羽の3本足の烏が順番に空に上がり、口から火を吐き出すと太陽になるという。 また「日中有烏 而月中有蟾蜍」との記述もあり中国の3本足烏は太陽そのものの象徴であった。『芸文類聚』にも記述されている。

高句麗 では天孫の象徴であるとされ、古墳 壁画 にも3本足の烏三足烏 が描かれている。

ギリシャ神話

太陽神 アポローン の烏。本来白かったが、後にアポローンの怒りを買い黒くなった。からす座 のからすはこの烏とされ、古い星座絵図の中には3本足で描かれている物もある。


千木のこと

千木のことです。
まず、千木って、なんやねん?と思われる人がいらっしゃると思うので
説明?です。

神社の屋根にのってる、×の形の木の作り物です。

ああ、それなら、知ってるという人ばかりfだと思うので話を進めます。

あるとき、千木の天辺が空に向けて水平のものと
垂直になっているものとがあるのをしりました。
続いて、水平のものが天津神
垂直のものが国津神をあらわすのだということをしりました。

ここで、ぐぐりますと、
じつは、この千木の様相の違いは、諸説あるというのです。
男神・女神でわけているとかいわれていて、
事実は解明されていないとのことでした。

天津神・国津神の説は書かれてなかったと思います。

そこで、最初に気になったのは、
出雲大社です。
一説ではスサノオが本当は祀られているといわれるのですが
千木を確かめてみると国津神の様相です。
形としては大国主命を祀っているのですから、
出雲の豪族としてなら、国津神ということになるでしょうし
仮に出雲民族?がたてたら、天津神の様相でたてることになるのかなあ?
と、ここで疑問。

また、スサノオだという説のとおりだとしたら、
天津神の様相でたてれば、
そこに祭られているのはスサノオですとばらすようなものなので
水平の千木にはしないでしょう。

と、ここまで、考えたとき、
いや、待てよ。
スサノオの位置は国津神なのか?天津神なのか?
高天原族という考えでいけば
天津神だろうけど、
高天原をでて・・ということなので
国津神になるのだろうか?

と、スサノオの位置と、
神社の千木を見て、逆にそこで、
いろいろな神が天津神や国津神のどちらになるのだろうかと見ることにしたのです。

あるところでは、
おおわだつみを祀りながら、千木は国津神の様相をしていました。
単純に海の神は天津神だろうとかんがえたのですが
国津神になるのか?とおもっていたら、
小さな立て札をみつけました。
もともとはスサノオを祭っていた。
と、かかれています。
そして、神宮皇后が航海の安全祈願のため
おおわだつみをまつった。
確かに菊の御紋があって、祀り変えがあったようにおもえます。
そして、後に社を建て直したときにスサノオを合祀したということです。

たぶんです。
通常、社を建て替えても、もともとの形式はかえないとおもうのです。
神宮皇后は社を建て替えてはいないと思うのです。
航海中にそこまでの時間は取れないと思うからです。
つまり、スサノオが祀られていた社からスサノオをはずして
おおわだつみを祀った。
時を経て、スサノオを合祀した。
と、言うことのようで順位的にはおおわだつみ・すさのおのような雰囲気です。
つまり、スサノオがまつられていたのは国津神の様相の社とかんがえられるわけです。

どうやら、スサノオは国津神なのか・・と
いうことで、今度は天津神の千木をみにいくことにしました。

まず、最初に浮かぶのは、
伊勢神宮です。
確かに天津神の千木ですが・・・
周りの神社には、天津神と思われる神の社があるのに
ここは、国津神の様相になっているのです。

どうやら、アマテラスを守護する役目のため国津神になっているようです。
で、それでは、妙なのでもともと、水平・垂直をおしえてくれた人にたずねてみました。

水平は天を持ち上げる・戴くために水平の形。
垂直は横からの圧力を押すため、つまり守護や結界の意味合いがあるということでした。

だから、アマテラス(伊勢神宮)が天を戴き
周りの神はおそらく、その場所やアマテラスを守護するために垂直の千木をたてたのだと
結論づけられたわけです。

が・・・。
この考えとは矛盾するように思えるものが見つかってくるのです。
本殿は天津神なのですが、
小さな社が回りにあってそこがばらばらで国あり天あり・・。
特に間違いなく天津神と思われるいざなぎ・いざなみなどはやはり天の千木です。

三保神社にいたっては天と地のふたつを双屋根にして千木を横にならべています。

この考えでは矛盾がある。

と思いあちこちしらべていくと
決定的な謎解きになる神社をみつけました。

日御碕神社です。

ここはスサノオが天の千木をいだき
後にたてられた、アマテラスが国の千木をだかえています。

そして、神社由緒です。
ここは、スサノオが天からお前は夜の日本を守れといわれたことで、
ここに拠点をおいた。と、いう内容で
別の文献からは
伊勢神宮はアマテラスが
天からお前は昼の日本を守れ・・・と。

これで、すべてなぞが解けたと思います。

つまり、天の命を受けた神が天の千木をだく。
その横に伊勢神宮で天津神とされているアマテラスであっても
スサノオの天命を守護するために国津神の千木をだく。

そして、天の命だけにうごいたいざなみ・いざなぎあたりは
どこにまつられても、天命をはたしたことは浮動のものなので
天津神として天の千木を抱く。
(まだ、矛盾しているいざなみ・いざなぎの千木をみていないだけなので、確定ではありません)

天を戴くというよりも、天命をうけていると捉えるのが正解ではないかとおもうのです。

前回、書いた。刺す竹の・・もこの千木のことも当時、複数の大学のパソコンから
訪問があった履歴があり、ひょっとすると、卒業論文とかに提出されたりしていたり
もっと詳しい資料とともにブログでかかれていたこともあったりしたかも?しれませんので
どこかで見たことがあるという方がいらっしゃるかもしれません。
ない・・だろけど、
あったら、かなり論説的には信憑性がある?一理あるということかもしれないと
ひそかに期待しているのですが・・・(爆笑)

卑弥呼の話から・・・

憂生は北陸・福井と若狭地方にいたことがありますが、
この地方の技術は、
歴史を知るほど、ただならぬものと思えてきます。

卑弥呼については、
いろいろ、書いたことがあるので
簡単にまとめますが
邪馬台国は、環太平洋あたりか、
インド・インドネシアあたりにあると考えています。

と、いうのも、
以前、オーストラリアから南米にむけて丸木舟で航海したという記事があったのですが、
海流にのってしまうと、距離だけで計算したところより
はるかに短い日数でたどりついてしまったということがあったのです。

卑弥呼もこれであったと思うわけです。
海流にのって、と、いうよりも、
海流がよくわかっていたから
遠出ができたと考えられるのです。

そして、宇波西神社のことでもわかるように
宇が西からの波にのってやってきたというのですから
日本海側の潮流にのれば
卑弥呼も福井に簡単にやってこれたと思うのです。

そして、「けん」という織物が献上品にあったというのですが、
これは、福井の羽二重ではないかといわれていました。

つまり、福井に上陸して
「けん」を調達して献上品にしたのではないかともおもえるのです。

逆に邪馬台国に帰るときは
潮流が逆になってしまうため
あるいは、別のルートをたどったかもしれません。

潮流をしっかり調べていないので
あくまでも、仮定ですが、
たとえば、帰りは北海道のほうを迂回するとかwww

一番、矛盾にかんじるのは
帰りは陸路何日・・とか、かかれているわけですが
船をどうするのでしょう?

陸地について歩かねばならないのなら
停泊地に船をおいて
次の場所でまた船を調達するということでしょうか?
そうなると、その陸地ごとに
到着地に船と新たな出発地に船を用意しておかねばなりません。

こんなことができるでしょうか?
船をある意味、のりすてていくという考えはなかったと思うのです。

つまり、どうやっていくかという話ではなく
どの位置にあるかという
直線距離での計算で海路何日、陸路何日という言い方をしたのではないかと思えます。

実際、まっすぐ考えると
ハワイ諸島あたりになってしまうという説もあります。

そして、別の説ですが、
和歌山県にはハワイあたりの神様
ワケアが上陸したという話があります。
ワケアから「わかやま」という名前がついたというのですが
その名前由来説はさておき
ハワイあたりから、これたというのが、妙なはなしです。

仮にこれが、卑弥呼だとしたら
瀬戸内海をぬけて、
福井に上陸して
「けん」をあつめたのでしょうか?

逆に帰りのルートをここであったとするのなら
陸路説はあてはまってくるでしょうかwww

ちょっと、よくわからないと思いつつも、
ハワイあたりから、きていたという説は
邪馬台国がハワイあたりにあっても
おかしくないともおもえます。

また、邪馬台国というのは漢字から日本読みにしていますが
むこうでは、なんと発音していたのでしょう?

羅馬船のくだりで
これをかがみふねと読むことから、
文字の意味と(馬を連ねてのせてきた)
かがみ・・・あるいは恭順の印にかがみをかかげたのと
そのふたつであるのなら

邪馬台国にも
別の意味と呼び方があったかもしれません。

そして、一説では邪馬台国の台は豊だったかだというわけですから
漢字の意味をいえば
邪馬はたとえば野生馬ですね。
邪馬台国も たとえば、ジャミディ国とか発音されていたかもしれません(たとえばです)
そういう地名がほかで残っていないかなとも思います。

馬についていえば
羅馬船は、スクナヒコがのっていた船だったと記憶しています。
つまり、この時代に貴重な馬をつれてきたとかんがえられ
では、日本に馬がいなかったかといえば
愛媛あたりとか、(名前わすれてます)の岬とか
近辺の島に居たようなのです。

そして、三保岬の鳥居には
なぜか、愛媛の河野氏と同じ紋が刻まれています。

このあたりからも、愛媛の河野氏が野生馬を飼いならし
国譲りの地である三保神社・三保岬に馬をつれて
参戦?しにきたのではないかと思えます。

話がずれましたが、
邪馬台国の邪馬とは何をあらわすのか
ここも調べてみたいものです。

ぬながわひめの名前でも
奴奈宣破姫(媛)の意味合いは
ヒスイによって言い破る。
直訳気味ですが
ようは宣誓。宣告の宣ですので、ただ、言うというのとは違います。
おそらく、ヒスイの秘力で宣託などをうけて、それを告げる巫女のような存在だったのではないかと思います。
書物では天津神の系譜になり
三保神社にぬながわひめを迎えたときにでも
天の千木と夫、大国主命の地の千木をならべて
住まい?にしたか、
後に夫婦で祭られたというところでしょう。

かきかけのぬながわひめのなかで
ここは天と地がかさなりあうところ
千木がすべてをかたっている
と、いう言い方をさせますが、
後、事代主の系譜から
大和朝廷へ子女が何人もとついでいます。

現代において、天皇家の系譜から
出雲大社の神官?の元へとついでいった話がめあたらしいのですが
昔の逆がおきていますし
天皇家は出雲大社にむけての礼を欠かさず行っているという話も
真偽たしかめようがありませんが
きいたことがあります。

このあたりのことを含めると
三保神社というのは歴史的にかなり重要な位置にあると思えます。

邪馬台国の話がずれてしまいましたが
憂生は邪馬台国は日本にはない。と、考えています。

それよりも、継体天皇を輩出した
越の国。若狭の国の技術力の高さ。
若狭にいたっては、世界最古の漆器がほりだされていますし
若狭塗りなどで漆を集める技術者が新潟におおくいたとか
越の国とのかかわりも密接です。
ついでに、いうと
ぬながわひめも越の国
歴史的にも名高いヒスイの産地、糸魚川近辺とかを含む
あたり一帯を執政していたのかもしれませんね。

千木のこと・・2

千木のことをちょっとかきましたが
千木の様相をしらべていくなかで、
わりと千木をきにして、写していない写真が多く、
様相どころか千木自体あるのか、ないのかさえわからないことが多く、
あちこちの神社の写真をさがしあるいたのですが・・・・。

たとえば、敦賀の気比神宮
ここも祀り変えがあったかと思える菊の御紋を抱いた神社ですが
千木を戴いた様相でなく、
神社建築からも、年式や年代がわかってくるかもしれないと
しらべたりしたのですが、
よくわからなかったものです。

かと思えば、出雲地方を調べていくと
表記としては紀元前からの(建て替えはあったとおもいます)由緒で
原初的信仰のような神が天の千木をいだいてたりします。
たとえば水の神(女神がおおかったと)
人間の生活・命の糧である水や土 木という恩恵に感謝するという
原初的な信仰なぶん、確かに
紀元前からの信仰があったというのはもっとものことのようにおもえ
かつ、恩恵を与えた人物を神にしてしまうというのでなく、
自然を神にするところが、アマテラスとかスサノオ以前のような気がしてきます。

ところが、記憶があやふやですが
日御碕神社だったか・・・???
ここの創建も紀元前というふうで・・・
スサノオという人物が与えた恩恵以前に
スサノオ信仰があったとおもえるのです。

そこで、また、しらべていくと
息子とされる大国主命は幽界の主(王)とされていて
よもつひらさか(この世とあの世の境・あの世への入り口)は出雲にあるともいわれているのです。

世襲というのも妙ですが
遺伝的要素で親の能力?を受け継ぐことがおおいので、
逆に考えると、
スサノオがあの世の主・たとえば 今で言う閻魔大王のような存在であったとかんがえると
死という物事にたいしてなら、
原初的信仰としてスサノオが紀元前にまつられていても不思議はない。
とも、おもえたのです。

そんな迷いごとを思いつつ、
最初の千木に戻ったとき
実際のところ、なぜ、×印のような格好で千木が発生してきたか。
この×印はなにをかたどっているのか。
鰹木とともに、
いいだせば、木魚とかww
なぜ、あの形なのかと気になりだしたわけです。

そして、見つけた文献には
タイのアカ族(土人・原住民的・部族のような雰囲気です)の酋長の屋根に千木があるというのです。
そして、
もともとは
神聖な牛の頭を屋根に飾っていたとのこと。
権威の象徴であるようですが、ともに、邪気をはらうなどの
守護もあったようで、これが原型で、後に千木にかわった
と、いうことで、
ここは国の様相の千木だったのです。

さらにまだ、しらべていくことになったのですが、
ちょっと、又 今度。

相変わらず荒唐無稽の憂生です。

ピラミッドの発祥は実は日本ではないかと考えています。

この段で、

キリストの空白の13年間はエジプトで仏教徒に

仏教をまなんだのでいたのではないかという説を信じて居ます。

根拠として述べられていたのは、ショーペンハウエルの研究。

原文にてキリスト教(キリストが書いたわけではないのですが)

(同じく、仏教もそうでしょう)

仏教を読んだショーペンハウエルは

キリストは仏教徒から仏教を習った。

と、思わざるをえない、類似点をいくつも見つけたとのこと。

当時のエジプトには

スリランカから3万人を超す仏教徒が移住していたとのことで

キリストはここで仏教の教えにふれたのではないかと考えられています。

さらに、

神社の千木をたどっていくと

これもまた日本が発祥ではないかと思えるものがあります。

タイなどの土族に千木がのこっており、日本の風習がつたわったのではないかとも考えます。

この考えの元になるのが、ピラミッドです。

ピラミッド信仰は太陽信仰であり、

農作が必要でない原始時代に始まったのではないかと考えています。

農耕がはじまると四季のはっきりしている日本では

月の満ち欠けのほうが、農耕には必須になり

ピラミッドが衰退していったのではないかと思うわけです。

さらに、このうらに日本の古神道があります。

八戸にキリストの墓があるとか

なんだっけ、ピラミッドとか発見していった日本の学者・思想化・宗教家の

神降の文書にはキリストが日本に古神道をまなびにきたと・・。

こういう文書はキリストの墓は正直しんじていませんが、

古神道を学びに来たものがいたということは

事実だと思います。

ところが、日本の教えというものは、

紙にかいたりするものでなく

生活にとけこんでいたり、口伝えのもので

首ふり3年指?8年だったかの

尺八の修養でもいわれるように

実地にはいって倣いおぼえていくもの。

だったように思うわけです。

これが、仏教徒のほうに千木とともに

ピラミッドもともに?つたわっていったとかもしれないと思うほど

今の世界は日本に真の教え・真理があると

多くの書物、宗教からうらづけをみつけているようです。

これは、当然なことなわけです。

世界に何箇所そんなものがあるのかわかりませんが、

リーマンさんが

伊勢神宮外宮に転地をつらぬく真の御柱がたっているのがわかるといいます。

日本は見えない世界において

人間の体でいえばお腹、おへそそのものです。

体内の子供とへその緒でつながっていたその基点の場所であるわけです。

「日本が元」こういうことです。

ですから、当然、過去においても

日本の真髄にふれようとしたものがきた。

と、憂生はかんがえています。

ここにふれたものが、たとえば釈迦だとして、

その釈迦の教えをキリストが感受していったのも当然で。

と、いう荒唐無稽とも思える発想があります。

ここまでいきますと、

さきほどの心?真?の御柱というものが

天之御中主(天地創造の神)という天と

国常立命という(国・日本)と地をつなぐ

へその緒であるというかんがえもなりたってきます。

憂生にとって、日本とは、世界の中心であり

日本が狂えば、世界が狂う。

軸、支点、要そのものだとおもっています。

トルコ

いささか、月日がたってしまって、憂生の記憶力が定かでなくなってしまっているが、

二つの事象が重なったと思う。



元々はスサノオのたたら製鉄からはじまった。

こういう技術がどこからもたされてきたか。

スサノオとはどこの種族だったのか・・・・

このふたつが重なって疑問符に成っていた頃に

カッパドキアあたりの核戦争?あとという記事に着目し始めた。

ノアの方舟に象徴される大洪水などの地球的規模の環境変化がおきて、

昔栄えた文明?はあとかたもなくほろびさったのではないかと。

つまり、核兵器をもつような文明があったことさえもぬりかえられたのではないか・・・?

そして、生き延びた人間がいちから、新世紀をきずきあげていく。

今の時代がもし同じように衰退してしまうことがあったとき

人類は最初からやりなおしになるだろう。

まずはてじかなところでなんとかなる材料で生活しはじめるだろう。

そして、もう、DNAとかアカシックレコードとしかいいようのない発想で

たとえば製鉄をおこなう。



そういうことを考えていた頃に、

大本王任三郎のいわゆる預言書というか・・・

ここに、奇妙の話を見つけていた。



もうひとつ前の時代の日本の天皇は世界各地にちらばって

執政をおこなっていた。

そして、日本地図を世界地図に置き換えるということをやっていた。



すると、カッパドキアあたりが広島に近似値の位置にあたる。

そして、同じことは2度起きるともいう。

長崎が世界地図になるとどのあたりになるかさだかでなくなっているが

歴史をひもといていくと

民族の争いなどがおきているわけで

カッパドキアに仮に核がおとされたとするのなら

落としたものはだれであろうか?(自爆というばあいもあろうが・・)



その国(民族)はそれ相当に文明が発達している必要?がある。

そこにニュース

トルコで世界最古の製鉄跡だったかが発見されたのである。



トルコからの伝来で韃靼人だったといわれるスサノオが

シュメール人あたりから製鉄技法を学ぶことは可能だろうか?



スサノオを祭る日御碕神社は紀元前に建てられているという・・。

製鉄の技法が有無を超えて来るのにいくらか年月を要したとしても

この段でいくと

スサノオが日本に製鉄をつたえたのは、

紀元前と言うことになってくる・・・。



トルコが紀元前5000年頃の製鉄跡だったと記憶している。(あやふや・・・)

日本でスサノオが活躍したころを

紀元前としても・・・

ずいぶんひらきがありすぎて・・・

やはり

いちど文明はほろびたのではないか・・・



そんなきがしてしまうトルコのニュースだった。


なぞだらけだ

歴史をかじり始めると、なぜか、スピリチュアル方向にうごいてしまうので
ちょっと、遠ざけている感がある。

歴史といっても
古代史になってくるが、
このあたりは現代では通用しない「妙な事実」が多い。

たとえば、日本の初代天皇以前をさかのぼると、
寿命がただならぬ数値になっている。
単純に王朝名を天皇としてかぞえてるのか、
そのあたりから、ひっかかりはじめると
預言者のような存在がといている内容にいきついてしまう。

たとえば、大本王任三郎などが話したという内容。

単純にいえば
今の天皇以前に古代天皇がいて・・・
などという話になってきて
世界各地を平定していた。

と・・・。

すると、そこに
トルコあたりでという話が特にクローズアップされていて
現代にいたっては
トルコで製鉄の修練場所だったか発掘され
世界最古でかなり古い。

これは、古代天皇とかんれんあるのか?
とか、おもったり
カッパドキアでの原爆ににたような熱戦痕跡とあると
やはり、古代天皇とかんれんあるのか?

と、なってきて、
たとえば、
ウガヤフキアエズなども系譜に名前があがっているが
ウガヤフキアエズ王朝全般をさすのではないかとおもえる。

それも、大和王朝?が政権を奪取しているんじゃないかとwww
それではまずいので
ウガヤフキアエズという人物をつくって
大和王朝系列の血筋という系譜にしてしまったのではなかろうか?

海幸彦。山幸彦のくだりも、
ノアの箱舟にみられる洪水を彷彿させぬでもない。

史実を元に、大和朝廷の正当性を肯定するようにしている。

と、かんがえていくと

ノアの箱舟の洪水がおきるような天変地異があって
過去の地球人類はかなりの数までへっていったとおもえてしかたがない。
天変地異の影響で
今、なにもかもの文化用品がなくなってしまう、あるいは、役に立たない状態になったとき
人間の生活は原始時代のようなものになるだろう。
家も流され、電気もなく、当然車もなくパソコンもないww
どこかの山の上にでもいきのびれたとしても、
暖をとるものも、その材料もなければ火さえおこすことができない。

山の斜面に洞穴でもほって住居をつくるにしたって
道具がない。

何もかも一からでなおしで
史実などかきとめることもできない。

たとえばそんなふうに
現代だって史実からかきけされて
ようやく落ち着いたころに
500年以上たってから
史実をかきはじめたら
はたして、今の史実だってどうなるだろう。

そんなことをかんがえると
古代天皇がいてもおかしくないし
現代においても
天変地異があった後に
かろうじて残った遺跡があったとしたら
「これはなんのためのものだろう」と、いうことになりかねない。

古代史を物にしたくはある。

鑑定団をみていると、やはり、時代物をかきたくなってきます。

時代物は、やはり、明治維新あたりが好きだったので、
このあたりを書きたいと思いながら、
お茶濁しで人情噺仕立てで、壬生浪ふたり・・をかいたのですが、
資料をつきあわせて、というパターンのものでなく、
勝手な想定なものなので、
歴史小説には程遠いものです。

一方で古代史にのめりこんで、
千木などをしらべてみて、
スサノオのあとを追う状態になっていますが・・。

聖徳太子の「和」の精神が、
天を意識したスサノオに基をなす、
日本人が元々持っていた意識ではないかという考えになり、
聖徳太子を書いていこうとしたときに、
スサノオや、大国主命(スサノオであるという説がもっぱらなのですが)
を、えがいていく。
越の国のぬながわひめとの関連や、
卑弥呼についての考察などなど、
スサノオの説明ですら、かなりの量になるし、
まだ、いろいろと決定打がない。

などなど、自分の中がにつまっていない状態で、
歴史的考察?ならかけるが、
物語にまで、仕上げられるスサノオの感情が見えてこない。

越の国への思いはどうだったか?
ひとつでも、当時の越の国の技術の高さ。

卑弥呼が献上品にした「ケン」(変換できず)は越の国の羽二重であったのではないかという説。
この間ももっと、古い漆器がでていたが、世界最古の漆器。
継体天皇がもちだした「燃える石・水」
ぬながわ姫でもわかるが、優れた翡翠・めのう。

スサノオの伝承になれば、駒をなげいれたというように、
騎乗による移動があったと思われ、野生馬の存在考察。
馬を並べて献上したかと想われるスクナヒコの羅馬船(かがみ船)
スクナヒコが出雲の建国にかかわり、
一方で、(天の磐船でおりたった例の)ニギハヤヒが出雲の美穂浦にあらわれ、国譲りの時の事代主の元にはせ参じる。
スサノオの子供ではないかと考えたり、近畿一帯をおさめたスサノオへの忠誠だったのか?
などから、スサノオの国譲りへの思い。
出雲大社に封印されたのは、実はスサノオであるという説を逆にかんがえた、大和朝廷にとってのスサノオの位置。

とにかく、いっぱい、いろんなことを系統立てて、解釈する必要と
大胆な推理で、かつ成り立つものをかんがえつけず、
書けない自分をぶつぶつぶつ・・・。
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