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―井戸の柊次郎― 壱  白蛇抄第8話

どちらも譲らないまま、澄明いや、ひのえと白銅に決済はゆだねられた。
白銅の父、雅は白銅を養子に出すという。
鼎の事に恩義を感じているせいでもあるが、正眼のところには後がない。
餓鬼に落ちて助かった事なぞ皆無である。
諦めていた娘が帰ってきたのである。
一人の娘の人生が救われたのである。
この事を思えば後のない正眼に白銅を差し出す事は物事の礼節であろう。
が、ありがたいと喜ぶはずの正眼は、がんとして首を縦に振ろうとしなかった。
《女子は外に出すもの。生まれた時から其のつもりであった》
と、いう。
体の弱かった今は亡き妻を望んで子までもうけた正眼にとって、それ以上の事は過分の事であった。
「ふううう」
溜息をついたのは雅のほうであった。
言い出したら聞かない。
温和で優しい男のくせにひどく強情な正眼なのである。
ひのえの母である呼世を娶ると決めた時もそうだった。
子供はおろか、睦み事も呼世の命を縮める。
と、いうのに二人は一緒になった。
呼世もこれが一生と思うたか、正眼に命をゆだねた。
子供が出来たと聞いたときもあきれ果てた。
無茶をする。
短い蝋燭の灯りを明々とともさせ、呼世の生を光々と燃焼させてゆくことを選び取った。
その正眼の決意に雅の入る余地は無い。
いや、むしろ強情としか言いようが無い。
その事がある。
正眼は言い出したら聞かない。
が、そんな呼世が命を懸けてまでもうけた、ひのえをはい。はい。ともらえるはずがない。
ましてや、助かるはずも無い鼎が救われている。
二人の話し合いはもはや平行線を辿るばかりである。

「わかりました」
火種を埋めたのは、白銅だった。
「政勝殿の例もございましょう。居を別にあつらえます」
白銅の言葉にひのえが深々と頷いているのを見ると正眼も雅も黙った。
「あとをどうするかは、いずれ後。大切なのは私達が共に成るということ。其れが先です」
もっともなことである。
そうである。
「例えばおのこを成し足れば、正眼の後に据えるも叶う事です。先に男を成せるかどうかも判らないうちから、先回りして物事の進退を詮議する。これは。おやめください」
白銅にたしなめられ、雅は黙った。
そして、改めて、白銅の後ろに座るひのえを見詰なおした。
《息子が選んだ女子》
不思議な感情である。
乳をくれと夜半に鳴き叫んだ赤子が成人してひとりの女性を望む。
どういう性質の女子を選び好むのかさえ、雅には判らない白銅になってしまっている。
一人の男になった白銅なのである。
《共に歩むか》
同じ陰陽師という事にいささかの危惧はある。
が、もう歩みだした足はとめられない。
古来から男と女はそういうものである。
ひのえとの間の約束も
言葉だけではない深い物になっている事も読み取れる。
《男なのだ。それを白銅に知らしめたのがひのえであるのだ》
男としての白銅がいる。
雅にとって、知ることのない、
息子という性別としての男でしかなかった生き物が、
女と対峙する男になっている。
女を知る男になっている。
男としての白銅を支え、受け入れて行くのは、
もうこの世には白銅の女であるひのえしかいないのだ。
もう、違う生き物になってしまっているのだ。
息子と言う生き物は、
いつの間にか男と言う生き物に変わってきていた。
息子を男に変えたひのえ。
そしてまた娘というひのえを女に変えた白銅であろう。
その二人が同じ意見なのである。
「よかろう。お前らが決めるが事なきを得る」
雅も正眼も同じ言葉を口にした。
新居を正眼と雅の間。
つまり、東南の位置にもとめるつもりであると言う事だけをつたえると二人は出て行った。
「早速、家探しということかの?」
と、正眼は頭をかいた。
「どうやら、そういうことらしい」
顔を見合わせていた正眼と雅が頭を下げあった。
「よろしくたのみます」
正眼と雅は顔を上げて笑った。
「どういう、さだめだろうの?」
二人の子がとしを経て結びつく事になるとは思ってもいなかったのである。
同じ陰陽師。先行きはなだらかではあるまい。
が、それよりも。
《鼎が泣くだろうの》
と、雅は思った。

あつらえ向きの一軒の空き家の前に
白銅とひのえはたたずんでいた。
近所のものに尋ねて家主を請えば、
すぐ近くの在所と知り二人は家主の家を訪ねた。
「ああ。ようございますよ」
二人の家の中を見せて欲しい、
良ければ借り入れたいという申し出に家主はこころよく
承諾すると
「つい、この間にも掃除に入った所だし、綺麗なものですよ。何鍵なんぞかけてない。
入ってみてよく見てから決めなさればよい。
だが、二人で住みなさるにはひろすぎるでしょう?」
一室には祭壇を置く事になる。
陰陽ごとで訪ね来るもののために
応談の部屋も欲しい
ひろすぎることはないのではなかろうか?
家主の許可を得ると二人は家の中に入って行った。
東南の小部屋の戸を開け放つと小さな庭が目の前にあった。
「明るいの」
「ええ」
ひのえはくどに歩んで行った。
後から付いていた白銅が
「いいではないか?」
と、ひのえに笑いかけた。
「わしが入って、てつのうても十分の広さじゃ」
どうやら、八葉に言った様に
白銅はくどをてつのう気でいるらしい。
「男の方が」
「ふるくさいことをいうな。
夫婦で陰陽道を歩もうというのだ。
どちらかの手が何時何事でふさがる事か判らぬ事であろう?そうならば、わしがくどに立たねばならぬこととてあろう?その為には少しはてつのうて、
お飯の炊きよう位はしっておかねば・・・」
「はい」
心底、陰陽道を夫婦で歩もうという気の白銅である。
「わしも餓えとうないし・・」
「はい」
確かに覚悟の上の夫婦陰陽道。
白銅の中では日常の些細な事にさえ、
その覚悟がみて取れるのであった。

「ん?」
ひのえは立ち上がると、北の部屋。
鬼門の方角に向かった。
「どうした?」
白銅もつられて立ち上がるとひのえの後を付いた。
小窓一つも点けられてない納戸である。
「通り抜けはしてない・・・」
おそらく反対の方角の部屋にも
開きになる窓や戸は作られてはいない。
禍禍しいものは反対側が開いておれば
鬼門を通じて容易に家の中を闊歩する事になる。
「妙だな」
と、白銅も呟いた。
何者かの存在を感じる。
「いやなものではないがの・・・」
「ええ」
優しい存念を感じるのである。
誰かを案じる一心の優しい存念である。
「家の中ではないの」
「たしかに・・・」
二人はくどに周り、裏戸を開いて、あたりを見渡した。
「あれか・・・」
隣の屋敷のはずれにある井戸の中から、
存念ははっせられている。
「そのようです」
「きにするようなものではないようじゃがの」
「ええ」
多分大切に祭り上げられた井戸の神が、
母屋の人々のさいわいを祈っているのであろう。
「優しい存念じゃの」
「すこし、気にしすぎているような気がするのですが?
隣家の人になにか?」
「うむ・・」
家内にいやな気配がない事はない。
が、それは、
「男と女の欲情がうずまいてしまうておる。
其れを心配しておるのであろう」
痴態の様なぞは個人のことである。
これ以上読みすかすのも気が引けて
白銅はひのえの背を押した。
「ならば・・よい・・ですよね?」
ここにすまうときめようというのである。
これが普通の人間ならば、
家の外であっても妙な存在を感じ取るだけ、
ここに住むのをやめることであろう。
が、陰陽師である。
例え家の中であろうと、
もっと禍々しいものであろうと、
「浄化しましょう」
と、いう事になるのであるから
隣の井戸の中のことでありとても、
ましてや心優しき井戸の神の憂いとならば、
「これもなにかのめぐりあわせでしょう」
と、縁をしきつめてしまうようなのである。
家の間取りの中央に座り込むと、白銅はひのえをよんだ。
「ここが中心だ」
「はい」
返事を返しながら今開け放したばかりの戸を閉めると、
ひのえは白銅の前ににじりより、帯を解き始めた。
精魂をおとすといえばよいのであろうか。
二人の睦み合いにより、この地に浄化と因を落とす作業。
いや、立派な陰陽事なのである。
白銅も下帯を取り払い、ひのえを抱き寄せてゆく。
座したの形のまま、部屋の中央で事を行う。
やがて、二人の精汁は白く混濁し、
白銅の根元を伝い畳に落ちてゆく。
「青竜が居。鳳凰が居。ここにたてまつります」
唱和する声が震えるようであるが、それで澄んでゆく。
後は其の部屋に住む二人を結ぶ精魂の深さを
あかしてゆけばよい。
それで、因は刻まれ、
二人の守護である青竜と鳳凰のかむろいは完成する。

誂え物を家内に運び込み終えたのは
式を控える三日前になっていた。
調度の位置を決めて
祭壇をしつらえていた正眼の手が止まった。
《妙な気配がするの》
自分が気がつくぐらいである。
二人がその気配に気が付いておらぬわけがない。
《浄化するきでおるらしいの》
忙しく祭壇を誂え、
更なる清めの印綬を唱える事に二人は余念がない。
「いわずもがなであるが・・」
と、正眼は二人を呼んだ。
「う、うん」
咳払いをして、正眼を見る二人に
「精魂の結びの理をわすれぬように」
念を押してみたが、
さっと色の染まる二人を見て取った正眼である。
《しもうた。ほんにいわずもがなであったかや》
正眼の胸の中のうろたえを測れる余裕もなく、
かといって、
もうすでにとも言えずひのえはうなずいた。

明けて三月。雛の日をむかえ
白烏帽子のひのえを迎え入れる新居に膳は運び込まれ、
白銅は落ち着きなくうろうろと歩き回っている。
産土神社では、
やがて、やってくる花嫁と花婿の儀式のためのしたくを
神主は調え終えていた。
なれたことである。
白銅の落ち着かぬに比べ
神主はゆくりと腰を落とすと
出された梅の花茶をすすっている。
とうとう待ちくたびれたのか
白銅は産土神社の前で花嫁を待ち始めていた。
「ひとりかの?」
白銅の後ろに立った気配に声をかけられた。
ゆっくりと振り向いた白銅が見定めた相手は
「ああ」
祝い事のひとつでものべてみせるつもりであったのだろう。
白峰であった。
が、白銅の推量とは違い、
白峰もさすがにこの日は男の見栄も何もあったものでない。
ひどく、悲しげな顔をしていた。
それはしかたがないことであろう。
産土神の差配を受ければ
もう、どんな事があってもひのえは白銅のものである。
「憎いわ」
言うつもりのない恨み言をつい、口走ってしまう白峰である。
「すまぬの」
どこかに余裕をうかがわせながら
白銅は子供じみた態度の白峰を怒りもせず、
宥めるように言った。
うなだれたまま白峰は
「判っておるがの。判っておるのだ。自分でも情けない。
なれど、この身を引き裂かれるように苦しい」
この間まではこの思いが白銅の思いだった。
唯一、お互いにその思いがわかるのが
白峰であり、白銅である。
奇妙な共通感情はいまでこそ立場が逆転しているのであるが、白銅にしか、わかりえぬ思いである事を伝に
白峰は本音を吐き出していた。
「なれど、わしをゆるせるか?」
ひのえを一時は手中に収めた男である。
其の事が白銅により、
ひのえを苦しませはせぬかと思う白峰でしかない。
くすりと白銅はわらうと
「おまえがわしをゆるすようにな」
その白峰からひのえを取り上げた白銅なのである。
「ひのえには勝てぬ。あれがお前が良いと言うのじゃから、しかたあるまい」
白銅もまた、同じような思いで
諦めざるをえないかもしれぬところをわたってきている。
「強情な女子じゃからの」
あれほど白峰によわされながら、
心を渡してこなかったひのえである。
千年の昔に黒龍と争い、人々を脅かし
あふりを撒き散らす事さえ気に止められぬほど
惚れ抜いたきのえ。
そのきのえの分かち身への千年の情念をくりかえしてきた。
であるのに、成就はたやすくこんな男に砕け散らされ、
いとしいひのえは今日天地清明。白銅のものになる。
《こやつのせいではない。
ひのえが強情な女子じゃったから・・・》
だが、こんな男に強情をはらねばならぬというか?
白銅の肩をやにわにつかむ白峰を白銅は見ていた。
《つかめぬものを掴むか?なれど。
お前の恨みをどうしてもやれぬわ》
「いっそ。おまえをころしてしまいたいわ」
ぞっとするような殺気が伝わってくる。
が、白銅をなきものにしても、
ひのえが白峰の元にはかえってきはしない。
それどころか、ひのえの恨みを買うだけである。
「いっそ・・・いっそ・・・」
慟哭に崩れ落ちてゆく白峰の瞳から
雫が乾いた地面にぽとりとおちた。
神と呼ばれる男のあまりにも未練がましい所作である。
これ以上そんな白峰をみていたくはない。
「白峰。祝いの日じゃ。この地を、我らを汚すな」
ひのえの軍門に下った白峰である。
白銅の一喝はまたひのえからの言葉でもある。
「う」
ぐっとつまる声を喉の奥で殺して、白峰は立ちあがった。
「寿ぎの唄・・がきこえてきたの」
花嫁の行列が寿ぎを謡いながら歩んでくるのである。
そうとわかると、白峰はふと姿を燻らせた。
そして、白銅の耳に微かに聞こえた白峰の声が残った。
《寿ぎの祝い唄か》
白銅、ひのえをお前に託すと、既にいえぬ白峰である。
笑止であろう。
既にひのえに必要とされなかった白峰が
言う言葉でなくなっている。
が、ひのえに其の姿を見咎められる事を畏れた白峰である。
ひのえとの惜別の時さえ、
既に遠い過去のものになりはて、
言えぬ思いのたけを白銅に吐き出すのも
これが最後と、白峰は去った。
とにかくは、あれでも、それでも、
祝いに来たつもりの白峰なのである。

白峰の千年の情念を破ったひのえは
今、まさに白銅のものになるために、
祝いの地に歩を進めている。
白銅の瞳はしずかに歩んでくる花嫁を見ていた。

「馬鹿者。早くこぬか」
雅の怒声が響いた。
雅に引かれる様にして、白銅は花嫁の側に歩み寄った。
烏帽子の中のひのえの顔は見えない。
花嫁の同道したものが引き下がり、
ひのえを付き従えるようにして白銅は歩みだした。
白銅のうしろをゆっくりと花嫁は歩みだし
産土神社の神宮はふたりを迎え入れた。

新居にて朝をむかえると
近所の口さがないおかみ連中が
入れ替わり立ち代りとやってくる。
手ぶらでは様子伺いがあからさますぎるので、
おかみ達は畑で作った野菜を手に持ってくる。
くちうらは同じで
「何かと物入りでありましょう。
うちの畑で取れた野菜ですがどうぞ」
と、朝から何度同じ言葉をきかされたことであろう。
くどはあっという間に野菜置き場になり
其れが小さな山を作っていた。
野菜なぞを持ってくるのはきっかけが欲しいだけで、
皆やってきた新造さんをみてみたいのである。
「えらく綺麗な人だよ」
先にひのえを見てきたおかみが噂をふりまいてゆけば、
物見高い女の性は臆する事なく
次々に野菜をはこびこむことになった。
そんな事が二、三日続いたが、後はぱたりと治まった。
「可笑しな事」
野菜の到来はありがたくはあるが、
ひっきりなしに人が来るのもかんがえものである。
「じゃまをしてはいかぬとおもうたのじゃろう」
と、白銅は笑った。
が、実の所は違う。
家から亭主が出てゆかぬと気が付いたおかみ連中が
さすがにうろうろ押しかけるのはまずいとおもったのである。
当然、
白銅の知らぬことであるが
おかみ連中にはいらぬ詮議をされている。
「何をやって、お飯をくっているんだい?」
家にずっといる男なぞ見た事がない。
そのうちに、この詮議を打ち破ったものがいる。
「ありゃあ・・陰陽師じゃないかえ?」
「え?」
榊を刈って家に持ち込んでいたし、護摩の匂いもした。
其れならと、訳知り顔の女子が口を開いた。
「ひょっとすると、澄明さんじゃないのかえ?」
「え?」
「女子じゃったというはなしではないか?」
「すると、亭主のほうも陰陽師か?」
「たぶん」
「なるほど」
それなら判ると、おかみたちの詮議は
一方的にかつ大胆に結論をむかえていたが、
こんな時には、おかみといえども女。
女の勘の鋭さにだけは、敬意をあらわすべきである。

とうの二人はやっと静かになったと、
居間にすわりこんでいた。
「ひのえ」
白銅が、呼ぶより先に手が伸びてきてひのえをひきよせる。
どういう心情になっているかなぞは、
ことさら尋ねる必要もない。
「白銅・・・朝から・・・」
引かれた手をおさえてはみたものの
それも無駄な事に過ぎない。
二人だけの生活になってから、
白銅は暇を惜しむかのようにひのえをだきよせてくる。
が、ここしばらくはその時を、
やってくるおかみ連に邪魔ばかりされていたのである。
「ながかった」
双神の事が片付くことがである。
いわれれば、ひのえの気になる事は
波陀羅が一樹に身を変えたことである。
「波陀羅はげんきであろうか・・・それに」
「なんとかなるものじゃわの」
白銅は笑った。
女が男の身体にすりかわるのである。
うまくやりのけてゆけるのであろうかと、
ひのえは気にかけているのである。
そうと察している白銅はしっかりとひのえに頷いてみせる。
「男もわるいものではないものじゃに」
「・・・・」
白銅がいう事の意味は、すぐにひのえにしらされる。
ひのえの中に入り込ませて物を蠢かせながら
「これは・・・これで、よいもの・・じゃに」
と、白銅が言った。
ひのえの返しは、確かな共感で頷かされる事になった。

荒い息が重なりあう。
頂上を知っている女にはぬけきれない、男からの術である。
「白銅・・・」
つい呼んでしまう名前は、なんのせいであるか。
男と女の交情は際限なく、果てしない恍惚を模索させる。
が。ふと、白銅が止まった。
「感じるか?ひのえ?」
野卑な意味ではない。
「あ・・・は・・い」
おどろしい感情が二人をねめつけるようにとりまいている。
「井戸の神・・だ・・の?」
白銅が確かめるように尋ねるのも無理はない。
七日ほど前に拾った存念と
うって変わって、おどろしさがありすぎる。
「愛憎のはてでしょうか?」
井戸の中に身を潜めたものが、
二人の情念のやり取りをうらやむように窺っている。
窺ったまま、やがておどろしい意識が
こぼれ落ちるほどに心を充たし始めていた。
嫉妬と言うか、ねたみと言うか、うらみというか。
白峰とよく似た情念が見え隠れする。
ゆえに井戸の中の意識を愛憎の果てかとひのえは思った。
「ああではなかったよの?」
「ええ」
確かにここに着たときには、
井戸の神は心弱すぎるほどの優しさで
屋敷の中の住人の情交をみつめていたはずである。
「なにがあったかの?」
井戸の神の意識を変える事がおきたのであろうか?
それとも、ひのえと白銅の存在がきにいらないだけなのか?
「たぐれませんね」
すでに読み透かしをしていたひのえであるが、
井戸の神のおどろしい意識が濃すぎて、
神の裏側がみえてこない。
「強い嫉妬と、情欲。そして、悲しい恨み・・・」
ひのえが呟く口はふさがれた。
白銅がひのえの口をふさぎながらゆすり上げる動きが、
ひのえの中で確かな快さに成り代わると
やっと白銅は口を離した。
「いずれ・・・見えてこよう」
精魂の理をうがったのである。
浄化は一町の方円を描いて緩やかにすすんでゆく。
その浄化に宛てられた時、
心の奥底に隠し持った毒気さえ、晒されてゆく。
身中に毒をもつことを浄化させられ始めると、
己の心がかほどに汚いかと思うほど毒気が湧いてくる。
つまり、今の井戸の神はそういうことなのであろう。
「だから・・・・今は・・・」
白銅の思いをうけとめればそれだけでいい。
ひのえの一心が白銅の一身にかさなり、
解けあってゆく時は確かに甘美であり、
うらやみを買うも致し方ないことではあった。

こんな調子が五、六日も続いたあとである。
「陰陽ごとをなされると?」
男が尋ねてきた。
「はい」
居間に男を通し、白銅をよぶと、
ひのえは茶を入れて、男と話し始めた白銅の傍らに座った。
男は陰陽師であるという事を聞き及んだついでに
ひのえもまた陰陽師であると言う事もきかされていたようで、女子が話しに介在する様子に訝しげな顔を見せなかった。
「澄明さんですよね?」
名前もきかされているようである。
「白峰大神をしずめられた。あの澄明さんですよね?」
「あ・・はい」
白峰を鎮めたといわれると、違うともいえず
ひのえは頷くしかなかった。
元を正せば、ひのえのせいで、
白峰にあふりをあげさせてしまっているのである。
種を蒔いた本人が芽を摘むのはあたりまえのことであり、
いわんや、お前のせいであふりがあがった
といわれたとしても、しかたのないことである。
だがら、手柄ごとのように言われるのもづつないものがある。
ましてや、その鎮めがどんな方法であったか。
ひのえが、えもいわれぬ気分でおれば
白銅もさっするものがある。
「それで・・・なにか?」
と、男の話の先を促した。
「じつは・・・・」
男が話し出した事は十六になる娘の事であった。

夜半になると娘がひどく、うなされる。
初めはそうとしか、思わなかった。
が、決って同じ時刻。
そう、逢魔が刻といわれる丑三つ時になると、
娘はうなされる。
時もいやな時である。
男はうなされる娘の部屋を思い切って覗いてみる事にした。
「それが・・・・」
男は言い渋る。
「どうなされました」
「その・・・」
布団の上に仰臥する娘は裸身であった。
其の姿態は男を迎え入れる時のようであった。
が、そこには誰もいない。
誰もいないのであるが娘の体の中心は
何かが入り込むように蠢き、精汁が
粘っこく跡をひいてはほとをつたいおちてゆく。
男はやっと判ったという。
うなされていたと思った娘の声は
見えぬものに犯され、
快さに通じた女のよがる声でしかなかったのだと。
「確かに誰かがいるのにみえないということですか?」
行灯の光は興をそそるかのように明々とともされていた。
「まちがいはありません」
「ふむ」
なんの物の怪かは知らぬが、姿を隠して交情を成しえる?
今まで、聞いた事のないはなしではある。
「其の時、娘の・・・」
ほとからは、交接のさなかである事を物語る
くちゃくちゃと、ぬめりが絡んだ音がきこえていたという。
普通の人にはみえないものであるということであろうか?
「いちど、我らの目でたしかめさせてもらえぬでしょうか?」
「ええ」
娘の痴態の様をみせねばならないかという、
悲しい返事であった。
「私は隣の屋敷に住む柊二朗というものです」
「え?」
白銅とひのえは顔を見合わせた。
白銅が見透かした男と女の痴態の様があるという事が
これであるとするのなら、
最初に見た井戸の神の憂いはわかる。
が、やはり、何故あれから、
井戸の神はおどろしい思いを
こちらにまでむけるようになったのであろうか?
「ご亭主。井戸がありますな?」
白銅の問いに男、いや、柊二郎の顔色がさっと、変わった。
「何か、いわれはありませなんだか」
「あの井戸に?」
「何かがひそんでおります」
柊二郎は頭をだかえこんだ。
「あの・・・井戸は」
柊二郎は唐突に話し始めた。
「昔、色に狂うた先祖がおりましてな。
それが、私と同じ「柊二郎」といったそうなのですが」
先祖の柊二郎はその名が表すとおり次男坊であった。
が、長男の病死で家督を継いだ。
やってきたばかりであった亡兄の妻を
我妻に治すことにも依存はなかった。
由女は物静かで優しい女子で
面立ちも柊二郎の好みに叶っていた。
幸せで平穏な日々が続いた。
何の過不足もないはずの柊二郎であったのに
何に魔がさしたのか柊二郎は、
家に出入りする手伝いの女に手をつけた。
それが最初で、柊二郎は次々と女に手をつけ
狂い始めていった。
「むごい様が今も屋敷の中にのこっております」
柊二郎は果てには牢屋のようなものをこしらえ、
そこに女を押し込めた。
女が逆らえば体を縄で結わえ付けてまで、女を犯し続けた。
妻であった由女もそうなると
他の女子を抱く柊二郎への嫉妬なぞと言う
生半可な感情でなく、柊二郎を恐れ、うとんだ。
亭主の行状の異常さは意見すら、もはや聞き入れない。
「狂ってしまったのだとあきらめなされたようです」
それでも柊二郎が連れ込む女子までを、
見て見ぬふりは出来ない。
牢屋の鍵を壊して女子をにがしてやってはいたが、
其れが妻の仕業と気が付くと
今度は柊二郎は妻への異常を見せ始めた。
浮浪の者をよびこんでくると、その牢屋に妻と共に押し込め、妻を犯させ、其れを見てたのしむようになったという。
それで、柊二郎の異常が終わるのなら、
罪もない女子を連れ込んでの無体が治まるのならと、
由女は己の人生をなげた。
いつか柊二郎に正気が戻る事だけを願うしかないと考えた。
其れはなくなった先の夫にとって、
由女にかけるしかない弟への一縷の希望であったろう。
が、柊二郎の行状は輪をかけ出していった。
由女を浮浪者に犯させておき、
柊二郎は其れを見ながら
他の女をまたもや連れ込んでは犯した。
由女は暇を決意した。
柊二郎との離縁である。
が、それを聞き入れる柊二郎のわけがなかった。
―罪なき女子を囲いいれる事をおやめいただけねば、
由女はでてゆきますー
と、柊二郎はにたりと笑った。
―さほどに、己だけが浮浪者にだかれておりたいかや?
ならば、そうしてやる―
狂うておる。色に狂い果てている。
其の日。
由女は夜遅くに柊二郎の目を盗んで荷物をまとめた。
たぎった瞳の柊二郎が、
由女の言い分を聞き入れるとは思えなかった。
今度は誰が柊二郎の犠牲になるか?
だが、其れを護ってやることよりも、
もう柊二郎の無体を見たくない。
そして、己の身体をいとわせ
浮浪者に投げ渡させられる事なぞよりも、
我妻を傷みも覚えず、
己の狂いを煽らす玩具にしか
見なくなったことへの諦めがついた。
荷物をまとめるとそっと、娘のお久を呼んだ。
が、お久の部屋の布団にお久はいなかった。
―え?―
いやな胸騒ぎがする。
由女は柊二郎がこしらえた牢部屋に駆けつけた。
そこで由女が見た事は・・・・・。

「お久さんというのは、柊二郎の娘さんなのか、兄様のものなのか、さだかではなかったそうです」
そのお久の身体は荒縄でくくりつけられ、
くの字に曲げられていた。
捲り上げた着物のから幼い娘の白い尻がみえていた。
その上にまたがり、柊二郎は娘の秘所に
己の肉棒をつきいれ満足げな声を上げていた。
久の顔は向こうをむいていて、由女には見えなかった。
―お前さん・・堪忍しておくれ―
柊二郎は由女の声にゆくりとふりむくと、
―みせてやろうに・・・―
久の身体を抱え上げると、由女に向けて
久のほとが見えるように久の足を持ち上げた。
久は長い間柊二郎になぶられ続けていたのであろう。
既に生気をなくしぐったりとしていた。
暴れる事もない久の体は扱いやすい。
由女に己の肉棒を誇示するかのように、みせつけると、
ゆくりと久の身体を肉棒に向けておとしこみはじめた。
―きもちよかろう?―
柊二郎は由女に尋ねた。
交接の其の様を見る事は異常な興奮を生む。
だから、柊二郎は由女を他の男に抱かせ、
肉棒がほとの中に何度も入れ込まれてゆくのをみて楽しんだ。
―きもちがよかろう?―
牢の鍵を内側から落としこみ、
柊二郎はその中で、己一人だけのものだった
いびつな楽しみを由女にも分け与え様としていた。
―たまらぬじゃろう?―
こらえきれぬ興奮が柊二郎を包み込み、
久の体の中に精をはきだしていった。
入れ込まれた精は途端にほとからあふれだしてきた。
一度や二度の事ではない。
この何刻の間に柊二郎は久の中に精をはきだしている。
異常な興奮が異常な欲情をうみたたせ、
限りを知らぬず、飽くことがない。
―でてゆくのなら、おまえひとりででてゆくがよい―
―え―
柊二郎は由女の考えをみぬいていた。
―かわりに久がおればよい―
つまり。久をこんな目に合わさせたのは自分でもある。
―かわゆい女子じゃ。ほかの男なぞ、しらぬ。
わしだけのものじゃに。もう、おまえなぞいらぬに―
もう、いらぬ?必要であったというか?
どういう考えが柊二郎の中をしきつめているのか?
だが、所詮狂った男でしかない。
ふと、意識を取り戻した久に気が付くと、柊二郎は
―まだ・・ほしかろう?―
と、たずねた。
雄でしかない。雄のさがのまま、いきている。
それこそが狂いなのである。
―判りました。明日でてゆきます―
由女はうなづいた。
柊二郎のことである。
一旦身体をあわせた以上は、
気が済むまで久をだきつくすだろう。
もはや、なってしまった事を元に戻す事は出来ない。
それよりも下手に
柊二郎の狂気を煽ってしまうことがおそろしい。
獣姦をやりのけているのも由女はしっている。
雌鶏をなぶっていた柊二郎が声をもらした。
―よい・・ようしまりよるわ―
くえという押しつぶされた声は雌鶏を締めたせいであろう。
おそらく絶命の時の筋肉のしまりを楽しんでみたのであろう。
それも、女子を連れ込むよりは良いと由女は目をつぶった。
が、それを久でためさせられてはかなわない。
狂気は柊二郎の意識を
どこにはねのかせるか、わかったものではないのである。

次の日になると、由女は柊二郎の元に行った。
―おいとまいたします―
と、いうと
―ひとつだけお頼みもうします―
と、柊二郎をよんだ。
久を連れ行かぬと判れば柊二郎も文句はない。
牢の奥に久を置いたまま由女の側ににじり寄った。
―なんだ?―
―出てゆく事は内緒のことでありますれば、
もそっとちかくにおよりくださいー
いずれ判る事であるのだが
今は、久にはしらせたくないという。
―おう―
柊二郎はそばによった。
―これを―
―なんだ?―
―別れの杯でございます。これで私と貴方は元の他人。
縁もゆかりもない人になります―
―ふむ―
柊二郎はふと、疑念を持った。
―お前が先にのめ―
―はい―
由女は杯を口にふくんだ。
何でもなさそうだと判ると、
柊二郎は杯を受取るとぐいと一気に飲み込んだ。
―がはっ―
やおら、柊二郎はせきこんだ。
―なんだ?これは?―
―神前の誓いはお神酒でございますが、
情が残る別れは塩杯ときまっております―
―きいたことがない。
それに、何もこんなに塩をいれぬとも―
―由女の未練のからさとおぼしめしくださいませ―
―ふん。今更、気の聞いた事をいうわの―
そういうと、未練ひとつもない女になぞ構っていられぬと、柊二郎は久の側ににじり寄っていった。
後も見ず由女は牢部屋をでた。
そして、くどの大瓶はむろん、
ありとあらゆる場所の水を捨て去った。
跡は喉の渇きを覚えた柊二郎が水を得られる井戸に
現れるのを待つばかりであった。

「柊二郎が水を汲むのを見計らって
由女は井戸に柊二郎をつきおとしたのです」
と、今の柊二郎は井戸にまつわる話を終えた。
「柊二郎の存念が祟っているということか」
白銅の推察にひのえは頷いた。
「久という娘さんへの情念を果たしきれずに死んだ」
「だとすると、男と言う者は
しまつにおけぬ困ったものよな」
白銅が言うのは白峰の事でもあり、また自分のことでもある。
「とにかく。夜半にまいりましょう」
柊二郎を送り出すと
ひのえと白銅は井戸の思念に照準をあわせはじめていた。
「おりますね」
「気配をころしておるようだがの」
井戸の中は静かであったが、確かに何かがいる。
「その娘への執着心だけのようであるな?」
「ええ。でも」
ひのえはどうにも、腑に落ちぬ事を考えなおしていた。
「なんじゃ?」
「いえ。なぜ、あのように優しい存念であったのに
このように、さまをかえたかとおもうて」
「ふむ」
柊二郎の話を聞く以上、
井戸の中の物は先祖の柊二郎である。
ならば、久を重ねての、娘への執着心は判らぬでもない。
が、何故、ひのえや白銅に恐ろしげな恨み感情を
よせてくるのであろうか?
「まあ。よいわ。見えてこよう」
「とにかくはこよいのことです」
「うむ。どうするかはそれからだ」
白銅はやっと正座を崩した。
ひのえはお茶にしましょうとくどにたっていった。

夜もすっかり更けた頃、二人は柊二郎の屋敷の門を叩いた。
「どうぞ」
柊二郎は二人を一室にあないした。
「娘は隣の部屋でもう・・ねいっております」
「奥方には?」
柊二郎一人、隠密で行動している様にみえたので、
奥方には何も言ってはないのですなと
白銅は念を押すだけのつもりであった。
「いえ・・家内は三とせまえに」
亡くなっているという事が柊二郎の顔つきでわかった。
「すまぬことをきいたの」
「いえ」
じっと座り込む二人である。
柊二郎も所在無さ気に傍らに座った。
「ご亭主は、とりあえずはおやすみになっていられればよい」
「そうですか?」
「どういうものか判らぬうちは、手立てがみえぬ。それに」
精魂の理を敷き詰めた中心から
目の鼻の先で浄化されないで、
情念を沸かして生きた人間に手をかけれるほどのものである。と、すれば、簡単に調伏できるものでないきがする。
それに陰陽師の清めた部屋にまで
おどろしい恨みをよせてくるのである。
根深い因縁がまだまだからんでいるきがするのである。
「わかりました」
娘の身の上を案じながらも
頼る者がこの二人しかなくなった柊二郎である。
白銅に言われるままに、部屋をしりぞいた。
「もう、しばしで丑三つどきになりましょう」
「うむ」
もうしばし、二人は端座する。
夜半の鐘が丑三つ時をしらせはじめた。
「逢魔刻です」
ひのえが小さく呟く声が静まり
かわりに耳をふさぎたくなる声が
隣室から漏れ出してきていた。
「嗚呼」
声が漏れてくる部屋の襖を
わずかばかり開いてのぞきこんでみた。
夜具はめくり上げられ娘の白い太ももがあらわになっている。
その太ももを両手で抱きこむようにして
娘の開かれた足の間に男根を突き入れている
醜い姿のものがいた。
薄い藻のような物が全身をおおっている。
餓鬼なのであるが、普通の餓鬼の様相ではない。
執心が餓鬼の身体をつくっているようであるが、
実体はあるようにみえない。
いわば、白峰と同じで執心の深さが
有り得ない像を実体化さえてしまっているのである。
それで、柊二郎にはみえなかったのである。
そして、娘への交情のためだけの執念は
確かに娘のほとの中に男根を入り込ませ、
娘に恍惚の時をあたえていた。
「う・・・おおお」
みにくい者は腰を揺らめかせて恍惚の声をあげている。
この声も柊二郎の耳には届いてない。
それよりも・・・・。
娘は醜い者のゆらめきを追うように
己の腰をうごめかしはじめていた。
「嗚呼・・・嗚呼」
動きに答えるためか、
あざとく娘の感を深めようというのか、
青緑の蛙の様な指が娘の陰核に伸びてゆくと
執拗な動きで陰核をすり上げてゆく。
同時に軽やかな躍動が始まり、
醜い者の腰が激しく大きくゆすぶられていった。
「お・・・おおおうう」
くちゃくちゃと言う密やかな音が
一層響き渡り、二人の耳にやけに大きく聞こえてくる。
娘が堪えきれぬ歓喜の声を漏らし始めていた。
『既に・・女をおしえこまれきっている』
餓鬼を追い払うことはできるだろう。
が、娘の中に仕組まれた「女」を解く事は出来ない。
醜い者は最後に声を振り絞ると
一物の脈動を娘の中でじっと味わい尽くしていた。
やがて、醜い者が娘から身体を離しすと、
生臭い精のにおいが部屋の中に漂い始めた。
『悪童丸のときとおなじなのか?』
子を孕ませようと言う思念があるというか?
それだけでなく、
この世においての娘の生を掌握する気でいると?
醜い者はふと、襖から覗き込む二人のほうをみた。
二人に気が付いているのか
こちらを向いてにたりとわらうと、娘のほうに姿を向けた。
蛙のような指が娘のほとを愛しむようにまさぐると、
醜いものはふと姿をけした。

二人は思案する。
柊二郎には、なんといえばよい。
それもある。
だが、実体のない物が精をはきだすことまでやってのけた。
あまつさえ精も確かな実在であった。
あの生臭いにおいがまだ部屋のなかにある。
「この臭いも常人にはわからないものなのでしょうね?」
「そうであろう・・の」
「でも・・どうします」
「調伏が効く相手ではなさそうだの」
「はなしあえましょうか?」
「う・・む」
無理であろう。
あのときの薄ら笑いには、
お前らではどうしようもなかろうという愚弄と余裕がみえた。
ましてや先祖の柊二郎の狂気をおもわば、
人の話しなぞ聞き入れる気はないだろう。
すぐに打つ手も思いつかず、二人は思案に暮れた。
「どうします」
今度のどうするは、
やはり柊二郎にどういおうかということであった。
「ままよ。どうせ柊二郎もわかっておることであろう。
はなすまでよ」
「ふうう」
ひのえは寝息をついた。
柊二郎のこんな心労を
ひのえもやはり、正眼にさせていたのであろう。
「しかたあるまい。
確かに井戸の柊二郎が元をつくったのであろうが、
今は逆にその娘さんが
井戸の柊二郎をよんでしまってもいる」
「女の性はよびこむものですから。
いっそ娘さんに事実をはなしてみても」
「むだであろう。しんじれぬだろうし、
信じた所でむごい事実をつきつけるだけであろう。
なおかつわかった上で
夜半に来る井戸の柊二郎に抱かれる事が
解決出来てないとすれば」
「そうですね。
犯されている事を教え、
わざわざあきらめろというにひとしい」
「知らぬがはなよ」
「ええ」
二人はそっと部屋をでたが、
寝間で気配を窺っていた柊二郎はすぐにやってきた。
が、どうですかとは尋ねなかった。
「あきらめるしかないことでしょうか?」
と、たずねられたのである。
「いえ。もう少し調べねば判らない事がおおすぎるのです」
と、ひのえが答えて二人は家に戻った。
「みょうじゃの」
「はい」
「もう少し聴いて見ねば判らぬが、
柊二郎は何かしっておるというか。
さとっているというか、
自分でも判らないままに
何かを気がついているようにおもえる」
「「あきらめねばならないでしょうか?」でしょう?」
「うむ。普通の親なら」
「わかります。たとえば主膳様のように
悪童丸の妖力でおこりをおこされていると、
退治せよとはいわぬと、言葉がちがっておりました」
「まあ、そのようなことだ」
「ええ」
考え込みかけたひのえを白銅がつついた。
「とにかく今日はもうやすもう。
くたびれた頭では浮かびもでてこぬわ」
いちいちもっともなことである。
が、ひのえを子供のようにいさめるのも
白銅くらいなものである。
「おかしな方」
「なにがじゃ?」
「いえ」
「きになるでないか」
「べつに」
「なんじゃああ?」
たまりかねたようにひのえが、くすりと笑うと
「白銅のほうが子供のような所があって」
「な・・なにをいいだしおる?」
多少気難しい。で、からかわれるとむきになる。
「かわいい」
「んっ?やあ?」
頭をなで上げると白銅は家の中にはいりこんで、
夜具をしき述べた部屋に駆け込むとどっと布団につっぷした。
「きがえなさいませや」
と、いうひのえへの返事は、もう軽いねいきになっていた。
二日もせぬうちにおかみ連の中の一人が
聞きつけた噂話をたしかめにやってきた。
戸口に突っ立ったまま
「やはり、あんたは澄明さんなんだね?」
と、尋ねた。
「そうだよね。で、あの屋敷にいったんだよね?」
夜遅くの二人の行動をどこで、しったのであろうか?
柊二郎の娘の元にやってくる物の怪のことまで
しっているということであろうか。
「なにか?」
と、尋ね返すひのえを見ながら、
口幅ったいのはいやなのであるが、と
「いやね。何が何だかよくわかんないんだけどね。
あそこの男はよくないんだよ」
随分歯に挟まった物のいいかたをして、
ひのえが聴く気になるのかを探る顔をしていた。
「どうよくないんです?」
切り替えされた言葉の手ごたえは悪くない。
「そりゃぁ、これからはなすけどさ。
そんな男が陰陽師に何の用事があるか
って、おもっちまうんだよ」
どうやら、このおかみが
柊二郎にひのえの事をはなしたようである。
陰陽師への用事がなんであるのかを
とうの柊二郎に聴けなくて、
ひのえに聴いてみようと言うきでいるようである。
「でねえ。はなしってのはさ。
あのおとこのことだけどさ。
あの男は前の亭主が死んだ後にはいってきたんだよ。
で・・・そうだねえ。三年もたったころかねえ。
今度はおかみさんがしんじまってさ。
それから・・・おかしくなったんだよ」
すると柊二郎は後添い。
男の場合は後釜とでもいうのだろうか?
さらに言えば娘とはなさぬ仲ということにもなる。
が、それよりも、おかみのいう「おかしくなった」とは
どういうことであろう?
「身代はころがりこんでくるしさ。
歳もまだわかいしさ。
いうことはないじゃないか。
いくらでも女なんかいるだろうし、
後添えをもらえばいいことさね」
おかみはなにをいいたいのであろうか?
「はあ?」
訝るひのえにやっとおかみは話す手際の悪さに気が付いた。
「ああ。すまないね。ちゃんとはなすよ」
「そうしてください」
「えっと、なんだっけ?」
「おかしくなった」
「そうそう。あの男はね。おかみさんが死んだあと、
四十九日もすまないうちに
娘の比佐ちゃんをてごめにしたんだよ・・・」
「え?」
「いくら、成さぬ仲の子といっても、あんまりじゃないかえ?比佐ちゃんはまだ十三にもなってなかったし、
母親が死んだばかりで、
頼りにする父親にてごめにされちまって・・」
「本当・・なの・・ですか?」
「かわいそうに比佐ちゃんも
どこにもいくあてがないもんだから、
あの男の言いなりになって。
今じゃ・・すっかり女びさせられて、
時折、あん時の声が
外を通る者にまできこえてくるっていうんだよ。
んん。あたしも・・きいたことがあるよ。
人の話にまさかとはおもっていたけど・・・。
比佐ちゃんはかこわれもんみたいなくらしなんだよ」
どういうことなのだ。
柊二郎の娘を犯している井戸の柊二郎は
もう三年もまえからのことだというのか?
だったら、今更のように柊二郎が
気が付いたかのように駆け込んでくるのもみょうである。
それとも、おかみのいうとおり、
柊二郎が先に娘を犯しているうちに
横から井戸の柊二郎に娘をかすめとられた?
それで、娘を取り戻したくて慌てて陰陽師にかけこんだ?
「比佐さんというのですか?」
柊二郎の名前の一致だけでなく、娘も比佐。
もしかすると、
「よもやなくなられたおかみさんはよし女さん?」
「あ。さすがだね。やっぱり陰陽師なんだねえ。
そのとおりだよ」
妙にかんしんしているおかみである。
が、この奇妙な符号をどう考えればよい?
先祖の因縁が絡み合ったまま浮上してくるために
網が必要であったとすれば
この三人は、確かに入り組んだ網目を呈している。

おかみの本当に聞きたいことがやっと言葉になった。
「で、あの男は何をいってきたんだい?」
「おかみさん。もし、貴方が人に話せない相談事を
私になさったとします」
ひのえがそこまで言うと
おかみは頭の回転はよいとみえて、
皆までもいわぬうちから
「相談事を他の者に漏らすような陰陽師に
相談なぞできはしないわなあ」
と、柊二郎の事を聞く事は無駄なのだなとわらっていった。
「まあ。口さがない事をいってしもうたけど、
堪忍しておくれ。わたしゃあ、比佐ちゃんが気の毒で
つい、はらがたってしもうただけじゃ」
「いえ。それはそれで・・・役に立つお話です」
「ふうん。そうなのかい?
まあ、それならばまた何ぞ聞きたいことでもあれば
いつでも声をかけておくれ。
私の知ってることなら、なんでもはなしてあげるよ。
やくにたてればいいけどね」
と、おかみは言うと軽く頭を下げて出て行った。
口さがない噂好きなおかみなのであるが、
腹の中はきれいなものであるらしい。
何ぞのやくにたちたいと言う思いはさながら、
同時に比佐ちゃんが気の毒であると言う、思いを
自分の中に留め置く事が出来ず、
お上連は何度か寄り集まるとは
比佐の話をし続けたのであろう。

ひのえは白銅をさがし居間に戻った。
祭壇の祭られた部屋の清めに行ったのか
白銅はいなかった。
それならばとひのえは榊をとりにいった。
「なんだ。もう、帰ったのか?」
縁から降り立った白銅が既に榊の側により枝をえらんでいた。
「はい。其れよりも妙な事をききました」
ひのえの顔色を見て取った白銅の顔が
ひきしまったものになった。
ひのえはおかみに聞かされた話を白銅に話した。
「すると・・娘さんはすでに・・」
どちらの柊二郎にかは判らぬことではあるが、
てをかけられていたということになる。
「三年も前から井戸の柊二郎との事があったというのを
今の柊二郎さんが知らぬと言うのもげせぬことでしょう?」
「たしかに・・」
「が、あの柊二郎が先に娘さんを手篭めにしていた?
これもげせない」
「確かに。後釜に納まる。つまり養子であろう。
が、あの人は養子の性分さながらに気の優しい人だ。
いくら、なさぬ仲と言えども、
娘さんにそのような事が出来る人にはみえない」
「私も同じ意見です」
考えていても埒が明かない。
「たずねてみよう。きになることもある」
「なにか?」
「いや、この前にお前と話した
「諦めねば」という物言いもそうではあるが、
井戸の話を聞いたとき柊二郎はひどく顔色をかえた」
「そうなのです」
同じ事を考えていたと見えてひのえも深く頷いた。
「まずは、きいてみよう。
よみ透かしは柊二郎が何も喋らぬ時の事にしよう」
やたらと読む透かしなぞを使うものではない。
ましてや目と鼻先におる人間である。

雁首をそろえて尋ねてきた二人を
迎え入れたのは比佐であった。
「おまちくだされや」
と、声は明るい。
はたはたと廊下の奥に走ると
「父さま?父さま?おきゃくさまですよ」
柊二郎をよぶ。
おかみに聞かされたような
手篭めにされた気の毒な比佐などという印象は
微塵も受けない。
「あ・・はい・・はい」
柊二郎は二人の前に現れると
「比佐。居間にお通しするから、何ぞもってきておくれ」
奥のほうに声をかけた。
「はあい」
少しかん高いかと思うが
其の分切れのいい通った声がかえってきた。
「こちらです」
南に開きを作られた居間は障子を通して
明るい日が差し込んでいる。
「明るいですね」
障子の向こうに池でもあるのであろう。
春の日差しが水面に照り返し、
障子に明るい光の群れを泳がせていた。
座卓を挟んだ向かい側に二人は座を薦められた。
「少し聞き及びたい事がありまして」
早速に話しに入る白銅である。
その押しの強さが頼もしく思えるのはひのえだけであろうか。
「なんでございましょう?」
柊二郎は窺う瞳になる。
「実は、娘さんを井戸の柊二郎から救えたとしても」
少し言いにくく白銅は言葉を止めた。
「おっしゃってください」
柊二郎の気弱そうな面立ちとは裏腹に、
何をいわれても受けて見せようと言う強い心構えが
みてとれた。
「うむ。井戸の柊二郎を調伏する事は
できぬ事ではありませんが、
例え井戸の柊二郎を調伏せしめても
娘さんが教え込まれた性を消し去る事はできない」
「やはり・・そうですか」
「が、今日私達がここに来たのは
今も貴方が察せられていた事を
わざわざ、つげるためにきたのではないのです」
柊二郎は首を傾げた。
「すると?」
「私達はこの事を貴方にどう告げようか、
考えあぐねていたのです。
ところが、娘さんが井戸の柊二郎に
あのような目に合わされるようになったのは
三年前のこと。・・・そうでしょう?」
「そのとおりです。
三年も前にそんな事になっていながら
何故それにきがつかなかったのか?
何故今頃どうしょうもないほど
娘を女に変えさせられてから、
のこのこあなた方を訪ねたか?
愚か者だというのでしょう?」
言おうとする事を先に言われると白銅もぐっと詰まった。
「それは、娘を犯していたのは
私であり私でなかったからです。
だから気が付いた時点で
私はどうにも身動きが取れなかったのです」
「どういうことですか?
何故?身動きが取れなかったのですか?」
双神を蹴散らしたばかりのひのえであれば、
尋ねながらふと思わされていた。
「誰かに其の身体をのっとられていた?」
「澄明さん。貴方はさといお方であらせられる。
私は三年前。妻が死んで間も成しに
この身体を井戸の柊二郎にのっとられていたのです」
「え?」
二人の驚いた声が重なった。

驚いた二人は静かに見つめたまま、柊二郎は話を続けた。
「井戸の柊二郎は久という娘に存念を残したまま、
死に切れずに井戸の中に住み続けたのです。
そして、今の世に同じ名の娘。
よし女の娘の比佐が現れた時
これを久だとおもいこんだのです。
ところが先にお話したように
自分を井戸に突き落とす由女もいる。
よし女のことを由女だと思い込み、
よし女が恐ろしくて井戸の柊二郎は
久を思いながらどうすることもできなかったのです」
ところがその恐ろしい由女が死んだ。
「もう恐ろしい者はいないと井戸の柊二郎は
私の身体を奪い取り、
代わりに私は暗い井戸の底に
魂をしずめることになったのです」
「なるほど」
それで一つ判った。
ここに来た時、井戸の中にいたのは、
目の前のこの柊二郎の存念だったのである。
わが身を奪われ、暗い井戸の底に住み続けながら
柊二郎は娘の身をあんじていたのである。
「私に成り代わった井戸の柊二郎は
早速存念をはらそうとばかりに・・・・」
まだいたいけない比佐を押さえつけ
陵辱をくりかえしてきたのである。
この三年の間に生身の大人の男が
少女を蹂躙しつくしたのである。
信じられない恐怖が比佐をつつんだ。
其の恐怖を与える男が父親であるばかりに
寄る辺を求めるしかなく
比佐は父親の要求にしたがってきた。
が、恐怖はいつしか均衡を崩した。
自分の体が
比佐が女である事を教え始め、
柊二郎を父親としてでなく、
男として迎え入れる女をつくりはじめていた。
「あれは、自分から・・あやつをもとめるように」
それでも柊二郎は比佐の変貌ぶりを
井戸の底から見詰ているしかなかった。
が、其れはある日突然終止となった。
「あなた方がこの地を浄化なされた。
お陰で私は井戸からはいあがれ、元の姿にもどれたのです。
そして、当然井戸の柊二郎も元通り
井戸に戻ったとおもっておったのです」
柊二郎の言う通り井戸の柊二郎は確かに井戸に戻った。
比佐を抱きつくせる柊二郎の体をうばいさられ、
そして、比佐は今までどおり柊二郎の体をもとめるだろう。
井戸の柊二郎が自分を井戸に引き戻させた陰陽師を
憎みうらむのは当然の事である。
比佐を奪いつくすだろう柊二郎への嫉妬もある。
白銅とひのえがあとで気が付いた
おどろしい思いを発する井戸の住人は、
井戸に引き戻された先祖の柊二郎。
もともとの井戸の柊二郎ということになる。
「元の姿に戻り、
井戸の柊二郎も井戸に戻ったと喜んだのも束の間。
娘のあの声に・・・あの様子。
私は、もう一度あなた方の力を当て込んでみようと
おもったのです」
「なるほどのう」
そして、比佐をなぶる者はやはり井戸の柊二郎であった。
が、何故、井戸に戻されたはずの井戸の柊二郎が
あのような姿でもう一度比佐のもとに現れたのであろうか?
「私達には井戸の柊二郎は
青い藻をまといつけた餓鬼の姿にみえました」
「餓鬼・・・ですか?」
「己の執心一つで人は餓鬼に身をおとせるものですが」
白銅は付け加えた。
「魂しかなかったはずの井戸の柊二郎が
餓鬼に身を落とせるという事は考えられません。
確かに執心は凄まじい物があるのですが、
私達の浄化により、柊二郎が元に魂だけに戻ったのですから、
柊二郎はおそらく・・・」
白銅はひのえに頷くと変わりに先を続けた。
「おそらく、自分を入れる何らかの器を
さがしたのではないでしょうか?」
「器?」
「井戸の中で手に入れられる器なぞ
限られているでしょう?」
柊二郎はじっと考えていた。
何も入れぬはずの井戸であるが、おもいあたることがある。
「私が井戸から抜け出た時に、
井戸の塞ぎ板はこわれてしまいました」
「たぶん。そこから水を求めた青蛙が井戸におりた」
柊二郎は其れがどういうことであるのかを考え込んでいた。
「井戸の柊二郎はせめてもと、
蛙の身体に己をもぐりこませてみたでしょう」
柊二郎の模索する顔が白銅の解明をまっている。
「が、蛙の体でどうする事もできない。
其の上柊二郎の娘さんへの執心は一層深くなっている」
柊二郎の身体をのっとり、
ならなかった執心を叶え比佐を手中に収めた。
一度、通じた男の性は比佐をさらに求め狂わせた。
そして、比佐は柊二郎の蹂躙に応える女に仕上がっていた。
男と女の全盛期。
其の真っ只中であった。
そこを井戸にもどされたのである。
柊二郎のほたえは飢えを覚え、
昨日まで柊二郎を充たした比佐を求める。
比佐は比佐で一度覚えた肉への欲を身体に染み付かせている。
比佐には変わらず柊二郎が目の前にいるのではあるが、
元に戻った柊二郎はよもや、娘に手をかける気などはない。
が、比佐は体の中のほむらを沈めたまま寝入る。
柊二郎への欲求は
いぜんとして比佐の中にとどこおっており、
眠りが意識を忘我のかなたに追いやる。
一触でさめかえる肉欲を眠りの衣に包み比佐は寝ている。
井戸の柊二郎がどんなにか渇望しはてるか。
そして、逢魔が刻に乗じて
柊二郎は存念を具象化させたのである。
「その情念が柊二郎を蛙の姿から
餓鬼にかえさせたのではないかとおもいます」
井戸の柊二郎が比佐と通じてなければ、
また比佐がほむらを覚える女になっておらねば、
ここまで柊二郎を変化させなかったのであろうし、
柊二郎と井戸の柊二郎の交代で幕はひかれていたであろう。
「女子の業・・も罪深いものだ」
白銅が呟くと、柊二郎は
「それで、どうすれば」
尋ねられた二人は、深い溜息を付いた。
「調伏は無理です。払いもむだです。
井戸の柊二郎が生きているのは執心からだけです。
この執心をあきらめるさせる方法は・・・」
その為には
今、目の前の柊二郎に
比佐を抱くしかないのだといえばよいのだろうか?
「なんです?どうすればよいのです?」
柊二郎がじれったそうに尋ねるがひのえは首を振った。
男の情愛の果ての結びであるのなら、その法もよい。
が、井戸の柊二郎の諦念のために
比佐を抱けといえばいいのか?いえるわけがない。
白銅も同じように考えあぐねていた。
諦念を託えない柊二郎は哀れに成仏できないのである。
井戸の柊二郎は救われないまま、井戸に潜むことになる。
その法をえらぶしかないのである。
さにわによる消滅を与えるしかないと思った双神を救い、
雷神をも救ったひのえのことである。
今一番不幸である井戸の柊二郎を救わずにおいて
本当の解決は、なしえない。
そう考えているに違いない。
「ひのえ。塞ぎしかなかろう?」
そうなのだ。井戸の柊二郎を塞ぎでさにわするしかない。
「それに、いずれ、なることであろう?」
白銅が浮かぶ事をひのえに暗示した。
「そうですね」
遅かれ早かれ、井戸の柊二郎を成仏させなければならない。
が、井戸を出てきては比佐を抱く柊二郎では、
成仏への法は開けない。
「どのみち、塞ぐしかなかろう」
ひのえが頷くのを見た柊二郎は
「あの?塞ぎ・・とは?どうすることです?」
「井戸の柊二郎を祭神に祭り上げます。
井戸に柊二郎を閉じ込め、神域を作り、
逆の結界を張り、柊二郎の神域を定め
そこからでてこれなくするのです」
神に祭ると言う言葉に柊二郎は驚いたようであるが、
其れが一種の言いのけ、
大義名分としての祭りであるとわかると、
「騙すようなものですね」
と、柊二郎は己の身勝手に
いくばくか悲しむ、人の良い優しい一面を見せていた。
夜が更けるのを待つ二人がいる。
逢魔が刻は近い。
現れた柊二郎の青蛙から転身した餓鬼の体を
まずは砕くしかない。
器をなくした柊二郎は井戸に戻る。
そして、井戸にひもろぎを張り裏記証を与える。
神に座せよとは名ばかりで拘束でしかない。
裏記証の印綬が柊二郎を閉じ込める。
「きたぞ」
白銅がひのえを呼んだ。
部屋の中になだれ込むと金剛力の印綬を唱え続ける
白銅に、ひのえは不動の金縛りを唱和して、餓鬼をとらえた。
見開かれた瞳がかなしい。
けして、狂うた者の瞳ではなかった。
が、白銅は小束を引いた。
瞬きもせず柊二郎の化身は己がされる事をみつめていた。
小束の切っ先が心の臓に届く頃には、
小束は柊二郎の体の中に埋もれてしまっていた。
現世での最後をあがなうかのように、
事切れる刹那に柊二郎は大きな叫び声をあげた。
そして、比佐・・・と呼ぶと思った柊二郎はなぜか
「由女」
と、つぶやくと、其れを最後に餓鬼の中からぬけだした。
二人はすぐさまに庭の井戸に走り出して行った。

柊二郎の最後の情念は比佐の眠りの中にしみこんでいた。
夢うつつで聞いた声が柊二郎の叫びだったような気が
して比佐は目をさました。
ひどく寝乱れた姿の自分に何があったかなぞを考えつきもせず
「父さま」
と、柊二郎を呼んだ。
陰陽師に事を任せるしかなかった柊二郎は
先祖を祭る仏壇の前にじっと座っていたのであるが、
外に飛び出した陰陽師の様子で
先祖の柊二郎を井戸に戻したのだと推察できると、
じっと、手を合わせ再び仏壇をおがんだ。
「妻に殺されるような行いも、殺された悲しみも、
もう済んだ事になされてくださいませ」
一切執心無縁。
死者に引導を渡す坊主の思いはまた人の慣らいである。
計らずも井戸の柊二郎の本心に近い祈りをささげると
柊二郎は比佐の元に向かった。
そのまま、何も知らず寝入っている比佐を
見届けるだけであった。
今日からは、もう、柊二郎に操られる比佐を見なくて済む。
そして、比佐の気に入る男を捜して、婿にとろう。
比佐は亡きよし女と前夫の子である。
血筋である比佐が無事に婿を取り家を継いだら、
柊二郎は家を出てゆこうと考えていた。
出家して、よし女の菩提を弔って生きてゆこうと思っていた。
柊二郎は三年ほどしか暮らせなかったが
よし女を本意に思っていた。
よし女が死に、悲観するまもなく
よし女が残した娘比佐を井戸の柊二郎に荒らされた。
それも、己の身体をつかわれてのことであった。
この傷みもある。
比佐はこの柊二郎がしたことだと思っているであろう。
そうでないことを明かして、比佐に詫びてゆくしかない。
たとえ、井戸の柊二郎のしたことであっても。
比佐にしでかした事は自分の身体がしでかしたことである。
廊下を歩く柊二郎の耳に比佐の不安な声が届いた。
比佐の部屋のふすまを開けると、
布団の上に脅える比佐がいた。
「比佐?どうした?」
声をかけた柊二郎を見つけると
「ああ?父様」
と、いっぺんに比佐の不安な顔色は解けて行った。
「どうした?」
「いえ。父さまの叫び声を聞いた気がして
でも、よかった」
ちゃんと柊二郎は無事にここにいる。
比佐の側にいる。
比佐の安堵の顔色を見ながら、
比佐の言った声は井戸の柊二郎の絶命の声だと判った。
「きのせいだ」
「ええ。だって、父さまはここにいらっしゃるのですもの」
いやな夢でもみたのだと比佐はわらった。
「うむ」
部屋の様子は何もかわった事がない。
もう本当に井戸の柊二郎はこない。
本当に大丈夫なのだと柊二郎は思った。
「もう、ずいぶん遅い時刻だ。
なんでもないと判ったらもう、安心してねむれよう?」
柊二郎の問いに
「いやです」
と、比佐は答えた。
「え?」
「比佐が怖い夢を見たのは父さまのせいです」
「な、なんで・・わしのせいなのじゃ」
比佐は何かにかんずいているというのだろうか?
見えぬものに犯されたのは
確かに比佐にとっては「柊二郎」に関ることである。
が、其れをしるわけはない。
柊二郎の比佐を護ってやれなかったという傷みが
やましく己をせめさせてしまっただけなのである。
「父さまが」
「わしが?」
「父さまはこのところ比佐をさけております」
比佐の言う意味がまだ柊二郎には判っていなかった。
「さけてはおらぬ」
「いえ。さけております。
だから、比佐は父さまが遠くに行かれるようで
怖いゆめをみたのです」
「ふむ」
いずれ出家しようと言う発心を
きがつかれていたのだろうかと、首をかしげた柊二郎に
比佐はかじりつくように身をすりよせると
「ここしばらく・・いつものようにしてくださりませぬ」
男と女であることを確かめる術を
比佐に求めてこない柊二郎を責めて、
拗ねてみせる比佐になっていた。
柊二郎はしまったと思った。
こんな男と女である二人になる事を
さけなければならなかったのである。
だから、柊二郎がしまったと思ったときには
もう、おそかったのである。
比佐には覚醒のないことではあるが
最後の柊二郎が与えた淫行が比佐の身体にひをつけている。
比佐に手ひどい淫行を重ねつくした柊二郎に
教え込まれた欲情への伝手は、比佐をためらわせはしない。
比佐が比佐を思いとどまらせようとする
柊二郎の手を取る方がはやかった。
疼きを覚えた身体に
溢れてくる場所に
柊二郎の手をいざなう事になんの躊躇もない。
『いかぬ』
抗う意識を拭い去るに十分すぎる潤いが
柊二郎の指をぬらすと、
後は柊二郎の欲情がまさった。
『本当のむすめではない』
其の事も心の戒めを破る役にたつだけであった。
言い訳に過ぎない繰言が胸の中であわだつばかりであった。
『だから、かまわない。それに、すでに比佐にとっては』
既に馴れ合った仲でしかない。
柊二郎にとって初めての事であっても、
比佐にとっては何度も繰り返してきた痴態である。
『いわぬがよい。いえぬことになってしもうた』
比佐の身体をむさぼりながら柊二郎は考えていた。
おどろしい物の怪の情念に犯された娘だった事を話はしない。
最初から最後まで、なにもかも
この柊二郎がしでかしたことにする。
事実、比佐はそう信じている。
比佐を苦しませることもない。
ましてや、今確かに柊二郎は比佐をだいている。
拭いきれない堕落に身を任さずに置くには
十六の比佐の身体は魅惑過ぎた。
事実を話せばこの自分の失態は比佐にとって
どういうことになる?
『物の怪にも父さまにも
比佐の身体をもてあそばれただけですか?』
比佐の悲しい声が聞こえる気がした。
『違う。そうではない。比佐が望むから、
与えてやるしかなかっただけだ』
自分の言い訳でしかない。
井戸の柊二郎とて同じ事をいうのではないのだろうか?
『これでは、井戸の柊二郎も自分も同じことではないか』
柊二郎の思念はからからとめぐるだけだった。
比佐を抱きつくしている体を離す事もできないまま、
喘ぐ比佐の姿を瞳の中に取り入れてしまいたい自分がいる。
「嗚呼」
声を漏らしだした比佐をみつめると、
欲情はさらに男根に伝う。
「父・・さま」
僅かに口をあけ柊二郎を呼ぶ比佐だったが、
其の時柊二郎の胸の中に走った物があった。
比佐の様子は死んだよし女をおもわせた。
かすかに口をあけると良女は途切れ途切れに、
柊二郎の名をよんで深い快感に辿り着いた。
良女さながらに比佐もあくめをむかえはじめていた。
比佐を頂上に辿り着かせる事を選んだ柊二郎は
動きを止めることなく
この腕の中に確かによし女を見た。
よし女の面影を映し始めた比佐の声を
柊二郎は愛しいと思った。
そして、己の物にも快楽の頂点が登り始めていた。
『比佐を愛しく思うのはこの快楽のせいか?
良女ににているせいか?』
だが、そんな事はもうどうでも良かった。
比佐に与えられた快楽は
柊二郎を比佐の中に埋もれてゆく雄になる事を
選ばせたのである。

井戸を祭り終えると、白銅は屋敷の方を振り向いた。
「わしが狩ったものは井戸の柊二郎だったのだろうかの?」
比佐を抱く柊二郎の情欲が見える。
白銅の呟きにひのえも振り向いた。
あの日と同じ、男と女の痴態が
情炎をあおり燃えあがっていた。

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