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すこし・・・。

どうにも、ならない。

友人のアクシデント。

なかでも、亭主の暴力。

憂生の所に逃げ込んできた奴もいた。

首に真っ赤な紐の跡。

彼女の声はしゃがれてた。

それでも、それでも、憂生の友人は

どいつもこいつも

男が逃げ出さないかぎり・・。

自分からにげだしたりしない。

憂生も別れちまえとはいわない。

女が人生あずけたんだ。

預けるのをやめると決めるなら自分ひとりできめてほしい。

むしろ。

どんなつもりで、一緒になったんだ?

もうすこし、がんばれ。

と、渦中におくりだすだろう。

それでも、渦中にとびこんで、

(別れる)と、きめたなら、

憂生は

「それでいい」

と、いうだろう。

憂生はこんな奴だ。

やけぼっくいならとことんもやしきってしまえという。

まだ、つかみ処のあるものを抱いて生きるセンチメンタルはかっこにならない。

つかむにつかめなくなった灰ならば、

火鉢の灰のように、炭をいこらせつつめる

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意外なことだが、気長者には、魚釣りはむかんらしい。なんで?

親父のこと。

親父は背の低い人だった。

憂生も受け継いだ。

親父は短気だった。

これももらった。

短気な人間の方が向いているといわれる魚釣りの好きな人だった。

憂生の子供のころの遊びの中に魚釣りがあった。

釣り糸と針さえあればえさなんかその場で調達する。

小さな貝をたたき、その身を針につけ少し大きな魚を釣る。

その魚をたたき身を針につけて、海老を釣る。

この海老がメインになる。

それでも、親父。

そのころ勤めていた湖沿いの旅館の厨房から憂生をみつけると、呼ぶ。

いけば、

「内緒だぞ」

って、刺身の一切れをくれる。

このえさは、くいがいい。

海老を釣るのがかなり苦労だと知ってる親父は

憂生の手間を省いてやろうとおもったんだろう。

やっぱ、短気者。

短気者は短気を知る。

いいえて、しかり。

続きを読む

想う

私感・ドナルド・キーンと大江健三郎の決別の理由。

と、いう憂生の日記が妙にヒットしているわけだけど、

まあ、検索をたぐっていくと、大江に対しての批判、あるいは、キーンに対しての同情的みかたが、おおいようで、憂生のかくところは、まむこうからの反論といっていいかもしれない。

と、いいつつ、大江の批判評などなどが、あることで、記事をかいたわけではなく、

大江がキーンと決別したというニュースをかじって、おもったままをかいた。

裁判沙汰までに、発展していたとしったのも、検索をたぐってみてからである。

憂生自体が、いろいろと、物語や日記などで、いままでの人生経験?を元に自分なりの考え・思いをかいているが、

大江に対する想いについては、いろいろと深い。

そもそも、なんという世界観で物を書くのだろうとおもったのが、大江の初期作品であった。

何度か、とりあげているが、芽毟り・仔撃ち・・だったろうか、エヒノコックスに寄生された少年がでてくるが、彼の精神・日常は、すべて、エヒノコックスに差配されていく。

精神に対し環境が及ぼす影響・・の、怖さといっても良いと思う。

先日、底で・・にという日記をあげたが、ここでも、「環境」により、精神が破壊されていったある女性のことをかかせてもらった。

また、空に架かる橋の中では、死者の保管場所としてフォルマリン浴槽?をつかっているが、

これも、大江健三郎の死者の奢り(だったと想う)から、借り受けた。

また、スピリチュアルや不思議な体験の多い憂生ゆえであるが、見えない部分や心理の中の盲点や自覚されない深層意識ということについての、警鐘をならす癖がある。

このあたりは東北地震のことで・・などに収めているので、省くが

「本当にあるべき姿・意識」の見方が憂生はすこし違う。

その考えをはっきりと意識させてくれたのが大江健三郎である。

洪水はわが魂に及ぶ。だったと想う。

「ラーニングをミーイングにもっていく」

出来事を感情でふりわける表面的な区別に踊らされる事が多い昨今、

たとえば、キーン氏への同情(あるいは、大江への非難)は、憂生にはそれであると見える。

同じ、同情と理解をしめすなら、大江に対しても、精神環境にまで、理解をしめしたうえで、あって欲しいと想うが、そういう考え方にいたる憂生の、

憂生自体が体験してきた様々な物事や考え方をすべて持ち出して、説明しないと、到底理解されないことだろうと想う。

かける範囲の物事は、この白蛇に書いている。

特異な経験があるからといってしまえば、それでおわってしまう。

だから・・

憂生自身、神?にすがったことがないわけじゃない。

簡単に言えば、神界の神にすがってない。

自分の魂というかな。

自分の中の神にすがる。

「自分のどこがわるかったんじゃ?」

「なんで、こんなことになるんじゃ」

絶対、自分に元がある。

「この思い方がわるかったせいか?」

「どう考えたら見方をかえられるんじゃ?」

まあ、まだ、回復しきってる状態じゃないけど

どういう風に考えれば人を「赦す」ことができるか、

どういう風に考えれば自分を「抱く」ことができるか。

具体的には書きたくない。

だから、多分、言葉だけを捉えたら

何を偉そうに「赦す」など思いあがってるんじゃないかと思われるだろう。

まあ、そんなことはどうでもいいや。

もがきまわって、かんがえに考えた。

自分がこの世で一番不幸だとも思った。

自分が一番惨めだと思った。

その修復作業が先だった。

自分の自信をとりもどすことと、

自分の存在価値を取り戻すこと。

たぶん、ブログにかいてることはそればっかりだろうな。

自分はすごいんだ。

自分はすごいんだ。

って、そうやって、自分を肯定しなきゃ

自分を支えられない自分がいる。

な~~んも、すごいことありゃせん。

つっかい棒をもちだしてるだけ。

それでなんとか、こうとか、生き延びてる自分でしかない。

だから憂生のブログも、きっと

黒いオーラがでてるだろう。

心がまだ、回復していない。

癒しがほしいのは、誰でも同じだ。

だけど、自分で自分を立て通すということが、

憂生の意気地になってるから、

そんなものに、すがらん。

神様・仏様・・って、ご利益もとめるのも嫌だ。

自分が自分を立て通すに、自分を信じるしかない。

自分を変えていくしかない。

もがいちゃ、ブログにかきつける。

書けば、あわれなもんじゃとばかりに

心のありようがどうのこうのと説教たれにくる奴が居る。

人に助けられなきゃいかんほどおちぶれちゃおらん。

自分の痛みは自分で嘗める。

だけど、ときおり、その姿で

読む人に心配をかけているとおもう。

誰でも痛みはある。

みんな、がんばっていきていこうとしてるのはおなじだろう。

ただ、憂生は自分と向かい合っていきたいと思う。

だから、ほかになにかにすがることはしたくない。

だから、もうしわけないけど、

強者の意見になりがちだと思う。

弱い自分だからこそ、

弱い自分をなんとかしたい。

だけど、つっぱりきれなくなったら、

ふと、甘えるかもしれん。

でも、よくよく、考えりゃすきほうだいかきたいほうだい書いてるってこと自体

すでに、みんなに甘えてるって、ことでしかないんだけどね。

だから、ありがと。

妙なことをいう。

たまに思う。

世の中金金金。

何でも、金。

そういうけど、

自分の考え方をそだててゆく?のに、

金を払うことは無い。

もしも、これが金だとしたらどうだろ?

誰かからすばらしい考え方を教わったとする。

その考え方を頂くことを金という形に置き換えて礼に変える。

こうなると、

もっと、考え方と言うものを手に入れるために

慎重になる。

金を出した以上はむだにしたくない。

金を出していい、考え方か自分の中で考える。

ときおり、価値付けとしての意味あいで

現実的に金を払ってもいいと思う考え方に遭遇するときがある。

それほどの考え方をもって居る「あの人」はすごい。

惜しげもなく自分の考えをさらすけど、

いっそう、金返還性の視点でみると、

「あの人」の考え方を

「憂生だったら幾らで買わせてもらうだろう」と、ふと思う。

とくちゃん。

とくちゃん。

これは君のところにはじめて、訪問した時の日記だよ。

おぼえているかい?

ひきこみ。

at 2004 02/05 00:49 編集

足跡をみにいって、「面白いから、またくる」と、いうコメントを発見した。

そりゃあ~~。

こういわれたら、誰だってうれしいもんさ。

けど、憂生はふと、この人のどの部分の琴線にふれたんだろうって、逆興味を覚えちまったよ。

で、思わず訪問したよ。

レスできるものが何もみあたらなかったから、

HPにもお邪魔させてもらったけど、

ふむ。こういう作り方もあるんだなと驚嘆しきりでかえってきたよ。

時節もあって、鬼の話をかいてあったけど、

憂生のメインHPに掲げた作品には「鬼」も登場するから、

憂生ん家には鬼は山ほどいるよ。

鬼の名前と言えば伊吹山の高麗童子が

憂生の作品の中の「光来童子」とかさなるね。

高麗童子はその名のとおり外国人のような容貌をしていたんじゃなかろうか?

これも憂生の作品の中の光来童子「幼名鏑木丸」の設定に似通うものがある。

光来童子は、父親如月童子と外つ国の女性との間に生まれた、いわば半妖?

いやはや、自分の話が先になってしまったが、

タイトルがしめすように・・。

うまく、ひきこまれる、足跡メッセージでした。


キーンと阿部公房

さらに、


憂生が、キーンにたいして、


その立場を活かして、自分が学んだことを

その姿で講演し、著名人と話し、執筆していくということが

良い。


と、いうのは、


単純に安部公房の示唆によります。


共同募金と署名を募る団体の前を通った男に

団体の一人が声をかけます。


署名をお願いします。


男はめんどうなので、たちさろうとすると


「賛同されることに意義があります」


と、いわれ、


署名をしだすと


「本当に心から賛同されていますか?」


と、たずねられます。


「心から、賛同したから、署名したんじゃないか」


と、言い返すと


「本当に賛同してるとはおもえません」


と、


「では、心から賛同するということはどういうことだ」


と、かえしていきます。


「心から賛同するというのは、やむたてならぬ気持ちで

自分もなにかしなきゃならない。と、おもうことです」


・・・


「じゃあ、なにをすればいい?」


この答えにしめされたことは、

男の首に募金箱がかけられ、

署名用紙を手にもたされるということです。



心から賛同したら、

賛同した思いのとおりにうごいていこうとする。


キーンは大江の哲学にふれて、日本を心に充たし

世界にむけて、動き出すためのラーニングをしにきたのだとおもいたい憂生です。

さるブログへのコメントから・・

イギリスを中心とした社会人類学は親族関係研究などのように人間関係重視であり、
と、いう一説に興味を覚えました。

地域的な自意識?といっていいのか、
土壌・自然・歴史が、底に住む人間の気質に影響を及ぼすということがあるようで、
たとえば、北陸圏内は縦の筋、親子関係を重視する。
瀬戸内海圏内は横の筋 夫婦を重視する。
と、言うことを聞いていました。
深い歴史的背景や自然などとのかかわりは良くわかりませんが
何らかの圏内の自意識?があるなと思ったことがあります。

日本八百八町とも、思われ、
このひとつずつに何らかの人類学に相当するものがあると思えます。

たとえば、名古屋などは古い秩序を大事にしながら
新しいものをさりげなく取り入れていく 身に着けていく風土を持っているように思えますし
昔から言い伝えられる土地柄
たとえば、滋賀県では滋賀商人が通ったあとは、石ひとつない。
(これらが何を視差するのか意味かわかりませんが)
若狭地方では、若狭の連れ小便
土佐のいごっそう?
長野のおおめしぐらい

など、土地柄やその土地の人間を表す言葉があります。

日本も世界的見地の人類学からいうと
(どこの見地かわかりませんが)
「みんながやるなら我もやる」
と、いう意識があったようで、
よく、風刺的に舟が沈みかけたときに
「みんな、海に飛び込んでますよ」というと
舟から逃げ出す。

そんな風に、大雑把でありながら、その時点で的を得た評価?があるように
(それは、また意識化によって変わっていくものだと思います)
日本の各地、世界の各地に土地の風土というものがあるのだと思います。

考え中

非常に

危険な考え方になるのかもしれないと思いながら、

ひとつの疑問を書いてみたいと思います。



集団自衛権の名の下に、日本は武装化しているという考え方です。



これにより、戦争がおきるというかんがえかたのようですが・・・。



今の状況をみていると、

日本が自衛権を行使できるだけの武器さえもたなかったとしたら

中国その他の国は日本にせめいってこないでしょうか?



ただでさえ、平気で日本近海にまであらわれ、日本人を拉致し

資源を搾取しようという国が、

日本に攻め入ってこないと考えるのはなぜでしょう?



おそらく、その裏にいざtなったら、アメリカがまもってくれるという

他の国がだまっていないという安易な考えがあるのではないのでしょうか?



つまり、

安部首相が

他の国が日本を侵略しようとして

上陸して

家族や友人や親戚やその他もろもろの人間の

命を奪い去ることが、おきるかもしれませんが、

そのときは、みなさま、黙って、しんでください。

ガンジーのように、とにかく無抵抗主義でやっていこうとおもいますので

国民の皆様も、目の前でわが子や、両親がころされることも覚悟してください。



そういったら、みなさま、納得されるのでしょうか?

よし、わかった。

黙ってころされようとなって

日本という国が消滅してしまっても良しという覚悟をもってくださるのでしょうか?



小学校のころ

教師がにたようなことをいってました。

武器をもつから、相手も武器で反撃してくる。

これをやめなきゃいけない。



確かにその通りだとおもうのです。



けれど、実際の場面で

仮にその教師自体は自分の考えをとおせたとして

殺されてもいいでしょうが

自分の子供や両親が敵兵にころされていいのでしょうか?

せめて、自分も武器をもって、「威し」て

敵兵をたちさらせたいのではないでしょうか?



それとも、結局、そういう疑念(某国がおそってくる)が戦争をひきおこしてしまうものでしょうか?



こういうことを、かんがえてしまって、

憂生自体は日本がどういう憲法をもつべきかということよりも

たとえば、

どれだけ日本がアジアの国に支援をおこなっているか。

それは、まさに贖罪をせおうかのごとく

表面化した物事にたいしても

一切のいいわけをせず、黙って支援をつづけているという裏側の事実を

相手の国の国民もしらず

日本の国民もしっていないということです。



そこをもっとしって、

日本のいさぎよさをみすえなければいけないとおもうのです。



原爆をおとされ

そこにたいして、敗戦国だからという

うそのいいくるめにまどわされていますが

じっさい

アメリカのやったことは非道の一言です。

そこをせめないのも、日本人の誇りだとおもうのです。

実は窮鼠猫をかむではないけど

アメリカはとことんおいつめられてしまっていたわけです。



日本人を相手にしたら、

自国がつぶされる。



それほど、おそろしい国だったわけです。

だから、卑怯な手段に訴えるしかなかった。



日本人はそこがよくわかっているのです。

そして、ねずみをおいつめてしまったことを

わびているのです。



けして、敗戦国だから、という後じさりした思いではないと思います。


客観的

さっこん思うことであるが


ツインソウルというのは、


御霊と魂ということではないかなあとおもえるのです。



いわゆるアストラル体というのが御霊であり


死んだときなど、エクトプラズムとして目撃されているものであり


たいていの人は現世で、この御霊(幽体)と自分が同じ物であることを


しらずにいる。


そして、御霊という(幽体)をべつのものとしているところと


魂という共有物質?があるところとで


人間がうまれおちると


御霊と魂というふたつの「ソウル」にわかれてしまう。


これをツインソウルと認識しているのではないか?


と、思っている。


大本神喩によれば、


身魂という言い方になる。


勝手な解釈であるが


身霊と魂霊と自分(心霊)があり、


これが三位一体で


すべて自分であるとわかってきたときに


核になる「魂」がときはなたれていく。


無論、これは3次元体験での上でのことだけど


大本神喩のいうところの


半霊 半人といわれる次元に達すると(5次元とか?)になると


いわゆる三位一体になるのだとおもう。


ただ、御霊についても


「思いの世界」


「時間がない」


という5次元的世界であり


いかに、御霊とのパイプをつないでいくかにより


大本神喩のいうところの


半霊半人に現世でなりえる。


この状態をあるいは、御霊通りというのであるとおもうが、


つながっているという状態と


御霊通り(半霊半人)とは、また、違っている。


おそらく、今、多くのカルマや、前世や先祖のカルマや思いが


浄化されないと、彼らも自分も次元をあげることができず


多くの場合、先祖の代表や前世の連鎖のトップランナーである自分や現世の自分のところに


多くのカルマの解消が求められていると思う。


このため、世間ではさっこんは大きな事件が多数おきてしまっているが


それはまた、自分もまたおなじであるということを心しておかねばならないと思う。


ささいな心があらたにカルマをつくったり


たとえば、前世で殺人事件をおこしたものが清さんのため同じような心を現世の自分にわきおこさせたときに


そこを自分に説得していく。


大本のいう「悪もだいて、改心させねばならぬ」という基本はまず自分にある。


恐ろしい思いをおこす自分(悪)をだいて、改心させねばならない。


こういうことの失敗の事例をみたときにこそ、(思い?のままに行動する)


わがことにある「悪」を詮議しなければならないと思う。


単純に人の心なぞ省みず、金儲けにはしってないか?


とか、TVで放映された「悪」にみえることが1000だとして


それとは違う形で50でもないか?


そういう詮議をして改心していくチャンスだと捉えていくしかないと思う。


悪いものが見えるうちは自分も同類だとお悟りなさい。


と、よくいわれていたが、


もっと進めていけば、


悪くみえる・悪く取ることにこそ、自分の「悪いもの」がうつしだされているということを


見据えておかねばならないと思える。


昨今の末法思想のようなSPの氾濫に疑問を抱きつつ


生きて、天国にいこうが、死んで天国にいこうがどう望むのも自由であるが


ー今、自分その思いでいいか?-


と、いう目を自分にむけていくのを忘れてはいけない。


と、思わされるので、


ちょっと、自分の思いをもっと客観的に知っていかねばならないと思う。

ケセラセラ

ケセラ・セラという歌をうたうと、


なぜか、


もう、やめてくれ。


と、おもわされるのですね。


それで、なぜかなあと、思っていたら・・。


ケは解


セは世


ラは良



と、いうヒントがありました。



解世良・世良


単純に


世の中を良いふうに解釈すると、世の中が良くなる。



と、いう意味に考えられます。



なにかと、世の中、社会が悪いとなにかのせいにしがちなのですが、


本来は


自分の意識が世の中を悪くしているわけです。


官首相の時、あの震災の真っ只中


「やめろ」と、いう意見を多くだしている人がいました。


憂生は申し訳ないですが


「やめろ」といった人こそやめろと思いました。


あの状態のとき、官さんがたよりなかろうが、なんだろうが、


一国の首相として、被災地の方の思いを担いでいる状態です。


どこかのおばあさんが、


「もう、何もかもなくして、たよりになるのは、官さんだけです。

どうぞ、よろしくおねがいします」


と、涙ながらにはなしていました。


人心不安というのは、人間が作り出すものです。


こういう状態の人がいっぱいいて、

たよりなかろうが、お頼み申すしかない、そんなよりどころの人物を

無事で元気でいる人間がむちゃくちゃけなしてどうするんですか?


官さん、あんたしかいないんだよ。がんばってくれ。


と、エールをおくるのが本当でしょう。


それが、また、新しいエネルギーとして

官さん自身に新しいきずきや行動力をうみださせていくものなのです。


誰が首相になっても一緒というのは、

首相という城をささえる石垣(個人個人の意識)次第だからなのです。


このひとつひとつの石組み(個人個人の意識)を

平和なものにしていかないと、

城もくずれれば、石垣もくずれます。


日本にはお神輿というのがあります。


あれは、神様がいるからかつぐのでなく、


おみこしを担ぐから、中に、神様がはいってくるものなのです。


みんながよってたかって、わっしょいすれば、


どんどん、次元の高い神様がはいってくるわけです。


政治家とかきますが、


そういう高い意識を政治に反映させる存在なわけですから


それ相応の高い意識になるように

みんながエネルギーをおくればいいわけです。


自分の意識の低さを

「やめろ」といわされているんだと考えるようにしていかなければいけないなあと

おもうのですね。


けして、人間は神ではないのですから、

「やめろ」などと裁く権利はないわけです。



解世良・世良


単純に


世の中を良いふうに解釈すると、世の中が良くなる。



ケセラ・セラ



「なるようになる」



なるようになるから、おまかせしましょう。



こういう「おまかせしよう」という思いをもっていくこと。



なによりも、被災地のおばあさんの思いがものをいいます。



あのように思うかたがいらっしゃることをかんがえて、

あれはだめだといってしまっては

どんなにかやるせないだろう。

すがるような思いのおばあさんを鞭打つような

不安なことばを二次的にもかけてもいけないのだと思います。



猫に学ぶ

必要であるか、必要でないか。

これを元にしてかんがえないと自分が歪む。

と、いうことを書いた事がある。

今朝、猫を見ていて、そのことを思い出していた。

猫めは、車の屋根に上ってあたりをみまわしていたが、

「構え」の体制になるとまもなしに姿が消えた。

隣の畑?になにかをみつけたのだろうが、

それにつけても、小さな頃ほどじゃれなくなった。

そう想ったときだった。

必要がなくなったんだな。という思いがわいてくる。

狩りの練習もかねて小さな頃はよくじゃれる。

じゃれるということが、必要だったんだ。

大きくなったら、本場の狩りにはいる。

本当のものでないものに突進していく必要もない。

じゃれて、練習する段階も終わっている。

大きくなるほど、本当の狩りじゃないものに無関心になってくる。

いくら、遊ばそうと想っても、ほとんど、じゃれてこなくなる。

「これかな?」

と、想う。

必要ないことに「おどらなくなる」

本物じゃないものを「見分ける」

大人になっていくというのは・・・・。

本物かどうかを見分ける精度がたかくなり

必要じゃないものはより分ける。

今回、さりげなく忠告をあたえた時点、おねいさんに対して

だしていた言葉もこれだった。

貴女にとって、必要であるかどうかで判断しろ。

と、言う意味合いだ。

憂生がどうする、こうする。

これに対しての批判を憂生にぶつけてくる。

それが、彼女にとって必要かどうかということだな。

本人にすれば、「おしえてあげるのよ」という気持ちがあるのかもしれない。

だが、やはり、それが、彼女にとって必要かどうかというところを

基点にしてないと、彼女が歪む。

自分がそれをみて、どう想ったか。

だけの段階でも、批判という相手にむけたものしかでてこない。

自分にふりむけてこそ、「必要」になってくる。

自分にふりむけるというのは、こっちへの批判をそのまま、自分にあてはめて考えるのが

第1段階。

初歩的な操作である。

「憂生はこうだ」

と、批判したものが、自分にあてはまらないか、考え直す。

当てはまれば、反省材料を見せてくれる憂生として、憂生が「必要」な存在だったといえる。

当てはまらなければ、憂生みたいな自分でなくてよかった。と自分を喜べる。

そして、批判という程度の低いところだけしか、沸かされない相手(憂生)を

切ることによって、自分の精神環境レベルを保持していく必要があると想う。

ところが、この段階にさえ、進めず、

もっぱら、こっちへ「批判」をぶつけてくる。

己で昇華していく部分を相手にぶつけて、それで終わる。

歪みきっているとしかいえない行動はそれを読むほかの人間にも

嫌悪感を持たせる。

まあ、人事(憂生の範疇でしかないから)だから

「よく、そんなの相手してるなあ」とは口にだすが、

ここにも、嫌悪感が見えてくる。

結局、彼女も「ぼろい人間」だとおもわれてしまう表明をして

自分を大事にすることができないでいる。

それを放置している憂生も

憂生らしくない。

どこまで、こっちの「自分を大事にしなきゃいけないよ」という意味合いが通じるかわからない。

こちらの文章を読み取る事ができない人だから・・・。

多くは期待していないが。それでも、ひとのところに来て「ぼろ」をだして

「ぼろ」だとまわりにみせつける行為を放置して黙って切ってしまう。

これは、あまりにも、無情じゃないか?

一期一会の厳しさみたいなものも、確かに必要だとは想う。

ある程度のレベルをこちらが淘汰していくのも許されてもいいかもしれない。

だが、やはり、あまりにも、おおくの「ぼろ」と多くの(憂生だけでなくまわりにまで)不快感を残すやり方はききいれないとしても、知らせておく必要はあると考えた。

以後彼女がどうするかはしらない。

憂生も、彼女と一対の「教えてあげるのよ」でしかないいらぬおせっかいでしかないのかもしれない。

そして、それをすませた憂生は

車の屋根のうえの猫の如く

大きくなったら、本場の狩りにはいる。

本当のものでないものに突進していく必要もない。

そして、憂生が例えばこう言う風に自分をみさだめていこうとすることが、

本場の狩りであり、

向かい合うのは「自分」でしかなく

強敵こそ己のうちに居るという事でしかないと想う。


祈り。  

でも・・・。

正直、カフェ の中でいろんな事がありました。

本当ならプロフィールのむこうにしずんで見えない
その人々の深い人生。

憂生の一言がその人達の心の中にはいりこんで、
はきだされ、さらけてくれた、心。

憂生はつくづく、自分をかきまわし屋だと思います。

みっちゃん/注。男性/がいつだったか、
「あひるが必要だ」と、いいました。
池の中で泳ぐあひるはその足で水草をかきまわし、汚れた水底の芥も沸き立たせて行きます。
一見には、綺麗だった水を汚くしているだけのあひるの行動によって、
池の水は活性化してゆくのだ。と。

憂生の言葉がそういう風な役をになえたか、どうかは別として、
憂生にかき回された水を
『活性』するのは、その人自身です。

憂生は今も変わらず、
憂生の言葉が
貴方の中で活かされてゆくことを
祈ってます。

頑張ってください。

トップ保管のために・・・

生きるちゅう、ことはな。

やっぱ、どうしても、

孤独なんや。

此の頃どううもちょくちょく、そうおもわされるんや。

それをな、

なんとかしようと、もがくから、

えらいめにあうんやないんかねってさあ。

しゃ~から、

あきらめて、どっぷり、孤独に

なれてしまわな。

ほんまには、生きていかれへんのちゃうんやろかなあ。

へへっ。

生身の人間には、きっついでぇ~~!!

民族を・・

この間もぶつぶつ、思っていたことだけど・・・。


人を食い物にするってことを平気でやるって、裏側に

民族って、ものへの観念が薄いって気がして仕方がない。


民族・・・もっと、言えば、はらから・・同胞・・こう書く。


ことのはじめは

沖縄のアメリカ軍撤退という、安易な考えに同調する沖縄県人への、ぶつくさだった。


確かにアメリカ軍駐屯という一種植民地、あるいは前線基地のごとき、扱いや

兵士の暴行事件など・・住民の精神的平和という部分を考えると

撤退してほしいという住民感情は十分にわかる。


だが、哀しいことに日本にはまともな軍備がない。


うっかり、日本に手をだしたら・・

アメリカが黙っちゃいないぞ。


この水面下の「脅し」がどれだけ、日本を安泰にしているか・・。


ところが、その日本に手を出すという考えの「おそろしさ」を

よくわかってないのが、実はとうの日本人だと思う。


そこで、先の民族・・・はらから・・・同胞意識の話に戻る。


まず、外威として、

中国のアヘン戦争当時の同胞意識を考える。



アヘンが蔓延して・・・。


外面的にはそういうことだろうが、

何故、蔓延していったか?



わが身さえ良ければよい。

同じ中国人が中国人を食い物にしていく。


中国の歴史を手繰ってみれば

どこの国でもそうだけど・・・。

民族の争いでしかない。


違う民族は根絶やしにする。


一方日本という国は

「大将」を討ち取ったらそれで終わる。


大将さえ討ち取ってしまえば

あとの民、百姓・臣下は同胞になる。


だから、根絶やしという発想がない。


ところが、いつなんどき根絶やしの憂き目にあうかわからない民族の争いという

歴史をもつと、

「わが身大事・・」になる。


同じ中国人に毒の入った物をくわせ

アヘンを売りつけてでも、

自分の財産を護らなければ成らないほど

「人を信じられない」という歴史的背景がある。

信じられる物は「自分」と「財産」ということになるか。


もちろん、中国人がそういう悪辣な人間性をもつ民族だと言ってるのではない。


あくまでも、歴史的背景であり、

この歴史的背景というものを日本人は理解しにくい。


上に書いたように

どうしても、「同胞意識」が敷き詰められている。

この同胞意識の最たるところが

たとえば徳川慶喜の江戸城無血開城とか、

最終的に煎じ詰めていくと

「外威から、同胞を護るために私心にこだわっている場合ではない」

というところにたどり着く。


こういう「同胞意識」というものが

自然と「考え・意識」の中に溶け込んでいる日本人にとって

民族の争いの上に成り立っている国の感情・意識というものを理解できない。


これが、怖い。


他の民族の脅威という物を知らずにすごすことの出来る

単一民族の日本は

「同胞さえ食い物にして、わが身を護る」という想念の恐ろしさを知らない。


これは、どこかでも、童話をたとえにだして書いた覚えがある。


日本の童話は

「懲らしめる」であるが、外国の童話は

「狼をころして、喜ぶ」

いつなんどき他の民族に襲われるか判らない国柄の童話はやはり「根絶やし思想」から発祥している。


その「根絶やし思想」が、日本に向けられた時のことを考え付かない。


人間の尊厳なぞ、どうでもよい。


こういう事態をうしろに抱えた意識が日本に手をだしたらどうなるか?


一方で、

アメリカの感覚をいえば、どこか・・妙なもので、

日本国民の歴史・・というか、象徴なるものを崩さないように配慮する想いがある。

寺社仏閣などへの爆撃をさけ、

アメリカにはアメリカの理由があるにしろ

日本公民の心のよりどころである天皇を弾劾しなかったということについても、

よりどころというか、尊厳という意味合いでは

妙に温情っぽい計算を持つ。


この部分を思うと

「食い物にする」側に手をだされるより、

よほど、アメリカの子供じみた正義感のほうがまだまだかわいげがある。


まあ・・・そんなことをぶつぶつ思いながら

結局は自国を自国で護りきることの出来ない位置関係や

防衛力の薄さ・・・上に書いたことと矛盾するが

昨今の日本人の「同胞意識」の薄さを考え直さなきゃ成らないとは思う。


国が大事か、個人が大事か


沖縄県民にとって、「江戸城開城」


私心にこだわっていては、今の日本・・危ない。


そこまで、いっては、申し訳ないか?

人の懐をあてにすんなよな。

マア。随分前のはなしだ。

最近は通り魔事件や何やかやで防犯 意識が高まったせいだろうか?

個人宅へ(ボランテイで、※※救援基金への援助にご協力下さい

〔長い科白だぜ))と、あらわれる奴をトンとみかけなくなった。

憂生がこれから書こうとしてることは随分前に見かけた

そのトンの奴のことである。

トンの出現は、夜の8時ころだったろうか?

外はすでにまっくらだった。

玄関のチャイムがビンボーとなるので、

憂生は玄関にでてみた。

ドアを開けるとそには女の子。

お決まりの文句を玄関先でいいはじめた。

これがトンだ。

自分の熱意を精一杯話すトンの姿はある意味好感がもてるが、

居合わせたバイク野郎がすっとんできた。

女の子の声にでてきたか?と、思われるだろうか?

否。

バイク野郎は怒りだした。

「あんたな。こんな時間にボランテイア活動か?ええかげんにしろよ」

突然の怒り声の意味を遅い時間の訪問のせいだと思うだろう?

否。否。

「女の子がこんな時間に独りで個人宅を訪問する?

中にどんな人間がいるかもわからない。

もしかして。変な男がいて、部屋の中に引っ張り込まれて

どんな目にあうかも判らないって事、かんがえてるのか?」

怒り出したバイク野郎はさらに

「自分がいいと思ってしてる事でも・・いい結果になるとは限らない。

何かあったらどうするんだ。家にかえりなさい」

と、いいはなった。

びっくりした顔のトンは

「はい」とだけ、うなづいて、玄関を立ち去った。

「ふむ・・・」

憂生はバイク野郎と違う視点で腹をたてていた。

が、いいそびれてしまった。

で、此処で言ってみたりする。

「人の懐を当てにして、何がボランテイア活動だ?

うろうろ、人の家をめぐってる時間があったら、

バイトでもして自分で稼いだ金を寄付したら。どうだ?」

安部公房のエッセイ にもこれと似た話があったが・・・。


遅ればせながら・・判ったような・・・。

武は中学を出て直ぐ大工になった。

近所の棟梁のとこに弟子入りしたんだけど。

武が20歳くらいの時に職場で事故を起こして、

中指を第一関節から飛ばしてしまっていた。

その武が憂生のところに遊びに来て

指を見せてくれてたんだけど?

「でも、小指じゃなくて良かった」

と、言い出した。

「小指なんてそんなに使わないし・

あんまし役にたたんと思うだろう?」

武は自分の言った事にそうじゃないんだと首を振って

「憂生、ちょっと、紐もってこいや」

と、言い出したんだ。

言われたとおりに紐を持っていくと

武は

「これを引っ張るから、憂生はとられないようにシッカリ握っていろ」

と、謎解きを始める気らしい。

武に言われたとおり

握ってみた。

武が紐を引っ張っても憂生の手の中に紐はあった。

すると、

「今度は小指をたてて、残りの4本の指で

握ってみろ」

条件を変えて同じ事をしてみた。

小指が添えられなかった握りはうそのように

あっさりと武に紐を取らせる事を許した。

「小指がないと力がはいらんのだ」

武の実験?は確かにその通りだと

実証してる。

ちょうど、おふくろが傍にいて、

話を聞いていたんだけど、

あとで、

「小指がないと、力がはいらない。

そうだねえ・・・」

おふくろは小指から子供 を連想したんだろう。

「子供がいるから、力がはいるんだよねえ」

と、ぽつりとつぶやいた。

こんな憂生でも、おふくろには、

「力込めさせる」役に立っているんだと

いってくれたのかな?

なんて、今頃になって、

おふくろのつぶやいた言葉の意味を考えてる憂生である。


画像掲載  gooにて

縁を切る。

きる。

縁を切る。

その話になった。

憂生がいえたことは、

視野を変えるためにも

必要だということだった。

離れてみて、

本当に必要だと

わかったら、

取り戻せばいい。

むこうがもう戻ってこなくても、

本当に必要だとわかったら、

一番大切な人になって、

一番近くにいることだろう。

今のままじゃ、お互い、

上側だけ、ちかいだけで、

お互いを

見つめてない。

形だけ、仲良くしてる。

でも、心も考え方も通じない。

沸いてくるのは、息苦しさと、

軋轢だけ。

こんなものは友情じゃない。

おつきあい。

それも、

耐えてるだけ。

むしろ、離れることによって、

お互いの中にむきあえるなら、

そのほうがいい。

そんなことをはなした。


憂生・・・考える。

友人がマルチ商法に引掛かっている。

憂生にいい仕事があるから、こないかと連絡が入ったとき、

マズ、友人が心配だった。

話を聞きに行って、本当に大丈夫ならそれだけでいいと思った。

憂生は分不相応なことは考えない。

自分の「分」の分だけ、報酬は与えられるものである。

と、考えている。

たとえば、憂生が書いている文章作品。

いくつか公募にだしてみたが、最終選考までは残り、

出版社からは共同/協力出版を提示される。

金が有れば、今ごろは本屋に本がならんでるか?

と、いうと、そうはいかない。

実際掛け値なしに自分の実力を認められたものではない。

これを無理やりに金をかけて出版するん?

本当の実力でもないものを?

それが認められたこと?

憂生は偽の報酬はほしくない。

いまいちだけど、読み応えは有ったよ。

そういってくれた。貴女。

憂生はこれが本当の報酬だと思っている。

こんな話をマルチ商法の人員にはなしたら、

通じなかった。

金がほしい。

それは判る。

憂生もほしい。

でも、自分の分にふさわしい金でいい。

いや、無理をすればどこかでしわよせがくる。

無理が大きければ大きいほど

そのしわ寄せが掘って行く穴は大きく、深い。

他の友人もばくちのような投資をして、家庭を失った。

分不相応の見返りは時にこう言う落とし穴を用意していることがある。

投資するか、それを信じるかは本人が決めることと人員はいった。

確かにそのとおりだと思う。

ただ、憂生が思うのは、

落とし穴。

その存在を覚悟しているか、どうか。それだけ。

落ちた後に

「騙された。自分が馬鹿だった」ではない。

ようは、

「ばくちに負けちまったってことだ」

こういえるくらいの腹をくくっているかだ。


手振れあり~~の。望遠限界~~。

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続きを読む

咲いた華が狂うのは当たり前。

小学生の殺人事件。

いろいろ、取りざたは有る。

だけど、憂生はマズ思う。

自分で稼げない人間。

つまり、自分で責任をもてない人間に

安易にHPなどつくらせる。

この、考え方が根本的に間違ってる。

流行やら時代の流れやらに巻き込まれるのもいい。

だけど、

社会的道義を追う事が出来ない子供 に/大人でも。/

野放図に、

ネット世界を掌握させる。

うまく、説明は出来ない。

が、根本がひずんでいる以上、

根から狂っている以上、

咲いた華が狂うのは当たり前。

親。

この、考え方が余りにも希薄。

この部分に注目 しない限り、

この事件は他人事だろうな・・・。

もっと、つたえなけりゃならないものを、

もっと、親が鍛えなおす。

憂生の怒りは此処に来る。

以上。

約束の君に・・・・

いつでも、気になっている。

だけど・・。

どうしようもない。

お前が・・・住む世界は、
お前にとって

あるいは、

それが、

一番幸せなのかもしれない。

羽がはえていても、
飛べない鳥を
なじるだけになると、
わかっているから・・・。

抱く

抱く。


これも、どこかに書いたな。


人を抱く。


もちろん、変な意味じゃない。


今の世の中、


人を抱く、あほちんたんが、

いなくなって、


自分大事な人間ばかりのかしこさで。


人を抱くとは、


また、自分が生きおうす。


一緒に死んでしまうが如く


南州公をして、


あほちんたんと解す。


いきおうしてこそ


真に人を抱ける。


なれど、生きおうす。


これが、なまなか。


ただ、生きてるだけじゃだめだってことだ。


生きおうすことが出来た人間がはじめて


人を抱ける。


生き様・・。


AKIRA。


おまえの生き様。


判っているけど


憂生、いつか、おまえを抱けるような人間になる。


だから・・・。


な・・。


生きてるよな。

まだまだ、他にもいろいろとあるんだけど、
この部分は伏せます。

いろんな意味で
『頼る』「支える」「支えられる」人をなくしたその思いをとうてい、推し量ることは出来ません。

ただ、非常に曖昧な言葉だけど
「強くなってほしい」

自分で自分を抱く「強さ」を持ってほしいと思います。

なにかに、依存したり
幻・・をおってみたり、
いろんな自分以外のものを
負って
結局、その重みにつぶされてしまう。

ぼろでも、
ばかでも、
ろくでもない奴でも、
かまわない。

あなたが、あなたで、あってくれれば。

そして、
間違わないでほしいのは、
強さ。

自分の傷や痛みをさらけだすことが、できる人間の方が本当は強いってこと。

どこかで、以前、おなじこと、書いたけど、
やはり、此処に戻ります。

いろいろ・・。

もう、辛い思いをそっとなでて、
ほおりだして、かまわないんだよ。

もう、いいんだよ。

そんなことを思います。

黒(苦労?)が、ね(無)~~~

聖人君子じゃ、この世をわたっていけない。

黒い物が逆に自分を護り、攻めにも転ず。

ああ、単純に

護るも攻めるも鉄(くろがね)の~~~♪

ちゅう~~歌から思った。

今までの世の中、?

行い正しく理路整然、思い澄み切り・・ちゅう

聖人君子が救世主になってきていたけど、

もう、それじゃあ、どうもならんと思う。

仏陀もなんか、それに似たようなことをいっていたよな?

悪衆こそ、なんちゃらこうちゃら・・。

よくはわからんが黒い部分もかねそなえとらんと

あかんちゃうんやろか?

憂生の得意の科白でいうと、

清濁併せ呑むちゅう奴やな。

清く正しい人間ばかりのための

神様ちゅうもんも、

こりゃあ、底が浅いんちゃうか?

うまくいえんけど・・。


続きを読む

すこし、噴火/地震の前触れでない事を祈る、無責任な憂生である。

本来。

悪口は嫌いだ。

それも自分の悪口ならいざしらず、

新聞をにぎわしている事件なぞを、

取りざたにして、

せいぜい悪口をいう。

こう言うスタンスは本来嫌いだ。

悪い物、ろくでもないものを

わざわざ槍玉にあげて、

4の5のと、つつきまわす。

それもいっしゅん、いじめでないかと想う。

一瞬正義感にあふれてみえて、

同じように、憤ってしまいかねない。

だけど、いつも、想う。

せめる筋合いが違う。

おろかな事。

悪い事を見たら、

自分を見つめる。

たとえば幼児 虐待。

自分の中に/虐待感はないといえるか?

ないといえるなら、

代を継ぐ者に

尊い思い方と、生き方を継承しているか?

子供達に温みをあたえているか?

本当をおしえているか?

それをふりかえらず、

他人事として悪をつつきまわしている。

自己誤認か、

人をつつくことで、

己から、のがれようとしているのか、

他人の事を取りざたにして

悪口をいうのは、本来嫌いだ。

でも、やっているんだろうな。

自覚がないだけで、

自己弁護と

自己擁護を。

子供の姿はそのまま、夫婦の在り様。

丁度、昨日、カフェ のほうの来客?のプロフにいってみたところ、
誹謗・中傷・・をうけて、云々てのがあって・・。
正直、本当に、正直。
誹謗、中傷をする側よりも、
される側に多く問題があるんじゃないのか?
って、思ってしまって・・・。
なんかそんな事をかいたら、
いっそう、誹謗中傷になるって思ってプロフを閉じたんだけど・・。

まあ、それはネットにおいての問題で、
相手が目の前に居ないことだから、現実問題とは、色がちがう。
そんなことがあって
今日、此処を開いたら・・・
う~む。
どうやら、
避けて通れぬ/笑・・・問題のようである。

いろいろなパターン のいじめを見てきたけれど
深く、関わってきたのがいじめられる側。

自分の学生の頃もそうだったけど、
いじめられる側を庇う?ぱたーんも多く
これは、日記にも、何度か書いたおぼえがあるので、
省く。

渦の話が出てきたので、
このあたりを具体例にもってゆくけど、
こいつも、いじめられる側を庇うタイプで
それゆえに、自分も孤立するという縮図がまちうけていて、
酷い時には
庇った相手にさえ、阻害されるという。
ま、どうやら、その相手は後にわびてきた。と、聞いたけど。

実際、いつだったかの事件で
卑怯な事をするなと親にしつけられた
子供
どういういきさつだったか忘れたけど
同じように、虐められた子を庇った末
逆に殺されてしまった。

こうなると、卑怯な事をするなと教えることが良いのか、どうか、
考える。

渦・・は、親玉?格の女の子の執拗ないびりに
よく、愚痴?相談を持ち込んできたけど
その時に伝えたのは
「かまわん。なぐってやれ」
だった。

ところが、実際、争いになってきた時、
渦は殴ってやると手をふり翳したらしい。
その時、むこうの女の子が慌てて自分を庇う仕草をみせたので、
「叩かれまいと頭を抱きこんだ相手を殴れない」
と、その場を去ったとか。

そして、次に与えた忠告は、
「そういうグループ自体から、離れろ」
孤立する事を恐れるな。
表面だけの親しさを保とうとしながら、
内紛をおこしているより、
いっそ、1人でいろ。
渦の本当を判ってくれる人間は必ず居る。
自分をつまらんところにおいておくよりも、
いっそ、すっぱり、1人でいろ。

この言葉が効いたのか、しばらくのちに、
グループと同じクラブもやめ、
登校ルートもかえ、
ひとりでいた。

ま、渦の話をこう、書くと、誰にも相手されない子みたいに
よみとられてしまうかもしれない。
が、
渦の考え方、感受性。
みていると、
同級生くらいの子じゃ、こいつを理解できないだろうと思えた。
だから、孤立無援になっても、虐められている子を庇う
そんな渦の芯の強さ、考え方。
立場が悪くなれば、いじめる側に平気で寝返られる
恥をしらない今時の女の子が渦を理解できるわけが無い。
同等に付き合えるわけが無い。

逆に、そんな部分をちがう立場で見る人
つまり、男の子・・・。
その男の子達からは、かなりの人気が有ったらしく、
昼休みの時間は、
渦の近くの席の男子学生のまわりには、
男子生徒の所に話に来た風をよそおって、渦に話しかけてくる奴が
毎日、10人くらいたむろするという状況だったらしい。
まあ、それも、親玉格の女の子の嫉妬を煽ったのかもしれないが/笑

話がぞれたけど・・・。

卑怯であってはならない。
という、感覚はここでも言った
「恥をしらない」
と、いう事に共通すると思う。

だが、実際の現場になった時、いざとなったら
プライド なんかかなぐりすて、卑怯にでもなんでもなれなきゃ、
相手に舐められる。
問題は卑怯なことをしちゃいけないとかじゃなくて、時に
「これは、卑怯な事だ。だが、この世で一番大切な自分を守る為に敢て、卑怯になる」
と、自覚と侘びとプライドを持つこと。

ほかにも、いくつか、いじめ事件に関わった事がある。
それも、やっぱり、近所のぼうずだったけど・・。
こいつは両方・・/虐める側と虐められる側/の話を聞く立場になったんだけど。
結果をかいつまんで、話す。

「おまえなあ、コイツが気にいらないって、ぼこぼこに殴って
後になって、悪かった・・てなあ・・・?
でも、コイツはおまえに殴られても、
へこたれず、ちゃんと、
学校 いってるよな。
また、殴られるんじゃなかろうか?ってさあ、
コイツ、めたくそ、怖かったと思うよ。
でも、ちゃんと、行ったよな?
なあ?
おまえ・・・。
コイツ、弱虫だと思うか?
憂生は思わないよ。
それどころか、おまえのほうがよっぽど弱虫だと思う。
なんでかって?
コイツは怖いって思う「思い」に負けなかった。
でも、お前は悪いことだって判ってながら
気に入らないって、「思い」に負けた。
力じゃお前のほうがイクラでも強いけどな
「自分」に負けてるお前のほうがよっぽど弱虫だと思うよ」

まあ、まだ、他にもあるけれど
憂生が関わったいじめの事件において
結局、多かれ少なかれ
虐める側の人間は
「家庭的に満たされていない」
場合が多かった。

自分の精神的不足、疎外感・愛情不足・家庭内において存在の希薄感・・・
どうしようも無い孤独を自分にぶつければ
自分がもっと、みじめになる・・。

その精神的な抑圧がいじめに変わる。
自分をたたけない、
自分に負ける人間がいじめという形で精神的な抑圧を
他に向けてはっさんしてゆく。

自分に負ける人間を育ててしまうのが
実は親のあり方。

夫婦・・例えば離婚
相方を否定したそのままの相似形が子供に映し出される。

それは、形でけでなく
思いの世界でも引き起こされる。

子供の姿はそのまま、夫婦の在り様。

憂生はいくつかの事件をみてきてそう思わざるを得ない。

憂生は無神論者であるといえる。  

と、いっても、

唯一神と言う意味でなくだ。

日本には八百万の神という観念があるが、それに近いと思う。

草や木、風や光。

時間。

こんなものすべて、ことごとく神が在らせるとかんがえるのであるが、

もっと、いえば、

神は自分の中にある。

正直者のこうべに神宿る。

とかいう。

己の中のものを神/有難き者/と、感じたとき、

対象に神を映してみる。

自分という人間のありがたさを知るとき

自然と言う神に

森羅万象という神に

導かれる己の価値にきがつく。

心まようことあれど、

ことごとく、

眼の前に起きてくる物事、

すべて、これ、神の計らい。

己がどう、さとってゆくか、

神はいつも手を差し伸べている。

その神こそ、また、己が

生み出したものである。

人間の表面に現れる認識などわずかなもの。

氷山の水面下の部分に未知なる

無意識名己が自然を動かし、森羅万象を差配し、

己を抱こうとしている。

みせつけをくれるのも、

厳しさをくれるのもひいては己自身である。

ゆえに己に負けるな。

この言葉の意味はここにある。

己の表面上の

感情だけの問題ではない。

が、しかし、

こけるときはここからこける。

己にこかされていてもつまらんから、

ホイと思いを切り替えてしまえと言う。

突き詰めて四の五の討議しても、駄目なときもある。

ほいと、切り替える。

「あきまへん。はらたってしゃ~ない。

こんなかんじょうしか、わきまへん。

さかい、かんがえんことにします」

これも一手。

自然と言う大きなものを動かす奴があいて。

もっと、広い視野に立たねばたちうちできんて!!


滅びてはならないもの

古代史に興味があるなかで、
じつはもう一つ前の文明?というものを思う。

この考え方は猿の惑星による、衝撃からすりこまれた感もいなめなくない。
地球を飛び立ち、アクシデントだったとおもうが、不時着した惑星が
猿の惑星であり、猿が支配していた。人間は原始人程度の知能で
猿のした、奴隷として働かされていたと思う。

不時着した地球人は、いろいろあって猿の惑星から脱出するために
ロケットをさがしにいくのだが、
いったところでみたものは、顔半分まで砂にうもれた自由の女神で
ここが、未来の地球だったときがつく。

この映画は非常に示唆的だった。
現代でもいわれているように、たとえば地球規模の災害がおきたとき、
人間は生き延びれるだろうか?
突然の氷河期や火山の爆発、洪水に地震
通信網も電気製品も役にたたず、
家も失い、食料もない
なにもかも失って裸でジャングルにほうりだされるより
もっと悪い状態になる。

このときに人間の精神も崩壊するだろう。
いままで、たよってきたものが何の役にもたたない。
多くの仲間をうしない、
へたすれば、閉ざされた状況のなか、
自分が他の人間の食料にされるかもしれない。
自分を護るものは自分しかなく
あるいは、自分も仲間をおそわなければ死ぬかもしれない。

こんな状態になって、精神が崩壊しないわけはない。
ただ、ただ、本能のままにいきのびて
なんとか、災害がおさまったとき
おそらく、最初にすることは水の確保と火の確保
そして、食料を調達しながら、住むところをつくり
先をみこして植物をうえる。

つまり、原始時代にもどる。

数学や科学が得意であっても、もう、そこには
そんなものを必要とするものがなにひとつない。
この場所に住んで大丈夫か
火をたやさないようにするにはどうしたらいいか
獲物はどこにいるだろうか
この植物はたべられるだろうか?
どうすれば、雨がふきこまない家にできるだろうか?
その材料はどうやって調達すればいいか。

高等数学や言語学やそんなことをやっている場合でなく
ただただ、どうやっていきのびていくか。
それだけが必要になっていく。

そして、いつしか、昔の文明などしらぬものばかりになり
たとえば霊能者や巫・巫女などをたよるようになるだろう。
明日大風がふくから、いったん、洞窟の奥に避難しておこう。
と、いうように、おしえてくれる人間の指示にしたがうようになる。

暮らしが楽になってこなければさらに便利な生活技術も発達していかないだろうが
生活技術がはってんしだすと、人間も安心して子供をそだてられるようになり
いろんな技術がさらに発展していくが
その期間が約1万年ほどのことであり
それ以前に文明がなかったといだすとなれば
笑止だろう。

今まさにうしなわれた文明になりえる危険性を思えば
なおさら、未来の人間が
以前に文明はなかったという言葉をいうだろうとおもうのとおなじように、
昔、今以上の文明がなかったと考えるのも妙なことだと思う。

その失われた文明の住民の霊言を
宇宙人の言葉としてきくものも
高次元の神の言葉としてきくものもいるかもしれない。

どうすれば、良き人間性という精神を崩壊させずに
いきのびることができるか。

技術や文明など
なくても、いずれ人間はまたそれをてにいれられるけど
良き人間性というのは簡単にてにいれられず
悪しき人間性をのこしておけば
結局、地球を滅ぼす元凶をつくりだすだけだろう。

思うままに・・14

歴史を齧ってみるの記事のなかで、

キリストがエジプトにいた?

と、いうのをかいています。


キリストの少し前の時代にスリランカから、エジプトに僧が30000人だったかな?

移住していたというのです。

当然、キリストがエジプトにいったとしたら、

この僧との接触があったとおもわれるわけです。


謎のキリストの失踪?期間は確か、11年だったとおもうのですが、

仏教思想を学ぶに充分な期間であり

仏教思想が生活に溶け込んだ環境にみをおくということは、

まあ、門前の小僧、習わぬ経をおぼえで、しみついてしまうというか、

吸収してしまうものだとおもえます。


キリストが仏教の影響をうけていたのではないか?


と、いうことにプラスした見解もあります。


ショーペンハウェルです。


彼の哲学というか、

洞察力・真理の究明については、

ある方の紹介文で、しったのですが、

読書について・・というタイトルだったとおもいます。

このことについても、

日記のほうにかいていますので、

省きます。


で、その彼が原文を読み・・。

?!

仏教の聖典をも原文でよんだということになります。


キリスト教は聖書?をよみ、


てらしあわせていったところ、

キリスト教の教えには、経典の表現とほぼ同じなところが、多数あるというのです。


まあ、憂生は宗教嫌いな人間なので、

(考え方は頂きますが)

釈迦の教えもキリストの教えも

たとえばここが同じですよ。といえる

具体例が自分にはないので、ショーペンハウエルのといっておきますが、

つまるところ、

キリストは仏教の教えに感化?され、

そこに真理をみつけ、吸収していく

修行?期間があったととらえられるわけです。


宗教というのは、

その祖がなくなり、教えがつたわっていくときに

もう、それは、違うものになっていくと憂生はかんがえています。


先にかいたことと似ていますが

その教えを説く人間が「本物」であったから、教えが本物になっていき、

あとのものは、その教えを実践し自分のものにすることで

少しは本物になっていこうとするのみで、

「教え」自体は本人でなく、

キリストがこういった。

釈迦がこういった。

と、いういわば、メモなわけです。


「教えを説く」=「本物」という図式はなくなっているわけです。



それでも、真理は真理です。


たどり着くところはある意味「真理」ですから、

キリストは実は全然仏教に感化されず、エジプトにもいってなくて、

「真理」にたどりついたのかもしれません。


真理は普遍的なものですから、

当然、おなじような答えとしてみいだしていってなんのふしぎもなく、

憂生が物書きをやってるところでよく言う

「べたもの・まね・はない」

って、ことです。

この地球にいるすべての人間がものをかいたとしたら、

よくにている物語がいくつもでてくるのではないかとおもいます。


人間の考えることですから、にたようなことがあってもなんの不思議はない。と、いうことです。


で、こういうとなんですが、

仏陀の思想である、そも最初の

天上天下唯我独尊ですね。


これだって、憂生は同じことをおもったわけです。


しょっちゅうひきあいにだしますが、

天気を変えるという顕示をみせられたとき、憂生は

天気をかえてみせた相手を拝まなかった。

なにをおがんだかというと、

自分のわけです。


ここまでして、生きろと見せしめさせられる自分がありがたい。尊い存在なのだと、おがんだというより

おろがむですね。


また、先の話にくっつけますが、

存在価値が希薄になっていたところに

自分ありがたい。自分尊い。とおもわせてもらえたわけです。


こういうのが、釈迦の最初の思想とよくにているわけです。


自分こそが尊い。


つまり・・・。


教えというのは、こう言う風に会得していく、自分が机上論でなく

自分の身のうちから納得するものであるのなら、

だれもが、釈迦やキリストよりも「尊い自分」であるわけです。


なにも教えの本を開いて、頭で理解しなくとも、

自分の中にちゃんと真理(おおげさか?)はあるわけです。


このあたりのことも〈他にもありますが)

あって、

憂生は「おしえてやろう」的、

あるいは、憐れな子羊としてみるような、

「キリストはこういいました」

などと、借り物の「教え」で、物をいってしまうようになるのが、

いやなわけです。


ですから、憂生の座右の銘は、

実感・実践・実用です。


自分で感じ、どうすればいいかを実践し、それがよいのなら、実行し、自分の物(実用)にしていくということで、

憂生にとって、

「自分、ありがたい」と思ったのが実感であり、

では、いかにありがたい自分であるようにしているかという部分で実践し、

その生き方〈実用)していければ、それでいいわけです。


それが、自分を本物にしていくということなんだとおもうわけです。



こういう意味合いの自分向けをやっているのかなあと

思わされる人の多くが宗教家であり、

特にキリスト教は、キリストの名において、

教えを語ります。


この部分も憂生にいわせれば、言霊として発動するという日本古来の考え方をいっしているきがします。


自分が出来ない状態で言葉を発すると、

その言霊は相手にでなく、自分にかえってきます。

「それをいえるおまえか?」

と。


有言実行のためにあえてやっているのならけっこうですが、

自分はできていないのに言葉を発するということは相手につうじないだけでなく

自分にかえってくるというこわさもあるわけですが、

この贖罪をおっているのも、キリストであるとするのなら

キリストに贖罪をおわせて、自分は「教える先生」になってしまっていて

いいのかな?


と、思うわけです。


憂生の考え方はおそらく、密教のほうに近いのだとおもいます。


もしくは陰陽師ですかね/笑


続きを読む

考え事のため、未整理

http://isearth.blog.fc2.com/blog-entry-379.html癒守の地球さんの記事ですが、
(お詫び、勝手にリンクさせていただきました・・・)
先日から書いているところの
もともとの・・・ヘブライ人が来る前の日本人というのは、どういうことだったのだ?
の、謎解きにちかいようなwww
話があります。
前提として出てくるのが、
ー原初の日本人は、
シリウスのDNAを持っていました。ーと、いう言葉なのですが、
これをどこかで見たことがあるわけです。

自身を象徴する星はオリオン座と語り[307]、亀山城の跡地に建てられた神殿「天恩郷」の月宮殿はオリオン座を地球にうつしたものだとされる[308]。この星座に関する和歌も大量に詠んでいる[309]。後の第二次大本事件を回顧した歌集では、オリオン星座とは拘置所と述べている[310]。

「オリオン星座とは拘置所と述べている」については、そこだけを読むと誤解されそうなので
つけたしをしておく。
下の文がそうであるが、大本の身のたつようにしてくれたという庇護・擁護的位置という意味合いであろうし、
オリオンが大本の故郷?であるのなら、そこに帰るということは、
日本(地球?)を護ることに手も足もでなくなるという意味合いの拘置所ともとらえることができる。
このオリオンへ帰ることを信念でとめようとしたか
「死しても日本を護る」といった。


保釈後、関係の弁護士たちが国家に対する損害賠償請求の訴訟について打ち合わせると、王仁三郎は言下に「今度の事件は神様の摂理だ。わしはありがたいと思っている。今更過ぎ去ったことをかれこれ言い、当局の不当をならしてみて何になる。賠償を求めて敗戦後の国民の膏血を絞るようなことをしてはならぬ」と述べた。また「大事な神の経綸なのじゃ。この大本は、今度の戦争にぜんぜん関係がなかったという証拠を神がお残し下さったのじゃ。戦争の時には戦争に協力し、平和の時には平和を説くというような矛盾した宗教団体では、世界平和の礎にはならん。しかし、日本が戦争している時に、日本の土地に生まれた者が戦争に協力せぬでは、国家も社会も承知せぬ。それでは世界恒久平和という神の目的がつぶれますから、戦争に協力できぬ処へお引き上げになったのが、今度の大本事件の一番大きな意義だ。これは大事なことだよ」と述べた。この王仁三郎の発言により、国家に対して一切の賠償を求めないことになり、これを伝え聞いた人々が「ほんとうの宗教家ということが始めてわかった」と感嘆したエピソードがある

と、まあこういうことをちょっと前にかいたところであり、以下も大本の言葉であるわけだけど・・・。
「ユダヤは神の選民、日本は天孫民族で直系。ユダヤは三分の一は良いので三分の二は○いので、之がフリーメンソンをやってゐるのである。今の戦いは之がやってゐる。イスラエルの十二の氏族は選ばれたのや。一番いいのが日本へ来てゐるので日本民族や」「ユダヤが暫く世界を統一する。それから○○の番だ」と語る。

ここで、大本は日本は天孫民族であるというわけで
さて、その天とはどこやいな?
と、なってくると
やはり、オリオンということになってくるだろうか?

そこで、癒守の地球さんのー原初の日本人は、
シリウスのDNAを持っていました。ーと、いう言葉なのですが、
この方は実際にユダヤ人とかにあっていて
おしえ?や情報からでなく、
ユダヤ人のイメージは銭もうけの・・というパターンだったそうですが
ところが、そうじゃないユダヤ人にもであっていきます。

それは、大本の「ユダヤは三分の一は良いので三分の二は○いので、之がフリーメンソンをやってゐるのである。今の戦いは之がやってゐる」言葉がそのままあてはまってくるわけですから
単純にー原初の日本人は、
シリウスのDNAを持っていました。ーと、いう言葉もあてはまってくるきがしてきます。

そこで、はずかしながら、
オリオンをしらべてきました。
ここで着目したのは神話のオリオンですガ、その前に着目。

オリオン座はさまざまな古代文明で特別に認識されていた。

古代エジプトは三ツ星とその南側をサフと呼び、オシリスと同一視した[9]。古代メソポタミアのシュメール人はより広い(現在のオリオン座に近い)星々を「アヌの真の羊飼い」と呼んだ。これがオリオン座の原型と考えられている

一方でシリウスですが
古代エジプトでは、ナイル川の氾濫時期を知らせてくれる星として、非常に重要な働きをしていた(エジプト神話・ナイル川およびソプデトを参照の事)。
エジプト神話(エジプトしんわ)は、キリスト教とイスラム教が広まる以前にエジプト(古代エジプト)の人々によって信仰されてきた神々の体系、宗教を指す。ただし、古代エジプト人の信仰は、おおよそ3000年にわたった長い期間に、またその間に何度も変容を繰り返してきたので、一つの記事(それどころか、ある本をまるごと一冊)使っても、概要以上を示すことはできない。一般にはヘリオポリスで信仰されていたヘリオポリス神話をもとにして語られることが多い。

チグリス・ユーフラテス両河は水源地帯の雪解けにより定期的に増水するため、運河を整備することで豊かな農業収穫が得られた。初期の開拓地や文化から始まり、エジプトなどよりも早く農業が行われた地域として知られている。紀元前3500年前ごろにメソポタミア文明がつくられた。

古代エジプト(こだいエジプト)は、古代のエジプトに対する呼称。具体的には紀元前3000年頃に始まった第1王朝から紀元前332年にアレクサンドロス大王によって滅ぼされるまでの時代を指す。
エジプト文明と並ぶ最初期における農耕文明の一つであるメソポタミア文明が、民族移動の交差点にあたり終始異民族の侵入を被り支配民族が代わったのと比べ、地理的に孤立した位置にあったエジプトは比較的安定しており、部族社会が城壁を廻らせて成立する都市国家の痕跡は今の所発見されていない。

と、整理できていないけれど、
オリオン=メソポタミア文明
シリウス=古代エジプト文明

と、いう感じがする。

そこで、着目したのが、神話であるが、

オリオン座はさまざまな古代文明で特別に認識されていた。

古代エジプトは三ツ星とその南側をサフと呼び、オシリスと同一視した[9]。
古代メソポタミアのシュメール人はより広い(現在のオリオン座に近い)星々を「アヌの真の羊飼い」と呼んだ。
これがオリオン座の原型と考えられている。

エジプト神話とメソポタミア神話、その他も、融合されていったものであろうと思うが
星の名前の元になったところの
オリオンをしらべてみると・・・
ヒュギーヌスの伝えるところでは、巨人オーリーオーン(オリオン座)は海の神ポセイドーンの子で優れた猟師だったが、「この世に自分が倒せない獲物はいない」と驕ったため、地中から現れたさそり(さそり座)に毒針で刺し殺された[11]。その後オリオンとさそりはともに天にあげられ星座となった。ゲルマニクスは、オリオン座は冬の間、空高いところで威張っているが、さそり座が東の空から上るとこそこそと西の空に沈む、としている[11][12]。

またヒュギーヌスは、オーリーオーンの死について、月の女神アルテミスにまつわる別の神話も伝えている[11]。

アポローンは奸計を以てアルテミスを騙す挙に出た。アポローンはアルテミスの弓の腕をわざと馬鹿にし、海に入って頭部だけ水面に出していたオーリーオーンを指さしして「あれを射ることができるか」と挑発した。オーリーオーンは、アポローンの罠で遠くにいたため、アルテミスはそれがオーリーオーンとは気づかなかった。
アルテミスは矢を放ち、オーリーオーンは矢に射られて死んだ。女神がオーリーオーンの死を知ったのは、翌日にオーリーオーンの遺骸が浜辺に打ち上げられてからだった。アルテミスは後に神となった医師アスクレーピオスを訪ね、オーリーオーンの復活を依頼したが、冥府の王ハーデースがそれに異を唱えた。

アルテミスは父であり神々の長であるゼウスに訴えるが、ゼウスも死者の復活を認めることはできず、代わりに、オーリーオーンを天にあげ、星座とすることでアルテミスを慰めた。なお、さそり座は、アポローンが謀ってオーリーオーンを襲わせ、彼が海に入る原因となったサソリであるとされた。そのためオリオン座は今も、さそり座が昇ってくるとそれから逃げて西に沈んでいくという

ここで、出てくるもので、
うむ?とおもうものが、
オリオン(巨人族) 月(アルテミス) 太陽(アポロン)であるが、
昨今 巨人族の骨が発見されたとにぎわしているところをおもう。
さらに、巨人族をほろぼしたといってもいいかもしれない
蠍の登場になってくると
ギルガメッシュの中の「蠍人間」が、暗喩されているかもしれない。

月と地球はひとつのものだった。という科学?の話もある。
アポロンという太陽の干渉によって、
オリオンという巨人族(地球?)と、アルテミス(月)が
離れ離れにされたと、いう風にみると
蠍という毒をおくりこんできた太陽の干渉がなにであったか?
たとえば黒点がふえたとか
紫外線の増加とか
なんらかの太陽の干渉が地球と月をはなれさせたか
あるいは、蠍という巨大隕石衝突によってか?

と、考えていくと
月という大きさからみると
地球は巨人であろうからwww
オリオン自体は地球であるとも考えられる。

そのオリオンがオリオン座になったということは
なにをあらわしているのだろう?

シュメール人が宇宙人ではないかという説と
エジプトのファラオのアメンホテプ?が宇宙人のようだという説と
これをそのまま、あてはめると
シュメール人(宇宙人説)がオリオン系
古代エジプト人(宇宙人説)?がシリウス系
と、いう見方もできる。

一方で、シュメール人がエジプトに渡ったという説やら
日本にシュメール人がきたとか
逆に古代日本の天皇がエジプトを統治していたとか
大本神喩のなかでは、古代天皇がトルコを統治していた(メソポタミア文明?)という話もあり


原初の日本人は、
シリウスのDNAを持っていました。

それを知っていた古代イスラエル人たちは、
北イスラエル王国と、南ユダ王国が滅びた後に、
日本へ移り住んできました。
そして、先住民である日本人との混血が進みました。<
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と、いうのも、大本神喩を根本にすると
日本民族の血をうけたイスラエル人がエジプトにもとび、
やがて、(血の)故郷である日本にかえろうとして、
日本にやってきた。
いわば、救世主とは「血の親」にほかならない。
と、思えてくる。

と、なると、
シリウスのDNAというのは、いかなることだろう?
逆に大本のいう「オリオン」はどういうことになるのだろうか?

いずれにせよ、
シリウスのDNAというものが入り込む母体があったはずだ。

そこを知りたいわけだが、
大本はあくまでも日本民族は天孫といういいかたでしかあかしていない。

たんに、
いつだったか、しらべた
「ジン」あるいは、「魂」が宇宙由来で
日本人の御霊は太古からいろんなものに宿っていて
(マナの考え方ににているとおもうが・・・www)
人間の発生によって、人間に宿ったもので、
その御霊が、天直々のものだったということになるのかもしれない。

なにか、結局、振り出しに戻った気がしないでもない・・・

レトロウィルスと大和魂

先日、TVをみていた。
何でも、祖先とされるねずみ?のはなしで
はじめは卵で子供をうんでいたのだけど・・・。

あるとき、レトロウィルスがはいりこんで、
それで、おおくのねずみがしんだのだけど
かろうじて生き残ったねずみの遺伝子の中に
レトロウィルスの遺伝子が入り込んで
それが、元で胎盤ができて
子供を異物として排除しないホルモン?のようなものも
形成していったらしい。
(ちょい、うろおぼえなんだけど)

こういうのが、今なのかなと思う。

実際、遺伝子が12本とか?いう子供がうまれてきつつあって
そのレトロウィルスにあたるものがなにかわからないのだけど
確実に種の保存が起こり始めているのだろうと思う。

ふと、思うのは
原爆とか、レントゲンとか、宇宙からの放射線の増大とか・・。
こういうものの、じつは、
遺伝子にとってのレトロウィルスになっているんじゃないかと。

もっと、別のものかも知れないけど
たとえば、日本人のDNAを調べると
氷河期を乗り越えているという痕跡があるらしい。
他の民族は氷河期時代にDNAに変革がおきていて
DNAを変えて生き延びている。
その痕跡が日本人のDNAにはみあたらない。

これがどういうことになるのかわからないけど
日本人のDNAはかなり古いものを継承しているということになる。

日本人に多くありがちなエンパス能力なども
してみると、このDNAがなせるわざとも考えられる。

エンパス能力は
簡単にいえば、他のものの心などわかる。と、いうような力で
(もっと、厳密にしゃべらなきゃいけないんだけど)
感応力がある。

相手の身になる。という言い方が適切かもしれない。

こういう集団だったから、いちはやく、相手の窮地にきがつき
たすけあうということに特化していただろうし
魂【御霊)の声をキャッチしたり
予感や予知、木や石ともしゃべれただろう。

こういう能力がいろんな災いを回避させたり
弱った仲間をたすけたりと、いうのがあったのだと思える。
これが、氷河期にDNAの変革をおこさずいきのびた理由と思える。

DNAの変革というのをレトロウィルスでかんがえると
種のほとんどが死に絶えるということでもあろう。

それが、日本人にはない。

それが、ひとつにエンパス能力のようなものがあったせいならば
この「仲間を助けていく」ことが
大きなエネルギーになって発動することもありえると考えられる。

結局のところ、
霊的にかんがえれば
霊は「思いの世界」である。

ここにみんなを助ける。
思いを救う。
と、いうことがおきてくるわけだから
確かに、この先のアクシデントのときに
日本人と天皇が世界を救うという言われ方をするのもうなづける。

天皇は無私と慈愛などなど
生きた人間としての見本というか
雛形というか
どういう風に生きればいいかというときに
なによりも日本人の心のよりどころになるひとであろう。

いつでも、平和を願い、国民の幸せをいのり
自分のことなどいっさいあとまわしであり
それさえも、天皇という制約の中に身をおいている。
自分のわがままなどいっさいほうりすててしまっている。

こういう方がいらっしゃるから
日本人は本当の「徳」を知っている。

レトロウィルスが種の保存にDNAにかきつけて変革をおこしたというのなら
天皇の生き様、存在は
日本人の魂に変革なしに生き方のみちしるべをかきつけている。
と、おもえた。

剣山 登頂

人間のあまっちょろさというかwww
この前から、空海と失われたアークなんてことで、
剣山がきになっていたところ、
登る機会にめぐまれました。

トレッキング用のいでたちを整えたおかげで、
翌日はどこにも筋肉痛はでなかったのですが、
当日、昇っていって思うことはといえば、
ーなんちゅう、体力のなさー
と、いうことでした。
頂上を目指すだけで、こんなにたいへんなのに
昔の人は、まともな道もないところを
たいした装備なしで、あがっていったのですよね・・・・

・・・・。

アークがどうの、なぞがどうの、
そんなことよりも、
わが身の体力という
「みえなかったもの」(なぞ)をつきつけられました。

こんなんで、やれ、地震だ、津波だとなって
にげのびられるだろうかね?
ーこりゃあ。いきのびれんねー
と、なにか、非常に素直に納得しました。

いきてりゃこそ、アークだの
歴史だのって、
うれしげにしゃべりまくっていられますが、
山ひとつ、まともにのぼれん(じかんかけて登りましたがww)
いやあ、実にちっぽけな存在だなあと
なんていうんだろう
貴重な体験といっていいかな。

そして、暇なこと考えてるのは人間だけ。
みんな必死でいきてるんだよといわんばかりの
小さな昆虫がみせる「命の輝き」

そこらで、みたら、たいして、感慨ももたなかったろう姿が
いきのびられないねえとわらってしまった自分に
ただ、ただ、「自然」にあるべき姿、命の営みをみせてくれたきがしました。
045.jpg
むこうの尾根にまだまだ、ルートがあり、
頂上をみわたせば、笹がおいしげっていて
この山のどこかにあるアーク?をさがそうなんて、まず無理だねえ。
言い伝えは言い伝えでそっとしておくのがいいのかもしれない。
何かを知ろうとするのは人間の欲でしかないのかも。
荷物かついで、がんがん歩いていくような人間に浪漫はたくすとして
今度は体力つけて、
むこうの尾根もわたってみよう。
いつのことになるかわからないけれど・・・。
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富士の歌で雷様を下に聞くというのがあったけど、
剣山は雷様が横の山あたりでなっているきがしました。
039.jpg
石灰岩の多い山で、こ==んな磐がところどころにあって
不思議な光景でした。
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我あるゆえに事がある

帳合いというものを、考える。


まあ、憂生の知るところ、

ある女性が妻子ある男性を好きになり、

その妻子をはねのけて、男性をてにいれようとした。

ところが、その実行途中、その女性は

車にはねられてしまった。

人を呪わば穴ふたつの構図そのとおりなんだけど、

まあ、「しでかしたことは必ず帰ってくる」

良いことをすれば

良い事が、悪いことをすれば悪い事が・・・。


ところが、

その帰ってきた恰好が、違うと、帰ってきたとはきがつかない。

病気というのもあるいは、そういうことで、ある場合もあるのではないか?

と、考える。

もちろん、他の場合もあるのだろうけど・・・。

最近の憂生がよく言う言葉は、

「なぜ、そんな***にかかわることになるんだ?」

と、いう問いである。


単純に悪いことをしてれば、悪い仲間がよってくる。

良いことをしていれば、良い仲間がよってくる。


目の前に起きる事象はすべて、自分に元がある。

と、考える。

すると、自分でなくて、

例えば、猫であってもだな、こりゃあ、自分のなにかをあらわしてるのかな?

と、かんがえてしまう。

今、保護猫は、だいぶおちついたが、

一時、びくびく、恐れ、用心していた。


これは、あるいは、憂生自身の姿ではなかろうかとみてみると、

その猫に対して、思った思いが

また、憂生が人に対して思わせた思いになってくるわけである。


まあ、こういう掘り下げ方?

客観視をこころみるわけで、

単純に猫への思いをかいてはいるが、

そこに、「思わせた思い」がすりこまれていく。

ーなつかなきゃ、やっぱり、かわいくねえー

ーおまえのびくびくのごきげんとりをしてるんじゃねえやー

用心してしまえば、結局、相手に、どこかうとむ思いをもたせてしまい、

それをみて、また、用心する。と、いう悪循環がおきる。

結局、自分で自分の首をしめているわけだ。

と、まあ、こういう考えを平行移動していくわけで、

犬や猫が病気になるのを直すのは、医者にいけばいいわけだけど、

なぜ、そういうペットの姿をみせられるんだろう?

と、いう部分を考える。

こじつけだと思う方はまあ、ここまでにしておいて/笑

友人宅では、犬の乳がんだとか?

こういう話を聞くと、何を顕わしているんだろうと思う。

実はペットが、「雛」になっているかもしれない。


まあ、単純に乳は、父に通じるわけで、

父親や、亭主さんにたいして、

「がん」と、したこだわりをもっているのではなかろうか?

とか?

うだつのあがらない亭主。

とか?

もっと、こうこうこうであったら、いいのに

とか?

こうあるべきだ。みたいなものがこりかたまっているんじゃないだろうか?

ってなことを思う。

じっさい、小耳に挟む、言い方はそのとおりなのであるが、

さらに、また自分にひっくり返す。

そういう事件に関わる自分の元はないのかな?

と・・・。


あるよなあ・・・。

ここにかいてること自体がこだわりの果てだろ?




つ~~ことは、こんなのど~~でもいいよ~~~。

って、やるべきか?/笑


ま、話しがぞれそうになったけど、

憂生自体が

精神的疾患(小さな悩みをふくめて)に対して、

重要視するのは、こういうところから、

大きな病気を発症する元があるんではないかいなってことで、

その仕組みが、

やはり、どこかで、「思い方」をまちがっていたのが、

事件や病気としてでてくるんじゃないかってことで、

正直、そこらへんのところを考えずに

治療だけをするというのも、病気の治療しかできないんじゃないかいなって?

いやな言い方だけど、医者が変に手助けをしてしまうところが、

本当の患部をつつみかくしてしまうきがする。

いや、もちろん、精神部分まで、メスをいれることをかんがえてくれればいいわけだけど、

たとえばだな。


ものもらいができて、医者にいって、

「あんた、ものの見方が(価値観)がわるいんじゃないか?ちょっと、かんがえなおしなさいよ」

な~~~んてことでも、いわれたら、

はっきしいって、侮辱罪でうったえてやるっていいたくなるだろう。

どこにそういう関連性があるんだ。

証明できるのか?

ものもらいと価値観が悪いということの因果関係を証明しろ。

統計でもとったのか?




だよな?


まあ、これが、スピリチュアルをやっている人だと在る程度理解できる考え方なんだけど、

ようは、

「自分、それでいいかな?」

って、考え直す。見直す。ということをしていく一つのきっかけにしていくだけであって、

かんがえていきゃあ、だれでも、

「この価値観でまちがってるかもしれない」って、物は、持ってると思う。

それを積極的にみつけていこうとすると、

これまた、奇妙に

関連性をかんじる掘り下げはできるわけで、

実際のところは、なにもうかばん。

ってのが、

「悟りの境地」なるものなのかもしれん。

凡人の俗人のあくたれ憂生としては、

からすがないたのも憂生のせいにおもえちまう / 爆笑問題である・・・。


続きを読む

訃報の裏に・・・

ジョブス氏の訃報をきいていた。


アップルから、引退し・・・。


え?


憂生がアップル社のコンテンツのことをかいたのは、いつだったろう。


スパム対処のブログを一件もっていて、

そこで、

スパム対処の情報をながしている。


IPアドレスのでる掲示板に必ず書き込むことをみつけ、

スパムが大量送信にいたるまえに

情報をながし、

やってきたスパムはとにかくプロバイダーに通報する。


通報先の明示。

プロバイダーは15件くらいあったか。


だが、元はといえば、

アダルトサイトがあり、そこからの雇い入れ?などで、スパムが横行するわけで、

アダルトサイトをなんとかするのが、先ではないか?


など、いろいろ、そこらも、

あえて、プロバイダーに提言していった。


その頃にアップルが

アダルトコンテンツを削除するという声明をだした。

あっぱれ。アップル。

そんな評価の記事をかいた。

世間は轟轟・・非難と賛成。

意見はまっぷたつにわかれたが、

現状、グーグルのトランスポートなど、

わざわざ、意味深な箇所を検索頁に表示する。

これをヤフーがすぐにあとおいする。

儲ければいい。

意味深に取れるところのほうが利用率が高い。

迷惑もいいところだった。

このアダルトっぽいパターンに集客があがるのは、

憂生も経験が在る。


物語りをぽつぽつ、かいていても、

上位ランクにはいらないものが、

アダルト小説をあげたとたんに

ランキングにはいる。


くだらん。


物語の本質や個人の考えなどどうでもよく、うはうはしてればそれでいいか。

そんなこんなで、今は、アダルト系小説は封鎖したが、

その前にあったアップルの声明は

度肝をぬかれた。

たぶん、客はへる・・。

だが、

客質は必ずよくなる。

儲けよりもポリシー。

この姿勢をうちだしたジョブス氏が、引退していたのは、しらなかった。

引退はそのせいだったのだろうかと思いつつ、

良識と勇気のある偉大な人間をうしなったのだと改めて思った。


ジュピター

ここしばらく、日記らしいものも、書かず
再掲載ばかりをくりかえしていて、
おなじみさんは、
前に読んだよと、へきえきしてるか・・・。
あるいは、へきえきされるほどに、
そんなに憶えてもらえていると思う憂生がしょってるか?

まあ、今回、まだ、回復しきっているとは、いえないんだけど、
ひさかたぶりに、
おちこみました。

おちこみまくったあげく、
ある意味
自分にのこるものが
やっぱ、書くことしかないと
あらためて、おもいなおしております。

平原綾香のジュピターの中に
「なによりも、哀しいことは
自分を信じられないこと」
と、いう意味合いの言葉がありましたが、
実際、
自分が信じてきた物事が全部ひっくり返ったとき
この言葉が奥深かったですね。

信じてきた物事が、ただの憂生の希望や理想でしかなく、
いいかえれば、
事実?をみつめてなかった自分にすぎないのに、
いろいろとつみかさねてきた「もろもろ」
その視角の変換ができなくて・・・。

結局、「自分をしんじれない」
こういう状態が続きました。

そのくせ・・・。

なにもかも、信じれない。

このどんぞこ?にたってみると・・・。

「信じるものは自分しかない。
自分を抱く者は自分。
生きるってのは、独り。
孤独であることを、うけとめきれず、
なにかで誤魔化したり
他の人間に期待したり・・・。
人をあてにするん・・・じゃない。
自分を信じるしかない。
いや、信じられる自分になりえるためにも、
自身をもっときたえあげるしかない」

なによりも、大事なのは、自分自身。

この自分を鋼のように・・・。
孤独という地にたちて、
なおかつ、
人を愛し
自分の幅と尺度を広げていく。

信じるに足る自分にふさわしい自分になるために・・・。

そういう大言壮語を発する場所。
自分のけつたたきの場所としての
このカフェ。
有言実行に自分をねじふせるために、
あえて、おおぼらふいて・・・。

いつか、そのホラを
ほら!
本当!
そう自分につきつけるために・・・。

やっていく憂生を信じるために・・・。

治癒

まあ、なにが、一番強いといっても、

自然治癒力というんでしょうかね。


こう・・・。

心をもみしだくというのかな。


心の中に折れた鉄釘とか、

ガラスの破片とか、

苦しみも喜びもなにもかも

つめこんだまま、

心が硬化して、

苦しみも喜びも外にだせず、

へたに心が動けば

折れた鉄釘が心をちくりといためつけて、

喜びさえ外にもみだすのがこわくなってしまう。


何も感じないように

ただ、痛みをこらえているだけだったところから、

すこしずつ、折れ釘をひっぱりだし、

ガラス片をひっぱりだし、

柔軟にうごける心にするために、

すこしずつ、

すこしずつ

心をもみほぐし、


生きていこう。

と、希望をもってもらえるように

はたらきかけて、


それだけで、

病が回復をみせていく。



生きようとする力が

自然治癒力をうみだす。




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覚悟はあるか♪誠もあるか~~♪

黒魔術で、復縁ができる・・・などという記事をよんできて、

実に複雑な気分です。

本来、夫婦になる縁というのは、

いろいろ、あるわけです。

古い言い方ですが、

「その人の所にくるお嫁さんはその家・その人の因縁を納める事が出来る人がくる」

と、いうものですし、

逆を言えば、「その人」に見合った人がくるわけです。

また、その人のもつ因縁や嫁さんの持つ因縁などが、

複雑にからんでしまい、良くない結果になることがわかる時があるわけです。


たとえばですが、

父母が離婚していると、自分達夫婦も離婚するか、心通わぬ夫婦(心的離婚)になるか。

と、いう因縁があるわけです。

そんな人と縁が出来る人は、やはり、離婚する原因になる性格や行動やアクシデントがおこりやすい人が添う形になりやすいのです。

ですから、どういう因縁や環境を持っている人が復縁をしたのか、わかりませんが、

ひょっとすると、自分ではなく、相手の因縁に引っ張られてる場合もあり、

守護霊とか?魂とか?こういうものの加勢でうまく分かれさせられていたのかもしれないわけです。


これを自分の気持ちで引っ張りなおしたわけですが、

「誠」の思いとは、認めがたいでしょう。

「自分がそうしたいから、相手の本心からでなく、黒魔術にたよって、復縁した」

言い方は悪いですが、手段かまわぬ、暴君なわけです。

こういう「因縁」をつくったわけです(思いが因縁になります)

それにひきよせられた・・・。

相手は、その因縁をみせてくるかもしれません。


手段かまわぬ、暴君を内在しているかもしれません。

この時に「誠」の思いでなければ、

「自分がそうしたいから、黒魔術に頼って、離縁する」のでしょうね。

相手を人とも思わぬ、自分勝手な行動でしかないようにおもえてしかたがないのです。

そんなロール・コントロールをおこなっていますが、

自分の思い方が「誠心誠意」であるか。

何度も書きますが

「自分が本物になれば、それに見合った相手が添う」

わけです。

復縁された方が「何に見合った相手」なのか・・。

手段かまわぬ、暴君に見合った相手でないことを祈るばかりです。

何度も書きますが、

自分の都合のいいようにするために

神頼みやお守りをもとうとする考え方はきらいなわけです。

何故、そうなっているかを自己模索することのほうがたいせつなわけで、

そこを直していけば、

本当におもっているのなら、本当におもわれるようになるし、

そうでなければ、やっぱり、縁がきれるわけです。

別れたことが、辛いのは、わかりますが、

それで良かったというのは、わかりにくいものです。

奇妙な操作で結ばれた縁であっても、

深い絆にすることはできるとは、おもいますが、

困難な因縁があり、不幸のどんぞこにおちいることになっても、

そこを納所していくことができる相手の場合、

あるいは、。誠の思いをもっていると、魂がひとつになります。


残念ながら、憂生はそういう事までわかりませんが、

困難をのりこえていけるのも、結局、「本当に相手を思う」からなわけですから、

やっぱり、

奇妙な手段で・・というのは、どうかとおもうわけですし、

相手にとって、自分が良い相手かどうか、良い思い方であるかを

詮議していく事が先なのだとおもいます。


思うままに・・16

臓器移植に関するブログをちらりとよんできました。

憂生も実際、白血病で、ネット友人をなくしていますが。

結局、一人の方は、ドナーがあらわれ、

提供してくださったのですが、

定着せず、

姉に当たる方から

再手術をしてくれとドナーの方がいってくださってるのに、

これ以上、負担をかけたくない。

と、本人に生きる気力がない。

と、相談がきました。


この時、まさか、お姉さんも白血病で倒れることなど

予想だにしていませんでした。


物語が元で知り合った方ですが、

この物語にも書いて在ることですが

「思われていることを喜ぶ」

など・・。あるわけです。


ですから、お姉さんのほうに、

非常にもうしわけない言い方ですが、

「再手術しても妹さんのいうようにだめなのかもしれない。

だけど、それは、それで、仕方が無いことだと思うけど、

骨髄移植を申し出てくださった人は

ーもしかして、もう一回手術したら、たすかっていたかもしれないー

と、ずっと、その思いを持つことになると思う。

人の思いのありがたさにきがついている妹さんが、

亡くなったのち、一人の人に後悔をおわせてしまうかもしれない状態でなくなって

本望でしょうか?


ブログに思ってくれてありがとう。そう、書いて感謝していた人が

在る人のこの先に暗い影をおとさせるのが、

「思う」ことになりますか?


思ってくれて・・・、ばかりでなく、

自分も「思う」ということをやってこそだということを

貴方の口から、上手にせつめいしてあげてください」


この言葉に納得してくれたのか、

再手術となったようですが、

結局、助からなかったばかりか、お姉さんも突如、倒れ、

あっけなく、逝ってしまったそうです。

白血病の場合は特にはっきり示唆されているのですが、

精神的な不遇や打撃からも発症する場合があります。

なにか、よくはわからないのですが

憂生の物語を読んで閉ざしていた心を開くという経緯もあり、

体質的にも発症の危険性があり、

と、いろいろ、重なったところが在ると思うのです。


こう言う風に考えると病気になってしまうのに、環境・精神・感情・考え方なども

考慮しなきゃいけないと思うわけです。


なってしまってからでは、上記のように、まにあわないわけです。


苦は病気の種といいますが、

「苦だ」と感じ、ストレスを生じさせ、たとえば胃潰瘍になり、

体質的なものや健康状態も加味して、もっと大きな病気になるということもありえるわけです。



今、精神と病気の関連性がだいぶときあかされてきていますが

まさか、この重大な病気が、自分の気弱な性格がひきがねになったとか?

かんがえつかないわけです。


チャクラやつぼなどもこの思い方と密接にかかわっていますし、

オーラーの色などもその人の状態により、色がかわるし、

憂生の見たところの魂もそうです。


こういう色がかわるという変化があって、

身体に異常がでないわけがないとおもうわけです。


ですから、臓器移植法の是正も大切なわけですが、

病気にならない努力はもっと必要なわけです。


病気にならない方法。


これは、簡単にいえば、

「なんでも、良い風にかんがえていく」

と、いうことにつきるわけです。

暗いところにカビやだにや害虫があつまるように

暗いところに病の虫があつまるわけです。


多分、ですが、スピリチュアラーの能力の高い方などは、

病気がわかれば、

「貴方こうい考え方するでしょう」

って、わかるのだとおもいます。



悪い思い方のその種類により、病気の出る場所がかわってくるそうです。


ですから、泥棒をつかまえて、縄をなうより


転ばぬ先の杖・・

と、いうことも考慮いただきたいとおもいながら、

読んでいました。


実際、憂生の考え方はなんとか、生き延びたいというところではなく、

どう生き抜くかみたいなところがあり、

臓器移植をしながら、たとえばですが、恨みがましい思いでいきるでなく、

尊い思い方ができるようになることが大切なわけで、

死んだ後もうらめしやになるのなら、「生き抜いた」とはいえまいとおもいますから、

上記のように、

最後の最後まで人を思い生き抜く思いになってほしかったし、

それが、結局、自分を助けることに(定着しなかったのですが)つながるわけです。

言い方は悪いですが、

臓器提供を望むということは、

裏返して、もしも、それが叶わずなくなったら

家族や本人(幽霊?)は恨みをもつということになってしまいます。


誰かいてくれたら。

なんで、たすけてくれないんだ。

とか。。こういう思いになりかねないわけです。


これでは、上に書いた人とは逆のたちばではあるものの

家族や友人などなどに暗いものをしょわせてしまうことになるわけです。

本人もうかばれないかも/え?!


ですから、救われたら、おかげさま。

救われなかったら、不徳の至り。

と、ある種さとりの境地にたたないと、

それが、また、違う病気を発症させかねないわけです。



こういう意味合いでも、精神部分を明るいものに鍛えていかないと

逆に、もしもなにかあって、提供して、うまくいかなかったら、逆恨みされそうだ。

とか、

やはり、もうしわけないけど、低姿勢でおねがいしますと頭を下げるべき筋を

そうしないお前らが悪いみたいに威圧的姿勢にきこえてしまい、

この結果が「しぶしぶ、そうしてやるか」みたいな、ありがたくないものになってしまい

こんな思いになってしまったたとえば骨髄を移植してもらって、大丈夫でしょうか?


臓器などにも意志があり、前の人の好みが移ったなどということもきくわけですから、

よくない思い(に、させて)で、移植されたら、やっぱりよくないとおもうわけです。


こういう部分での、精神的バックグラウンドということも

よくよく、かんがえていかないとむつかしいだろうなと思いました。


相互関係からなる、相乗効果

おもしろいもので、昨夜、同じようなことを話していた。


病は心のメッセージというのが、

憂生の順序で、

多くの病は

心を治していけば治るという考えなわけなんだけど、


じゃあ、心をなおせば、なんとかなるか?というと

そうもいかない。


詳しい話になれば、チャクラやオーラやツボの話と関連してくるので、

このさい省くが・・・。


病を治さないと、気持ちも暗くなる。


つまり、どっちが、先というものでなく、

相乗効果があるのが、

心と体なわけで、


これを逆に捉えると

たとえば、こだわりやすい人が癌になりやすいとか、

鬱々悩み安い人が貧血など、血液の病気になりやすいとか、

こういう傾向があるきがしてくる。


だが、相乗効果?というだけあって、

たとえば、貧血になれば、集中力が低下し、失敗しやすく、気がのらない。

ますます、鬱々しやすくなるわけで・・・。


と、なれば、病気を先になおすほうが、増幅部分がなくなってくるわけで、

まず、病気を先になおしなさい。


と。


健康になってから、

鬱々しやすい傾向をもってるところを治せば、

再発がなくなるだろう。


ってなもんで、

その方法として、簡単に自分でできるのが、

食事・血行・ツボ。

等になると想う。


チャクラやオーラも逆に病気を治せば治ってくるものでもあり、

根本は「思い方」なのであるが、

まずは、基本である、健康をとりもどしていく。


そのために、先にかいた、

食事のとりかた、

生活習慣

そして、身体をあたためる。


血行がわるいと、まあ、患部に悪い血がたまって、

循環できなかったりするので、

つぼを刺激するというのも一手なのである。


このつぼも意外なことに、

とんでもないところにつぼがあったりして、

たとえば、鼻の病気には、ひじをあたためるとか、

ふくらはぎのまんなかあたりにつぼがあったり・・とか、

全然、ちがうところにあり、

奇妙なもので、弱っていると痛い。


ふくらはぎあたりのつぼをおさえても、

チョット、痛いという人と

悲鳴をあげるくらい痛がる人とがある。


痛がる人は確かに鼻炎がひどかった。

よくきかされていたのは、

手の水かき?にあたるぶぶん。

これをぐ~~とつまんで、痛いとその場所に関連するところが弱っているという。


うろおぼえなので、どこかでしっかりしらべてほしいが、

たとえば

親指のみずかきは、肝臓とか。

小指は生殖器とか。

というふうにあるらしい。


精神的、身体的、乱れは手相にもでてくるようで、

このあたりも、精通すると、手をみてるだけで、わかるようになるのかもしれない。



まずは、器をよくしていかないと、

どんなおいしい料理(心)をよそっても

こぼれていってしまう場合だってある。


まあ、憂生は精神関連の病については、

以前にもかいたように、

基本的には、「愛」によって、なおっていくものであると考えるので

まず、自分で自分を尊いと思うようにできる考え方をわたしていくことで、

治癒の拍車になっていったとおもっている。

この部分では、まず、

「自分の存在価値」をみとめてもらえるように話す。


そちらを先にしていくと、

逆に、

『大切な自分の身体を治していこう』とおもうようになる。


まあ、つくづく、相互関係なのだと思う。

単純思考

言霊については、

何度か、かいたのですが、

ある、別の見解ですね。


一言いわれたことが、

何年か後に、本当になる。


と、いうのがあるわけです。


これを実は、

予知だとかんがえていたふしがあったわけです。


が、どうも、ちがうなとおもえることがいくつかあったわけです。


それは、予知ではなく、


言霊だったと考えている昨今です。


本当はぜんぜん、違うことになるところを、

言霊をかけて、かえる。


言霊を受けるのは、

実は『魂』なわけです。


ですから、魂が、言霊とおりになるように、

差配していくわけです。



つまり、悪い因縁を切り替えていく。


と、いう不思議な事がおきるわけです。



このあたりの詳しいことは、

かなり複雑で、プライベートの範疇になりますので、

具体的にははなせないのですが、


物語り:白蛇抄のなかでもあつかっているのですが、

思えば成る。

なって欲しくないことを言葉にすると、

確約がはじまる。


こういうものなのです。


あれは、だめだ。

と、思い、それを口にだせば、そうなる。

逆に

あれはだめだ。

と、おもっていても、

大丈夫。良いよ。と口に出せば良くなる。


こういうことがあるわけで、

物事、どこかで、うまくきりかわれるものをもっていながら、

まわりの物言いで、良くなることもつぶすという怖さがあることを

かんがえなきゃいけないなとおもうわけです。


簡単なたとえでいけば、何度か引き合いに出してる

地震直後のアナウンサーのインタビューですね。


一人の女子中学生の心に

生きる希望をもたせていくか、

PSTDをもたらすか。


たった、一言なのです。


今の世の中、白黒はっきりつけたがり、

裁判式に人をさばくかのような、評価をつける方がいらっしゃいますが、

(憂生も時々やりますが・・鞆のこととか・・・)


やはり、個人に対する思い方、言葉の出し方は、

わるいものじゃいけないとおもうわけです。

そのとおりになっちゃうから。


だめだなとおもっていても、

0.1%も可能性がなくても、

大丈夫といっておくべきなのだとおもいますね。



それが、

大丈夫になっていく不思議なわけなのですが、

今の日本人、そこらへん、わすれているというのかな。


キリスト教のことでもかきましたが、

神や仏や云々でなくて、

自分がかえていってしまってるものなのです。



そこをきがつかず、

悪口をいってる人をみると、

自分も悪くなるほうに加担しているんだということが、

わかっていないんだなとおもいます。


自分には、責任がないって、やつですね。


でも、スピリチュアルをしってるかたなら、

ぴんとくるのではないでしょうか?


此処で私が悲しんだら

地球の浄化を遅らせる・・とか?



連鎖てきに、まわりまわってくるものですから、

そいつが悪い。

と、なったら、

そいつを悪くさせてる自分がいるし、

少なくとも、良くさせることができる、模範的な

見本になるような、示唆的な生き方をしてないせいでしょう。


自分はそこまでする必要はないと、(できる、できないにかかわらず)

かんがえるのなら、

悪口もいう権利もないという逆定理もでてくるわけで。



ま、単純に、

良いものは、良い結果を生む。


それだけなんですけどね。

ややこしい・・・話だ。

来てくださった方のぺタが残ってる場合、なにか、感じるところがありますと、訪問をします。

で、今回、カウンセラーの方の所にいってきました。

写真をみた感じが「いかにも・カウンセラー」で、なかったのが、気になったせいかとおもいます。

まあ、いってみて思ったところは、

なんとも、はや・・・。

憂生自体が、紙一重で、ならずにすんでる姿だったという言い方は失礼かもしれませんが、
友人・知人・などなどの精神状況を考えて見ますと、ある意味、救い出せなくても仕方が無かった状況でした。

カウンセラーの方は、ご主人を亡くしていたわけですが、憂生も、友人・知人が、亡くなってもしかたがないほどの状況にいました。

何故、この違いがでたのだろう。

と、思うのです。

カウンセラーの方は「きがついてやれなかった」と、かいておりました。

憂生も直接的にはきがついてやれませんでした。

ところが、いざ、物事が動き出した時
カウンセラーの方がいう場合であれば、
「一緒に死んでくれ」と言われた時になりますか。

憂生は、それまでのいろんな経験が土台になっていたのです。

ネットにとびこんでまもなし、依存症というか、欝病というか・・人格分裂というか、そんな人間に遭遇して、なんとか、救いだそうとした結果が、彼の自殺未遂だったり、境界異常や、人格分裂の彼女たち、自傷をくりかえす彼・・・・・

逆に欝病の人間をささえていた女性、何度も目の前でリストカットをされ、支える側の神経がすりへっていく。

不思議なほど、いろいろな人間としりあい、これが、リアル、身近な人間の時に対処できる土台をつくりあげていたわけです。

なによりも、考え方もありました。

こちらの話をきいてもらうためには、相手の胸の中の「鬱憤」をとりさってしまわなければならない。

自分が経験して、できてることじゃなきゃ、通じない。

この二つの後者の部分がネットでしらずのうちにつくられ、彼の自殺未遂により、精神的不安定な人間に、うっかり、意見などしちゃいけない。

そして、自傷癖の彼からは、「抱きとめる」ということこそが、治癒につながると教わってきました。

それらが、いざというときに、役にたったわけです。

また、憂生の不思議な部分・体験も憂生を作ってきたと思います。

一緒に死んでくれといわれたら、よしよし、そうしようと、一緒に死に場所をさがしにいく。

そして、たとえば、「死ぬ前にごちそうたべたいな」とか・・・/笑

死にたいという気持ちは「憑き物」のようなもので・・。

おさえつけても、どうにもならないもので気持ちを昇華させなきゃ、憑き物ってのはおちないって思う。

これも憂生の経験談からなわけで、気持ちがおちたら、自分できがついていくようになれる。

まあ、一言でいうと簡単なことなんだけど、なかなかね・・・。

不思議な目の繰り合わせで、憂生は大切な人を亡くすはめにならずにすんでるわけだけど、

もうひとつ、気になることがある。


かくいう憂生もまあ、いっそ、死にたいって、いろいろ、あったわけだけど、その経緯の中で、最後には、目の前で天気が変わるという顕示でとめられてしまって

あ、自分尊いんだ・・って・・。

自分、尊いってなってしまったら、どこかで、人に対して冷たくなったなって思う。

自分が尊くないから、死ぬのなら、死ねばいいじゃん。

って、ね。

どうでもいいって自分のために、憂生がなんで必死にならなきゃなんない?

まちがってほしくないのは、ここの部分。

カウンセリングってのをうけたこともない人間がえらそうにいっちゃあいけないとは思うけど、
死ぬのをとめるのが、カウンセリングじゃないってことだ。

「自分がいかに尊いか」

って、ことに気がつき、自覚してもらうようにするのが、カウンセリングなんだ。
だから、非常にもうしわけない言い方だけど、
自分の悔いをはらすために、カウンセリングをしている状況は実は自分が自分で自分をカウンセリングしているのに他ならない。

本当につたえていくことは、

「あなたがいかに尊いか」だけである。

この考え方は、また、今回の被災の報道のことについても、語っている。
被災者のPDSTを考えた言葉をかけてくれ。
どういう言葉をかけるべきか。

「貴方が助かってよかった」

この言葉しかない。

と。

そして、皇后陛下がその通りの言葉をかけていらした。

「よく、たすかってくださいましたね」

ー「貴方がいかに尊いか」-

だからね。

憂生はそこを思う。

なにがあっても、生きていて良かった。

その自分をだいてやることだ。

自分尊い。

その思いがあってこそ、また、人を抱ける。

まず、自分を救いきらなければ、ならない。

だから、憂生は人を助けようとは思わないし

【ある意味、多くの人間を助けてきているが】

よってくるものは自分の因縁だと思っても居る。

他人の姿をしている自分であり、その人間にどう対処していくか。

それにより、自分が救われていく。

ゆめゆめ、人を助けてやってるなんて思って欲しくないとも思う。

カウンセラーや占い師や霊能力者や・・・エトセトラはついつい、自分が「人を助けてる」と思いがちであるが、自分にそれだけの因縁がなければ、そんなことにかかわらない。

憂生自体も不思議なことでかなり人をたすけて?きたけど、

それらすべてが、自分に帰ってきたと思う。

死ぬなと思いをかけたことが、自分に帰ってくる。

そして、自分にそういう因縁がなければ、逆に「死ぬな」という言葉をかけることにもならなかったと考えたとき、
けして、人をたすけるためにかけた言葉でなく、自分のためだったのかと今になって思う。

そして、本当に因縁が切り替わった時そこと似たところのものにいつまでも関わっているというのが、おかしいとも思う。

救えなかった自分を救うためでなく、
救われている自分を自覚すること。

まあ、書きながら・・・・・自分への命題でもあると思う。

人を観て何を思うか。

それがすなわち、自分・・・なんだから・・。

あくまでも、人の姿を見ながら、自分をまたも自覚させられているのだろうとおぼろげには判っている。


続きを読む

ああ、そうか・・・

時折、来てくださっているペット病院の院長さん。

今日は記事を読ませてもらって、

ああ、。そうだ。

と、おもっていたのです。


遠隔(療法)ですね。


どちらかというと、

事象がおきる原因のほうを追究ばかりしがちになっていたなと思います。


元々、必要のない遠隔は使わないというか、

むこうが勝手にくる、と、いうパターンが多く、

受動的に動く事が主だったわけです。


まあ、何度も書きますが、

自殺未遂のネッ友の思念を拾って

生きろと念をおくりつづける。


などというパターンがそうなるのですが、


これも、むこうから先にきているわけです。


今回もある知人の病変のかぶり?

みがわり?みたいにしんどい状態になっていながら、

遠隔というか、

念をおくることを思いつかずにいました。


ひさかたぶりに、

魂をよびこみ、手に中につつみましたが、

熱っぽい状態にかんじますが、

芯からの熱(エネルギー)がわいてきたようなので、

やっぱ、これ、大丈夫と、思えました。


身体的には

やはり、医者にみてもらうということを基本にかんがえてます。


こういう力で、身体をなおしちゃいけないと、考えています。

それは、やっぱり、

自分の中での帳合いであったり、

心のありようからおきるものだというかんがえがあるからです。


心部分をなおしていくために

病気が現れるというかんがえのところもあるので、

妙な力でなおしては、

せっかくの啓示がむだになるとおもえますので、

ここは、心を鬼にして、

弱い状況の時に現れるこころ、

エトセトラをみまもっていこうとおもっています。


そして、病気から、教えられることもあるはずなのです。

感覚的ですが、

かなりしんどいだろうけど、大丈夫というものがあります。


私感:その2

キーンと大江の摩擦において、

世間一般はキーンに対する同情票が多いようだ。

理由の多くは

キーンの親日ぶりだろう。

だが、憂生 は待てよと想う。

日本・日本人は外国人からみて、尊敬に値する価値を多くもっている。

つまり、キーンが日本を好くのは当たり前なのだ。

その日本の付加価値を自国にもっていって母国の精神レベルアップに

貢献するのなら、わかる。

むしろ、そのほうが、日本人らしい。

形だけ日本人になっているよりも、

根性から、日本人になってこそだというのが、

日本人の考えだろう。

そこらへんのものの捉え方がわからないキーンだから、

大江の心情を察知できない。

キーンの立場上、啓蒙活動が可能なだけに、

良かれと想った日本の生き様を母国にもってかえっていくのが、

本当の愛国心であろうて。

良き場所にぬくぬく暮らそうというふうにみえ

なまぬるく感じるのは憂生 だけだろうか?


皆、間違ってる?

さるブログの検索ロゴを見てきた。

人見御供というロゴがなぜか、ひどく多い。

おかしいなと思って、逆サーチしてみた。

ところが、まず、そういう言葉はありませんとはねつけられたので、

グーグルにて、ロゴを打ち込んだ。

あるけど・・・。

いっぱい、あるけど・・・。

辞書部分がクローズアップになってるので、今度は辞書を引いた。

人見御供・・・って言葉はありません。

人身御供が正解ってことなのでしょう。

と、いうことは、検索でみた人見御供は皆間違ってつかってるということになるか。

で、憂生のその人見御供というログは

確か憂生’s/想々の中の記事

「人見御供・・治水のそも始」とかいうタイトルがつけられたものからと考えられるのだが。

ここで、断っておく。

他の皆様は人身御供を人見御供と間違って使ってる可能性が大きい/前後の文章から判断して・・・。

だが、憂生はあえて、人見と書いた。

前後の文章から判断していただいても、判ると思うが、

この意味合いは

「人のふりみて、我がふりなおせ」に、通じる。

自分を律していこうとしたときに、自分の感情を治めていこうとしたときに、

人の姿をみて、自分もこうかな?

ああなっちゃいけないと軌道を修正できる。

人の姿(なりふり)は、自分の中を治水させてくれるものである。

その人の姿を見て、自分の中に供える。

つまり、その人の存在は、人見御供である。

そのように、まず、人の姿を見たら自分の中と照らし合わせて(供える行為といっていいか?)いくと、自分が失敗を体験せずとも、「正しい判断と行動」が出来る。

そういう風に考えると、自分の中を治めていく、もっとも、最初の行動は人を見るということに成る。

言い方をかえれば、その人の姿こそが、憂生のための人見御供であるという事に成る。

もちろん、本文で、書いている、人見御供は憂生のための誰かの話でなく

憂生自身が「人見御供」である。

ろくでもない失敗をしている、憂生を見て、貴方の治水の人見御供にしてくださいって、とこなんだ。

憂生がかんだのは、薬指である。アンタもこの話に1枚かんでみる?

小指はたとえて、恋人をあらわすのであるが、

これは、ロゴからきているのであろうか?

こゆび・・・こゆびと。

と。

指の呼び方には一般的に

子供向け?の

お父さん指。

お母さん指。

お兄ちゃん指。・・・などというものもあるが、

よく使われる呼称でどういうわけだろうと?

おもうものがある。

薬指である。

薬をなめるときにでもつかうのだろうか?

時代劇などでも、女性が紅をさす場面でも

薬指をつかう。

ためしに、各指で紅をさすアクションをしてみる。


親指は、ふとすぎる。

指のむいてるほうこうもあり、唇をなぞってみてもやりにくい。

きっと、口裂け女みたいな結果になってしまうだろう。

人差し指は指の腹、全体が唇にフィットする。

紅をさすというより、ぬったくってしまうのではないかと思われる。

中指もそれに近いが輪郭線をとるには、

微妙な動きを追従できない。ぎこちないのは憂生がぶきようなせいかもしれないが。

小指も同じように思う。

さて、問題の薬指だが、

どうも、指の腹に紅を乗せるという感じではない。

指の斜め上部に紅をのせないと、むつかしい。つまり、唇に鋭角に紅をさせる。

むしろ、薬指一本をたてて、唇に指の腹を当ててゆくほうがむつかしい。

他の指とくらべてみると、そういう感じがする。
鋭角に接触できるという事はラインをとれるということでもあろう。
まあ、ここまでは判った(憂生の勝手なこじつけ分析で・・・)

だが、薬?

がまの油をぬってみたとか?

鋭角に?

傷口に美意識をもとめたか?

????

あほの考え休むに似たりを通り越し、

又も

「お前の話はつまらん」をやってしまったか・・・。あはは!

・・・・・・シュン・・・。

コメント


薬指、早速真似してみて分りました。
小指ならもう1段感覚が鋭いような感じですね。
余談ですが、荷役の合図で小指を立てるときは「少し」と言うような意味で使うときがあります。

シーフ(あ、ゲームのジョブです・・)・・2

で、なぜ、あんなに芸術を神聖視するのか?


芸術のもともとの発祥は宗教だろう。


イタリアの町並みを紹介する番組を見ていた。

不思議な違和感がある。


かなり古いものが無事にのこっている。

コロセウムなんかもそうだろう。


何故、無事なのだろうか?


戦争による被害をこうむっていないから。


なぜ、被害をこうむらなかったのか?


芸術だから・・。


だけではないと思う。


バーミヤンの磨崖仏の破壊から、逆に思う。


宗教が違ったら、相手の信奉するものを

破壊したがる。


で、あるのに、イタリアの町は綺麗だ。


それは、同じキリスト教だったせいではないだろうか?

イタリアを攻撃するのは、ダヴィンチの最後の晩餐を燃やし尽くすのは

ローマ教皇の頭の上に爆弾を落とすのは


キリストに爆弾を投げているのと同じだ。


芸術の裏に実は「宗教」がある。


そう考えれば芸術的なピアノを弾く兵士が神聖化されるわけがわかる。


その反対側で

神聖なものを破壊したら、どれほど、恐ろしい報復が待ってるかを

冷静に判断したのが、アメリカだろう。


解からない?


ならば、アメリカ・・・自由の女神でも爆破してごらんさい。(地方弁だ~~)


で、日本に対してもそうだな。


京都・・そのまま残ってる。

皇居だって、爆弾落とせるだろう・・。

天皇を爆弾で殺したら

アメリカはそのままじゃすまない。


戦犯扱いして、死刑にでもしてごらん。今頃、アメリカがどうなっていたか。


だが、そんなアメリカを救ったのが他ならない天皇だろう。


マッカーサーが語ったと思う。

「各地の首相や支配者とおなじように、殺さないでくれ、助けてくれと

天皇がいうだろうと思っていた。

だが、天皇の口から出てきた言葉は

『私はどうなってもかまわないから、他のみんな、国民を助けてくれ』

だった」


アメリカはこんな天皇を殺したら、日本全人民を敵にまわすことになると悟った。


神聖なるものは生き残る。


それが、芸術の裏側にある。


いわば、芸術の皮をかぶった狼にすぎなくても、


芸術を神聖視するものにとって、

水戸老公の紋所さながらの威力を持っている。


この感覚は日本人にはわかりにくいだろうと思う。

一昔前。

天皇への不敬罪はあっても、

神の冒涜、芸術の冒涜は罪を問われなかった。

今はあまりなことをやると、

け~さつにつかまる。


それで、どうしても、

芸術を尺度にしてしまう考え方を文中に発見したとき

「?」をかんじてしまう。


信仰がない人間には、いっそう、理解できないのかもしれない。

シーフ(あ、ゲームのジョブです・・)

昼飯で・・。

TVかけて・・。

そのニュース。



無人寺の仏像を盗んで15万で売り払った男が逮捕されてた。


ふ~~ん。


でも、どうなるんだろう?


15万で買った人の方。


返却?


そのまま、自分の所有物?


所有権の無いような寺の仏像なら、そのまま、所有できるかもしれない。

返却先がないんだから。


でも、もしも、それが、国宝だったら?


国が返せっていってくる?


と、なると、15万は国が払う?


で、捕まった男が最終的に弁償する。


だが・・・。


これが、国宝なら?


買った方が盗品としってるかどうかにもよるだろうが・・・。


仮に目利きの人間で1500万で買ったとする。


国が代金をひきかえ、返せ・・となる。


だが・・・。


1500万円、つかまった男は使い果たしていた。


と、する。


はたして、1500万円もの大金、泥棒するようなことでしか、金が稼げない人間が

はらえるだろうか?


そんなことをぼ~~~と考えていたけど・・・。


よくよく考えれば、こういう盗品?を集めてる側にたつものがある。


大英博物館などがその際たるところじゃないだろうか?

戦争のどさくさとか・・。

この最中に泥棒でなくても、泥棒に近い端金で美術工芸品を本国に持ち帰ってきた。


各地からあつめた、諸々をちゃんと整理するだけで100年以上かかるとか?


そんな膨大な美術工芸品があるなら、人材を投入して、なんとかしたら、どうだ!と思うのだが

一説では、100年はカムフラージュであるとも言われている。


整理して美術館内に展示したら、困ったことになる。

返還要請が来る品物がたんまりある。


こういうことらしい。


だが・・・。根本にあるのは、

こういう美術工芸品、芸術への傾倒だ。


そこまでして・・美術品を集めてくる元々も元々だが、

それをまた集め、買い取る美術館がある。


この芸術への嗜好を思うとき、

C・モルガンの人間のしるしの一節を思う。


ドイツ軍に自宅を占拠されたフランス人の思い、その部分。


ピアノを弾きだしたドイツ兵に

「こんな芸術的なピアノをひける人間が人を殺すはずがない。

彼はすばらしい人間にちがいない」


そこまで感銘を与える腕だったのは、まちがいないだろう。


だが、芸術という尺度を持ちすぎていると思う。


何故だろう?


何故、そこまで、芸術を神聖視するのか?


最初は確か、15万円で売り払う話だったのに・・・・


何を考えたいのか?


長くなったので次のスレッドに挙げる。


FC2でのshu・shoを含む怪しいブログの訪問開示、さらに追加

リンクはいってますが、訪問なさらないほうがよいでしょう。
わずかの時間に訪問を繰り返すパターンの
スパムブログと思われ、
ご丁寧にSHUを含むIDで、goo にも10程IDをもっていますので、
こちらも、同じ方だと思われます。



http://shunloverjp2d7.blog.fc2.com/ >本当の富の築き方

http://showtimaaaaaa.blog.fc2.com/">減量取組マイスター

http://shunloverjp2d7.blog.fc2.com/">本当の富の築き方

http://shupeerub66.blog.fc2.com/">海外移住への最短ルート

http://shunjin215c0.blog.fc2.com/">億万長者マインドに変わる方法

http://shuriautoe76.blog.fc2.com/">働けど働けど増えない給料

htt://shunxgoldbe8.blog.fc2.com/">稼げない手法の見分け方

htt://shuu82734c.blog.fc2.com/">成功者になるための鉄則

htt://shuto20109a6.blog.fc2.com/">常識のレール脱出法

http://shuntarosp772.blog.fc2.com/">同僚よりも一歩抜き出る方法 


gooでは、通報されたのか、はたまた、憂生の記事をスタッフがよんだのか、
大量スパム放出ならぬ大量一括訪問システム起動により、
サーバーに負荷をかける迷惑ブロガーとして、摘発したか?
まちがって・・・
なにせ、表示されてるIDがうごきまわり
SHU君はwwいっぱいいて、
思わぬところにとびこんでしまったのだが、
しっかり、閲覧禁止措置をうけていた。
gooさんがそういう措置をしているのに
ここでは、通報されていないのか、
スタッフがきがつかないのかしらないけど
本人、あいかわらず、とびこんでくる。
通常、禁止措置されたら、改めるとおもうのだけど・・・

そんな姿勢の人間が書いてることを読みに行く人など
いるのだろうかと思ってしまう・・。





今日の訪問。

http://shuu82734c.blog.fc2.com/ ;成功者になるための鉄則
http://shun03071979cbe.blog.fc2.com/ パレートの法則の有効活用 

http://shuuyalove4f4.blog.fc2.com/ 仕事が半減する10年後
http://shukou8343a.blog.fc2.com/ 少子化増税時代を生き抜く知恵

http://shuumatsusr16d.blog.fc2.com/ 夢のような人生を送る人
http://shunhiyomiob0d.blog.fc2.com/努力を厭わず本気で成功
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