画像1 画像2 画像3 画像4

五亡星?六亡星(りくぼうせい)?

アル手相鑑定士のブログにいってきた・・。

憂生の手に五亡星?あるいは、りくぼうせい、らしきものが、

あるよな、ないよな・・・。

あるか、ないかを詮議してもはじまらない。

五亡星とりくぼうせい(六亡星)(ダビデの星)の違いはなんぞや?

って、ことを調べにいってきたわけで・・・。

で、この星のことについて、くわしく書いてるブログって、あまり無いのです。

つまり、手相って、まだまだ、未開拓なのでしょう。

その中で

自分の勘を信じればよいのじゃないかって一言がありました。

憂生もその考えで、いろいろ、解釈しています。

例えば親指の下方側面から、小指まで伸びそうな細い線がある。

これは、先祖からとかの宿命みたいなものを果たし始めると

結局、このことで、自分の中に「徳?」みたいなものができる。

これが、すなわち、財産運の場所に伸びている理由。

そんな風に独自な解釈をしないと、いまいち、納得できない線っていっぱいあるわけです。

で、その時の憂生の解釈の仕方がいわゆる勘なわけですが、

この勘がでてくるのでも、

例えば、女性、子供がいる人だったら、上のような線がでていたら、

自分の子供の才能を育ててあげるバックアップをしていったら、

子供が開花する。それが、ひいては、自分の財産でもあるし、

その才能で実際大金をかせぐかもしれない。

と、まあ、ひとえに勘といっても、

自分のバックグラウンドを踏まえた上で閃いてくるものなので

同じものをみても、違う解釈をすると思います。

って、まあ、こう言うところもその方と同じ考えだったり、

憂生がよくいう、神、霊(高位な)を人間の位置にまでおとしたり

その力を金にかえるな。ってのも、にかよったことをいってまして・・。

ま、その方の場合は神さまから直接、金に換えるな。と、いわれたそうですが・・

まあ、自分とよく似た考えだから、納得するというのも

妙な言い方ですが・・・。

そんなんで、その人の所に

五亡星とりくぼうせい(六亡星)(ダビデの星)の事がかいてあり、

さらにまだ、九字からくるドーマン?のことがかいてあったり、

なんやかや、納得さらにだったわけですが・・。

前置きのほうが長い・・・。

さて、五亡星とりくぼうせい(六亡星)(ダビデの星)

手相の解釈は色んなものが入り混じっています。

インド手相。中国手相。西洋手相・・・

細かいことはわかりませんが、ソロモンの環なんて考え方もはいってくる。

まあ、当然、どこの世界にいっても、みんなの手に相があるから、

どういう風に各手相所見が融合してもおかしくないわけですが・・・・

さて、五亡星とりくぼうせい(六亡星)(ダビデの星)

で、五亡星は安部晴明です。

彼の家紋にまでつかわれています。

で、このルーツを手繰っていくと陰陽道・・から、

北斗七星・・北極星・・・うしとら金神・・・国常立・・あるいは天御中主と・・・

まあ、歴史を齧ってみる方向に話がいくわけですが、

ようは、「守護」魔を寄せ付けない。どころか、調伏するところの力。

で、りくぼうせい(六亡星)

これはダヴィンチコードの中でもいわれたことですが、

ようは、男女。天地。対峙する同等の価値の融合による「和」をあらわす。

つまるところ、困難などを「和」に持っていく力

解決する力

と、解釈できるわけで、これも前述の人の考え方と同じです。

で、憂生の五亡星とりくぼうせい(六亡星)(ダビデの星)

これは、三角形が微妙にずれていて、

どちらにも取れるのです。

三角形だけ見ると六亡星。

ところが外枠をなぞると、五亡星・・に近くなる。

これは、な~~ぜか。

と、いう事で考えていきますと、

憂生はある意味両方のことをやっている。

最終的には家庭を大事にしろ。

って、言うわけです。

一方で調伏じみた力も持っている。

で、へたなものはちかよらなくなってきてるし、

最終的には、「和」の方の解決策を考える。

だけど、以前に憂生は

不思議なことを伝えられている。

「いずれ、榛の木」

なんですか、それ?

「榛の木は雌雄同体だ」

この意味が今になってこれかと思うわけです。

ダビデの星は

男と女の融合(和)をかたどっています。

言い換えれば、雌雄同体そのものでしょう。

だから、憂生の手に

六亡星が出来ても何の不思議も無い。

問題はそのことをもっと、進めていかなきゃならない。

単純に雌雄同体といいますが、

例えば、竜馬のやったこと・・。

将軍も皇室も救い出していく考え方。

日本という国をまとめていく考え方。

例えばこういうのが「和」であり「融合」精神なわけです。

こういうことをあらわす「星紋」がでてくるということ。

それもほとんど火星平原の中。

憂生が見なけりゃいけないことはどういうことか。

これを示されているということ。

あだや、おろそかにあつかえない「訓示」なわけです。

手相というのは、例えば、

自分をこう言う風に高く評価していく。

そして、それに見合う自分を目指す。

ってのが、本当で、

災難線・障害線がでているから、だめだとか、

しょげる事ではないと思っています。

その障害を乗り越えられる自分をつくる。

災難に負けない自分をつくる。

いや、作れる。

あるいは作ってる。

じゃ、なけりゃ、そんな線がでる以前におっちんでらあ。

あくまでも、手相は自分に良くとる。

そして、以前、書いたけど

手相鑑定士も相手の後押しをするアドヴァイスをする。

あたってようが、当たっていまいがかまわない。

必要なのは立ち向かう勇気。

良いことが出ていようが、悪い事がでていようが

立ち向かっていく勇気がなけりゃ、

良い事が出ていたってでてるだけ。

悪い事が出ていても、出てるだけ。

どっちにしろ、いずれにしろ、

立ち向かう勇気を与えてこそ

鑑定人。

そして、憂生は自分で自分を鑑定して

自分で立ち向かえとエールを送る。

そのための手相論。


次の時代・・

手相というのは、どうも、仏教くさいというか、

そこら辺の観念もかみあわせて、考えていかなきゃ、

理解しにくいところがあるのではないかとおもったりしています。

で、手相自体をみるのに、特殊な能力?は必要ないとおもうのですが、

特殊な考えとか?

特殊な閃き・発想は必要かな?

と、思います。

で、憂生自体はちょっと、特殊な能力?があるので、

このことについて、いろいろ、話があるわけですが、

このことから、手相を考える時があるわけです。

で、丁度、この前に

前世がはまる。

って、ことをかいたわけですが、

これが、手相にもあてはまるんじゃないか?

って、かんがえがあり、

先のスレッドで、

親指から小指の細い線。

これについても、先祖や前世の申し送り?を果たしていけ。

みたいな、とりかたをしたわけです。

で、そんなことを考えにいれていたら、

やはり先ほどの手相鑑定家の人だったとおもうのですが、

運命線が手首から上がる人は

前世からの使命がある・・。

ってなことをかいていて・・。

この部分も憂生の考え方と似通っているものをもってらっしゃって、

な~~んか、やっぱ、そのとり方でいいんだよな。

なんて、ひとり、ご満悦状態になって・・・。

あはは・・・。

改めて、運命線をみなおした。

げ?

いつのまにやら、手首からあがる線になってる・・・。

左手は人の字のようになってあがっていた運命線なのに、

人の又の間から一本でてる~~~~~。

見ようによっては、平和マーク・・ピ-スマーク

前世からの使命・・・ね・・・。

なんでしょ?

で、その手相鑑定家の人がいうのに、

「この先。魂の世界になっていく」

まあ、意味合いは物質主義とか、精神主義とか、

こう言う意味合いで、なんも、死んで魂になるということじゃない。

魂自体をよくしていかなきゃならない。

思いがど~のこ~の、

精神がど~のこ~のだけでなく、

もう一歩、魂ってものを意識した

自己変革・・・

あ~~。むつかしい言い方。

こういう段階にはいってくる。

って、いいかたですよね。

これはある意味、当たってると憂生は思います。

今、スピリチュアルな部分について、コンタクトできる人間もふえてきているし、

前世やカルマを解き明かしたりする人もふえてきていますし、

どうも、憂生もその範疇の力があるような気がします。

前回書いたように、魂自体を浄化?するというか・・・。

魂についている、悪い「気」を浄化する。

で、もちろん、この「悪い気」というのが、実は

「自分の思い方」ってことになるのですが・・・・。

この思い方が「魂」について、

時に運命を左右する場合がある。

だから、逆に魂ってものを意識していかないと、

「ああ、おもおうが、こうおもおうが、なんちゅ~~ことない」

って、思い方に対して無責任になったり、

自分が何を思ったかさえきちんと意識できなかったり

あるいは、思いのまま・・・。

って、ことになるわけです。

が、これが、魂に影響をおよぼし、

悪い思いを持てば悪い方向に運命が進む。

と、わかってくると、

つまり、「魂」を意識していくと、

逆に悪い方向に進まないように

気をつけられるわけです。

そういう意味合いで

手相鑑定家のかたが、

「これからは魂の時代になる」(必要がある)

って、言い方も憂生には、さもありなんと思うわけです。

で、その考えの上にたって、

手相に見えてくるものに対して、どういう風に

良い思い方で捉えてもらうかを

アドヴァイスしていくというのが、

手相鑑定家のあるいは、「使命」じゃないかいな?

と、おもっているし

憂生は、今のところ、

こういう考え方を「発布」していくのが、道程という気がしています。

ですので、霊能力者のひとにしても、

チャネラーのひとにしても

ヒーラー・神道家・・・

なんにせよ・・

ほかの神や霊にどうこうということでなく、

自分の魂を意識してもらいたいということなわけです。

そうすれば、

相手の魂にとって、最善のアドヴァイスが自然とでてくる。

どうも、ほかのものにいぞんするってことがよくないってことが、

いまひとつ、

うまく、いえないのですが・・・。

ほかでもない、魂は自分のものだということ。

その魂の環境を整えるアドヴァイスをしていただきたいとおもうわけで、

うっかり、ほかの力で解決すると

「自分の魂」でなく

そういう神秘な力とかが、凄いと思わせたり

それに依存させたり、してしまい、

相手の魂の価値をさげてしまいかねない。

し、

自身の魂の価値を

神や霊の僕にしてしまうという面でもよくない。

と、憂生は思っています。

このことについては、

憂生は別の時に、神や霊を人間の位置にまで下げるな。

と、いいかたで、にごしました。

実は逆に考えています。

人間の魂を神や霊の位置にさげるな。

と、いうのが本当です。


指導線・・2

目上の人に引き立てられる線というのがあるそうで、

憂生はこれを指導線ととっていますが、

実際、じゃあ、目上の人にひきたてられてるか?

見えるところにはいません。

すると、この線あたってないじゃんか。

って、ことになります。

ところが、先に書いたことをよんでいただくと、

例えば先祖とかが、

ひきたててくれてるわけです。

目上という解釈を別の意味にとってもいいでしょう。

自分より見識が高い。

これ、目線が上です。

目上です。

こうかんがえると、目上というのは、

実際の年齢じゃないと考えられます。

そして、この線がでるか、でないかは、

自分自身が

(高い見識(この内容の定義は今はおいておきます)を求める心があり、

それをうけとめようという心ができているかによりけりではないかと思います)

そして、その見識を自分の物として栄養にして、

自分をそだってていけば、

自分が指導されています。

自分が指導されて、本物になれば

いつのまにか、人への影響力で

人を指導することもしてしまうでしょう。

指導線というのは、

まず、自分を向上させることでもある。

それが、結果的に人に対しての指導力にもつながる。

手相の線というのは

なにかしら、表の意味と裏の意味があるものだと思います。

手の線をどう解釈すれば、よろしか?

さて、また、手を見る。

だいたい、手相なんかみようとか、何らかの占いをしようっていうのは、

自分に迷いごとがあるか、現状に不満があるせい。

なんとか、変わらないかな?

なんて、いい方をするとたなぼた的でいやだね。

でも、実際問題・・何らかの希望を見出したいってのが、あるわけだ。

で、左手。

まあ、無茶には変わってないが、筆刷紋だっけ?

の周りを丸い線が取り囲み始めてるように見えてきた。

意味はわからないが、丸とか印鑑?見たいな紋は

良いほうだろうとあんきにかんがえることにして、

右手を見直す。

小指の下・・手首側に近い所に線。

手の側面からでて、運命線まで延び始めている。

もっと、上なら反抗線。もうひとつ上なら仕事線。

はて?

ちょっと、しらべておきたいと思うのは

やはり、それが、運命線までたどり着きそうだから。

火星環?

性愛線ともよばれるし、ソロモンの環の変形という説もある。

ソロモンの環説から、来るんだろうけど

混乱に乗じて好機を得る。

っていうのが、最近の多く見かける説。

まあ、それはいいが・・。

良くないが・・。

これが、また運命線かと思うのに流れ込んで環を描く。

運命線の変形という説もあるし、

微妙な環を描いてくれたものだと思う。

ところが、これが、また、内側に平行して環が出来始めている。

二重というのは、わりと評価が良い。

ソロモンの環もそうだし

二重感情線もそうだし・・。

伏線と考えられる二重線もサポートを得られるという意味合いで

やっぱり評価が良い。

が、

火星環の二重?

運気が強くて、好機を得られるというよりも

そこまで「混乱」が大きいのかとも思う。

実際、今の憂生はすでに混乱しているといってよいかもしれないが・・・。

一方でマネジメント線かな?とも思う。

ソロモンの環らしきものが微妙に二重ある(これは本人の希望的観測で、つなげて見てるかな?)

だから、火星環がソロモンの環の変形というのも、ちょっと違う気がする。

似通っている丘に形成されるので、意味合い的には重複する部分があって然りだろうけど。

だが、ソロモンの環に無理やり見立てる線も、変形マネジメント線にも見えなくも無い。

と、なると、大いに混乱するが妥当な推理?

いや、やはり、マネジメント線で

混乱に乗じて、いわば下克上的に将軍の手綱を掴んでしまうとか?

あはは。あはは。だよ。

荒唐無稽を通り越して

手相一つの語る?(語らせる?)幸せな夢で気分が軽くなるなら

こりゃあ、下手な運命相談より、前途洋洋ってなとこだ。

で、もうひとつ、これは、あたるというか。

自分のシックスセンスによるなと思ったのが

カード占い。タロット占い。

相手にとって、自分がどう思われているか。

これは、恋愛鑑定みたいになってたけど、

「思い」の世界だから、親子や友人、仕事関係・・

結果を自分の思いに当てはめて解釈すればよいと思うので、

ちょくちょく、行って来るんだけど・・。

よくあたる。

この部分も相手/占い師がカードを選ぶわけじゃなくて、

自分の「む!!」で決めるわけだから、

一種、思念?思いに刻まれた線を具体化させてくれるような気がする。

また、逆をいえば

占いをされる方のブログなどを読んでみると

二手あるように思う。

占い学を学んで鑑定される方。

自分に何らかのシックスセンスがあるので、占いをやりはじめた?方。

多く、何かしら不思議なセンスを持ってることが多いようで

自分にはそういうシックスセンスはないといいながら

「なぜかといわれたら困るが、なんとなく、そう思う」という

直感型のセンスをもってる人がいた。

具体的に見えるとか聞こえるとか?が、無い場合、

自分でもわからない所の「勘」のようなものでは、

センスといいがたいんだろうけど

これも、立派なシックスセンスだと思う。

こういうなんとなく判るというのは、ある意味、占い師に大切な資質だと思う。

そのままじゃこの人は駄目になるぞ・・とか

こういうものがわかるからこそ、鑑定相談ができるというか、

ほうっておけないってのがあるんだと思う。

そこに通じるから、占い師やていける根源っていうか・・。

なんか、話がマジにずれたきがすんだけど

いったん此処で終わる。

いらないもん!! ・・・(いらない紋)

さて、もうひとつ。
で、紋を調べていった所
一つだけ、聞いたことが無い紋を見つけた。
霊眠紋・・
まあ、手相の線を書き足して運気を上げるというやり方があるようで
その運気が恋愛運だったように覚えてるが
霊眠紋が?だったので、はっきり何の運を強くする法か失念した。

他に金星環と太陽線を書き足すのであるが神秘的な感受性を強めるためと書き添えられて霊眠紋も上げられていたので、
図を見に行った。

薬指の根元。
道眼紋とか、仏眼紋と同じ様なものなのだが
注釈にあった。

「霊能力者なら必ずある紋」

はあ?

思わず自分の薬指の根っこを確かめた。
憂生は常々言うが、妙なシックスセンスがある。
だが、それは見えるというほどのものではない。
友人は見える。
友人に霊眠紋があるかどうかは確かめてないが金星環がくっきりとある。

なるほど。
金星環は感受性の高さ。
だから、あやつは視覚にまで受け取ることが出来るのだな。
憂生には金星環は無い。

物書きとして
写真撮影としては、あってほしい芸術線ではあるが・・これはない!!(断言してどうする?)

で、霊眠紋・・・。
まずは先天性を語るといわれる左手を見る。
ある・・の・・・かなあ?
お天気の雨マークだっけ?
進入禁止の○に一本線みたいなのがあって、疑問である。

右手・・は?

ある・・といえる。

おい!!

憂生は常々、シックスセンスがあるとは書いている。
だが、断じて霊能力者ではない。
何故、霊能力者じゃないかというと
そんなに判らないってのも事実だが
霊能力者は
これは白蛇抄「悪童丸」にも引用したが
自分以外の何らかのものの力を借りて
能力を引き出す。

それなりの力を借りて
なんのお礼も返さないわけには行かない。
人を助けたりすることが「なんらかへの返礼」になると思ったら大間違いだ。

現実?はもっと、シビアだ。
銀行に金を借りて人助けに使ったから
良いことをしたんだから返さなくてもいいでしょう?という理屈が成立たないのと同じ。

だから、やっぱり借金は借金になるんだが・・。

ところが相手は金でなく『能力』を貸してくれたわけだから
当然能力で返さなければならない。

だが、能力?

能力というものを広意義に解釈していくと気であり、エネルギーの高じた物と考えられる。

と、なると、エネルギーを借りて
返すものはエネルギー。

そう。

よく幽霊に合うと命を吸い取られるという。

これも拡大解釈だが
霊能力者は好んで霊?などの力を借りる。
すると、当然、生命力が弱くなり
病気がちになったりする。
くたびれてしまうのだが、
これを多くの霊能力者は相談を受けた相手側からの被りだと考え勝ちであるが
憂生はそうは思ってない。

自身が助力を得たものへの返礼作用だと考えている。

だがら、
物語の中の政勝のせりふではないが
「神や仏や何らかの力に頼っているのは好かぬ」
と、思ってしまう憂生がいる。

だから、
(やっと、元に戻るぞ。)

右手・・は?

ある・・といえる。

おい!!

なのである。

有って嬉しいという人もあろうが、
憂生にはちっとも嬉しくない紋をみつけてしまった。
さらに別の解釈は無いか
また、ほじくってみよう。


右手にもでてきた・・直感線?

最近、右手の直感線が急激にはったつしてきた。

左手ほどじゃないんだけど・・・。

実際、オーラの色?が判るようなきがして

逆に、オーラの色の意味を調べたりしてきてるんだけど、

それで、逆になるほど、だから、この人はこうなのか・・。

と、わかるという。

以前、全体に感じていた幻惑感がなくなり、

第6.7あたりのチャクラ、左目にエネルギー?を感じる。

と、いうピンポイントになり、

なにかしら、なにかがわかる。

判らない時は調べるんだけど、

それも何かふと浮かぶ。

識別能力というのか、よくわからないんだけど

かなりはっきりしてきた感じで

このあたりが、右手の直感線としてあらわれてるんだろうか?

もしかして勝手に命名した月桂環(親指のしたあたりの輪)も

頭上チャクラ?(こういう事をやっていないので、よくわからない)が

開いたかもしれないことにかんれんするのかもしれない。

今気になっているのは右手の中指の先の

線・・・。

でも、ひょっとすると、一本打ち打法のせいで、

キーボードに打ち込む角度のせいで、

こうなったのかもしれないと思いつつ・・・・

今までだって、何百万文字とこの打法で打ってきていて

いまさらというのもおかしかろう?

また、指の意味合いのところを調べてなにかわかったらかくべ。


続きを読む

主線から木星丘にのびる線

 

なんですか~~~~~この線。

と、いう状態ですが真ん中の2本はうっすらとしたもの

このさきどうなるかわかりません。

左から1,2,3,4.

1は向上線かな?と、おもっているもので・・。

上のほうで聖職紋の右の縦線もかねています。

2は指導線か?運命線につながるのかと最近騒いだ分です。

3は、自己顕示線ととらえるのが、けったくそわるいと、

支持線ではないかと、ごねた線で頭脳線から上がってきています。

4、感情線の支線で、本線ではありません。

群れる干支の人がこうなると、リーダーになるといわれている線です。

*主線といわれる、4線(生命・運命・知能・感情)全てから

人差し指の付け根付近まで、線がでています。

こうなると、手相をみて、自分の進むべき方向を探るというのが、

こわくなってくるような。

4本そろうとどういうことになるのか?

どう鑑定していけばいいのか、考え中です。

これとは、別に1を含むのですが、

生命線から各指にむかう線があるわけで・・

四喜紋ではないのですが、これもある。

途中報告でした。

人差し指の下の十字(かな?)

久しぶりに手相です。

相変わらず右手の運命線はのびています。

1年ほど前と比べると5mmくらい伸びたかな。

で、右手と左手のかんさく?眼もしくは、フィッシュらしきものは、

気がついたあと、宝くじがあたるからかえといわれ(誰に?)

買って当たりました。3000円/大笑

古い人だったのでしょう。3000円はきっと大金だったのだと・・。

でも、相変わらず右手。人差し指下のフィッシュはあります。

で、左手のフィッシュ?らしきものは・・・・。

スクエアーとも見える形にも・・・。

パッとみると、十字形のほうがよくみえます。

十字の大きさも1辺が1,5cm近くあるので、気になって調べてきました。

スクエアに見えるのは二重ソロモンの輪に斜めの縦線が平行して並んでいるせいでもあります。

その右側の交差がはっきりしているので、十字に見えます。

見ようによっては、ソロモンの輪の成長?を止めて、きってしまう縦線にもみえるわけで、

やっぱ、障害線か?

などと思いながら、まずは、人差し指・十字というログで検索してきました。

で、勝手に又も拝借してきました。もちろん、憂生の手を見たものではありません。

人差し指の丘にあるxは神秘十字ではなく、変形ソロモン環に運命線の飛び線が突っ込んだ形です。普通、ソロモン環に十字のかたちで入っていく線は、小さくとも運命線の仲間ととるんです。感情線の支線でも、方縦線でも無いはずです

障害線ではなさそうな・・。変形ソロモンの輪ですか・・・?

あなたいま、何か権力的なものに関係持っていますね。権力の丘の十字は、その人が公的であれ黒幕的であれ、権力決定に関与出来ない人には絶対出ません。

権力?しいていえば、物書き同盟か?

こりゃ、カテゴリーつくらんぞ!!って?

木星丘に現れる縦線を希望線と言います。
強い希望や意志を持っている人は主にこの部分に現れます。

強い意志?縦線は昔からあった。

その時もなんの意志があるやらとなやんだものである。

いし、ちがいか?結石があるとか?・・・・・ありえん・・・・。

+印が現れた場合には、強い意志が潜在意識にも刻まれている証拠です。
なるほど。潜在的だから、わからんのだな。

それが、#の形になったら、人に何かを教える立場になったことを表します。
願い事が叶う前にもこの印がはっきりと現れてきます。
教えてるかもしれな~~~~い。スパムの対処のしかた~~~~~。

千金紋と言います。土星丘(中指の付け根)の線なので、最初は相当な努力が必要ですが、後に大成功を収めます。貧者から一転して富豪になる相です。

これは、右手にくっきりとある。いろんなことを言われていて、人殺し?をするだとか、

どさくさにまぎれて、成功するとか(極端に考えると武器商人とかか?)

はたまた、ピンチを逆にばねにするとか・・。

性的にだらしがないとか?

で、千金紋なのか?まあ、後になれば・・わかるな。

ソロモンの環(ソロモンリング)と呼ばれています。
何千人と見るプロでも見たことがない人がいる程に珍しい手相だそうです。
あのソロモン王が授かった魔法の指輪の意味で、第六感があり、占いや動植物、鉱物などの自然界と会話する能力があるそうです。

変形ソロモンがあるということで・・・。考えますと・・・。ごくたまに、予知らしきものをささやかれるような?思わされるような?そんなのがありますから・・・。あたってるのかな?

常々言ってますが、憂生はシックスセンス・・最近はシックスセンスも意味合いが違いますね。

第6感っていうほうがあってるかな。

いわゆる、霊能力者とか?こういうのでなく、なにかふっとわかるって感じです。

勘の鋭い人みたいな感じで霊能力者とかによく見られる仏眼紋とかありません。

でも、催眠紋だったかありますね・・・。

神秘十字は常軌の形ではないので、あるといえるのかどうか?

これもでかいです。

感情線の枝?線が薬指のしたからでていて、

それが生命線まで届いていて頭脳線が二股で下方の線が上部の運命線にかさなって

手のひらの中央で十字を刻むので3cm×3cm以上ありそうな、十字なので、

これは、ちがうんでないかと思ってる。


太陽十字線などもあります。
この線は、人差し指の下に出ます。
これも人をとかかわる仕事によいでしょう
芸能人いいですね。芸術関係もよいです。
色彩感覚や文書能力にすぐて 霊感・・・・間を読む・インスィピレーションが、働くといわれます

インスピレーション。ああ、そうだなと思いますね。

丁度、空に架かる橋のコメント集よみかえしていたんですが、

書いていますね。

「構想は練りに練った物でない。閃いたことを逃さずものにする。

ワンチャンスを逃さない。これが物書き。」みたいなことを・・。

文章を書いてるときとくにそう思います。

まさに閃くです。

つ~~ことは、この十字がこくなってくるってことは、ますます閃くってことですかい?

ちっとも、閃いてません。むしろ、停滞気味で・・。

もしかすると、内なるエナジーとして有り余って閃きが紋をきざんだ?

あ、こういう考え方をするところがやっぱ「閃き」でしょか?

だとしたら、合ってます。

以上、憂生と薬指の下の十字の話でした。

指の中の縦線・横線

手相には、いろいろなものが刻まれるようだが、

昨日書いたように、指の中に刻まれる線については、あまり詳しくない。

指の中の線について、いえば、俵紋などといって、

俵のように線が刻まれると鐘に不自由しないという。

確かに憂生には、これがあって、

自由なことは無いが、ピンチに陥っても不思議と金繰り算段はついてきている。

元々、金は天下の回り物。

あるいは、いつものせりふ。

「しでかしたことは自分にかえってくる」のだから、

自分の所に溜め込むのは好きじゃない。

出したらいずれ帰ってくる。

このサイクルの出来が俵紋だろう。

縦の線は何とか理解するとしても

いっとう、判らないのが指の中の横の線である。

縦に何らかの意味合いがあるんだから、当然、なにか意味があると

思い込んでいる。

ひとつは、判る。

指の根元にできる線であるが、

これが、目の形をしている道眼紋といわれるものがある。

親指のところの場合は仏眼紋となっているが

その人間の人を見抜く力とか、精神性(仏道的なものや、シックスセンスにもつながる)

に、係わるようである。

その横の線が指の中に何本も刻まれる。

はて?

これはどういうことだろうか?

まだ、答えは見出せていないが

手相という世界観だけでは、判断できない気がしている。

もちろん、手相には、いろんな観念がきざまれていると考えるから

手相の世界観も縦横無尽なひろがりはあるはずだ。

だが、

どのひろがりをつまみ出せばよいのか。

つまみだせないから、手相書のなかには、かかれていない。

と、考えられる。

新しい角度、違う視点から、解釈しないとわからないのかもしれない。

ただ、ひとつだけ、思うことがある。

これも杓子定規をそのまま、平行移動する考え方でしかないが、

縦の筋と横の筋。

こういういい方をすると見える気がする。

縦の筋といえば親子関係とか師弟関係、上司と部下の関係。

まだまだ、拡大解釈は出来るが一種上下の関係といってよいと思う。

では、横の筋。

夫婦とか友達とか兄弟とか同僚とか、自分の横に並んでくるもの。

こういう風に考えられる。

と、なると天下筋。

中指の中まで運命線が刻まれる。

立身出世。天下を取るといわれるが

これもうがってみれば

縦の筋、それも特に主従の上下関係という縦の線。

そして、此処にも

「しでかした事が帰ってくる」を当てはめる。

信長の下でいかに「従」を尽くしたか。

これが、また、帰ってくる。

「従」が帰ってくる。

その姿であろう。

歴史部分と照合をしていくと

憂生風の解釈も加わるので長くなるので省くが

とりあえず、指の中の縦の線が上下関係として考えることが出来るとしたら

横の線は横に並ぶものの現われと考えてみたい。

ん・・だけど。

いかんせん。

資料が少ない。

自分の手だけ見ていても、独断になる。

「指の中にこの線が出たとき、こうだった」という統計もいるだろう。

ただ、指の3っの丘?敷地?(両手で30あるという計算になる)

此処にもそれぞれ、意味がある。

もしくは先に書いたように

指ごとの意味合いというものもある。

ここから、類推していくしかないのだろうが、

肝心な横の線をどう解釈すればよいか・・。

横の線というと障害線とも考えられる。

逆に指の中にまで

十字紋がきざまれていたり・・・。

う~~~ん。

課題は多いなあ・・・。

右手の直感線

右手に顕れた直感線はなんとなく、嬉しい。

いままでは、左手が現す直感線。

つまり、潜在能力としての直感だったのではないかと思う。

だから、なんとなく、こう思うが、

あたっていて、それで、人生乗り切ってきたところもあるような、

ないような・・・。

右手に出来るというのは、

あるいは、根拠がある直観力といえようか。

前なら、こいつ、しにそうだぞ。

なんちゅ~~うたとえじゃ。

こういう、漠然とした直観力だったのが

逆に、こいつの考え方、物事の受け止め方じゃ

えらいめにあうぞ。

と、いう根拠からの直観力。

で、これは当然、自分にあてはめる。

前は自分が漠然と死にそうなので

その根拠をかんがえてみた。

今は、この思い方をしてたら、

えらいことになる。と、いう根拠が浮かぶ。

右手は顕在

左手は潜在

こう言う風に考えてるから

右手に直感線がでてきたということは、

物事の筋道がみについてきたからかいな?

うらうちというか、

箔というか、

これがなきゃ、たぶん、右手には顕れない。

実際、文筆業の才能は潜在的なものとしてしか

あらわれていない。

これが、右手に顕れるような事があれば

作家になれるのかもしれない。

が、

どうも、憂生の執筆活動は

自分の潜在的認識を

顕在的認識にかえる、自分だけの

創作活動なので

右手にでることはないだろう。

実際、箱舟をかきながら、

いつものごとく、なにかを暗示しているとは思った。

相変わらず、わからないまま、かきおえて、

半年以上たつか。

昨夜、ふと、わかった。

まあ、いろんなとりかたはできるとおもうけど、

憂生のなかでわかった。

そんな風に(どんなふうに?)

自分になにか悟らすための

天啓のようなものがある。

だから、その分野で売れるようになることが

ほんらいでない、

自分のための才能?なので、右手にでることはないだろう。

と、まあ、直感線の話ばかりでなく、

それが、どっちにあるか、ってのがもんだいで、

左手にあれば、「天分」

右手に有れば、自分の苦労?などにより

きざまれる、「自分」

だから、右手にでてくるというのは嬉しい。

実力・本物?にちかづいてきたようで・・・。


運命線

運命線は何本もでるそうで、こうなると、これは、運命線か?知能線か?と悩むものがある。

と、いうのも、憂生の知能線は二股に分かれている。

右手において、下の知能線は中指と薬指の真ん中への運命線と月丘から伸びる線と

一部重なり合う。

ところが、左手はほぼ同じ場所に知能線の二股があるだけで、

運命線とは重ならない。

重ならないのは、左手の運命線が生命線の切れ目を補佐するかのようにあがっているからだと思う。

ところが、この運命線の先端が二股の知能線の分岐点に向かって延び始めている。

こう、考えると、右手も左手も

知能線の下向きの支線(伴に月丘に届いている)は運命線とも考えられる。

そして、右も左も下向きの知能線の分岐より1cmほど下の線上から運命線が伸び上がっている。

右は完璧に重なっているが、左手は生命線を補佐したせいか?

重なりは無い。

さらに、下の知能線から上に伸びる運命線は右も左もさらに二股に分かれている。

一方は先に書いたように中指と薬指の間に抜けていく。

もう一方は感情線の二重?部分(先のほうで切れているというべきか?上部に平行するかののような、続きのように、太い線が並んでいる)と重なり中指と人指し指の間に向かっている。

が、中指と人指し指の間にまでははいってないのだが・・・。

両手とも中指と人指し指の上部分から線がでていて、この運命線?につながっている。

と、図がないのでさっぱりわからないのだが・・・。

形だけを言えばいろいろと憶測ができるので、次のスレッドに思うところを書いてみる。


マネージメント線

http://homepage2.nifty.com/froms/tesou.html

また、盗人になってるんですが・・。

どうも、マネージメント線らしきものがうっすらと見える。

それも、二重にならんでいるので、

おい、なんじゃ、こりゃあ!!

と、またもネット検索。

で、下のところをまとめて、いただいてきて、(すびばせん)

またも、憂生風解釈をしようという算段です。

人を見抜く能力があり、人を雇ったり、協力することで成功する相です。
#の形になったら、人に何かを教える立場になったことを表します。
あのソロモン王が授かった魔法の指輪の意味で、第六感があり、占いや動植物、鉱物などの自然界と会話する能力があるそうです。

人を見抜く能力があり、人を雇ったり、協力することで成功する相です。

と、書かれているマネージメント線が見えるようになってきたのは

昨日くらいでしょう。

一晩ねたら、そだっていた。

寝る子は育つなみに・・急成長です。

で、マネージメント線といったって、

何のマネージメントですか?

って、ことになってくるわけです。

急成長するようなことがあるとしたら、

まあ、協力とか、あとおしをしているかな?

って、ことがおもいあたるわけですが・・。

え~~~~。

はっきりいって、

妙な言い方ですが、スピリチュアルな能力で

おとおしするという内容は

実は「スピリチュアルな能力を使うな」

(借り物でなく、自分の中から引き出せ)

と、いう実に矛盾したことをいっているわけですが・・・。

このあたりの詳細は日記にいろいろ書いてますので省きます。

が、言葉の額面どおりにとりますと、

いわゆるそういう能力は「程度が低い」

と、かいてるみたいなもので、

こりゃあ、理解されないだろうな。

と、思いつつ、憂生のところにやってくる

「なにか」からのメッセージを本人の目にふれるように

日記にかいているわけですが・・。

これやると・・・

すぱ~~~~~~と引かれる・・・・。

まあ、いいや。

本人にどう思われようと・・。

問題は「なにか」のほうだ。

ってなもんで、開き直ったのが昨日。

そして、手をみたら・・・

ありゃ?

マネージメント線が明瞭になってきてる・・。

これで、なんか、ほっとしたっていうんでしょうかね・・・。

間違ってないというか・・・。

あとおししてるぞ。

って・・。

で、

人を見抜く能力があり、人を雇ったり、協力することで成功する相です。

の部分の人を見抜く力というのは、日記にもかいていますが、

かなりのところまであります。

と、いうか、因縁部分と言っていいと思います。

ただし、霊能力者とかヒーラーとかこういう人じゃないので、

どういう因縁かなんて、判らない。

因縁をかえていく?行動や言葉を相手に渡す。

で、それさえ、そういう事をやってるという事に

自分でもきがついていない。

はい?

たよんない?

ですね・・・。

そして、変形ソロモンの環があり、ここに#の形があります。

#の形になったら、人に何かを教える立場になったことを表します。

そして、ソロモンの環というものの解釈はいろいろありますが、

あのソロモン王が授かった魔法の指輪の意味で、第六感があり、占いや動植物、鉱物などの自然界と会話する能力があるそうです。

おまけをいえば、このソロモンの環は裏指輪みたいで、中央の宝石?部分の台のようなものが

-○-みたいなかたちで、木星丘にでています。

でっかい神秘十字に

運命線は前世からのびあがりはじめ・・。

もう、不思議な力を認めてやってもいいか/笑

で、手相にでてるから、って、こういっちゃあ、いけないけど、

まじ、あとおしする言葉を吐きます。

だけど、憂生はおかげ信仰がだいきらいなので、

開運とか、ノウハウとか、ってことじゃなくて、

そういう風なところの見方をかえていったらいいんだな。

とか、

そういう思い方をかえていかなきゃいけないな。

とか

こういうことを、日記の中、

不思議な話、

ここには揚げていませんが

物語・・などなどから、

まあ、格好よく言えば

求道的な視覚でうけとめてほしいということと、

時に「なにか」からのメッセージをかいているということがあり、

そこを、問い直して欲しいと思うわけです。

いや、手相の話からずれてしまったけど、

まじ、手相は自分の状態を反映してきます。

調理関係の人間だったせいか、肴紋もあるし、

そこそこ才能?があるのか、筆致紋もあり、今物語りも80編(200万文字以上かな?)

かいたり、出版の話もあったりとか・・・。

名声や地位みたいなのを重んじる線が木星丘にあるわけですが、

自力で成し遂げたい(運命線から伸びる太陽線)ってのがあって、

これが、物金にはしらないというか、

物、金、でなく精神性の部分で自己開拓をなしとげたいって風になってきていて・・。

そういうのだから、

おかげ信仰や開運法を使って、良くなるってのが、

どうしても気に入らない。

で、あげく、これをはっきり言う。

両手にものの見事な反抗線だったかな。

正義感みたいな(自分勝手な正義感ですが)なものに

突き動かされて、言わずにおけない。

まじまじまじ・・・。

に、手相ってあたってしまうと、思う憂生です。

運命線その2

先に書いた記事 から、右手の運命線が感情線の支線?と知能線の二股(下部)に合流している。

中指と薬指の間に入る線は親指の根元近くから、弧を描く線ともつながりつつある。

この弧の線は火星環とも取れる。

運命線の変形とも、ソロモンの環の変形とも言われ、解釈はさまざまある。

性愛線というとり方もある。

性に関る病などの心配を指摘する書もある。

憂生の中で一番納得するのは

混乱(ピンチ)に乗じて好機を得るで、

これは、よく行く手相サイトの管理人もそうだった。

憂生も実際、失業や私生活の部分でかなりの打撃をうけ、

一時はノイローゼになった。

今はそのどさくさ最中に、転職し、けっこう在宅ワークがあるおかげで、

旨物画像などに取り組んでいる。

旨物と同時に物語の中の「食」を物語とともに書き出してみたり、

憂生としては、なにかしら、先行きに希望とはりを感じている。

こういうことがひょっとして「好機」になる土台なのかもしれないとも思う。

そう考えると、知能線の二股、下方が月丘に届き、運命線と重なり、

中指と薬指の間に入る線が語ることを信じたくなってくる。

二重知能線は二つの才能を表す。

月丘まで延びる線は、芸術、創作方面に向く。

知能線から出発するとも取れる運命線は才能の開花。

薬指と中指の間(あるいは、中指と人指し指の間)伸びる運命線も成功を暗示する。

左手は中指の名元近くでさらにふたまたに分かれる。

文筆業と調理の二束のわらじか?

右手の人指し指の下には、フィッシュか?

かんさく眼?と呼ばれる瑞兆もみえるし、

肴紋と呼ばれる(ご馳走される紋)もあれば、

左手にはひょっとして、?

六角形あるいは、はっぱのような紋が運命線に絡む。

これは?

やっぱ、調理プラス執筆=レシピ本を出す?

か?

まあ、よくは判らないが、この線がどうなっていくか、見てみたいものである。


続きを読む

占いの取り扱い方

占いは、自分の性格とか、運勢とか、みることによって、


自分や、因縁を知っていくということなんだろうと思う。


で、あるのに・・・。


憂生の友人。


印鑑を作らすという姓名判断の手合いにひっかかった。


占いは


ーあなたはよく考えず、自分ひとりできめて、失敗しやすい

人の言葉にだまされやすい。物事は慎重にー


みたいな内容がでていて、


その運勢の流れをかえるのに、

印鑑の字画をあ~やって、こうやって、かえるといいのですよ。

守護的にも、象牙とか、こういうのが、運勢を強めます。


と、いわれ


30万の印鑑をかったそうだ。

どうして占いのほうを信じないんだろう?

まじ、占いそのまま。


ーあなたはよく考えず、自分ひとりできめて、失敗しやすい

人の言葉にだまされやすい。物事は慎重にー


印鑑などで、運勢はかわらんとはいわんが、


占いにでてくる自分の性格は有益な情報だと思う。

時に

その性格が結果をつれてくる。


まあ、憂生自体は因縁なども教えてくれるとおもうし、

自分がそういうものをもってるよというあたりについては、


どうしても、それを教えてくれる占い結果がでるのだとおもう。


最低の49画だったかなをもつ人はたしかにそういう人生をあゆんでいったけど

それは、また、その人が生まれたときに

ーこういう因縁をもってるから、(さけるでなく)心して通っていけよー

と、いう

因縁納所のための手引きだと思う。


ので、印鑑販売の手口にはのらなかった。


みたいなことを話していた。

占い【カテゴリ】なんだけど・・

憂生の場合の占いには、憂生のシックセンス?が微妙にからみあっているので、

@不思議な話というカテゴリを設けます。

えっと、憂生’s/白蛇において、妙に人気がある記事が手相なのですが、@不思議な話との関連を知らずによんでいる人もおおいと思います。

憂生は占い師でもなければ、霊能力者でもなく「直感」を頼りにしている人間ですが、その直感が、占い記事に出ていると思いますので、不思議というか、スピリチュアルな話もおさめていこうと思います。

こういう「直感」が、手相にもでていて、多くの物語や、旨物などへのセンスに影響をおよぼしているとおもいますし、不思議部分があるせいもあり、物語「白蛇抄」(陰陽師物)を書かせた基でもあるとおもいます。

ん?

こんだけ?

ま、いいか~~~。

宿命大殺界まであと8ヶ月?

数ちゃんの占いをあてにしているわけではないが、


微妙に当たっている。


前の記事で日付をいれていなかったため、

さだかでなくなっているのだが


3年続きの大殺界があったあとに

宿命大殺界が20年続きではじまるとなっていたとおもう。


10年ひとくくりの宿命大殺界が連続で続く。


人によっては

子供のころ、100歳以降。


などと、いう組み合わせで

宿命大殺界なるものを、変化期?にむかえ無い人もいる。


30歳くらいの人で

「あ、もう一回目おわってる。次は90歳だと。

いきてるか、どうかもわからん」


などという手合いである。


宿命大殺界にも、いろいろな運気があるようで

行動的になる。環境がかえたくなる。なんてのがあって、

これが、たとえば、40歳くらいの男性にでれば、

今までの仕事をやめて、起業するとか。

(で、よくなるか、わるくなるかはわからないが)

40歳くらいの家庭の女性だったりすると、

不倫につっぱしって、家族をすてて新しい生活にはいってしまったりとか、


衝動につっぱしってしまいやすくなるなんていうのもあるらしい。


憂生は、最初の10年がとにかく研究熱心になるらししい。

次の10年でその研究した内容を論文にして発表したりとか?


2年ほど前に、馬鹿のように、スピリチュアルや歴史をしらべまくった時期があったのだが、

さては、計算間違いだったか。

宿命大殺界が始まったのかと思った。


が、しばらくしたら、汐がひいてしまった。


アイドリング、ウォームアップだったのかwww


かくいいながら、


今は通常の大殺界の3年めで

なにかしら、すこし、気分が上がってきているとは思う。


昨年まっただなかは、作品一本もかくきになれず、

ライフなどばかりやっていた。

そのころに、ぶつぶついってるのをみると

「机上論、想像論理でしかなく、一種むなしさを感じる」

などといっているwww


が、今年度3月になってきたら、

まだ、書く気になりきれてないが、

それでも、ぬながわひめを少しかいた。


今までの日記などをよみなおして、

書いたもののなかに

自分の基本路線があると思える「考え方」を見つけなおしたりしている。



失語症気味なのは相変わらずなのだが、

あるいは、いらぬ贅肉のそぎおとしのほうに

今は重点をおかされてるのかもしれない。


判っているものほど、簡略に説明できる。


簡単な言葉で表現できるというのも

大事なことだと思う。


あるいは、研究熱心になるというのは、

何か他のものを調べるのでなく、

今までの自分を(文体エトセトラ)調べ上げるという

意味合いなのかもしれない。


20年続きの宿命大殺界、


井戸掘りからはじめるようである。


ただ今、宿命大殺界4年めがおわりかけ・・


人体実験による、考証はまだ・・16年あるということか




皮算用は成り立たない。

友人の買い物につきあって、ショッピングセンターにいったときだった。
あれこれ、プレゼントひとつに迷い、
あげく、梱包してもらうのに、時間がかかっていた。
つまらんから、うろうろしていたら、
姓名判断ののぼりをかかげてるおっさんが閑そうにしていたので、友人と友人の彼女の名前をみてもらっていた。
まあ、結果は良かったので、それで、終わりのはずだったのに、まだ、梱包が終わらない。
閑そうなおっさんと
閑な憂生。
おっさんは、見かねたのか?
自分の閑をもてあましたのか?
あんたもみてあげよう。
と、いいだした。

で、
「あんた、飲食関係の仕事がいいよ。
かなり、上までいける」
そうか?
でも、どっちかというと、物書きやっていたいんだけど・・・。
「でもな、手相みたら、知能線ふたまたで・・」
と、言いかけたとたん
「どれどれ」
と、手を出せと合図する。
え?おい?
姓名判断つ~のは、手相もみるのか?
と、思っていたら
手を見たとたん、もう一度画数をみなおして、分厚い本をとりだしてきた。
「あ、あるな・・。うん。字画だと、出版とか広告とかそういうほうも、向いている・・」
こっちは、物書きの「も」の字もいってなかった。

そして、それから、1年以上たつか・・。

今、旨物レシピ&画像という
「調理関係」もやっている。
物語はとまってるけど、レシピとか、こういうものも、ひとつの書き物だろう。

だが、広告。
「企画に発想がある」と、いう。
広告関連は実はデザインに興味があった。だが、へこたれてしまったわけだけど、企画・・?

今、ひとつ思うことは
大きな食品売り場に入り込んで
画像付きレシピをおく。
ちょっと、かわったメニューでありふれた素材(その食品売り場の素材と連携させる)で、購買意欲をそそる。
レシピもたびたびかえながら、各素材うりばにて、いくつも置く。

あの店に行ったら、おもしろいメニューがある。
そのまま、そこに売っている素材でできる。

と、画像ひとつで、売り上げが倍増。
売り上げが上がった分から憂生に画像&企画代金をはらう・・・。

あはは・・。
店そんなに、儲からないか・・。

そんなんだったら、店に勤めてる調理人に仕事の一環でやらせるか・・。

あと、レシピ本の発行とか・・。

あはは・・。

先立つものが無い!!

帝旺ー捕運から

簡単な四柱推命をやってきた。


よくわからないのだが、


思うところがある。


補運というところに、帝旺というのがでている。


最強運らしく、あとは下がるしかないというwww


この、最強運というのが、手相にも出ていると思う。


だいぶ、薄くなったが火星環というもの。


諸説ある線であるが、

あてはまるのが、

「混乱に乗じて好機を掴む」みたいなところ。


実際、人生ぐちゃぐちゃになりそうな場面になって、

相当、すさむのだけど、

なぜか、ぐちゃぐちゃにならずにすんでいる。


だいぶ、運勢がわるいので、無事にいるだけでも

好機そのものであるといっていいwww


また、これも右手からなくなったか、

見方をかえれば、馬鹿でかい神秘十字。

右が馬鹿でかく、左は普通サイズといえるか。

それでも、ど真ん中で太く、大きいほう・

(線が太いのは苦労するらしい・・)


これは、先祖などの加護があるといわれるもの。


補運といってもいいのではないだろうか。


実際、徳の高い先祖がお前を護っていた。という話も以前に書いている。


生命線も一時期、ぶっつりきれていたが、

かろうじて、沿線があって、いきのびていられた。


火星環が薄まったころに(この混乱でしんでいたのかもしれないww)

生命線の切れたところに、薄い線がでてきはじめなんとか、手首ちかくまで、

線がつながっている。


なにか、わからないが、

補運というところに、帝旺。

なんで、捕運にでたのかわからないが、

他の占いでも、

やはり、なんらかの援助・協力・加護などが

書かれている。


逆にいえば、よっぽど、悪い運勢なんだろうねwwww


やはり、占いというのは、

なにかしら、見えない部分をいいあてるものなのかもしれない。

リーダー線とな?

リーダー線という線が高山東明氏によって、確定され

著述されていたのを、読んでいた。

リーダー線は生命線上、または数ミリ離れたところから出発し、

中指の付け根にむかう斜線で、希望線とクロスする線(出展:手相術 高山東明著)

これに寄ると、人を引っ張っていく人に現れる。この線がある人はとても頭が良く、

上手に人を使い、まとめる能力、育てる能力もある。

あと、こうい線がある人へのアドヴァイス部分がありますが、これは、本をかって、読んでください。(これ以上書くと、著作権侵害ならびに営業妨害になります)

と、まあ、これを書き写しただけじゃ、憂生の嫌いなぱくり。

人のふんどしで相撲をとるってことになりますので、

ここから、少し憂生が思ったことを書いていきます。

で、憂生にこの線があるか?

気になるので、見ます/笑

微妙ですが、あります。

それも、希望線(四喜紋の考え方でいくと*向上線*かとも)とクロスします。

なおかつ、ソロモンの環と下線(二重ソロモンの環)にもみえますが、

前述したように、運命線(向上線ともいえる)の飛び地によって、

変形ソロモンの環と考えられるわけですが・・・。

この向上線とソロモンの二重線。

プラス、生命線の始発点あたりから、もう一本人差し指に

むかう向上線により、スクエアが出来ています。

この場所のスクエアは聖職者とか、教師とかにできる、聖職紋にあたると思うのですが

ソロモンの環の二重線によって、スクエアができているというのが、妙な物です。

で、元にもどして、

リーダー線というものが、広義において、ソロモンの環も含むんじゃないか?

と、思ったのです。

実際、ソロモン王という人がリーダーであり、かつ、聖職者(日本的に言えば巫?)

で、上に書いたことをはりつけますが

これに寄ると、人を引っ張っていく人に現れる。この線がある人はとても頭が良く、

上手に人を使い、まとめる能力、育てる能力もある。

これもソロモン王(ソロモンの環)に当てはまるでしょう。

今度は憂生の右手を見ます。

このソロモンの環も真ん中が繋がっていません。

親指側からと、中指側からとの斜線があるだけに見えます。

そして、親指側の斜線はフィッシュを描き、フィッシュの背から尾の線は希望線ともみえますし、

ここに又も人差し指の下の十字があります。

さて、またも、見えにくい線をみつめていきますと

右から、左からの斜線の真ん中部分、少しゆがんでいるので

スクエアとはいいがたいか?

四角張った瞳のような紋があります。

丁度、丸四角い指輪を反対むきにつけたような・・あるいは、

指貫?裁縫の道具に針の頭を押さえる道具・・・のようにもみえる。

さらにこの中にまた、スクエアがあります。

こうなってくると、リーダー線はソロモンの環にもあてはまるか?

って、ことより、

いったい、全体、ソロモン王とは、いかなる人であったのか?

ソロモンの環というものが、何故、ソロモン王にたとえられるのか・・・。

こっちが、きになってしまって・・・。

これでは、占より、歴史を齧ってみるではないか?

とも思いつつ、ウィキよりとってきました。

まずはここまで。

ソロモンヘブライ語: שלמה‎ Šəlōmōh Shlomo, ギリシア語: Σολομών, ラテン語: Salomon, アラビア語: سليمان Sulaymān, トルコ語: Suleyman, 紀元前1035年頃 - 紀元前925年頃)は旧約聖書の『列王記』に登場する古代イスラエルイスラエル王国)の第3代の王(在位紀元前965年 - 紀元前925年頃)。父はダビデ。母はバト・シェバ。エジプトに臣下の礼をとり、ファラオの娘を降下されることで安全保障を確立し、イスラエルの最盛期を築いた。

イスラエルの王ダビデは家臣ウリヤの妻バト・シェバと不義の関係を結び、夫ウリヤを死に追いやった。この二人の最初の子が神の怒りに触れて死んだのち、二人目の子として生まれたのがソロモンであり、彼は父の死後、アドニヤなど他の王位継承を狙う者たちを打倒して王となった。

ソロモンはエジプトファラオの娘をめとり、ギブオンで盛大なささげものをした。そこで神がソロモンの夢枕に立ち、「何でも願うものを与えよう」というと、ソロモンは知恵を求めた。神はこれを喜び、多くのものを与えることを約束した。ここからソロモンは知恵者のシンボルとなり、ソロモンが子供のことで争う二人の女の一件で賢明な判断を示した逸話は広く世界に伝わり、後に江戸時代の大岡裁きの話にも取り込まれた。シバの女王もソロモンの知恵とエルサレムの繁栄を見て驚いたとされる。

ソロモンのもとでイスラエル王国は繁栄をきわめ、ソロモンは初めてエルサレム神殿を築いた。晩年、臣民に重税を課し、享楽に耽ったため財政が悪化、ソロモンの死後、イスラエルは分裂、衰退していくことになる。その後は息子のレハブアムが継いだ。

長きに渡ってユダヤ教の伝承ではソロモンは知恵文学の著者とされていたが、歴史的な裏づけはない。

ソロモン(アラビア語ではスライマーン سليمان Sulaymān であり、その現代ペルシア語形はソレイマーン Soleymān、トルコ語形ではスレイマン Süleyman )はイスラム教においても預言者の一人とされる。スライマーンは知恵に満ちていたと同時に、アラブ民間伝承である精霊ジン)を自由自在に操ったとされる。

一説には神から知恵(指輪)を授かった、もしくはユダヤ教の秘儀カバラが記された『ラジエルの書』を託されたとも言われ、多くの天使や悪魔を使役したとされる。

続きを読む

「指導者は人・物すべてをあるがままにみとめなくてはならない」

手相のせいにしちゃいけないが、

いかにも、指導者になるかのような/大笑い

線がでているので、

本棚の中の1冊にひかっかった。

ゆずりうけた大量の本を前にしながら、

ほとんど、読まないという人間で

この1冊もノウハウチックで目もくれずにいた。

半分、宗教チックにおもえて、むかしから

よく見かける人の本だったが、読む気になれなかった。

松下幸之助である。

これが、ソロモンの環の解説のところに

松下幸之助が離れた場所にいながら、社員の心を察知するなど

こう言う能力なども指そう。

と、いうのがあり、

かつ先に書いたように、どこまで自分を把握しているかってことでもある。

と、松下幸之助の「自分把握」に興味があったし、

彼の把握する「指導者」とはどういうことだろう?

と、ちらりとめくってみた。

う~~む。

読んでみようというか、

照らし合わせてみようと思った。

しょっぱなからこうだ。

「指導者は人・物すべてをあるがままにみとめなくてはならない」

で、この言葉だけをよむとまちがえやすい。

「うのみにしてしまわなきゃいけない」

と、とりちがえてしまうということだ。

あるがままというのは、

個人の感情とか、色がついた見方でなく

そのもののもつ本質をそのままみつめることだろう。

悪いは悪いと

良いは良いと

これさえ判らないで、あるがままにうけとめるとはいうまい。

何も判断できず、うけとめるのは、あるだけとしかいえない。

まず己の感情の色をつけずにうけとめる。

これは簡単に言えば

「その人間を好きになることだ」

そして、悪いところは矯正してやり

よいところは伸ばす。

このよいところを伸ばす力?技?心も

悪いところを矯正する力?技?心も

もっているのが、指導者であり

そういう力があるから

「その人間を好きになれる」

あの部分けずってやれば、よくなるな。

そこがわかるから、

人をきらうことはない。

あの部分よいな。そこがわかるから

人をきらうことがない。

そして、指導力があるから、

ものの見事に削りもし伸ばしもできる。

これができるからこそ

「その人間をきらうことがない」

あるがままに見る。

簡単な一言だけど、指導者の条件だと確かにおもう。

そして、指導者の資質というものがどういうことかうかがわせる。

で、まだ、本文はよんでないんだけど・・。

こういう短いタイトルが100近くある。

ここまで、意識化しているというところも指導者の資質がなせる技だろう。

こういう意識化みたいなことについてもかいてあるか?

かいてあったら、どう捉えているか、興味のわくところである。

木星丘

底意地が悪いという言い方がる。

憂生は自分を思うとき、底意地が良いと思う。

それは、言い方をかえれば、素直でないということになる。

納得できないと、変わらない。

どうしても、なにか、腑に落ちない。

だから、多くのすぴ考えがおちてこない。

でも、実際は、「苦しい」

苦しいが、腑に落ちない考えかたで、

それをひっくりかえせることができない。

自分でひっくりかえせるものをみつけれるまで

「苦しんでおけばいい」と思う。

この

「腑に落ちない考えかたで、

それをひっくりかえせることができない。」

と、いうのは、裏を返せば、

真理をみつけることを指そう。

これが、手相にいやというほどでてる。

目的に向かっていく。

決して、あきらめない。

向上心。

ここをあらわす、人差し指の下。木星丘?の発達にくわえ、

向上線、指導線、ソロモンの輪、×紋。

なんの、目的があるのか、なんの向上心があるのかと

まったく、生きがいの無い人間は不思議に思っていた。

どうやら、自分が納得する真理をみつけたがるところに反応していたようである。

久しぶりに手相です。

またしても、金魚鉢線?と勝手に命名したまま、はったらかしにしてるのですが、

おりゃ?うりゃ?

金魚鉢をたしかめようとおもってみたところ、

感情線が、微妙につながっていなくて、おまけに薄いのですが、人差し指の側面ちかくまで、のびているじゃあ、あ~~りませんか。

なんじゃ、こりゃ?

当初、ますかけか?と思い、しらべにいきました。

あはは、図と合致しません。

するわけありません。

憂生には、感情線のほかに立派な二股の頭脳線があるのですから、

どうかんがえても、これは、ますかけじゃない。

つ~~ことは、感情線でさがさなければならないわけで、

さっそく、いってきました。

手相家の三堀貴浩:手相の見方暴露します。 

この方は本当に精通してらっしゃるし、解釈の仕方が深いし、まなざしが温かい。

いろいろなパターンの手相を知っていて、たいていのことなら、この人のものをよめば、かいてあるという状態なのです。

勝手におかりします。

なぜ、急に感情線がそんなところまで、のびていったのか?

これを知るために、いってみたところ、みつけたのが、

博愛主義の手相~思・・・ » 

です。

ほぼ似ています。

で、その内容の中の一言がー原因はこれだーと、おもいあたりました。

*この手相の人は言動からして、人からみると「キレイごとを言っている」とか見られることがあるのですが、実際はそんなことはないです。*

此処、最近、憂生は自分の本質をわからん人間とは、つきあいたくない/え?

みたいな大言壮語をかいています。

真摯に自分を見つめ、向上しようとしてきているから。とも。

「まさにきれいごとを言っている」ですな。

ところが、

この手相の人は過去につらい経験を乗りこえていることも多いので、その分人にやさしくできるのだろうと思います。

優しくできるかどうかは、なにをもってして、優しいかという基準がちがいますが、

ー死にたい奴は死ねばよい。自分のことをどうでも良い人間のことになんで、憂生が必死にならなあかん?-

とも、いっています。

つまり、この言葉の裏は

ー自分こそが尊いと自覚して、自分を大事にしてくれーって、いう意味なわけです。

なにかしら、此処、最近、ひとつ、ぬけた?(あ、元からだ・・)

え~~、そうでなくて、乗り超えた?みたいなところがありまして、

とにかく、見た目の優しさでなく、底辺部分での

ー自分でいきぬいていく力ーを身に着けて欲しいという思い方に変わっていったところがあるわけです。

それで、まさに奇麗事にきこえるようなことも平気でというか、自分のやってきたこととして、

前面にだしていくようにかわったところがあるのです。

憂生はそれなりにやってきた。

と、いうことを言い、その本質を見ろとまで、いうようになってきたのですが、

それが、ここしばらくで、そこから、あっというまに感情線が延びているわけです。

ーみんながんばれーという思いと、それをストレートに出していく部分とそれをいえるだけの「乗り越え」があったのは事実です。

そして、他のところで、こりゃ、金星環?かと迷ったこまごました線もでていました。

三堀貴浩さんという方は本当にお詳しい。

霊能者に多いタイプ・・・ » 

憂生は霊能力者は嫌いなので/このあたりの深い理由もちゃんとあります

正直、自分の不思議な部分が霊能力なのかい?と思うと、やりきれない思いがするのですが・・・。

★感情線の上はインスピレーションに優れた人、精神を大切にしている人に線がでやすいですねグッド!

ここに線が出る人もまた、スピリチュアルに大きく惹かれる人が多いです。★

と、いう解釈の仕方もあって、まあ、胸をなでおろすというか・・・。

実際のところ、この記事まで、

『精神』という言い方ではありませんが、「思いが元になってくる」「思いを救う」などということをのべておりますし、

インスピレーションというのは、また、創作活動のなかで、構成力とか、伏線の張り方、何気ない一言からほりさげていく視線をうみだしていくなど、まさに、インスピレーション(憂生は閃きと呼んでいますが)の賜物のところがあるわけです。

憂生は自分の手相を一種、生体実験/おい!

と、して、掲げています。

自分がかわっていったら、手相も変わるのだというわけで、

良い手相をきざめる思い方ができたら、いいなとおもっています。

金魚鉢環とでも、命名しようか/笑

まず、大きな変化は、中指に伸びていた運命線らしきもの。

左手の運命線は伏線状態で、手首から、生命線を補佐して頭脳線近くまで伸びる第1線。

あ、此処にも、変化ありました。

補佐されていた生命線部分は空白状態で途切れていたのですが、

薄い生命線が下降しだし、運命線が生命線に混じって補佐しだした下降点、あたりまで、伸びています。

生命力?自体が、生命線を補佐しているかのように、しばらく、並び、消えていますが、本線の生命線はそれ以降手の裏近くまで、伸びています。(右手は相変わらず、分断されていますが、これも、運命線のほうに一端、くっついて、生命線の再浮上先が、手首近くまで降りています)(謎の空白期間があるようです。病気とか?入院とか?暗示するのかもしれませんが、再浮上している生命線の両端にうっすら線がのびているようなので、かわっていくかもしれませんね)

第2の運命線は知能線から感情線まで、伸びていて、此処で、いわゆる変形ですが(横が長いので、横線は障害線なのかも)神秘十字を形成しています。右手はでかすぎる神秘十字ならぬ、神秘ナの字で、健在です。

そして、今回問題にしてるのが第3の運命線ですが、これが、実に、判断つきにくい形をしていまして、右手は3本ある?

一本は火星環と重なって、太くなって、中指の付け根←側にあります。

→側の運命線は、二重感情線?かな?と思う感情線に平行した、短い線を吸収して、一刺し指と中指の間に伸びています。

そして→と←の真ん中に短い↑線がでてきて、中指の付け根近くにまで、届きそうです。

は~~~~~。

と、まあ、此処までが前置きという状況になる、複雑な手相ですが・・。

いよいよ、本当のところ・・。

左手の第3の運命線です。

どこかに、え?土星環・・だったかな、そんなタイトルで、前の土星線?の写真を上げていると思うのですがそのときは、3本の第3の場所の運命線が、三叉になりそうな、妙な状況でした。

今、見ますとね・・。

どう説明していいやら。真ん中の一本が太くなり、形は )・・・う~~ん。

Dの出っ張った半円がある感じで、Iの下部分の場所が人差し指の付け根から4cmくらい、下。かなりでかい、半円《少し斜めに振りますが》弧というか、環というか????

ん????

うっすらですが、このIの下から逆に円があがっています。

人差し指←側下から中指の下あたりまで、環というよりも、ボール・・金魚鉢みたいな、半円?3/4円があります。

なんですか、これ?

あ~~た、おまけにソロモンの環がしっかり、二重になってます。そこに、向上線?が2本あがり、♯?井?を、つくってる。

あ・・・。

困った。

憂生は実はそんなに変化してないと思って、中指の付け根に並ぶ×ふたつのことを書くつもりだったのです。

よく見ると、×3に見えたり、重なるところがあって、スクエア2つにも見える。

これをどう、解釈してみようかと、思ったんですが、

見れば、見るほど、他の変化にきがつきだして・・。

例えば、中指のその運命線の←がわのぶんは、金星環らしきものをつくりはじめてる。

む・・むむむむむ・・・。

どう、解釈するか・・。

まあ、ソロモンの環あたりの「人の事がわかる」とかは、スピリチュアルを読んでくれれば、その通りだってわかるし、土星環とかの特長の研究熱心とか一人でこつこつやっていくとか?独自な考え方?とか?こういうのも、そのほかの日記。こういう人は小説家に向く・・というように、物書き作品111編ってなことをこなしてますし、このブログにもう一度分散した記事をまとめなおしたという事は、あるいはこういう「裏側証明」があるということになり、良いと思ったわけですが・・。

しかし、金魚鉢環ね・・。火星環の変形かな?

障害線か?

なにせ、ここ、しばらく、手相が変わる。

昨日も土星丘の縦線?のことで書いたばかりだが、

そっちに気がとられていて、他の線の出現にきがついていなかった。

感情線の上に平行して細い線が並んでいる。

2cmほど。

薬指と小指の間くらいの位置。

まただ。

なんじゃああああああ、こりゃあ?

なにせ、障害線や悲哀線?(これが、また不思議な形をしていて、目下捜査中)らしきものが

いっぱいある、憂生なので、またも、新たに増えたか、障害線!!

と、思い、その意味がわかるか?と、しらべてきた。

伏線は確か主線の意味を強めたよな?

と、良い結果であることを願いながら、

障害線でないだろう?と祈りながら(大げさなやっちゃ)

すると、

「非常に聡明で、性格も穏やかで、知性的な人。

文化的な面に非常に才能があり

職業によっては、大成功することがある」

なんじゃ、いいじゃんか・・・。

(完璧にあてはまると思いこむ、幸せな奴です)

だが、なぜ、こんな線が急にでてきたのか?

これも判る気がする。

文化的な面・・・。

ここしばらく、いろいろ、書いてる。

かなり、掘り下げて考えてるものもアル。

着眼点ということについていえば、

あるいは、「非常な才能」・・・と、言っちゃおう!!

なにせ、話が進まないから、一応、そういうことで、了承?

ところがである。

右手にあって、左手にない。

あるいは、左手にあって、右手に無い。

と、いう状況のものがいくつかあり

ピンチを逆に転換のチャンスにしてしまうという火星環は右手にくっきり。

四喜紋(と思いたい)人差し指のスクエア(右手はフィッシュ)筆舌紋・肴紋

土星環(?縦線?)は左手にしかない。

そして、ここに今日の一品が加わる。

右手は内面とか、もって生まれた運勢をあらわすともいう。

左手は外面とか、後天的運勢をあらわすともいう。

すると、ピンチ?を逆にチャンスにしてきた(火星環)の結果が左手か?

どう考えればよいか?とか、文章で考える⇒筆舌紋

調理関係をやめたけど、相変わらず、引き合いがあり、

町内の打ち上げなどを作る(奢れば奢られる)⇒肴紋

と、いうように、何らかのきっかけを良いもの?にしている。

左手のほうが気ずき線がしっかり入っている。

なにかしら、閃いたことを形(文章や料理・・)にしてきた。

まあ、これは、文化的な面といってよかろう。

なるほど・・・。

こう考えると、左手に顕著に現れるのは判る。

感情線の上、平行に並ぶ伏線の意味が↓であるとして

「非常に聡明で、性格も穏やかで、知性的な人。

文化的な面に非常に才能があり

職業によっては、大成功することがある」

これが、消えちゃいけんのだよな。

しっかり、刻まれなきゃいけんのだ。

だが、左手はもろに反映する場所。

あほげたことをかきはじめたら、一発でなくなったりして・・。

ためして、みようか?

続きを読む

ステップ

まず、ここに書きつけようと思ったときに

ないものねだり

って、言葉がうかんできた。

書こうとおもったことは、

占い師やカウンセラーのこと。

憂生という人間は自分の肥やし?にしてしまおうという考え方がある。

だから、自分の能力をいかせば、

スピリチュアラーの部分でも、なれる。

作家でも、なれる。(これは、過去、出版を断ったという経緯から

断言する)

占いもやれば、なれるだろうし、料理関係もやれる。

だけど、ぜんぶ、やらない。

なんで、そうなるんだろう?と思う。

チャンスをのがしているという見方もなりたつかもしれないが、

憂生はそう考えない。

すべて、自分のこやしでしかない。

で、なんで、そんなかんがえかたになったかというと・・。

ある占い師が「なんで、私があなたの悩みをきかなきゃいかん?」

って、ほかの占い師に客でいったのにそうなったことをおこっていた。

本人は占い師のあり方をうんぬんして、自分の勉強になったというが、

もうしわけない。憂生にはそう見えない。

ええかげんな占い師だからええ加減な占い師を見せ付けられる。

彼女の前の記事に

「人生に前向きでチャレンジしてる人間の手相をもとむ」

ってのがあった。

それが、おもしろいとのこと。

正直、ばかか、と、思う。

チャレンジしている人間は手相占いなんかしねえよ。

自分がどうやっていけばいいか、必死に努力してる。

自分の事を一番判ってる自分とむきあう。

そんな他力本願をやらない。

逆を言えば、占いをする人間は自分にまよう

後ろ向きでチャレンジ精神がすこし、かけてる人間。

と、いうきつい見方も成り立つ。

と、なると、占いというのは一種、迷いを振り切って

あとおししてやる。ってのが、本来。

そこで、その役をりかいしてやっていけば、

手相の見方もアドヴァイスの仕方も変わってくる。

前向きな人間でもさらにぷらすになるみかたをしりたいとやってくる。

そこが違う。

自分のやり方を云々せず、前向きな人間を求む。とは、なにごとぞ。

前向きな人間だからこそ、占いからでもヒントをえられないかとくるんじゃないか?

自分否定してる占い師が占い師にあるまじき、客に相談するのを見せられるのはあたりまえだろう。

だいたい、人の相談にのるってのは、「思いひとつ」でしかない。

あれはいや、これはいやはない。

どんな人でも包める、アドヴァイスが出来るのが占い師だろう。

あほくさ。

って、おもいつつ、

じゃあ、実際憂生が相談に乗るよってことを言わないのはなぜか?

(いや、こんなやつに相談にのってもらってもどうもならんはべつにして・・)

憂生はすべて、自分の因縁だと思っている。

そういう人間とおなじじぶんがいる。

相手を助けてるつもりで、自分が救われる。

だから、とてもじゃないけど、

そうだんにのるんじゃなくて、

自分が助けられると思うのに

それを商売にするわけにはいかない。

しょうばいにしたら、

相手へのぶつくさという(自分)が見えなくなる。

自分の因縁だと思わなくなる。

商売相手を自分の「たたき台」にするのも

研ぎ石にするのも失礼だろう。

そして、この因縁をクリアして

次のステップにいかなきゃならないのに、

そこでおわる。

まあ、ここが、ないものねだりなんだろう。

もう一つ上の「役目」が無い人に

それ以上を望む必要はない。

自分がもう一つ上のすてっぷにいけるかどうかがもんだいなんだ。

聖職紋?指導者のスクエア?

ネットを飛び回っていたら、
不思議な言葉に遭遇した。
モラハラ・・・?

判らない言葉なので、そのブログを読み続けた。

結果、モラルハラスメント。
と、判った。

セクハラといえば、詳細を書かなくても判る。

モラル・・のハラスメントとは?

簡単に言えば、言葉の暴力。

それが、なぜ、モラルなのだろうか?
モラルの解釈の仕方がなってないせいで、わからないのだろうか?
と、言うことで調べてきた。

モラル:道徳。倫理。人生・社会に対する精神的態度。

モラルハラスメントを与える側の
道徳心。倫理観。人生、社会に対する精神的態度・・・。
これは、極端に解釈すれば
精神的に屈辱を与えられたとかの、とうの被害者でなくてもモラルハラスメントの被害者になりえる。

たとえば、セクハラを行っている上司を見ていて・・たとえば仕事面はエリートであっても、個人的部分にモラリストでない上司を見てしまって、人間の持つ二面性を許容できず、人間不信に陥ったとする。

直接、自分がなにかされたわけではないが、間接的に傍観者(?!)がモラルハラスメントを受ける。

この軽い症状が、たとえば、新聞の事件などに憤る。

それらが引き金で人間不信を引き起こし、世の中に希望を持てず、自分の人生を破綻させるとなると、かなり重症になるわけだが、
問題は本人が知らずの内に、モラルハラスメントを受けているという自覚も認識も一切無いということだ。

そして、このモラルハラスメントの定義に従えば、人生・社会に対する精神的態度という定義で言えば、
知らずの内にモラルハラスメントを被ってしまって、上う賞の状態になってしまう当の本人が今度は、精神的態度のせいで新たな加害者側に回る。

ひどい伝染病より、たちが悪い。

ワクチンも無い。

自覚症状も無い。

そして、モラル・ハラスメントの恐ろしい所は、
相手側の価値観と精神を蝕んでいくということ。

モラルハラスメントのギャラリー?的立場にたった憂生もかなり、打撃を受けている。

そして、このモラルハラスメントというロゴを知って、ある程度、納得した部分がある。

モラルハラスメントの加害者は

道徳。倫理。人生・社会に対する精神的態度。(モラル)が発達していないか、未熟であるか、異常であるか・・だ。

その人間を矯正するのは、難しい。

難しいからあきらめようというのでもないが
まず、憂生自体が二次的被害者(ギャラリー的被害者)であったことを自覚できなかったように、
とうの加害者も自分のモラルのあり方を自覚していない。
正しい?モラルがどうあるべきかさえ知らない。

それを知っていった上で
自分を変えようとしないのなら
あきらめるしかない。
あるいは知ろうとする反省観を持たすことができないのなら
そこで、あきらめるべきだと考えてみたりもする。

あっさり、物を言っているが
この取り組みにより
ものすごいモラルハラスメントをこうむっている。
詳しく話せば
おそらく、憂生が何処まで情の篤い人間だと納得するか
あるいは、馬鹿が付くお人よしということになる。

最近は手相に聖職者?指導者のスクエアだったかな?
が、出ている。

この取り組みのせいかと
妙に納得している。

え?土星環?

生命線から人差し指に伸びる向上線?は次第にくっきりとしてきた。

人差し指の下のスクエア?も健在。

さて、さて・・。

なにか、かわったところはないか?

と、手を眺め回していると・・・・。

なんじゃあああああ?こりゃ?

と、思ったのが左手の中指の辺り。

中指の両側の麓から、運命線にむけて斜めの線がおりている。

で、憂生の運命線というのが、中指の下1cmくらいの地点で二股になっている。

麓からの斜め線が丁度、その補佐線のようにも見える。

最初に頭によぎったのは、ソロモンの環のこと。

変形ソロモン線とも捉えられる縦線がはいり、これは、障害線でなく、

運命線が飛び込んだもので、ソロモンの環ととれるという説。

このことから、中指の下の斜め線も、土星環の変形?と思った。

土星環については、あまり、よい話はきいていない。

最悪の人生、運命をたどる・・・とか・・・。

ところが、この斜め線を横線ではないし、運命線を補佐するために

斜めになったと考えると縦線とも取れる。

縦線になると、土星環とは違い、なにかしら、良さ気なことが書かれている。

縦線は丘の持つ意味を強めるとか・・・。

で、丘の意味をしらべにいってきました。

すると、労働、忍耐、思慮、克己心、自制心・・・・

むむむ・・・むつかしい言葉が並ぶじゃないか?

判りにくいので、さらに調べてきました。

土星丘です。ここは、忍耐と感情の制御力を現し自己を客観的にみる能力を現し ...

土星の丘に縦線が入っていると逆境に強いといわれます。

ふむ・・・。

少し判った気がしたのですが・・・。

逆を言えば、忍耐したり、感情を統制したり・・しなきゃならない場面に遭遇しやすい?

もっと、いえば、逆境に強い?

弱いよりいいけど、逆境に遭遇するから、こういう線がでてくると、考えたら

土星環も縦線もあんまり、意味は変わらない。

ようは、あんまりよくないよな?

おまけを言えば、逆境に強いというのより、もう一歩進んだ

一説にピンチの時に逆に成功をつかむ?とも言われる火星環が右手にある。

よほど、ピンチ・逆境にたたされるのかと、笑いだしたくなるのであるが・・・。

さらに言えば、神秘十字・手の平部分のスクエアなどなんとか、ピンチを緩和する?

乗り切れる守護?みたいなものもある。

こう、考えると、土星丘の斜め線は暗雲?

こういう解釈しかできないのか?

と、思い、ほかをあたってみた。

すると、あの手相の大御所であるお方の一文。

大御所様は骨身を削ってのことであり、文書を持って行ってくれるなとのことで、

ひっぱって、来るわけにいかないので・・・。

リンクしておきます。

土星環

で、読みに行ってきてくれたものとして書きます。

この大御所さま自体が土星環をもっていたように記憶します。

すると、「普通の人には出せない味を出すことができる為、一部の人から熱狂的支持を受ける可能性もあるとのことです」(ここ、まんま、コピーです。すんません)はそのまま、大御所さまにあてはまるわけです。

そして、土星環は特殊な性格を有すことをあらわす相ともかかれていて、

大御所さまの性格ははっきりしませんが、手相を語るとき、どちらかというと、生真面目な硬い感じをうけたのですが、魚紋のことをプライベートに書かれていたとき、笑い転げてよんだ覚えがあります。

こういうとこも、普通の人に出せない味、意外性などにも通じていると思えます。

一方、憂生自身を言えば、

かなり・・特殊な性格であるのはまちがいなく、芸術や文学で特殊な味をだせるなら、

物書きとしては、これは、喜べる線ではないか?

こんなことを調べるために、ネットを検索していますと、

手相家でもなんでもない憂生の占い日記が結構、上位のページ(検索の言葉によりましょうが・・)2ページ目だったかな?

に、でていたりして、・・・・。

「おい!」観たことあると思ったら、自分かよ・・・ってなことがあったんですが、

これもひょっとすると、

特殊な味をだせていたからかもしれない。

と、むりやり、あてはめますと、土星環も土星丘の縦線も悪い意味じゃないのかもしれんぞ。

と、密かにほっとしています。

で、大御所さまもこの土星環については、非常に個性的な性格であると書かれているのですが、

憂生は土星環がもつ、暗いイメージについては、むしろ、その通りだと思います。

かなりの苦労?や(精神的苦労も含め)艱難辛苦ってなものがあって、

これを忍耐、思慮、克己心、自制心(土星丘の持つ意味)でのりこえ、時にへこたれ・・・。

そんな事があったからこそ、

「普通の人には出せない味を出すことができる」ように、なれるのではないでしょかね?

そう考えると、

土星環のもつ暗い意味・・があってこそ、「普通の人には出せない味を出すことができる」

同じ意味じゃないでしょか?

だとしたら、土星環があろうと、くじけず、がんばっていける忍耐、思慮、克己心、自制心があり、いずれ、それが、自分の運命を切り開く・・・。

と、まあ、こう言う風に考えれば、ゴールの先にあるものは良いものでしょ?

だいたい、「環」=「和」を持ってる相が悪いことに成るはずはない。

と、おもってしまうのは、

憂生の歴史を齧ってみるのほうからの影響かな?


でかすぎる?神秘十字ならぬ、神秘ナの字

tesou 携帯画像なので、わかりにくいところは、すみません。

これが、右手の神秘十字?と火星環です。

判りにくいので、筆で、なぞったので、あいまいですが・・。

運命線は左手とは、形状がちがいます。

左手は生命線と混じった形になっていて、生命力の弱さを

カバーしてる感じです。

で、左手。

このでかすぎる?神秘十字(と、いうより神秘ナの字ですが/笑)の横線が、

親指の麓くらいから続いているのです。

一瞬悲哀線かな?とも思うのですが、

火星環を観るとやはり、親指から、人差し指と中指につづき、

どうも、運命線の二股でもある(二重になっていて、どちらが、火星環か運命線の先かわからない)ようなのですが、はっきり刻まれている運命線を主にして線をひいた)

で、火星環が親指の麓から伸びていることを思うと、

これは、先祖とか?こう言う人たちの徳とかからじゃないかと思えるのです。

ですから、神秘ナの字の横線もおなじように、

先祖とかからの加勢?じゃないのかな?と思うことにしています。

実際、神秘十字は「護られている」という解釈もしますから、

なにから、護られているかということでいえば、

先祖とか親とか、ひょっとして、前世?とか、あるいは、自分の魂とか?

そういう「元」の存在からのものなのではないか?と、思っています。

頭脳線は二股になっていて、これが、運命線と合流してしまっているのですが、

いろいろ、考えていくタイプなので、そこに運命線が合流してもおかしくないなと、

考えても居ます。

考えることで運命?が人差し指側にのびていく結果になるんだぞい。

と、実際、どうかは、別にして、

場所的にも文章とかにも才能があるようなので、

そういう方面から運命が変わってくる。と、いういみあいだろうとおもいますし、

実際、物語。日記などにより、いろいろ、教えられることもありましたから、

そういう縦線というのも、やはり、横線とは違う意味で

自分を護ってくれた十字の縦ととってもいいかな?

と、思っています。

この手相の取り方であっているとおもいたい。

続きを読む

向上線は向上せん!!って、メッセージ?

この前から、↓の記事にアクセスが多いので、申し訳ないような。

人差し指の下の十字(かな?)

手相屋さん?などの見解を無断拝借してしまっているので、

引用記事はそのまま、検索にかけてくださると、該当記事にヒットすると思うのですが・・。

まあ、話題はそんなことでなく

人差し指の十字かあ・・・。

ってなことを思い、人差し指の下の丘は木星丘だったよな?

木星丘があらわすことはなんだっけな~~~。

その丘の盛り上がりがまあまああるほうで・・。

とは、いうものの土星丘以外他の丘も盛り上がりが良くて

手の指をそろえて、前に突き出すと手のひらに(火星平原でしたっけ?)

大きな窪みがみえて、特に右手が顕著で親指の付け根あたりから手首までの

丘の盛り上がりと窪みの底部分との高さの差が2cm近くあるんじゃないのかと・・。

くぼんでいて、役にたったのは、捨て猫飼育時にミルクを窪みに受ける時くらいで/笑

で、そんなことを見ていて、ふと?

あれ、あれれ?

左手の人差し指の×の( \ )のほうの下に長い線ができてる。

その延長線が知能線に届き

生命線からわずかに直線が派生して、その先が知能線をこえて、

少し曲がって( \ )の下の方に平行で並んでいる。

人差し指の下の十字(かな?)

を、書いたのは、1週間くらい前だろうか?

3/15ですね。

約2週間前には、こんな状態じゃなかったわけで、こりゃあ、気になります。

で、またも、よそ様の所から拝借してきました。

位置的には向上線とおもわれましたので・・・。

以下抜粋。

向上線は向かう向きによって様々な意味合いが出てきます。
財運を現す水星丘(小指の下)方向へと伸びれば、本人の努力によってお金を儲けられるという意味を現しています。
世間的な評価・成功を現す太陽丘(薬指の下)へと伸びれば、本人の努力が世間的に認められるという意味を現します。
本人の立場・方向性を現す土星丘(中指の下)へと伸びれば、この向上線が第二の運命線となり運命線本線とは違った運命を同時に歩む事を示します。

野心や希望を現す木星丘(人差し指の下)へと伸びれば、本人の努力により、野心が成就することを現します。

向上線はかなり変化しやすい線で、本人が努力奮闘すると見る見るうちに強く、深く刻まれていきます。
自分が現在行っている努力がどの程度運気を強くしているかを知りたい場合、この向上線を一つのバロメーターとして見ると面白いでしょう。

本人現在行っている努力っていうのが、思い当たりません。

しいて言えば、このブログを読みやすくするために、表を造ってみたり

バナーを作ったり。歴史を齧るの資料を集めたり、出来るだけこのブログにいろいろ書き付けるようにする。

と、いうまあ、その程度くらいしか思いつきません。

で、運気を強くしているかな?と思うのが、さっきも早速

KIZASIさんで、下の記事がヒットしたようで、よく入ってきてくれています。

あの~~、ついでに主軸である白蛇抄と物語20編~を読んでくださると

野心や希望を現す木星丘(人差し指の下)へと伸びれば、本人の努力により、野心が成就することを現します

って、部分が占い上では的中になり・・・ます。

(あはは、憂生の野望って、創作作品をよんでもらうことだったのかと納得した)

で、ここでもう一度手を見ます。

はたり・・・・・・。

抜粋部分が狭すぎて、憂生の手、みると迷います。

生命線を基点にして(おおよそのものもありますし、ダブりながら繋がっていたりというのもあるのですが・・・)

どの指にも線が延びています。

三喜紋(四喜紋?)のような感じの縦線(斜め線)が生命線の各所から放射状に

各指に出ているわけです。

で、三喜紋のごときものは前からあって、(左手だけですが)

これに人差し指にむかう線が増えたわけです。

で、上の抜粋↓にあてはめちゃうと・・・・・。


財運を現す水星丘(小指の下)方向へと伸びれば、本人の努力によってお金を儲けられるという意味を現しています。

ばんざ~~~い!!ばんざ~~~~~~い!!!!

って、ぬか喜びしてる場合じゃありましぇ~~~ん。

努力が必要ってことにも問題がありますが、それ以前に

それらが、果たして向上線と分類できるか、どうかです。

ー(大前提からして、なりたたねえ?)という危機を迎えつつある憂生ー

例えば、小指に向かう線ですが・・・・。

直感線(ちょっかんせん)は月丘に縦に刻まれる弧形の線です。
手相書によっては月丘に刻まれる「真っ直ぐな」線と解説されることもあります。
この線はある種の直感力に優れた人に対して現れるものです。

健康線というとり方もできる微妙な線なのですが、今までの人生?の経緯から

考えますと、これは直感線です。詳しくは不思議&スピリチュアル  ★占★

直感力があるから、その線を直感線と断定するというのは、いかにも、手相鑑定でいえば、

逆順なのですが・・。これが、向上線の一種だと断定できる材料はありませんが、

三喜紋の小指線と捉えると、財運を現す水星丘(小指の下)方向へと伸びれば、本人の努力によってお金を儲けられるという意味を現しています。という向上線の意味合いが直観力と努力の結晶?だと思われるのです。

月丘という位置は縦の線が刻まれにくい部分ですので、直感線はとても珍しい線と言えます。

この直感とは霊的・神的な直感力を現すこともありますが、

スポーツ選手に刻まれている事が多いと言います。

向上線の意味合いが直観力と努力の結晶?だと思われるのです。と、かきましたが、

確かにスポーツ選手は運動能力はむろんのこと、直観力って大事だと思うのです。

閃くというのかな?例えば、浅田真央が演技中にミスをおかし、規定演技をこなせなかった時、とっさに他の場面で規定部分をつなげる。

こんなのも直観力がないとやりこなせないことじゃないでしょうか?

直感線が運命線へと流れ込んでいる場合、持っている直感力が運命に対して大きな影響を与えていることを現しています。

直感線が運命線と合流するような相の場合、本人の持っている直感力が運命に対して大きな影響を与えます。
財運線に合流するような場合、直感力が直接金運に結びつくような事柄(すなわちパチンコや競馬等)に良いと言えそうです。

この直感線が綺麗に刻まれていることはごく希です。
もしも明確に刻まれている人がいたら、ある種の霊感の持ち主かもしれません。
一発で相手の特性を見抜くような人に現れるため、占い師にあると大変良い相でしょう。
直感線は月丘に刻まれますが、月丘の上々は水星丘。
水星丘は財運を現す丘ですので、直感線が延びて水星丘に至る場合は、「ある種の直感力が富を得るのに役に立つ」という意味合いでしょう。

直観力はむしろ、本人の努力というより、もって生まれた資質の部分ですが

この直観力があるからこそ、努力が実を結んでいくという、相乗効果があると思うのです。

選球眼や盗塁のチャンスをうかがう。これらの直観力だけあっても、

実際問題、打てない、足遅い・・では、実に成りません。

打てるように練習する。早く走れるように練習する。

こういう努力があってこそという意味合いで、

あるいは、小指に向かう線は

努力しないと向上せん!!(他の線もそうだと思いますが)

って、もっともシビアな警告ではないでしょうか?

人差し指に出来る向上線は手相屋さんがバロメーターと仰るように

目盛り機能の部分も大きいと思いますが

小指への向上線は資質があるぞ。って、いう意味合いだと思うのです。

これをどこまで、実にしていくか・・・。

あるいは、自分ではまだきがついてない資質があるのでは?

いつのまにやら、人差し指へ向かう線が

小指に向かう線にずれてしまいました。

得意のより道~~♪ずれ道~~♪迷い道~~♪に入り込んだまま

この話、終わります。

世間的な評価・成功を現す太陽丘(薬指の下)へと伸びれば、本人の努力が世間的に認められるという意味を現します。

本人の立場・方向性を現す土星丘(中指の下)へと伸びれば、この向上線が第二の運命線となり運命線本線とは違った運命を同時に歩む事を示します。

なるほど、これ、ようは、三喜紋の各線のひとつずつのいみあいですね?

三喜紋が凄いことはわかりました。

これに、まだ、↓が加わる?

野心や希望を現す木星丘(人差し指の下)へと伸びれば、本人の努力により、野心が成就することを現します。

左手:神秘十字と運命線の二股の伏線とスクエア

  左手の神秘十字?

運命線は頭脳線の二股の下の部分から上がってきています。

左下にちらりと見えるのが、生命線と混合した運命線の支線が

きれぎれ状態で、とうとう?ここまで上がってきました。

3ヶ月くらいまえはその隣の運命線本線ももっと短く、切れ切れの支線も画面の下くらいにあったか、どうか・・・。

で、中指のところ。両脇から斜線がおりてきていて、2,3日前かな?

土星環になるのか?と大騒ぎしたのですが、その時よりもっと、倍近くのびて、

二股の運命線の伏線のようにも見えます。

そして、この二股の運命線に向かって、山?笠のように、斜線がおりてきて、

画像ではわかりにくいのですが、ここに、スクエアかな?と思うものがあります。

神秘十字は感情線と頭脳線の間におさまって居る。

と、聞いていたので、神秘十字じゃないと思っていたのですが

これも、神秘十字だと解釈すると、大きい方の部類ですね。

まあ、自分の手相がかなり、複雑?で、手相をみるようになったのですが・・。

じつに、よく変わります。

と、いうより、できかけている線がどんどん、はっきりしてきます。

スクエアもかなりあります。

いや、スクエア病でしょうかね?

なんでもかんでも、スクエアにみえてくる・・・。

・・・・・・。

まだ、まだ、判断つかない細い線もあります。

自分を実験材料にして、かいていきますので、

いずれ、結果がみえると思いますが

どちらかというと、「よい方に」解釈しながら・・にしています。

悪い方に解釈して、あたってしまったら、悲惨でしょう?

良い方に解釈して、あたればよし。

あたらなきゃ、ちがってたね~~~~。で、笑い話になる。

だから、さも、すごいように書いてみたりするのは、

こういう意味合いです。


手の線を解釈するというのは・・・

けっこう、気になるのが手相というものなのだろう。

何らかの現物がみえないと気にならないけど、

通常、一番目につくのが手であるわけで、

誕生日や名前が今日は一日ふえたとか?

名前の文字がかわったとかないわけだ。

で、手近、まさに手近なのが手で、それをたまにみつめる。

すると、たいていの人は「なんだろうこの線は?」と、おもうんじゃないのかな?

憂生もまさにそうで、気になりはじめたのは、右手の運命線だった。

これが、どんどんのびていく。

一番最初に気がついたときは手首から3cmくらいの上部にのびていた。

数年のうちに手の平の真ん中手首方7cmくらいの場所まで伸び、

今も成長を続けている。

こうなると、これは、どういう意味だ?

何で、伸びるんだ?

ってなことが気になりだして、手を見始める。

すると、他の線もきになってきて、手相の本を買ってきたりする。

飽き足らず、ネットを見る。

ところが、意外というか、どこの手相も似た事がかいてある。

ところが、当然というか、別の解釈のしかたもある。

これは?と思った。

もう少し、独自の解釈をしてもさしつかえないのではないか?

むろん、基本に忠実でないとだめだと思うけど。

それで、考えたりしたのが、神秘十字といわれるもの。

先祖や神仏?の加護があるというのだけど、

これは、もって生まれた徳ということでもあろう。

持たしてくれたのは親であろう。先祖であろう。

こう考えた時、親・・代を継ぐ者に神秘十字がでるのではないか?

縦線を父。横線を母。とも解釈できる。

こんなことを考えていたら友人が手相占いをしてもらったと報告してきて

その時に、あんた長男だろうといわれた。

そして、(どっちだったか忘れたが)?手の平の神秘十字をさして、

これがあるのは、長男とか長男でなくても(女性であったとしても、また、男性で養子に入るとかで)代を継ぐ人なんだ。

と、言われた。

市井の手相屋であるが、あたると評判なところではある。

手相を見ていくうちに、気がついたことなのかどうか判らないが

やはり、そういう解釈があるんだと喜んだものである。

なによりも、自分の手が一番見やすいのだから、

たんじゅんに手相書と照らしあわせただけでは判らないものはいっぱい見つかる。

手に現れる線がすべてなにかを物語るわけでない。

ただの線というふうに言われる部分もあるが、

なにか、わからないだけじゃないのか?とも思う。

逆に何の線かわかっていても、良きにしろ悪しきにしろ当たっていない場合もある。

例えば一説に人を殺すという線が憂生にはあるようなのだ。

ところが、人を殺していない。

だが、人を殺すような事態には遭遇している。

何故、人を殺さずにすんだかというのは、

ま~~~、憂生の人間性が良かったとしかいいようがないのであるが

これを後年ふりかえってみると、「そういう事態」を経験するということが

手相に刻まれていたと考えられる。

つまり、手相には因縁?みたいなものも刻まれるのではないかという事。

だから、離婚しますねという手相の通り、離婚する人も居れば

その因縁の通りにならない人もいる。と、いうことになるのではないのだろうか?

もちろん、「観」もでるとも考えている。

と、なると、手相に刻まれるものをたんじゅんに悲観したり喜んだりしてはいけないということで、

悪い事が刻まれていればそれを回避できる、あ~~~~~憂生でいえば

人間性を作るということが大事で

もちろん、その逆に良い事がでていても、それをかなえられる人間性を作るということが

大切なことになってくる。

それを見定める一つの方法として手相があるということで、

病とて気から。

と、いう場合もある。

自分の気持ちや考え方、視覚をみなおしていく材料として手相をみていかないと

手相のほうもせっかく、刻んだ意味がない。

事後承諾ならぬ事後解釈でしかないのでもちろん、えらそうにいえることではないが。

ようは自分を磨けばよいちゅ~~~ことだな。

(簡単に言うなって?)

他の事をあらわしているとも考えられるので、もう少し付け加えるが

手相を見ているわけでもない憂生がこういうのもなんだけど、

手相を見るときというのは、本人と直接会って見るほうが良い。

と、いうのも、手だけをみていて判らない線が、

本人をみると判る場合がある。

なにかしら、感情線に細かい縦筋が入っている。

気に病みやすい性格かな?などと思って本人をみると、

その喋り方からもっている雰囲気から

口ごもるというのが見えてくる。

すると、手相にでてくる線の意味合いが合致してきて、

「人に話すときこんなこといっちゃあ悪いかな?」

とか、おもってませんか?

と、尋ねると

「へたにものをいって、もめごとになりたくない」

と、帰ってくる。

ああ、わかってもらえない鬱憤と摩擦を恐れる感情がこの人の運気にまで停滞をおよぼしてるなと感じてしまう独特のストレスを感じてしまうわけで、

「あなたね。正しいことを言える人なんですよ。それ、大事なことなんですが、

あなたにかけているのは、自分を庇う気持ちでなく相手のことを思う気持ちです。

核心をついてしまうんですから、当然相手は痛い。

それは、あなたの中で言いたいけどいえないというストレスが嵩じて

いっきにおしだしてしまうから。わかって欲しいという自分の主張でなく、

言わさせてもらいますね。と、一歩下がった気持ちで相手に渡すという思いでものを言えば

あなたの運気もかわってきます」

と、まあ、こういう風なアドヴァイスもできるわけで、

対面しないとわからないというものがあるのは事実です。

それくらい、手相の線というのは、見えにくいというのも事実です。

ちょっと、中途半端ですが長くなったので終わります。

占談義・・総集

浮遊する心を見せるもの

最近タロット占いを良くする。
「あの人にとって私は今、どんな存在なの?」という占いであるが、
一番最初に占ったとき、巨人がでた。
相手の人にとって
畏敬の念?恐れの念を抱かせているだろう。
と・・・。
憂生の感覚で言えば
それはあたっているといえる。

次に占ったときは
一人浮いてる・・カード。
こっちが親身に思っていても
むこうからみたら独りよがり。
あるいは、親身におもってることさえ気が付いていない。
と、でた。

これも、あたってると思えた。
そして、今日
せっかく、占ってるんだから
結果をとっておこうと思ったので以下にはりつけるが・・・。


「あの人にとって私は今、どんな存在なの?」――そう問いかけながら、あなたが選んだ一枚のカードに描かれているのは、「アップル・ツリーマン」。この妖精は、果樹園で一番古いリンゴの木の中に住んでいて、良いアドバイスを与えてくれると果樹園を持つ人たちには信じられていました。
 アップル・ツリーマンが現れたということは、あの人にとってあなたは今、「心から信頼できる存在」だという暗示です。
あなたはこれまで、あの人が困っているときに、救いの手を差し伸べてあげたことがあったのではありませんか? たとえば、じっくり話を聞いてあげたり、適切なアドバイスをしてあげたり……。もしそうした出来事に思い当たることがなくても、あなたがふだんの会話で何気なく口にした一言が、あの人にとって大きな影響を与えたということが考えられます。いずれにしても、それ以来、あの人の中であなたの存在はとても大きく、強いものになったようです。ええ、あの人はあなたの優しさに心惹(ひ)かれています。
 ただ、その感情が敬愛なのか、恋愛感情なのか、あの人自身わからずにいるようですね。とはいえ、あの人が少なからずあなたに異性としての関心を抱いているのは確かですから、あなたからアプローチすれば、二人の関係は大きく進展する可能性は大いにあるといえるでしょう。

と、まあ、こういう占い結果だったのだがなんとも・・・いいがたい。

占い。
それもタロットカード。
前にも書いたかもしれないが、
占い自体は自分の心に迷いがあるから、
自分が引っかかる。

言い換えれば迷いが何であるかを如実に意識させてくれる。

そして、タロットカード。

手相とかいうものは、個人のものであるので、当たる当たらないにかかわらず
自分のものとして受け止められる。

ところが、星座とかになってくると
同じ星座の人間がごちゃまんといるわけだから、自分のものという感覚が薄くなる。

そこで、タロットカード。

これは、確かに何種類ものカードがあるものの、そのカードを引く確立をいえば
自分のものといいがたい部分は有るのだが
自分が選択するというところに、
一種・・人生そのものを感じてしまう。

どちらにしようか?
すでにいろいろ選択してきたわけで、
それは自分にとってこれかな?というカードを決める占いとよく似ている。

選択した人生をうけいれていくしかないというか、歩んでいくしかない。

カードも同じ。
選択したカードを受け入れてみる。

当たってないとは言い切れないのである。

人によっては当たっていないという人もでてくるのであろうが、
これは、たとえて言えば
やはりシックスセンス?

こういうセンスがない人はやはり偶然が必然でしかないことを信じられないでいる。

シックスセンスがカードを選ばすというのを、必然と取るのはオーバーかもしれないが
自分の身の回りに起きることを前もって学習?経験させられたり、伝えられることが多くあった憂生にとって、
カードが語りかけてくることを当たっていないとは取れないでいる。

そのカードを選ぶ必然(原因)が自分にあると思ってしまう。

不幸なカード・・。
別にカードじゃなくても・・。
自分の周りで不幸な事態を見せ付けられて「お気の毒」に人事に思っていたが、
それから、何年も立って自分の身の回りで「お気の毒」が発生する。

時に「お気の毒」に対して思ったり、考えたことが自分の身の回りの「お気の毒」への対処になることもあれば
逆に「お気の毒」が身の回りでおきるぞとつたえてくれていたのだと、気が付くこともある。
むろん、伝えてくれていたと解かるということはもう対処のしようがなくなっているから、きがつくことなのであるが、
こういう経験があるから、
カードが語ることを逃したくないと思ってしまう。

占いを信じる信じないということと
別問題の部分だとも思う。

ただ、見せてくるものはわれに元ありである以上・・・。
では、いい結果が出たからその通りに行動すればよいかということでもない。

先に書いたように
占う、裏側には迷いがある。

その迷いと照らし合わせて
行動にふみきるかどうかを考えなければいけない。

占いの結果が良いということは
裏を返せば自分の希望が移しこまれるということ。

もうひとつ、うらを返せば
自分の迷いの中に希望を見出せないという迷いがあるということ。

この部分まで自覚して、考えてみる。
現状のままにいながらにして打破するか、
迷い・・希望のないものを
希望の持てるものにすり変えていくか?

簡単に結論を出せる問題ではないが
今は
思いひとつをおってみたいと思う。

それはつまり、現状を打破することか?希望に飛びつくことか?
と、たずねられるかもしれない。

どちらでもない。

思いを追うことは、現状の打破につながらない。
思いを追うことと希望に飛びつくのは
対象が違う。

わかりにくいな・・。

まあ・・言い方を変えると
自分の内面。
心象風景のなかでの昇華・・・。

それしかないか・・。

占いのアドレスを一番下に添付

↑にそう書いてあるからって
すっ飛ばしてアドレスだけ見に行くな~~!!

先ほどの占いはOCN会員ならびにgoo会員限定かもしれないが、
一応アドレスをあげておく。
占い師がひとつの占いばかりではないことが往々にしてあるのだが、
この結城モイラという人もそうである。
この人のタロットがあたるから、この人を支持しているのかと思わせるかもしれないが、実は順番が違う。
やはり、手相なのである。
あちこちネットを検索しているときに
この人の手相講座を覗いた。
丁寧にかいているし、
解釈(鑑定)の仕方もなるほどと思わせるものがあった。
それで、OCNの無料占いで彼女をみつけて
「はあ、タロットもやるんだ」と
飛び込んだ。
もうひとつは、やはり、無料/あはは。
そして、先の占い結果を読んでもらったら解かるけど
非常に要点をうまくついた書き方ができる。

うまく、あっさりと書けるということは、
自分でも物事に精通してないとかけない。
この憂生がよい証拠で
自分の感情ひとつうまく端的に表現できず、うっかりすると、/しなくても?/
話がどんどん横道にぞれて
肝心なことの説明や結論がどこかに飛んで行ってる。

物書きとしての評価かもしれないが、
文章をきちんと解かりやすく書ける人間は性格も生活も人生も
それなりにこなれたものをもっていると思うし、物事の捉え方も幅が広い中をかいくぐってきた修練の賜物に見える。
/単純に憂生にないものだから、そうみえるだけか?/

http://payon.svc.ocn.ne.jp/fairy/cgi-bin/index_fo01.cgi

微妙・・な結果である。

先に結城モイラの占い結果をあげたが、
これを
「もしも、その人が読んだら?」
と、いう思いを込めて占ってみた。

その結果がこれ。

当たっている部分がある。
それがどこかは言わないが
確かにそうだと思う。

あなたとあの人は、職場や学校などが同じで、お互いの日常をよく知っていたり、まわりの人の評判を直接耳にしたりする環境にいるのではないでしょうか? そして、「もういい加減、今の関係を変えたい」と思っているのでしょう。けれども、毎日身近にいるからこそ、「もし振られて気まずくなったら……」と悩んで、逆にアプローチをすることができずに悶々とした日々を送っているのではありませんか?
 今、あの人の中であなたの印象はとても良く、「一緒にいて楽しい人」として存在しています。しかし、その感情はまだ曖昧なもののようです。

 あの人はあなたと一緒に過ごす時間をとても楽しいと感じています。何をするにしても、一番気持ちが盛り上がり、一緒にいたいと思うのはあなただと。ただ、現時点では、それが恋愛感情なのか、友人や同僚といった仲間に対する親愛の情なのかがはっきりしていないことも、カードは暗示しています。
 二人の関係に恋の甘いムードを作るなら、あなたが異性であることをあの人に意識させるよう心がけてみてください。あの人の中のあなたの存在を強くするためにも、今は、自分の気持ちを素直に出していきましょう。「好き」という想いを込め、じっとあの人を見つめる……それだけでも効果はあるはずです。

占い師の理由?

もうひとつ・・。
これはまだ自分の中で焦点がかたまってないので、書きなぐってみることで
なにかが、とびだすかどうか、見てみたいので書いてみる。

先の結城モイラ女史もそうであるが、
占い師はいくつかの占いをこなすときがある。
これは、どういうわけであろうか?

勉強すればできる。

これも解かる。

全然、違うと思われるものもこなす。
たとえばタロットと手相というように、
勉強しなきゃわからないだろうことなので勉強してるんだろうなと思うのであるが・・・。

この勉強して占うという部分は必修であるとしても、
もう一人、ある占い師の方が言う。

私には霊感がないので・・・。

う~ん。

霊感(と、言うかどうかも問題があるが)がないと判断できるかどうかはわからない部分なのであるが、
本人曰くは
「何かがひらめいたり、わかったりする人じゃない」
ので、占いの知識だけで対応しているという。

だが・・・。

多くの場合。
占い師はなにかしら、巫女、巫的な部分を持っている。

イタコというのとも違うが
「なにかしら、伝える役目」というとわかりやすいか。

この伝えるという部分で
多く、人は占い師に似たものを持っているとおもう。

たとえば
「ほら、言うことを聞かないからそうなったじゃないか」
と、いう言葉をつかったことはないだろうか?

と、すれば誰でも、勉強すれば占い師に
なれるか?
と、極論に結びついてしまう。

成れるともいえる・・かもしれない。

ところがここで考えられるのが
いわば、宿命というか、因縁というか・・・?

占い師自身もなんで、占い師になってしまったんだろうと考えるようで
2,3そのあたりを自分に問いかけてる占い師のブログ記事にであった。

一番多いだろうと思われるのは
やはり、占い師自身が
「何かわかる。何かひらめく」という
いわゆる霊感の持ち主だということ。
こういう能力を余のため人のために使いたいと思ったか、他に能力もないしと思ったか?(失礼・・!)
その能力で生活していけると思ったか・・・
能力者が占い師になった要因は定かではないが
おおく、こういう能力を旨く活用している場合が多いようで
それが先にかいた
「私には解かったり、ひらめいたりする能力は無い」という考え方が出てくる原因だと思う。
占い師のおおかたがそういう能力が無い人ばかりだったら、こんなせりふは出てこないと思うから。

ところが、こういう能力があるからといって占い師になるかといったら、ならない人もたくさんいるし、そういう特殊能力にかかわらずに普通の生活をしている人も多い。

と、なるとなんで、
占い師になったか。

これを紐解くのが「宿命」というか、「因縁」と、いうか・・・。

憂生がたびたび、この占いについての講釈で出してくる言葉であるが
「自分のしでかしたことは自分に帰ってくる」
という考え方に近い。

それも、多くは前世がしでかした事という。

思いが因縁を作るとどこかに書いたことがあるが
前世の行いが今生の因縁を宿命(運命)を作る。
と、捉える占い師がいる。

前世に借りがある。

こういう言い方だろうか?

前世の自分が人に助けられてきた。
とか、
前世の自分が人を困らせてきた。

だから、こういう多くの人の相談を請けて人の助力をすることで、前世の借りを返すことになっている。
と、捉える人もいれば
逆に前世がはまる。
同じようなことを繰り返す。
いつだったか、催眠法で前世を呼び出したら、今生の思い方の原因が前世にあったという話を書いたと思うが
そういう考え方で
前世の生き方や思い方がはまってくる。
たとえば前世で同じように人の相談に乗っていた人が生まれ変われば、
「あの人顔色暗いな、どうしたんだろう。なんとかしてあげたいな」てな思いが付きまとって相談に乗れるような方向の道を選ばせてしまう。
とか・・・。

この考え方が一番妥当だと思うのは
ひとつの事例を見てきている性かもしれない。
ある女性占い師がいたんだけど、
彼女は『見える』という特殊能力の持ち主でその能力を活かしてというか?
その能力に目をつけた人間がいたのかもしれない。
占いで生計をたてていたのだが・・・。
自分の私生活のトラブルで職業を失ってしまった。
それ以後、占いから身を引いてしまったのだけど
これがいい証拠のように思える。

前世からのつけ?
で、ないから。

人のタメにという責務を負ってないから
結局能力があっても占いで
多くの人の、相談に乗ったり精神的援助にかかわることをしなくても良くなった。

思いの面でも「援助したい」と突き動かされる前世からの息吹みたいなものもなかったのだろう。

そういう宿命、そういう因縁・運命じゃなかったのに、能力があるばかりに
違う道を進んだ。
それがトラブルで途切れた。

軌道が修正されたと考えたら
それは決して挫折でも頓挫でもない。

前世通りの道に戻ったということになろうか・・・。

そして・・・。
憂生も同じ事を言われている。
「前世がはまる」
それは今生で果たすべきいろいろな物事が終息した後のことだと思うのだ。

前世からの申し送りはどうなる?と
言われるかもしれない。

それについてはこう答えたい。

前世というものはいくつもある。

一番濃い影響を与えている前世に引きずられながらそのほかの前世の申し送り?余波?思いを何らかの形でクリア?昇華させていく。
一番似通った・・あるいは一番近い前世がいずれ、はまる。

手の平の中の宇宙

ネットで手相の『紋』を検索してみた。
が、
紋について、詳しく載ってない。
どうするか・・・。

ピックアップされてる××紋、○○紋というのをチェックしていく。

よく見かけるのが、十字紋とか・・。
聞いたことが無いなといってみると
東洋鑑定と西洋鑑定の違いで
たとえば
魚紋→フィッシュ
四角紋→スクエア
と、言う具合に呼び方が違う上に
主線も呼び名が違えば
丘の名前も違うという具合にはなはだややこしい。

手の中の線を運命線、感情線という呼び方はどうやら、西洋鑑定からのようで、
此方のほうが知名度が高いせいか、東洋鑑定のほうも、西洋鑑定の名前を付記していることが多いし、実際、こちらもそうしてもらわないと判りにくい。

西洋と東洋という観点でも随分違うのに
インド・中国・・というように、発祥地もちがうようで、
さらに鑑定の流派があるようで、
これに、鑑定士の経験が入ってくるから
名前だけでもごちゃごちゃになっているのに、解釈の仕方が違うから、その部分が知りたくなる。

神秘十字を持つ人は強運の持ち主で
先祖の加護を得ているから
争いなど、自然とよけることが出来るでしょう。
と、いう鑑定結果への矛盾を書いている占い師のブログを読んだ。

そういう強運の持ち主で争いを避けられるはずの人なのに
あちこちで争いに巻き込まれる。
確かには大事には至ってないのだが、
強運とは言いがたいじゃないかという疑問に占い師が解釈していたわけだが
これが、なるほどと思った。

強運ゆえの強さ・・というのだろうか?

なんとなく大事に至らない運の強さが
わが身を危険にさらしてしまう。
これをたとえばサバンナの獣にたとえてみる。
弱いガゼルなどは、危険を察知する能力に長けている。
弱いからこそ危険に近寄らない。
強運の逆の言葉があるのか、どうか、いささか、疑問であるが
弱運ゆえに危険からわが身を遠ざける。
ひとたび、危険にさらされたらそれに飲み込まれる弱運しかないからこそ、それこそ必死である。

強運の土台に、危険の中に入っても
解決してしまう力もあると推測できる。
解決できるのだから、ガゼルのような慎重さは無い。
だから、強運のはずの神秘十字をもっているのに、
いや、だからこそ、あれこれ、争いごとなどに巻き込まれやすい。
おかしいのではなく、いつの間にか、自分の強運に慣れっこになってしまって、
ガゼルのような慎重さを身につけることが出来なかったということになろう。

此処まで、書きながら
なにか、妙に・・似たようなことを書いたと思わされていた。

そう。
天王星人の運命?性格?によく似ているのだ。

憂生の思い違いでなければ
東洋手相では運命線を天紋と呼び
神秘十字が出る平原を天方・・?とか呼んでいた。

妙なものである。

ちなみに天王人と土星人(地)は正反対の性格で合わないとのことだが、
手相の地紋は生命線を表す。

生命というものは純粋に考えてみれば
エネルギーの塊。それでしかないが、
この生命の赴くままに生きようとするのを阻むのが運命といっていいかもしれない。
良い方向に出ようが悪い方向に出ようが
生命そのままの根源に
何らかの改ざん?を加えるのが運命線であるとするなら

まさしく
天(紋)と地(紋)は相容れない?
正反対に対極する似たようなエネルギー体という見方が成立つ。

これをそのまま天王星人と土星人に当てはめると
この前に書いた(表裏一体)の考え方が成立つ。

つまり、手のひらの中に宇宙がある?

あ?
すでに、西洋手相でも
火星平原とか・・?
とっくに言ってますな。
気がつくの遅い?

でも、東洋手相と天文敦煌や易・四柱推命?とか、算命学?

こういう東洋系統の中に込められている世界観?生き方みたいなものが
やはり手相の中にも織り込まれているということですな。

ps
本来書くつもりのものと違う話になってしまったので、別スレッド揚げる

またも、中途半端!!

さて、また、手を見る。

だいたい、手相なんかみようとか、何らかの占いをしようっていうのは、

自分に迷いごとがあるか、現状に不満があるせい。

なんとか、変わらないかな?

なんて、いい方をするとたなぼた的でいやだね。

でも、実際問題・・何らかの希望を見出したいってのが、あるわけだ。

で、左手。

まあ、無茶には変わってないが、筆刷紋だっけ?

の周りを丸い線が取り囲み始めてるように見えてきた。

意味はわからないが、丸とか印鑑?見たいな紋は

良いほうだろうとあんきにかんがえることにして、

右手を見直す。

小指の下・・手首側に近い所に線。

手の側面からでて、運命線まで延び始めている。

もっと、上なら反抗線。もうひとつ上なら仕事線。

はて?

ちょっと、しらべておきたいと思うのは

やはり、それが、運命線までたどり着きそうだから。

火星環?

性愛線ともよばれるし、ソロモンの環の変形という説もある。

ソロモンの環説から、来るんだろうけど

混乱に乗じて好機を得る。

っていうのが、最近の多く見かける説。

まあ、それはいいが・・。

良くないが・・。

これが、また運命線かと思うのに流れ込んで環を描く。

運命線の変形という説もあるし、

微妙な環を描いてくれたものだと思う。

ところが、これが、また、内側に平行して環が出来始めている。

二重というのは、わりと評価が良い。

ソロモンの環もそうだし

二重感情線もそうだし・・。

伏線と考えられる二重線もサポートを得られるという意味合いで

やっぱり評価が良い。

が、

火星環の二重?

運気が強くて、好機を得られるというよりも

そこまで「混乱」が大きいのかとも思う。

実際、今の憂生はすでに混乱しているといってよいかもしれないが・・・。

一方でマネジメント線かな?とも思う。

ソロモンの環らしきものが微妙に二重ある(これは本人の希望的観測で、つなげて見てるかな?)

だから、火星環がソロモンの環の変形というのも、ちょっと違う気がする。

似通っている丘に形成されるので、意味合い的には重複する部分があって然りだろうけど。

だが、ソロモンの環に無理やり見立てる線も、変形マネジメント線にも見えなくも無い。

と、なると、大いに混乱するが妥当な推理?

いや、やはり、マネジメント線で

混乱に乗じて、いわば下克上的に将軍の手綱を掴んでしまうとか?

あはは。あはは。だよ。

荒唐無稽を通り越して

手相一つの語る?(語らせる?)幸せな夢で気分が軽くなるなら

こりゃあ、下手な運命相談より、前途洋洋ってなとこだ。

で、もうひとつ、これは、あたるというか。

自分のシックスセンスによるなと思ったのが

カード占い。タロット占い。

相手にとって、自分がどう思われているか。

これは、恋愛鑑定みたいになってたけど、

「思い」の世界だから、親子や友人、仕事関係・・

結果を自分の思いに当てはめて解釈すればよいと思うので、

ちょくちょく、行って来るんだけど・・。

よくあたる。

この部分も相手/占い師がカードを選ぶわけじゃなくて、

自分の「む!!」で決めるわけだから、

一種、思念?思いに刻まれた線を具体化させてくれるような気がする。

また、逆をいえば

占いをされる方のブログなどを読んでみると

二手あるように思う。

占い学を学んで鑑定される方。

自分に何らかのシックスセンスがあるので、占いをやりはじめた?方。

多く、何かしら不思議なセンスを持ってることが多いようで

自分にはそういうシックスセンスはないといいながら

「なぜかといわれたら困るが、なんとなく、そう思う」という

直感型のセンスをもってる人がいた。

具体的に見えるとか聞こえるとか?が、無い場合、

自分でもわからない所の「勘」のようなものでは、

センスといいがたいんだろうけど

これも、立派なシックスセンスだと思う。

こういうなんとなく判るというのは、ある意味、占い師に大切な資質だと思う。

そのままじゃこの人は駄目になるぞ・・とか

こういうものがわかるからこそ、鑑定相談ができるというか、

ほうっておけないってのがあるんだと思う。

そこに通じるから、占い師やていける根源っていうか・・。

なんか、話がマジにずれたきがすんだけど

いったん此処で終わる。

神秘十字への解釈

占いからというわけではないのだが、

どうも、先にあげた、縦の線。横の線。というもので、考え込んでいる。


と、いうのが、憂生の友人は幼い頃に父親をなくしていて、

父子という縦の線が希薄なのである。


この縦の線の希薄さは、なんとも、哀しい。


簡単な所で、

「父親としての自分の在り方がわからない」


あたりまえのように、父親が子を思う。


恵まれている人から見れば、自然な感情でしかない。


しぜんと受け継がれていくものだから

自分が受け継いでいる事に気がつかないくらい

自分の中にはぐくまれ、溶け込んでいる。

いわば、本能と言ってよいかもしれない。


ところが、動物園などで・・親の本能をうけつがれなかったのか?

子育てを拒否してしまう動物が出現する。

当の本人(人じゃないが・・・)は、それでよいかもしれないが

問題はその子供だ。


問題行動を起こす。

成長しても親になりきれない。/子育て拒否とか、親と同じことを繰り返す。


そして、もっと、怖いのは

親になる以前の段階での問題と言ってよいかもしれない。


夫婦・・・婚姻が成り立たないのだ。


自分の存在を放棄した親(愛情)への不信感ともいえる。



これが、人間の場合もっと、強く出る。


結婚こそするし、子供も生まれる。親にもなる。


ところが、


伴侶や子供への思い方がどこか、育まれていない。


父親がいないから、父親の思い方というものが

沁みていないのはうなづけるとしても

何故?

伴侶までと思うが・・・。


これが、友人の話の中に有った。


「俺は夫がどんな風に妻をかばい、守ってやるのか

見ていないんだ。

口ではぐずぐず言っていても、

夫に頼る妻を見ていないんだ。

どんな風にお互いの弱いところを赦しあって、かばいあっていくのか、

俺は知らないんだ」


縦の線と書いた。これは親子と言おう。


横の線と書いた。これは夫婦と言おう。


だけど・・・・。


縦の線がそのまま、横の線になるんだってこと。


親と言うものから

子供は

夫婦をも学んでいく。


だから、逆を言えば

夫婦の愛情がしっかりしていれば、

その子供が結婚しても、同じようにしっかりした愛し方が出来る。


ところが、友人は

縦の線を横に出来ない。


夫婦と言う2本の縦線の一方を横にして、

十。


これは、いつだったかも書いた。


十はつなしと読む。


つとは、押し寄せてくる災いのようなものだ。

つ・つ・がなしというように・・。

つがないは結構なことだ。


自分の中に十があるはありがたいことだ。


そんな事を考えていると

手相の中の縦の線と横の線・・・。


この重なりが神秘十字と呼ばれるのもわかる気がする。


「つなし」/十字の手相・・・。


よく考えられているとも思う。


昔の人の統計にこんな風な解釈が成り立ちはしないけど、


親が親らしく、夫婦らしく有る人の子供は


胸の内に神秘十字をすでに頂いてると言ってよいかもしれない。


友人には申し訳ないけど、


自分をありがたいと思った。

類は友を呼び、ともはもともと、じぶん?

手相占いのひとは、けっこう、ブログをもっていて、それを見比べていくと

それなりに、手相の解釈がちがっていて、それはそれで、おもしろいのだが、

ひとつの手相でぜんぜん違うことを言う場合がある。

むろん、解釈や鑑定という判断部分ではない。

たとえば、神秘十字。ますかけ線など・・

今まで500人くらい見たけど、中に一人いたか?

珍しい線/紋であるという占い師もいれば

自分の所では、よく見る。100人の内10~15人くらいが

形状の差はあるもののそういう線/紋を持っている。

これは何故だ?

なんと言っていいのか、類は友を呼ぶではないが、

似た者同士が呼び合うといっていいのかもしれない。

いつだったか、昼のからおけ合戦みたいな番組があって、

なんとはなくみていたら、

何人もの出場者が司会者になんとなく、顔が似ている。

まあ、これは、判る。

なぜなら、憂生はその司会者はなんとなく嫌いだったから。

当然、その人の内面とか、わかるよしもないが、

顔から受ける印象からして、いやみなものを感じる。

と、なると、憂生がもしからおけ大会に出場するとしたら、

この人のところへは応募しない。

つまり、この人のところに応募する人は、

それが気にならないか、気がつかない人か逆に好ましく思う人となる。

何故、気にならないか?

まあ、いわば、匂いだな。

人の匂いはわかるが、自分の匂いはわかりにくい。

判らない匂いは気にならないか、

逆に他の人が同じ匂いを持っていたら

慣れ親しんだものへの安心感みたいなものが生まれる。

顔もそうだと思う。

家の中で慣れ親しんだ顔。

鏡の中や、親兄弟・・親近感そのものがTVで出場者を求めている。

行くよな。

憂生が行かないのと逆の理由で行くよな。

と、考えてみてみると、こういう事例が実に多い。

特に地方のニュースとか・・みていると、県民性だけでない妙に似通った顔が並ぶ。

この人たちをキャスターに起用したひとの好みなんだなと思う。

そんな風になにか、知らないうちに似たものが集まる。

じゃあ、手相はどうなの?

顔みたいに見えるもんじゃない。

って、いうけど、人相ってのもあるけど・・。

なんといってよいのかわからないが

一種、磁力というか、オーラにプラスマイナスがあるっていうか・・・。

まじりあう色があるとか・・。

いくらでもこじつけられるわけだけど

結局、占い師自体がもつ「運勢とか性格とか因縁?」とかに引き寄せられてるんじゃないかな?

だから、たとえば、金運の良い占い師はわりに金運の良いお客さんと遭遇するなんて、事象がおきるんじゃないだろうか?

もちろん、金運だけで、引っかかるわけが無い。

他の部分で引っかかる場合もある。

金運の良い占い師が金運の悪いお客を引っ張ってしまったが、よくよく見てみると、占い師は愛情運が悪い。お客も悪い。だから、そこにお客がひっかかったと言う具合に複合的な部分がるとおもう。

だから、作品群に関しても、似たようなことを書いたが、

「人の作品を批評しているようで居て、実は自分を批評しているようなものだ」

占い師。

実は自分を占ってる?

こうなってくると、某サイトの鑑定士のほうが、もっともらしい。

「自分の手に他の人にはない線があって、それを調べていった」ら、いっぱしの占い師になってしまっていた。

よく、占い師やその他の運命師が、自分のことを占っちゃいけない。

と、いうが、

これは、全部に当てはまらないと思う。

大体自分の運命も鑑定できず、自分の運命も救う?ことができない人間が

人の何かしらの相談や鑑定をおこなうのは、無責任な気がするから。

だから、逆を言えば私の所には複雑な線の手相をもつ客がほとんど来ない/あるいは、よく来る/というのなら、

自分が「どう」だから「こう」だから、来ない/よく来る。ってとこまで、鑑定すべきではないのかと思う。

天と地・・表裏一体か?

ここ、しばらく前から占いに興味を持ち始めていることは、周知であると思うので仔細は省く。

で、
なにかしら、疑問を感じていたことがあるので、書いてみる。

と、いうのは、前にも書いたけど
間違えて買ってきたのが
土星人。

筋を通すとか、恋愛面での潔癖?
まあ、詳しくは「土星人」で検索してくれ(そんな暇なことはしない?)

ぴったりじゃないかと思い。

ちゃらんぽらんな部分があり、人の思いを大切にするあまり、覚悟やポリシーを通すことができず、三角関係のどろ沼に落ち込みやすく、ラフな考えのため、恋愛関係もだらしなくなる。

これは友人にぴったりだと思い。

計算式を間違えてると気が付かず、
土星人を買って帰ってきた。

ところが、これが、逆。
友人が土星人で、憂生がちゃらんぽらんな天王星人!!

ありえん!!

まあ、でも、これは干支とのかねあいで、人を裏切らない性格とでており、
天王星人の中でもぴかいちの「信頼度」がでていたので、不承不承・・納得することにした。

で、疑問に思ったことは
この土星人と天王星人の交友度?

星座表によると、
相対する性格。
天王星人はいわば、天
土星人はいわば、土・・すなわち地。

干支のからみを見ても最悪の相手で
実際お互いから見ても最悪の事件が裏にある。

だが、不思議に思ったというのは、
先に書いたように
性格の一部がま反対なのである。

相対する星のパターンはいくつかある。
天王星人⇔土星人
水星人⇔火星人
木星人⇔金星人

と、こうなってくるわけであるが、
相対するという部分に考えさせられる。

いわば、長所イコール短所
という考え方でいけば
とりようによっては、相対するものを
本来同じものであるのに、見方をかえて解釈しているのではないか?

その解釈の仕方が濃いから、長所⇔短所みたいに相対してしまうのではないか?

うまくいえないな。

たとえば天王星人は人を大切にする。
これを突き詰めていくと、人を大事にしようと思うとき、その人の生き方というか、人生の筋を基本にして考えるように勤める。

土星人は筋を大切にする。
これを突き詰めていくと、筋に沿った考え方を実践していけばおのずと、人を大切にできる。

ゴールはある程度同じなのだが、出発点というか、基本が違う。
こういう面で考えたら確かに、相反するのもわかる。
逆に良く似たものを持っているのも然りである。

さらに見ていくと、土星人と天王星人
お互いの影の部分を見ているような気分を味わうそうな(それによって、嫌うか好くかが出てくると思う)

なるほど・・。

お互いがある程度似ていて、表面に出ている部分が違う。
これは、多分、どの相対する星人にも当てはまるんじゃないだろうか?

そして、相対する星人を嫌うとすれば
自分自身の嫌いな(悪い)部分をみせてくれていると考えられる。
相対する星人を好くとすれば、
自分自身の好きな(良い)部分を見せてくれていると考えられる。

好くときはまあ、良いとして、
嫌うとき。
これは、言い換えれば、「自分の何かが悪いこと」を見せ付けられてるとうがてる。

で、憂生・・・。
友人土星人について・・・。
嫌いな面と好きな面が両極端に介在する。

すなわち、憂生に良い面と悪い面が両極端に存在しているということになる。

相対する星座は最悪であると思う。
運命表みたいなものを見てみると
当然、こっちが殺界のときには向こう側はそこそこに良い。
お互いが足を引っ張ることが多くなるとも考えられる反面、
片一方側の良い運気に引きずられて助けられることもある。

そう考えると。先にも書いたが
天王星人同士がもっとも最悪かもしれない。
運気が同じなのだから相乗効果がおきる。
良いときは天下一良い。
が、悪いときは
最低最悪劣悪状態になる。
それも、周りに揉め事の種がなければ
お互い同士でもめあう。
これと、最悪の殺界が重なりあったら?
干支との兼ね合いもあろうが、
この占いを軸にするととんでもない相手同士になる。

だが、まあ、考えてみれば、
天と天。
ぶつかりあったら、厳しいものがある。

いわば、船頭多くて船山に登る。
天王星人はひとりにほったらかしにしておいて、
あっちの川、こっちの海?と船頭家業に
専念してもらうのがよいのかもしれない。

あ~~~。
的がずれてしまった上、長くなっちまったので、ここで揚げる。

続きを読む "天と地・・表裏一体か?" »

憂生は天王星人なのである。

性格云々は「天王星人」をネットで検索するとでてくるので、まあ、ほったらかしにしておいて、う~~むと思わされたことだけ、書いてみる。
特に殺界がどうあてはまっているか、が、興味深かったので、書き留めてみる。
12年の周期の中に5年(回)の殺界があるのだが、
平成23年~平成25年までが大殺界(12年ごとにめぐってくるので、12を足し引きして考えてみる)
昭和50年~昭和52年までが大殺界
昭和62年~平成1年までが大殺界
平成11年~平成13年までが大殺界
平成23年~平成25年までが大殺界

そして、中殺界精神的な運気の膿がでる・・とか
平成18年
平成6年
昭和58年
昭和46年

そして、小殺界肉体的に運気の膿がでやすい・・とか
平成16年
平成4年
昭和54年
このあたりを事件、事故、環境変化で考えてみる。

小殺界肉体的に運気の膿がでやすい・・とか
平成16年:腰痛・・で仕事断念
平成4年 :けが・手術
昭和54年:気管支炎。九死に一生

そして、中殺界精神的な運気の膿がでる・・とか
平成18年:落ち込みの始まった年
平成6年 :住んでいたアパートの立ち退きなどがあった。生活環境が変わるとともに仕事も高収入のものに変える。仕事での苦労?
昭和58年:転居。10回以上転居を繰り返しているがこの年は1年のうちに3回ほど住居が変わった。この年にも落ち込みがあった。
昭和46年:親が独立して、店を開店。最後には借金が残ることになった。

昭和50年~昭和52年までが大殺界
落ち込み・心霊体験・同乗していた車が事故。
昭和62年~平成1年までが大殺界
落ち込み・心霊体験・転居続き
平成11年~平成13年までが大殺界
怪我での手術。父が亡くなる。
平成23年~平成25年までが大殺界
まだ、わからな~~~い。

このほかにもここにはかけない色んな事件があった。
天王星人は乱世の覇者という側面があるらしい。
戦国時代でいえば、頼もしい武将で、自国を勝利に導く立役者になるらしい。
逆を言えば、揉め事の星といっても良い。
揉め事の解決やまとめ役にうってつけなため揉め事あるところで、力量を発揮してしまう。
こういう部分があるせいか、揉め事のほうからよってくるというか、もめごとに巻き込まれても解決する力が強いせいか、力量発揮で活躍?できるのがうれしいのか、臆せず人とつきあうため、揉め事に巻き込まれることが多い。
また、ある人に「憂生は人間がすきだね」と、指摘されたとおり、天王星人の性格にはその言葉通りがでていた。
こういう側面があるのでいっそう、揉め事にかかわりやすいようである。

おひとよしの一面があり、情にもろい側面があります。
人を信用しすぎるところがあり、人にいいように使われてしまうところがある。そのため、ひと肌脱いで助けてやろうと思ったのが、裏目にでることもある。
判断力のある信頼おける上司にめぐまれていないと、いっそう、裏目がよわりめ、たたりめになりやすく、憂生の辞職の原因のひとつがそこにもあった。

大殺界にはいると、星人の秀でた部分に打撃を受けやすくなります。
天王星人は「家族や人間関係」にひいでているので、特にこれを破壊されやすいそうで、いろいろ、振り返ると、やはり、あたっています。
そして、乱世の覇者・揉め事のあるところに舞い降りる運気のため、たとえば夫婦が天王星人どうしだと、二人でタッグを組んで、人様の揉め事の相談に乗ったり、子供に問題が生じたりすると、一心同体に近い状態で協力しあうのであるが、(↓ここが・・すごい・・ね)乱世の覇者の呼称通り、平和な状態になるともめごとがないため、イキイキできないのか?波乱名人生をこのむというか・・・。
安定してしまうと、内輪でもめ事を起こしやすいというのである。

と、いうことは、揉め事の時には、天王星人を呼び、揉め事が収まったら追い出す・・と/え?

まあ、この部分は自分でも覚えがあります。
カフェの中のどたばたがおさまり、みんなが落ち着きを取り戻すと・・役目おえたな・・・みたいな気分になって、落ち着きの中に入り込むのでなく、一歩はなれて、「良かった」と思いながら見てる。
このあたりの心理はSO2のボーマンに反映されてると思いました。
「みんなそれなりにうまくいっちまって、それはそれでよかったことなんだけど、な~~んか、さびしいボーマンなのである。お呼びじゃないというか、およびじゃないって事が平和な証拠なんだけど・・。そういえば・・あいつどうしてるかな」と、いう具合にひとつの場所が平定すると、とたんに役目をおえた感覚をあじわい、次なる不安定な人物のことがきにかかる。
自ら進んで、揉め事のほうに歩んで行ってるとしか思えない「触覚」を持っている。

自分のことを包み隠さず話してしまい易い性格とともに、相手の深いところまで引き出してしまうのが巧みともある。
自分から自分のことを話せば、相手の方だって話すと思いたいが、むしろ、こっちが黙っていても打ち明けられることが多い。
おそらく、これは相手を信用し、真剣にむかいあい、相手を好くせいで、相手側に受け入れられ、認められているという安心感が生じるせいであろう。
人が好きという部分でも、やはり、思い当たる。
日記にもときおり叫んだ。
「みんな、みんな、大好きだよ」
とか、
「老若男女を問わず、口説くぞ。気をつけられたし」(いきすぎ?/誰でも受け入れるくらい、人を好きだと解釈されたし)
とか、
変なことをしている人間/カフェ内で・・/に対しても忠告をすることがあったが、こういうときにも、腹が立つでなく、「おまえ、それじゃあ、自分に惜しいぜ」みたいなその人への好意が底にある。

こういう部分を考えると、もろに憂生は天王星人が当てはまってくる。
これに加え、星座や干支や血液型が微妙に絡んでくる。
動物占いでも、狼でこれも、いくつか、合致する。
変人と呼ばれると喜ぶ。
個性派であることを誇りに思っているので、変人と呼ばれるほど個性があふれてるのかと喜ぶのである。
そして、一匹狼と呼ばれるけど、実は狼は集団で狩をしたりもする。
普段は孤独を好むが仲間意識が強いので何かあったときの協力体制は強く、ここでも、まとめ役、率先役がとかれていた。
そして、手相にも表れているひとつの解釈。
干支が群れる干支(魚の群れとかいう群れ)の人の中指と人差し指に線がくっきり入り込んでいたら人をまとめる才分にめぐまれているという。
干支はいささか、判断が苦しい干支であるが、群れるといえば群れる。
どちらかというと、人の下につくのもきらいで、自分の才能とかを活かせる仕事につきたいとも思っている。
こんなところから、前にも、酒場のシェフ件マスターみたいな仕事がなにかしら「人」とかかわり、才能を活かせるかな?と書いたことがある。

長くなったけど・・終わり。

宿命・・?

まあ、なんでこうも、憂生のポリシーが足元からくずれさっていくのかと、思いもするのであるが、今日、友人とばったり出会って話し込んだ。
友人はさる有名な宗教に属している人であるが、某宗教のように、否定的な見解は出さない。
もっぱら、こっちの言い分を聞くという人也で、何かあるたびに黙って話を聞いて、ぽつりと自分の意見を述べる。
話ついでに六星占いのことなども話した。
まあ、この間から書いてる「宿命」なるものについて、話したとき、友人は久しぶりに宗教からの話を口にのせた。

「宿命を悟って、それを使命にするんだ」と、いう。

なんでそうなのだ?
なんでこうなるのだ?

と、いう矛盾や焦燥感ばかり目について、あるいは、それが、自分の宿命なのであるとは、どうしても、容認できずにいた。

友人は簡単に説明をしてくれた。
宗派に集まる婦人のひとりであるが、
亭主が大酒のみで・・酒が入らなければ良い人なのだが、ひとたび酒が入ると人格がかわり・・・。

その婦人にとって、そういう亭主の女房になることが、宿命なのだという。
その宿命を使命にする。
そんな亭主だと、たとえ離婚して他の人と一緒になってもだめだろう。
その人の横暴など・・・。
支えているのは、婦人であり、婦人に見放されたら、その亭主の人生はどん底になるだろう。
と、こういう見解から、そういうだめ亭主をささえて、人生まっとうさせるのが、婦人の使命ということになってくる。

と、まあ、うまくいえないのだが、憂生には、非常にすとんと落ちたのである。

宿命を逆に使命にかえるか・・・。

宿命につぶされるか・・・。

宿命なるもののもたらすものの
マイナス材料の後ろにある、人を支えるという部分の話を聞いて、確かに憂生も、人を見捨てるような生き様こそ
最悪なものだと思う。

宗教自体は好きじゃないが、宗教の考え方には、先祖伝来のいき方の知恵が詰まっていると思う。

よく、憂生自身口にした、かんがえる。
観を変える。であるが、
見方を変えれば思い方が切り替わる。
もともと、思いの世界が現実になっていくという考え方をしている人間だから、
価値観をかえれば、難や苦しみは自分の価値を高める物事に変わってくる。

ここまでやられたら、へこたれるか?

憂生自身、ねをあげるのは、嫌いである。(よく、愚痴は言うが)
ここまでの人間でしかないと、自分をあきらめるのも嫌いである。

どうすれば、観変えれるか。

暗中模索しているうちに、手詰まりになる。

こんなとき、どんな方向でも、宗教でも、占いでも友人への相談でも良い。

なにかしら、見出したいと思う。

だから、宗教は嫌いであるが、先人の知恵を拝借するという観点にも立てる。

その人の分に応じて・・・。
乗り越えられない試練を神(天?宗教の唯物神)は、与えない。ともいう。
そう聞けば、ますます、乗り越えられるはずのものに、負けるわけには行かないとも思う。

こだわりも価値観も憂生のもので、この底はゆずりはしないが、それを他人に期待してもはじまりはしない。

何度も、本物になるのは自分でしかないと思う。

「わかってるじゃないか」
友人の言葉がよみがえる。

わかっていながら、ゴールは見えながら
いわば、答えの出ている数式のとき方が解からない。

心身ともに、ゴールにはいるのは、まだまだ、先になりそうだが、
なんらか、ひとつ、切り替わってきたような気がする。

またも・・占いがらみ・・

ひとつになぜ、占いや手相に傾倒しているかという原因である。
ここ、最近いろいろあって、転職もわずかの間に3回。
今に至ってはまったく畑違いな事をやっている。

このままでいいのだろうか?

と、言うよりも
本当に自分がしたいことはなんだろうか?
文筆活動も趣味の世界をぬけきれないというか、先にも書いたが空想?創造的世界に一種虚無を感じてのめりこめなくなっている(これが運命星の差配にしろ・・・)出版の話があったこともあるので、思い切って本をだしてもかまわないのだが、こんな状態では、正直、手持ちをだして終わりの一発屋になってしまうだけのみならず、借金を抱えるのが相場。

自分の性分や向き、不向きを見極めないとなにも物にならない。
そんな気がして、占いや手相を見始めた。

実際、器用貧乏というのか、手相のとおり何をやってもそこそこのことができる。
と、いって、飛びぬけてるわけでもない。
結局、隙こそものの上手なれのごとき
ひとつのものに傾倒して磨きをかけるという性分でもないとわかった。

そして、今回。
大間違い改め買いなおした六星人によると、人と接することが好きな性格。
人間が好きな性格。

そして、妙におせっかいな性分。
たまに、面倒見が良いところなどを考えると
まあ、たとえば
スナックなどのマスター兼シェフとかああ?
料理という創作での自己顕示欲の満足?と、深いところまではいりこんでしまう親身な性分とで、悩みまで、面倒みてあげれる。
そんな部分が活かせるかもしれないと思いもする。

まあ、逆に手相鑑定とか、占い相談など、人の良いところを伸ばし、悪いところを削っていくような奉仕?的性格もあるので、占い師なども考えたりもした。

だが・・・。

そういうことをやろうと思ったら
まともに勉強しないと無理。

今はとにかく、行動的になる殺界の時期までに何らかの指標を見つけるしかないのかもしれないと、思ったりもしている

【追記:さきにやる気がおきてこないということが、殺界の影響にのまれているか?と、かいたわけだけど、この文章をみると、「行動的」になる・・とあるわけで?

矛盾する・・ぞ。

で、しばらく、かんがえなおした。

殺界のときの「行動的」が通常、良い場合ではないだろう。

極端なたとえだけど、何らかの良くない事件をおこしてしまうという意味合いでの「行動的」であると考えられるわけである。

そうなると、逆に「やる気がおきない」というのは、自己防御本能であるのかもしれない。

突発的に怒り狂って、事件をおこしたり、自殺したりというのも、

仮に「行動的」であるとするのなら、やる気がおきてこないという、非行動的なの抑制が働いているのかもしれないとも考えられる。

まあ、憂生がこういう占いなどでも、考えることは

「どういう風に、よくとっていこうか」という部分であるわけで、

消極的な肯定になってしまうが、

「やる気がおきない」おかげで、なにかが助かってる部分もあるのかもしれない。

と、いうことになる。

つまり、

「やる気がおきない自分になお、落ち込む」という追い討ちをかけるのをやめる考え方も必要かもしれない。

と、思う。

やる気のない、乗り気にならない状況でさすがに、

気持ちにはジレンマみたいなものがあるが、

「やる気がおきてこない」ということで、

これで、たすかってるのかもしれない。

と、少し、のん気にかまえてみるのもよいのかもしれない。

引き続き、六星占い。

この占いに遭遇する前に、いつだったか、宿命と運命の違いとはなんぞや?みたいな感慨を述べた覚えがある。
憂生としては、字のとおり。
使命などというように命は何らか(事・イベント?)をあらわすと思った。
こうなると、運命は外側から運ばれてくるイベント。宿命とは自分が持って生まれて内に保有しているイベント。
と、解釈できると思ったのであるが、
外側から運ばれてくる他の人間とのかかわりなどでおきるイベントはある程度自分のポリシーなどで、事を具体化するか否かをふりわけてしまえると思った。
ところが、宿命をいえば、
事を振り分ける自分自体をつくっている部分ではないかと思えて仕方が無かった。
たとえば、昔からいうように、憂生は不倫は嫌いである。
だから、運命上で不倫事態が起きたとき、それを自分のポリシーで避けて通ることはできる。
ところが、もしも、自分の宿命の中に不倫があったとする。
ポリシーでいくら制してもどうしても、惹かれてしまう。行動に移すか否かは別として、
この自分の感情はとめられない。
自分の底?から沸いてくるのであるから・・・。

そう考えたときに、宿命・・・。
宿命という氷山の下に何があるか、わからないと思ったのである。

そこで、気になったのが、前世だった。
某番組でも前世の記憶?が今生に引き継がれるという事を実証?するため催眠法で前世を呼び出すという実験を行っていた。
なんだかとても、高いところが怖いという俳優の前世は、パイロットで飛行機から爆弾を投下したり、機関銃で人を撃ち殺していたりしたらしい。
だから、その懺悔の念が残り、飛行機に乗りたくない。イコール高いところに行くのはいやだと今生に働きかけてしまうらしい。

と、この前提を素直に信じて見たときに、憂生がひっかかるのは、正義感というか、筋が通らないことは嫌い。白黒はっきりさせたい。あるいは、曲がったことをゆるさない。
(これを本人に当てはめると矛盾するのだが・・・)
と、いう堅苦しい部分がある。

それで、ふと前世占いをしてみたのである。
ここまで、こだわる部分があるので、
昔は遠山の金さんかなにかっだったのではないか?/笑・・・と。

結局、回答は奴隷だったという。
色んな設問があり、そのほかの質問からのからみがあるが、頭の良い奴隷で、主人の不正や奴隷制度の理不尽とかこういうものに、業を煮やしていたらしい。人を思うのも、同じ奴隷仲間の窮乏を見るに心を痛めていたとか・・・。

この前世占いのほかもやってみたが
やはり、聖職者とか、裁判官というものがでてきていた。

この占いが当たっているか、否かは、憂生にわかるはずも無いが
なにか、宿命の後姿がちらりとみえた気がしたのである。

そして、六星占い。

大殺界の中に宿命大殺界があると聞いて
星の運気をあてはめて見た。
大殺界はこれから始まっていく。
だが、今までの人生。
正直、もうすでに、大殺界が終わっているだろうと思うような悲惨なイベントが多くあった。
ところが・・・まだこれからで、今までにまだ一度も宿命大殺界がないという。
愕然としたのが本音だった。

ただ、10年ひとくくりで、自分を支配する星の運気のひとつがあたっている。
「何もしたくない」
と、いう停滞に近い運気である。
それによると、その運気がはじまると、
今まで好きでやっていたことにも、興がのらずわずらわしくなる。
と、いうのであるが・・・。

【追記:今、まじ、したに書いてある、宿命大殺界にはいってるわけでして・・・。

非常に、やる気がおきない状態がつづいています。

で、ここに書いたのをよみなおして、あ、そうだったのだと思い出しておりました。

左手にあった、筆致紋まで、なくなってしまうという有様で、1000文字物語をうちこむのもやっとというか・・。

それ以前に、書くきがおきないわけです。

これは、一種、エア被災?の影響もあるという思いもしていますが、

このあたりのことに、遭遇して、気持ちが下降するというのも、

あるいは、宿命大殺界にのみこまれかけていたのか?と、はたりときがつきました。

今は、改めて、ここ白蛇に、記事を再移行しなおすことにしようと思っています】

実際当たっているのである。
ぴったり文章がすすまなくなったころ、
それがちょうどその運気の始まりであった。
今もその運気の中にいる。
簡単な文章なら書くが、あの物語たちに立ち向かえなくなっている自分がいるのは嘘じゃない。

そしてこの運気が終わると
憂生は、宿命大殺界連続2回(20年)にはいる。
この時に生き方が大きく変わるという。
悪くすれば宿命大殺界に飲み込まれる。
良くすれば、新天地を開拓する。

自分の底にある宿命・・・

これは、いったい、なんであるのか・・・。
見えてつかんで終わるか
見えて飲み込まれて終わるか

そして、手をじっと見る。

大きすぎる、神秘十字星。

強運であるはずの神秘十字星も
本によっては、最悪の十字星に化すとも歌われている。

5年後・・この文章にどういう付け加えができているか、あるいは、日記も続けられないほどの逆境におちいっているか・・・。

まあ、実験材料気分で自分を眺めて、
そのときに自分の宿命を語ることができるとおもしろかろうとは思っている。

六星占術?

最近、手相にはまって、手を見ては、疑問をもっている。
実際手相はよくかわる。
いそがしさにかまけて、2、3日見ないうちに、線が増えていたり、変わっていたり・・。
実際これだけでは、解からない部分も多いので、専門書でも探そうかと思っていたら、おふくろが、易?の冊子を買ってきていた。二黒土星とか?六白土星とか?(ん?違う?ま・・いいや)そんな本を買ってきていたので、自分の所を読んだらなんとなく、あたってる気がして、で、前述の帆立を買いに行ったマーケットに細木数子(だっけ?)のなんとか星人というのが売ってたので、買ってきた。
計算方法を間違えてはじめ、土星人の本を買った。ところが、内容を読んでいくと考え方とか・・・。ぴったりあてはまるので、ぜんぜん気にしていなかった。
よくあたってる。と・・・。
その話を職場でした。
オーナーが「わしのも買って来い」というので、計算したら、なんと、オーナーが土星人。
ここで、はじめて、自分の計算ミスに気がついて計算しなおした。
そして、ちょっと、立ち読みした(計算ミスのまま)友人の星人がなんと、自分のものだった。
正直、ぜんぜん違う。
まして、その友人の行動癖に問題点が多くあり、あたってると思った星であった。あんな風にろくでもないのは、生まれ持った星のせいでもあったのかとさえ思ったのである。
が、なんと、その星が自分の星で・・・あると・・・(涙)・・・わかった。
ここまで書いて何星人か明かしたら、同じ星人に申し訳ないことになってしまうので、今回はあえて、書かないが
干支との兼ね合いで憂生にはその星人の悪いところがまったくない。
仕事面でもオーナーとの掛け合いもベストマッチしている。
お袋の易本の内容も手相と合いまわって
二足のわらじが符号しているし、
星人の占いも副業がまいこんでくると書いてあり、実際、早速小規模ながらもともとの調理の関係で頼まれ事がきた。
一軒の店を出すほどの実力は無いが
小宴会や打ち上げなどの盛り合わせや
つまみ類などなら意表をつくものは出せる。ただ、儲ける計算ができないので、
オーナーからは釘を刺されている。
このあたりも星人の占いに符号する。

苦笑しながら、親父の血の濃さを思い知らされている。
先祖の因縁?といったら、線香くさいが、一番近い先祖は父母であるのだから、その影響は濃いだろう。
細木数子女史も、先祖とのかかわりについてはなんらか自分の運勢に混じる部分を力説していたようにも思う

夢と深層心理と・・

昨夜はひどい夢をみた。
内容は省くが、あまりにも凄惨な夢だったので、思わず?夢占いなるものに行ってきた。
夢の内容を入力してそのロゴから意識下にあるものを判断するのであるが、内容の悲惨さより、そのロゴのもつ意味が重視されていた。

結果、一つのことに幕が引かれる。
と、いう暗示であるとでた。

なんとなく、その占い結果を読んで、すっきりした部分がある。

そして、寝入る前に考えていたことと、照らし合わせる。

映画であるが、ベトナム戦争を扱った映画に対して、ある人がどんな映画であるかとたずねてきた。
ところが、有名、超大作であるにかかわらず憂生はみたことがない。
いや、見ることを避けていたので、その部分を説明した。

「さっぱり、判らない映画だと思う。
日本人には理解できない。アメリカ人でなければ、理解できないと思う。映画の背景にはPSTDがあるから。ベトナム戦争にかりだされ、PSTDをわずらう。アメリカの銃社会を考えても、このPTSDの発祥からの犯罪も多くあると思う。アメリカは正義でありヒーローでなければならないはずなのに、自国が正義を振りかざしたベトナム戦争により、国内に病巣を作った。
だが、それをあえて、認めることができなかった状態の中、この映画のうしろにあるものは、かなり深刻である。
アメリカという国は自分の生み出した脅威におびえて初めて是正観念を持つ
たとえば黒人差別。
キング牧師の暗殺などを思い浮かべてくれれば、あのころに人種差別を扱った映画が公開されている。問題提起の得意な国である」
と、言うようなことを言って、話を終わらせたのであるが
じつは、このPSTDが妙にしこりを残していた。

PSTDはなにも戦争や犯罪の被害者ばかりがなるわけでない。地震や人間関係などにより、「アイデンテイ」が崩壊することによってもおきる。

そして、ネットをめぐりこのPSTDを調べていた。

その中の一つに
「悪夢」という再体験というものが有ると書かれていた。
ベトナム戦争から帰還した兵士は自分がいつ殺されるかわからない恐怖におびえ、モラルを失墜させる。
すなわち、殺される前に殺す。
自分を護る方法が殺人先行である。

モラルと精神的均衡がくずれさった状況は「自分が殺されるかもしれない状況下において」正常な精神であろう。

ところが、一歩、平和な現実に戻ってくると自分がモラルを失い精神的均衡が崩れ去っていることに気がつく。

ネットでは精神の複雑骨折とも表現していたが、むしろ、憂生は精神の義足状態だと思う。

ベトナム戦争ですりかえられた足(精神)は、通常の世界に戻っても渾然と存在している。

「殺されるかもしれない。自分を護るために、先に人を殺すんだ」
極端であるかもしれないが、
この義足はなかなか自分の思い通りの歩行をしない。

自分の義足が勝手に暴走する恐怖や
殺されるかもしれない恐怖や殺してしまった人間へ恐怖についで、自身のモラルの崩壊。

(こういうバックグラウンドが、たとえばジェイソンを生み出す構造になる)

そんなことを考えながら、昨夜は寝入った。
憂生自身、PSTDかと思われるふしがある。
ところが、悪夢なぞみないので、違うと思ってもいたのである。

ところが、ひどい夢を見た。

第三者まで間接的に殺してしまうという夢だから・・、これは深層心理の現われだと思った。

殺したいほど憎んでいる。
これを認めないからPTSDになりかけている。
そう思った。

夢により、やってはいけないことの欲求?の解消をしているとも思った。

そして、夢占いをみた。

なんとなく、謎がとけた気がした。

ひとつのことに幕が引かれる暗示。

ここのところは、うまくいえない(他のところもうまくいえてるわけではないが)

悪夢さえ見ないほど心を偽っていたというとおおげさかもしれないが、
悪夢をみさせないほどの膠着から開放されたと思うのである。

なにかに、幕がひかれた。

ぼんやりとではあるが、確かにそんな気がする。

手相のことから・・・・

いつだったか、風海に
「じゃあ、神秘十字あるでしょ?」
と、聞かれたことがあった。
その時は無いと答えた覚えがある。

あるといえばある。
それなのに、
なぜ、無いと答えたか。

神秘十字と判断していいか、どうか分からなかった。

頭脳線と感情線の間に
運命線を横切る十字形ということなのだが・・・。

横切り方が通常の十字線と違う。
感情線から派生した横線が
生命線にまで届く。

神秘十字とは呼べないと判断した。

原因はそれだけじゃない。
神秘体験?は数多くあったが、
まわりに、もっと的確?に神秘?をもってる人間が多くいすぎた。

加えて、自分のことになると、さっぱり、分からない。
怪我のときも、結局、勘が働いたのに
避けることができなかった。
こういう、結局、なにもわからない状態において、
これが、果たして神秘十字といえるだろうか?
と、思ってしまった。

神秘十字のひとつに、先祖などからの加護というものがあるらしい。

こういう先祖の加護というものを、憂生は信じる。

だから、簡単に言えば、怪我という難も、じつは、それでも、大きい難が小さい難になっているのかもしれないと思う。

人間の浅い知恵、見識で、なりえなかった(避けることのできた)もう一方の現実がいかほどのものであるか、分からない。

分からないから、たとえば、憂生のように、察知した怪我を避けられなかったことが、難だと思う。
ところが、もしかしたら、怪我を避けていたらもっと、ひどいことになっていたのかもしれない。

あるいは、何らかの段階が違うのかもしれないとも思う。

極端なたとえだが、
霊長類というくらいだから、
霊の段階で、先祖が怪我を避けさせようと思いを沸かさせる。

ところが、たとえば、神とか?
憂生の考え方の一つである。
「帳合」
憂生の生き方、思い方に対して
何らかの帳合(叱り、罰?)をとろうとする存在があって、
怪我をさせることで罪?を贖うことができるとするならば、
怪我をしたほうが
憂生は助かっているという考え方ができる。

こういう二重構造はよくあって、
こっちの勘が外れることがよくある。
こっちの勘がある種霊的なものであるとするのなら、
もっと、大きな神というか、運命までは読み取れない。

こっちの勘があたっていないとさもあたるように言うが、
どういうのだろうか、
たとえば友人の事故。
こっちは、その深夜、その時間、完璧に事故をおこしたと念?らしきものを受け取っていた。

ところが、ぴんしゃこして朝、出勤してきている。
聞けば、その時間運転を変わった友人が居眠りしていて、あわやの所で気がついて事故を回避したとか、
女性の友人では「子供が死んだ」と
やはり、念がはいり次の日、切迫流産で入院したと判明。子供は無事だった。

勘?がささやいてきたことが、本当ならそうなることなのか、そこは定かではない。
ただ、それを避けさせるもっと大きなものがある。
飛行機事故・・これも、友人を空港に送っていったとき、「事故る」と思わされていた。だが、そんな自分の妙な勘をしんじちゃいけないと、なにも言わず友人を空港に連れて行った。
ところが、なにかのアクシデントでその便が欠航になった。
友人にその勘のことを話したら
「自分も事故ると思っていた」
と、返事が来た。

単純に言えば、欠航になって「難」なのだが、じつは、事故という「難」を避けていたのかもしれない。

運命?を守護する大きな神秘は実の所、自分にはわからないのかもしれない。

二股の頭脳線

この間も手相の話を書いたと思う。
手相を見るにつけ、多方面の才能を表す二股の頭脳線の通りだと思っていたが、最近(占いの流派によって、鑑定は異なるが)運命線まで二股に分かれ始めた。

二足のわらじというか、多方面に職種が伸びる。
頭脳線の位置も芸術や創作方面にむく。

社会的に認められる場所にも、幸運の兆しが見える。

そんなことをおもっているうちに、恒例の秋まつり。
祭りの練習の後につまみがない。

おまけに、昨年同様、打ち上げの料理を依頼されているので、練習がてら、つまみを作っている。

この辺りが手相の示す創作(?)方面の気がする。
なによりも、憂生自身が楽しんでいる。

つまみを持ち込むとついでに、批評を聞く。
その時にちょっと、尋ねられた。

ひらたく言えば「何が楽しいのか?」

細かく言えば「おいしいものを食べさせたいというのが、料理人の心理か?」

今の仕事に変わってから、よく、外食する(ランチ)。
正直、値段と味の比較になる。

たとえば、5000円ほどのコース。
それくらいのものに対して、そこまでの金をとられる以上、こちら側の目は厳しい。
単純に言えば、「驚き」
ああ、おいしい!!
とか、
あ?こういう味覚斬新!!
とか・・

その辺りも値段にも関わる。

先日、某有名ステーキハウスのコースを頼んだ。
正直、有名のバリューに騙された結果になった。

また、別のとき、フランスでの修行をおえたシェフの料理(Cランチ)
額面は2300円だった。
自家製パンもおいしく、サツマイモのポタージュもうらごしが綺麗で生クリームの加減も程よく仕上がっていた。
前菜も卒がなく、ステーキも結構分厚く、添え物のホットベジタブルも意表をついてくれたし、デザートの三種もよかった。
が、値段相応。なのである。

別の所で、1280円なりの和食を食べた。
初めに梅酢や、桃酢の食前飲料を出された。これが、まず、こにくい演出で
膳が出てきたときにおやっと見た目で「おどろき」があった。
値段・・のわりに豪勢な器に品数。
0、食前飲み物
1、鯛の刺身・はもの梅肉のせ
2、てんぷら(えび2匹・なす・かぼちゃ・れんこん・エリンギ)てんつゆでなく抹茶塩が添えられている。
3、小鉢は和え物(白和え)
4、前菜3点盛り合わせ(梅肉くらげあえ・ねぶとの南蛮漬け・だしまき卵のみょうが添え)
5、ピーマンとシラスの山椒風味の炒め煮
6、八丁味噌仕立てのとん汁
7、古代米と五穀米のブレンド

そして、お茶を入れてくれなかったので、お水をのむと、仄かな薬草の香り

これで、1280円は絶対安い!!

安直に言えば、売る?ということの絶対基準は「また、食べにきたい!!」につきる。

たいして、うまくないものが、高いなら、同じ値段を出して、スーパーでかったら肉一つでもどんなにおいしいものがたべられるか。
よほど、自分で作ったほうが良いと思うほど「食べに来た」価値がない。
また、
値段相応のものとしか、おもえないものをあえてもう一度、食べに行きたいとは思わない。
逆に、1280円で、あれだけのあじ、驚きを知らされると、もっと、高い値段を出したら、どう料理するのか、頼んでみたくなる。
これが、逆に1800円とかの値段ならば、値段相応と思う。

こういう食べる側の「金を出す以上~~」という感覚は、料理人にとって、計算外の部分であると思う。

だが、ただ、ひとつ、思ってしまうのは、料理人が店舗?を持ったら、ある部分で、つまらなくなると思う。

メニューはほとんど同じ。
それをくりかえし作る。
前菜やスープなどは、メインで無い部分で勝負の品物でないし、
定番のものがころころ変わるのも、問題がある。
基本的なものは同じ。

この繰りかえしの中で、料理人の
「おいしいものをたべさせたい」
イコール
「飽きる」におちこんでいく。

そこで、やっと、憂生の話になる。
先に書いた「おいしいものをたべさせたいというのが、料理人の心理か?」
の回答である。

料理人といわれるものならば、おいしいものを作り、食べさせたいのは当たり前の当たり前。基本精神?でしかない。

食べる側からの側面を言えば
「おどろき」のないものは、感応(食欲
)の水面下から何も飛び出してこない。

おどろきの中で一番上等なものは、
「こんなにおいしいもの、もう一度食べたい!!」
であると思う。
これが、できれば、「この料理人の作るほかのものもたべてみたい」
に、つながる。

そして、ここが、一番のポイント。

どんなにうまいものでも、飽きる、慣れる。

だからこそ、料理人は
「この料理人の作るほかのもの」でも、
「おどろき」を与えたいと思う。

おどろきはいろんな様をしていると思う。
おいしいをベースに「おどろき」をもたらす味付けをもたらすように、日々精進するのが、料理人であると思う。

そして、憂生は作ったものをたずさえて、雑談に加わる。
輪の中のひとりでも、口から知らずのうちに「おいしい」をもらせば
「おどろき」が雄たけびを上げたと思うのである。

つくづく、天王星人だと思う、憂生である。

乱世の覇者というパターンで、どこにいっても、

なにか、乱れていることにひかっかる。

誰かのことを考えてるときは

まあ、自分のことなんか、ほっちゃらかしになってるんだけど、

ぴったり、平和になると

途端に自分の中の内乱にしょげ返る。

まあ、簡単に言えば暇なんだろう。

これが、いそがしかったり、

なにか、夢中になってることがあると、

それどころじゃない。

どっちかというと、多趣味であるていどすると、

飽きる?

飽きるといったって、やめてるわけじゃないんだけど・・・。

いってん集中が、すごいっていうのかな。

物語でも最初の1年で、仕事しながら

300万文字以上書いていた。

とことんまで、いかないんだけど、

ある程度のところまでいくと、

興味がすっとひく。

まあ、一種、前世が次々はまってくるって感じかな。

カメラもやったし、ろうけつ染物もちょこちょこ・・。

ず~~と、やるというのでなく、

少しでもやったら、「気が晴れた」みたいに・・。

まるで、前世が納得したみたいにすっと、気持ちが離れていく。

今は、物語ほうちして、スピリチュアルばっかりかいてるんだけど、

これもそのうち、離れていくだろう。

応援?エール的なこと、問題提起もいろいろかいてきてるし、

笑い話も書く。

見方を変える必要が有るんだろうね。

変えると同時に、それらは、どこかですべて繋がっていく。

創作談義を書いていく中で、料理をたとえにすることもあるし・・。

最終的には物語になるんだろうと思う。

物語の中でも、宗教的要素があったり、生き様あったり、

性あったり、料理をもちーふにすることもあり、

いろんなことを吸収しなおす時期に来てるんだろうなって思う。

実際、昔のメッセージなんか、自分でよんでると、

なんだ、わかってるんじゃん。

ってのが、自分でいくつもあるわけだけど。

こう、実際あゆんでみると、

もう少し違うとおもったり、

本当にそのとおりだなって、思ったりするわけで、

まあ、今状態的に、繭作ってるなって思う。

いろんな、糸(意図)をはきだして、

その囲いの中でうずくまって、

蛹になる。

今その繭つくりだなあって思う。

いろいろ、自分の中をはきだしまくってるわけで、

時に、批判じみた意見をのべてしまってるけど、

これは、憂生にとって大事な作業。

吐き出してみなきゃ、

意の中になにがはいってたか、わからない。

なにもかもはきだして、

繭を作る。

非常に・・・

わがままなもすら~~~~♪で、

ごめんにゃ。

白い光

過去形のはなしですが、昨年の話です。

なにかしら気になって、よく訪問していたかたでした。

知っていくうちに、何があったか判らないけど

パニック症状をもってらしている。

たとえば、潔癖症とか、先端恐怖症・閉所恐怖症;高所恐怖症

とか、そういう類です。

精神病というのは、一概にいえませんが、

なにかしら、心霊的部分を誘発する場合がある。

と、いう気がしています。

逆かもしれません。

前世という考え方で言えば、前世の恐怖心や体験が

今生で同じようなことを体験し、その恐怖心を増幅し、

その恐怖心にまた、心霊が重なる。

こういう事例かなあと思うものをみてきたことがあり、

思いの面で心霊部分を取り払っても

まだ、ほかに出てきて、次もとりはらって、

(あくまでも自分の思い方を強くするということです)

で、やっと、本人の基である傷、恐怖症部分がうみだした

アニマみたいなところにいきつく。

こんなことがあったので、

なんとなく気になっていたわけです。

心霊現象までおこすところには、いってない。

増幅されたりしていない。

と、思っていたわけです。

ところが、ある日。

ブログに信じられないかも知れないけど

幽霊がみえる。で、これはずっと前から子供の頃かららしいのです。

その幽霊があらわれて、最近はなにか、いらいらして、

しんどくて、ねむれない。

で、ちょっと尋ねてみたわけです。

部屋のつくりとか。

霊道になることはないか?

と、いう事が切欠でした。

本当は思い方の部分でたずねあわせたかったのですが、

急にそんなことを聞くのもどうかと思い、

そういう話からはじめました。

そして、憂生がここでも書いていることですが、

見えるとか、そういう能力を実は自分で認めていないか?

そして、見えたものにたいして、どこかで、肯定していないか?

本来は見えないほうがいい。

でも、見えて、その相手をすごいとおもっちゃいけない。

すばらしいのは自分なんだよ。

って、毎度同じパターンですがそんなことを話しました。

すると、メールで返事が返ってきたのです。

憂生自体、目でわかることなんてほとんどない人ですが、

そのメールを開いた途端白く光ったのです。

ああ、その人の思いかなにか?

基になる部分は高い次元のものだなということだけは

感じました。

そして、メールを書いているうちに

この人を護っているものが居る。

と、いう気がして、

それが、おじいさんかおばあさん。

宗教を収められたか、なにかで、人徳もあるひと。

そうおもったので、尋ねてみたわけです。

(あくまでも、憂生は勘のようなもので、確かめなきゃ判らない人です)

すると、部屋に現れる幽霊がなくなったおじいさんと良く似た格好をしている。

と、いう答えが返ってきたわけです。

そのメールをよんでいると、憂生に例の如くのじと~~~んが

はじまったわけです。

こりゃあ、相手の人が憂生を怖いとおもったか?

あるいは、憂生を探る思いでなにかがこっちをみてる?

と、思いながらなおも、メールをみていると、

憂生は不思議なことに、

そのメールに手をあわせたくなるのです。

よほど、徳の高い霊か?神か?なにかがいるのかな?と、思いました。

ですが、手をあわせるということは、

憂生の考えではよくないのです。

相手の方が上?だということをあらわしてしまい、

こっちに憑依されるという事もありえることだから。

でも、まあ、そう思うんだから、手をあわせることにしました。

自分に向かってはごめんなさいってかんじで。

すると、じと~~んがなくなって、

こっちが思ったのはメールの中のなにかの様子を自分が表している。

まあ、言えばイタコみたいな状態でしょうか?

つまり、メールの中の何かがこっちをおがんでる。

手をあわせてるんじゃないか?

と、思ったときに

あ?頼みたい事があるんだ。

と思ったのです。

それで、いろいろかきはじめました。

それは、ここにも何度か書いたように

自分が尊いって事のいろいろだったと思います。

そして、おじいさんだと思われる人がそのことを伝えてくれと憂生に言ってきてるような気がするという事を書き、さらにもう少し伝えようとした

「もうそれだけでわかる」

というおじいさん?の思いがはいってきたので、

それで、ここまででやめて、

その「もう、そこまででわかる」といわれるので、ここまでにしておくという事を書き添えました。

すると、向こうからの返事は実に簡略でかつ、的をえたもので、

「もうそこまでで、わかる」

が、本当だったとわかったのですが、

その返事はちょっと、ここにかいてよいか、迷うところですが

ようは「自分が尊いということを意識しろということですね」

と、いう内容だったわけです。

まあ、今、憂生はここきんぺんであったことをすこしずつ、だしてみようと

おもいはじめているので、こう言うことを本人の了承なしにかいていますが、

ひとつには、こういう段階をぬけようと思っている憂生がいるせいです。

因縁を変える元

思いを救う・・・。

こういう言い方をしはじめたのは、

憂生がかいた白蛇抄の中でですが・・。

因縁や業や、あ~~じゃの、こ~じゃのって、

結局、人間の感情(思い)が元でできてしまったものです。

だから、因縁を切り替えようと思うなら

思い方から切り替わっていけばよいという

極論になるわけです。

で、そんな思い方が切り替わると

因縁まできりかわるかい?

って、思われるのではないかと思うのです。

え?

思わない・・・?

あはは・・、それじゃ、話が続かんとでしょ?

思うということにしまして・・。

で、因縁というと大括弧すぎるのですが、

憂生のまたも不思議な話です。

従兄弟が事故で亡くなりました。

で、従兄弟の仏壇に線香をあげていると

「ち・・またきたのかよ・・うるせ・・」

仏壇に線香を揚げているのが憂生だと判ったら

そのつぶやき(のような思い)が止まるわけです。

誰のことをまた、来たかとおもったのだろう?

それとも、線香を上げに来る人全体がやかましい?

静かにしていてほしいのかな?

でも、それだったら、途中で言葉がとまるのはおかしいなあ?

誰かのことをうるさいといってるのかなあ?

って、まあ、こんなかんじにしか思っていなかったわけです。

ところが、休日、家で寝転がって、うとうとしていたら、

夢の中に従兄弟がでてきて、2回目には

横にごろんとねころんで、

「ここはいいなあ・・良い話がきける・・」

仏壇の時の気配とは全然違う。

妙なことがあるもんだと師のほうにはなしたわけです。

で、良い話っていうのが、師から教わったこととか

そんなことでもあったので、

死んだ人でさえ、良い話だとききにくるみたいですよ。

と、伝えようとしたと思います。

ところが、

「その人は自分が亡くなったことにきがついていませんよ。

そして、お父さんのことをきらっています。こうるさい、うっとうしいと」

ああ、あの、仏壇の時のうるさいはおじさんのことをいってたのか。

と、納得していたら

「本当の親子というものが、どういうものか、みせてあげられたら、

その人は気がつくんです。

気がつかないと、ず~~とそのまま、さまよいつづけるでしょう。

何をいわれても、「はい」とうけとめて、子供は親をたてていく。

その姿で自分が間違っていたと気がつけるのです」

いわば、「うるさい」という思いのせいで

従兄弟は自分が死んだのもきがつかずいるときこえたのです。

で、もう一人の従兄弟がその役をかってでてくれて、

おじさんになにをいわれても、「はい」で、とおしていったのです。

半年かな。1年後かな。

再び仏壇の前に座ってももうなにも聞こえなかったのです。

これくらい思いがきりかわるだけで、

成仏するわけです。

死んだ人間ですら、こうなのですから、

生きてる人間が思い方をきりかえていけたら、

因縁だってきりかわっていくと思うわけです。

で、問題は

だれだって、そんなことは、わかっているとおもうわけです。

思い方を切り替える。

どうやれば、きりかわるか。

これが、一番むつかしいもんだいなのです。

で、この話を作品にまとめた?ものが、↓

オーラソーマ占い

オーラソーマの占いの精神部分。

これは、その日によってもかわるものなのだけど・・。

潜在意識のレベルにある否定的なパターンに支配されてしまう傾向があります。

って、ところは、なぜか、なんどとなく、この結果が出てくる。

否定的パターンの潜在意識。

コンプレックスというものなんだろうけど、

なぜかなあ?って、思う。

単純にいうと、自分じゃだめなんだ。

って、いうところなんだけど、

これが、逆にばねになって、

「自分じゃなきゃできない。かんがえられない意識」ってのを掴んできたと自負している。

だけど、なぜ、そういうところがしょうじたかっていうと、

ちいさな頃の環境だろう。

両親共働きで、よそにあずけられたり

そういう状態で、

子供心に

「自分より大事なものがある」

って、いうのかな。

憂生もよく覚えてないんだけど

「家にいるおかあちゃんと仕事にいくおかあちゃんとふたりいればいいのにな」

と、おふくろにいったそうだ。

ひとりっこだったから、家に誰もいない。

寂しいって気持ちも知らずにそだったけど、

「自分が一番大事な存在っていう存在価値観をもてなかった」

だめでも、「家におってほしい」って、いってみる

と、いう自分の気持ちをおしころしたんだろう。

自分をなだめたのは、自分は二番目。

気持ちをいうことができるのは、1番目の人間が言える。

どういうのかな・・。

ペットじゃないけど、ペットが「家にいてくれ」なんていうのは、

分をわきまえんというか、いえるせりふじゃない。

ちょうどこういう、一番じゃない、ほかにだいじなものがあって、自分は二の次になってもしかたがない。

まあ、これが、いろんな場面で人がこっちに対して思ってくれる思い方を要求できなくなったところがある。

「おもわれないものを、無理やりおもわせてどうするん。

要求せんと思ってもらえん思いをもらいたくない」

憐れというかもしれない。

それゆえに、おちこむと、潜在意識のレベルにある否定的なパターンに支配されてしまう傾向があります。なんだろう。

どうしても、どうでもいい人間でしかないっていうコンプレックスが顔をだしてしまう。

どうでもある人間になりたいって思うのも、そのおかげなんだから、文句いっちゃいけないけど、

裏表の部分だし、だからこそ人に対しては思う人間が育ってきたと思う。

ただ、通じないんだなって思うとき、正直がっくりくる。

こっちがかわるしかないんだけどね。

こっちがまちがってるんだろうなって、認めるのが悲しいんだろうな。

でも、まあいいや。

合ってるものどうし話していたってはなしにならん。

合わないものをお互いがみるから、お互いの考え方に幅が出来る。

はず・・。

潜在意識のレベルにある否定的なパターンがあることは、問題じゃない。

支配されてしまう傾向があります。

って、とこが問題なんだよな。

ここらへんをもうちょっと、かんがえなおしてみなきゃいけんな。

以下占い結果:

何か問題が生じると、自分のことを完全否定したくなるような挫折感や落ち込みを味わうことがありませんか? あなたは、潜在意識のレベルにある否定的なパターンに支配されてしまう傾向があります。それは、心の奥の自分自身とうまくコミュニケートできていないためなのです。感情をありのままに表現することがあなたの課題。自分に対して正直になって、想いや感情を抑制するのでなく、感じたままに言葉や行動に表現していきましょう。身近な家族や恋人に、言いたいことをちゃんと伝えることが第一歩です。

宿命大殺界に突入?

よくよく、かんがえてみますと・・・。

憂生さん・・。

あ~~た、来年(2011年)から大殺界でやんすよ。

おまけに、

20年続きの宿命大殺界に突入でやんす。

今までをふりかえると、もろにあたってるわけですが、

数ちゃんの(友達か~~~~~)の本をよんでから、

逆にはずれること、このうえもなしになってますね。

よいことも、

悪いことも。

って、まあ、なにをもってして、よいことかつ~~のも考え方次第で

大金あたらねえ/笑

手相でも、でてるのに。3000円/笑笑

でも、これ、当たらなくてよかった。

って、本気で当たると思う人間は助かったと思う。

金なんかあたった日には人生狂います。

周りに居る人間が泥棒に見え

就日、金に心うばわれ・・。

もちつけないものをもつとえらいことになる人間性なんで

いっそうあたらないんだろうけど・・。

さて、来年から宿命大殺界にはいるというものの、

こう言うのは、突然はじまってくるのでなく、

その1~2年前から変化が出てくるようです。

この1~2年。

歴史に料理に占いにスピリチュアルに・・。

まあ、興味がわくこと暫時。

しらべまくること、盗人のごとし。

いくつ、(歴史資料は、)ウィキなどから、とってきたことやら。

場合によっては、検索者様がウィキにいかず、こっちにきているという/まじい?

で、宿命大殺界ですが、研究熱心になる。

つ~~んですよ。

その次の10年で研究したことなどから、

いろいろ発表していく。

あと、10年。

ウィキから、盗人行為をせよということですな。

そこから、又、考察する。

そして目下結論がでてない手相の線も10年もみてりゃ、

結論づけられるものもあろうし、

数ちゃんの占いもどうかいなと・・・・。

人体実験中ですので、

まだまだ結論がでない占いですが・・。

いろいろ、考察だけはしていきたいと思ってやす。

鑑定士

カード占いとか、筮竹とか、まあ、こういうものについて、いえば、

信憑性は、ない。

と、思うんだけど、どういうのかな、

その『目』がでるということに、何らかの波動が伝わるということは

ありえると思う。

で、カードの種類とかをかんがえると、

???通りという数がでてきてしまって、

じゃあ、人間の運勢って、???通りしかないか?

って、ことになってしまう。

そこで、大事なのが占われた結果をどう解釈するかってことになってくるわけで、

これは、占い師の人に「ぶっちゃけた個人情報」を伝えて

自分の場合にどう当てはまるか?

って、ことを一緒にかんがえてもらうしかない。

単純に占い結果をしるだけなら、

今の世の中だから、本にネットになんでもあるわけ。

問題は、占いの結果を自分にどう照合していくかってことで、

ここで、占い師の力量が試されるってことになるだろう。

鑑定士にも、いろいろなタイプがあり、

ここが、重要だとおもうんだけど、

鑑定士のもつカラーもあるわけで、

手相でいえば、

「私はソロモンの環をもつひとをよくみかける」

と、言う人がいるかと思えば

「ソロモンの環を持つ人は少ない。見た事がない」

と、言う鑑定士もいる。

どういうんだろうなあ。

鑑定士自身がもつものに引き寄せられたり

離されたりするというのが、あるんじゃないかな?

って、気がする。

そして、鑑定士の持つ性格というのかなあ。

こういうものもあろう。

憂生がこの人はいいなあ。

と、おもったのは自分の鑑定結果から、

きちんと鑑定論をうちたてている人だった。

鑑定論は結婚線のことだったが、

離婚するという線がでてるのに、離婚しない。

良縁の線がでているのに離婚する。

このことから、

この線は「結婚感」「結婚観」じゃないかという説。

今の結婚にたいして、「この結婚はよくなかったな」

って、いう「観」「感」ではないかということ。

だから、そういう思いになっていれば、当然離婚しやすいわけだけど、

一方では、「よくなかった」と現状を認識しているだけで、

これを、打開しようとしているかもしれないわけで。

逆に結婚観としてとらえれば、よい結婚線をもっていれば、

当然うまくいきやすいだろうけど、

逆にこの結婚より、あっちのほうがもっといい。

と、おもってしまったら、あっさり離婚して

別のひとと一緒になってしまったりするかも。

ああ、結婚運じゃなくて、結婚観(感)か。

って、かんがえたら、ほかの線も多少なりそういう

観(感)でとらえることができるな。

と、おもったわけで、

この微妙な、『運』と『観(感)』の違いをかぎわけることができたら、

当の本人の「感」「観」について、

ほかの線からも、みていくことができるわけで、

例えば、正義を重んじるみたいなところがあれば、

「それ、間違ってる」という見方で伴侶をみてしまい

それが、結果的に

「よくない結婚だった」観として、手にでてるんじゃないか?

だとしたら、間違ってるという受け止め方を

かえてあげられるような、アドヴァイスをできるかもしれないわけで、

これが、きっかけで、「開運」に導けるかもしれない。

そういうほじくった見方をする憂生は

「運」と「観」の違いをしっかりみさだめた鑑定士がすごいなとおもうわけだ。

で、そういうのが、いわゆる、鑑定士のもつ色ってことになり、

これにより、

同じ占いでも、見てもらってよかったという鑑定士と

なんじゃ。そりゃああああといいたくなる鑑定士が出てくるんだろうと思う。

鑑定士も人間である以上、

どこまで、相手を包み込んだアドヴァイスができるか

難しいところはあろうと思う。

ただ、鑑定士自らがオーラを発するしかないと思う。

「真剣に鑑定します」

と、一言でいうと簡単だけど

とんでもない深い悩みがとびだしてきても

一生懸命アドヴァイスするという

真剣な対峙を覚悟にもってしまうということだろう。

で、みょうなもので、

この覚悟を持ってしまえば

「そういう風に真剣におもってもらえるということで、

自分に自信をとりもどせた」

とか、直接、解決していなくても

本人に解決していける・・

立ち向かえる勇気をわきあがらせることはできるわけで、

憂生はこういう意味合いでも

先にかいた鑑定士はすごいとおもうわけだ。

「あ、離婚線になってますね」

とか、そんな運命が決まったようなものの言い方をする鑑定士は

あほじゃとおもうし、

仮にどうみても、離婚だとしても、

せいいっぱい努力しての離婚と

もういいやという離婚では全然違うわけで、

どのみちだめだとしても

本人が投げ出さずにがんばったというものをもたせるようにできたら、

この先の人生を「がんばったものにしていこう」って

早くたちなおれる。

そういう意味合いでも、「運」として捉えない見方をするのは良いと思う。

まあ、憂生は鑑定士じゃないし、細かいところはよくわからんが

基本的に

「この人がよくなってほしい」という思いをもっていたら、

言い方も思い方も間違わないと思う。

人の人生に関る部分だけに

いっそう、自分の人生への姿勢が反映されるのが

鑑定士だと思う。

「指導者の条件」・・・1

手相のせいにしちゃいけないが、

いかにも、指導者になるかのような/大笑い

線がでているので、

本棚の中の1冊にひかっかった。

ゆずりうけた大量の本を前にしながら、

ほとんど、読まないという人間で

この1冊もノウハウチックで目もくれずにいた。

半分、宗教チックにおもえて、むかしから

よく見かける人の本だったが、読む気になれなかった。

松下幸之助である。

これが、ソロモンの環の解説のところに

松下幸之助が離れた場所にいながら、社員の心を察知するなど

こう言う能力なども指そう。

と、いうのがあり、

かつ先に書いたように、どこまで自分を把握しているかってことでもある。

と、松下幸之助の「自分把握」に興味があったし、

彼の把握する「指導者」とはどういうことだろう?

と、ちらりとめくってみた。

う~~む。

読んでみようというか、

照らし合わせてみようと思った。

しょっぱなからこうだ。

「指導者は人・物すべてをあるがままにみとめなくてはならない」

で、この言葉だけをよむとまちがえやすい。

「うのみにしてしまわなきゃいけない」

と、とりちがえてしまうということだ。

あるがままというのは、

個人の感情とか、色がついた見方でなく

そのもののもつ本質をそのままみつめることだろう。

悪いは悪いと

良いは良いと

これさえ判らないで、あるがままにうけとめるとはいうまい。

何も判断できず、うけとめるのは、あるだけとしかいえない。

まず己の感情の色をつけずにうけとめる。

これは簡単に言えば

「その人間を好きになることだ」

そして、悪いところは矯正してやり

よいところは伸ばす。

このよいところを伸ばす力?技?心も

悪いところを矯正する力?技?心も

もっているのが、指導者であり

そういう力があるから

「その人間を好きになれる」

あの部分けずってやれば、よくなるな。

そこがわかるから、

人をきらうことはない。

あの部分よいな。そこがわかるから

人をきらうことがない。

そして、指導力があるから、

ものの見事に削りもし伸ばしもできる。

これができるからこそ

「その人間をきらうことがない」

あるがままに見る。

簡単な一言だけど、指導者の条件だと確かにおもう。

そして、指導者の資質というものがどういうことかうかがわせる。

で、まだ、本文はよんでないんだけど・・。

こういう短いタイトルが100近くある。

ここまで、意識化しているというところも指導者の資質がなせる技だろう。

こういう意識化みたいなことについてもかいてあるか?

かいてあったら、どう捉えているか、興味のわくところである。

不思議な科白・・・

最近、続けておめにかかった言葉が

ちらりとかいたが、

「助けてやる」「救ってやる」

「困ってる事があったら、相談してくださいね」

って、いう言葉なんだけど。

どうも、憂生はいかにも「哀れそう」にみえるんかい?

と、思うのである。

まあ、いいかたをかえれば、

「ちょっと、前までの憂生だったかもしれない」

ああ、哀れそうなのがじゃなくて、

「助けてやる。救ってやる。相談しておいで」

ってのが・・・。

物語をいくつか、かいていくなかで、

こういう部分は陰陽師の中にもでてきているわけで、

じっさい、リアルにおいても、

「自分に因縁があるから、例えば(救う?)ということをするわけで、

自分が(救う)ようなことにかかわらなきゃいけない救われない部分が自分にある」

と、いう気がしてきたわけだ。

どうも、うまく説明できないな。

いくつか前に書いた日記のなかで、

入水自殺をしかけた?人に念を送った。

と、いう話を書いた。

ここだけを読んだら

「救った・・」ような話に聞こえるかもしれない。

だが、実際問題、

情けは人の為ならず(自分に回りまわってかえってくるものだから、究極は自分の為なんだよって、ことで)

の言葉どおり、見えない世界でのエネルギーというのかなあ?

「生きろ」と情けをかけたことが、結局、自分に帰ってくる。

あるいは、逆に、情けをかけてもらってるから、どこかで「お返し」をする。

実際、憂生は、死にそう?なときに、「いけない!!」って、女性の止める声で

我に返った事がある。

このおかえしをしているのか、はたまた、情けは人の為ならずで、

自分を救うためにそういう思いを送らされることになったか?

この考え方も実は手相の中で思ったこと。

憂生には肴紋という「人からご馳走される紋」がある。

これは憂生にはあたりまえのことのように思う。

憂生自身がいろいろなシーンで「人にご馳走している」

単純に言えば、プレゼントをあげたら、その人がこっちにプレゼントをくれる。

こういうことでもあるし、

よく、いうのが、

「自分のやったことはいずれ自分にかえってくる」

と、いう言葉。

良いことも悪いことも。

だから、人を助けているようなことをしているようで、

実は、自分がいずれ、助けられる。

これを掘り下げると、

助けてあげる・・という言葉は、ぎゃくにいうと

たすけてもらわなきゃいけなくなる自分があるということになる。

まあ、別に憂生は入水しかけた人をたすけたわけでもなんでもないけど・・。

「死ぬな。生きろ」という思いかけていったことが、どこかでかえってきて、

生きてる憂生が居る。

だから、助けてあげるという言葉を出す人をみていると、

むしろ、そういう思いをかけられなければならないその人の

助けられない部分があるように思えて・・・。

安易とはいわないが、助けてあげるという言葉をだして、

相手をすくっているつもりになるのが、浮世。

誰かを助けてあげて、本当に助けられるのは自分だってこと。

このあたりの命題みたいなものを考えると

あるいは、人が死のうが生きようがしったこっちゃない。

と、いえる人のほうが助けられるような自分(因縁)がいないって考えも成り立つ。

で・・。

なんだかね~~~~~~~。

憂生は逆を言えば助けてもらったほうが相手の人にとっては救いになるってことも

かんがえられるわけで、

すなおに助けてくださいって言えばいいってことかい?

でもさあ・・・・。

憂生のたとえを言えば、それ黙っておもってあげることじゃないかい?

入水しかけた人に憂生もいえばいいか?

貴方の為に祈っていたんだよ。

エネルギーを送り続けていたんだよ。

憂生は自分でわらっちまうよ。

救世主かなんかのつもりかい?

むしろその思い「生きろ」を持てた事が憂生を救っている。

憂生にいわせりゃ、むこうのほうが救世主さまさまだよ。

そんな考えがあるからかな。

助けてやるの相談してくださいなどといわれると

非常に複雑な気分になる。

そんな事いわれようが言われまいが

「この人だ」と思ったら憂生は相談にのってもらうし、

憂生を助けられる人だとおもったら、知恵をかりにいく。

どうぞ、どうぞといわなくても

むこうから来るのを待てばよいと思うし

こない者は自分の因縁じゃないと思う。

たった、それだけのことだと思う。

いつか、先輩がいってたっけ。

「心配しなくても、憂生の事が必要なら相談しにくるよ」

必要とされないものが、しゃしゃりでても、役に立たない。

なぜなら「信じていない」から。

小麦粉をくすりだといってのまされても治るって話があるけど、

それは、その医者への信があるから。

だから、助けてやる、相談しておいでと言う前に

「信」を作れと思う。

この人間ならという信が出来なければ

本当に効く薬をもっていても、効能が薄い。

それ以前にその薬さえ「薬」だとおもってもらえない。

「信」をつくる。

この土台をきずくことのほうが先だと思う。

それが、ちょいとつつくと、へこたれる。

そんな人間を「信じて」助けてくださいの、相談にのってくださいの

そういう思いになれるかい?

信をもらえる人間になっているかどうか、

自分を省みるぐらいの心構えで、その言葉をだしているのかな?

なんとも、憂生には不思議な科白でしかたがないんだ。

前世?

憂生が書いている、白蛇抄は、

読んだら、びっくりするようなことを、書いている。

とかいうことを、いつか、かいたことがあるんだけど、

まあ、今回、たとえばとして、

あげてみる。

前世療法とか、前世ヒーリングとかいうのがあるらしい。

前世の傷(トラウマ)などが、今生にでてくるということで、

前世を癒すという方法なんだと思う。

ところが、憂生の物語は癒すということでなく、

前世の因縁が今生にはまる。

と、いうことを書いている。

だから、たとえば、人の相談ごとに乗る人は、

前世もそういう人だったということが多い。

そして、もうひとつは、そのときに

解決できなかったりしたことを、持ち越してしまうという事がある。

ようは、みせられる相手は自分の

そうなったかもしれないこととか、

そうならずにすんだこととか、

これから、そうなるかもしれないことをみせにくる。

ここで、どう、おもうか。

で、

この先の自分の運命がきまっていく。

きょくたんすぎるたとえだけど、

事故で手が不自由になったひとにあったとする。

そこで、それをみて、

「きのどくに。かわいそうに」

と、おもったとする。

もうひとつは、

「めげずにがんばってるな。がんばれ」

と、思ったとする。

あくまでも極端なたとえなので、そこはあしからず。

すると、たとえば自分もなにかで、不自由をかんじることになる。

と、する。

そのときに、

自分のことを

「なんて、かわいそうな自分」

と、おもうか、

「めげずにがんばっていこう」

と、思うか・・という因果の応報部分がでてくる。

この因果の部分がいわば、前世という事だと思う。

で、後世で、また、おなじ風なことがでてくる。

このときに、

「なんてかわいそうな」と思った前世がいれば、

同じように思いやすい。

で、その部分を後世でクリアしろという風になってくるのだと思う。

それを、今生でクリアできないと、今度は来世にもちこされる。

こういうふうにして、だんだん、よくなっていくべきなんだけど、

これを前世療法とかでなおしても、無理なんじゃないか?

って、おもうんだよね。

つまり、どう思ったかという行動をもう前世がおこしてしまっていて、

いわば傷がついているわけ。

その傷の痛みがあるからこそ、自分がクリアしていないとわかるんじゃないのかな?

その痛みの元になる「思い方」を自分でクリアしていくようにすることで、

来世にもちこさない。

って、事が出来ると思う。

違うかもしれないけど、

前世療法で癒されるのは、痛み部分だと思う。

依然として因果部分はある。

これをどうやって、きりかえていくかというところが、

今、生まれてきている理由の一つだと思う。

そこのところををかえても、同じ様な事が今生で起きた時に

「かわいそうに」と、やってしまったら、

来世に今度は出る。

だから、やっぱし、思いを変えていく。

見せられる元は我にありと思う。

自分がどう思うかということを意識しておく。

これが、実は前世であり、今生であり、後世の連鎖になっている部分。

だから、どうしても、思いがきりかわるまで、

おなじことを、くりかえしやすいわけで、

この「申し送り」みたいなところを、今生がクリアできれば、

一番、ベストなんだと思う。

前世療法がわるいというのでなく、

見せられる元は我にありと思う。

自分がどう思うかということを意識しておく。

が、だいじなことなんだけど、

自分でもいやになる部分じゃないと、

それをなおす?

思い方を変えなきゃいけない部分だな。

とは、気がつかないってことがあるわけだ。

実際、痛みもなにもなく、

前世からの「知らせ」かとおもうような、

たとえば手を怪我した人をみたときに、

どう思うか?なんてことまで、前世に差配されてる部分で

その思いがもうしおくりになってもいいか、どうか。ということまでは

考えないものだと思う。

憂生も実際あとになって、

そのとおりにことがおきてるわけだ。

で、そのときに思った思いが結局自分のことになってしまう。

たとえばであげたことでいえば、

「自業自得だ」とおもったとすれば、

自分が「自業自得」の目にあう。

そんな風にいろんなところに、前世が潜んでいる。

そして、また、同じような思いをわかして、

来世につないでしまいやすい。

結局、輪廻というのは、一つに思いの連さだから。

この連鎖を自分の世でよい連鎖にかえていかなきゃならんのだと思う。

思いが元で因果ができる、

それが、つながっていく。

つながるなら、徳をつなげたいだろう。

結局、自分が前世のつながりの中での代表選手みたいなものだろう。

今は自分しかいない。

だけど、前世は自分のいろんなところに潜んでいる。

気がつかないでいるだけだと思う。

と、まあ、こういうような考え方とかも、物語の中にしいている。

で、ついつい、

こんなことを書くから

憂生さん、陰陽師?

宗教関係?なんて、きかれるわけだけど、

じぇ~~んじぇ~~~ん関係ない。

おそらく、これも、前世がかかわっていて、

憂生におしえてくれてるんだろう。

なんか、しらないが、

前世占いだと、聖職者か賢い奴隷だったらしい。

どっちかというと、賢い奴隷の解説のほうがあってたな。

仲間のために、環境をかえようと、いろいろ努力したらしい。

自分というものの精神環境を変わってきた部分も

ひとつには、友人を思ってということからだったし、

小学生の頃から、友人がいじめられてたりしたら、

一人でも多人数にたちむかって、友人をかばうなんてこともあったから、

おそらく、賢い奴隷というか、

反骨精神にとんだ正義感の強い奴隷だったのだろう。たぶん・・/笑

前世・・2

昨日、前世についての考察?をかいてみたけど、

まあ、これを自分にあてはめてかんがえてみることにした。

で、前世占いでは、賢い奴隷という結果にこじつけましたが、

実際問題、前世がはまるという問題で、いえば、

その前世だけじゃないなって、おもうわけです。

前世にも前世があり

前世の前世にも前世がある・・・。

で、賢い奴隷?がどの前世だったかわからないけど、

この奴隷の気質が一番憂生の気質を形成している、濃い存在なんじゃないかと思うわけです。

で、その気質がず~~とひきつがれていく。

ところが、憂生には妙なセンスがあります。

そのセンスだけをみていると、前世は霊能力者かなにかじゃなかったかとおもうわけですが、憂生はどうも、そうじゃないと思っています。

で、ここまでの話は「魂」ってことになるのですが、

この「魂」がどこの体にはいるかという段階を考えます。

で、妙に正義感の強い霊能力者というのが前世だったとします。

この魂には、正義感と霊能力?が備わっています。

そして、うまれかわるときにどういう場所にひきよせられるかというと

その正義感と霊能力がマッチする場所にひきよせられるのです。

ところが、人間の体というのも、血の連鎖です。

血の中に「思い」が溶け込む。

と、いうことを考えます。

そこで、憂生の逆からの考え方です。

正義感と霊能力?がそなわっている魂はどこにうまれようかってことになったときに

この「血」の中のおもいをみるのです。

どうやら、憂生の先祖というのも、「人助け」をしていた徳の高い先祖だったらしく、

この「血」に「魂」がひかれて入っていくわけです。

奴隷の気質という部分でも仲間を助けたというならば、その魂は

当然、そういう「血」に惹かれると思います。

で、生まれた。

やはり、前世の部分が出てきます。

そのままでいくと、憂生も霊能力者になってしまったかもしれません。

ところが、徳の高い先祖の血というのが、憂生を霊能力者にさせないということをさせます。

色んな経緯がありますが、ここはちょっと、省いて

結果的には、今、霊能力じゃだめだという考え方を自分で?さがしあててきているわけで、

問題は自分が良い思いをもつということを書いたと思いますが、

これが、いわば、「魂」自身です。

「魂」自体をよくしていく。

そこから、魂が持っている力(霊能力かもしれないと思った力)を

自分で発動させるように変えていくわけです。

魂が持ってる力を霊につかわせたら、霊能力者になったと思います。

おなじように、神につかわせたら、神道家・巫になったのかもしれません。

そんな風に自分が思ったところで、そこになるわけでしょうが、

どうも、憂生の先祖?というのが、

「自分の力(徳?)でいろんなことを解決していったり

人柄とか人格で、人の相談にのったり」ということをやってのけてたのではないかと思います。

ですから、なにかの力に利用されたり、何かの力を利用したりというのが、

自分のことでないということがよくわかっていたのでしょう。

その影響で、憂生は、霊能力とか、こういうものが、本当はあまりよくない。と、いうことにきがつき、

どういう風に良くないかではなく、

本来どうあるのが本当か?ということを考えるようになってきたのだと思います。

ですので、霊能力者になろうと思うならなれるかもしれないけど、

憂生はお断りです。

と、いうのは、この部分です。

で、実際、今も、憂生の周りでこういう事が起きてますよね。

霊能力があったほうが良いのかなと思ったら

憂生のほうに、助けをもとめてくる「なにか」が居る。

なんで、憂生に助けをもとめにくるか?

憂生が文字で

「霊能力じゃだめだ」と、いうことを書くから。

それをよんでからでしょう?

憂生のほうの憑依現象がおさまりましたから。

前世のところでもかきましたし、ここでも少し書きましたが

「自分の思いでそれになる」

だから、霊能力者になった人はそういう力を霊能にする思いをもったということでしょう。

ですが、この人の場合、

「霊能力をもってはいけない」(あるいは、もっと、違う段階のことにその力をつかえ?)と、思わされるのです。

ところが、どうしても、心の弱い部分で

霊能力があったら、便利?とおもってしまう。

それで、こんなことを書いてる憂生のところにひっぱってきて、

そして、憂生の体質?で、そのひっぱってきたものの「思い」をひろう。

「わかるように言ってくれ」

でした。

憂生はこの力は自分のことに使われるものだと思っています。

こういう不思議なことをやって、その人の思いを救うような事をしているようにみえますが、

憂生は、このことは、自分のことだと思っています。

来た人にどう思うか。

と、かきました。

「霊能力じゃだめだ」

と、思います。

これが憂生自身への回答なわけです。

ですから、憂生自身が霊能力じゃだめだという方向に向かうわけです。

冷たい言い方をしますが、霊能力でよいと思うなら霊能力でやっていけばよいとおもいます。

その結果は自分でつくっていくしかないわけで、

それができなかったときに、

霊能力者になってはいけないととめにきた「なにか」のいっていたことが、

こういうことだったのかと判るわけですから。

ただ、「なにか」が動いてまでとめにくるのですから、

それ相応の「思い方」をきたえなけりゃ難しい。

それがあったら便利だとかいう自分かわいいの思い方ではまちがいなく、

ろくなことにならない。

多くの霊能力者は自分のその力を活かしたいと思うわけでしょう。

ですが、言い方をかえると、

その力で生活するしかなくなってきた場合、

それを金もうけできる、相談とか鑑定とか、一見人のためをするわけですが、

本来は自分の思いをよくしていくもので、

自分の思いをよくしていけば、

自然とそんな力が出てくるものなのです。

そこが、逆になっている。

そういう能力があるから、人の相談にのろうとか、たすけようとかするわけですが、

何度も書きますが

それも順序が違う。

相談ごとも「来た人にどうおもうか」という部分で

自分が助けられているわけです。

そう考えると、前に書いた

「相談にのってあげるという人。救ってあげるという人の方が、

本当は相談に乗ってもらわなきゃいけない自分、救ってもらわなきゃいけない自分がいる」という事がわかると思います。

自分に無いことに関らない。これが本当で

憂生もこうやって関っている部分はやはり自分のことであり

どうやって、こういう考え方を自分の物にするかという部分で

こうやって文章にして、自分の肥やしにしていこうとしている部分があります。

自分からの自分つくりの為への発動でしかないわけです。

この段階がいつまで続くのか判りませんが

対象とするのは自分であり、自分の思い方だと思っています。

狼じゃあ。

動物占いでは、憂生は「狼」である。

で、あたってる、あたってないぬきで、

占い を乗せてみる。

*「変わり者といわれると喜ぶ。

周囲との考え方が違いすぎて「変わってる」と、よく言われるが本人はそれを「個性的」と、受け止める。

*自分の流儀を持っている。

ゆえに突然の臨機応変の対応を迫られるのが苦手。

*ひとりの時間や空間が大切。

「一匹狼」とは、よく言ったものである。

*ペースを崩されたくない。

乱されるのを嫌い、周りに自分のペースを押し付けることも在る。

*仕切るのが上手い。

「一匹狼」のわりに仕切りたがり屋。

そのつながりで、世話焼き上手。

*時系列の記憶力がすごい。

※コメント/確かにアスペクト、昔の話もたっぷり在る。

*単純作業は嫌いじゃない。

*初対面ではとっつきにくい。

*独創性は高い。

*仲間は大切にする。

*進んで友人を作らない。

*恋に恋するタイプ。

恋人 に対しては豹変。/あ、狼変/

自分のことはそっちのけで、相手に尽くす思いやりと情熱を持っている。

普段では見せないような優しさをみせ、

その優しさもはんぱじゃない。

*狼の独自な感覚を理解する人にひかれる。

*言葉足らずなので、喧嘩の仲直りは下手

***再掲載だったら、ごめん***

手相を見る前に書いたものだけど、この内容は土星環でもあるし、

六星占星術の天王星人にもかさなるところがあって、

妙なもんだと想う****

予知能力とはいえないけど・・

ちょっと、不思議な力っていう事で思い出したことがあった。

以前に友人の自殺しかけ?とか、まあ、そのときの透視っていうのでもないな、

テレパシーでもない・・。

まあ、そういうのが、はいってくるってことは書いた。

それとな、別に誰かの死とか、なにかしら、予知能力?みたいなことで思わされるというのがあったわけだけど、

これが、地震とか?不思議と地震雲をみるってのがあったりしたわけだ。

ところが、9・11テロ事件。

その前にもなにかあったけど、世界情勢みたいなものが判る時があった。

ところが、実にあいまいで、

「たいへんなことがおきる」

って、おもわされるわけで、それじゃあ、なんのことか、さっぱりわからないし、

特定できない。

で、場合によって、考えるわけだ。

なにがおきる?

すると、もう、これは、クイズみたいなもので、自分が思ったことを

あてっこしてみようとおってるだけにすぎない気がしたり、

9・11の時は飛行機事故ってことまではおもったんだけど、

まさかね。

荒唐無稽だよ。

って、そこらへんを自分でも相手にしてないから忘れてしまう。

すると、その近辺になぜかしらないけど、飛行機事故のブログとかみたり、

夢も見る。

状況は違うんだけど、自分の家の近くに飛行機がおちていく夢をみたりとか、

だけど、

それも、関連性があるなんて、思ってないから

すっかり、わすれてしまっていて、

大変な事がおきるぞと思わされてから、どれだけたったかさえ忘れてる有様で

で、テロが起きても、予見してたっていうよりも、

今の世の中、ナニをいっても、あたるよな。

って、思うから、やっぱ、予見だよなっておもえないでいたわけだ。

ましてや、はっきり、わかってたわけじゃないし。

ところが、これをさかのぼる何年か前に

憂生はやっぱり、なにかから、知らせがきていたわけだ。

それは、「ひのみやぐらがたったぞ」って、ことばだったわけ。

意味不明でしらべまくったけど、わからない。

で、思うに、ひのみやぐらってのは、たとえばそういう

事故とか?災難とかそういうものを見張る場所ってことだろう。

これで、そういうものがときにみわたせるのかな?

って、おもうわけで、

で、まあ、手相の話になってしまうわけだけど、

憂生の手にはソロモンリングじゃなくて、

ソロモンの指輪みたいなものがある。

―○―みたいな格好が内側にあるわけ。

これが、ひとつに人の心がひょいとはいってきたり、

予見がおきたりすることかなって思う。

で、もうひとつ、昔にいわれたことでわからなかったのが、

「みみずくじゃ」

ってのと、

「よめがきく」

って、言葉。

最近になって思い出したことなんだけど、確かに

憂生には「耳がついた」

こう、なにかが聞こえるというのとは違う。

思わされるというのとも違う。

たとえて言えば、自分が文字を打ち込んでるときに

その文字を頭の中で唱える?って場合がある。それに近い感じ。

何か、頭の中に文字が聞こえるような感じになるだろう?

(ちょっと、やってみてくれるとわかる)

そんなのが、おきるときがあるわけで、

聞こえてるというのとはちょっと違う。

で、それが、はっきり、知らせてくる時があったり、

なんとなく、そんな感じというときがアル。

もうひとつの「よめがきく」

ってのも

「嫁が聞く?」・・・「嫁が効く?」

なんかの薬か?男女差別だってきんかんっていう薬の唄がかわったけど

これにきんかん、ぬったら、ど~こ~で嫁にもたせにゃ働かぬなんてのがあったので、嫁が効く・・・?????

だったんだけど、実は「みみずくじゃ」といわれたときだったので、

みみずくは「夜目が利く」

つまりみえないものが見える?

いや、相変わらずみえないわけだ。

そうしてたら、ある日。

「三つ目になる」

って、はいってきて・・・。

まったく禅問答じゃあるまいしわかるか~~~~~。

で、また、考える。

「余目が利く」

三つ目の目。あるいは、心眼がひらく。

これかいってね。

だから、あくまでも、憂生はなんとなく判る。

でしか、判らない。

で、わかっても、判らなくても良いようなことは

はっきり判らない。

だけど、友人の時のように

こりゃ、大変だという時は判らないまま判る。

で、実はきになっていたのが、

3~4日前にも

「えらいことになる」ってのがはいってきていて、

これが相変わらず、判らない。

って、もうなにかあったのかもしれないけど・・。

友人周りとか安否を確かめたけど元気。

と、いうことは、もっと、おおきいこと?

世界情勢とか?

9・11では、まじ、こっちの仕事関係にも余波をかぶったから、

まあ、自分事でもあったわけだけど、

今回のえらいこっちゃもそうか?

おもいあたることがなきにしもあらず・・。

わかったら、また、書いてみる。

ソロモンの環・・その後

ソロモンの環に希望線(向上線?)がかさなり、聖職紋を形作っている。

と、いう事は、書いた。

で、これは、頭上チャクラ(クラウンチャクラ)とのかねあいもあり、

おそらくであるが、見えない世界のもの(思いも含め)を指導?するということではないかいな?

と、かってにスピリチュアラーにこじつけたわけであるが・・・。

その後日談である。

昨夜、知人と話していた。

その話し振りももったいぶったような?妙な話し方だった。

「憂生はなんとなく、判るタイプだったよな?」

から、はじまったのであるが、どうも、会社にも、同じタイプの人がいるらしく、

どうも、「気配」を感じて、デスクの端に黒い影がうずくまってる・・とかあ?

まあ、ここで、もうしわけないのだけど、憂生が感じるもの?は、「怖い・気味悪い」というものは、ほとんどない(記憶をたぐってみなければ、なんともいえないが・・)

と、いうか、妙なものは、よってこないように思える。

彼の魂が・・【サイドバーにあります】にも、書いているように、

死んだ従兄弟が、「ここは良いなあ。良い話が聞ける」という(夢うつつの状態で、感知)ことを言っているわけです。

そして、この前に憂生が書いたことが、そのまま、あてはまるともおもえました。

「元がないものに、よってこない」

と、言う考えです。

幽霊とか?こういうもののことで、以前も書きましたが、

ある霊能力者の中に「(例えば)恨み(ような)」の気持ちがなければ、恨みに感応、共振した幽霊は現れる事ができないだろうとおもいますし、

一方で、サンダルの残留思念(「富士山に登りたい」でしたが)についても、そのサンダルをきにかけた当の本人が「富士山にはよく登る・また登りたい(だったかな?)」という共振するというか、残留思念にひっかかる元をもっていたようです。

もちろん、一時が万事そうだとは、いいませんが、後々に振り返ってみると、そのときは判らなくても、自分にひっかかる元があったことに気がつきます。

憂生のほうに、宝くじが当たるから、買え。と、よってきたものも、まあ、負の思いをもった幽霊の類?かもしれません。なにせ、憂生自体が、「欲」な思いをもっていたわけですから、当然、そこに共振するもの、差配してやろうとするもの、エトセトラが、くっついてきておかしくないわけです。

そんな自分の元を逐一かいていたら、懺悔会になりそうなので、まあ、やめておきますが、

「自分に元がなければ、(幽霊など?)ひっかからない」のが、セオリーだと考えているわけです。

ですから、黒い影が見える・・・という方・・自体、「なんらかの元」が、あるということを、披瀝しているという見方もなりたつわけです。

そこらへんをお気づきにならずなんだろうと思いますが、わざわざ、黒い影が居るということを、喋るというのは、どういうことなんだろうと思います。

憂生自体は、自分をまとめてみるために、書いているところがあるのですが、何かの必要性が無い限り、リアルにおいて、自分の体験?を語ることはありません。

そしていろいろ、かいていくうちに、「元が自分にある」と、わかってきたと思います。

以前、どこかに書きましたが、自殺未遂の未遂?のネット友人の思念をとらえて、「生きろ・死ぬな」と、ずっと、念をおくりつづけたことがあります。

送っている途中で、「ほんまかいな?魑魅魍魎の類にたぶらかされてるんとちゃうんか?」と、いう疑念も生じてくるわけですが、これが、本当だったら、人の生き死ににかかわっていることだし、違うのなら、たぶらかされたよと、笑い話だ。と、考え直し、念をおくりつづけたことがあるわけです。

そのあたりも、結局、自分にかえってきてるんじゃないかな?と思うわけです。

以前にも、書きましたが、死のうかと思ったときに、「死ぬな」と念をおくりつけてくるものがいて、その言葉(憂生が生きているべきならば)を、この晴天に雨をふらせて、明かしてみろとやって、俄かに暗雲立ち込め、雨が・・ということがあったわけですが、言い方がおかしいかもしれませんが、自分に起きた友人への念(思いを送る)ということがあったからこそ、それが、自分の時に「生きろ」と帰ってきたとも、うがってみれば、こういう状態になるからこそ、先に「情け」をかける状況においこまれて、自分が助けられたということもかんがえられるわけです。

と、いう風に、憂生のまわりで、おきる不思議なことにも、当然、元があって、その「元」というのは、現在や過去でなく、未来にまでまたがっているものなのかもしれません。

話がずれまくってしまってるのですが、

まあ、こういうようなことを知人に話して、

もうしわけないけど、職場の同僚さんは、余り、良い「元」をもっていないように思うよ。

つけくわえたわけですが・・。

ここから、やっと、後日談かな?

そのあと、ひどく、しんどくなっしまいまして・・。

おそらくですが、死んだ従兄弟のように、知人の同僚の魂?か、見えたという黒い影?が、こちらにやってきて、憂生の言う話をきいていたのではないか?と思うのです。

と、いうよりも、知人がすでにそんな話をはじめたのも、すでに、それらが、付いて?きたのではないかな?

こういう風に、なんとなく、判るのが(判っているのか、どうかも、確証はありません・判らないで居たが、後に確証のあった話は別件でかいていますので、その段でいけば、おそらく、正解だと/笑)ソロモンの環であり、その話をききたいと寄って来るというのが、聖職紋(それも、二重ソロモンの環(見えない世界を感知する)で、形成されている)なのではないかと思います。

これは、左手にありますから、まだ、「可能性」の段階だろうと思います。

左手にできていた直感線も、随分してから、右手にもでてきました。

この「可能性」が鍛え上げられたら・・右手にも二重ソロモンと、聖職紋ができるのだろうかと思いながら・・・

右手を見る・・・・・・。

ソロモンリングの気配だけはありますな・・。

手相から学ぶ

先のスレッドで肴紋があると書いた。
実際のところは肴紋かどうかは、鑑定してもらわなければわからないのであるが、
これとは、別に左手の運命線が生命線を補佐するかのようにある。
と、書いた。

生命線の近くに運命線があると、他人の援助を受けやすいだったかな。
生命線の中から、運命線が出てくる人は親とか身内の援助が大きい、と、言う。

憂生の場合、生命線の切れめを運命線がカバーするように重なる場合は
たとえば、事故(生命線の切れ目をそう考えてみる)とか、病気になったときに
周りからの援助・・輸血とか、人工呼吸?とか・・そういう援助で命永らえるということかもしれない。

そこで、憂生のいつもの「掘り下げ」を行う。

肴紋を見たときにふと思ったことがあった。
憂生の得意な言葉
「自分がしでかしたことは自分に返ってくる」
が、当てはまると思ったのである。

憂生は自分で作った料理をよく人に上げる。

これをそのまま、
「自分がしでかしたことは自分に返ってくる」(表現が悪いが)にあてはめると、
肴紋が示すとおりになる。

ごちそうをおごられるという肴紋は、
言い換えれば、自分が「しでかした事」の写しであると考えられる。

そして、左手の運命線。
これも、些少ながら、「他人への援助」をしてきた写しと、かんがえられる。

もしも、憂生が『他人への援助(精神的なものの方が多いが・・・)』をしていなかったら、運命線が生命線を補佐する手相にはならなかったかもしれない。

と、こう考えると、手相の中に自分の行いが刻まれるということにもなるし、
細木さんのいうところ、金をたくさんもうけても、自分だけのために使わず人のために使えみたいな一文も納得がいく。

結局、情けは人の為ならず。
と、言う所につながる。
この情けは人の為ならずの意味合いを
誤解していたので、ついでに注釈しておく。

憂生は人に情けをかけても結局はその人自身の手で解決するんじゃないから、
対処精神が身につかず、(情けをかけてくれる)他人に依存するような人生になってしまうから、本当の意味では情けをかけるのも、良くない。と、とっていたのだが、
どうやら、
人に情けをかけておけば(どうも、ねだり根性の言い方でいやなんだけ)
いずれは、それが自分に帰って来るんだよ。
と、いう意味合いで
「情けをかけるのは人の為でなく、自分のためになる」
と、言うことらしい。

これは、先に書いた
「自分がしでかしたことは自分に返ってくる」
と、同じ観点であると思うが
これが、自分の手に刻まれると考えると
さらに逆発想も成り立つ。

いまいち、金運が悪いとか・・・。
それは、逆を言えばお金に対する考え方や使い方が悪かった結果という見方が成り立つ。

たとえば大金持ちであるに関らず、金運が悪いとか、
逆に悲しみいっぱいの人生を送っているのに悲哀線がでないとか。
考え方ひとつ、ものの取り方ひとつを手相は刻んでしまう。

だから、手相家は、手をみせるというのは、個人情報をさらすようなもの。
と、いう。

ただ、一般的に相手側に手相をよみとる知識がないから、個人情報漏洩にはならないだけで、
憂生にはまだまだ、わからないが
手相が語るものはまだまだ、いろんなことがあるきがする。


ソロモンの環・・・

まあ、憂生の妙なセンスは、どうやら?人格?性格?になってきたようで/大笑

とうとう、手相にソロモンの環が成育してしまい、ご丁寧に、このソロモンの環で、聖職紋もできあがるという。

まあ、そうあるのならと、開き直ってしまって、物をいいはじめてから、急激に成長していったのですが・・。

まあ、段階もありました。

頭上チャクラが異様に反応するということがあり、思うままに相手に伝えると、それが、相手の悩み事の答えになっていたり・・。

そんな状況から、チャクラを調べにいってきたりしたわけですが、もちろん、その頃は、チャクラ?だとは、わかっていません。なんだか、頭のとっぺんが、変だ。と、いう認識でしかありませんでした。

すると、頭上チャクラは異世界との交信場所でもあり・・・。

なんてことも書いてあり、おお、そうか、それで、妙に反応すると、相手の悩みの答えをいうということは、

例えば相手の守護霊とか?相手の魂とか?まあ、そういうものと交信してるんではないかいな?

と・・・。

まあ、こんなことを書くと、そりゃあ、すごい能力じゃないか。

と、思われるかもしれない。

だけど、憂生自体ではないので、まあ、いつも、いう事だけど、これも憑依の一種であり、憂生の嫌いなことであるわけだ。

ブログのスピリチュアルなどなど、読んでくださった方はほとんど、いないと思うけれど、ここ同じことをいってる。

例えば、神であろうが、霊であろうが、悪魔であろうが、「憑かれていることには、かわりがない」と、いうこと。

実際、憂生が天気を目の前で変えられるという顕示(証)をみせられたことがあるわけだけど、この時にも、同じことを思った。

相手をおがんじゃいけない。と、いうこと。

誰でも、目の前で、凄い物事をみせられると、それを見せて来た相手を拝む。

凄い神様だ。とかね。

だが、多く、そういうものの99%は、うっかり、うなづいたら、此方が差配される。

もの凄い顕示をみせてまで、こちらを掌握したいという考えが成り立つ。

と、なると、変な言い方であるが、本当に凄いのは「自分」であり、拝む相手は「自分」である。

その考えにたって、憂生はそのとき、自分がありがたいんだ。自分こそが、尊いんだ。って。言い聞かせていた。

とは、いうものの、「だったら、雨をふらせてみろ」の一言で、目の前の雲ひとつ無い晴天が俄かにかきくもり、暗雲がたちこめ、大きな雨粒がぽたり、ぽたり、と落ちてくれば、さすがに、頼んだ。

「判った。判ったから、元の天気にもどしてくれ」

とたんに、すっと、晴天にもどる。

頭の中は、子供の頃に読んだ、昔話がうかんでくる。

お日さまが落ちるのを3回もどした男がいて・・・とにかく、私心で天気を変えるなんてことをやっちゃあいけない。

こりゃあ、えらいこっちゃあ。

と、いう「私事」に天をうごかす真似をしちゃいけないとおもったわけだ。

で、しばらくのちは、結局、あれは、なんだった?誰だった?って、それがきになったわけだけど、

まあ、憂生の「死ぬ気」を制止した相手だから、悪い奴ではないと思うし、先に書いたように相手にうなづくべきでなく、自分にうなづくべきだと思いなおして、まあ、言い方は悪いが、それもやはり、「一種の憑き物」でしかないとしている。

どうやら、天気を変えてまで生かせておかなきゃならない憂生自体が、まだ、なにかしら、やらなきゃいけないことがあるのだろう。

とも、本当に自分の魂(宿命)から、止めに入るときは、顕示では事は起きないとも思う。

ひょいと友人から連絡がはいったりとか?

ごく普通の状況で起きる。

だから、ますます、気をつけないといけないと思うし、こういう意味合いで、頭上チャクラが反応したりとかいうのも、正直、一種憑依だと思うので、こういう能力が凄いなんて思うのも、おかしいことで、

本当に凄いのは、いつも言うけど、平々凡々、平穏無事。


続きを読む

右手と左手の作用?

最近の大きな、変化といえば、聖職紋らしきものかな?

と、思う。

2本の向上線と2本のマネージメント線で人差し指の下あたりに♯あるいは、スクエアのようなものが形成される。

これが、右手にうっすらとでてきているが・・・・。

おい?

この場合も聖職紋とよぶのか?

と、おもうのが、

左手。

ソロモンの環の下方がはっきりしてきて、

二重リングになりつつあるところに

向上線が2本はいっていて、ここで、少し曲がっているがスクエアができている。

マネージメント線というのは、自分の生活に密着しているもので、

そこで、スクエアができるというのは、

まあ、例えば、相談ことに乗りやすくなるとか?

一種、現実の対応のように思う。

ところが、ソロモンの環を含む聖職紋・・・。

ど~も、これは、憂生のシックスセンス部分ではないかと思う。

先日、オーラのことをかいたが、ここにあるのが、

霊的指導ができる。というものでもある。

実際、此処一年ほど、不思議なことがあって、

「魂」について、いろいろ、アドヴァイスをしたり・・・。

つまり、右手の言う現実的対応でなく、

スピリチュアル部分での指導(おこがましい言い方である)があったわけで、

ソロモンの環とともに、両手に直感線ができていることもあるせいか?

「なんとなく判る」

それも、人でないもの(思いとか?霊とか?)が判る時が在る。

歴史を齧ってみるの中でもスサノオや、刺す竹の解釈のなかで、

さ=佐であり、人の左部分は、スピリチュアル《精神》であるということをいっているが、

実際、自分の手相をみていると、そうであると思う。

ソロモンの環との聖職紋が左であるというのが、絶妙である。

右手は現在ともいわれるが、本人の性格・性質などを含めた「自分の現状」であろう。

ひとつの事件?がかたずいたせいか、

憂生の右手の火星環がほとんど、みえなくなった。

火星環のもつ意味合いは困難をきっかけにして、好転するというもので、あると解釈している。

不遇?の状況のとき、逆にこの線に励まされたものである。

ー自分には逆境をのりこえて、肥やしにするくらいの性格?があるんだと、手相が言ってるから、乗り越えられるーと。

そのことが、ひと段落したら、10年近くあったと思う火星環がきえていきはじめているが、

これが、右手だというのも、さもありなんである。

以前に右手にも直感線ができたと喜んでいたが、これも、右手だからである。

左手にできる直感線はいかにも、自分以外のもの《守護霊とか?》にわかされたようなきがするが、右手は自分自らの直感のようにおもえる。

そして、先日も書いたが感情線の上の細かな線も直観力やインスピレーションであるものの、

霊能力者とかに多いらしく、これが、左手にでるのも精神を左手があらわすと考えると納得する。

因みに、憂生は霊能力者ではないので、じゃあ、私のこともみてもらおうなどといわれてもどうにもしてあげられない。

なにかしら、相手の魂を指導する《おこがましい言い方なんだけど、他に見つからん》ところがあるようで、そこのところで感応して、ときおり、不思議なことがおきるが、これは霊能力というよりも、お互いの魂能力?が反応しあうところのようであり、あとは、こっちが思ったことをいうと、その通りだったりするようで、いわゆる、虫の知らせみたいなものに近いので、鑑定とか?そんなものはできない。


続きを読む

聖職紋と天王星人

毎度、三堀さんのブログで、謎が解ける上に別のセンテンスとの結びつける堀下げをいただいているのですが、今日もです。

無断拝借です。すびばせん。

まず、この記事。

http://ameblo.jp/kansya1/entry-10439283397.html

内容は聖職紋です。

どのパターンの聖職紋もベースは同じなのですが、

憂生には、太陽線がうっすらですが、同じように、両手にきざまれています。

そして、右手は普通の聖職紋。左手はソロモン環とで、できた聖職紋になっています。

早い話、両手に、なんとか・・同じ恰好のものがあります。

まあ、最近はっきりしてきたものなので、いつきえるか、わかりません。

三堀さんの解釈・見解の中で注目する部分があります。

太陽線の中でも、自分の才能を活かす力が強い太陽線だと思います。
自分が学んだことを資本にして、人に貢献できるというのは本当に素晴らしいことなのだと、手相からも感じます。

と、いうところの朱にしたぶぶんです。

おや?

と、思ったのです。

昨今、時節柄来年の運勢なんてのがあり、憂生は細木さんのものをよくよみます。

あと、高島易断(ん?この字?)

で、細木さんのによると、憂生は天王星人なのですが、

この星人がもつ、乱世の覇者という側面です。

なんやかやと、トラブルを解決する。

と、いうおせっかいなところがありまして・・。

で、まあ、いろいろな人に話しをするのですが、

基本、自分が得心したこと。

実際にそうだなあとおもったこと。実体験をもとにして、

おはなしするわけです。

で、スピリチュアルのほうもすこし、かいていますが、ここでは、逆に

相手に通じるのは、本当に自分が通ったこと。

言霊として発動するのは本当の心、自分が通ったことであり、

自分ができもしないこと、自分がやったことがないことは、

逆に「じゃあ、おまえ、できるのか?」と、自分にはねかえってくるものだとかいているわけです。

つまり、天王星人が物事を解決できるのは

性格判断のところにあるように、

自分の事は包み隠さず喋る。オープンな性格。であり、

ここで、相談者?に、自分の本当のこと(実体験)からえた感情や考え方をいうわけです。

どういう風に体験したかまではいわなくても、言葉にうらうちがあるので、

それが、あてはまれば、解決していくわけです。

また、天王星人は「人が好き」という性格で、感情や感性を重んじる。

つまり、個々の思いを大切にしようという癖をもっています。

スピリチュアル的にも、精神疾病の罹病者にたいしても、

「愛」が治癒につながるという考えとともに、実体験でも、しっかりたたきこまれましたし、

基本、元々、人を好くわけです。

つまり、天王星人がの性格が顕著にあらわれますと、

人を思い、自分の体験をもとにして、本当に相手にひびくことをいう。

なんとか、解決してあげたい。

と、思う。

まあ、まさに聖職者の性格をもっているわけで、

自分が学んだことを資本にして、人に貢献できる。の解釈があてはまってくるわけですが、

手相が変わるというように、それは、自分の置かれた立場や環境がかわり、思い方や考え方がかわるということもありえて、

この聖職紋があるから、聖職者みたいになる。

のではなく、

今、聖職者みたいな思い・環境だから、手相に聖職紋ができるということになります。

そして、以前も、相談?にちかいことはかなりやっていたのですが、

聖職紋はできていませんでした。

つまり、まだ、自分自身の因縁を見せられている状態だったのであり、

修行中?であり、

まだまだ、本物の言霊が発動する「実体験からの考え・感情の一体化」がなかったのだとおもいます。

最近は顕著に、

ああ、天王星人だなあとおもうことがよくあったのですが、

このころから、聖職紋がくっきりしだし、

奇妙にも、不思議なことがなんとなくわかる。

も、他のなにものかから、つたえられることもあったりしたのですが、

最近は、相手をじっと、みていきます。

いろいろ、考えます。

すると、ふと、うかんでくることが、

自分の実体験から得た教訓だったりするわけです。

このあたりから、ソロモン環に聖職紋が発生し、

気がつくと右手にも聖職紋。(向上線とマネージメント線)ができているのにきがついたのです。

まあ、手相を変えようとか、いろいろ、書き足したり?している方がいますが、

結婚線のところでもかきましたが、

~~観というか、観念というか、思い方というか、

こういうものが、手相に現れるのだと思います。

つまり、ひょっとすると、天王星人なるものが、

わりに、聖職紋がでやすい?

なんてことをおもってしまったのですが、

ある塾の経営者が確か、天王星人だったので、

逆にこういう手相をしてるか、みせてもらいたくなりました。

マネージメント線・・2

聖職紋のところでも、でてきましたが、

マネージメント線があり、

2本の線と向上線で聖職紋をつくっているわけで、

このマネージメント線について、またも、三堀さんのブログを参考にさせてもらっています。

http://ameblo.jp/kansya1/theme-10017224064.html

マネージャー線は人と人をつないだり、出会いをセッティングすることで開運する手相の一つです。 人と人との関係をつなぐ職分なのですよね。
ちなみに、マネージャー線にはもう一つ意味があります。

それは、自分の身の丈以上の活躍ができる

と、まあ、ぬきがきをしましたが、

人と人の関係をつなぐというところにおいて、

奇妙に仲立ち、きっかけ、あとおしをするというところがあるなとおもったのですが、

たんなる、きっかけだけでなく、

こじれた関係を修復するということが、いくつかあったとおもいます。

ところが、こじれた関係を修復するという場合、

当然本人同士では、相互理解というのが、むつかしく

どちらか、あるいは、両方にあゆみよりをもとめるわけです。

このあゆみよりですが、

はっきりいいますと、

「貴方のそこが悪い」と指摘するということでもあります。

ですから、マネージメント線で、聖職紋ができるということになるわけです。

お互いが自分がただしいとおもっていれば、当然、あゆみよりはありえません。

この間にたって、

「貴方にも、わるいところはないか」と、見直し、説得していく見解・考え方が

具体的に必要になってきます。

逆をいえば、相手のことを、「良い風にうけとめられないか」ですが、

同じく、これも、どういう風に見たら、解釈したら、良い風に取れるかを

自分ももっていなければなりません。

この作業は非常にきついものです。

悪いところを指摘された側にすれば、うけいれがたい感情がわく上に、

相容れなかった人のことを良い風にとっていけば、

いっそう、自分の悪いところが惨め?になってきます。

また、なぜ、そうも、重箱の隅をつつくまねをする。と、こっちが、悪者になります。

じっさい、憂生のへたな部分だとおもいますが、

こういうパターンはいくどかありました。

ありながら、ほっておけない、性分のため、にくまれるのを承知でいってきてるのですが、

ふと、この言葉におもいあたるものがありました。

それは、自分の身の丈以上の活躍ができる。

つまり、宗教的に言えば、因縁とか、業。

スピ的にいえば、見えない世界。

こういうところからの影響なども、排除あるいは解決するというところもあるのではないかとおもうわけです。

ただ、目の前の人をつなぐだけでなく、

たとえば、スピリチュアルのほうにかきましたが、

亡くなったおじいさんの気持ちをつないでいく。

この先であう人間との縁を作る。(就職先のアドヴァイスが、結局、職場で結婚相手を見つける)とか、

こんな場合もときに、悪いところをつたえるところがあります。

貴方の考え方・性格では、接客業はだめだよとか、つたえたりすることもあるわけですが、

やはり、ここは、いわれたほうも、きついとおもうわけです。

ですが、この悪いところをつたえることによって、

良い縁にむすびついてくるのだとおもうわけです。

ところが、そこまで、わかってやってるわけじゃなくて、

表面上は相手の痛いところを突くわけですから、

自分でも、時にいやになります。

これが、

「自分なんて全然ダメ」という悪い方向にいってしまっているケースが多いようです。

と、三堀さんがいうところかもしれないとおもうわけです。

そういうときに、自分の身の丈以上の活躍ができるということに

自分で気がついていなかったとおもったわけです。

良薬口に苦しとでもいっていいのか、

あえて、きついことをいうことが、

結局、見えない部分・世界のことまで、波及して、良い縁をむすぶということは、

憂生本人はもちろん、言われた本人にもわからないわけです。

ただ、自分を信じるしかないかなというところなのです。

そういう意味合で、

自分の身の丈以上の活躍ができる

と、いうマネージメント線の解釈の仕方もありえるかなとおもうわけです。

昨今、復縁とかを売り物にしている占い師?さんをよくみかけますが、

本人を前にする事が可能ならば、

マネージメント線があるかどうか、見せてもらうのもよいかもしれませんね。

星人

物語りがさっぱりになってる憂生ですが、

最近は、書きたくなったら、書けばよいと思うようになってきました。


長短あわせて、111作品。


素人がかいた、量としては、充分すぎるでしょう。

平均すれば、3万文字くらいの作品になるかと思いますが、

文字数としても、充分すぎるかと自分では思っています。


この在る程度きわめたら、(と、自分が思う)

他のことに移って行くのは、

天王星人の特長のようで、

ネットの中でもあれやこれやと、ジャンルのちがうことをやってる人を

しらべますと、天王星人が多く、

なにやこれやと、トラブルに見舞われやすいのも、

天王星人ですね。


と、いうか、トラブルも包み隠さず、さらけ出してしまうのが、

天王星人の特性かもしれません。


細木さんの占いをよんでいますと、

星人の性格など、かいてあって、

現実がまさにそのとおりということがよくあります。


先日も火星人に対する言葉で、

「なにを考えてるかわからない」

と、いうのがあったのですが、

冊子をかってきて読んでみたら

同じことがかいてあり、

理解されようが、理解されまいが、自分の納得するまでとことんやる。

気まぐれにみえる行動。

などなど、その後ろ側の心理までつっこんで、書いてあり

わずかながら、理解ができたり、

星の差配みたいなのを感じて、

逆に、こういうのをよんでおくと、

付き合い方がわかるし、

組み合わせなどによるありがちな相互理解の欠如というのも、

あるていど解消できるようです。


また、ノンちゃんの犬の主人公は土星人です。

*自分のポリシーをつらぬくため、時に上司と決別してまで

*責任感が強い

など、まさにそのとおりといえる性格が随所にみえているとおもいます。


憂生は天王星人で、

トラブルがあるところに天王星人ありといわれ、

乱世の覇者というか、トラブルに吸引されるというか。

それなりに解決する力があるため、石橋を叩くというまねをしないせいもあり、

いっそう、まきこまれやすいのだそうですが、

確かにいくつものトラブルにかかわってきていますし、

それなりに解決してきていますし、

はてには、解決のためには、妙な能力を発動させてしまう

(念や思いをうけとめる。自殺未遂の念を察知して念をおくる・・などなどなど)

と、いうくらい、

確かに解決能力があるわけで、

根本は「なんとかしてあげたい」という相手の人への思いでしかなく

思いというエネルギーのすごさを痛感するしだいですが、

通常はそんな能力などでてくることはなく、

いざとなったら、ぽんとでてきてしまうだけなので、

能力者でもなんでもない、

ただの天王星人らしい天王星人なのです。


憂生が能力を自主的につかわない(使えるのかな?)のは、

ひとつに、かぶりの怖さをおもうからです。


ある整体師がいってましたが、

体に触れると、相手の痛いところなど、病変などを

こっちがかぶってしまうことがある。

というのですね。


自分は病気じゃないのに,症状をもらってしまうというやつです。


憂生もわずかながら、これがあります。


そして、以前にもかきましたが、

病は帳合いであるばあいがあり、

これをうかつになおしていいものかという思いもあるのです。


つまり、例えば、

生活面がずたぼろになるか、

体をわずらわせるかという

究極の選択で、病をえらんでるかもしれないわけです。

この病を変な能力でなおしてしまったら、

帳合いのいきどころがかわって、

生活面に矛先がむかうかもしれないわけです。


病院にいって、

お金を払ってというのが、

あるいは、罰金?を払うのとおなじ効果になり

体がしんどいということでもそうですが、

みえないところで帳合いがとられ、

自分だけの被害?でたすかってるかもしれないわけです。


ですから、

「良かれ」とおもって、やっても、

本当の仕組みなど人間の頭ではわからないわけで、

「悪かれ」になってるかもしれないわけです。


しらぬうちにまきこまれたという

自然な流れでのトラブル解決は

自分にかかわる「元」があったとおもうのですが、

無理やり、相談にのりますよとか、

直しますよ、なんてことはやらないし、

思いが元であるぶん、

かかわりたくないと思えば、

何の力も発動するわけもないわけで、

いっそう、怪しいうそつきになってしまうだけでしょうね。




感情線の伸び

ひさしぶりに手相です。


火星環と筆致〈舌)紋は、相変わらず、復帰していませんが、

これは、良いことだとおもっていますので、きにしてないのですが、

いくつか、また、変化があるものの、

解明ができていません。


たとえば、右手のでかい神秘十字横棒がなくなりました。


で、これは、こちら側の神秘?不思議部分がなくなったかというとそうではなく、

あいかわらずの状況であるといえなす。


そこで、今、気がついたのですが・・・。


左手の感情線ですが、これが、一時期生命線の根本におりてくるじょうきょうになっていたのですが、

氾濫をおこしました。


迷走台風のごときありさまで、

方向をかえ、人差し指方向にのび、薄い線もたどると、

人差し指にはいりこむ様子です。


さ~~~~。

判らない。


で、毎度の某氏のところにかけこみます。


すると、基本パターンがでていました。


短い感情線は自分向き。

長い感情線は人向き。


と、いうことでした。

最初、異論を感じました。



憂生のパターン・性格は人向きのところが多かったからです。


急激に伸びてきている昨今まえとて、人向きだったつもりなわけです。


ところが、スピリチュアルとのかねあいです。



自分の目の前に起きることは自分に元があり、

人を助けてるつもりで、実は、自分を助けている。

(つづめすぎて、わかりにくいかもしれません)


自分の因縁が因縁を呼ぶというか、

自分の因縁が、どんなことであるか、

自分の思い方がどうであるべきかを

助けられる?側から教わるという考えです。


ー人を助けてるつもりでも、実は自分を助けてるー

これが、以前の感情線だったわけです。


そして、火星環がきえたということからも、

自分の困難?(因縁からの?)をクリアしたともかんがえられるわけです。


つまり、

自分を助けるのは終わった(うまい表現がないな)


と、なると、人向きの思いはそのままだということだとおもうわけです。

自分向け(実は自分が助けられている)という表裏一体部分がなくなり

人向きそのものだけになってきた?


これが、感情線の急激な伸びではないかいな?と。



で、神秘十字ですね。

これは、先祖とか、の加勢・加護もふくみます。


つまり、先祖とかの守護がなくなった。


え?


それ、良いことなの?と思われるかもしれません。


良いことでしょう?


先祖等の加護・加勢を


心配で心配でまもってやらなきゃいけない。

大きい困難があるから、避けさせる、のりこえさせてやらなきゃいけない。

と、いうことではないかとかんがえてみてください。


もうひとりでやっていける。とか、

守らなくても大丈夫になった。ということになりませんか?


それが、火星環の消滅であり、

感情線の伸びの解釈にもつながってくるわけです。


かわりにといってはなんですが、

ソロモンの環〈二重)に聖職紋が絡むというのができています。


あくまでも、これは、憂生個人の手相への解釈なのですが、

基本はわるくとらない。


どういう風に良い風にとるか。

という、

スピリチュアル部分の姿勢の一端でしかないのです。


こういう風によいふうに解釈していくんだよ・・みたいな。

一例・具体例なわけです。


で、あとは、ほんまきゃと

自分の思いを詮議していくわけです。


結婚線の鑑定もさまざま

検索にあがってくるのはいいんだけど、
純然たる日記ならいざ知らず/純然たる日記が検索の上位にあがる場合はまずありえないが(但し、固有名詞を入れていけばありえるけど。この場合は一般的なロゴ・・手相とか・・という具合に)
で、こうなると、検索をかけた人は
なんらか・・調べたくて、憂生の記事をみかけて、読みに来たわけだと思う。
で、あるのに、はっきり、言って役に立たない。

もうしわけないような・・・・。

と、先の記事への感慨は此処まで。

手相云々が検索にあがっているを何故書き始めたかというと
単純にまたも、手相の話の導入にしようとしただけなんだ。

反対から言えば
検索で手相云々を探している憂生がいるから。

そこで、
なにをいおうとしたかというと・・・。

話がたいそうになってしまって
そんなことかよ?
って、内容でしかないのが、キータッチを鈍らせる。

んんんん。

で、やっぱ、検索で占い師のブログに行く。

すると、実地でやってる人の意見ってのが面白い。

今回、見に行ってなるほどと思ったのが
結婚線の話。

結婚線の形状によって
離婚だとか、良縁だとか、いろいろあるのだが、
いわく。
「この人の手相、結婚線は手相で見ている限り絶対離婚する・・・という手相を持ってる人のほうが離婚しない場合がある」
「逆に恵まれているという人のほうがあっさり離婚してしまうケースもしばしば」

これについて・・。
まあ、結婚線というのは、結婚がこの先どうなるか。という、予測線ではないということだろう。
はっきり、言ってしまえば
手相に考え、思いなどが反映されるとも言うのだから
結婚観という取り方のほうが近い気がする。

だから、結婚しているその夫婦の状況が悪ければ当然、結婚観も悪くなる。
結婚観が悪いから、即離婚ということになるかといえば、そうでもない。
逆に、相手、自分、夫婦を見定めているというか、良くない結婚だったと認めている分、あきらめがつくというか、覚悟ができるというか・・・。
だから、逆に良くない結婚線を持っていながら離婚せずにいる人が多いのでは?

で、逆に良い結婚だという場合。
色んなことに恵まれている部分で
たった一つのことが赦せないとか
自分の結婚が良いものであることに気がつかず、他の人・・物事を選んでしまうという贅沢な選択をしたりして、
「こんな良い手相のひとが・・?」
いきなり、離婚をきりだしてしまう場合があるという。

こういう風に考えると
手相が良いから結婚も良くなるという考えは成り立たなくなる。

悪い手相だと思っていたものが実は
しっかり家庭を守っているとも取れる。

内面を言えば、不満だらけということになるけれど
その不満を足の下に踏みつけて
守るべきものを守っている。
と、考えれば、これは人間的には凄い良い手相?性格?といえる。

何を書きたかったかというと
物は取りようで角が立つ。
つ~けど、
物はとりようで丸くなる
つ~のも、逆定理。

こういう丸く取らせることができる占い師が本当に人の相談に乗れると思うんだよね。

そして、丸く取れる・・ように
アドヴァイスできる裏打ちが
実地で何千人もの手相を見てきたという部分。

此処から、得たものは
どこの手相書にもかかれてはいない。
占い師本人の脳の皺と心の皺に刻まれるものだ。

だから、こういう取り方ができるようになるのも、その人の・・オーバーに言うと人間愛みたいな所に既存すると思う。

火星環と筆致(舌)紋の相互関係

一種、人体実験であると、憂生の手相をかきはじめて、一年以上たっただろうか?

このところ、ソロモンの環の出現と、オーラ?現象についての考察に気をとられていて、

別の変化については、書いていなかった。

ひとつは、前からきがついていたものであるし、現状通りなので、もうすこし様子をみるかと放置していた。

筆致(舌)紋である。

この10年ちかくで、100以上の物語をかいてきたわけだけど、このところ、非常に遅筆になっていたり、「乗る」と、いう状況、小説の神様が降りてくる・・ってな一心不乱?な状況は、過去の遺物になっていたところ、筆致紋が消滅していたのである。

左手の親指の下あたりにくっきりと、区分け?された筆致紋が消えた。

やむをえないだろうという納得の気持ちと、「乗る」状況はもう起きないのかもしれないとも思う。

反面、おそらく、10000万文字ちかく?以上?かいている憂生であるが、書き始め当初の白蛇抄などなどは、一日に3万文字とか?それが、連日・・・。700~800万文字は、当初の一年でかきあげたといってよいといえる。

この状況はまさに小説の神様が降りてきたとしかいえないような、ほとんど、「湧き出てくる」状況であったぶん、この先「湧き出させる」という自力になるようにもおもえて、筆致紋が消えたのは、消えたのでそれで、良いのだとも思う。

だが、これだけしかないことを取り立てて、書くというか、なにかしら、小説でいう伏線?どんでん返しがないものを、わざわざ、かいてもなあ。と、いう思いもあった。

ところが、最近である。

あんなに、はっきり、していた火星環がみあたらない。よくよく、みれば、これだったかな?と、いう途切れた線はみえる。

火星環については、ひどい解釈になると、人殺しをするとか?性的にだらしがない?とか、というものがあったが、このふたつは、当てはまらない。

一番、納得するのが、「混乱に乗じてチャンスをものにする」という解釈だと思う。

これは、憂生のいつも言うところの「こけても、ただ、起きるな」の考え方と同じことであり、

火星環が、くっきりしているのは、「困難・混乱」がおきるが、「より以上のものを掴んで、のりこえられるお前だぞ」と、いう激励、あるいは、証明のように思え、心理的にも随分、この線に支えられたと思う。

つまり、「混乱・困難」があったということになる。

その「混乱・困難」が在る意味終息した状況になったせいで、火星環が消えたのだと思う。

さて?

その火星環の消滅がな~~んで、筆致紋の消滅の伏線、あるいは、どんでん返しになるか?

憂生自身、物語の中に天啓のものや、自分の方向性や、考え方・思い方(無意識部分も含めて)の自覚などという副産物があったのである。

この物語(日記も含む)の中で自覚したものが、「困難・混乱」に対処する思い方・考え方をつかませてくれていた。

つまり、「お前なら乗り越えられる」という火星環の裏打ち?ささえは、「対処方法を書き込む」という筆致紋にあったわけである。

と、なると、「対処方法」がわきでてくるがの如くの物語をかけなくなってきたのは、「混乱・困難」が終息したせいであるともいえる。

憂生自身をいえば、火星環と筆致紋は表裏一体であったということになる。


夢占い・手相・・のこと

占いをしんじるかというと、

まあ、信じる。


で、根本というか、

基本であるが、

「目の前に起きることは、すべて、自分に元がある」

なのである。


つまり、

目の前に起きることは、すべて、自分に元がある。であるから、

起きたことを分析していくと、

時に、

「占い」といえる部分が在る。


だから、「占い」と呼ばれる物事で占われたことを信じるのでなく

占いも「目の前でおきたこと」と、解釈できるわけである。


ほぼ、毎日、占いを見る人は、

正直、依存チックであるとおもうが、

たまに占いをしてみようと思い、その結果、知らされたことも

「目の前におきたこと」に入ると思う。



で、その占いであるが、

憂生自体がやってるのは、手相と、夢占いをたま~~に。


この説明が複雑になるので、

大雑把に書くが、

両方とも、自分の身の上におきることだから。というのがあり、

手相は実験的にこの一年~~、自分の変化とかからの良い解釈を基本に

いろいろと書いている。


サイドバーにランキングをはりつけているが、いくつか、手相の記事がランクインしているのが、それである。


奇妙な能力があるせいもあって、手相を頼り?にしているわけではない。

変化がおもしろいというべきな。


あと、親父も手相をみた。割りに、古い生まれの人は手相を観れる人が多いようで、

一般?普通?の近所のおじいさんが、手をだしてみろ。なんてことがあったりしていた。


で、「あんた、家を建てるね」・・・・・。

ー馬鹿言え。憂生は大工じゃねえし・・ー

で、あったりしたわけだが・・。

一応、今、現在、建てては居ない。中古のままである。

もっとも、この言葉は、音だけであるわけで、

家をたてる。のたてるが、どういう意味であるか、わからない。

つまり、建てるでなく、家を守り立てるのいみあい、盛り立てるだったり、かもしれないわけで、

どう解釈できるかが、謎なわけで・・・。


こんなことから、右手の運命線が急激にのびあがる時期があり、手相について、興味をおぼえたのが、最初である。


この変化は何をいみするか?

とね。


で、ここ一年でもいろいろ、変化はあったので、人体実験の考察をのべまくしたてている。

ので~~~~~~~~。


参考にさせていただいている、手相ブログはいくつかある。


とくに、アメーバー内の某氏は、解釈のしかたに「温情」があり、

建設的な意見もでてきているので、とくに信頼している/笑



占いとして、見るのなら、そちらがベストで、

憂生の場合は個人の手相解釈記録のようなもので、

あるいは、手に現れる線の意味合いが実生活・思いの具象化であるという

一つの事例としてだしているので、

自分を「占う」ためという意味合いとは少し、違う。



あと、もうひとつは、夢占いであるが、

これは、すさまじい部分があって・・・。


一つに深層意識とか?

あるいは、前世とか?

あるいは、守護霊?とかからの知らせ?

予知?

整理現象?〈生理現象ではない)

などがあるとおもう。


憂生がみた夢で、一番、おそろしかったのは、自分が幽体になって、

女の子が暴行されている現場にたどりつき、

その男の頭をもって、コンクリートの壁にぶちつけて、殺してやろうとするのだけど

どうしても、頭をつかむことができず、人を呼びにいこうとしたのだとおもう。

赤い屋根の家があり、そこをめざしかけるところで、目がさめ、

ぞっとしたのである。

あとから考えてどうしても頭をつかめなかったのは、自分が幽体になっていたせいであり、

人間の体だったら、男のほうも逃げるとか?何かの反応があろう。


実際、この「呪」「憎しみ」に似たものを憂生がもっていて、

この「憎む」にあたる人間を殺してやりたいと呪ったこともあった。

(この部分のくわしいことは、いずれ)

だが、人を呪うということが、「穴ふたつ」でもあり、

また、同種の「思い」だけを持った人間についても、

「呪」がかかっていくという危険性を察知させられる事故が立て続けにおこり、

呪う思いをもったら、それが、発動する(この後その証のように、天気をかえるということもおきている)自分だということも思い、「呪」の気持ちをおさえこんでいくことにつとめた。

故に思いをよくしていかなきゃ、人をもころしかねないと、思いの質にこだわるわけでもある。

まあ、憂生がのろわなくても、天が裁くだろうとおもうわけで、

人間の分際で裁くまねをしちゃいけないというのもあるし、

白蛇抄でもかいていたとおり、

「憎むな。堕ちるぞ」であるとおもうわけで、

こういう楔が物語りの中、要所要所にはいっていて、

これが、先ほど書いた、「理」として、憂生の中にはまっているということだとおもう。

だが、さすがにこういう夢をみると、ぞっとする。

閉じ込めた呪の思いの発散しどころがなくて、こういう整理現象がおきたのかともおもうのだが、

それほど、頭でいくらセーブしても「思い」というものがむつかしいものだということになるわけである。

で、ぞっとしすぎたので、夢占いをおこなった。

すると、意外な結果がでた。


人を殺そうとした以上、どんな恐ろしい結果をつきつけられるのかとおもっていたのだが・・。

結果的に

「なにかをのりこえ、心境(新天地・心機一転)が、かわっていくという良い暗示」

と、いうわけである。

これがあたっているかどうかでなく、

そういう風に、自分をかえていかなきゃいけないんだとも

かえていけるということでもあると、思えたし、

上にかいたように、

故に思いをよくしていかなきゃ、人をもころしかねないと、思いの質にこだわるわけでもある。

と、いう心機一転の契機にもなっていったところはあるので、

確かに夢占いのとおりであるといえる。





続きを読む

土星環のせいか?

手相のところでいつか、書いた覚えがあるのだけど、

土星環だったかな?

このあたりの解釈で

ある方面から熱狂的な支持を得る。

ってのがあって・・・。

ブログ自体の訪問者数は、そんなにあるほうじゃないんだけど

(ブログ人は1カテゴリーに記事がいくつあっても、1ページに表示する関係もあって・・100記事かいていても、1PVというカウントになるので、実数はもっとおおいとはおもう)

で、まあそんな中でブログのタイトルとかで、検索をかけることがある。

ここで、これは、ある方面からの熱狂的支持?かとおもう

記事を発見することしばし。

憂生の記事をリンクして、そのリンクを記事にする。

憂生がよくやってる冒頭紹介みたいなもんだ。

で、それをトラックバックする。

トラックバックされたほうをみると、一瞬、憂生自身がTBしているようにみえる。

さる中国のブログはそのまま、ぱくり。

あるパーマリンクは知る限り8箇所近く憂生のブログをリンク。

リスミーへの登録、7箇所くらい確認。

プロフィール頁を無断使用。

むかっ腹がたったので、紹介欄にお登勢、16万文字投入。

よんでくれるだろうか?/笑

アダルトブログからのリンク

まだまだ、かぞえ揚げればきりがない海賊リンク。

熱狂的支持・・・ね・・。

複雑な心境だね。

熱狂的なぱくり・・というのも、

熱狂的支持というか・・

いうんだろうな・・・

手相が物語っている。

続きを読む

企画線?

久しぶりに手相です。

たいした変化もなく、ブログの記事移行なんてことをやっていまして、

サイドバーにも設置していますが、

18箇所くらいに記事を分散させ、ここも行方不明になって、捜索検索をおかけさせたこととおもいます。

で、まあ、たいして、かわらない手相だな~~~。なんて、おもってましたら、

以前にもお話しましたが、長湯をして手がふやけると、

見えなかった線がくっきり、見えてくる。って、奴です。

やっと気がついたというべきでしょう。

左手の小指の付け根にむかって、ただならぬ数の線がうかびあがっている。

斜めに伸び上がっていく感じでして、

財産線というものとはとても、思えない。

で、また調べに行ってきました。

どうやら、企画とか?

商才とか?

こっちのほうのセンスのようで、なにか、やったかいな?

と、おもうのですが、過去、友人の仕事先について、

どこそこの職業がよい・・のでは?とアドヴァイスしたことがあるのですが、

これが、今二人とも、そのアドヴァイスした職業についています。

直感線のなせる業なのかもしれませんが、商才?企画?という

目の芽があったということで、今はっきりしてきたのかいなあ?

と、まあ、あんまりきにはしてなかったのです。

最近の不況風にあおられ、これといった仕事の進展もなく、

企画どころか、仕事がねえよ!!という状況で

そんなセンスがのびてきてもどうにもならない。

逆に、散財するという線とみなすにしても、

な~~~にを散財するにしたって、散財する金がねえぞ。

あたってない!!

と、まあ、けりをつけてしまったわけです。

ところが・・・。

よくみると、金星環らしきものができてきてる。

それも、2重・・3重・・・。

どうも、エロ線とかいわれていて、あまり、良いイメージがありませんし、

悪いことかかれてたら、此処で発表するのも、恥さらし?

いやいや、逆にそれはあたってないといえるかもしれないとみてきますと、

ろくなこと、かいてません。

これは、その手相家さんの見方?鑑定?がわるいのだとひとりぎめして、

ほかをあたってきました。

http://heartland-palmistry.com/2009/10/-20091028.html

上から無断で抜粋してきました。

金星帯は「企画系」で勝負する方に多く出ています。

憂生★小指に向かう線も企画系ってのがあったよな・・。

それも知的な素晴らしい感性をお持ちです。

憂生★物語を書いていってる中で、知的な部分をかんじるということは、何度かいわれています。博学という知的でなく、よく考えているなあというような、見識眼というかんじですが。

一言で言えば、「ものづくり線」といっても良いくらいに、自分から発信するのが大好きです。

憂生★そのとおりといって、よいのではないかな?物語に占に料理レシピに(あ。。ブログのとおりです。)

作曲したり、作詞をしたり、文章を書いたり、企画をしたり、技術職で世に新しいものを送り出す人だったりします。

憂生★実は昔、作曲も作詞もすこしやってました。文章は相変わらずかいています。企画的な部分・・・。まあ、あるかな。技術職・・・。というわけではないのだけど、スパム対処ななどについて、考え方みたいなところで、新しい見方、見地で物をいってる(つもり)のところはあります。

また、物事を自分から構築していく能力がある方に出ています。

憂生★文章自体から構築の賜物ですね。文章の場合構成力ということになるとおもいますが、あるほうだと思う(思いたい!!)

それが二重、三重もあったら、それは強化される意味で出ていますので、飛びきり素晴らしい能力を発揮していく方ですね。

とにかく物事の発信源になる方です。有名なアーティストにも多く見かけられる形です。

憂生★発信源というのは、ちょっと、人とは見方がかわっていたり?まあ、単純に

眼からうろこ。みたいなことを言える?考えられるということでしょうか。

このあたりは、憂生自体の性格で友人、知人のことをけっこう、きにかける。

きにかけると、きになったことで、どうだろうか?とおもうことを

どういう風に説明して判ってもらって、かんがえてみてもらおうというのがあるときがあって、

そういう意味合いでは「眼からうろこ」みたいなことをしていかなきゃ、わかってもらいにくいってのがあるわけです。

そういう意味合いで「考え方」の発信源になろうとしているところもあります。

物語の多くも、そうだとおもいます。

こういう「見方」「捉え方」「考え方」「受け止め方」があるんだなという

ひとつの、モジュールでありたいというのがあるんですね(と、書きながらそうなんだなと自覚してる)

と、いうことで、金星環の解釈は、これは、あたっている。

ので、

無理やり、小指の多くの線は「企画センス」であると結論づけて、

けして、散財になる財産線ではない!!

と、運を切り替えておきましょう。マル。

続きを読む

かなり極端に当てはめて考える手相の線

えっと、昨日調べてみようといってたのが、右手の小指側の下(手首に近い場所)の側面から、運命線に届きそうな線。

どうやら、放従線?

ん?

ま、いいや。

で、いくつか、この場所に現れる線があるとわかった。

1、×印などを伴うと水難
2、凹みなどを伴うと泌尿器・・
  腰から下の病気
3、放従線:神経と心がくたびれてる
4、拝相紋:人を思う心の現われ。
     :文筆活動に秀でる

どうも、1、2は当てはまらない。
×もくぼみもないから。
3、4.
うがってみれば、両方ともだといえるかもしれない。
人のことで(ぜんぜん自分に関係がないわけではないので微妙だが)確かに
神経参ってる。
そして、筆刷紋もあったけど、
なにかしら、物を書いている。
これも、一つには神経のくたびれからの所産でもある。
なにかしら、物でも書いてないと
自分が塞ぎこんでしまう。

で、3,4の複合体とかんがえていいか?
と、思うのであるが
これが運命線に届きそうなのが気になる。

自分の神経くたびれが運命に何らかの影響を及ぼす?

こうやって、自分の状況を占いでほじくってみてる部分は確かにくたびれからの行動なんだと思う。

すると、この占いを自分に当てはめて考えると
なんというんだろう。

他の人が単純に手相を見ても
なんか、当てはまらないと思っていた部分が
そういう風に考えてみるのか?
と、なったときに、それが、ひとつの「人を思う」の余波の形といえる。

先にも書いたが
「自分のしでかしたことは自分に帰る」
何らかの運命を切り開く・・
悟り方?
大げさだな。
こういう余波をもし渡せることが出来るなら
これがまた、自分に帰ってくる。

自分の運命もまた、切り開かれる。

だから、運命線に届きかけてる?

右手が現状?

まっこと、手相は変わる!!

右手は現在の状況という占い師も居るが・・・・。

確かに!!

左手は本来の自分とか全体の人生とか?


先々月くらいから、仕事が減ってきている。

これは、こっちが悪いというのでなく、

社会全体の情勢のようで、

集金にきた人も、今月は受注が無い。

と、言う。

小さな会社ならいざ知らず

商事会社で現物・材料・・などを納めている会社

それも、県内でも5本の指に入る商事会社でさえ

「動いてない」という。


建設、増設、改装・・どの分野をとっても、動きが緩慢である。


ぽつぽつ入ってくるのが

突発的なもの。

いわゆる壊れた。と。いう部類。


これはプログラムを変えたり

破損箇所を補修したりとかで、

仕入れを伴わないことがある。


物が動かないで体(労力)だけが動く。


いきおい、収入も減る。


固定給与ではあるが、やはり、事業所の経営状態が悪いと

こちらへの棚ぼたも減ってくる。


オーナーからの驕りも随分減ってきた。


まあ、それでも、相変わらず肴紋が健在なのは、

旨物をつくっているせいかもしれない。

自分で自分に奢っている、と、いうところか・・。


だが・・・。


左手はそのままのようだが

右手の財産運が・・・・がらりと変わった。



長い線が数本あったのに、短く3,4本になっている。


数本並ぶのは金の出入りが多いという。

蓄財は不可能とかいうようだが、

溜め込む気はないし、

要る分だけあればよいという考え方だから

別段、気にならない。

裏がえせば、そういう気性だから、金の出入りが多く

蓄財はできない。とも、いえる。


ところが、上にぶつくさ書いたように

現状、収入源の環境が不安定になっている。


とたんに線の数や長さが変わるし、きのせいか、薄くなっている。


ふ~~~~ん。


金を出そうにも出せる金がなくなってくる。

いまいち・・・。

ボーナスも怪しい。

「入ってくる」も入ってこない?


まあ、あるなりでやっていくから、気にはならないが、

この手相の「反映」の如実なことよ。


やはり、右手が現状と思い込みたくなるのである。

手相は変わる

左手を見る。

薬指と中指の下に赤いぽつんがある。

「なにか、あったよなと手相書を開く。

「ああ・・これだ」

火傷の知らせ。

調理の時もありえる。・・そうか・・。

左手の運命線。

きれぎれだけど、伸び上がって、感情線に届いてる。

隣にもう一本なんとか、切れずに伸び上がってる。

どっちが主線になるんだろう。

もう、正直、なにもかもと縁を切りたいと思う憂生と

ここで、逃げたって、結局同じことの繰り返し。

辛抱するしかないと思う憂生とがいる。

六星占いによると、来年は運気がいいから

それこそ、宝くじにだって、あたるという。

これも、親父との不思議な話があるけど、

あたってもおかしくないかもしれない。

でも、書いてある。

大金を掴んだら、人間関係・・大きな別離が生じる。

嗤っちまう。

大金掴んだら、なにもかも縁きれるかな?って考えてる憂生がいるから。

自分の気持ち・・

ためされてるようだよな。

宝くじ・・・買う気になれない。

でも、もう、このままで、いたくはない。

右手にフィッシュ。

左手に強固な意志をあらわす十字・・ぺけ?

なにを・・

なんの意志をもっているのか・・。

自分でも定かじゃないが

思い当たるのは先に書いた部分。

逃げ出さない。

この意志とうらはらのように、大金をつかむという暗示。

手相なんて、変わる。

仕事が来ないもんだから、なんか、文書、画像揚げまくってる。

昨日、気がついた。

途端?に、筆刷紋?

文章で身を立てられる人間にでてくる紋?かなというのが、

出てきてる。

ありえないよな。

とてもじゃないけど、売り物になる文章じゃない。

指にあがっていく線も考えさせられる。

運命線が中指の中まで入っていくと天下を取るなんていったけど、

確かに百姓のせがれが、太閤にまでのぼりつめたんだから、

これは出世だよな。

誰だったかが、親指に上る線があるといってた。

親指ってのは、先祖とか精神とか現すだったかな?

だから、先祖の意志を成し遂げるとか、

前世?の遣り残したことを果たすとか

精神世界を安定させる指導者になるとか・・・。

いろいろ、考えられるけど

憂生は人指し指の線が指の中に上がりそうな気配。

人指し指は・・地位とか名声とか・・・。

この部分を目指してるってとこかい?

右手も左手も名声・高貴な身分・ありえん。高い役職につくとか?

ありえない紋がでてる。

そういう部分を求める思いがあるってことかな・・。

自分の思い方が手相に反映するって話はこの前書いたと思うけど、

つまり・・そういうこと?


愛情ってものにも、幻滅した。

だからと言って、憂生が誰かを愛してないわけじゃない。

何処かにも書いた。

自分が本物にならなきゃ、本物はまわってこない。

いかに、偽者か、自分をつつきまわすのも、くたびれた。

本物でもない人間が言うのもおこがましいが、

でも、やはり、偽に甘んじる人間からの愛情はいらない。

本物・・・。

自分が本物になるしかない。

この指標を遂行できれば、それこそが

真実の名声であり、名誉だろう。

うたれづよいつもりで居たけど・・・。

結局ここだな。

自分のプライド。

ここに反したくない。

それが、左手の×?

人指し指に上ろうとする線?

名誉線?

プライド線?

そうとでも、解釈するか?

肴紋

憂生が手相をみはじめたのは、・・・

あ、人のを見るとかじゃなくて、

自分の手相ね・・。

単純に

なんじゃあああああ、この線?

って、だけなんですよね。

で、元来、研究心が旺盛で。。/笑

悪く言えば、疑り深く・・。

手相の逆解釈を試み始めた。

手相がこういう風に出る、本人の理由はなんじゃらほい?

だから、もっか、肴紋か、お助け十字か、わからなくなってる肴紋ですが、

ご馳走を奢られるという紋で父もしくは×(+じゃなくて×)が

きれいに二つ並ぶというものです・・。

で、なんで、肴紋がでるんじゃ?

って、思うわけです。

で、憂生のかんがえ方に

「自分のしたことは良いことにしろ、わるいことにしろ、必ず帰ってくる」

と、いうのがあります。

つまり、憂生が先に「奢っている」(ような行動。食物を提供する行動:調理も含め)を数多くしているわけです。

単純に奢るときもあれば、仕事という形でおいしいものを提供する。

ただ、食事をつくっただけでは、仕事ですから、奢るにならないと思うわけです。

けれど、「おいしい」が付随したら、「奢る」という範疇に入るとかんがえられます。

で、すでに奢るをやってるから、

奢るがかえってくる。

で、この奢るももっと、形をかえた奢りも含むでしょう。

例えば、非常に抽象的ないいかたですが、

精神的に奢る。

こんなかんがえ方もあるんだね。

この物語、堪能しました。

こういうのも、奢るという事になると思います。

で、それが、帰ってくる。

当然、これも、同じように精神的に帰ってくる場合もあるとおもいます。

こういう意味合いで、また、奢られたら、奢る。

奢るから奢られる。

という、永遠メビウス。

で、それなりに循環ができてるから、

この肴紋がでるんじゃなかろうか?

って、解釈するわけですが、

こういうところから、

どんなかたちにしろ、

受けた恩は次にまわしていく。

って、ことが、重要なんだなって、

思うわけで、

さらにかんがえていけば

「してあげた」的「驕り」でなく

「させてもらった」的「奢り」の心をもたなきゃ、いかんのう・・

てなことをかんがえるわけです。

これが、奢り・・分解して・・大者の心構えじゃろう。

(で、それらしい自分かどうか、反省する)

なんてこともかんがえたりするわけで、

手相をみて、単純に

「あ、奢られるんだ」

って、それは、手相を眺めてるだけで

鑑定じゃないっておもうわけです。

鑑定というのは、

そこに、どんな価値があるかを見極める。

で、自分の手相と、自分との引く比べができるわけで、

まあ、内面を問うために?

手相をみているわけで、

開運方法とか、金儲けができるかとか?

こういうのには、あまり、興味がありません。

あまり・・というのは・・

如実に繁栄するので、手をみて、

景気回復(個人的に)が読めるので、

そういうのをみるくらい・・という意味です。

ぽちぽち俵紋も回復しはじめてたり(一時・・なかった・・)

左はきっちしあるので、まあ、喰うに困らないと思ってますが。

株式動向的にきっちし、手相が刻まれるのも

おもしろいものです。


続きを読む

複雑・・・

手相をみていて、まじ、あたってるのが、

頭脳線のふたまた。

このせいか、ある意味器用貧乏というか・・・。

写真やっても、物語かいても、調理やっても、

帳簿やっても、キャドをつついても、

そこそこにこなす。

と、いって、極めるところまでいかない。

ひとつに、欲がないというか、

出版ひとつでも、貪欲にかじりついていかないというか・・。

カメラもそう。

ちょろちょろとやって、入賞してしまう。

調理もここ何年間か、町内の打ち上げとか、

夜店での商品を作ったり・・。

一般の人とくらべると、

プロに近いアマチュアってとこまではいく。

で、そこをなんとか、もっと上まで行こうという気がないというか。

いつだったか、姓名判断をしてあげると(ひまだったらしく)

姓名判断によると、あなた、調理関係がいいね。

「やってます(その頃は)」

ああ、あなた、それで、食っていけるよ。

上のほうまでいく。

「ほう・・じゃあ・・執筆とかは?」

すると、ここで、生命判断のおっさんは、

「手・・みせてごらん」

え?おっさん。姓名判断だけじゃないのですかい?

「う~~ん・・・これも上あがれるな・・」

「誕生日は?」

へ?手相と姓名判断だけじゃなくて、誕生日からもみるんですかい?

そして、おっさん・・。

ぶあつい本をだしてきて・・・

字画と干支とか?(ようは、細木数子の算名学?のような)あわせて、かいてあるようで、

あ、こっちにもある。って、つぶやくと、

「あんたね、広告業とか、印刷業がいい・・」

む・・・・むむむ。

実は憂生は高校へ進むとき、デザイン学校にすすみたかったんだ。

包装紙のデザインとか、小物・アクセサリーとかのデザインとか

それって、やっぱり、そういうものへいくといいものがあったから、おもわされてたのか・・・。

で、まあ、そういう何種類かの才能?ってのは、

名前の中にも、手相にも、誕生日にもでてくるってことなんだな。

運命線まで二股にわかれて・・。

最近は二重運命線か?っておもう線がうっすらでてきてる・・。

いったい・・どうなっちまうことやら・・・。


 INDEX    RSS    管理

猫・追加中

カレンダー

03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

最近の記事

作品集(アルバム仕立て)

カテゴリー

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
5757位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
2080位
アクセスランキングを見る>>

ブログ村

訪問者様

ページランキング

ブログパーツ

IP検索

全記事表示リンク